<   2018年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧


c0077412_10104832.jpg物語は次のように始まる。

「一九二四年十月のある午後おそく、みすぼらしい服装をした一人の青年が、スウォンジーからペノウェル渓谷の登りに掛かった列車の、がら空きに近い三等の車室から、緊張した目をじっと窓外にやっていた。マンスンはその一日かかって、はるばる北のスコットランドから、カーライルとシュルーズベリーで乗り換えて旅をつづけてきたのだが、南ウェールズでのうっとうしい旅程も、今ようやく終わろうとしているとき、医者としての門出に、この見慣れぬ醜怪な地方での自分の将来のことを思うと、興奮はいよいよつのるばかりだった。」

トーマスマンの『魔の山』をふと思い起こさせる印象的な書き出しである(物語の内容も主人公の状況も全く異なるが)。終着駅に降り立った主人公を馬車で迎えに来ている人がいる点も二つの作品に共通する。ただし、迎えに来た人物が『魔の山』では従兄弟の健康そうなヨアヒム青年で、『城砦』では黄色い顔の老人トマスだったが。

さて、主人公のマンスンが「みすぼらしい服装をした青年」であること、スコットランド出身であること、医者の資格を得たばかりであること、南ウェールズの「醜怪な地方」で医者として生きていこうとしている意欲的な青年であること、などが冒頭の短い文の中にすべて盛り込まれている。マンスンは苦労して医者の資格を得た後、その技能を貧しい人々のために役立てようと、まず代診の医者として働き始める。富にも名誉名声にも心を動かされない清廉な医師を目指し、その志に共感して心から応援してくれる妻も得たマンスンは、力強く人生を歩み始めたのだったが……。

高い理想と信念を持つまじめな青年が、世間の荒波に揉まれる中で一時道を外れそうになるが、やがて本来の自分を取り戻していく、という実に清々しい作品である。前半に描かれている青年の恋と結婚までの課程は「これぞ青春文学」といえる美しさにあふれており、やがて心の緩みから自分を見失っていく状況は説得力を持って綴られ、最後にまた初心に立ち返って高潔な生き方を取り戻す姿が描かれて感動的に締めくくられる。どうも物事がうまく運びすぎる感はなきにしもあらずだが、主人公には著者自身が投影されているという。

手許にある本は学生時代に買ったもので、表紙がぼろぼろになったため何度も処分を考えたが、愛着があって捨てられないでいた。捨てなくてよかった。この作者の本は著作権の関係とかで現在は出版されていないからだ。(古本なら手に入るが、汚いのに高い! 以前、装丁のとてもきれいな『スペインの庭師』を図書館から借りて読んだが、今はそれさえ見つからない。)(2018.1.23読了)


[PR]
by nishinayuu | 2018-03-27 10:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_09221761.jpg「進化の結果、なぜかちょっとざんねんな感じになってしまった生き物たち」を、イラスト(下間文恵・徳永明子・かわむらふゆみ)と文で紹介した本。第1章「ちょっぴり進化のお話」に続いて、第2章「ざんねんな体」に45種、第3章「ざんねんな生き方」に45種、第4章「ざんねんな能力」に32種のいきものが取り上げられ、その「ざんねんぶり」が解説されるとともに、ざんねんマークのコイン1個~3個で「ざんねん度」のランク付けまでされている。生き物たちからすれば余計なお世話であろうが、「ざんねん」という言葉には彼らへの限りない愛情がこもっていることを彼らが理解できないことがざんねんではある。とくに印象に残った生き物は以下の通り。

*ダチョウ――脳みそが40グラムしかなくて目玉(60グラム)より小さい。

*ホタル――ほとんどのホタルは幼虫のときだけ光って、成虫になると光らない。

*クジャク――雄の美しい羽は飛ぶにも動き回るにも邪魔。羽を広げているときに風が吹くと転ぶ。

フラミンゴ――雛は真っ白で、両親からカロテン入りのフラミンゴミルクを口移しでもらって赤くなる。雛にカロテンを与えた両親はだんだん白くなる。

*ザリガニ――水がアルカリ性だと体色は薄くなり、酸性だと濃くなる。カロテンを含まないアジやイワシばかり食べていると赤みが薄れて青くなり、最終的には色が抜けて白くなってしまう。

