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c0077412_1424678.pngトロイラスはトロイの英雄ヘクターの弟。物語の主題の一つはトロイラスとクレシダの恋物語であるが、真剣にクレシダを愛していたトロイラスはクレシダに手ひどく裏切られる。クレシダという女性は心理にも行動にも一貫性がなく、そもそも恋愛の対象とすべきではない娼婦的な女性だったわけで、ヒロインとしての魅力がない。主人公のトロイラスも、戦場での活躍という点では目立たない存在であるため、こちらもあまり魅力的とはいえない。また、この戯曲のもう一つの主題はアキリーズがヘクターを斃すまでの物語であるが、トロイ戦争の結末までは語られていないので、尻切れトンボの感は否めない。つまり、今はやりの言葉でいえば「残念な」作品である。ただし、近年、ここに盛り込まれた内容が「現代的なテーマと通じるものがある」として注目されつつあるという。
主要な登場人物は以下の通り。
トロイ側――プライアム(トロイの王)、ヘクター(プライアムの息子)、トロイラス(プライアムの息子)、パリス(プライアムの息子)、イーニーアス(将軍)、カルカス(神官、クレシダの父、ギリシアに与している)、パンダラス(クレシダの叔父)、アンドロマキ(ヘクターの妻)、クレシダ(カルカスの娘)
ギリシア側――アガメムノン(ギリシアの総指揮官)、メネレーアス(アガメムノンの弟)、アキリーズ(将軍)、ユリシーズ(将軍)、ネスター(将軍)、エージャックス(将軍)、パトロクラス(将軍、アキリーズの親友)、ヘレン(メネレーアスの妻)

ところで、エージャックスのことを訊かれたクレシダの従者が、They say he is a very man per se と答えるくだりがある。Small Latin , less Greek のはずのシェイクスピアさん、わざわざこんなところで従者にラテン語を使わせなくても、と思った。ところが現代の小説を読んでいたら、ごく普通の人物がこのことばを口癖にしている場面にでくわした。どうやらこのことばは英米人にはごく当たり前のことばらしい。畏れいりました。(2014.11.21読了)
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by nishinayuu | 2015-02-27 14:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

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『L′Oiseau Bleu』の英訳版(訳:Alexander Teixeira de Mattos)。
原作は1908年に発表された童話劇で、本書は1923年の英語版に基づいた完訳版である。


冒頭に登場人物の名前が登場順に記され、続いてそれぞれの衣裳についての細かい指定がある。たとえばチルチルはペローの『親指小僧』の服装(真っ赤なニッカボッカー、淡いブルーのジャケット、白いストッキング、茶色い靴)、ミチルは「グレーテル」か「赤ずきん」の服装、という具合。
邪悪な動物やモノたちの姿を見せつけられたり、恐い思いをさせられたりする場面も多い中で、「思いでの国」と「未来の王国」という二つの場所の幻想的な美しさが心に残る。チルチルとミチルは「思いでの国」ではおじいさん、おばあさんや、幼くして死んだ弟妹(その数の多いこと!)に再会し、「未来の国」ではこれから生まれてくる弟にであう。本書で特に印象的なのは「思いでの国」にいるおばあさんが二人に言う次のことば。
Every time you think of us, we wake up and see you again.
これは大切な人を失ったときにいちばん慰めになることばである。

