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c0077412_09095584.jpgThe Irresistible Inheritance of Wilberforce

Paul Torday,2007

「僕はあたふたとタクシーから降りた。ちょっと落ち着こうと身体を後ろに揺らすと、タクシーの側面にもたれて空を仰ぐのがいちばんバランスを保ちやすいとわかった。空はくっきりと黒く、星がいくつかきらめいていたが、昔ほどたくさんは見えなかった。いったん見上げると、今度はどうも下を向けない。」

こんな書き出しで物語は始まる。いったいどうなっているのかと思って読み進めると……

語り手はタクシーで乗り付けた店でシャトー・ペトリュスの1982年物という高級ワインを注文する。身なりやら言動から語り手の支払い能力に不安を覚えた店側から、クレジットカードの写しを取らせていただきたい、と言われる。すると語り手は、クレジットカードは使わないんでね、と言ってポケットから丸めた札束を取り出してトレイに置き、使った分だけ取って店を出るときに残りを返してください、と言う。そのとき語り手は、タクシー料金15ポンドを支払う際に運転手に100ポンド紙幣をやってしまったことに気がつくが、別に慌てることもなく、おもむろにワインを楽しみ始めるのである。

語り手によると、ここ数ヶ月バランス感覚が悪くなり、ひどく汗をかくようになり、ワインを飲んでいないと過去の出来事のつらい記憶がつい浮かんできてしまう(たとえば、この段階ではまだ明かされていないが、語り手は車の事故で妻を失っている)。ワインを飲むと穏やかで冥想的な、時には敬虔な気分にすらなれる語り手は、気づかないうちに鼻歌を歌っていて注意され、店中の注目の的となり、客達の会話の断片に傷ついて立ち上がって妻の姿を探し、そのまま床に倒れ込んでしまう。そう、この物語の語り手はアルコール中毒症なのだ。

物語は2006年から始まり、2004年、2003年、2002年、と過去に遡りながら綴られていく。語り手は愛情の薄い養父母に育てられ、友人もできない孤独な少年だったが、卓越した数学的能力のおかげで、若くしてソフトウエア会社の立ち上げに成功し、彼なりに充実した日々を送っていた。そんな彼がふとしたことからワイン収集家と知り合い、上流階級の青年達との交流に目覚め、美しい女性を婚約者から奪って結婚する。この頃はすでにウィルバーフォースはワインの迷宮にすっかり迷い込んでしまっていた。冒頭のような状態に到るまでの彼の歩みを逆に辿るあいだ、読者にはつねに彼の行き着く先が見えているのがなんともつらい。

語り手をワインの迷宮に誘い込んだ張本人フランシス・ブラックとは何者か。そもそもフランシスはなぜ語り手に興味を抱いたのか。そして語り手の方もなぜフランシスに惹きつけられたのか。これに関する暗示的な言及がさりげなく文中に埋め込まれているが、暗示されているだけで断定はされていないのがニクイ。特にワインに興味はなくても、あるいはワインの味はわからなくても楽しめる、実に味わいのある作品でした。(2018.3.25読了)


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by nishinayuu | 2018-05-21 09:15 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


c0077412_10333460.jpgIl mosaico deltempo grande』(Carmine Abate, 2006

南イタリアの七つの州にはアルバニア系住民アルバレシュの共同体が50もあり、そのうち33が半島の長靴の先に位置するカラブリア州に集中している。アルバレシュの祖先は15世紀の初めから18世紀後半までにオスマン帝政下のアルバニア(当時の名はアルベリア)からイタリアに逃れてきたキリスト教徒たちだという。

本書にはアルバレシュの架空の共同体「ホラ」を舞台に繰り広げられる三つの世代の三つの恋物語が描かれている。それはアントニオ・ダミスとドリタの物語、ミケーレとラウラの物語、そしてジャンバッティスタ・ダミスとエレオノーラ(美しきロッサニーザ)の物語、という順に語られるが、時系列においては最も古いのが15世紀のジャン・バッティスタの物語、次が20世紀のダミスの物語で、最後がミケーレの物語となる。これらの三世代の人々の物語が、時と所を行ったり来たりしながら複雑に絡み合って進行していく。耳慣れない地名や人名、さらにはカタカナ表記されるさまざまな言語などのせいで、3分の1ぐらい読み進まないと全容が見えてこないのがもどかしいが、そのもどかしさが薄れる頃には魅力溢れる物語の世界にすっかり取り込まれている。

