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編訳者あとがきによると「昔から、うっすら不安な気持ちになる小説が好きだった。()夢の中で、電車を一本乗り違えただけなのに、もう二度と許の世界には帰れないような()というものばかり選んで翻訳し、『野性時代』に連載したものをまとめた」のが本書だという。さてその居心地の悪い小説とは……


*ヘベはジャリを殺す(HB KILLS JARRY ブライアン・エヴンソン, 1994

 まぶたの縫合で始まりまぶたの縫合で終わる殺しの儀式。(とっても痛そう。)

*チャメトラ(CHAMETLA ルイス・アルベルト・ウレア, 2010

 瀕死の兵士のえぐり取られた後頭部から、ミニチュアの生家や、小学校の教科書や、両親や、幼馴染みや、司祭や、山羊や、荷馬車が次々と押し出されてきて

*あざ(THE BIRTHMARK アンナ・カヴァン、1940

 (『チェンジ・ザ・ネーム』と同じく、作者のぴりぴりした神経がこちらの神経に障る。)

*来訪者(VISITORS ジュディ・バドニッツ、2005

 (両親の車はどこにいるの?何が起きているの?続きが読みたい!)

*どう眠った?(HOU DID YOU SKEEP ポール・グレノン, 2000

 二人の男が建築物になぞらえて眠りの質を競い合う。日本の紙の家のように不安な眠りで話は終わる。

*父、まばたきもせず(THE FATHER< UNBLINKING ブライアン・エヴンソン, 1994

 娘の死体を黙々と片付ける父親。母親の問に答えることもなく。(答えてあげればいいのに。)

*分身(THE DOUBLE リッキー・デュコーネイ, 1994

 (気持ち悪い話だけれどもここまでシュールだと笑える。夫が出て行ったのも納得できる。)

*潜水夫(THE DIVER ルイス・ロビンソン, 2003

 (メイン州のポイント・アリソンという舞台も、若い夫婦と強かなダイバーという登場人物も、話の展開も映画向き。)

*やあ!やってるかい!(HI,HOWYADOIN! ジョイス・キャロル・オーツ2007

 ジョギングしながら誰にも彼にも「やあ!やってるかい!」と声を掛ける男。それがいやだった「あなた」は声を掛けられたとたんに玩具みたいな銃で彼を撃つ。アア、殺ッテヤルサ、と。

*ささやき(WHISPER レイ・ヴクサヴィッチ, 2001

 (集中でいちばん「居心地が悪い」作品。何度読み返してもよくわからない。解説が欲しい!)

*ケーキ(CAKES ステイシー・レヴィーン, 1993

 丸々となりたくて、部屋を改造して棚を巡らし、その棚をケーキでいっぱいにした語り手。いざケーキを食べようとしたとき、家の外に猫と犬がいた。(だからどうなの?といいたいけれど…。)

*喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ(THE JOY AND MELANCHOLY BASEBALLTRIVIA QUIZ ケン・カルファス, 1998

 野球にまつわる架空のトリビアを集めた話。(この作品が集中でいちばん面白い。)

2018.8.13読了)


by nishinayuu | 2018-11-27 10:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


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Die Frauauf der Treppe』(Bernhard Schlink, 2014

シドニーのアートギャラリーで語り手が一枚の絵を目にするところから物語は始まる。その絵は階段を降りている全裸で青白くブロンドの女性を描いたもので、女性は浮遊するような軽やかさで鑑賞者に向かってくる。グラントラッハ家のサロンで初めて見たときと同じように、その絵は語り手を感動させた。語り手はゆっくりその絵に向かって歩いて行く。そして困惑する。あの頃のできごとを思い出させられたせいだった。

