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翻訳練習 課題9


2017年度後期の韓国語講座「翻訳の秘訣」で練習したものの記録です。2017.12.11

名詞11-触れ合い

意味:상호접촉, 맞닿음

原文1:動物園内の「ふれあい広場」ではウサギやモルモット、ヒヨコなどに餌をあげることができます。

訳文:동물원 체험 광장에서는 토끼와 기니피그,병아리 등에게 먹이를 있습니다.

原文2:高齢者と子どもの心のふれあいを通して、地域の活性化と近隣世代間の絆の醸成を図る。

訳文:고령자와 어린이의 교류를 통해 지역 활성화와 근린 세대 간의 유대 관계 조성을 도모한다.

名詞12-こだわり

意味:집착, 고집

原文1:地域住民に大人気のラーメン屋。そのこだわりは具材のセレクトにある。

訳文:지역 주민들에게 큰 인기를 얻고 있는 라멘집. 그 비결은 재료 선택에 있다.(参考:韓国語라면はインスタントラーメンのこと店で出すラーメンを示すには日本語を音訳して라멘とする。)c0077412_09355814.jpg

原文2:ファッションにこだわる人は通勤用の自転車もおしゃれで格好いいものでないと満足できない。

訳文:패션에 공을 들이는 사람은 출퇴근용 자전거도 세련되고 멋진 것이야만 만족한다.

名詞13-

意味:경과,추세

原文1:歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される。

訳文:노래는 시대의 흐름에 따라 변하고 세상 물정도 노래의 유행에서 영향을 받는다.

原文2:パソコンもろくに使えないのに、友達に言われるがまま、なりゆきでブログを始めることになってしまった。

訳文:컴퓨터도 변변히 못 쓰는 주제에 친구의 말을 따라 별 생각 없이 블로그를 시작하는 꼴이 되었다.

名詞14-

意味:~(같은 종류의 행동을 하는 사람들 新造語が多いので、それに合う訳語を作ってもいいし、説明を加える方法をとってもいい。)

原文1:核家族化が進み、「家族」でなく「個族」の時代になっている中で、「孤族」という言葉まで登場した。

訳文:핵가족화가 진행되어 가족이 아니라 나홀로족의 시대가 되고 있는 가운데 외톨이족이라는 말까지 등장했다.

原文2:夏休みでも旅行せず自宅にこもって、ゆったりと時間を過ごす「巣ごもり蔟」が増えている。

訳文:여름 휴가 때도 여행을 가지 않고 집에 틀어박혀서 느긋하게 시간을 보내는방콕족이 늘고 있다. (방콕은 태국의 수도인데 여기서는 틀어박혀 있는 사람을 말한다.)

原文3:ヒルズ族といえば成功者の代名詞のような存在だった。

訳文:롯폰기힐즈에 본사가 있는 기업의 CEO 롯폰기힐즈의 고급 주택에 사는 사람을 가리키는 힐즈족 성공의 대명사로 통했다.


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by nishinayuu | 2018-05-11 09:39 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

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The Light BetweenOceans』(M. L. Stedman, 2012

物語の主要舞台はオーストラリアの西南端に位置するパルタジョウズの町と、そこから160㎞離れた海に浮かぶ岩山、ヤヌス・ロック。時は第1次大戦終戦から間もない1920代から1950年まで。


ある日、ヤヌス・ロックの灯台に一人の男が赴任してくる。前任者が孤島の灯台守という過酷な環境で心身ともに衰弱したためだった。新任の男は悲惨な戦争体験による心の傷を抱えたトム・シェアボーン。任期は次の交代のある3ヶ月後までの予定だった。が、トム・シェアボーンはヤヌス・ロックと燈台に魅了され、燈台の光を灯す仕事に打ち込むことで心の平安を見いだしていく。やがてパルタジョウズの町で知り合った女性と結婚したトム・シェアボーンは、次の交代要員がいないために任期が延長されたこともあって、ヤヌス・ロックの灯台守として妻と二人で幸せな日々を送っていた。

