『The Wrong Set abd Other Stories』(Angus Wilson,1949)本書に収録されているのは12編の短編であるが、一つ一つの短編の中身は驚くほど濃い。しかも本書は〈原文は見ていないのでわからないが〉改行が極端に少なく、どのページも隙間なく文字で埋め尽くされているので、とにかく読みでがある。 表題作「悪い仲間」の登場人物と結末を記録しておく。
*ヴァイ・コーストン(ユニコーン・クラブのピアニスト。郷里はレスター)*テリー(ヴァイの同僚のピアニスト。同性愛者で、だからこそ女性客が寄ってくる)*ポントレゾーリ(クラブの主人。イタリアなまりのだみ声の持ち主)*リピアット夫人(テリーのスポンサー。テリーよりずっと年上の老女)*トレヴァ・コーストン少佐(ヴァイの夫で失業中。パブリック・スクール出身。ユダヤ人や外国人、労働党政府やロイヤル・バレェ団などをことごとく嫌っている)*モウナ(同性愛の女性。ヴァイが金欠だったとき援けてくれた)*ソロモンズ青年(ユダヤ人。その微笑にヴァイはいつもしびれる。医療切符に絡んで告訴される)*アイヴィ・ハケット(ヴァイの姉。息子がロンドン大学の奨学生になった時、息子の世話をヴァイではなくよその家に頼んだ)*ノーマン(アイヴィの息子。ヴァイにとってはロンドンにいるただ一人の身内)*ミセス・サーズビー(ノーマンの下宿先の主婦。家には本がいっぱい。息子二人は共産党員。夫は良心的参戦拒否者)*ミス・ウンターマイヤー(サーズビー家に同居している亡命者。ノーマンにドイツ語を教えている。労働党政権支持者)*ガーティ(クラブのバーの女)*ブルターニュ女(モウナがくっついて行ってしまった情熱的な女) ヴァイの目につくのはブルターニュ女や赤や頭に血が上った連中ばかりだし、ノーマンまでがデモに行くし(…)モウナの友だちにすすめられてヴァイはレスターに住む姉に電報を打つ。メイフェアあたりの上流婦人のことばづかいで。「シンツウニタエズ ノーマンワルイナカマトツキアウ ヴァイ」 著者アンガス・ウィルソンは1913年にイングランドで生まれた。父親はスコットランドの素封家の出で、母親はイギリスの植民地だった南アフリカ連邦の裕福な宝石商の娘だった。著者が生まれたころは父親が働くことをせずに遊び暮らしていたため、家計はひっ迫していた。また父親は植民地出身の妻を自分より身分の低い者とみなしていてアンガスにもそう教え込んでいたらしい。本書の短編作品にはそうした著者の家庭環境や生い立ちが反映されている(巻末の「解説」より)。(2023.12.29読了)]]>『ヨガに行ってきました』(シン・ギョンスク/申京淑、2022,dalpublishers)http://nishina.exblog.jp/33262975/2024-02-18T10:32:00+09:002024-02-18T22:10:38+09:002024-02-18T10:32:54+09:00nishinayuu読書ノート
2023年9月3128日~11/22日に見た映画とドラマの覚え書き。1~2行目:タイトル(原題)制作年、制作国、監督(鑑賞日)2~3行目:キャスト、それ以降:一言メモ画像は「ペーパー・ムーン」
小説家を見つけたら 2000米 ガス・ヴァン・サント(11/22)原題は「Finding Forrester」ロブ・ウラウン、ショーン・コネリー、マーリー・エイブ、アンナ・パキン、マット・デイモン文才のある黒人少年と隠遁生活を送る伝説的大作家の交流を描いた感動的(感動を狙った)ドラマ。ポルトガルの女 (A Portuguesa)リタ・アゼベード・ゴメス(11/18)クララ・リーデンシュタイン、マルセロ・ウルジェージェ、イングリット・カーフェン、リタ・デュラオ、ピア・レオン北イタリアの古城の主のもとに嫁いできたポルトガルの若い女性は、戦場を駆けまわる夫を10年以上待ち続ける。周りの人々はその城を彼女の墓場とみなすが、当人はその生活は自分が選び取ったものだとして頑なに城に居続ける。