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カテゴリ:読書ノート( 1180 )

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Interpreter of Maladies』(Jhumpa Lahiri

読書会「かんあおい」20192月の課題図書(担当はnishina)。

本書については201754日にブログにアップしており(こちら→)、その時点で再読だったので、今回は再々読となる。前回ブログにアップしたときは『停電の夜に』『ピルザダさんが食事に来たころ』『病気の通訳』(本書の原タイトル)について書いているので、今回はその他の作品をとりあげる。

*本物の門番――4階建てアパートの階段掃除人のブーリー・マー(64歳)。入り口の郵便受けの下で雨露をしのがせてもらえるのと引き替えに、折れ曲がる階段を塵一つなく清めていた。日に2回は階段を掃きながら、ブーリー・マーは三次元の厚味のある声で、インド・パキスタン分離のあとカルカッタまで流れてきて以来の恨みつらみを述べ立てるのだった。舞台はインド。

*セクシー――職場で席を並べるラクシュミとミランダ。ラクシュミが電話で従姉妹(パンジャブ人)を慰めている。従姉妹の夫(ベンガル人)が愛人を作って家に帰ってこないのだ。その話を聞いているミランダ自身も愛人の立場にある。妻子のある男性(ベンガル人)と付き合っているのだ。舞台はアメリカ。

*セン夫人の家――エリオット(11歳)と母が、新しいベビーシッターのセン夫人(30がらみ)の許を訪れる。セン夫人はうっすらと顎に痘痕があったが、きれいな目をしていて、身にまとうのはオレンジ色のペーズリー模様のサリーだった。夜会かなにかに着ていくような、とエリオットは思ったが、それでもお母さんの、ショートパンツにすべり止めの靴のほうがおかしな恰好に見えた。話の途中でインドという言葉が出ると、セン夫人はサリーの胸元を整えて部屋を見回した。ランプシェードやカーペットの陰影に、ほかの者にはわからない何かを見ていたのでもあろうか。「みんな、あっちです」。舞台はアメリカ。

*神の恵みの家――トゥンクル(妻)とサンジーヴ(夫)が転居してきた家には、キリスト関係の品々がたくさん残されていた。夫は「うちはヒンドゥー教なのだから処分すべきだ」と考えるが、妻のほうは「こういう物を捨てるのは冒涜だ」と言う。舞台はアメリカ。

*ビビ・ハルダーの治療――「生まれてから29年の大半を、ビビ・ハルダーは病みついて過ごし、その奇病には、家族も友人も、僧侶も、手相見も、行かず後家も、宝石療法士も、預言者も、ただ首をひねるばかりだった」という文で始まる現代の民話のような話。舞台はインド。

*三度目で最後の大陸――語り手の男性は1964年にインドを離れ、船でイギリスに渡り、ロンドン大で学んだ。1969年、36歳でマサチュセッツ工科大の図書館に職を得て、アメリカに渡ることになり、その前にカルカッタで結婚式を挙げた。妻のパスポートとアメリカ滞在許可が出るのを待つ間の6週間、103歳という高齢で気むずかしいミセス・クロフトの下宿に滞在した。妻を紹介したとき、彼女は妻を念入りに検分してから言った。「完璧。いい人を見つけたね」。それを聞いて、それまでぎこちなかった語り手と妻は、初めて見つめ合い、笑顔になったのだった。舞台はアメリカ。

2019.2.27読了)


by nishinayuu | 2019-05-16 09:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

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『クリスピナ・アンバリーの失踪』(マンロウ)

バルカンに向かう列車に乗りあわせた二人のイギリス人。一人はジャーナリストで、もう一人はワイン業界の人物。二人とも「おしゃべり」ではないので、そのためかえってときどきことばを交わすことになる、というわけでワイン業の男が伯母クリスピナ・アンバリーの数奇な失踪事件を語り始める。