そんなある日、島にボートが流れ着く。そこには息絶えた男の傍らで泣き叫ぶ、生後間もない赤ん坊の姿があった。灯台守としては当然この事実を届け出なければならない。しかしここで、男児を死産したばかりの妻が彼に懇願する。届けるのをやめてこの子を自分たちの子どもにしよう、と。このとき妻の懇願に屈した彼の間違ったやさしさが、この後の夫婦と子どもに、さらには子どもの実母に苦悩の日々をもたらすことになるのだった。主な登場人物は以下の通り。

トム・シェアボーン/イザベル(愛称イジー、トムの妻)/ルーシー(ボートに乗っていた赤ん坊)/ラルフ(ヤヌス・ロックに3ヶ月毎に物資を運ぶ船の船長)/ブルーイ(ラルフの船の乗組員)/ビル&ヴァイオレット・グレイズマーク(小学校の校長夫妻、イザベルの両親)/セプティマス・ポッツ(幼くしてオーストラリアに連れてこられ、努力の末に資産家となった男)/ハナ・レンフェルト(ポッツの娘)/フランク・レンフェルト(オーストリア出身、ハナの夫)/グウェン・ポッツ(ハナの妹)/ヴァーノン・ナッキー(パルタジョウズ警察の巡査部長)

上記の人物はほとんどが「善い人」ばかり。なかでもトム・シェアボーンをはじめ、船長のラルフ、フランク・レンフェルト、ヴァーノン・ナッキーら男達のやさしさと思いやりが物語の過酷な展開の中で救いとなっている。また、男達はおおむね冷静で理性的に描かれているので、著者は多分男性だろうと見当を付けながら読んでいた(が、実は女性だったのでした)。

訳者が指摘しているとおり、燈台の島の名がヤヌス神から取られているこの物語には「善と悪」「生と死」「光と闇」「喪失と再生」「罪と許し」など相反する二つの事柄の間で惑う人々が描かれている。著者は幻想的で美しい自然描写とサスペンスのような展開で読者をぐいぐい物語世界に引き込み、最後に許しと平穏の世界を用意している。涙なしには読めない感動の大作である。(2018.3.5読了)

言葉に関するメモ――巡査部長のナッキーがトム・シェアボーンのことを「あの男は得体が知れない。マカデミアナッツのように口を閉ざしている」と評する場面がある。「貝のように」とせずに「マカデミアナッツのように」と(おそらく原文を生かして)訳してあるのがなかなかいい。


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by nishinayuu | 2018-05-01 10:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_09124790.jpgДневникМайдана』(Андрей Курков2014

副題に「国民的作家が綴った祖国激動の155日」とあり、20131121日(木曜日)から2014424日(木曜日)までの日記によって構成されている。初日は「今日の午前零時半にセヴァストーポリに隕石が落ちた」という記述に続いて、ヤヌコヴィチ政権の首相アザーロフがEUとの連合協定調印の準備作業を停止すると声明したことへの衝撃が綴られている。そして最後の日付には、著者の長編小説『大統領の最後の恋』のロシアへの搬入が禁止されたと出版関係者から連絡があったが、「国内は相対的に落ち着いている、つまりロシア軍はウクライナとの国境を越えていない」という記述がある。続いて前日は客人達を迎えて著者の誕生祝いを行ったこと、この日にキエフで開かれる会議にロシアから作家、批評家をはじめとする知識人達が何十人もやって来たこと、息子達の通う学校の保護者会に出席したことなどが綴られ、最後は「525日に予定されている大統領選挙は行われるのだろうか?行われる、そう信じたい。だが確たる自信はない」という言葉で終わっている。(大統領選挙は行われ、チョコレート王として知られる大富豪で親欧派のペトロ・ポロシェンコが当選している。)

著者はウクライナのキエフに住む作家で、1996年に発表した『ペンギンの憂鬱』が国際的ベストセラーになり、2014年にはフランスのレジオンドヌール勲章を受章している。国民的作家であると同時に、著作が25カ国語に翻訳されている国際的な作家でもある。民族的にはロシア民族なので、ウクライナ語話者でもあり、ロシア語話者でもある。キエフの属する西ウクライナの市民の多くがそうであるように親欧派で、その立場と考えを本書で明確に語っている。