絵画的映像が印象的な歴史ドラマ。原作はロベルト・ムージルの小説。白い春 2009 日本のTVドラマ 脚本=尾崎将也 (11/1)阿部寛、大橋のぞみ、吉高由里子、遠藤憲一、白石美帆阿部寛が元やくざ、遠藤憲一が娘にめろめろの真面目なパン屋――と見た目とは逆の役を完璧に演じている。ペーパー・ムーン(Paper Moon)1973米ピーター・ボグダノヴィッチ(10/31)ライアン・オニール、テイタム・オニール、マデリーン・カーン、ジョン・ヒラーマン聖書を売り歩く詐欺師の男と、母を亡くした9歳の少女が詐欺道中を続けるうちに次第に心を通わせていき、最後はタッグを組むことになるというオニール父娘共演のロード・ムービー。原作=ジョー・デヴィッド・ブラウンの小説『アディ・ブレイ』。映画公開後、原作タイトルも『ペーパー・ムーン』に変更された。生きる(Living)2022英 オリバー・ハーマヌス(10/25)ビル・ナイ、アレックス・シャープ、エイミー・ルー・ウッド、トム・バーク黒澤明映画のリメイク。脚本=カズオ・イシグロ。いかにもイギリス、いかにもカズオ・イシグロという感じの作品。エイミー・ルー・ウッドがいい感じ。理由なき反抗(Rebel Without a Cause)1955米ニコラス・レイ(9/30)ジェームズ・ディーン、ナタリーウッド、サル・ミメオ昔見た時はただの不良たちの話だと思ったが、実は主人公の成長とともに親たちも成長する物語でした!主人公のひとりプレイトウの素性が十分に描かれていないので、その存在がちょっと邪魔な感じ。グリフィス天文台が印象的。カサブランカ(Casablanca)1942米 マイケル・カーティス(9/28)ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン、ポール・ヘンリード、クロード・レインズ何度も見ているがまたまた感動。バーグマンもボガードもいちばん 輝いていたときではないだろうか。多分クロード・レインズも。]]>『人はすべて死ぬ』(ボーヴォワール、訳=川口篤+田中敬一、人文書院)http://nishina.exblog.jp/33254145/2024-02-08T17:49:00+09:002024-02-08T17:49:18+09:002024-02-08T17:49:18+09:00nishinayuu読書ノート『Tous les hommes sout mortels』(Simone de Beauvoir,1946)1908年にパリで生まれた著者はサルトルと並び実存主義作家の代表として活躍し、1949年には代表作となる『第二の性』で一躍注目を浴びて現代フェミニズム運動の先駆けを担った。その後1954年に『レ・マンダラン』でゴンクール賞を受賞し、フランス文壇の第一線で活躍を続けた。本作はプロローグ、第一部~第五部、そしてごく短いエピローグで構成された長編小説。プロローグの主人公は舞台女優のレジーヌ。大女優を目指していて、ライバルになりそうな女性たちや、彼女たちに興味を持つ男たちが許せない。自分だけは後世まで語り継がれる存在でありたいと願っている。そんな彼女が地方巡業の際に滞在していたホテルで、庭のデッキ・チェアに何日も座り続けている男を見かけて興味を持つ。男の上着のポケットにはセーヌ・アンフェリゥールの精神病院で発行された証明書が入っていた。記憶喪失症でレイモン・フォスカとなのっているその男は一か月前に釈放されたという。第一部から第五部にまたがる主要部分の主人公はレイモン・フォスカ。「死にたいと思っても死ぬことができない、この世に永遠に存在する」男・フォスカが語り始める。……わたしは、1297年5月17日に、イタリアのカルモナの屋敷に生まれた……カルモナの主人だったフランソワ・リエンチは弟のベルトラン・リエンチに毒殺され……15歳の時ベルトラン・リエンチはピエール・ダブルッチに刺殺され……侵攻してきたジェノワ人がピエール・ダブルッチを刺し殺して、カルモナはジェノワの支配下に置かれた……と続いていき、1311年2厚12日の午後2時、ジェノワの使者を送ていく道すがらわたしの家の窓の下にさしかかったジョッフロウ・マッシグリの心臓を一本の矢が射ぬいた。