カテゴリ:読書ノート( 1156 )


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Island ofthe Blue Dolphins』(Scott O’Dell, 1960

物語の舞台はカリフォルニア沖にあるサンニコラス島。高い地点から見下ろすと全体がイルカの形をしているこの島で、12歳(1835)から30歳(1853)までの18年間、たった一人で生き抜いていく女性の物語。


ガラサット族の暮らすこの島の沖にある日、北の方から赤い帆の船が現れる。ラッコを捕るためにやって来たアリュート人の船だった。浜に降り立った船長とガラサット族の酋長が交渉のために向き合う。このとき酋長が本名を名のったことに、酋長の娘であるカラーナは驚く。本名をやたらに明かすと禍が降りかかるおそれがあるからだ(本名を隠すのは世界各地にみられる風習ですね)。案の定、アリュート人たちはガラサット族との取り決めを守らずに島を立ち去ろうとし、それを阻止しようとして武器をとったガラサットの男たちの多くが死んだり大けがをしたりして、カラーナの父である酋長も死んでしまう。

何とか生き延びた人々の前に、やがて東の方から白い帆の船が現れる。人々は島を捨てて新しい土地に移ることにする。このとき、忘れ物を取りに行った弟がまだ船に乗っていないのに気づいたカラーナは、みんなが止めるのを振り切って海に飛び込む。船はそのまま東の方に消えていき、弟とカラーナは島に取り残される。その弟が、野犬に襲われて死んでしまったため、カラーナはついに独りぼっちになってしまう。そしてカラーナのまるでロビンソンクルーソーのような生活が始まる。家を造り、食べ物を集め、着る物も作れば、移動手段のカヌーも作る。そして、「女は武器を作ってはいけない」という一族の掟や、「女の持つ弓はその人がいちばん危なくなったときに折れる」という父の教えも乗り越えてたくましく生きていく。18年後にやっとまた東のほうから船が現れる日まで。

実話に基づいた作品で、モデルになった女性は実際に12歳から30歳まで(18351853)の18年間、サンニコラス島に一人で暮らしていたという。ただし彼女は東の地(カリフォルニア)の人々とは言葉が通じなかったため、島での生活に関する詳しい記録は残っていない、とあとがきにある。ほとんど資料のないところからこのような魅力的な物語を作り出した作者の力量に驚かされる。とくにカラーナが野犬のボスになっていたアリュートの大型犬、傷ついて死にかけていたラッコ、などの動物たちと心を通わせていくエピソードは感動的。

エピソードの一つとして大津波と大地震が出てくるのは、カリフォルニア地方の人々に1906年の大地震の記憶がまだ新しかったからだろうか。カラーナが島にいた期間には別に大地震の記録はない。(2018.7.31読了)


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by nishinayuu | 2018-11-12 09:25 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_10030122.png本書は『波』の20101月号~20149月号に掲載された「とかなんとか言語学」と、『熱風』(スタジオジブリ)の20121月号に掲載された「問答無用の「健康」印」に加筆修正したものだという。著者はノンフィクション作家。英実を「ひでみね」と読むのにはびっくり。本書にはそれほどびっくりすることは書かれていないが、共感した部分、印象に残った部分を列挙しておく。

*「日本語は難しいよね」とつぶやく人をよく見かける(…)難しいわりには外国人力士たちは日本語がとても流暢である。母国語のクセのようなものもないし、口ぶりというか顔つきまで日本人のようで、(…)さらには様々なしきたりも無難にこなしており、その姿を見ていると日本文化というものは深淵ではなく、むしろ簡便で汎用性の高いものではないかとさえ思えてくるのである。【なに】

*早い話、「リスク」とは言い訳。言い訳には好都合だから「リスク」は日本人に常用語として浸透したのではないだろうか。(…)「危険」なら避けるべきだが、「リスク」なら」隣り合わせ」も許容される。金融機関などは「リスク」を商品化するくらいで、「リスクが潜む」というより「リスク」ということばを濫用することで「リスク」を招き入れ、危険を現実にしているのである。【リスク】