本書にはウクライナ争乱の日々の出来事が事細かに記録されているので、遙か遠くの国・ウクライナが現実感をもって迫ってくる。ただし、記述があまりに詳細なので、予備知識がないと消化しきれない。私の予備知識は、2004年の大統領選挙戦でユシチェンコ(ものすごくハンサムだった)が政敵に毒を盛られて顔がぼろぼろに崩れてしまったこと、同じ時期の政治家ティモシェンコ(この人もすごい美人)が贈賄と殺人の罪で起訴され、刑務所病院に監禁されていることくらいだったから、それから後の時期を扱っている本書の内容は実はほとんど消化できなかった。それでも何とか理解できたいくつかの言葉・事項を今後のために書き留めておくことにする。

*ユーロマイダン――EU派市民による親ロシア派大統領ヤヌコヴィチへの抗議デモ。「マイダン」は「広場」という意味だが、広場に集まった人々が繰り広げる市民運動もマイダンと呼ばれる。マイダンはもともと地域の代表的な広場を指し、キエフではマイダンと言えば「独立広場」のこと。この広場を中心にEU派市民による抗議デモが広がっていった。

*ウクライナ内戦――東ウクライナのクリミア・ドネツィク・ルガンスクの各州で激化した「反ウクライナの政府組織+親ロシアの分離派武装勢力+ロシア軍」対「ウクライナ政府軍」の軍事衝突を、「ロシア軍は関与していない」という立場をとるロシアはこう呼んでいる。

*東ウクライナと西ウクライナ――ウクライナはドニエプル川を挟んで東部と西部に分かれている。どちらの市民も大多数は民族的にはロシア人だが、東には親ロシア派が多く、西には親ヨーロッパ(親EU)派が多い。東はウクライナを離れてロシアへ帰属することに抵抗がないが、西は東も含めた一つのウクライナを堅持したい。というのも、資源の豊富な東が分離してしまうと、チェルノブイリという負の資産を抱えた西ウクライナだけでは国として立ちゆかなくなるからだ。EUとしてもウクライナ全体なら歓迎だが、西だけというのは困るのだ。

ウクライナは依然として不穏な情勢が続いている。本書から垣間見える著者一家のちょっと優雅な暮らしが末永く続くことを祈りたい。(2018.2.28読了)


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by nishinayuu | 2018-04-26 09:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

翻訳練習 課題8


2017年後期の韓国語講座「翻訳の秘訣」で練習したものの記録です。2017.12.4

名詞5-桁違

意味:차이가 매우 크다, 월등하다

原文1:桁違いの品質と衝撃のプライスで勝負に出る。

訳文:월등한 품질과 놀라운 가격으로 승부를걸다.

原文2:食品にしてもDVDにしても、中国のニセモノ事情は桁違いだ。

訳文:식품이든 DVD든 중국의 카피 짝통 시장은 차원이 다르다.

名詞6-草分(처음으로 황무지를 개척하는 )

意味:개척하다, 창시하다, 길을 열다, 선구자

原文1:江頭匡一氏は1959年に日本のファミリーレストランの草分けとなる「ロイヤルホスト」一号店を出店した。

訳文:에가시라 교이치 씨는 1959, 일본 패밀리레스토랑의 시조인 [로열호스트] 1호 점을 열었다.

原文2:京都の創作料理の草分け的存在として有名な店を訪れる。

訳文:교토에서 선구적인 창작요리로 유명한 가게를 찾다.

名詞7-見方によっては

意味:견해에 따라, 관점에 따라, 생각하기에 따라서는, 내 생각으로는

原文1:友子の旦那さんは遠洋漁業の漁師で、半年に一度しか戻らないそうだ。見方によっc0077412_10123428.jpgては羨ましい限りだ。

訳文:도모꼬의 남편은 원양 어업 선원인데 6개월에 한번 밖에 집에 돌아오지 않다고 한다. 나로서는 매우 부러울 따름이다.

原文2:見方によっては肯定とも否定ともとれるあいまいな返事は誤解を招く危険性がある。

訳文:듣기에 따라 긍정으로도 부정으로도 해석이 되는 애매한 대답은 어해를 있어 위험하다.

名詞8-手抜

意味:해야 할 수고를 생략하다

原文1:家族の健康を考えると、料理だけは手抜きできない。

訳文:가족의 건강을 생각하면 요리만은 수고를 아껴서는 안 된다.