わたしはカルガモ一の射手だったのだ。その夜、わたしはカルガモの王となった。こうしてフォスカは自分が関わった13世紀から現代に至る歴史上の事件を語っていく。カルモナの歴史に始まり、北米大陸探検、シャルル5世の神聖帝国樹立の野望、コルテスの中南米征服、宗教戦争などが「死なない男」の体験として描かれていく長大な歴史絵巻なのだ。 ボルヘスの『不死の人』を読み終わって本棚を見渡したら、『人はすべて死ぬ』が目にとまった。(なんだか愉快な組み合わせ。)こちらはボルヘスと同じころに購入したシリーズの一冊である。わが学生時代は実存主義全盛時代で、なかでもボーボワールはとっつきやすかったので積読にはならなかった。装丁も気に入っていたから手放すことなく今に至っている。内容はすっかり忘れていたが、なぜか主人公の名フォスカだけは鮮明に記憶に残っていた。さて再読し始めると、耳慣れない言い回しやことばの古さが気になった。たとえば――(彼女は、さも厭らしそうに、野暮くさい家具と、白麻の壁の布を眺めた)(衣紋かけには、フラノの上着がかかっていた)(彼女は着物をぬぎ始めた)などなど。が、これは読み進めていくうちに全く気にならなくなった。奇想天外な人物設定によって、歴史上の事件や人間模様を事細かくに語ることに成功した魅力あふれる作品である。(2023.12.14読了)]]>『不死の人』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス、訳=土岐恒二、白水社)http://nishina.exblog.jp/33246628/2024-02-03T11:37:00+09:002024-02-03T11:37:32+09:002024-02-03T11:37:32+09:00nishinayuu読書ノート『El Aleph』(Jorge Luis Borges,1957)本書は1960年代後半に白水社から出されたシリーズ「新しい世界の短編」の1冊。当時少し背伸びをして購入したせいか、そのまま積読状態となっていたものを、処分する前に目を通そうと思い立って読んでみた。そしてわかったのは、訳者が解説で述べているように「作品のいたるところに文学的・歴史的・神話的・民族的言及が、あたかも騙し絵のように隠されていて、それに気づいた読者が、その隠された意味を確認すべく辞典を開いたとしたら、その瞬間から彼は膨大な文献の山の中に埋もれてしまい、永久に作品の最後に到達できなくなるかもしれない(…)例えば『ザーヒル』のように表題そのものが謎のことばであって(…)ボルヘスにおいて、謎は韜晦からではなく学殖から生み出され、曖昧な記述によってではなく論理的な思考によって深められて、精神の迷宮へと飲み込まれてゆく」ということだった。積読状態のまま時が経ってしまったのもむべなるかな、と納得した次第。17の短編からなる本書の原題は「アレフ」、すなわち集中最後の作品からとられたものだが、「本書のタイトルはこのなじみの薄いヘブライ語を避けて、冒頭の一編の表題をそのまま全体の表題とした」という訳者の断り書きがある。収録作品のうち、なんとか理解できた(ような気がする)作品は以下の通り。*不死の人――不死が人間に及ぼす効果を主題とした作品。1929年のロンドンで、スミルナの好古家ヨセフ・カルタフィスなる者からリュクサンジュ公女が買い上げた『イリアッド』にはさまれていた原稿の訳文、という形になっている。*死人――ベンハミン・オタロラはピストルの弾丸に当たって死んだ。彼を殺したアセベド・バンディラにとって、オタロラは始めから死人だったのだ。*戦士と囚われの女の物語――ローマを守って死んだ蛮族の男ドロクトゥルフトの物語と、インディオに連れ去られてインディオとして生きたイギリス女性の物語。*エンマ・ツンツ――本書の中で非幻想的なのはこの作品と「戦士と囚われの女の物語」の2編だけ。