*経済用語としての「景気」はかつて「経紀」と書かれていたらしい。(…)「経紀」は「経過をしるす」ようで、帳簿を彷彿させる。欧米の「business」もおそらくそのことを指しているわけで、景気循環も経紀循環なら、あくまで数字上の法則として納得できそうである。(…)経紀はよくないけれど景気よく頑張りましょう。時候の挨拶としてもそのほうが元気がでるのではないだろうか。【景気】

*(日野原重明さんの)著作を通読してみると、先生自身の健康ぶりに圧倒される。健康とは「自分が『健康だ』と感じること」らしく、感じたもの勝ちの様相なのである。そのせいか自分の職業やら克服した病気などには感謝しているが、毎日の健康的な食事の支度など、彼を支えている人々にはほとんど触れていない。要するに、自画自賛を貫いているのだ。【健康】

*「疲れる」は『古事記』にも「暫疲(しばらくつかれき)」と登場するほど古くから使われている。さらに驚くのは一人称のことを「僕(やつかれ)」と呼んでいたのである。「やつかれ」とは「やつこ(奴)」+「あれ(我)」の略ともいわれているが、橘守部などは「痩疲れの意なるべし」と断言している。要するに、痩せて疲れていること自体が「私」を指しているのだ。【つかれ】

2018.7.29読了)


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by nishinayuu | 2018-11-07 10:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


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本作は第153回上半期の芥川賞受賞作。同時受賞の『火花』が読書会「かんあおい」の7月の課題図書だったので、ついでに読んだ。選考委員・島田雅彦の評にある通り、「間もなくお迎えが来る祖父を在宅看護せざるを得なくなった孫の悪戦苦闘を描きながら、今日の〈家族の肖像〉を鮮やかに定着させている」小説である。

家族は作中で88回目の誕生日を迎える祖父、今年還暦を迎えて嘱託勤務に切り替わった母、そして語り手である28歳の青年。フリーターの語り手は今年になって花粉症を発症したばかりか、慢性的な腰痛もある。寝起きも悪くて11時頃まで寝ている。それでも資格試験の勉強をしながらアルバイトにも出かけるし、デートにも出かける。その合間に祖父の話し相手もすれば、入浴の手伝いなどの細々とした介護もして、あれこれ忙しい毎日を送っている。

一方、介護される側の祖父は「じいちゃんなんか、早う死んだらよか」とことあるごとに長崎弁でぼやく。「じいちゃんは邪魔やけん部屋にもどっちょこうかね」といじけることもある。それに対する母親の応答がスゴイ。「いちいち宣言しなくてもいいんだよ糞ジジイが」「あんにゃろう、これみよがしに杖つきやがって。杖なしでも歩けるくせによ」とか。語り手はこの点について「後期高齢者の介護生活に焦点を絞った場合、おそらく嫁姑間より、実の親子のほうがよほど険悪な仲になるのではないか」という。

語り手は、365日の内330日以上「死にたい」と切に思い続けている老人のために、目的を最短距離でやり遂げられるようにしてやろう、と思うに到る。母のやり方に逆らって祖父に手を貸して祖父の筋肉を衰えさせ、祖父にあれこれ考えさせないようにして脳を活性化させる機会も奪うことにする。そしてそれとは逆に語り手は、自分の筋肉や神経回路を開発するために過酷なトレーニングとがむしゃらな学習に励む。まさにスクラップとビルドである。しかし語り手はある出来事をきっかけに、祖父の本音に気づくことになる。

つい卑屈になってしまう祖父、つい暴言を吐いてしまう母、つい一生懸命になってしまう語り手。三者三様の家族の姿は滑稽でちょっぴり悲しいが、温かく穏やかな気持ちで読み終えることができる。

2018.7.20読了)


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by nishinayuu | 2018-11-02 09:15 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


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本書には「本にまつわるサスペンス」が4つ収録されている。




1.『受け入れがたい犠牲』(ジェフリー・ディーヴァー)