*アライグマ――食べ物を洗うというのは勘違いで、目が悪いためにえものを手探りしているだけ。飼育されているアライグマが食べ物を水で洗うのは「ひますぎてやることがないから」という説が有力。

*オオヨシキリ――だまされてカッコウの雛を育てる。

*シロアリを食べる生き物――アードウルフ(ハイエナの仲間)、ツチブタ、オオアリクイ、コアリクイ。

nishinaによる補足――本書にはオオヨシキリのことしか取り上げられていないが、ホトトギス科の鳥による拓卵はおおむね次のような関係になっているらしい。矢印の前が拓卵する鳥、矢印の後が拓卵される鳥。ホトトギスウグイス/カッコウオオヨシキリ、モズ、アオジ、ウグイス/ツツドリセンダイムシクイ。

なお、『万葉集』に「鶯の卵の中に霍公鳥ひとり生まれて」とウグイスの巣に拓卵されるホトトギスを詠んだ歌がある(1755「高橋虫麻呂歌集」の歌)。

本書は動物好きの友人から借りて読みました。(2018.1.12読了)


[PR]
by nishinayuu | 2018-03-22 09:25 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


c0077412_09465127.jpgThe Lowland』(Jhumpa Lahiri, 2013

舞台はインドのカルカッタ(現コルカタ)市内のトリーガンジと、アメリカのロードアイランド州キングストン周辺。主要登場人物はスバシュ、ウダヤン、ガウリの三人と、次の世代のベラ。トリーガンジの低地で生まれ育ったスバシュとウダヤンは年子の兄弟で、なにをするのも一緒という仲の良さ。学校もスバシュが1年遅らせてウダヤンの入学に合わせて同時に入学した。二人とも成績優秀で大学に進学し、その頃からそれぞれの道を歩み出す。スバシュはアメリカ留学という道を選び、ウダヤンは農民の武装蜂起に心を寄せたことから極左組織ナクサライトに関わっていく。その一方でウダヤンは、利発な女子学生ガウリと惹かれあって結婚する。そして1971年の秋、ウダヤンは過激分子として両親とガウリの目の前で射殺される。ウダヤン26歳、ガウリは23歳だった。

「ウダヤン コロサレタ カエレタラカエレ」という電報を受け取ったスバシュは「低地」の家に駆けつける。そこにはウダヤンを失って呆然とする両親と、彼らが、特に母親が家族として受け入れることを拒んでいるガウリがいた。しかもガウリはウダヤンの子を宿していた。ここでスバシュは最善と考えたことを決行する。ガウリをアメリカに連れてきたのだ。ウダヤンのいない家からガウリを救い出すために、そしてウダヤンに代わって自分が生まれてくる子の父親になるために。こうしてスバシュとガウリ、やがて誕生したベラを加えた新しい家族の歴史が始まることになったが……

スバシュはウダヤンを愛していたようにガウリもベラも愛さずにはいられない本当に「いい人」なのだが、スバシュを夫として受け入れられないガウリの思いも、スバシュもガウリも許せないベラの思いもそれはそれでよくわかる。主要人物のいずれも暖かみのある筆致で描かれているため、ひとりひとりに共感できてしまうのである。重いテーマながら、前途に明るい光の見える終わり方になっていて救われる。また、野鳥たちの楽園のようなキングストン周辺の情景も楽しめる。

