「貧しい男の別れた妻が摂津の守の妻になった話」その2
2006年 09月 20日
「こんなふうに暮らしていたのではますます貧しくなるばかりだ。それぞれ一人でやってみたらどうだろう」
妻は、運命に逆らうことはできない、と思ったけれど、あなたがそうしたいのならそうしましょう、と応えた。それで二人は涙ながらに別れたのだった。
その後、妻は年も若く、顔も容姿も優れていたので、○○の○○という人に引き取られて過ごしていた。その人は彼女の優雅な人柄が気に入り、妻が死んだあとは彼女を妻にして暮らしていた。やがてこの人が摂津の守になったので、彼女はなおいっそう幸せに暮らしていた。
元の夫は一人でやっているうちにいっそうみじめに落ちぶれ、京では暮らしていけなくなって摂津に流れていき、農夫として人に使われていたが、不慣れなため農作業がうまくできなかった。それで、雇い主から難波の浦で葦を刈る仕事を命じられ、難波の浦に行って葦を刈っていた。
ときに、かの摂津の守が妻を伴って摂津に赴く途中で難波の浦に車をとどめ、一行とともに逍遙したり宴を催したりした。その間に摂津の守の奥方は、侍女たちといっしょに海辺へ出て遊覧した。そこには葦を刈る賤しい者たちが大勢いた。その中に、賤しい者でありながらなにか仔細ありげな、感じのいい男が一人いた。奥方が、そんなはずはないけれど元の夫によく似ている、と思って男をよくよく見ると、なんとまあ、元の夫なのだった。みすぼらしい姿で懸命に葦を刈っているところを見ると、今もまだうまくいっていないのだなあ、前世の報いのせいなのだ、と思って涙がこぼれた。それで、さりげなく、侍女に命じて男を呼び寄せた。近くで見ると、まさしくかの男なのだった。
泥だらけでぼろぼろの袖もない麻の単衣、泥だらけの顔、ヒルが食いついて血みどろの脚……疎ましい姿だった。けれども奥方は酒を飲ませ、食事もさせてから衣を一着与えた。その衣に添えた紙には次のように書いてあった。
あしからじと思いてこそは別れしかなどか難波の浦にしもすむ
男は衣をもらって嬉しく思いながら書き付けを読み、すぐに昔の妻が書いたものだと気がついた。おのれの身の上があまりに悲しく恥ずかしくて、次のように書いて差し出した。
君なくてあしかりけりと思うにはいとど難波の浦ぞすみうき
男は葦刈りの仕事を放り出して、どこかに立ち去った。
☆「あしからじ」には「悪しからじ」と「葦刈らじ」の意味が入っているわけですが、それを韓国語訳(9/19の記事)に生かすにはほど遠い実力なので、意味の移しかえに留めました。