伯母のクリスピナ・アンバリーは、家族をはじめ周囲のすべての者の上に君臨する恐るべき女性だった。伯父のエドワード・アンバリーは世間的には強い男性として通っているが、明らかに伯母に支配されていた。息子たちや娘たちにいたっては、勉強・友人・食事・娯楽・信仰から髪型まで、伯母の考えと好みによって決められていた。そんな伯母が何の前触れもなく不可解な失踪をしたため、家族は茫然自失した。セント・ポール大聖堂が、あるいはピカデリー・ホテルが一夜にして消えてしまい、その跡がぽっかりと空き地になったかのようだった。

しかし家族の立ち直りは早かった。娘たちはみんな自転車を買った(当時は女性の間でサイクリングが流行っていたのに、クリスピナは娘たちが自転車に乗ることを断固として許さなかった)。成績が思わしくなかった末の男の子は学校に行かないことにした。その兄たちは母親が外国を放浪しているという説を立てて、母親が行きそうもないところを熱心に探した。アンバリー氏の許には、クリスピナを誘拐してノルウェーの島に閉じ込めている。毎年2000ポンドを払えばずっとここに置いておく。さもないと彼女を家族の許に送り返す」という普通の誘拐犯の要求とは逆の脅迫状が来た。が、アンバリー氏は自由を思いきり楽しんでいる子どもたちのために、さらにはa strong manからthe strong manに昇格した自分のためにも、身代金を払い続けるほうを選択したのだった。さて、クリスピナ・アンバリーはいったいどうしていなくなったのだろうか、そして今、どこにいるのだろうか。

例によって、害のない皮肉を交えた突拍子もないお話でした。(2019.1.11読了)


by nishinayuu | 2019-05-11 10:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


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Memory Wall』(Anthony Doerr, 2010

本書は著者の第2短編集で、最も優れた短編集に与えられるストーリー賞を2010年に受賞している。収録作されている6編は、いずれも「記憶」をテーマとした作品である。



*メモリー・ウォール――記憶を特殊な装置で脳から取り出してカセットに保存できるようになった近未来の世界。金持ちの老女アルマの大切な記憶は壁一面に貼られた無数のカートリッジに記録されている。そこから金儲けの種を盗もうと企んだ男は、記憶を読み取るための「ポート」を少年の頭に埋め込む。認知症が進む老女アルマの不安と恐怖、「記憶読み取り人」の少年ルヴォが短い命を精一杯生きる姿、そしてアルマの使用人フェコの献身の日々が静かに、丁寧に語られていく。

*生殖せよ、発生せよ――避妊してきた夫婦がいよいよ子どもを作ろうと思ったところが、なぜか子どもができない。そこで彼らは全力で不妊治療に取り組む。そんな彼らの涙ぐましい奮闘の日々が、専門的医学用語をまじえながら、それでいて実に温かい筆致で綴られていく。

*非武装地帯――韓国に派遣されている米軍兵士の息子から手紙が来る。北朝鮮と韓国の間にある非武装地帯(DMZ-demilitarized zone)に飛んでくる鳥たちのことが書いてある。霧の中から現れて頭上を通過していった千羽近くのカモメの群、通信線に触れて地面に墜ちたツル、などなど。手紙を受け取るのは父親。母親が家を出て他の男と暮らしていることを息子はまだ知らない。息子から「病気で送還されることになった」という手紙が来たとき、父親は息子からの手紙の束を、元妻の家の玄関に置いてくる。

*一一三号村――中国が舞台。大規模なダム建設計画によって水没することが決まった村で、先祖代々種屋をやってきた女性の物語。人々が次々に再定住地区へ移転して行くなかで彼女は村に残る。二つの戦争と文化大革命を生き抜いてきた村の誰よりも歳をとっている柯(クー)先生も残る。

*ネムナス川――両親を相次いで病気で亡くしたアリソン(15歳)と、彼女を引き取ったリトアニアのおじいちゃんの物語。アリソンは「ネムナス川でチョウザメを釣る」と言い張り、ジーおじいちゃんは「昔はママもチョウザメ釣りに行ったが、アメリカの大学に行ってそこで結婚してしまった。この20年、誰もネムナス川でチョウザメを捕まえていないし、ネムナス川にはもうチョウザメはいない」と言う。さて。

