カテゴリ:読書ノート( 1133 )


c0077412_09492539.jpgВадимФролов』(ЧТО К ЧЕМУ, 1966

原題の意味は「何にどんなわけが」といった意味。訳者によると、ロシアでは一般的な表現であるが日本語では説明的になってしまうので、内容を考えて『愛について』としたのだという。しかし、こんなベタで色彩のないタイトルでは内容が伝わってこないのでは?ずっと昔読んで感動したことは覚えているが、内容は思い出せなかった(必ずしもタイトルのせいではないかも知れないが)。それで今回あらためて読んでみたところ、やはり素晴らしい作品だった。

語り手はレニングラードのアパートに住む14歳のサーシャ。前の年の夏、サーシャはひとりで遠いブスコフ州の小さな村に送り出され、楽しい毎日を過ごした。その間、両親は妹のニューラを連れて、黒海に行ってしまった。新学期が始まる間際にサーシャがレニングラードに戻ってきたとき、家にはパパしかいなかった。劇団員のママは地方公演に出かけていて、小さな妹のニューラはユーラ小父さん・リューカ小母さんのところで暮らしている、ということだった。男二人の暮らしが始まったサーシャの家へ、同じアパートに住む同学年の少女・オーリャがしげしげとやってきては、あれこれ世話を焼く。アパートにはいつもハンチングをかぶっているユルカという男の子もいて、サーシャは間もなくユルカと親友になる。ユルカの母親はとても美しく、姉はとても洒落た身なりの若い娘だったが、父親の姿はなかった。ユルカの母親には歳下の求婚者がいてよく訪ねてきていたが、アコーディオンが上手でまじめな働き者のこの青年をユルカは頑なに拒否していた。

思春期の少年たちの出くわす、あるいはしでかす様々な出来事がテンポよく綴られていくこの物語のトーンがある時点でがらりと変わる。劇団の公演ポスターを目にしたサーシャは、地方巡業から帰ってくるのを今か今かと待っていたママが、街へ戻っても家族のところへは戻ってこないという事実を突きつけられる。この時サーシャは学校でもやっかいな問題を抱えていたが、それはそれとして、ママはいったいどうなっているのか、とパパに尋ねることにした。大柄で達者でたくましかったパパに。そして今は酔っ払って眠ってしまい、眠りながら苦しげにため息をついているパパに。やがてサーシャは、ママを家族のところへ呼び戻すために、シベリアのイルクーツクへと旅立つのだった。

サーシャがナターシャにラブレターを書いたときに引用したハムレットの言葉(ACT5-SCENE2)をメモしておく。

(I loved Ophelia;)forty thousand brothers/ Could not, with all their quantity of love,/ Make upmy sum. 四万人の実の兄が、ありったけの愛情を注いでも、ぼくが愛したほどには、愛せるものか。(2018.4.17読了)


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by nishinayuu | 2018-06-15 09:53 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


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著者は1951年ベラルーシ生まれの詩人。1985年に出した最初の詩集でゴーリキイ賞を受賞し、ソ連邦崩壊後の1993年に来日。富山大学でロシア語、ロシア文化を講義するとともに詩やエッセイを発表し続けている(以上、本書の紹介記事より)。

本書は「ロシア的性格とその世界を最大限に含む、それだけに含蓄に富むいくつかのロシアの言葉についてのエッセイ」9編と1編の詩からなっている。

*Сад(サート/庭、庭園、果樹園)――ルーシ(ロシアの古名)における庭の意味と歴史。祖父母の庭にあったアントーノフカ(りんごの名)の樹下で過ごした至福の時。

*Родина(ロージナ/母国、祖国、生まれ故郷、ふるさと)――「小さな祖国こそが、大きな祖国よりはるかに大きい。なぜなら詩人の生まれ故郷であるベラルーシの田舎町ベルィニチは受け取る手紙の消印からわかるのだが、今でも存在している。わが大きなロージナであるソ連邦はぜんぜん跡形もないのだ。」