父親を死に追いやった男を、周到な準備の末に殺す若い娘の物語。*ドイツ鎮魂曲――著者によれば「ドイツについて何も知らないわが『親独家』たちが、悲しむことはおろか、せめて推測することさえ知らなかったドイツの運命を、理解しようとするもの」である。*二人の王と二つの迷宮――アラブの王を迷宮でさまよわせたバビロニアの王が、後にアラブの王によって捕えられ、砂漠という広大な迷宮に置き去りにされる。*期待――ある政治記録からヒントを得た作品。「その記録の主題はトルコのものであるが、もっと理解しやすいように、イタリアのものに変えた」と著者は言う。*敷居の上の男――著者によると「ブエノスアイレスのパラナー街を散歩するときしばしば瞬間的に瞥見される長屋の奥の光景を仕立て上げたもので、その真実味の薄い物語を少しでも納得できるものにするために、インドに舞台を設定した」とか。*アレフ――アレフはヘブライ語アルファベットの最初の文字の名称で、ヘブライ心理学においてその文字は無限定にして純粋なる神聖を表す。集合論におけるアレフは「全体はどの一つの部分よりも大きくない」という超限数の記号である。本作のアレフとは、語り手のボルヘスが1941年の10月のある日、カルロス・アルヘンティノの家の地下室で対面させられた物体である。それは「光り輝く直径2,3センチの玉虫色の球体」で、「あらゆる角度から見た、地球のあらゆる場所が、まじりあうこともなく集まっている場所」であり、「その中に宇宙空間がそっくり原寸大のままある物」だった。自分の家も自分の腸までも見てしまった語り手は、しかし自分の見たアレフは偽物で、本当はもう一つのアレフがある、あるいはあったと、また別のアレフについて語っていく。(2023.12.3読了)]]>『ムーミン谷の冬』(トーベ・ヤンソン、訳=山室静、講談社青い鳥文庫)http://nishina.exblog.jp/33237132/2024-01-29T10:34:00+09:002024-01-29T10:34:52+09:002024-01-29T10:34:52+09:00nishinayuu読書ノート『Troll vinter』(Tove Jansson,1957)物語は次のようにはじまる。空はほとんど真っ黒でした。でも、月の光を浴びて、雪がきれいな青い色に光っていました。(…)山のほうに向かって、谷間がゆるやかにのぼっていくあたりに、雪にうずまった一軒の家がたっています。(…)家の中の広間にはムーミン一家のものたちが、長い冬の眠りにはいっていました。(…)いつでもみんなは、11月から4月まで冬眠するのです。(…)お月様の光が、ゆりいすからテーブルのほうにうつり、それからベッドのはしの、しんちゅうのとってをこえて、まっすぐに、ムーミントロールの顔をてらしました。(…)とたんに、いままでついぞおこったことのないことがおここりました。ムーミントロールがめをさまして、それっきり、もうねむれなくなてしまったのです。こうしてムーミントロールの長い冬が始まる。ムーミンがであった面々を、登場順に挙げると*サロメちゃん――台所の調理台の下にいた小さな生き物。きらわれもののヘムレンさんを、ただひとり心から愛する「はい虫」。*子リス――ムーミンが西のほうの海辺でであったバカな子リス。どんなことも長くは覚えていられない。*ちびのミイ――ボール箱に寝ていて子リスに起されたやんちゃ娘。ボール箱を箱ぞりにして氷の坂をすべりおりる遊びを始める。*おしゃまさん――冬の間ムーミン家の水浴び小屋に住んでいる年齢不詳の女の子。赤地に黒い横じまのセーターを着ている。*八匹のとんがりねずみ――水浴び小屋に住んでいるはずかしがり屋の動物たち。*白い雪の馬――おしゃまさんが作ったもの。死んだ子リスを背中にのせて去っていった。*モラン――氷のかたまりのようなおばあさん。*氷姫*ご先祖様――ムーミン屋敷の大きなストーブの上に住んでいるトロール。*やせ犬のめそめそ、フィリフィヨンカ、ホムサ――ムーミン谷の食料を当てにしてやってきたものたち。