原文2:悪徳業者は資材の量や人件費を減らすなどの手抜き工事によってコストを削減している。

訳文:악덕 업체는 자재의 양이나 인건비를 줄이는 등 부실 공사를 통해 코스트를삭감하고 있다.

名詞9-味方

意味:아군, 내 편

原文1:忙しい現代人にとっては、時間を味方に付けることが何より大切だ。

訳文:바쁘게 사는 현대인에게는 시간을 잘 쓰는 것이 가장 중요하다.

原文2:不況さえも味方につけて売り上げを伸ばすとは、彼はなかなかのやり手と言える。

訳文:오히려 불경기를 이용해서 매출을 증가시키다니 그는 진정한 능력자다.

名詞10-

意味:팔 물건, 자랑거리

原文1:インテリアやカーテンなど、家具以外は売り物でないということだ。

訳文:인테리어나 커튼 등 가구 외의 것은 판매용이 아니란다.

原文2:破天荒な生き方そのものがその作家の売り物であり商売道具だといえる。

訳文:파격적인 삶 자체가 그 작가의 특색이며 장사 밑천이라고 할 수 있다.


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by nishinayuu | 2018-04-21 10:17 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)


c0077412_09361092.jpgLaMoustache』(Emmanuel Carrère1986

本書カバーの袖にジャン=フィリップ・トゥーサンの言葉が載っている。

「『口ひげを剃る男』でぼくが気に入ったのは、出発点のなんでもない状況――男が口ひげをそり落とし、誰もそれに気づかない――が、無数の物語の展開する可能性を生み、現実とフィクション、真実と虚偽の問題を提起して有無を言わせず読者を引きずり込み、ついにはクラクラと幻覚を起こさせる、その単純な冒頭とその後の展開とのコントラストだった。」

全くそのとおりで、語り手の男の視点が正しいのか、すなわち男が信頼できる語り手なのか、読者には判断が付かない。なんだかおかしな男の幻想に付き合っているような気もしてきて、読み進むにつれて不安が増してくる。もうひとつ、訳語の選択にも疑問が生じて、訳者への信頼までぐらついてくる。たとえば「バスタブの上の壁にはってある鏡が蒸気で曇らないように、湯は下ろしたシャワーから静かに入れ」の「下ろしたシャワー」に違和感を覚えるし、「今頃アニエスはスーパーマーケットで通路に踵の音を響かせながら歩いているんだろうな」の「踵」は「靴の踵」か「ヒール」にしてもらいたいし、「(ジェロームが煙草を一箱余分に買ってきて)のめよ、これ、のんでいいから、もうねだるな、という」の「のめよ」も落ち着かない。これは個人の好みの問題かもしれないが。

とにかく語り手にも訳者にも不安を覚えながらも途中で投げ出さなかったのは、もう少し先に行けばどういうことかはっきりするだろう、という期待を抱かせる展開になっているからだ。語り手は妻のアニエスをはじめとする自分を取り巻く人々との違和感を断ち切るためについにパリを脱出する。そして語り手に平和なときが訪れて……ということにはならず、衝撃の結末が待っているのだが、なるほどそういうことだったのか、と納得して読み終えることができる。読んでいる最中はずっと「この本は外れかもしれない」と思っていたが、読後は、もしかしたら好きな部類の本かもしれない、と思えてきたのだった。(2017.12.29読了)


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by nishinayuu | 2018-03-02 09:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


c0077412_14093963.jpg本書は『須賀敦子全集』(2000年河出書房新社)の第2巻から第4巻を底本にして編集された随筆集である。一番古い1968年の『ミラノの季節』から、亡くなる前年である1997年に発表された「パラッツィ・イタリア語辞典」まで、全部で29の作品がⅠ、Ⅱ、Ⅲの三つの章に分けられて収録されている。どのページを開いても、夢のようなイタリアの光景と心地よい日本語の響きに出会え、煩雑だったり憂鬱だったりする日常をふっと忘れることができる作品集である。目にとまった部分をいくつかメモしておく。

*30年前に訪れた北イタリアのフリウリ地方のチヴィダーレのペンションに滞在したとき、土地の漁師が料理番のおばさんとこちらにはまるで通じない言葉で話していたが)それは方言ではなく、フリウリ語という独立した国語だといわれている。――「悪魔のジージョ」