 『An Acceptable Sacrifice』(Jeffery Deaver,2012

『ボーン・コレクター』で有名な作家による短編。麻薬王のクチージョを殺すために雇われたアメリカとメキシコのエージェント。ただしクチージョは、世間的には合法的な会社経営で富を築いた実業家であり、慈善家でもある。教養のある古書マニアという顔を持つ。彼が観光バスの襲撃を計画しているという情報があって動くことになった二人だが、彼は本当に悪人なのか、という疑問が任務遂行をためらわせ……。

2.『美徳の書』(ケン・ブルーエン)

 『The Book of Virtue』(Ken Bruenn,2012

若者のテンポで展開する若者の感覚に溢れた1編。この作者の作品は連発されるジョークが特徴だそうだが、正直、ついていけない!

3.『ナチス・ドイツと書斎の秘密』C.J.ボックス)

 『Pronghorns of the Third Reich』(C.J.Box,2011

ライルとファンの二人組に拉致された弁護士のパーカーは、人里離れたアングラー牧場に連れて行かれる。かつてパーカーは「ナチとの取引で資金を得たアングラーによって祖父が不正に牧場を奪われた」というライルの主張を証拠不十分として退け、アングラーを無罪にしている。そのライルがアングラーの遺した膨大な蔵書を手に入れようとして、遺産管理人であるパーカーを拉致したのだ。雪嵐の中、気が変わったファンは二人を残してピクアップ・トラックと共に立ち去る。酷寒の中でパーカーとライルの命がけの駆け引きが始まる。緊迫感にあふれ、結末の衝撃度も大きい印象的な作品。

4.『死者の永いソナタ』(アンドリュー・テイラー)

 『The Long Sonata of the Dead』(Andrew Taylor,2013

文学史上のマイナーな資料にまつわる長年の仇敵との因縁。文学的色合いが濃厚で、余韻のある作品。

翻訳者によって紹介されている作品のうち、今後読んでみたいものをいくつかメモしておく。

『幻の特装本』(ジョン・ダニング、1995)/『匿名原稿』(ウィル・ハリス、1983)/『二巻の殺人』(エリザベス・デイリイ、1941)/『章の終わり』(ニコラス・ブレイク、1957)/『著者略歴』(ジョン・コラピント、2001

2018.8.3読了)
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by nishinayuu | 2018-10-18 14:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


『本にまつわるミステリー』(オットー・ペンズラー編)

本書には「本にまつわる奇妙な話」が三つ収録されている。

1.『カクストン私設図書館』(ジョン・コナリー)

The CaxtonPrivate Lending Library & Book Depository』(JohnConnolly,2013

2.『亡霊たちの書』(リード・ファレル・コールマン)

The Book ofGhosts』(Reed Farrel Coleman,2003

3.『巻物』(アン・ペリー)

The Scroll』(Anne Perry,2012

c0077412_17012447.jpg三つの中でいちばん気に入ったのは1の『カクストン私設図書館』。その前半の概要は――

1968年の秋、36歳のバージャー氏は、勤めていた役所の移転と母親の死をきっかけに退職し、母の遺したグロッサムの家で長年の夢だった物書きの生活を始める。しかしすぐに自分に才能がないことに気づくと、平凡な読者という立場に落ち着き、毎晩線路脇を散歩するのが習慣になった。そんなある日、バージャー氏は黒いドレスの美しい女性が、持っていた赤いバッグを放って列車に飛び込むのを目撃する。これがバージャー氏とアンナ・カレーニナとの出会いだった。2月に再びアンナが現れたとき、バージャー氏は彼女が列車に飛び込むのを邪魔する。そのまま立ち去ったアンナの後をつけると、アンナは古い倉庫群にある赤煉瓦の建物の中に消える。月明かりの中でバージャー氏がドアに刻まれた名前を読むと「カクストン私設図書館」とあった。

作中に次のような句節があり、共感を覚えた。

「新しい役所となる建物は寒々しいブロック建造物だ。個性や奇抜さをいっさい排除し、スチールやガラス、鉄筋コンクリートを用いた普遍的なデザインが特徴の建築家ル・コルビュジェの信奉者が設計したという。この建物は、かつて豪奢なヴィクトリア朝の駅舎があった跡地にその無個性で無粋な姿をさらしている。」