*ヘムレンさん――ラッパを吹きならしながらやってきた陽気なヘムル。黒とレモン色のジグザグ模様のセーターを着ている元気いっぱいでひとりよがりのこのヘルムが、ムーミン谷に集まっていたみんなの気持ちをかき乱す。 やがてムーミン家のジャムがほぼ食べつくされ、ヘムレンさんが新天地を求めて「おさびし山」に向かうと、ムーミン谷に春が訪れる。寒くて侘しくてちょっと不気味な、冬の日に読むのにぴったりのお話でした。(2023.11.25読了)]]>姓名談義 その4 (존칭 尊称)http://nishina.exblog.jp/33233391/2024-01-24T10:59:00+09:002024-01-26T10:24:08+09:002024-01-24T10:59:01+09:00nishinayuu随想그런데 뜬금없이 놀라운 말이 들려와서 저는 자신의 귀를 의심했다. 그날 수업의 제목은 유명한 독일 시[Über den Bergen/저 산 너머] 였는데, 선생님이 시인Carl Busse [칼 부세]를 [칼 부세-상]으로 소개한 것이었다. 지금은 웃어야 할 때인가 싶어서 교실안을 살폈는데, 부모들도 학생들도 선생님 자신도 웃지 않았다. 어떻게 그럴 수가! 유명한 시인을 칼 부세-상이라고 부르다니! 칼 부세가 친구야! 당신은 바쇼를 바쇼-상으로, 아쿠타가와 류노수케를 아쿠타가와-상으로 부르냐?
집에 돌아온 후 그 수업에 대해 식구들과 이야기를 나누면서 [칼 부세-상]이 일본어로 얼마나 이상한 것인지를 둘째 딸한테 설명했다. 그 후에는 우리 집에서는 [칼 부세-상] 은 같이 웃을 수 있는 농담거리가 되었다. 그러다가 [칼 부세-상]에 너무나 익숙해졌기 때문에 그런지, 요즘 많이 들려오는 [여배우-상]이나 [작가-상]같은 말도 눈썹을 치켜새우지 않고 흘려들을 수 있게 되었다(고 생각했는데......)50년 가까이 계속돼 온 [독서회] 의 11월 정예회에서 한 회원이 [이시구로-상] 이라고 해서, 제가 [그게 누구예요?] 라고 물었다. 정말로 누구인지 몰라서였다. 옆에 있던 회원이 노벨상을 수상한 영국 작가를 가리키는 거죠 라고 했다. 설마. 그렇다면 [가주오 이시구로]로 해야지. 왜 자기 친구라도 된 양 [상]을 붙이는 거야. [상]은 Mr, Mrs, Miss, Mis 같은 영어 존칭에 비하면 남녀,기혼,미혼을 가리지 않고 사용할수 있는 정말 뛰어난 존칭이다. 그러니까 우리는 [상]을 함부로 쓰지 말고 적절하게 써가야한다.]]>『あの本は読まれているか』(ラーラ・プレスコット、訳=吉沢康子、創元推理文庫)http://nishina.exblog.jp/33224156/2024-01-19T09:59:00+09:002024-01-19T09:59:36+09:002024-01-19T09:59:36+09:00nishinayuu読書ノート『The Secrets We Kept』(Lara Prescott,2019)タイトルにある「あの本」とは『ドクトル・ジバゴ』(ボリス・パステルナーク著)である。ロシア革命の混乱に翻弄されつつ生きる医師/詩人のジバゴと恋人ラーラの愛を描いたこの本は、ソ連国内では出版されず、1957年にイタリアの出版人フェルトネッリによって世界に紹介された。1958年にパステルナークへのノーベル賞授与が決定されると、ソ連国内ではすさまじいバッシングが起こった一方、国外ではパステルナーク支持の旋風が巻き起こり、1965年に公開された映画も大ヒットした。「訳者あとがき」によると本書の著者の名ラーラは母親が映画『ドクトル・ジバゴ』のファンだったことから付けられたもので、著者は子どものころ、母親の宝石箱のオルゴールのねじを何度も巻いて「ラーラのテーマ」を聞いたという。