『DEMIAN』(HERMANN HESSE,1919)
副題に「エミール・新クレールの少年時代の物語 Die Geschichte von Emil Sinclairs Jugend」とある。主人公の少年が、不可思議な力をもつ大人びた雰囲気の上級生デミアンとの交流によって、自己を見つけて成長していく物語。思春期に大いに感動しながら読んだが、さてどこにどう感動したのかは記憶があいまいである。ということで再読してみたが、実に難解な作品であると改めて感じた。とりあえず、印象に残った部分を書きとめておく。
*(私の迫害者であるフランツ・クローマーは)私の影のように、私の夢のなかにも一緒に生きていた。私はいつも夢を見る傾向の強い人間だった。
*楽園のような我が家に戻った私は特別の情けをもって迎えられた。しかしデミアンはけっしてこの世界には属さなかった。彼はこの世界にはそぐわなかった。クローマーとは違っていたが、彼も誘惑者だった。
*あの春の日に公園であった若い女の人に私は非常に引き付けられた。(…)私は彼女にベアトリーチェという名前を付けた。ダンテを読んだことはなかったが、絵の複製(ラファエル前派の、手や表情が精神化された少女の像)によってベアトリーチェのことを知っていた。
*私は彼女を描いてみた。(…)出来上がった絵の顔は、半ば男性、半ば女性で、夢想的であると同時に意志の強さを持ち(…)。やがてその肖像の正体がわかった。それはデミアンの顔だった。そしてそれはベアトリーチェでもデミアンでもなくて――私自身だという気がしてきた。
*鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれ出ようと欲するものは、一つの世界を破壊しなけらばならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという(門の要石についているハイタカの紋章を描いた私の絵を見たデミアンのことば)
*僕たちの神はアプラクサスといい、神であり悪魔であり、明るい世界と暗い世界とを内に蔵しているのだ。(風変わりな音楽家のピストーリウスがシンクレールに語ったことば)
実は初読の時にいちばん印象的だったのがアプラクサスのくだりである。そしてそのころ毎日のように聞いていた聞いていた曲――ラフマニノフの「前奏曲作品23の5」――がアプラクサスのテーマ曲のように聞こえた。それ以来『デミアン』とかヘッセという音を耳にしたり、わが思春期を想いだしたりするとき、きっとこの曲が聞きたくなるのである。
(2023.9.8読了)