*Няня(ニャーニャ/乳母)――プーシキンの乳母として有名なアリーナ・ロヂオーノヴナ・ヤーコヴレワとは違って全く無名の、詩人たちの乳母兼お手伝いさんが主人公。詩人の父親が「三の九倍の彼方の国から連れてきた」マリアーナは子どもたちを「奇妙な、純粋にロシア的なやさしさと残忍さの混ぜ物でもって慈しみ育んでくれた」。

*Тоска(トスカ/ふさぎの虫、憂鬱、もの悲しさ)――「ロシア人なら誰でも、トスカがいかなるものか承知している。トスカについては、わが国の何百人もの作家が書いてきた」と書き出した詩人はさまざまなトスカの例をあげ、分析する。そしてこんなことを言い出す。「一つわからないことがある。なぜロシアはこれまでロシアと呼ばれて、トスカーナではなかったのだろう?わたしたちは確たる根拠に基づいて、イタリア人にこの名称を要求することができるのではないか」と。

*Простор(プラストール/何もない空間。空漠。果てしない広がり)――「茫々」と題する詩。

*Гармонь(ガルモーニ。愛称ガルモーニカ/アコーディオンのことで、ロシア民謡c0077412_10230145.jpg『春に』の日本語訳ではガルモーシカとなっている)――「あるナチュラリストは人間を羽のない鳥と定義した。しかし鳥の雄が身につける鮮やかな装いや声に比べれば、人の男性はひどく見劣りがする。そこでロシアの村の強き性(つまり男)たちはアコーディオンを身につけたのだ。胸に聳える、響きも高いアコーディオンはどんなに冴えない貧相な男にも、豪華な羽毛と未曾有の声帯を与えてきたのである。」

*Эакат(ザカート/夕日、日没、落日、夕焼け、その刻限)――宏大で長い時間続くロシアの幻想的な落日を礼讃する章。ザカートが享受できるロシアに生まれたかったと思えてくる。

*Дача(ダーチャ/郊外の小さな別荘。終末に農作業などにいそしむ)――タタール人を祖父に持つ友人イリヤーと、モスクワ郊外のヴヌーコヴォにあったダーチャの思い出。

*Брат(ブラット/兄または弟。仲間。朋輩)――母親に言わせると「ルパーシカを着て生まれた」幸運児の詩人。その詩人のあとをついて回っていた弟のワレンチーン。弟へのやりきれない思いと深い愛情の交錯する「兄弟に関する考察」。

*Рыцарь(ルィツァリ/騎士)――『葉隠――さむらいの書』とロシアの『青年の鑑』をもとにしたロシアと日本の比較論考。

宏大で複雑なロシアという国。そこに暮らすつかみ所がないようでいてどこか親しみも覚える人々。手元に置いて何度でも読み返したい魅力に溢れる一冊である。2018.4.12読了)


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by nishinayuu | 2018-06-10 10:26 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_11421960.jpg『闖入者』(モンロー)

本作は『サキ全集』の「TheToys of Peace」の1編。

舞台は東部カルパチア山地にある広大な山林。狩猟に適した野獣の宝庫であるこの山林は、かつて所有権をめぐって裁判が行われ、大地主のグラドヴィツ家が正統な所有者として認められた。しかし訴訟の相手だった小地主のズネーム家はその裁判結果を受け入れず、両家は3代にわたって争い続けている。その争いは今や土地争いの域を超えて、互いに相手の不幸を願うという個人的憎悪にまで発展している。