以下に主要人物をメモしておく。

*ヅィミトリ・ダミス(5世紀前に人々を引き連れてカラブリアにやって来た最初のパパス=正教会神父)

*ヤニ・ティスタ・ダミス(ヅィミトリの長男。苦難の中にいる同胞を救うためにアルバニアのホラへ旅立ったが、結局トルコ兵に捕らえられ、生きたまま皮をはがれて死んだ)

*コントラニ・ダミス(ヤニ・ティスタ・ダミスの次男で二人目のパパス)

*ジャンバッティスタ・ダミス(コントラニの息子。三人目のパパス)

*ゴヤーリ(モザイク工房の主。20世紀末に社会主義体制下のアルバニアから脱出した人々のうちの数少ない生き残りの一人。ホラの歴史をモザイク画で描き、若者たちに語って聞かせる、物語の進行役。本名はアルディアン・ダミサ)

*ミケーレ(大学を卒業したばかりの若者でゴヤーリに信服している。卒業祝いパーティを終えたらホラを出るつもりでいる)

*アントニオ・ダミス(ヅィミトリの直系。若い頃はミケーレの父親の親友だった。アルバニアの「ひとつめのホラ」へのあこがれから故郷を離れ、やがてブリュッセルへ、さらにアムステルダムへ)

*ドリタ(アルバニアの踊り子。ブリュッセルまで追ってきたアントニオと結婚する)

*ラウラ(アントニオとドリタの娘。レポートを書くためにカラブリアのホラへやって来てミケーレと知り合う)

*ゼフ(ラウラとともにホラにやって来た男の子。ラウラの甥)

*ツァ・マウレルア(アントニオの隣人だった女性。ラウラがアントニオの娘であると知りながら、ゼフのめんどうを見る)

*ロザルバ(ツァ・マウレルアの娘。ホラいちばんの美しい娘だったが、恋人のアントニオが去ったあとは家に閉じこもったまま)

『風の谷』や『ふたつの海のあいだで』と同様に、アバーテの登場人物たちは異邦人に惹かれて遠くへ旅立つ。そして故郷を憧憬し続ける。(2018.3.25読了)


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by nishinayuu | 2018-05-16 10:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_10330001.jpgThe Blackwater Lightship』(Colm Tóibín, 1999

本作は作者トビーン(19955~ )の第4作目の小説。舞台はアイルランド東南、ウェクスフォード州のエニスコーシーとその周辺。主人公ヘレンの祖母の家があるクッシュは海岸沿いの崖の上にあり、そこからはタスカー燈台の明かりが見えた。久しぶりに祖母を訪ねたヘレンがこの燈台の明かりを見た場面の描写が印象的だ。

何かが目の片隅に入ったことに彼女は気づき、振り向くと再び見えた。遠くに閃く灯台の明かり、タスカー・ロックだった。立ち止まって、見て、次の閃光を待った。だが、戻ってくるまでちょっと時間がかかった。再び彼女は待った。夜のリズムが腰を据えた。

かつてこの土地にはもうひとつブラックウォーター灯台船という灯台があったが今はもうない。船があまり行き来しなくなって灯台は一つで事足りるようになったからだろう。二つの灯台について、やはり久しぶりに会った母のリリーがヘレンに次のように述懐する場面も印象的だ。

小さかったとき、おばあちゃんの家のベッドに寝ていて、私はタスカー灯台は男、ブラックウォーター灯台船は女だって信じていたの。ふたつは互いに、それから他の灯台にも、恋歌のように信号を送り合っているのだと信じていたの。()私は彼らがお互いに呼び合っているんだと思っていたの。

リリーの夫、すなわちヘレンの父が急死したとき、リリーとヘレンは完全に心が離れてしまった。リリーは夫の死を受け入れることで全力を使い果たし、祖母の家に預けられたヘレンと弟のデクランは母に見捨てられたと思い込んだ。祖母と母の間、祖母と姉弟の間にも気持ちの行き違いがあって親子孫3代が疎遠のまま年月が流れたが、ある日デクランが皆に助けを求めたことから、祖母・母・ヘレンの3代の女達がやむなく顔を合わせることになる。