この作品は無声映画時代から何度も映画化されている。1976年には米・露の合作で、レニングラード・バレエ団総出演のミュージカルに仕立てられている(監督はマイ・フェア・レディのジョージ・キューカー)。この映画でエリザベス・テーラーが演じた光の精はちょっと太めでイマイチだったが、ロバート・モーレーが演じた「時を司る老人」は威厳があって印象的だった。
なお、作者のメーテルリンクはこの作品で1911年にノーベル文学賞を受賞している。
(2014.11.20読了)
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by nishinayuu | 2015-02-19 10:09 | 読書ノート | Trackback(1) | Comments(0)
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『いつかどこかで』(アニタ・シュリーヴ、ハーヴェストブック)
45歳のチャールズはある日、ふと手にした新聞の中に新刊を上梓したという女流詩人の写真を見つける。写真の女性は彼が14歳の時にサマーキャンプで出会った初恋の相手ショーンだった。仕事にも家庭生活にも行き詰まっていたチャールズは、それらの重圧から逃れるようにショーンに近づいていく。愛し合っていながら幼さのために手放してしまったあの美しい愛をとりもどしたい、という思いに駆られて。どうみても彼の言動はストーカーのそれだが、驚くべきことに最初は冷静に対処しているかに見えたショーンも、いつしか彼の思いに応えるようになり、二人は「行方も知れぬ恋の道」に突き進んでいく。
事業がつぶれるとわかっていながら有効な手段を講じることもせず、子どもたちを愛していると言いながらその子どもたちの待っている家庭を顧みることもせず、31年という時を隔てて再会した相手の現在までの生き方や現在の状況に対する配慮もなく恋に突き進む――こんな主人公が身を滅ぼすのは自業自得であって、同情する気にもなれない。つまり、全く共感を覚えることのできない主人公であり、こんな主人公が好む音楽談義にも耳を傾ける気がしない(タイトルもそうだが、この小説にはやたらにポップスの名曲や歌手、クラシックの曲や演奏家の名が出てくる)。
主人公や相手の女性には共感できない一方で、考えも趣味も合わない女、とチャールズの目に映っている妻のハリエットを、あるいはショーンの夫で農場主兼大学講師のステファンを語り手とした小説だったら読んでみたい、とも思う。ハリエットには彼女と子どもたちが事件のあとどういう風に生きていったかを語ってもらいたいし、ステファンにはチャールズが現れる前までのショーンとの人生、チャールズが現れたことによって壊されていった人生について語ってもらいたいからだ。(2014.10.1読了)
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by nishinayuu | 2015-01-30 10:09 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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『オズマのオズ』(ライマン・フランク・ボーム、絵:ジョン・ニール)
著者のボームはオズの世界を描いた作品を全部で14作出しているが、これはその第3巻目で、1907年の出版。


ヘンリーおじさんと船旅に出たドロシーは、嵐に遭って船から落ちた鳥籠を追って海へ。船からどんどん遠く離れてしまったドロシーは、めんどりのビリーナとともに海上を漂流しているうちにオズの近くにあるエヴの国にたどり着く。この国は国王の死後、地下世界に君臨する妖精ノームよって王家の人々が地下世界に閉じ込められてしまったため、完全な無法地帯となっていた。王城に住むラングウィディア姫は付け替え用の頭部を30も所有していて、その日の気分によって頭部を付け替えるのだが、姫の気分も性格も新しくつけた頭部に合わせて変化する。そして気まぐれで欲張りなラングウィディア姫は、なんとドロシーの頭をNo.26の頭部と交換しろ、と言い出し、それを拒否したドロシーを塔屋に閉じ込めてしまう。そこへオズのオズマの一行が緑のカーペットを繰り広げながら登場する。このカーペットは行く手に道を作り、通った後はくるくると巻きあがって後になにも残さない魔法のカーペットである。オズマと一行によって塔から救出されたドロシーは、今度は自らがエヴの王妃と5人の王子たち・5人の王女たちを救い出すために、仲間とともに地下世界へと下りていく。彼らはノームの王が魔法を掛けて、色も形も様々な置物にされているというのだが、さてドロシーは彼らを無事に救い出すことができるだろうか。

ドロシーを取り巻く主要キャラクターは以下の通り。
ビリーナ:黄色いめんどり。人間の言葉を話す。
チクタク:考える、話す、動くという3つの機能を持つ優秀なロボット。スミス&ティンカーズ社製で、1000年間の完全保証付き。
ラングウィディア姫:亡くなったエヴ王の姪。エヴ城にメイドのナンダと二人で暮らしている。国を治める力はない。
オズマ姫:オズの世界の支配者。ドロシーと同じ年頃、同じ背格好。
オズマ姫に付き従う一行:案山子、馬の形の木挽き台、ブリキの木こり、臆病ライオン、腹ぺこタイガー