絵の中の女性はイレーネで、当時はグラントラッハという名字だった。描いたのはカール・シュヴィント。70の誕生日にはあらゆる新聞・テレビに登場した世界で最も有名で、値の張る画家であるが、当時はこれからの有望株といったところだった。イレーネがグラントラッハの許を去ってシュヴィントと暮らし始めると、グラントラッハは妻をモデルにしてシュヴィントに描かせた「階段を降りる女」に傷を付け、シュヴィントに修復させてはまた傷つけることを繰り返した。絵を買い戻すことも写真を撮ることも拒否されたシュヴィントが解決策を求めて訪れたのが語り手の法律事務所だった。1968年のことで、シュヴィントは30代初め、イレーネは20代初めで、語り手も新進気鋭の弁護士だった。そして語り手もやはりイレーネに強く惹かれていた。

40年の時が流れ、シドニーで「階段を降りる女」に再開した語り手は、グラントラッハ、シュヴィントとも顔を合わせることになる。病に冒されて余命いくばくもないイレーネが二人を招き寄せたのだ。現場に立ち会った語り手を、イレーネはほとんど記憶していなかった。語り手はあくまでもただの第三者だったのだ。それにもかかわらず語り手は、二人の男が去ったあともイレーネの許に残る。一人では階段が降りられなくなって語り手に背負われて「階段を降りる女」の最期のときを見守るために。

もしあのとき二人が一緒になっていたら、という仮定で語り手がイレーネに語って聞かせる物語が、イレーネにも語り手にもそして読者にも安らぎを与える。(2018.8.10読了)


by nishinayuu | 2018-11-22 09:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

翻訳練習 課題18


2018年度前期の韓国語講座「翻訳の秘訣」で練習したものの記録です。(2018.6.116.18

動詞6-言い聞かせる

意味:타일다,설득하다

原文1:ちゃんと鍵を閉めるように子どもに言い聞かせて、両親は急いで出かけて行った。

訳文:문을 잠그라고 아이에게 다짐하고 부모는 서들러 집을 나갔다.

原文2:バナナは貴重品だと言い聞かせられて育った世代c0077412_07112715.jpg

訳文:바나나가 귀한 음식이라고 들면서 자란 세대

  1950年頃までの日本も同じでしたね。韓国ではもっとずっと後までバナナは貴重品だったようです。1990年代に日本語教師をしていた頃、韓国人留学生が日本のバナナの安さに感激していたのを思い出しました。)

動詞7-牛耳る

意味:좌지우지(右之左之)하다

原文1:外資系が牛耳る市場に、特化したサービスで挑戦する。

訳文:외자계 기업이 장악하는 시장에 특화한 서비스로 도전한다.

原文2:アジアのスターが米国の音楽業界を牛耳る日が来るだろうか。

訳文:아시아 스타가 미국 음악 업계에 군림하는 날이 올까?

動詞8-まる

意味:단속하다,관리하다

原文1:車のスピード違反を宇宙から取り締まるシステムが試験運用されている。

訳文:자동차의 속도 위반을 우주 공간에서 원격으로 단속하는 시스템이 시범 운용되고 있다.

原文2:我が社の代表取締役のインタビューが載った雑誌を社内で配る。

訳文:우리 대표이사 인터뷰 기사가 실린 잡지를 사원들에게배포한다.

動詞9-騒ぐ

意味:떠들다,아우성치다,소동이 벌어지다,화제가 되다

原文1:あの俳優は全く実力がないのに騒がれているのはなぜだろう。

訳文:저 배우는 영 실력이없는데 왜 주목을 받을까? は感情がこもった語)

原文2:政府の業務停止命令があいつぎ、預金の取り付け騒ぎが起こっている。

訳文:정부의 업무 정이 명령이 잇따라 내려져 예금 인출 소동이 벌어지고 있다. 사태가 일어나다は大ごとの場合に使う)

動詞10-挙げる/国を挙げて

意味: 모으다,거국적으로 범국민적으로

原文1:なんども浮上したものの、国を挙げての実現には至らなかった「サマータイム」制が、再び関心を呼んでいる。

訳文:몇 번이나 거론되었는데도 국가 차원으로 실현되지 못했던섬머 타임제가 다시금 관심을 모으고 있다.