*かつてのプルーストの翻訳者が、社会参加の本を書いてしまったことについて、私は考えをまとめかねていた。友人の修道士が、宗教家にとって恐い誘惑の一つは、社会にとってすぐに有益な人間になりたいとする欲望だと言っていたのを、私は思いだした。文学にとっても似たことが言えるのではないか。――「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」

*美術館や展覧会に行くと、あ、これは欲しい、うちに持って帰りたい、と思う作品を探して、遊ぶことがある。街中が美術館みたいなフィレンツェには「持って帰りたい」ものが山ほどあるが、(中略)サン・マルコ修道院のフラ・アンジェリコ、定宿にしている「眺めのいい」都心のペンションのテラス、もちろん、フィエゾレの丘を見晴らす眺めも一緒に。夕焼けの中で、丘にひとつひとつ明かりがついていく。そして最後には、何世紀ものいじわるな智恵がいっぱいつまった、早口のフィレンツェ言葉と、あの冬、雪の朝、国立図書館のまえを流れていた、北風の中のアルノ川の風景。――「フィレンツェ」

*日本では普通ジェノヴァと表記されるが、「ヴァ」と書くと英語風の重い音になるので、私はイタリア人の発音により近いジェノワと書くことにしている。――「ジェノワという町」

*(ローマ行きの列車で隣のコンパートメントの話し声に耳を傾けていると)ぶっきらぼうなパリのことばに慣れた耳には、彼らのことばはわたしが生まれ育った関西の人たちのアクセントそっくりなように聞こえた。――「となり町の山車のように」

*陽が落ちはじめると、アッシジの建物という建物は、すべて薔薇色に燦めく。(中略)アッシジの建物の石は、町のうしろの山の採石場でとれるもので、もともと、うすいピンクなのが、赤々と、そして次には、紫に、ゆっくりと染まる。――「アッシジに住みたい」

*『パラッツィ』(1939年初版の辞書)を使ってる、と私がいうと、ほう、と言う人と、へえ、と言う人がいる。「ほう」組は、どちらかというと古典的、文学的な道を歩いている人に多いのではないか。(中略)「へえ」と応える人は、たぶん、どうして、現代的なチーム編集の『ガルザンティ』とか、現代用語や外来語のたくさんある『ヅィンガレッリ』を使わないの、という質問が口に出かかっている。――「パラッツィ・イタリア語辞典」

2017.12.26読了)


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by nishinayuu | 2018-02-25 14:10 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_15483053.jpg本作は1963年に4巻本として発行された短編集の第4巻に収録されている。(今回読んだのは1980年代発行の版。)

舞台はオーストラリア領の木曜島。ニュージーランド島とオーストラリアの間にあるトレス海峡に位置する小島で、キャプテン・クックが木曜日に発見したことから名付けられたという。

語り手はその島が「神の作った最後の土地」だと聞いて、シドニーから日本の貨物船「シカ丸」に乗って出かけて行った。「何もないところだよ。それに、喉をかき切られるかもしれない」とシドニーの連中にからかわれたけれど。夜中に真っ暗な海岸に下ろされ、数マイル歩いてやっと「ホテル」にたどり着いた翌日、語り手はキャプテン・バートレットという船乗りと知り合う。語り手が、フランス語もわかる、と言うとバートレットが、フレンチ・ジョウに会いに行こう、フランス語がしゃべれるのを喜ぶだろうから、語り手を誘う。そうして訪ねていった病院で、93歳のフレンチ・ジョウは語り手に、波瀾万丈の生涯の物語を語り聞かせる。

ひとりの男の「波瀾万丈の生涯」が2ページ弱の紙幅におさめられているところが強く印象に残る短編である。

ところで、夜中にやってきた語り手にホテルのおかみが「I’ll makeup the bed before you can say Jack Robinson」 と言う場面がある。「before you can say Jack Robinson」の意味は前後関係から「すぐに、あっという間に」だとわかるが、Jack Robinsonって何者?と思って調べてみました。が、何者かは判明していない、ということしかわかりませんでした。18世紀頃から使われている慣用句だそうです。

2017.12.6読了)


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by nishinayuu | 2018-01-31 15:49 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

翻訳練習 課5


今学期の韓国語講座「翻訳の秘訣」で練習したものの記録です。(2017.11.13

翻訳に当たって特に気をつけるべき点-その1

1漢字語に注意(韓国語と日本語では意味が異なる場合がある)。

原文:学力低下問題をめぐって議論が行われています。(議論注意)

訳文:학력 저하 문제를 둘러싸고 논의가 이루어지고 있습니다.