ある冬の夜、グラドヴィツ家の当主はライフルを手にして、数人の部下とともに領地の外れをパトロールしている。彼が耳を澄まし、目を凝らして待ち構えているのは野獣ではなく、ズネームとその部下たちだ。風の強い夜なのに、いつもなら茂みに隠れているはずの牡鹿たちが駆け回り、眠っているはずの獣たちもなぜか落ち着かないのは、密猟者が入り込んでいるからに違いないのだ。今日こそは決着を付けてやる、という思いでグラドウィツは、部下を山の上に潜伏させて、一人で麓の深い森に降りていく。そして、いきなりズネームと出くわしてしまう。ズネームも部下と離れて一人きりだった。

二人は銃を向け合ってにらみ合うが、やはりそう簡単には発砲できずにためらっているうちに、風に煽られて倒れてきた橅の大木の下敷きになってしまう。二人とも怪我をして身動きもできないまま、このときとばかり積年の憎しみをぶつけ合う。が、やがてどちらも部下たちの助けを待つしかない身であることに気づくと同病相憐れむ気持ちが起こる。徐々に相手への憎しみは薄れていき、ついには仲直りをして世間を驚かせてやろう、ということで一致するに至る。

そこで二人は声を合わせて部下たちを呼ぶ。どちらの部下が先に来ても、まず相手を助けさせてから自分も助けてもらう、と心に決めて。やがて遠くにいくつかのシルエットが浮かび上がり、こちらに向かって力強く走ってくるのを目にしたグラドウィツは、目に怪我をして何も見えないズネームに、9人か10人のようだ、と教える。じゃあ、そっちの部下たちだな、こっちは7人しか連れてきていないから、とズネーム。が、近づいてくるシルエットを見つめていたグラドウィツは、いきなりばかのように笑い出す。恐怖に戦慄しながら。

巧みな語り口とブラックな結末という「サキらしさ全開」の作品。(2018.4.13読了)


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by nishinayuu | 2018-06-05 11:44 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


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『おばあちゃんは死なない』(孔枝泳、2017

著者は『私たちの幸せな時間』などで知られる現代韓国の代表的作家の一人。

本書は2001年から2010年にかけて発表された作品を収録した作品集で、以下の5作品が収録されている。

월춘 장구(越春装具)」(「作家世界」2006年夏号)

할머니는 죽지 않는다(おばあちゃんは死なない)」(「文学思想」20018月号)

우리는 누구이며 어디서 와서 어디로가는가(我々何者どこからてどこにくのか)」

(「今年の問題小説 2000年」、200121世紀文学賞受賞)

부활 무렵(復活祭頃)」(「創作批評」2001年夏号、2002年韓国小説文学賞受賞)

맨발로 글목을 돌다(裸足文章路地)」

(「文学思想」201012月号、2011年李相文学賞受賞)

作中には作者がたびたび実名で登場する。作者の自分への評価は辛辣であるとともに実に正直で、あるときは堂々としているように見え、あるときはひどく弱々しく見える。また、実名で登場していない作品にも作者の実生活や体験が反映していると思われ、全体的に自伝か私小説のようにも読める。

一方、キリスト教徒である作者は、しきりに聖書の句節(ヨブ記、詩編など)を引用するが、オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)、プリーモ・レーヴィ(Primo Levi)、ヴィクトール・フランクル(Viktor Frankl)への言及も際立つ。彼らはある日とつぜん理不尽に身柄を拘束された人たちであり、その理不尽さを運命として引き受けることによって苦痛に耐えて生き延び、解放されたあとで記録を残した人たちである。「裸足で文章の路地を廻る」に登場する蓮池氏(作中ではH氏となっている)も同じである。作者が蓮池氏と初めてであったときに長年の知己のように感じたのも、作者自身も同様の体験を持ち、それを記録してきた人だからだ。すなわち本書は、苦痛と運命について探索した作品集であり、苦痛の中にいる人々への哀れみと共感に満ちた作品集なのである。作者の自伝や私小説風に見えて、実は苦しみを知るあらゆる人々を主人公とする作品集なのだ。