ところで、本作に次のような文がある。「(ロードアイランドとトリーガンジは)あまりにも隔たりが大きく、心の中に同時におさめておけないような気がする。()それでいて、地理的条件としては似ていなくもない。ロードアイランドという小さな州は、インドにおけるカルカッタとの共通点がある。北に山地、東に大海、南と西に大陸の本体。どちらも海抜はゼロに近くて、淡水と海水の混ざり合う地形が見られる。」作中で「低地」と言われているのはトリーガンジだが、ロードアイランドも「低地」なのだ。

218.1.10読了)


[PR]
by nishinayuu | 2018-03-17 09:50 | 読書ノート | Trackback | Comments(3)

翻訳練習 課題6


今学期の韓国語講座「翻訳の秘訣」で練習したものの記録です。(2017.11.20

翻訳に当たって特に気をつけるべき点-その2

5待遇表現に注意(韓国語と日本語では異なる場合が多い)。

原文:A-佐藤部長いらっしゃいますか。/B-佐藤は只今、席をはずしております。帰り次第ご連絡申し上げます。

訳文:A-사토부장님이 계십니까? /B-사토부장님은 지금 자리에 안 계십니다. 돌아오시는 대로 연락드리겠습니다.

6終助詞「よ」に注意(韓国語では丁寧表現)。c0077412_10033226.png

原文:「電話がつながったら、まず自分の名前をいうんだよ。それから、『すみませんが、光子さんはご在宅ですか』って聞くんだよ。いいね

訳文:전화가 연결되면, 우선 이름을 말하렴. 다음에 실례지만 미츠꼬씨는 계시나요?’ 하고 물어라. 알았니?”

7「この国」「わが国」は国名を明確にすべき。

原文1:日本の原発が地震の影響で爆発事故を起こすなか、李明博大統領は「わが国の原発は安全である」と主張した。(原発は원발ではなく원전

訳文:지진의 영향으로 일어난 일본 원전 폭발사고와 관련해 이명박 대통령은 우리나라 원전은 안전하다라고 주장했다. (直接話法なので우리나라とする。)

原文2:経済について勉強していないと気づかないかもしれないが、日本の現状を分析すると、この国の将来は暗いと言わざるを得ない。

訳文:경재애 대해서 공부하지 않은 사람은 모를 수도 있지만 일본의 현상을 분석할 일본의 미래는 누가 봐도 막막하다.

8主格の「が」と「は」の使い方は、韓国語と日本語で微妙に異なる。

原文:みんなが息をひそめて耳を傾けるなか、剛は口を開いた。「そのとき先生に言われたんだ。おまえは悪くないって」

訳文:모두 숨을 죽이며 귀를 기울이는 데 츠요시가 입을 열었다. 그 때 선생님이 말씀하셨어. 네가 나뿐 게 아니라고.”


[PR]
by nishinayuu | 2018-03-12 10:05 | 翻訳 | Trackback | Comments(2)


c0077412_11410806.jpgL’Ignorance』(Milan Kundera,2000

1975年にチェコからフランスに亡命したクンデラは、1981年にフランスの市民権を獲得し、1984年に小説『存在の耐えられない軽さ』を発表して世界に衝撃を与えた。1989年のビロード革命のあともフランスに留まり、1990年代に入ってからそれまでの表現言語であったチェコ語を捨ててフランス語で小説を書き始めている。本作はクンデラがフランス語で書いた3作目の小説だが、最初に出たのはフランス語版ではなくスペイン語版だという。

物語はイレナという女性とヨゼフという男性がパリの空港で出合い、飛行機から降り立った20年ぶりのボヘミアの地で親交を深める、という一見ロマンチックな話を骨子として展開するが、かつての祖国の変貌ぶりや亡命者を迎えた人々の反応などへの戸惑い、肉親との意に沿わぬ再会やかなわなかった恋の思い出など、苦いエピソードにあふれている。すなわちこれは、イタケーに帰還したオデュッセウスやら永久にエウリュディケを失うことになったオルフェウスのパロディとして祖国への帰還を語った物語なのだ。