後半はデクランのすさまじい闘病と、献身的にデクランを支える友人達と祖母・母・ヘレンが互いに心を開いていく過程が描かれていて、強く心に残る作品である。(余分な主語や代名詞が頻出するかなり読みにくい訳文なので最初は引っかかりましたが、だんだん気にならなくなりました!)(2018.3.7読了)


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by nishinayuu | 2018-05-06 10:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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The Light BetweenOceans』(M. L. Stedman, 2012

物語の主要舞台はオーストラリアの西南端に位置するパルタジョウズの町と、そこから160㎞離れた海に浮かぶ岩山、ヤヌス・ロック。時は第1次大戦終戦から間もない1920代から1950年まで。


ある日、ヤヌス・ロックの灯台に一人の男が赴任してくる。前任者が孤島の灯台守という過酷な環境で心身ともに衰弱したためだった。新任の男は悲惨な戦争体験による心の傷を抱えたトム・シェアボーン。任期は次の交代のある3ヶ月後までの予定だった。が、トム・シェアボーンはヤヌス・ロックと燈台に魅了され、燈台の光を灯す仕事に打ち込むことで心の平安を見いだしていく。やがてパルタジョウズの町で知り合った女性と結婚したトム・シェアボーンは、次の交代要員がいないために任期が延長されたこともあって、ヤヌス・ロックの灯台守として妻と二人で幸せな日々を送っていた。

そんなある日、島にボートが流れ着く。そこには息絶えた男の傍らで泣き叫ぶ、生後間もない赤ん坊の姿があった。灯台守としては当然この事実を届け出なければならない。しかしここで、男児を死産したばかりの妻が彼に懇願する。届けるのをやめてこの子を自分たちの子どもにしよう、と。このとき妻の懇願に屈した彼の間違ったやさしさが、この後の夫婦と子どもに、さらには子どもの実母に苦悩の日々をもたらすことになるのだった。主な登場人物は以下の通り。

トム・シェアボーン/イザベル(愛称イジー、トムの妻)/ルーシー(ボートに乗っていた赤ん坊)/ラルフ(ヤヌス・ロックに3ヶ月毎に物資を運ぶ船の船長)/ブルーイ(ラルフの船の乗組員)/ビル&ヴァイオレット・グレイズマーク(小学校の校長夫妻、イザベルの両親)/セプティマス・ポッツ(幼くしてオーストラリアに連れてこられ、努力の末に資産家となった男)/ハナ・レンフェルト(ポッツの娘)/フランク・レンフェルト(オーストリア出身、ハナの夫)/グウェン・ポッツ(ハナの妹)/ヴァーノン・ナッキー(パルタジョウズ警察の巡査部長)

上記の人物はほとんどが「善い人」ばかり。なかでもトム・シェアボーンをはじめ、船長のラルフ、フランク・レンフェルト、ヴァーノン・ナッキーら男達のやさしさと思いやりが物語の過酷な展開の中で救いとなっている。また、男達はおおむね冷静で理性的に描かれているので、著者は多分男性だろうと見当を付けながら読んでいた(が、実は女性だったのでした)。

訳者が指摘しているとおり、燈台の島の名がヤヌス神から取られているこの物語には「善と悪」「生と死」「光と闇」「喪失と再生」「罪と許し」など相反する二つの事柄の間で惑う人々が描かれている。著者は幻想的で美しい自然描写とサスペンスのような展開で読者をぐいぐい物語世界に引き込み、最後に許しと平穏の世界を用意している。涙なしには読めない感動の大作である。(2018.3.5読了)

言葉に関するメモ――巡査部長のナッキーがトム・シェアボーンのことを「あの男は得体が知れない。マカデミアナッツのように口を閉ざしている」と評する場面がある。「貝のように」とせずに「マカデミアナッツのように」と(おそらく原文を生かして)訳してあるのがなかなかいい。


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by nishinayuu | 2018-05-01 10:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_09124790.jpgДневникМайдана』(Андрей Курков2014