*来世――ナチスによるユダヤ人迫害が激しくなった時期のハンブルクと、75年後のオハイオ州ジェニーバが舞台。ハンブルクの女子孤児院に収容されていた12人の少女たちのうち、当時6歳だったエスター・グラムだけがローゼンバウム医師の手で救い出されてアメリカに渡り、エスターを特別に守ってくれていた16歳のミリアムも含めて他の少女たちはみなビルケナウに送られた。けれどもエスターは今もミリアムたちと一緒にいるのを感じている。

訳者あとがきに「記憶は失われるもの、手の届かないものであるだけに、本書には静かな悲しみが流れている。その一方で、どの作品にも希望の輝きが感じられる。(中略)その希望を作り出しているのは、子どもたちだ。ウオータースライダーを滑るテンバ(フェコの息子)の興奮が、木蓮の発芽を見守る傑(ジェ-一一三号村の女性の孫)、雪遊びをするふたご(エスターの家の新しい家族)の歓声が、私たちに新たな喜びを届ける」とある。読書中も読後も静謐な感動に満たされる素晴らしい作品でした。(2019.1.9読了)


by nishinayuu | 2019-05-06 10:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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TheSleeping Prince』(Terence Rattigan1953

カルパチア国の摂政として権謀術数に明け暮れる男(眠りの森の王子)が、一夜の気晴らしに呼んだアメリカの踊り子の企みのない素直さと賢さによって愛に目覚める、というロマンチック・コメディ。作者のラティガン(19111977)はイングランド出身の劇作家・脚本家。外交官を目指して名門校で学んでいたが演劇に目覚めて学業を中断し、演劇界に入って数多くの作品を残した。『涙なしのフランス語』『銘々のテーブル』『海は青く深く』など、映画化された作品も多い。本作もローレンス・オリヴィエとマリリン・モンローの主演で映画化されている(英語のタイトル「The Prince and the Showgirl」、日本語タイトル「王子と踊り子」)。

主要登場人物は以下の通り。

カルパチア王ニコラス八世(故カルパチア女王の王位継承者。父と政治的に対立。16歳くらい)

チャールズ大公(ニコラスの父。カルパチア国摂政。元ハンガリー王子でカルパチア女王と結婚。)

チャールズ大公妃(チャールズ大公の2度目の妻。オーストリア皇帝フランツ・ジョセフ皇帝の姪)

トリゴリンスキー伯爵(チャールズ大公の侍従長)

マイセンブロン伯爵夫人(チャールズ大公妃の侍女。通称モード)

ブルンハイム男爵夫人(チャールズ大公妃の侍女。通称ロティ。中年の肥った夫人)

ピーター・ノースブルック卿(チャールズ大公付きのイギリス外交官。40歳くらい)

シュヴァルツ男爵(チャールズ大公付きの執事)

ファイフェル・フォン・ブラウン(チャールズ大公付きの下僕)

ウル・ドゥ・グリュンヌ(チャールズ大公付きの下僕)

スティリア領フェルディナンド大公妃(大柄で赤ら顔)

スティリア領ルイーザ王女(フェルディナンド大公妃の娘。ニコラスの花嫁候補。15歳くらい)

メアリー・モーガン(アメリカの踊り子。芸名はエレーヌ・ディケナム。)

チャールズ大公は罵るときはドイツ語を使い、チャールズ大公妃はフランス語が大好き、メアリーはアメリカなまりの英語、ピーターはもちろん正統な英語、などなど、いろいろな言葉が飛び交う。舞台劇として日本でも上演されているそうだが、言葉の問題はどのように処理されているのだろうか。