原文2:私たちにできるのは、被災者の方たちに、国民を挙げて「サポートされている」という実感を持ってもらうことだ。(またまた日本語が変)

訳文:우리가 할 일은 이재민들에게 범국민적인 지원을 받고있다는 실감을 주는 것이다.


by nishinayuu | 2018-11-17 07:12 | 翻訳 | Trackback | Comments(1)


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Island ofthe Blue Dolphins』(Scott O’Dell, 1960

物語の舞台はカリフォルニア沖にあるサンニコラス島。高い地点から見下ろすと全体がイルカの形をしているこの島で、12歳(1835)から30歳(1853)までの18年間、たった一人で生き抜いていく女性の物語。


ガラサット族の暮らすこの島の沖にある日、北の方から赤い帆の船が現れる。ラッコを捕るためにやって来たアリュート人の船だった。浜に降り立った船長とガラサット族の酋長が交渉のために向き合う。このとき酋長が本名を名のったことに、酋長の娘であるカラーナは驚く。本名をやたらに明かすと禍が降りかかるおそれがあるからだ(本名を隠すのは世界各地にみられる風習ですね)。案の定、アリュート人たちはガラサット族との取り決めを守らずに島を立ち去ろうとし、それを阻止しようとして武器をとったガラサットの男たちの多くが死んだり大けがをしたりして、カラーナの父である酋長も死んでしまう。

何とか生き延びた人々の前に、やがて東の方から白い帆の船が現れる。人々は島を捨てて新しい土地に移ることにする。このとき、忘れ物を取りに行った弟がまだ船に乗っていないのに気づいたカラーナは、みんなが止めるのを振り切って海に飛び込む。船はそのまま東の方に消えていき、弟とカラーナは島に取り残される。その弟が、野犬に襲われて死んでしまったため、カラーナはついに独りぼっちになってしまう。そしてカラーナのまるでロビンソンクルーソーのような生活が始まる。家を造り、食べ物を集め、着る物も作れば、移動手段のカヌーも作る。そして、「女は武器を作ってはいけない」という一族の掟や、「女の持つ弓はその人がいちばん危なくなったときに折れる」という父の教えも乗り越えてたくましく生きていく。18年後にやっとまた東のほうから船が現れる日まで。

実話に基づいた作品で、モデルになった女性は実際に12歳から30歳まで(18351853)の18年間、サンニコラス島に一人で暮らしていたという。ただし彼女は東の地(カリフォルニア)の人々とは言葉が通じなかったため、島での生活に関する詳しい記録は残っていない、とあとがきにある。ほとんど資料のないところからこのような魅力的な物語を作り出した作者の力量に驚かされる。とくにカラーナが野犬のボスになっていたアリュートの大型犬、傷ついて死にかけていたラッコ、などの動物たちと心を通わせていくエピソードは感動的。

エピソードの一つとして大津波と大地震が出てくるのは、カリフォルニア地方の人々に1906年の大地震の記憶がまだ新しかったからだろうか。カラーナが島にいた期間には別に大地震の記録はない。(2018.7.31読了)


by nishinayuu | 2018-11-12 09:25 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_10030122.png本書は『波』の20101月号~20149月号に掲載された「とかなんとか言語学」と、『熱風』(スタジオジブリ)の20121月号に掲載された「問答無用の「健康」印」に加筆修正したものだという。著者はノンフィクション作家。英実を「ひでみね」と読むのにはびっくり。本書にはそれほどびっくりすることは書かれていないが、共感した部分、印象に残った部分を列挙しておく。

*「日本語は難しいよね」とつぶやく人をよく見かける(…)難しいわりには外国人力士たちは日本語がとても流暢である。母国語のクセのようなものもないし、口ぶりというか顔つきまで日本人のようで、(…)さらには様々なしきたりも無難にこなしており、その姿を見ていると日本文化というものは深淵ではなく、むしろ簡便で汎用性の高いものではないかとさえ思えてくるのである。【なに】

*早い話、「リスク」とは言い訳。言い訳には好都合だから「リスク」は日本人に常用語として浸透したのではないだろうか。(…)「危険」なら避けるべきだが、「リスク」なら」隣り合わせ」も許容される。金融機関などは「リスク」を商品化するくらいで、「リスクが潜む」というより「リスク」ということばを濫用することで「リスク」を招き入れ、危険を現実にしているのである。【リスク】