副題に「国民的作家が綴った祖国激動の155日」とあり、20131121日(木曜日)から2014424日(木曜日)までの日記によって構成されている。初日は「今日の午前零時半にセヴァストーポリに隕石が落ちた」という記述に続いて、ヤヌコヴィチ政権の首相アザーロフがEUとの連合協定調印の準備作業を停止すると声明したことへの衝撃が綴られている。そして最後の日付には、著者の長編小説『大統領の最後の恋』のロシアへの搬入が禁止されたと出版関係者から連絡があったが、「国内は相対的に落ち着いている、つまりロシア軍はウクライナとの国境を越えていない」という記述がある。続いて前日は客人達を迎えて著者の誕生祝いを行ったこと、この日にキエフで開かれる会議にロシアから作家、批評家をはじめとする知識人達が何十人もやって来たこと、息子達の通う学校の保護者会に出席したことなどが綴られ、最後は「525日に予定されている大統領選挙は行われるのだろうか?行われる、そう信じたい。だが確たる自信はない」という言葉で終わっている。(大統領選挙は行われ、チョコレート王として知られる大富豪で親欧派のペトロ・ポロシェンコが当選している。)

著者はウクライナのキエフに住む作家で、1996年に発表した『ペンギンの憂鬱』が国際的ベストセラーになり、2014年にはフランスのレジオンドヌール勲章を受章している。国民的作家であると同時に、著作が25カ国語に翻訳されている国際的な作家でもある。民族的にはロシア民族なので、ウクライナ語話者でもあり、ロシア語話者でもある。キエフの属する西ウクライナの市民の多くがそうであるように親欧派で、その立場と考えを本書で明確に語っている。

本書にはウクライナ争乱の日々の出来事が事細かに記録されているので、遙か遠くの国・ウクライナが現実感をもって迫ってくる。ただし、記述があまりに詳細なので、予備知識がないと消化しきれない。私の予備知識は、2004年の大統領選挙戦でユシチェンコ(ものすごくハンサムだった)が政敵に毒を盛られて顔がぼろぼろに崩れてしまったこと、同じ時期の政治家ティモシェンコ(この人もすごい美人)が贈賄と殺人の罪で起訴され、刑務所病院に監禁されていることくらいだったから、それから後の時期を扱っている本書の内容は実はほとんど消化できなかった。それでも何とか理解できたいくつかの言葉・事項を今後のために書き留めておくことにする。

*ユーロマイダン――EU派市民による親ロシア派大統領ヤヌコヴィチへの抗議デモ。「マイダン」は「広場」という意味だが、広場に集まった人々が繰り広げる市民運動もマイダンと呼ばれる。マイダンはもともと地域の代表的な広場を指し、キエフではマイダンと言えば「独立広場」のこと。この広場を中心にEU派市民による抗議デモが広がっていった。

*ウクライナ内戦――東ウクライナのクリミア・ドネツィク・ルガンスクの各州で激化した「反ウクライナの政府組織+親ロシアの分離派武装勢力+ロシア軍」対「ウクライナ政府軍」の軍事衝突を、「ロシア軍は関与していない」という立場をとるロシアはこう呼んでいる。

*東ウクライナと西ウクライナ――ウクライナはドニエプル川を挟んで東部と西部に分かれている。どちらの市民も大多数は民族的にはロシア人だが、東には親ロシア派が多く、西には親ヨーロッパ(親EU)派が多い。東はウクライナを離れてロシアへ帰属することに抵抗がないが、西は東も含めた一つのウクライナを堅持したい。というのも、資源の豊富な東が分離してしまうと、チェルノブイリという負の資産を抱えた西ウクライナだけでは国として立ちゆかなくなるからだ。EUとしてもウクライナ全体なら歓迎だが、西だけというのは困るのだ。

ウクライナは依然として不穏な情勢が続いている。本書から垣間見える著者一家のちょっと優雅な暮らしが末永く続くことを祈りたい。(2018.2.28読了)


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by nishinayuu | 2018-04-26 09:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)


c0077412_09131167.jpgRemise dePeine』(Patrick Modiano1988

本作は、ひとりの少年が自分を取り巻く世界の情景や人々を断片的に綴るという形で展開していく。個々の出来事や人物が、そのときどきに周囲から切り離されたように浮かび上がり、やがてふっと消えていく。まるで、街灯の回りだけが明るい霧のかかった街を歩いているかのようで、道も全体の状況もよく見えないのに、光の当たっている一点だけが鮮明なのだ。