ところで、この翻訳書で、スティリアのルイーザ王女の髪型が「弁髪」とあってちょっとびっくり。弁髪と言えば普通、頭の周囲の髪を剃って中央に残った髪を編んで下に垂らす北方アジアの男性の髪型が思い浮かぶのではないだろうか。ルイーザ王女の髪型はおそらく「お下げ髪」もしくは「ポニー・テール」だと思われる。(2018.12.31読了)


by nishinayuu | 2019-04-26 15:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

c0077412_10290683.jpg(編=オフィス・ジロチョー、2017、平凡社)


前書きに「佐野洋子の大勢の友人の協力によって完成したこの一冊を、これから初めてご覧になるみなさまと一緒に私たちももう一度ページを開いていきたいと思います。そしてともに新しい佐野洋子を発見し、共有することができれば幸せです」とある。

本当に大勢の友人・知人が佐野洋子を語っていて、佐野洋子がかくも大勢の人に愛され、かくも大勢の人に影響を与えたことに感銘を受ける。そして多くの友人・知人が共有する佐野洋子像がくっきりと浮かび上がると同時に、人々にあまり知られていなかった佐野洋子像にも出会える。

絵と写真がふんだんにあり、文章もいっぱいあって、それらがどれもこれも素通りできない魅力で迫ってくる。それらの中でも夭折した兄の思い出を綴った「妹だったとき」と、70人近い友人知人の言葉が収録されている「佐野洋子を一言でいうと……」が特に印象に残った。(2018.12.23読了)


by nishinayuu | 2019-04-21 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『Tea』(H. W. Munro)

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主人公は、独身のまま34歳を迎えたジェイムズ・カシャット・プリンクリ。結婚する意思はありながら、大勢の女性の中からひとりを選ぶということができずに、一族の人たちや友人・知人をやきもきさせてきた。そんな彼も、伯父が亡くなってかなりの財産を残してくれたのをきっかけに、周囲がすすめてくれるジョウン・セバスタブルとの結婚を前向きに考え出す。

ジェイムズがプロポーズのためにジョウンの家に向かっているとき、4時半の時報が響く。ということは、ちょうど「午後のお茶」の時間にジョウンの家に着くことになる。ジョウンは銀の湯沸かしやクリーム入れ、陶器のティーカップの並んだテーブルを前にして「お茶は濃いめがいいかしら、それとも薄めにします?お砂糖はいくつだったかしら?ミルクは?クリームは?もう少しお湯を足しましょうか?」とかなんとか、楽しげに聞いてくるだろう。そういう場面を小説でも読んできたし、実際に経験もしてきたから、ジェイムズにはよくわかっていた。そして彼はそういう「午後のお茶」の儀式が大嫌いだった。女性は長椅子にゆったり掛けておしゃべりしたり、なにか考えごとをしたりしていて、そこへヌビア人の召使いがお茶を運んでくる、というのがジェイムズの理想とする「午後のお茶」だった。

「午後のお茶」のテーブルでジョウンと差し向かいになるのを怖れつつも、ジョウンの住むメイフェアに向かっていたジェイムズは、途中でふと、遠い親戚のローダ・エラムが近くに住んでいるのを思いだして立ち寄ることにする。そうすればジョウンと会う時間を30分ほど遅らせることができ、お茶の道具が片付けられたあとに顔を出すことになるだろうから。

ローダは帽子制作で生計を立てている自立した女性だった。ローダはジェイムズの訪問を喜んで、ジェイムズの手も借りながら手際よくお茶と食べ物を並べただけで、余計な儀式はなかった。彼女の出してくれた食べ物はとてもおいしく、互いのことを尋ねたり答えたり、というおしゃべりも楽しかった。そしてローダとのお茶の間にジェイムズの気持ちは固まった。ローダと結婚することにしたのだ。

その年の9月、ミノルカへの新婚旅行を終えて家に着いたジェイムズが居間に入って行くと、銀器や陶器のお茶の道具が並んだテーブルを前にしたローダが楽しそうに尋ねてきた。「薄めの方がいいかしら?もう少しお湯を足しましょうか?」