2「~ている」に注意(韓国語では進行中の場合にだけ使う)。

原文1:雨は止んでいます。

訳文:비가 그쳤습니다.

原文2:先月、政府は景気悪化が続く可能性があるとの見通しを発表しています。

訳文:지난 달에 정부는 경기악화가 계속될가능성이 있다는 전망을 발표했습니다.

3受動態に注意(韓国語は能動表現が多く、特に事物が主語の場合は受動態は使わない)。

原文:さしたる解決策もないが、今は任せられた任務を遂行するしかない。

訳文:이렇다할 해결착도 없지만, 지금은 내가 맡은 임무를 수행할 수밖에 없다.

c0077412_10134359.jpg4二重否定はできるだけ避ける。

原文:洋書を読むには単語を覚えなければなりません。(洋書要注意。)

訳文:원서를 읽으려면 단어를 외워야 합니다.


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by nishinayuu | 2018-01-21 10:17 | 翻訳 | Trackback | Comments(2)

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Level of Life』(Julian Barnes, 2013

著者は『終わりの感覚』で2011年にブッカー賞を受賞した作家。OEDの編集に携わっていたこともあるという。




本書はそれぞれ独立した内容を持つ3つの章によって構成されている。

1章「高さの罪」の主人公は、史上初めて上空から地表を撮影したフェリックス・トゥルナション(18201910)通称ナダール。ジャーナリスト、風刺画家、写真家、気球乗り、発明家、起業家でもあったナダールは同時代の人々から「発散する元気の量が仰天レベル」(ボードレール)、「才気煥発の愚か者」(ネルバル)、「頭がよく回る、合理性の欠片もない男」(後に親友となった編集者)などと評されている。また、「写真を芸術の高みに引き上げんとするナダール」(ドーミエによる風刺画)という絵に登場し、彼の乗った気球ルジアン号もマネやルドンの絵に描かれている。さらに、ビクトル・ユゴーが宛名に一語「ナダール」と書いて出すと手紙がちゃんと届いた、というエピソードも残している。第1章にはこのナダールのほかに気球旅行をした女優のサラ・ベルナール、ドーバーからイギリス海峡を越えてフランスに飛んだ英国軍人フレッド・バーナビーも登場する。

2章「地表で」は上記のサラ・ベルナールとバーナビーの出会いと別れを綴った恋愛物語。もちろん実話ではなくフィクションであるが、彼らに関するエピソードや同時代人による評が盛り込まれていて楽しい。例えば「ベルナールは生涯を通じてナダールの――最初は父ナダール、のちに息子ナダールの――被写体であり続けた」とか、「身長はようやく150㎝ほど」、「共演の男優とは必ず寝ていた」、「感嘆するほど目立つことに秀でた人物」(ヘンリー・ジェイムズ)、「嘘っぽく、冷たく、気取り屋。あのパリ風シックには胸が悪くなる」(ツルゲーネフ)などなど。あの『スラブ叙事詩』の画家ミュシャ/ムサが描いたベルナールを思い浮かべながら読むのも一興である。

3章「深さの消失」は、最愛の妻をほとんど突然失ったバーンズが、妻のいない日々をどのように生きたかを綴ったもの。出会ってから30年という歳月をともに歩んできてこれからも歩んでいくはずだった妻の死によって、作家は奈落の底に突き落とされる。悲しみと苦しみにとらわれ、周囲の言葉に傷つき怒り、ついには自分も消えてしまおうと考える。一人残された者のそんな思いが事細かに綴られていて、胸を打つ。第1章は本来組み合わさるはずのない物事の組み合わせによって高みへと導かれる物語、第2章は出会うはずのない者同士が出会って高みに到達するが、いきなり高みから突き落とされる物語だった。そしてこの第3章のテーマは、高みから突き落とされたあとはどうなるか、ということである。まだ光は見えていないが、光を見ようとする意思が感じられる終わり方である。いつかある日、本書に救われる日が来るかもしれない、と思いながら読み終えたのでした。(2017.11.14読了)