物語は次のように始まる。

「それは、芝居の巡業がフランス、スイス、ベルギーはおろか、北アフリカまでかけまわっていた頃のことだ。ぼくは十歳だった。母はある劇団の地方巡業に出かけていたので、弟とぼくはパリ近郊の村にある母の友人たちの家に住んでいた。」

このあと語り手はその二階建ての家について、庭(そこにはギロチンに名を残すギヨタン博士のお墓があった)の様子や、室内の家具調度を細々と描写したあと、家の前のドクトゥール・ドルデーヌ通りについても細々と描写する。この細々とした描写が曲者で、建物の大きさやそれぞれの位置関係、距離や方向などの情報が欠けているので、全体像がつかめない。(略図を書きながら読んだが、3ページほどのこの冒頭部分だけで20分ほどかかってしまいました!)この後も所々にこの地域についての描写があるので、全体像は少しずつ補完されていく(というわけで何度も略図を修正しました)。

同じ事が登場人物の描写についてもいえる。登場人物たちは、はじめはただ「母の友人」であり、そのうちひとりひとりの特徴と語り手や弟への接し方などで区別できるようになる。が、彼らが何者なのかはずっと後になるまで不明のままだ。実は彼らは語り手の父親を含めて、子どもたちには知られてはいけないことをやっていたのであり、彼らにも彼らなりの「物語」があったのだ。彼らのすぐそばで、彼らに可愛がられながら無邪気な日々を送っていた語り手は、それでも振り返ってみればいろいろ「おかしなこと」に気づいてはいたのだ。

言ってみれば、曖昧模糊の美しさに溢れていてまるでフランス映画を見ているような気分になる作品である。(2018.2.15読了)


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by nishinayuu | 2018-04-16 09:19 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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Une Femme』(Annie Ernaux, 1987

著者は1940年生まれ。18歳までフランス北部ノルマンディー地方のイヴトーという町で過ごし、結婚、離婚を経て現在はパリ近郊でひとり暮らしをしている。高校教育に従事したのち1974年に作家デビュー。現代フランス文学界でいま最も注目を集めている作家である(見返しの作者紹介文より抜粋)。

本作は「母が死んだ。47日日曜日、ポントワーズの病院付属の養老院でだった。二年前に、私が彼女をそこに預けたのだ」という文で始まる。

母親が死んだ1986年のその日は、著者の世代のフランス女性に決定的ともいえる精神的影響を与えたシモーヌ・ド・ボーヴォワールの死去の1週間前だった。そして著者はボーヴォワールの葬儀の翌日の420日に冒頭の文を書いたのだった。

著者の母親はボーヴォワールとは全く異なる低い階層に生まれ育った女性だった。ノルマンディーの田舎で育ち、女工から小売商人となり、世間に面目をほどこそうとがむしゃらに働き、読書好きで向学心も旺盛だった母親は、成長期の著者にとっては世間に立ち向かう意志と活力のイメージそのものだった。開けっぴろげで派手で粗暴でもあった。母親は娘にありったけの愛情を注いだが、愛するあまりに時には乱暴な言葉を投げつけることもあった。そして娘が大学教育を受け、「ただの労働者ではない、教養のある家庭で育った」男性と結婚したときには、娘が上の階層の人間になれた、と喜んだ。

そんな母親と著者の葛藤の日々が描かれたあとに、老年性痴呆に陥った母親との日々が描かれる。

老年期に入って痴呆に陥り別人になってしまった母親と1年あまり格闘した末に、著者は2年前についに母親を施設に入れて最期の日々を看取ったのだった。すなわち本書には「ある女」の一生が描かれると同時に、母親に対して娘が抱く嫌悪感と親近感、疎ましさと愛着などの綯い交ぜになった複雑な思いが描かれている。著者は本書の最後を次のように締めくくっている。

――この本は伝記ではないし、もちろん小説でもない。おそらく文学と社会学と歴史の間に位置するなにかだと思う。被支配階級に生まれ、そこから脱出しようとした母自身が、歴史となる必要があったのだ。彼女の望みに従って、言葉と思想を持つ支配階層に移った私が、その階層の中で、自分をそれほど孤独でも不自然でもないと感じるために――。私が彼女の声を聞くことは、もはやない。大人の女である私を、子どもだった頃の私に結びつけていたのは、彼女と、そして、彼女の話し言葉、彼女の手、仕草、笑い方、歩きぶりなどだった。私は、自分の生まれ故郷にあたる階層との間の最後の絆を失った。