☆二人が新婚旅行で訪れたミノルカ(Minorca)は西地中海にあるスペイン領の島。1713年のユトレヒト条約でイギリス領となったが、1802年にスペインに返還された。

2018.12.17読了)


by nishinayuu | 2019-04-16 10:58 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


『誰でもない』(黄貞殷)

本書は1976年ソウル生まれの若手作家による3冊目の小説集。20122015に発表された8編が収録されている。登場するのは孤独でわびしい男女(著者のポートレートが象徴的!?)だが、悲惨さやむごたらしさはなく、おおむね共感できる。凝った文章、難解な言い回しもないので読みやすい

*『上行』――語り手と男友達のオジェがオジェの母親と一緒に、母親の養母が暮らす田舎に出かけて唐辛子やら柿やらの収穫を手伝い、収穫したもの以上のお土産をもらってソウルに帰る。(集中で唯一明るくて楽しい話。)

*『ヤンの未来』――書店員のヤンは不良たちと談笑している少女チンジュを目にするが、そのまま仕事を続けていたらチンジュが行方不明になった。何日も書店の前に座り込んでチンジュを待ち続ける母親。ヤンは黙って立ち去り、今は目立たない所でひっそり暮らしている。同僚のホジェのかわいがっていた猫たちのことを思うこともあれば、チンジュに関する情報を求めて夜を過ごすこともある。

*『上流には猛禽類』――ジェヒとその母親と樹木園に行った語り手。それなりに楽しい一日だったのだが、2年後にジェヒと別れることになったのは自分のせいでは、と思う。

*『ミョンシル』――長年連れ添ったシリルに死なれて長い間ひとりぼっちのミョンシル。ふと思いついてノートを買うことにした。机の抽出にはシルリが使っていた万年筆もあるし。

*『誰が』――アパートの上の階と下の階の騒音問題に悩まされる語り手は、やがて社会の階級問題を意識することに。(李孝石文学賞受賞作品。)

*『誰も行ったことのない』――ふと思い立って初めての海外旅行に旅立った夫婦。ヘルシc0077412_10333993.jpgンキ、ワルシャワ、クラクフを経てプラハへ。そこで2回、はぐれそうになる。ベルリン行きの列車内で険悪な雰囲気になり、ベルリン駅では降り損なった妻を乗せたまま列車が出発してしまうという事態に。

*『笑う男』――決定的な瞬間に思わず回避する人間は、次の時も回避してしまう。語り手の父がそうだった。語り手はバスを待っていたとき、自分の方に倒れかかってきた老人を支えずに身を引いてしまい、しかも地面に頭を打ち付けた老人をそのままにしてバスに乗ってしまった。ディディが死んでしまったのも、彼女を引き寄せるべきときに自分の鞄を引き寄せてしまったからだ。狭い部屋に閉じこもって男は考え続ける。男は笑ってはいないのだが、この部屋を出て行けばやがて笑うこともあるだろう。

*『作り笑い』――デパートの寝具売り場で働く女性。他人との摩擦を避けるためにいつも笑っている。笑いたいわけではないのに笑ってしまう。(感情労働に携わる人間の日常を描きつつ、暴力について考察した作品。我々は日々、他人からの暴力に曝されていると同時に、自分も他人に対して暴力的な存在になり得るのだ。)

2018.12.16読了)


by nishinayuu | 2019-04-06 10:34 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

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『ルイーズ』(マンロウ)

『サキ全集』の「TheToys of Peace1923」に収められている1編。

場面は老姉妹スーザンとジェインのティータイム。ジェインはミドゥルセクスでいちばんのうっかり者で、いつも上の空。そのジェインが「今日の午後はわたし、珍しくとっても冴えていたのよ。訪ねようと思ったところはみんな訪ねたし、スーザンのためにデパートにも寄ったし」と姉に向かって得意げに語る。そんなジェインを見ながらスーザンが尋ねる。「ルイーズはどうしたの?」。そう、ジェインはその日、姪のルイーズを連れて出かけたはずなのに、帰ってきたときは一人だったのだ。