*経済用語としての「景気」はかつて「経紀」と書かれていたらしい。(…)「経紀」は「経過をしるす」ようで、帳簿を彷彿させる。欧米の「business」もおそらくそのことを指しているわけで、景気循環も経紀循環なら、あくまで数字上の法則として納得できそうである。(…)経紀はよくないけれど景気よく頑張りましょう。時候の挨拶としてもそのほうが元気がでるのではないだろうか。【景気】

*(日野原重明さんの)著作を通読してみると、先生自身の健康ぶりに圧倒される。健康とは「自分が『健康だ』と感じること」らしく、感じたもの勝ちの様相なのである。そのせいか自分の職業やら克服した病気などには感謝しているが、毎日の健康的な食事の支度など、彼を支えている人々にはほとんど触れていない。要するに、自画自賛を貫いているのだ。【健康】

*「疲れる」は『古事記』にも「暫疲(しばらくつかれき)」と登場するほど古くから使われている。さらに驚くのは一人称のことを「僕(やつかれ)」と呼んでいたのである。「やつかれ」とは「やつこ(奴)」+「あれ(我)」の略ともいわれているが、橘守部などは「痩疲れの意なるべし」と断言している。要するに、痩せて疲れていること自体が「私」を指しているのだ。【つかれ】

2018.7.29読了)


by nishinayuu | 2018-11-07 10:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


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本作は第153回上半期の芥川賞受賞作。同時受賞の『火花』が読書会「かんあおい」の7月の課題図書だったので、ついでに読んだ。選考委員・島田雅彦の評にある通り、「間もなくお迎えが来る祖父を在宅看護せざるを得なくなった孫の悪戦苦闘を描きながら、今日の〈家族の肖像〉を鮮やかに定着させている」小説である。

家族は作中で88回目の誕生日を迎える祖父、今年還暦を迎えて嘱託勤務に切り替わった母、そして語り手である28歳の青年。フリーターの語り手は今年になって花粉症を発症したばかりか、慢性的な腰痛もある。寝起きも悪くて11時頃まで寝ている。それでも資格試験の勉強をしながらアルバイトにも出かけるし、デートにも出かける。その合間に祖父の話し相手もすれば、入浴の手伝いなどの細々とした介護もして、あれこれ忙しい毎日を送っている。

一方、介護される側の祖父は「じいちゃんなんか、早う死んだらよか」とことあるごとに長崎弁でぼやく。「じいちゃんは邪魔やけん部屋にもどっちょこうかね」といじけることもある。それに対する母親の応答がスゴイ。「いちいち宣言しなくてもいいんだよ糞ジジイが」「あんにゃろう、これみよがしに杖つきやがって。杖なしでも歩けるくせによ」とか。語り手はこの点について「後期高齢者の介護生活に焦点を絞った場合、おそらく嫁姑間より、実の親子のほうがよほど険悪な仲になるのではないか」という。

語り手は、365日の内330日以上「死にたい」と切に思い続けている老人のために、目的を最短距離でやり遂げられるようにしてやろう、と思うに到る。母のやり方に逆らって祖父に手を貸して祖父の筋肉を衰えさせ、祖父にあれこれ考えさせないようにして脳を活性化させる機会も奪うことにする。そしてそれとは逆に語り手は、自分の筋肉や神経回路を開発するために過酷なトレーニングとがむしゃらな学習に励む。まさにスクラップとビルドである。しかし語り手はある出来事をきっかけに、祖父の本音に気づくことになる。

つい卑屈になってしまう祖父、つい暴言を吐いてしまう母、つい一生懸命になってしまう語り手。三者三様の家族の姿は滑稽でちょっぴり悲しいが、温かく穏やかな気持ちで読み終えることができる。

2018.7.20読了)


by nishinayuu | 2018-11-02 09:15 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

読書と韓国語学習の備忘録です。


by nishinayuu