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『シェイクスピアの面白さ』(中野好夫、新潮選書)_c0077412_14174037.jpg本書は「40年間シェイクスピアに親しみ、暇があれば彼の作品を反読して感慨にふけるのが、いちばん楽しい」と言っていた著名な英米文学者・文芸評論家・社会評論家によるシェイクスピアの案内書である。シェイクスピアにあまり馴染みのない人にもシェイクスピアのおもしろさをぜひ知ってもらいたい、という著者の熱意が伝わってくる楽しくてためになる読み物となっている。
最も興味深いのは、シェイクスピア劇の様々な場面をそれらが演じられた劇場との関係から解き明かしている部分である。すなわち当時の劇場は、
1.すべて小劇場で、せいぜい小さな寄席程度の大きさだったから、台詞のやりとり間に表現される微妙な心理の陰影まで伝えられた。だからシェイクスピア劇は「言葉、言葉、言葉」の戯曲であり、「見る芝居」よりも、むしろ「聴く芝居」であった。
2.太陽光線の劇場、一種の屋外劇場だった。舞台の上や桟敷席の上には屋根があったが、大部分を占める平戸間の上は青天井だったから、晴天だけの興業で、雨の日は休んだ。それで、各場面のはじめにそれが夜だか昼だかを観客に理解させる台詞が必ず数行入っている。たとえば「ハムレット」第一幕第一場では歩哨同士が闇をすかしてするような誰何の問答と「いましがた12時が鳴った」という一句がある。また「マクベス」第二幕第一場には「もう何時だ?」「月はもう沈みました」「十二時に沈むはずだな」云々の台詞がある。
3.舞台はほとんど無背景で、暗示的な道具類がいくつか出されることによって場面が限定された。たとえば寝台があれば寝室、椅子とテーブルに玉座らしきものがあれば宮廷の一室、3,4本の立木のようなものがあれば森、という具合だったと考えられる。また、照明や音響効果もほとんどなかったから、それを言葉による叙述で補った。だから「リア王」の第三幕第二場の冒頭に嵐を描写する「吹け、風神奴、頬を突き破るまで吹け!」に始まるリア王の長台詞が必要だったのだ。
4.舞台の前面には舞台と観客席を隔てる幕はなかった(ただし、外舞台と内舞台を隔てる幕はあった)。人物の登場が芝居の始まりであり、人物がいなくなれば芝居の終わり、となる。だから「ハムレット」の終幕のように死体を担いで退場したり、引きずって退場することで始末をつけたりするのが原則だった。
もうひとつ興味深いのは女性の登場人物についての解説。当時は変声期前の少年が女性の役を演じていたため、男性に比べて女性の登場人物が極端に少なく、演技力のある少年俳優が少なかったため、オフィーリアやデスデモーナのような性格の弱い女性が多いのであって、マクベス夫人、クレオパトラなどは、まれに存在した演技力のある少年俳優を念頭に置いて書かれたものだろうという。また女性が男性に変装する例が多いのも、演者が少年俳優だったからこそ、演じる側にも見る側にも違和感はなかったはずだともいう。
他にも日本におけるシェイクスピア劇受容の歴史と現状、古代ギリシアの演劇や日本の能・歌舞伎との類似点や相違点、個々の作品の楽しみ方など盛りだくさんな内容で、厚さの割に読み応えのある本である。(2015.3.15読了)

☆この5月に数十年ぶりにロンドンに行くことになったので、ついでにストラットフォード・アポン・エイヴォンにも足を伸ばすことにしました。そこで、シェイクスピア劇で読み残していた数編を、理解できない部分は飛ばしに飛ばして超特急で読み、1967年3月刊行のこの古い書物も引っ張り出して再読しました。一時は処分しようと思った本ですが、取っておいてよかった!
なお、画像はシェイクスピア博物館の中庭。見物人を前にして二人の役者が劇のさわりの部分を演じている。
# by nishinayuu | 2015-07-10 14:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)
『猫は14の謎を持つ』(リリアン・ブラウン著、羽田詩津子訳、早川文庫)_c0077412_13571452.jpg『The cat Who Had 14 Tales』(Lilian Braun, 1988)
1966年から2007年まで、全部で29編のココ・シリーズを発表した作家による、ココ・シリーズではない2編のうちの一つ。もう1編の『猫は日記をつける』(2003)はココの相棒であるクィラランの日記ということになっているので、純粋にココと関わりのない作品はこの作品だけということになる。