さあ、それからが大変。ジェインは、キャリウッズ家には立ち寄ったのかカードを置いてきただけなのか、デパートはハロッズだったかセルフリッジだったか、思い出せない。救世軍の行進に巻き込まれたのは覚えているけれど、そのときルイーズがそばにいたかどうかは覚えていないし、アダ・スペルヴェクシットのところに行ったときルイーズが一緒だったのかもはっきりしない。あいまいな記憶をたぐりながらその午後に行った場所、会った人たちの話をしながら、のんびりとお茶を楽しんでいるジェインにスーザンはあきれる。ジェインの話からわかったのは、キャリウッズのところにもアダ・スペルヴェクシットのところにも、ウエストミンスター寺院にもルイーズはいない、ということだけ。さて、ルイーズはいったいどこに?

この短編のおもしろみは、ロンドンの市街の雰囲気や、有閑階級の暮らしぶりを垣間見ることができることと、もう一つ、これは作者が意図したものかどうかわからないが、姉と妹の対比である。姉から見ると妹というのは幼いときも歳をとっても、なんとも頼りないものなのです。ジェインほどひどいのも珍しいでしょうが。(2018.12.13読了)


by nishinayuu | 2019-04-01 22:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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To Say Nothing of the Dog』(Connie Willis, 1998

副題に「あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎」(or How We Found The Bishop’s Bird Stump At Last)とある。タイトルの「犬は勘定に入れません」はかの有名な『ボートの三人男』(ジェローム・K・ジェローム)の副題がそのまま使われている。作中では犬も大活躍するという含みのあるタイトルであるが、犬の登場のしかたがユニークで、読者には最初、彼らが犬だとはわからない。たとえば第1章は次のように始まる。

「そこにいたのは総勢五名だった。カラザ-ス、新入生、僕、それにミスター・スピヴンズと堂守。」

語り手の僕が真ん中、という変わった順序の紹介の意味はこの時点ではわからないが、すぐあとで僕たちがタイムトラベルによって過去の世界にやって来て、その時代の堂守と出くわしたことが判明する。そのあとで、トンネルを掘ったり、ネコを見てうなり声を上げたり、果ては僕の足元にうずくまったり、という怪しい動きを見せることからミスター・スピヴンズが犬だと判明するのだ。

もっと重要な役割を持つブルドッグのシリルの正体も、読者にはすぐにはわからないように仕組まれている。ミスター・スピヴンズで学習した読者ならもう騙されることはないが、この2回の犬を介したおふざけによって作者はその独特のユーモア世界に読者を引き込んでいく。

ただしこの作品は単なるユーモア小説ではない。タイムトラベルを主題とするSF小説であり、ヴィクトリア朝を舞台にした歴史ミステリーであり、文学作品からの引用があふれる蘊蓄小説であり、登場人物たちがもつれ合う恋愛小説でもある。冒頭の場面からいきなり複雑な状況に放り込まれるので読みこなせるかどうか心許なくなるが、いったん状況が飲み込めるとストーリーとしてはそれほど複雑ではない。タイムトラベルにまつわる複雑な理屈や文学的蘊蓄はさらっと読み流してしまっても充分楽しめる。

特筆すべき点はイギリス小説ならではの「執事」の活躍である。ヴィクトリア時代の名家の執事として完璧な働きぶりを見せたベイン(本名ウィリアム・パトリック・キャラハン――これはネタバレ)。オクスフォードのダンワージー教授の許からヴィクトリア朝に移動してベインの後釜として名家に入り込み、ミステリーの解明に貢献するフィンチ。最近どなたかが愛読なさっているとかでもてはやされている「強かな執事のジーヴズ」に比べると、ふたりともきまじめな執事たちである。ところで疑問が一つ。執事になる階級と執事を雇う階級の間には確然とした壁があったと思うのだが、ベインはどうして執事になる階級ではないことがばれずに済んだのだろうか、そもそもどうして執事の仕事を完璧にこなせたのだろうか。カズオ・イシグロの『陽の名残』の主人公がうっかり「サー」と言ってしまったために紳士階級ではないことがばれてしまったのとは逆のパターンだが。(2018.12.4読了)


by nishinayuu | 2019-03-27 09:28 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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All theLight We Cannot See』(Anthony Doerr