〈nishinaも『ドクトル・ジバゴ』の映画とテーマ曲の大ファンなのだが、実は原作は読んでいない。〉本作はプロローグ「タイピストたち」東 1949年~1950年に始まり、エピローグ「タイピストたち」東 1960年~1961年まで、東と西の物語が交互に綴られている。東の物語にはパステルナークと愛人オリガの愛の物語を中心に、ソ連の秘密警察や強制収容所の悲惨さが描かれる。一方、西の物語にはCIAにタイピストとして雇われたイリーナと表向きは受付嬢のサリーの物語を中心に、性差別やハラスメントなどがはびこる社会で生きる女性たちの連帯と、着々と進められたCIAによる「ドクトル・ジバゴ作戦」が綴られていく。そして最期に、驚くべき感動的な結末が語られる。 印象的な部分を抜き書き記しておく。*わたしたち(タイピストたち)は女の子と呼ばれていたけれど、それはふさわしい言葉ではなかった。わたしたちはラドクリフ、ヴァッサー、スミスといった一流大学を出てCIAに就職しており、(…)中国語を話せる者も、飛行機を操縦できる者もいたし、ジョン・ウェインよりも巧みにコルと1873を扱えるものもいた。けれど、面接の時に聞かれたのは、「きみ、タイプできる?」だけだった。*ツバメ――情報収集の才能を発揮する女の意。*ティツィアン・タビゼ――グルジアの偉大な詩人。ボリスの大切な友人。大粛清まっただなかの1937年、家から連れていかれた。妻は通りに走り出て、裸足で黒い車の後を追いかけた。なお、「ドクトルジバゴ作戦」はCIAが実際に行った作戦の一つだという。本作には当時のダレス長官もちらっと登場する。(2023.11.12読了)]]>『インヴィジブル』(ポール・オースター、訳=柴田元幸、新潮社)http://nishina.exblog.jp/33219546/2024-01-14T11:04:00+09:002024-01-14T11:04:44+09:002024-01-14T11:04:44+09:00nishinayuu読書ノート『Invisible』(Paul Auster、2009)物語は1967年の春、アダム・ウォーカーがコロンビア大の二年生だった時に始まる。何かのパーティーから退出するためにアダムが煙草をもみ消そうとしたとき、アダムの前に灰皿を差し出した男がいた。くしゃくしゃの薄汚れたリネンのジャケットを着た男は、アダムが灰皿の礼を言うと「どういたしまして」と少し外国語訛りを匂わせてほぼ完ぺきな英語で応じた。ほかに見て取れたのは、青白い肌、ぼさぼさの赤みがかった髪、そして横に広いハンサムな、際立ったところは何もない顔(大勢の中に入れば不可視invisibleになってしまう顔)だった。invisibleが最初に出てくる場面である。訳者によれば「invisibleは本作において合計7回、それぞれ違う人間や状況を掲揚するために使われており、それらの随所に点在するinvisibleという語を通して、作品全体を浸す世界の不可視性、不透明性がさりげなく確認されることになる」のである。主な登場人物は以下の通り。*アダム・ウォーカー(コロンビア大の学生として登場。夢は詩人になること)*ルドルフ・ボルン(多くの人脈を持ち、二重生活を送る大学教授。アダムはこの奇怪な、読解不能の人物に魅せられていた)*マルゴ(アダムより10歳年上の女性。ボルンとはマタイトコの関係。ニューヨークでボルンと同棲中にアダムと関係を持ち、いきなりパリへ去ったが、パリでまたアダムと関係を持つ。60年代に自殺したらしい)*セドリック・ウィリアムズ(ボルンが殺した少年。ウィリアムズは黒人に与えられることが多かった姓)*サンドラ・ウィリアムズ(アダムが36歳の時に出会ったソーシャルワーカー。結婚して彼女が病死するまで19年間ともに暮らした)*レベッカ(サンドラの娘。義理の父アダムをファーザーと呼び、アダムを最期まで世話した)*エレーヌ・ジュアン(ボルンと結婚するつもりで、二度と目覚めぬであろう夫の死を待っていた女性。ボルンが暴力的男だとわかって結局結婚しなかった。76で死亡)*セシル・ジュアン(エレーヌの娘。