本書は表題からわかる通り14の短編からなっており、作品毎に異なる猫、異なる人間が登場するところに、ココ・シリーズとはまた別のおもしろさがある。特によかったのは次の4つ。前の3つはそれぞれ本題に入る前に「ガットヴィル・コミュニティ・カレッジの口承歴史プロジェクトのために録音されたものである」という但し書きがついている。また、後の一つはブラウンのファンが年3回発行している(していた?)「ニューズ・レター」における一番好きな短編を選ぶ読者投票で1位に選ばれたという。
『イースト・サイド・ストーリー』――ロメオとジュリエットの猫ヴァージョン。
『ティプシーと公衆衛生局』――公衆衛生局の査察官に目の敵にされながらも、波止場の労働者たちに愛された猫ティプシーの話。
『良心という名の猫』――銀行支店長のミスター・フレディーは銀行のお金を使い込み、首を括って死んだ。ミスター・フレディーのお葬式に出ていた銀行猫は、銀行の裏の納屋で首を絞められて死んでいた。インタビューに応えてこうした事情をしゃべっている老女はいったい何者?
『マダム・フロイの罪』――マダム・フロイは賢いシャム猫だった。その愛息子サプシムが隣の部屋に越してきた大男に10階から突き落とされて死んだ。凶器はヴァイオリンの弓。この男、なんとヴァイオリンでバルトークを弾くのだ。しかもマダム・フロイの同居人に「あんなに粗野な人が、よくあれだけ繊細な音を出せるわね」と言わせるほどの腕らしいが、猫の耳には「血も凍るような不快な音」に聞こえるらしい。つまりマダム・フロイからすれば何から何まで粗暴でしかない男であり、彼女は男のその粗暴さを利用して復讐をはかる。さて、首尾やいかに?(2014.12.6読了)
# by nishinayuu | 2015-07-06 13:58 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『猫は殺しをかぎつける』(リリアン・ブラウン、訳=羽田詩津子、早川書房)_c0077412_9225590.jpg
『The Cat Who Saw Red』(Lilian Braun, 1968)
本作はクィラランとシャム猫というユニークな探偵コンビを主人公にしたシリーズの第4作目で、1968年に書かれている。(発表は諸般の事情によって20年近く後。)

作品の時代は1960年代後半で、主人公のクィラランは46歳という設定。所はアメリカの中西部の小都市で、登場するのは陶芸家たちと料理人たち。それらの人たちが共同生活を営む「マウス・ハウス」を取材のために訪れたクィラランは、そこで初恋の女性・ジョイに再会する。そして彼女に出あった高揚感も手伝ってクィラランはマウス・ハウスの6号室に引っ越すことになる。その部屋は

天井がゆうに二階分の高さもあり、庭に面した壁の半分は小さなガラスをいくつもはめこんだ窓になっていた。春の夕日のオレンジ色の輝きが部屋を染め上げ、机の上方の三枚の鉛枠つきの窓ガラスは、虹色にきらめいている。

と、描写されている(こんな部屋に私も住んでみたい!)。しかしこんな素敵な部屋のあるこの建物は過去に忌まわしい事件が起こった現場であり、これから忌まわしい事件の現場になろうとしていたのだった。

29作あるこのシリーズの中には、シャム猫のココとヤムヤムがほんの添え物になっていて探偵にはあまり貢献していないものもあるが、本作では2匹が大いに活躍する。たとえばココはタイプライターを操作してクィラランに事件の手がかりを教えるし、ヤムヤムと一緒に部屋中に蜘蛛の巣のように毛糸を張り巡らして、犯行を未然に防ぐとともに事件を解決に導く。特にココは探偵・クィラランにとって重要な相棒で、「ココの第六感が疑わしい行動を突き止めた時は、クィラランの敏感な口ひげも童謡の警告を発」するのだ。しかもこの相棒はなかなかのくせ者で、医者の命令でダイエットを始めたクィラランが一日の努力の結果を見ようと体重計に乗ったとき、彼に「3ポンドも太っているなんて!」という嘆きの声を上げさせる。ココが前足を体重計にかけて踏んばっていたのだ。(2015.3.26読了)
# by nishinayuu | 2015-07-02 09:24 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『매일 매일 초승달』(윤성희, 문학사상)_c0077412_115322.jpg『毎日毎日三日月』(ユン・ソンヒ、文学思想社)
作者は1973年生まれ。1999年に短編小説『レゴで作った家』で文壇にデビューし、2013年には李孝石文学賞を受賞している。この作品は2010年、第34回イサン文学賞の候補作になったが惜しくも受賞を逃している。このときの受賞作は『カステラ』や『甲乙考試院滞在記』の作家・朴珉奎の『朝の門』だった。