威厳のある大人の登場人物がいないせいか、『ナルニア』や『指輪物語』などに比べると児童書の色合いが強ようにも思えるが、大人でも充分楽しめる。「Oz—where the young stay young and the old grow young forever—these books are for readers of all ages」とRay Bradburyも言っている。なお、本書にはイラストがふんだんに挿入されており、動物たちは実に写実的に描かれている。これに対して主人公のドロシーは、服装がオールドファッションなのはやむを得ないとして、身体のバランスがちょっとおかしいような……。(そういえばアリスのイラストもバランスがおかしかった。)(2014.11.4読了)
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by nishinayuu | 2015-01-26 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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『冬物語』(シェイクスピア)
これは1610~11年頃に作られた、シェイクスピアの後期作品の一つである。「A Midsummer Night’s Dream」と対をなすようなタイトルを持つこの作品は、前半は嫉妬による悲劇の物語、すなわち「冬の物語」であり、後半はすべての不幸が解消されるハッピーエンディングの物語、すなわち「春の物語」となっている。そのため初期には喜劇に分類されていたが、現在は「シンベリン」「テンペスト」などとともにロマンス劇という項目に分類されている。
物語の大筋の覚え書きを兼ねて、主な登場人物を以下に記しておく。
レオンティーズ――シシリア王。友人であるボヘミア王と自分の妻の関係を疑い、嫉妬に狂う。
ハーマイオニー――シシリアの王妃。王によって幽閉されたあとで女の子を出産。
ポリクシニーズ――ボヘミア王。シシリア王の友人として王宮に滞在していたが、シシリア王に王妃と密通したと疑われ、ボヘミアに逃げ帰る。
カミーロ――シシリアの貴族。王からボヘミア王の暗殺を命じられるが、それをボヘミア王に打ち明けて一緒にボヘミアに逃れる。
アンティゴナス――シシリアの貴族。王妃の産んだ子を殺せという王命を受けて、その子をボヘミアの森に捨てる。そのとき熊に襲われて食われてしまう。
ポリーナ――アンティゴナスの妻で、王妃付きの侍女。横暴な王に逆らって王妃を守ろうとする。
コーラス――劇の前半と後半の間にある16年という時の流れを30数行の詩で語ってしまう、というすご技をみせる。
フロリゼル――ボヘミアの王子。羊飼いの娘(実はシシリアの王女)と恋仲になる。
パーディータ――羊飼いの娘でフロリゼルの恋人。その名Perditaはラテン語のperditus(lost)から来た語で、「失われた女の子」を意味する。

この劇ではシシリアとボヘミアが海路で繋がっていたり、羊飼いに育てられたパーディータが容姿も教養も申し分のない女性になっていたりするが、一種のおとぎ話なので、詮索しても意味がない。アンティゴナスが熊に食われるシーンを除けば、グロテスクなところも恐ろしいところもないので楽しめる。(2014.10.29読了)
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by nishinayuu | 2015-01-18 10:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

私の10冊(2014年)


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☆この1年に読んだ本の中から特に気に入った本を選んで、「私の10冊」としてまとめてみました。また、「私の10冊」の選から漏れた本を「お勧めの10冊」として挙げてみました。
☆画像はThe Amateur Marriageです。


私の10冊
友情(フレッド・ウルマン、訳:清水徹・美智子、集英社)
ナチと理髪師(エドガー・ヒルゼンラート、訳:森田明、文芸社)
四人の兵士(ユベール・マンガレリ、訳:田久保麻理、白水社)
카스테라(박민규, 문학동네)
二度生きたランベルト(ジャンニ・ロダーリ、訳:白崎容子、平凡社)
The Amateur Marriage(Anne Tyler, Ballantine Books)
달에게 들려주고 싶은 이야기(신경숙)
思いでのマーニー(ジョーン・ロビンソン、訳:松野正子、岩波少年文庫)
火曜日の手紙(エレーヌ・グレミヨン、訳:池畑奈央子、早川書房)
Hamlet (Shakespeare)

お勧めの10冊
立原正秋追悼(編:白川正芳、創林社)
死の舞踏(ヘレン・マクロイ、訳:板垣節子、論創社)
鏡の中の言葉(ハンス・ベンマン、訳:平井吉夫、河出書房新社)
しずかに流れる緑の川(ユベール・マンガレリ、訳:田久保麻理、白水社)
よみがえる昭和天皇(辺見じゅん・保阪正康、文藝春秋)
第五の山(パオロ・コエーリョ、訳:山川紘矢・山川亜希子、角川文庫)
猫は山をも動かす(リリアン・ブラウン、訳:羽田詩津子、早川文庫)
The Blue Bird(Maurice Maeterlinck)
画家の妻たち(澤地久枝、文藝春秋社)
いにしえの光(ジョン・バンヴィル、訳:村松潔、新潮クレスト文庫)
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by nishinayuu | 2015-01-14 10:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