2018.7.22読了)


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by nishinayuu | 2018-10-13 17:07 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


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『本にまつわるミステリーⅡ』(オットー・ペンズラー編)

本書はオットー・ペンズラーが電子書籍化した短編の中から10作品を選びだして3巻に分けたシリーズの2巻目である。オットー・ペンズラー(1942~ )はアメリカのジャーナリスト、作家、評論家、ミステリー蒐集家であり、「ミステリアス・プレス」というミステリー専門出版社の創設者でもある。

本書には「本にまつわる刑事・探偵小説」が三つ収録されている。

1.『本棚殺人事件』(ネルソン・デミル)

The BookCase』(Nelson DeMille,2011

冒頭に死体が登場するが胸の悪くなるような描写はなく、語り口も話の展開も軽快で楽しい作品。

2.『絵本盗難事件』(ローラ・リップマン)

The BookThing』(Laura Lippman,2012

紙の本の行く末を考えさせられる作品。殺人もなければ、「悪い人間」も出てこない。舞台はエドガー・アラン・ポーの出身地であるボルチモア。

3.『ブック・クラブ殺人事件』(ローレン・D・エスルマン)

Book Club』(Loren D. Estleman,2012

登場人物たちの丁々発止のやりとりが愉快な作品。舞台はニュー・メキシコ州の小さな町、グッド・アドヴァイス。元刑事で今は本屋の主であるシェアクロスと警察署長のドカティが手を組んで、愛書家殺しの犯人を追いつめる。

2.のタイトルとなっている「BookThing」は実在の施設で、本の寄付を受け付け、欲しい人は誰でも無料で本がもらえるようになっているという。開館日は毎週末。無料でもらえる本の上限は一日に15万冊。(捨てるに忍びない本を持ち込めるこんな場所がわが家の近所にもあればいいのに。)

2018.7.16読了)


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by nishinayuu | 2018-10-08 09:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


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本作は『ショーシャ』の作家による最初の児童書で、ヨーロッパのユダヤ人社会に伝わる民話や伝説をもとにした7つの物語からなる。

Fool’sParadise」には怠け者の男が、「Grandmother’s Tale」には悪魔が、「The Snow in Chelm」「The Mixed-Up Feet and theSilly Bridegroom」「The First Shlemiel」の3編には愚か者たちの村「ヘルム」で起こったできごとが、「The Devil’sTrick」には悪魔より賢かった少年が、「Zlateh the Goat」には互いに助け合って雪嵐を切り抜けた少年と山羊が登場する。愉快な話もあれば、ぞわっと鳥肌の立つ話もあり、心温まる話もある。中では巻の最後に置かれている「Zlateh the Goat」がいちばん心に残った。表題になるだけのことはある。

作者のシンガーは1904年(もしくは1902年)ポーランドに生まれ、1935年に渡米してイディシュ語によって作家活動をした。邦訳書としては『ワルシャワで大人になっていく少年』(金敷力、新潮社)、『ヘルムのあんぽん譚』(関憲治、篠崎書店)、『やぎと少年』(工藤幸雄、岩波書店)、『ルブリンの魔術師』(大崎ふみ子、吉夏社)『父の法廷』(桑山孝子、未知谷)などがある。

ところで本書の表紙絵をはじめとする17点の絵は、絵本『かいじゅうたちのいるところ』で知られるモーリス・センダック(19282012)の作品である。実はこの本はわが家の本棚でずっとツンドク状態になっていたのだが、それはセンダックの絵が苦手だったからだ。子どもだけでなく大人も56頭身に描かれていて、しかも顔つきや目つき、全体の雰囲気がかなり不気味で。それが今回、捨てる前に一度だけ、と思って目を通してみたところ、この内容にはこの絵しかないと思えるほどのすばらしい絵であることがわかり、「食わず嫌い」を反省したのだった。センダックさん、ごめんなさい。(2018.6.28読了)


