『楼蘭』(井上靖、われらの文学6、講談社)
2024年 12月 02日
本作は講談社の「われらの文学6」に収録されている作品。数年前に我が家で電子書籍化したものをpdfで読んだ。韓国の美術史研究者である兪弘濬の著作『わが文化遺産踏査記 中国編』で楼蘭に関する魅力的なエピソードに接したので、復習のつもりで本作も読んでみた。以下に特に印象的な部分を記録しておく。
楼蘭はAD280年ごろから六国(鄯善、于闐、焉耆、龜茲、疏勒、車師後国)の一つであった。
AD324年(東晋明帝の太寧2年)前涼王張駿に降伏し、鄯善王善孟は美女を献納。
AD382年(東晋孝武帝の太平7年)前奏より3年に一度の入貢と9年に一度の朝見を約束されたが、間もなく前奏が瓦解。この時鄯善の若い武将が祖先の地楼蘭を手中に収めようと決意。激しい戦闘が明けて朝になると敵は姿を消していた。若い武将は彼方に一筋の流れを発見して戦勝を祝ったが、その日の日没の空は怪しい美しさに輝いた。翌日城を敵兵が襲ってきたが、敵も味方も砂の猛威に打ち負かされ、馬も兵も大かた失われた。若い武将は残った部下を率いて、砂漠の変異に苦しまされながら1か月目に鄯善に帰り着いた。彼らを襲った異風な侵入者は北方に威を張る柔然の一枝隊だったのだが、、そのことを若い武将自身、ついにその生涯で知ることはなかったのだった。2年後に若い武将がもう一度楼蘭を訪れた時、城邑は砂に埋まり、細長い湖があったところには白く乾いた砂の道が帯状に広がっているだけだった。
AD445年(元嘉22年)鄯善は魏の大武帝に歯向かったために涼州兵に攻められて王は降伏。これによって鄯善は魏の都県扱いになり、国家としての存在の意味を失うに至った。楼蘭も鄯善も相前後して史上から姿を消したのだった。
物語は東晋の時代に法顕が往時の楼蘭国付近を通過したこと、唐の時代にインドに赴いた玄奘三蔵が帰途の615年に楼蘭の地を通ったことを記した後、最後に「楼蘭が永い眠りから覚まされて世界史上に再び登場してくるのは20世紀になってからである」という文に始まる20世紀の物語が展開していく。
(2024.7.16読了)


