『愛について』(ワジム・フロロフ、訳=木村 浩・新田道雄、岩波書店)


c0077412_09492539.jpgВадимФролов』(ЧТО К ЧЕМУ, 1966

原題の意味は「何にどんなわけが」といった意味。訳者によると、ロシアでは一般的な表現であるが日本語では説明的になってしまうので、内容を考えて『愛について』としたのだという。しかし、こんなベタで色彩のないタイトルでは内容が伝わってこないのでは?ずっと昔読んで感動したことは覚えているが、内容は思い出せなかった(必ずしもタイトルのせいではないかも知れないが)。それで今回あらためて読んでみたところ、やはり素晴らしい作品だった。

語り手はレニングラードのアパートに住む14歳のサーシャ。前の年の夏、サーシャはひとりで遠いブスコフ州の小さな村に送り出され、楽しい毎日を過ごした。その間、両親は妹のニューラを連れて、黒海に行ってしまった。新学期が始まる間際にサーシャがレニングラードに戻ってきたとき、家にはパパしかいなかった。劇団員のママは地方公演に出かけていて、小さな妹のニューラはユーラ小父さん・リューカ小母さんのところで暮らしている、ということだった。男二人の暮らしが始まったサーシャの家へ、同じアパートに住む同学年の少女・オーリャがしげしげとやってきては、あれこれ世話を焼く。アパートにはいつもハンチングをかぶっているユルカという男の子もいて、サーシャは間もなくユルカと親友になる。ユルカの母親はとても美しく、姉はとても洒落た身なりの若い娘だったが、父親の姿はなかった。ユルカの母親には歳下の求婚者がいてよく訪ねてきていたが、アコーディオンが上手でまじめな働き者のこの青年をユルカは頑なに拒否していた。

思春期の少年たちの出くわす、あるいはしでかす様々な出来事がテンポよく綴られていくこの物語のトーンがある時点でがらりと変わる。劇団の公演ポスターを目にしたサーシャは、地方巡業から帰ってくるのを今か今かと待っていたママが、街へ戻っても家族のところへは戻ってこないという事実を突きつけられる。この時サーシャは学校でもやっかいな問題を抱えていたが、それはそれとして、ママはいったいどうなっているのか、とパパに尋ねることにした。大柄で達者でたくましかったパパに。そして今は酔っ払って眠ってしまい、眠りながら苦しげにため息をついているパパに。やがてサーシャは、ママを家族のところへ呼び戻すために、シベリアのイルクーツクへと旅立つのだった。

サーシャがナターシャにラブレターを書いたときに引用したハムレットの言葉(ACT5-SCENE2)をメモしておく。

(I loved Ophelia;)forty thousand brothers/ Could not, with all their quantity of love,/ Make upmy sum. 四万人の実の兄が、ありったけの愛情を注いでも、ぼくが愛したほどには、愛せるものか。(2018.4.17読了)


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Commented by マリーゴールド at 2018-06-17 20:36 x
現代のロシア(ソ連?)文学はあまり読んだことがありませんが、面白そうな小説がありますね。
by nishinayuu | 2018-06-15 09:53 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

読書と韓国語学習の備忘録です。


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