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by nishinayuu | 2018-10-03 14:26 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


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Puisquerien ne dure』(Laurence Tardieu, 2006

本作はパリ在住の作家・舞台女優の著者による3作目の著作。発表時の年齢は34歳だという。

パリのアパルトマンに手紙が届く。「ヴァンサン、私はもうすぐ死ぬの、会いに来てもう一度だけ会いに来て、あなたに会って、触れて、声を聞くのは最後になるわ、会いに来てヴァンサン」と鉛筆で書かれている。本文の下に、読みづらい小さな字でジュヌヴィエーヴとある。それは二人で結んだ暗黙の契約を破る手紙、ヴァンサンを抹消したはずの過去に引き戻す手紙だった。

手紙を読むなりヴァンサンは車に飛び乗ってジュヌヴィエーヴの許に向かう。出合った頃にジヴェルニーを散歩した日のことがふいに鮮明に蘇る。薄紫のワンピースを着たジュヌヴィエーヴが、そして二人の喜びが。30年前のジヴェルニーでの光に満ちたあの日は、その後に続くあのぞっとするような日々のとっかかりとしてだけ忘却の淵から現れる。ジュヌヴィエーヴと再会するなんてどうかしている、引き返そう、と思いながらも、ヴァンサンはアクセルを踏み込んでジュヌヴィエーヴの許へ急ぐ。まるで破滅へ突き進むかのように。

15年前、ヴァンサンが40歳のとき、それまで幸せいっぱいだった二人に、大きな禍が襲いかかる。悲哀は人を近づけるというが、ヴァンサンとジュヌヴィエーヴはそうではなかった。悲哀は二人を引き離し、二人の相違を明らかにした。ジュヌヴィエーヴは田舎の静けさの中で悲しみを抱きしめることを選び、ヴァンサンは都会の喧噪の中に身を置いてすべてを忘れることを選んだ。そして15年という歳月が流れた今になって、ジュヌヴィエーヴがヴァンサンに呼びかけたのだ。死ぬ前に会いに来て、と。

この作品は2005年のヴァンサンによる語り、1990年のジュヌヴィエーヴによる日記体の語り、そして再び2005年のヴァンサンによる語り、という3部構成になっている。それぞれの思いが細やかに綴られていて心に浸み、涙なしには読み進められない。

なお、本作はプリンス・モーリス恋愛小説賞とアラン=フルニエ賞を受賞しているそうだ。後者の受賞作にはアメリー・ノートンの『殺人者の健康法』の名も見える。(2018.6.26読了)


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by nishinayuu | 2018-09-28 11:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


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Shosha』(Isaac Bashevis Singer

物語の舞台は第二次世界大戦前のワルシャワ。著者は「はしがき」で、「この小説は決して、ヒトラー以前の数年間におけるポーランドのユダヤ人たちを描いたものではない。またとない状況におけるまたとない数人の人々の物語である」と言っているが、その「数人の人々」がなんと鮮明に、印象的に描かれていることか。そして語り手が彼らと別れた後の、彼らの人生の終わりまでが、なんと懇切丁寧に描かれていることか。さて、その数人の人々とは

*アーロン(愛称アレーレ、別名ツツィク)――語り手。少年時代をワルシャワのゲットーとも言えるクロホマルナ通りで過ごし、後にイディッシュで著述する作家となる。

*ショーシャ(愛称ショーシェレ)――クロホマルナの幼なじみ。発育不全気味だったが、語り手にとってはかけがえのない存在。後に語り手と結婚する。

*バシェレ――ショーシャの母親。20年ぶりにクロホマルナの7番の建物を訪れた語り手を、以前と全く変わらない姿と態度で迎え入れる。語り手が再び現れたことに驚いた気配もなく。

*ドラ――20代の語り手が「作家クラブ」で知り合い、付き合うようになった女性。共産党員。

*モリス・ファイテルゾーン――語り手より25歳ほど年上の売れない哲学博士。最高級のディレッタントで、華麗な女性遍歴を誇る。語り手の才能を見いだし、作家デビューを支援してくれた、語り手にとって大切な友人。