2018.2.13読了)


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by nishinayuu | 2018-04-11 10:09 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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Blodläge』(Johan Theorin, 2010

本書は秋編に始まる「エーランド島 4部作」の第3作目に当たる。夏編でさえ『夏に凍える舟』というタイトルになるような北国の、しかも本土から離れた島の寒さと冷たさ、寂寥感が、本作からもひしひしと伝わってくる。「赤」「微笑む」「春」と一見温かそうなイメージの言葉が並んでいるにもかかわらず。

本作には、シリーズを通しての主人公であるイェルロフの他に二人の主人公がいる。一人は古い家を継いだ新参の住民であるペール、もう一人は古い民話の世界とともに生きてきたヴェンデラである。ペールは本作のストーリー展開の軸となる人物であり、ヴェンデラは1950年代を回想することによって過去と現代を結びつける人物である。主要登場人物は以下の通り。

*イェルロフ・ダーヴィッドソン――元船長。不自由な体ながら老人ホームを出て自宅で暮らし始める。

*エラ――イェルロフの亡き妻。残された日記には「とりかえっ子」に関する記述もある。

*ペール・メルネル――妻子と別れて島で暮らし始めた会社員。ふたごの兄妹(イエスペルとニーラ)の父親として彼らと過ごす時間も大切にしている。ニーラは危険な手術を控えて入院中。

*ジェリー・モーナー――ペールの父で元ポルノ映画の制作者。年老いてペールの許に転がり込む。

*ハンス・ブレメル――ジェリーの仕事仲間。写真講師。

*トマス・ファル――ハンスの教え子。最後の方でペールとの因縁が判明する(ネタバレ)。

*ヴェンデラ・ラーション――島育ちの女性。「作家で料理研究家」の夫マックスのゴーストライター。

*ヘンリ・フォシュ――ヴェンデラの父。島の石切場で働いていた腕のいい石工。

*ヤン-エリク――ヴェンデラの兄。障害のため家に閉じ込もったまま、17歳のとき姿を消す。

本書には幸せをもたらすエルフや禍をもたらすトロールの話がよく出てくる。ヴェンデラは子どもの頃はもちろん、大人になってからもエルフやトロールのいる世界で生きてきたのだ。父親がその存在を隠していた兄ヤン-エリクも、ヴェンデラにはそんな世界の住人のようだったのではないだろうか。エラの日記に残された「とりかえっ子」のエピソードや、ヴェンデラを救ったあと霧の中に消えた少年のエピソードなどから垣間見えるヤン-エリクの姿が、本筋の人物たちの姿より強く印象に残る。

2018.2.9読了)
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by nishinayuu | 2018-04-06 09:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_10104832.jpg物語は次のように始まる。

「一九二四年十月のある午後おそく、みすぼらしい服装をした一人の青年が、スウォンジーからペノウェル渓谷の登りに掛かった列車の、がら空きに近い三等の車室から、緊張した目をじっと窓外にやっていた。マンスンはその一日かかって、はるばる北のスコットランドから、カーライルとシュルーズベリーで乗り換えて旅をつづけてきたのだが、南ウェールズでのうっとうしい旅程も、今ようやく終わろうとしているとき、医者としての門出に、この見慣れぬ醜怪な地方での自分の将来のことを思うと、興奮はいよいよつのるばかりだった。」

トーマスマンの『魔の山』をふと思い起こさせる印象的な書き出しである(物語の内容も主人公の状況も全く異なるが)。終着駅に降り立った主人公を馬車で迎えに来ている人がいる点も二つの作品に共通する。ただし、迎えに来た人物が『魔の山』では従兄弟の健康そうなヨアヒム青年で、『城砦』では黄色い顔の老人トマスだったが。

さて、主人公のマンスンが「みすぼらしい服装をした青年」であること、スコットランド出身であること、医者の資格を得たばかりであること、南ウェールズの「醜怪な地方」で医者として生きていこうとしている意欲的な青年であること、などが冒頭の短い文の中にすべて盛り込まれている。マンスンは苦労して医者の資格を得た後、その技能を貧しい人々のために役立てようと、まず代診の医者として働き始める。富にも名誉名声にも心を動かされない清廉な医師を目指し、その志に共感して心から応援してくれる妻も得たマンスンは、力強く人生を歩み始めたのだったが……。