どの作品も興味深い内容と巧みな語り口で読ませる。「裸足で文章の路地を廻る」は再読だが、今回もまた感慨深く読んだ。ただ一つ残念なのは、욕심쟁이 거인わがままな大男)とすべきところが키다리 아저씨あしながおじさん)となっている点。前者はオスカー・ワイルドのThe Selfish Giantであり、後者はジーン・ウェブスターのDaddy-Long-Legsなので、作者のうっかりミスだろう。それにしてもこんなミスを見逃すとは、校正・校閲がお粗末すぎるのでは?(2018.4.4読了)


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by nishinayuu | 2018-05-26 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


c0077412_09095584.jpgThe Irresistible Inheritance of Wilberforce

Paul Torday,2007

「僕はあたふたとタクシーから降りた。ちょっと落ち着こうと身体を後ろに揺らすと、タクシーの側面にもたれて空を仰ぐのがいちばんバランスを保ちやすいとわかった。空はくっきりと黒く、星がいくつかきらめいていたが、昔ほどたくさんは見えなかった。いったん見上げると、今度はどうも下を向けない。」

こんな書き出しで物語は始まる。いったいどうなっているのかと思って読み進めると……

語り手はタクシーで乗り付けた店でシャトー・ペトリュスの1982年物という高級ワインを注文する。身なりやら言動から語り手の支払い能力に不安を覚えた店側から、クレジットカードの写しを取らせていただきたい、と言われる。すると語り手は、クレジットカードは使わないんでね、と言ってポケットから丸めた札束を取り出してトレイに置き、使った分だけ取って店を出るときに残りを返してください、と言う。そのとき語り手は、タクシー料金15ポンドを支払う際に運転手に100ポンド紙幣をやってしまったことに気がつくが、別に慌てることもなく、おもむろにワインを楽しみ始めるのである。

語り手によると、ここ数ヶ月バランス感覚が悪くなり、ひどく汗をかくようになり、ワインを飲んでいないと過去の出来事のつらい記憶がつい浮かんできてしまう(たとえば、この段階ではまだ明かされていないが、語り手は車の事故で妻を失っている)。ワインを飲むと穏やかで冥想的な、時には敬虔な気分にすらなれる語り手は、気づかないうちに鼻歌を歌っていて注意され、店中の注目の的となり、客達の会話の断片に傷ついて立ち上がって妻の姿を探し、そのまま床に倒れ込んでしまう。そう、この物語の語り手はアルコール中毒症なのだ。

物語は2006年から始まり、2004年、2003年、2002年、と過去に遡りながら綴られていく。語り手は愛情の薄い養父母に育てられ、友人もできない孤独な少年だったが、卓越した数学的能力のおかげで、若くしてソフトウエア会社の立ち上げに成功し、彼なりに充実した日々を送っていた。そんな彼がふとしたことからワイン収集家と知り合い、上流階級の青年達との交流に目覚め、美しい女性を婚約者から奪って結婚する。この頃はすでにウィルバーフォースはワインの迷宮にすっかり迷い込んでしまっていた。冒頭のような状態に到るまでの彼の歩みを逆に辿るあいだ、読者にはつねに彼の行き着く先が見えているのがなんともつらい。

語り手をワインの迷宮に誘い込んだ張本人フランシス・ブラックとは何者か。そもそもフランシスはなぜ語り手に興味を抱いたのか。そして語り手の方もなぜフランシスに惹きつけられたのか。これに関する暗示的な言及がさりげなく文中に埋め込まれているが、暗示されているだけで断定はされていないのがニクイ。特にワインに興味はなくても、あるいはワインの味はわからなくても楽しめる、実に味わいのある作品でした。(2018.3.25読了)


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by nishinayuu | 2018-05-21 09:15 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_10333460.jpgIl mosaico deltempo grande』(Carmine Abate, 2006