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『コリオレイナス』(シェイクスピア)
この作品はシェイクスピアの後期に書かれた5幕からなる悲劇で、テキストの初出は1623年。典拠はプルタルコスの『コリオラヌス』で、古代ローマの貴族ガイウス・マルキウス・コリオラヌスが、本作ではケイアス・マーシアス・コリオレイナスという英語読みの名で登場する。

コリオレイナスはローマと敵対するヴォルサイ軍との戦いに勝利を収めた英雄として、また名門貴族として、ローマの執政官選挙に出馬する。同じく貴族で彼の友人であるメニーニアスは、彼の傲岸不遜な性格を危ぶんで、執政官に選ばれるためにはローマ市民に迎合してみせなくてはならない、と説く。しかしコリオレイナスは貴族としての誇りから市民への反感と侮蔑を抑えることがでず、結局ローマ市民全体を敵に回してしまう。ローマ市民との対立は、ローマという都市国家との対立を意味した。ローマから追放されたコリオレイナスは、なんと宿敵ヴォルサイの将軍タラス・オーフィディアスのもとに走る。そして、ヴォルサイ軍の武力を借りてローマに復讐することを企てるのだが、ローマから遣わされた母親、妻、息子の訴えによってその企ては挫折する。

すなわちこの作品は護民官たちが代表するローマの民主制と、コリオレイナスが代表する貴族制の対立を描いたものであるが、民主制の代表たちが健全で意気軒昂なのに比べると、主人公コリオレイナスのアンバランスな人格や友人メニーニアスの頼りなさが目立つ。メニーニアスは貴族としては市民への理解もあり、穏健でとても「いい人」なのだが、次のようなやりとりでは完全に護民官に負けている。

護民官ブルータス: Caius Marcius was/A worthy officer i’the war; but insolent, /O’ercome with pride, ambitious past all thinking, /Self-loving, ……
メニーニアス: I think not so.

なおこの作品は2011年、舞台を現代に移して『英雄の証明』(監督・主演:レイフ・ファインズ)というタイトルで映画化されているという。(2014.9.14読了)
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by nishinayuu | 2014-12-17 10:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)
c0077412_10252251.jpgタイトルは素直に訳せば『アマチュアの結婚』。『技量不足の結婚』といったところか。作者が「最上の作品で、とても誇りに思っている」と言うだけあって、読みでのある傑作である。
物語は1941年12月のSt. Cassian Streetに始まり、それから60年後まで、ある家庭に起こった出来事が年代記風に綴られていく。

St. Cassian Streetはメリーランド州東バルチモアにあり、住民の大多数はポーランド系の人々である。1941年の12月、街は戦意高揚のためのパレードに沸き立っていた。Szapp兄弟が掲げたプラカードにはWatch out, Japs! Here come the Szappsという文字が躍っていた(みごとに脚韻を踏んでいますねえ)。若者達は先を争って軍に志願していく。彼らとペアになった娘達は、戦地に赴く若者を見送る娘、という役割に陶酔する。そんな雰囲気に押されてペアになったのがマイケルとポーリンだった。マイケルは黒髪、短髪、やせ形、ひげが濃い若者で、食糧雑貨店を営むミセス・アントンの一人息子。ポーリンは深い金色の髪、目は青紫、声は低いハスキーヴォイスで、すらりとしていて赤いコートがよく似合う娘だった。このとき二人は20歳。バスが志願兵達を迎えに来て、マイケルとポーリンはドラマチックな別れを演じる。そして、若者達の戦死の知らせが相次ぐ。Szapp兄弟も立て続けに死んだ。けれどもマイケルは死なずに帰ってくる。ただし脚に大きな障害を負って。戦争が終わり、恋の季節がやって来て、結婚するものも増える。だからミセス・アントンが店の客達にマイケルとポーリンが結婚すると言っても誰も驚かなかった。二人はパーフェクトなカップルだと人々は思ったのだった。
しかし二人の結婚は嵐の連続だった。マイケルは非社交的で、店の仕事が最優先でどこにも出かけようとしない。興奮したりはしゃいだりすることは全くなく、口べたで寡黙。ポーリンはマイケルとは逆に、楽しく元気に暮らしたいのにそれがうまくいかないと怒り狂う、という感情の起伏が激しい性格。これほど相反する性格の上、二人の結婚観も全く違っていた。マイケルは「結婚は別々の人間が並んで歩く道」と考えているのに対し、ポーリンは「結婚というのは魂が混じり合うことで、なにもかも一致すべきだ」と考えている。それでポーリンはことごとくマイケルに不満をぶつけ、マイケルはなぜ彼女がそんなに怒り狂うのか理解できない。三人の子どもに恵まれたが、幼い頃から反抗的だった長女のリンディーが17歳で家を出て行ってしまう。このリンディーの失踪はポーリンを生涯苦しめることになるのだが、ポーリンの苦難はそれだけでは終わらなかった。