高い理想と信念を持つまじめな青年が、世間の荒波に揉まれる中で一時道を外れそうになるが、やがて本来の自分を取り戻していく、という実に清々しい作品である。前半に描かれている青年の恋と結婚までの課程は「これぞ青春文学」といえる美しさにあふれており、やがて心の緩みから自分を見失っていく状況は説得力を持って綴られ、最後にまた初心に立ち返って高潔な生き方を取り戻す姿が描かれて感動的に締めくくられる。どうも物事がうまく運びすぎる感はなきにしもあらずだが、主人公には著者自身が投影されているという。

手許にある本は学生時代に買ったもので、表紙がぼろぼろになったため何度も処分を考えたが、愛着があって捨てられないでいた。捨てなくてよかった。この作者の本は著作権の関係とかで現在は出版されていないからだ。(古本なら手に入るが、汚いのに高い! 以前、装丁のとてもきれいな『スペインの庭師』を図書館から借りて読んだが、今はそれさえ見つからない。)(2018.1.23読了)


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by nishinayuu | 2018-03-27 10:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_09465127.jpgThe Lowland』(Jhumpa Lahiri, 2013

舞台はインドのカルカッタ(現コルカタ)市内のトリーガンジと、アメリカのロードアイランド州キングストン周辺。主要登場人物はスバシュ、ウダヤン、ガウリの三人と、次の世代のベラ。トリーガンジの低地で生まれ育ったスバシュとウダヤンは年子の兄弟で、なにをするのも一緒という仲の良さ。学校もスバシュが1年遅らせてウダヤンの入学に合わせて同時に入学した。二人とも成績優秀で大学に進学し、その頃からそれぞれの道を歩み出す。スバシュはアメリカ留学という道を選び、ウダヤンは農民の武装蜂起に心を寄せたことから極左組織ナクサライトに関わっていく。その一方でウダヤンは、利発な女子学生ガウリと惹かれあって結婚する。そして1971年の秋、ウダヤンは過激分子として両親とガウリの目の前で射殺される。ウダヤン26歳、ガウリは23歳だった。

「ウダヤン コロサレタ カエレタラカエレ」という電報を受け取ったスバシュは「低地」の家に駆けつける。そこにはウダヤンを失って呆然とする両親と、彼らが、特に母親が家族として受け入れることを拒んでいるガウリがいた。しかもガウリはウダヤンの子を宿していた。ここでスバシュは最善と考えたことを決行する。ガウリをアメリカに連れてきたのだ。ウダヤンのいない家からガウリを救い出すために、そしてウダヤンに代わって自分が生まれてくる子の父親になるために。こうしてスバシュとガウリ、やがて誕生したベラを加えた新しい家族の歴史が始まることになったが……

スバシュはウダヤンを愛していたようにガウリもベラも愛さずにはいられない本当に「いい人」なのだが、スバシュを夫として受け入れられないガウリの思いも、スバシュもガウリも許せないベラの思いもそれはそれでよくわかる。主要人物のいずれも暖かみのある筆致で描かれているため、ひとりひとりに共感できてしまうのである。重いテーマながら、前途に明るい光の見える終わり方になっていて救われる。また、野鳥たちの楽園のようなキングストン周辺の情景も楽しめる。

ところで、本作に次のような文がある。「(ロードアイランドとトリーガンジは)あまりにも隔たりが大きく、心の中に同時におさめておけないような気がする。()それでいて、地理的条件としては似ていなくもない。ロードアイランドという小さな州は、インドにおけるカルカッタとの共通点がある。北に山地、東に大海、南と西に大陸の本体。どちらも海抜はゼロに近くて、淡水と海水の混ざり合う地形が見られる。」作中で「低地」と言われているのはトリーガンジだが、ロードアイランドも「低地」なのだ。

218.1.10読了)


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by nishinayuu | 2018-03-17 09:50 | 読書ノート | Trackback | Comments(3)

読書と韓国語学習の備忘録です。


by nishinayuu