印象に残った部分を抜き書きしておく。

*1950年、アーノルド・シェーンベルクが14年も前から合衆国にいるというのに、素朴にもあるアメリカ人ジャーナリストが質問をした。芸術家のインスピレーションは、祖国のルーツに養われなくなると、たちまち枯れ果ててしまうというのは本当ですか?(…)アメリカ人ジャーナリストは、シェーンベルクが醜悪の極みというべき残虐行為が目の前で開始されたのを見た、あのわずかばかりの土地に愛着を持たないことを許さないのだ。(第2章)

*1921年、12音の美学によってはるかな展望を音楽史に切り開いたと革新したシェーンベルクは、自分のおかげでドイツの音楽(ウィーン人である彼が「ドイツの」音楽といったのだ)の支配力はこれからの数百年間確保されるだろうと言明した。その予言の15年後の1936年、彼はユダヤ人として追放され、彼とともに(理解不能で、エリート主義で、コスモポリタン的で、ドイツ精神に反すると断罪された)12音の美学に基づく彼の音楽全体が追放されたのだった。(第39章)

*「無知」は愚かしさ、教養の欠如という意味ではない。人間は何も知らない存在であり、無知こそが人間の根源的な状況であるということだ。私たちは前の人生から得た経験をたずさえてもうひとつの人生を始めることは決してできない。私たちは若さのなんたるかを知ることなく少年時代を去り、結婚の意味を知らずに結婚し、老境に入るときすら、自分が何に向かって進んでいるのかを知らない。老人はおのれの年齢に無知な子どもなのである。(『小説の精神』…訳者あとがきより)

2018.1.5読了)


[PR]
by nishinayuu | 2018-03-07 11:43 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_09361092.jpgLaMoustache』(Emmanuel Carrère1986

本書カバーの袖にジャン=フィリップ・トゥーサンの言葉が載っている。

「『口ひげを剃る男』でぼくが気に入ったのは、出発点のなんでもない状況――男が口ひげをそり落とし、誰もそれに気づかない――が、無数の物語の展開する可能性を生み、現実とフィクション、真実と虚偽の問題を提起して有無を言わせず読者を引きずり込み、ついにはクラクラと幻覚を起こさせる、その単純な冒頭とその後の展開とのコントラストだった。」

全くそのとおりで、語り手の男の視点が正しいのか、すなわち男が信頼できる語り手なのか、読者には判断が付かない。なんだかおかしな男の幻想に付き合っているような気もしてきて、読み進むにつれて不安が増してくる。もうひとつ、訳語の選択にも疑問が生じて、訳者への信頼までぐらついてくる。たとえば「バスタブの上の壁にはってある鏡が蒸気で曇らないように、湯は下ろしたシャワーから静かに入れ」の「下ろしたシャワー」に違和感を覚えるし、「今頃アニエスはスーパーマーケットで通路に踵の音を響かせながら歩いているんだろうな」の「踵」は「靴の踵」か「ヒール」にしてもらいたいし、「(ジェロームが煙草を一箱余分に買ってきて)のめよ、これ、のんでいいから、もうねだるな、という」の「のめよ」も落ち着かない。これは個人の好みの問題かもしれないが。

とにかく語り手にも訳者にも不安を覚えながらも途中で投げ出さなかったのは、もう少し先に行けばどういうことかはっきりするだろう、という期待を抱かせる展開になっているからだ。語り手は妻のアニエスをはじめとする自分を取り巻く人々との違和感を断ち切るためについにパリを脱出する。そして語り手に平和なときが訪れて……ということにはならず、衝撃の結末が待っているのだが、なるほどそういうことだったのか、と納得して読み終えることができる。読んでいる最中はずっと「この本は外れかもしれない」と思っていたが、読後は、もしかしたら好きな部類の本かもしれない、と思えてきたのだった。(2017.12.29読了)


[PR]
by nishinayuu | 2018-03-02 09:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

読書と韓国語学習の備忘録です。


by nishinayuu