物語の主要舞台は「フランスのブルターニュ地方、エメラルド海岸でもひときわ輝きを放つ町、古くからの城壁に囲まれたサン・マロ」(フィリップ・ベックによる)。物語の始まりは194487日、サン・マロがイギリス海峡を越えてやって来たアメリカ軍の爆撃機によってほぼ完全に破壊された日である。砲撃の前に「町の住民はただちに市街の外に退去せよ」と書かれたビラが町に降り注いだ。

町の一角、ヴォーボレル通り4番地にある建物の最上階である6階で、16歳の少女マリー・ロール・ルブランが近づいてくる爆撃機の音を聞く。そして別の小さな音に気づいて窓辺に行き、窓の鎧戸に挟まった一枚の紙を手に取ると、紙を鼻に近づけて新鮮なインクの匂いをかぐ。マリー・ロールはこの建物に一人取り残された目の見えない少女だった。

通りを5本進んだところにある「蜂のホテル」で、18歳の少年ヴェルナー・ペニヒがスタッカートのようにうなるかすかな音を聞く。海の方からは高射砲の轟音が届く。ここ4週間、ホテルはオーストリア人対空部隊の要塞として使われていた。伍長に「地下室へ行け」と声をかけられたヴェルナーは毛布をダッフルバッグに入れて廊下を進み始める。ヴェルナーは連合軍の攻撃を迎え撃つためにこの町にやってきたドイツ軍の2等兵だった。炭鉱町ツォルフェアアインの孤児院で育ったドイツ人二等兵だった。

こうして始まる物語は、ここに到るまでの二人の物語を交互に描いていく。一方には1934年、6歳で視力を失ったマリー・ロールが父親から点字を習い、『海底2万里』と親しんだ日々、父親とともにパリを後にすることになったいきさつ、サン・マロの大叔父の家で暮らし始めてまもなくスパイの嫌疑で父が連行されたあと、家から一歩も出ずに無線放送を続ける大叔父と過ごした日々の物語がある。そしてもう一方にはヴェルナーがドイツの炭鉱町ツォルフェアアインの孤児院で過ごした日々、ザクセン州のシュルプフォルタ国家政治教育学校で指導教授から眼をかけられた日々、そして軍役に就いてサン・マロにやって来たいきさつなどの物語がある。そして19448月、マリー・ロールとヴェルナーの軌跡が交わる。二人を繋いだのは大叔父の兄(マリーの祖父)による朗読と「月の光」のメロディーだった。

忘れ難い登場人物たち

*マリー・ロール関係――父(国立自然史博物館の錠前主任。娘が前向きに生きていけるように全力を尽くした)/エティエンヌ・ルブラン(祖父の弟。マリーに『ビーグル号航海記』を読んできかせる)/マネック夫人(エティエンヌ家の家政婦兼保護者。マリーの保護者ともなる

*ヴェルナー関係――ユッタ(妹。ヴェルナーがほとんど知らなかった世界のからくりをよく理解していた)/エレナ先生(孤児院の先生。愛と献身で孤児たちを育む)/フレデリック(政治教育学校の同期生。鳥博士。無抵抗を貫いて精神に異常を来す)/フォルクハイマー(政治教育学校で知り合った年長の巨体の少年。表面は上官に忠実だが、陰ではヴェルナーに共感して秘かに助ける)/

(2018.11.19読了)


by nishinayuu | 2019-03-17 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

読書と韓国語学習の備忘録です。


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