『よい旅を』(ウィレム・ユーケス、訳=長山さき、新潮社)
2019年 06月 15日
『DOOR HET OOG VAN DE NAALD』(Willem Joekes, 2012)
原題の直訳は「針の穴を通って」で、「九死に一生を得る」「一命を取り留める」の意。
著者はオランダ人で、1916年にオランダ領東インド(蘭印)中部ジャワ州のスマランで生まれた。1918年に両親とともにオランダに帰国。1937年に勤務先の日本駐在員となり、2年あまり神戸で暮らした。40年にオランダ領東インドのスラバヤに赴任。開戦時はオランダ領東インド軍の予備役少尉だった。日本軍による占領後は日本軍によって通訳を命じられたが、スパイ容疑で有罪判決を受け、日本軍刑務所で死と隣り合わせの日々を体験した。その間に妻子と離別している。戦後、オランダに帰国したが、心身ともに衰弱しきっていて、一時は死を考えたほどだった。それでも両親の許で静養したおかげで社会復帰できるまでに回復し、イギリス人女性と再婚して子どもにも恵まれた。その後はオランダ経済省勤務など順調な人生を歩んだ。本書は穏やかな老後を迎えた著者が、そこに到るまでの苦しかった人生を振り返って綴った回想録である。
7つの章のうち第2章は神戸の思い出――美しい風景、瀟洒な町並み、礼儀正しい日本人たち――が綴られている。中にはオランダ人のチェベ・マースという偉丈夫と美しい妻、妻の恋人で退役外交官のフランス人にまつわる、これだけで一つの小説になりそうなエピソードもある。
ところで本書には、インドネシアの人々を対等の人間とは見做していない感じの描写が散見される。宗主国の人間として染みついた感覚はなかなか抜けないということか。一方、若き日の神戸での体験のおかげか、著者はおおむね日本人に対して好意的で、日本軍の刑務所にいたときの体験・見聞に関しても穏やかな表現が多いので日本人としては救われる。もちろん著者は日本軍の女性蔑視からきた数々の罪については、厳しく糾弾する姿勢を示しているし、日本軍刑務所での体験が長い間トラウマとなって残り、日本人を見かけても落ち着いていられるようになるには、日本の降伏から35年あまりを要したという。
著者は、今では日本人に出会っても動揺することはなく、オランダでの滞在が楽しいものになるように、と声をかけるようになったという。邦訳のタイトルはそこから取られている。
(2019.3.7読了)