ポーリンは一緒に暮らすには大変な人間だ、と作者自身が言っている。ということはつまり、彼らの結婚を「アマチュアの結婚」にした責任の大半はポーリンにあるということだろうか。それで作者はポーリンのほうにより過酷な運命を与えたのだろうか。それでも物語の最後の場面は、作者の愛情がポーリンとマイケルの二人に同じように注がれていることを感じさせる。(2014.8.23読了)
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by nishinayuu | 2014-12-01 10:27 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
c0077412_10284310.jpgたまたま手許にあったので、『星の王子様』の原書を読んでみた。フランス語の読みはすっかり忘れているので、声に出して読むのはむりだが、字面を追うだけならなんとかなるだろう、と思ったのだが、甘かった。文法、語彙ともほとんど頭に残っていないことを思い知らされ、苦戦した。内容がわかっているおかげでなんとか最後までたどり着くことはできたが、「読んだ」とはとても言えない。
それでも「読んだ」というか「目を通した」おかげで気づいたことがある。この本は数字がアルファベットで示されているので、手許の英語版にあるようなミスがないのだ。問題の箇所は16章の冒頭部分。英語版は次のようになっている。
The earth is not just an ordinary planet! One can count, there, ⅠⅠⅠkings
オレンジ色の部分はローマ数字である。文脈からわかるといえばわかるのだが、ローマ数字に引っかかって立ち止まってしまうと、何が何だかわからなくなる。それがフランス語版では次のようになっているので、戸惑うことなく読み進めることができる。
La Terre n’est pas une planète quelconque! On y compte cent onze rois
これに続く部分にも数字が次々に出てくるが、英語版ではアラビア数字、フランス語版はアルファベット表記になっている。つまり、英語版が上記の部分だけローマ数字になっているのは単純な表記ミスなのではあるが、そのおかげで、常日頃ややこしくてめんどうだと思っていた数字のアルファベット表記が、正確さという点では優れた表記だということに遅ればせながら気がついたのだった。 (2014.5.27読了)
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by nishinayuu | 2014-09-08 10:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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『The Little Prince』(Antoine de Saint-Exupéry著、英光社)(Translated into English by Katherine Woods,1966)

本書は1944年7月に地中海上空で消息を絶ったサン=テグジュペリの遺作『Le Petit Prince』の英訳版である。手許にあるのは福田陸太郎による注釈付きの本で、20代の頃に購入して以来、何度か読み返している。毎回、いいなあと思うところも同じなら、あまりおもしろくなくて飛ばし読みしてしまうところも同じで、それにしても絵はいまいちだなあ、と思うのも同じである。作者もそういう反応を見越してか、星の王子様に「Your baobabs—they look a little like cabbages」と言わせている。それはともかく、ほっとしたとき、あるいはほっとしたいときにふと繙いてみたくなる作品である。
いちばん好きなのは[6](一日に何度も夕日を眺める話)。その次は[19](高い山に登ってこだまを聞く話)、それから「20」(自分のバラが何の変哲もないただのバラだとわかる話)と「21」(狐のおかげで、自分のバラはやはり特別な存在だと気づく話)。
最後に、本書の中の名言を並べてみる(あるサイトにサン=テグジュペリの名言集というのがあったのでそれを真似て)。
One loves the sunset, when one is so sad…
It is the time you have wasted for your rose that makes your rose so important.
What makes the desert beautiful is that somewhere it hides a well.
(2014.3.28読了)
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by nishinayuu | 2014-06-28 14:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

読書と韓国語学習の備忘録です。


by nishinayuu