『室温』(ニコルソン・ベイカー著、岸本佐知子訳、白水社)
2007年 10月 11日
例によって微に入り細を穿った描写の連続。そもそも、ものの見方、思考の流れが、よく言えば精密、悪く言えばやたらに細かいのである。この細かさは一度はまってしまうと中毒になる。『中二階』で初めてこの作者に出会い、中毒になってしまったが、今回の作品を読んでいて、ふと『失われた時を求めて』のプルーストと似ている!と思ってしまった。常人の気がつかないことに気がついてしまう点、常人の気にしないことに妙にこだわる点、連想が連想を呼んで止まるところを知らない点、などなどプルーストとの共通点がけっこう多いのである。しかし、両者には決定的な違いがある。プルーストは長大な期間の出来事や思考を時の流れにしたがって語ったが、ニコルソン・ベイカーは「短時間の出来事や思考を長々と語る」名手なのだ。たとえばこの作品は、語り手である父親が赤ん坊の娘にミルクを飲ませるほんの20分間に、語り手が目にしているものや耳にした音から、つぎつぎに連想する物事を綴っている。ただしこの「連想」がくせ者で、これによって語り手は現在だけでなく過去も未来も自在に語ることができる仕組みになっている。こうして語り手は自分の生い立ちから妻との出会い、ふたりで築いてきた特別な関係などについても、詳しく語ってくれるのである。ミルクを飲んで、ことん、と眠ってしまった娘について語り手は「今からは想像もつかないくらいに手足の伸びた」未来の姿を想像しているが、それが『ノリーのおわらない物語』の9歳の少女ノリーになるのかと想像しながら読むのもまた楽しい。(2007.8.8記)