『トニオ・クレエゲル』(トーマス・マン、訳=実吉捷郎、青空文庫)
2021年 05月 10日
『TONIO KRÖGER』(Thomas Mann,1903)
本作は少年期から青年期にかけての自伝的小説。トニオ・クレーゲルは名誉領事の息子で、はじめはリューベックの豪壮な家に住む14歳の少年として登場する。美しくて優秀な少年ハンス・ハンゼンへの憧れと羨望、金髪のインゲボルグ・ホルムへの恋(16歳)、芸術に生きようと故郷を離れ、孤独と戦い、放恣な生活に溺れ、やがて何でも話せる女友達リザベタ・イワノヴナに出会う(30歳過ぎ)。故郷のリューベックを13年ぶりに訪問した後、トニオは旅に出る。トニオの名は母の兄弟で名付け親のアントニオからきているので、トニオは昔はイタリアに属すべき人間のように妄想していたが、このとき彼が向かったのは昔から好きだったデンマークだった。
以下に印象に残った場面・文を記録しておく。
♣実際自分にはあらゆる点で変わったところがある。しかも自分は決して緑の馬車に乗ったジプシィなんぞではなくクレエゲル名誉領事の息子なのだ。(「トニオという名がへんてこで好きじゃない」とハンスに言われたトニオの心の声)。
♣彼が故郷を離れる前に、町が彼をつなぎとめておいたかすがいや糸はひそかに解けてしまっていた。一門は次第に脱落崩壊に陥って行った。父が死に、母はイタリア風の名を持つ音楽家と再婚して去った。
♣彼はほうぼうの大都会や、南国で暮らした。母親の血がひきつけたのかもしれない。同時に父の残していった性質(霊魂の喜びについてのほのかな追憶)を彼のうちによみがえらせたのかもしれない。
♣彼が初めて世に出たときは関係方面の人々の間に喝采と歓喜の声が上がった。彼の南と北とを複合した響きは、優秀なものを名付ける公式となった。
♣温かな誠実な感情はいつも陳腐で役に立たないもので、芸術的なのはただ、我々の技術的な神経組織が感じる焦燥と冷たい忘我だけなのです。(トニオがリザベタに言った言葉)。
♣(故郷のリューベックにて)狭い町の尖塔が灰色の空を衝いてそびえ立った。何もかもが小さく狭苦しく見える。脚の曲がった男が、うねるような水夫式の足並みでガス燈を点けて行った。
♣両親のいた家は三百年以来のように灰色にいかめしく立っていた(…)2階の一番奥の部屋が彼の部屋で、そこで最初の詩を書いたのだった。窓外には胡桃の老木がもとのところに立って風にざわざわ鳴っていた。
♣(ホテルを発とうとしたとき、逃亡中の詐欺師と間違われてホテルの支配人に引き留められたトニオは)自分は決して緑の馬車に乗ったジプシィでもなく、クレエゲル名誉領事の息子だと打ち明けてこの場にけりをつけたものだろうかと自問したが…。
♣(コペンハーゲンのホテルで。ヘルジンゲエルの方からやってきた舞踏会の客のなかにハンスとインゲボルグの姿を見たトニオは)昔、自分を恋に悩ませた二人を眺めた。鋼色の目、ブロンドの髪を持つ、純潔と清澄と快活と、傲慢で同時に素朴な、犯しがたい冷淡との混ざったものを思わせる種類。彼は決して忘れたことはない。僕が働いたのは君たちのためだったのだ。
♣(二人を見ながらトニオは思う)もう一度やり直せたら――インゲボルグを妻として、ハンスのような息子を持てたら――認識と創造苦という呪いを脱して、甘美な凡庸のうちに生き、愛し讃めることができたら――いや、やりなおしたところで、こうなってしまっただろう。ある人々は必然的に迷うのだ。彼らにはもともと本道というものがないのだから。
(2021.1.29読了)