*シーリア――ファイテルゾーンの崇拝者の一人。読書家で鋭い批評眼の持ち主。語り手にファイテルゾーンとの関係を打ち明けたことをきっかけに、語り手と親密な間柄になる。

*ハイムル――シーリアの夫。資産家の息子だが身体が小さくて虚弱なため、シーリアが母親のように世話をしている。ずっと後にエルサレムで語り手と再会し、昔の知人たちの消息を語り手に伝える。

*ベティ・スローニム――イディッシュ劇場に出演するためにポーランドにやって来たアメリカの女優。ファイテルゾーンから紹介された語り手に芝居を書くことを勧める。夫のサムは大金持ちでスポンサー的存在。

語り手の思いを伝える句節を以下にメモしておく。

*(作家クラブにて)ポーランド人たちはぼくたちを厄介払いしたがっている。彼らはぼくたちを片付ける勇気はないけれど、ヒトラーが代わりにやってくれたら涙一つ流しはしないだろう。

*(シーリアの家にて)会話は、なぜ私たちがワルシャワを立ち去らないかという疑問に行きつき、そして私たちめいめいが多かれ少なかれ同じ答を出した。私はショーシャを置き去りにはできない。ハイムルはシーリアなしに行くつもりはない。その上、三百万のユダヤ人が留まっているのに、逃げ出して何の意味がある?

2018.6.26読了)


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by nishinayuu | 2018-09-23 09:46 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


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TheWashington Square Enigma』(Hary Stephen Keeler, 1933

物語は次のように始まる。所はシカゴの北東部にあるワシントン広場。時は11月。ミシガン湖から吹いてくる肌寒い風ががらんとした駐車場を吹き抜け、広場に散在するベンチを占領している浮浪者たちが、薄い上着の前をぐいと寄せ合わせる。そんなわびしいベンチの一つに座っていたハーリングは、誰かが捨てていった日刊紙の広告に目を見張る。広告の内容は「1921年発行の5セントの白銅貨で、自由の女神の頭を囲んだ星の数が13個ではなく12個のものを30日間貸してくれれば、1枚につき5ドル支払う」というものだった。(第1章)

ハーリングはたまたま星が12個の5セント貨を持っていた。実はこれがほぼ全財産だったハーリングは、広告主の家に行くための交通費を手に入れるために、広場に面した地区の空き家から何か換金できそうな物を盗み出すことにする。そしてハーリングが空き家の一つに入り込むと、床に老人の死体が転がっていた。(第2章)

このように本作は冒頭からめまぐるしい展開を見せ、本質は生真面目な青年である主人公の運命やいかに、という興味がかきたてられる。登場人物の名もサミュエル・ボンド・シニア、マイケル・ボンド、フェルプス・モーニングスター、ジョン・ヘミングウェイなどなど、どこかで聞いたような名でなじみやすい。豪邸に住む美女とフィリピン人の使用人、美女に纏わり付く従兄弟、無宿者に変相していた私立探偵など、登場人物たちの言動も興味深い。というわけでまあまあ楽しめる作品だと思うのだが、訳者の評価は手厳しい。「訳者あとがき」によると「本書は、そのあまりに荒唐無稽な作風から、史上最低の探偵小説家という称号を冠せられたキーラー(18901967)による15冊目の長編小説」であり、「作者には登場人物の内面を丁寧に描こうなどという意図はハナからないようであり」、「ぞくぞくするような緊張感とも縁がないようで」、ということになる。

また「訳者あとがき」に引用されているキーラー協会のリチャード・ポルトの言葉によると、「キーラー作品の特徴は、不可解な事件、方言、科学的事実、奇妙な人名や場所が織り込まれていること」だそうだ。まさにそこがこの作品の魅力ではないだろうか。ミステリー通から見れば駄作かもしれないが、様々なミニ情報が盛り込まれた読み物と思えばいいのでは?(2018.6.20読了)


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by nishinayuu | 2018-09-13 09:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

読書と韓国語学習の備忘録です。


by nishinayuu