南イタリアの七つの州にはアルバニア系住民アルバレシュの共同体が50もあり、そのうち33が半島の長靴の先に位置するカラブリア州に集中している。アルバレシュの祖先は15世紀の初めから18世紀後半までにオスマン帝政下のアルバニア(当時の名はアルベリア)からイタリアに逃れてきたキリスト教徒たちだという。

本書にはアルバレシュの架空の共同体「ホラ」を舞台に繰り広げられる三つの世代の三つの恋物語が描かれている。それはアントニオ・ダミスとドリタの物語、ミケーレとラウラの物語、そしてジャンバッティスタ・ダミスとエレオノーラ(美しきロッサニーザ)の物語、という順に語られるが、時系列においては最も古いのが15世紀のジャン・バッティスタの物語、次が20世紀のダミスの物語で、最後がミケーレの物語となる。これらの三世代の人々の物語が、時と所を行ったり来たりしながら複雑に絡み合って進行していく。耳慣れない地名や人名、さらにはカタカナ表記されるさまざまな言語などのせいで、3分の1ぐらい読み進まないと全容が見えてこないのがもどかしいが、そのもどかしさが薄れる頃には魅力溢れる物語の世界にすっかり取り込まれている。

以下に主要人物をメモしておく。

*ヅィミトリ・ダミス(5世紀前に人々を引き連れてカラブリアにやって来た最初のパパス=正教会神父)

*ヤニ・ティスタ・ダミス(ヅィミトリの長男。苦難の中にいる同胞を救うためにアルバニアのホラへ旅立ったが、結局トルコ兵に捕らえられ、生きたまま皮をはがれて死んだ)

*コントラニ・ダミス(ヤニ・ティスタ・ダミスの次男で二人目のパパス)

*ジャンバッティスタ・ダミス(コントラニの息子。三人目のパパス)

*ゴヤーリ(モザイク工房の主。20世紀末に社会主義体制下のアルバニアから脱出した人々のうちの数少ない生き残りの一人。ホラの歴史をモザイク画で描き、若者たちに語って聞かせる、物語の進行役。本名はアルディアン・ダミサ)

*ミケーレ(大学を卒業したばかりの若者でゴヤーリに信服している。卒業祝いパーティを終えたらホラを出るつもりでいる)

*アントニオ・ダミス(ヅィミトリの直系。若い頃はミケーレの父親の親友だった。アルバニアの「ひとつめのホラ」へのあこがれから故郷を離れ、やがてブリュッセルへ、さらにアムステルダムへ)

*ドリタ(アルバニアの踊り子。ブリュッセルまで追ってきたアントニオと結婚する)

*ラウラ(アントニオとドリタの娘。レポートを書くためにカラブリアのホラへやって来てミケーレと知り合う)

*ゼフ(ラウラとともにホラにやって来た男の子。ラウラの甥)

*ツァ・マウレルア(アントニオの隣人だった女性。ラウラがアントニオの娘であると知りながら、ゼフのめんどうを見る)

*ロザルバ(ツァ・マウレルアの娘。ホラいちばんの美しい娘だったが、恋人のアントニオが去ったあとは家に閉じこもったまま)

『風の谷』や『ふたつの海のあいだで』と同様に、アバーテの登場人物たちは異邦人に惹かれて遠くへ旅立つ。そして故郷を憧憬し続ける。(2018.3.25読了)


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by nishinayuu | 2018-05-16 10:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_10330001.jpgThe Blackwater Lightship』(Colm Tóibín, 1999

本作は作者トビーン(19955~ )の第4作目の小説。舞台はアイルランド東南、ウェクスフォード州のエニスコーシーとその周辺。主人公ヘレンの祖母の家があるクッシュは海岸沿いの崖の上にあり、そこからはタスカー燈台の明かりが見えた。久しぶりに祖母を訪ねたヘレンがこの燈台の明かりを見た場面の描写が印象的だ。