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by nishinayuu | 2018-01-16 10:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


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本作品は「どうやらあがったようだわ。宇藤聖子は露の晴れ上がった空を見上げてそう呟いた。」という文で始まる。「あがった」のは「雨」だと思わせておいて、数行先で雨ではなく別のものの話だということがわかるのだが、なにやらゆったりした家庭小説の始まりを期待させる書き出しである。

主人公の宇藤聖子は、知り合いの税理士事務所で週三日ほどアルバイトをしているが、主婦業も完璧にこなす50台はじめの女性。夫の守とは大学の同級生で、出産前までは丸の内でばりばり働いていたという設定。それでこの夫婦の会話にはマルグリット・デュラスとかオクタビオ・パス、トーベ・ヤンソン、クロード・シモンなどの名がぽんぽん飛び出す。零細編集プロダクションを営む夫がある晩持ち出した名前は伊藤整だった。ある会社のPR誌を引き受けることになり、創業者の趣味を入れて伊藤整の『女性に関する十二章』のようなものを書くようことになったという。「文筆業が本業でその傍ら編集もやっている」という建前の夫はこの仕事に乗り気になっていて、『女性に関する十二章』をきみも読んでみる?と聖子に聞く。自分は家の本棚から見つけた文庫本を読むから、聖子はタブレットで読めばいいという。すでにキンドルで電子書籍を買ってあるのだ。まさに今の時代のごく一般的な夫婦、ということだろう。(因みにnishinaも新しもの好きの夫のおかげでずいぶん前からキンドルを使っているが、周りにいる同年代の友人知人には同類が見当たらない。)

こうして伊藤整の『女性に関する十二章』と付いたり離れたりしながら『彼女(聖子)に関する十二章』が展開していくことになる。初恋の男性の息子との邂逅に始まり、彼女なりにめまぐるしい男性との関わりが綴られていき、その合間に適度な蘊蓄も挟み込まれていて、中年女性の日常を綴ったエッセイのような趣もある。そして最後はまた冒頭と呼応するように「あがった」話で締めくくられている。この作者の本は『小さいおうち』しか読んでいないので、他の作品も読んでみようかという気分になった。たとえば泉鏡花賞を受賞している『妻が椎茸だったころ』とか、チャンドラーか?と突っ込むのがお約束と思われるタイトルの『長いお別れ』とか。

目にとまった部分を軽重は度外視して書き留めておく。

*阿野弥也子なんか、すっごいこと書いてて、あっちこっちから怒られているけど、それでもブイブイ威張りながら書いている。(あの作家のことですね。)

*守に仕事をくれた会社の会長が、若い男に動物としての種まき本能が欠けているから少子化問題が起こるのだという論理から、PR誌のタイトルを『種を蒔く人』にしたいと言い出した。それを聞いた聖子は初恋の人・久世佑太は「種を蒔く人」になったのだ、と思う。

*伊藤整による『金色夜叉』の要約。

*初恋の相手は一生の間その人の美の原型となる。

*アンドレア・デ・サルトがアンドレア・デ・サルトでなかったとしたら、『吾輩は猫である』の冒頭は、あんなにおかしいだろうか。

*お金を使わずに生きることにかけている片瀬さんと喫茶店に入ると、チェット・ベイカーの『レッツ・ゲット・ロスト』が流れていた。

*「自分のエゴも他人のエゴも肯定する」のがキリスト型の愛で、「他人のために自分のエゴを否定する」のが孔子型の愛だ。

*孔子型の愛は自己犠牲を称揚する日本的な情緒とつながる。そして「いつだって日本で軍事化が進められるときには、日本的情緒が引っ張り出される」と伊藤整は言っている。

*『遠くへ来たもんだ』(海援隊)と『遠く来たもんだ』(中原中也)じゃ大違いよ、と言って聖子はタブレットで中也の詩を読む。「この詩、いいよね」と聖子がしみじみ言い、「いいね」と言って妻を見上げる守に微笑み返す。

2017.10.28読了)


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by nishinayuu | 2017-12-26 09:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

読書と韓国語学習の備忘録です。


by nishinayuu