語り手は三人姉妹の「三番目」である三女。9歳のときに、母親代わりだった双子の姉たちが示し合わせて出奔した。何事にも関心を持たなくなっていた父親は、姉たちが家出してからは眠ってばかりいた。働きづめでぐっすり眠れなかったのを、取り戻そうとしているかのように。「三番目」は姉たちのパンツをゴムが伸びきるまではき、姉たちのぶかぶかの靴を履いて学校に通い、自分で自分のめんどうを見ながら大きくなった。そして25年後、南大門市場で「三番目」は、幼い自分を捨てた憎んでも憎みきれない「一番目」と再会する。
こうして三姉妹は再び一つ屋根の下で暮らし始める。姉たちの家に移ってきた「三番目」は、リビングのある家は初めて、と感激する。半端仕事しかできないため半地下の部屋にしか住めないでいたのだ。そんな「三番目」を見て「一番目」は涙を流して、「これからはあんたのしたいようにしていいよ」と言う(ただし後で、聞いてあげる願いは10だけ、と訂正する)。一方「おつとめ」を終えて家に戻ってきた「二番目」は、離散家族の再会場面にならって「三番目」を抱きしめて号泣してみせるのだった。このあと、二人の姉たちがスリを生業にしていてもう幾度も「おつとめ」をしてきたことがわかった「三番目」は、三姉妹スリ団の結成を提案する、という展開になる。

状況設定や話の流れは荒唐無稽だが、細部にはリアリティがあって、韓国の一時代の一世相を窺い知ることができる。また、父親と母親の出会いの場面、三姉妹スリ団の活動場面、後始末の場面、などなど切実さと滑稽さが絡み合った印象的なエピソードが短い紙数にぎっしり詰まっていて、読み応えのある作品である。もう一つ付け加えれば、もういい年になった「三番目」が10番目の願いとして姉たちに言う「ごめんなさいって言ってよ」にはジーンとさせられる。おかしさのあとに哀しさが残る作品なのだ。(2015.4.17読了)
# by nishinayuu | 2015-06-28 11:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ある小さなスズメの記録』(クレア・キップス、訳=梨木香歩、文藝春秋社)_c0077412_9293170.png

『Sold for a Farthing』(Clare Kipps, 1953)
読書会「かんあおい」2015年4月の課題図書。


本書はロンドン郊外に住む一人の女性と、彼女に拾われたイエスズメとの間に培われた友情の物語である。出会いは1940年の7月。防空対策本部隣組支部の一員として、長い一日の任務を終えて帰宅したキップス夫人は、玄関先で瀕死の小鳥を見つけて、思わず拾い上げる。なんとか生命がつながったあとでわかったことだが、このスズメは左の翼にも左の脚にも障害があった。おそらくそのせいで、生まれてすぐに巣から投げ捨てられたのではないだろうか、とキップス夫人は推測する。将来飛ぶことも歩くことも満足にできそうもない小スズメだったが、驚くべき勢いで元気になり、やがて豊かな感性を持つ個性的なスズメへと成長していく。そして、様々な芸当によって人々の喝采を浴びた「俳優としての生活」、スズメとしては珍しい「音楽家としての生活」、成鳥としての「愛の生活」を経て、小スズメは11歳頃に「老いを迎えて」、最後は老衰で12年7週と4日の生涯を閉じる。この小スズメと共にした奇跡ともいえる素晴らしい日々を、ピアニストでもあるキップス夫人は芸術家らしい感性と知性溢れる文章で綴っている。(2015.3.12読了)

☆本書の原題はマタイ伝10章29節から取られています。なお、farthingはイギリスの昔の青銅貨(旧貨幣の1/4ペニーに相当)、韓国語訳とエスペラント訳にみられるアサリオン、アサーロはローマ帝国の貨幣です。
Are not two sparrows sold for a farthing? and one of them shall not fall on the ground without your Father. (King James Bible)
Are not two sparrows sold for a penny? Yet not one of them will fall to the ground apart from the will of your Father. (日本国際ギデオン協会)
「スズメは二羽まとめて一銭で売っているほどのものである。しかしそういうスズメの一羽ですら、主の許しなしでは、地に落ちることもかなわないではないか」
(ついでに韓国語訳とエスペラント訳も)
참새 두 마리가 한 앗사리온에 팔리는 것이 아니냐 그러나 너희 아버지께서 허락지 아니하시면 그 하나라도 땅에 떨어지지 아니하리라 (Korean Bible Society)
Ĉu oni ne vendas du paserojn por asaro? Tamen unu el ili ne falos teren sen via Patro(ザメンホフによるヘブライ語からの訳)
# by nishinayuu | 2015-06-24 09:31 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

読書と韓国語学習の備忘録です。


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