何かが目の片隅に入ったことに彼女は気づき、振り向くと再び見えた。遠くに閃く灯台の明かり、タスカー・ロックだった。立ち止まって、見て、次の閃光を待った。だが、戻ってくるまでちょっと時間がかかった。再び彼女は待った。夜のリズムが腰を据えた。

かつてこの土地にはもうひとつブラックウォーター灯台船という灯台があったが今はもうない。船があまり行き来しなくなって灯台は一つで事足りるようになったからだろう。二つの灯台について、やはり久しぶりに会った母のリリーがヘレンに次のように述懐する場面も印象的だ。

小さかったとき、おばあちゃんの家のベッドに寝ていて、私はタスカー灯台は男、ブラックウォーター灯台船は女だって信じていたの。ふたつは互いに、それから他の灯台にも、恋歌のように信号を送り合っているのだと信じていたの。()私は彼らがお互いに呼び合っているんだと思っていたの。

リリーの夫、すなわちヘレンの父が急死したとき、リリーとヘレンは完全に心が離れてしまった。リリーは夫の死を受け入れることで全力を使い果たし、祖母の家に預けられたヘレンと弟のデクランは母に見捨てられたと思い込んだ。祖母と母の間、祖母と姉弟の間にも気持ちの行き違いがあって親子孫3代が疎遠のまま年月が流れたが、ある日デクランが皆に助けを求めたことから、祖母・母・ヘレンの3代の女達がやむなく顔を合わせることになる。

後半はデクランのすさまじい闘病と、献身的にデクランを支える友人達と祖母・母・ヘレンが互いに心を開いていく過程が描かれていて、強く心に残る作品である。(余分な主語や代名詞が頻出するかなり読みにくい訳文なので最初は引っかかりましたが、だんだん気にならなくなりました!)(2018.3.7読了)


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by nishinayuu | 2018-05-06 10:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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The Light BetweenOceans』(M. L. Stedman, 2012

物語の主要舞台はオーストラリアの西南端に位置するパルタジョウズの町と、そこから160㎞離れた海に浮かぶ岩山、ヤヌス・ロック。時は第1次大戦終戦から間もない1920代から1950年まで。


ある日、ヤヌス・ロックの灯台に一人の男が赴任してくる。前任者が孤島の灯台守という過酷な環境で心身ともに衰弱したためだった。新任の男は悲惨な戦争体験による心の傷を抱えたトム・シェアボーン。任期は次の交代のある3ヶ月後までの予定だった。が、トム・シェアボーンはヤヌス・ロックと燈台に魅了され、燈台の光を灯す仕事に打ち込むことで心の平安を見いだしていく。やがてパルタジョウズの町で知り合った女性と結婚したトム・シェアボーンは、次の交代要員がいないために任期が延長されたこともあって、ヤヌス・ロックの灯台守として妻と二人で幸せな日々を送っていた。

そんなある日、島にボートが流れ着く。そこには息絶えた男の傍らで泣き叫ぶ、生後間もない赤ん坊の姿があった。灯台守としては当然この事実を届け出なければならない。しかしここで、男児を死産したばかりの妻が彼に懇願する。届けるのをやめてこの子を自分たちの子どもにしよう、と。このとき妻の懇願に屈した彼の間違ったやさしさが、この後の夫婦と子どもに、さらには子どもの実母に苦悩の日々をもたらすことになるのだった。主な登場人物は以下の通り。

トム・シェアボーン/イザベル(愛称イジー、トムの妻)/ルーシー(ボートに乗っていた赤ん坊)/ラルフ(ヤヌス・ロックに3ヶ月毎に物資を運ぶ船の船長)/ブルーイ(ラルフの船の乗組員)/ビル&ヴァイオレット・グレイズマーク(小学校の校長夫妻、イザベルの両親)/セプティマス・ポッツ(幼くしてオーストラリアに連れてこられ、努力の末に資産家となった男)/ハナ・レンフェルト(ポッツの娘)/フランク・レンフェルト(オーストリア出身、ハナの夫)/グウェン・ポッツ(ハナの妹)/ヴァーノン・ナッキー(パルタジョウズ警察の巡査部長)