アダムがセドリック殺害の真実を伝えることにした相手)*グウィン(アダムの1歳上の姉。人目を惹く美人で、すべての男の心に嵐を巻き起こす女性。アダムとは相思相愛で、合意の上で近親相関関係を享受した、とアダムの残した原稿にはあった。60歳でアダムの死に遭う。アダムのメモに基づいて第三章を仕上げることにする)*アンディ(アダムとグウィンの弟。幼い時に死んだこの弟を姉弟はずっと悼み続けた)*ジェームズ・フリーマン(学生時代はジムと呼ばれていた。アダムの残した原稿の所有者。グウィンの提案で、アダムの残した原稿の「第三章」を書き改めて完成させる。妻と二人でセシルに会うためにパリへ)*エドワード・テイラー(1967年度に17世紀イギリス詩を担当したコロンビア大教授)(2023.11.3読了)]]>『ケイトが恐れるすべて』(ピーター・スワンソン、訳=務台夏子、創元推理文庫)http://nishina.exblog.jp/33214972/2024-01-09T10:39:00+09:002024-01-11T07:34:08+09:002024-01-09T10:39:47+09:00nishinayuu読書ノート『Her Every Fear』(Peter Swanson)物語はタクシーでローガン空港からボストン中心部へ向かう途中のケイトが、サムナー・トンネルで渋滞に巻き込まれてパニックに陥りかける場面で始まる。ケイトはまだ一度も会ったことのない又従兄と6か月の間部屋を交換するために、その朝ロンドンからやって来たのだ。ケイトは「パニック発作に身を委ねて、時が過ぎるのを待つ。パニックの発作で死ぬことはない」という呪文を繰り返し、同時に呼吸のエクササイズを行った。やがてタクシーは再び走り始めてトンネルを抜けると、ビュンビュン飛ばしてベリー・ストリートに到着、ヘンリー・ジェームズの小説から抜け出してきたような建物の前で止まった。そして翌朝、又従兄の部屋で目を覚ましたケイトは、隣室の女性が不審死したことを知った。主な登場人物は以下の通り。*ケイト・プリディー(学生時代につき合ったモラハラ男ジョージ・ダニエルズの呪縛から抜け出せずにいて精神的に不安定。絵を描くのが得意)*コービン・デル(ケイトの又従兄。金融アドバイザー)*アラン・チャーニー(向かいの棟に住む、覗き趣味を持つ妖しい人物。他の男たちに比べるとまともな人間に見えて来るのが可笑しい)*クイン(アランの元恋人)*オードリー・マーシャル(コービンの隣の部屋の女性。惨殺死体で見つかる)*ジャック・ルドヴィコ(オードリーの元恋人と称する男。赤髪、筋肉質で小柄)*マーサ・ランバート(ケイトの友人。ロンドンでケイトと同じ住居ビルに住む)*クレア・ブレナン(コービンのロンドン留学中の恋人。殺人の犠牲者)*ヘンリー・ウッド(コービンがロンドン留学中に知り合った男。別名ハンク。キューブリックの映画に目がなく、『時計仕掛けのオレンジ』もコービンといっしょに見た)*リンダ・アルチェリ(14年前の快楽殺人の犠牲者)*レイチェル・チェス(快楽殺人の犠牲者)*スメラ(クレアが通うグラフィックス専門学校の学生)*リチャード・デル(コービンの父親)*ロバータ・ジェイムズ(ボストン市警の刑事)*アビゲイル・タン(FBI捜査官。オードリー・マーシャル事件の捜査主任) 本作の犯人はサイコパスの快楽殺人鬼である。この人物が死体を切り裂く場面、住居侵入してあれこれ弄り回す場面は吐気を催すほどぞっとする。ミステリーでも叙情的なもの、ユーモアのあるものはいいけれど、本作のようなミステリーは読みたくない〈友人が「すごくいい」と言って貸してくれたので仕方なく読みました〉。ケイトは不安障害に悩まされているという設定だが、実は本作でいちばん信頼できる人物がケイトである。さて、その彼女が最後に選んだ人物は……。(2023.10.28読了)]]>https://www.excite.co.jp/https://www.exblog.jp/https://ssl2.excite.co.jp/