上記の人物はほとんどが「善い人」ばかり。なかでもトム・シェアボーンをはじめ、船長のラルフ、フランク・レンフェルト、ヴァーノン・ナッキーら男達のやさしさと思いやりが物語の過酷な展開の中で救いとなっている。また、男達はおおむね冷静で理性的に描かれているので、著者は多分男性だろうと見当を付けながら読んでいた(が、実は女性だったのでした)。

訳者が指摘しているとおり、燈台の島の名がヤヌス神から取られているこの物語には「善と悪」「生と死」「光と闇」「喪失と再生」「罪と許し」など相反する二つの事柄の間で惑う人々が描かれている。著者は幻想的で美しい自然描写とサスペンスのような展開で読者をぐいぐい物語世界に引き込み、最後に許しと平穏の世界を用意している。涙なしには読めない感動の大作である。(2018.3.5読了)

言葉に関するメモ――巡査部長のナッキーがトム・シェアボーンのことを「あの男は得体が知れない。マカデミアナッツのように口を閉ざしている」と評する場面がある。「貝のように」とせずに「マカデミアナッツのように」と(おそらく原文を生かして)訳してあるのがなかなかいい。


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by nishinayuu | 2018-05-01 10:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_09124790.jpgДневникМайдана』(Андрей Курков2014

副題に「国民的作家が綴った祖国激動の155日」とあり、20131121日(木曜日)から2014424日(木曜日)までの日記によって構成されている。初日は「今日の午前零時半にセヴァストーポリに隕石が落ちた」という記述に続いて、ヤヌコヴィチ政権の首相アザーロフがEUとの連合協定調印の準備作業を停止すると声明したことへの衝撃が綴られている。そして最後の日付には、著者の長編小説『大統領の最後の恋』のロシアへの搬入が禁止されたと出版関係者から連絡があったが、「国内は相対的に落ち着いている、つまりロシア軍はウクライナとの国境を越えていない」という記述がある。続いて前日は客人達を迎えて著者の誕生祝いを行ったこと、この日にキエフで開かれる会議にロシアから作家、批評家をはじめとする知識人達が何十人もやって来たこと、息子達の通う学校の保護者会に出席したことなどが綴られ、最後は「525日に予定されている大統領選挙は行われるのだろうか?行われる、そう信じたい。だが確たる自信はない」という言葉で終わっている。(大統領選挙は行われ、チョコレート王として知られる大富豪で親欧派のペトロ・ポロシェンコが当選している。)

著者はウクライナのキエフに住む作家で、1996年に発表した『ペンギンの憂鬱』が国際的ベストセラーになり、2014年にはフランスのレジオンドヌール勲章を受章している。国民的作家であると同時に、著作が25カ国語に翻訳されている国際的な作家でもある。民族的にはロシア民族なので、ウクライナ語話者でもあり、ロシア語話者でもある。キエフの属する西ウクライナの市民の多くがそうであるように親欧派で、その立場と考えを本書で明確に語っている。

本書にはウクライナ争乱の日々の出来事が事細かに記録されているので、遙か遠くの国・ウクライナが現実感をもって迫ってくる。ただし、記述があまりに詳細なので、予備知識がないと消化しきれない。私の予備知識は、2004年の大統領選挙戦でユシチェンコ(ものすごくハンサムだった)が政敵に毒を盛られて顔がぼろぼろに崩れてしまったこと、同じ時期の政治家ティモシェンコ(この人もすごい美人)が贈賄と殺人の罪で起訴され、刑務所病院に監禁されていることくらいだったから、それから後の時期を扱っている本書の内容は実はほとんど消化できなかった。それでも何とか理解できたいくつかの言葉・事項を今後のために書き留めておくことにする。

*ユーロマイダン――EU派市民による親ロシア派大統領ヤヌコヴィチへの抗議デモ。「マイダン」は「広場」という意味だが、広場に集まった人々が繰り広げる市民運動もマイダンと呼ばれる。マイダンはもともと地域の代表的な広場を指し、キエフではマイダンと言えば「独立広場」のこと。この広場を中心にEU派市民による抗議デモが広がっていった。

*ウクライナ内戦――東ウクライナのクリミア・ドネツィク・ルガンスクの各州で激化した「反ウクライナの政府組織+親ロシアの分離派武装勢力+ロシア軍」対「ウクライナ政府軍」の軍事衝突を、「ロシア軍は関与していない」という立場をとるロシアはこう呼んでいる。

*東ウクライナと西ウクライナ――ウクライナはドニエプル川を挟んで東部と西部に分かれている。どちらの市民も大多数は民族的にはロシア人だが、東には親ロシア派が多く、西には親ヨーロッパ(親EU)派が多い。東はウクライナを離れてロシアへ帰属することに抵抗がないが、西は東も含めた一つのウクライナを堅持したい。というのも、資源の豊富な東が分離してしまうと、チェルノブイリという負の資産を抱えた西ウクライナだけでは国として立ちゆかなくなるからだ。EUとしてもウクライナ全体なら歓迎だが、西だけというのは困るのだ。

ウクライナは依然として不穏な情勢が続いている。本書から垣間見える著者一家のちょっと優雅な暮らしが末永く続くことを祈りたい。(2018.2.28読了)


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by nishinayuu | 2018-04-26 09:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)


c0077412_09131167.jpgRemise dePeine』(Patrick Modiano1988

本作は、ひとりの少年が自分を取り巻く世界の情景や人々を断片的に綴るという形で展開していく。個々の出来事や人物が、そのときどきに周囲から切り離されたように浮かび上がり、やがてふっと消えていく。まるで、街灯の回りだけが明るい霧のかかった街を歩いているかのようで、道も全体の状況もよく見えないのに、光の当たっている一点だけが鮮明なのだ。

物語は次のように始まる。

「それは、芝居の巡業がフランス、スイス、ベルギーはおろか、北アフリカまでかけまわっていた頃のことだ。ぼくは十歳だった。母はある劇団の地方巡業に出かけていたので、弟とぼくはパリ近郊の村にある母の友人たちの家に住んでいた。」

このあと語り手はその二階建ての家について、庭(そこにはギロチンに名を残すギヨタン博士のお墓があった)の様子や、室内の家具調度を細々と描写したあと、家の前のドクトゥール・ドルデーヌ通りについても細々と描写する。この細々とした描写が曲者で、建物の大きさやそれぞれの位置関係、距離や方向などの情報が欠けているので、全体像がつかめない。(略図を書きながら読んだが、3ページほどのこの冒頭部分だけで20分ほどかかってしまいました!)この後も所々にこの地域についての描写があるので、全体像は少しずつ補完されていく(というわけで何度も略図を修正しました)。

同じ事が登場人物の描写についてもいえる。登場人物たちは、はじめはただ「母の友人」であり、そのうちひとりひとりの特徴と語り手や弟への接し方などで区別できるようになる。が、彼らが何者なのかはずっと後になるまで不明のままだ。実は彼らは語り手の父親を含めて、子どもたちには知られてはいけないことをやっていたのであり、彼らにも彼らなりの「物語」があったのだ。彼らのすぐそばで、彼らに可愛がられながら無邪気な日々を送っていた語り手は、それでも振り返ってみればいろいろ「おかしなこと」に気づいてはいたのだ。

言ってみれば、曖昧模糊の美しさに溢れていてまるでフランス映画を見ているような気分になる作品である。(2018.2.15読了)


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by nishinayuu | 2018-04-16 09:19 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

読書と韓国語学習の備忘録です。


by nishinayuu