『霧のむこうに住みたい』(須賀敦子、河出書房新社)
2018年 02月 25日
本書は『須賀敦子全集』(2000年河出書房新社)の第2巻から第4巻を底本にして編集された随筆集である。一番古い1968年の『ミラノの季節』から、亡くなる前年である1997年に発表された「パラッツィ・イタリア語辞典」まで、全部で29の作品がⅠ、Ⅱ、Ⅲの三つの章に分けられて収録されている。どのページを開いても、夢のようなイタリアの光景と心地よい日本語の響きに出会え、煩雑だったり憂鬱だったりする日常をふっと忘れることができる作品集である。目にとまった部分をいくつかメモしておく。
*(30年前に訪れた北イタリアのフリウリ地方のチヴィダーレのペンションに滞在したとき、土地の漁師が料理番のおばさんとこちらにはまるで通じない言葉で話していたが)それは方言ではなく、フリウリ語という独立した国語だといわれている。――「悪魔のジージョ」
*かつてのプルーストの翻訳者が、社会参加の本を書いてしまったことについて、私は考えをまとめかねていた。友人の修道士が、宗教家にとって恐い誘惑の一つは、社会にとってすぐに有益な人間になりたいとする欲望だと言っていたのを、私は思いだした。文学にとっても似たことが言えるのではないか。――「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」
*美術館や展覧会に行くと、あ、これは欲しい、うちに持って帰りたい、と思う作品を探して、遊ぶことがある。街中が美術館みたいなフィレンツェには「持って帰りたい」ものが山ほどあるが、(中略)サン・マルコ修道院のフラ・アンジェリコ、定宿にしている「眺めのいい」都心のペンションのテラス、もちろん、フィエゾレの丘を見晴らす眺めも一緒に。夕焼けの中で、丘にひとつひとつ明かりがついていく。そして最後には、何世紀ものいじわるな智恵がいっぱいつまった、早口のフィレンツェ言葉と、あの冬、雪の朝、国立図書館のまえを流れていた、北風の中のアルノ川の風景。――「フィレンツェ」
*日本では普通ジェノヴァと表記されるが、「ヴァ」と書くと英語風の重い音になるので、私はイタリア人の発音により近いジェノワと書くことにしている。――「ジェノワという町」
*(ローマ行きの列車で隣のコンパートメントの話し声に耳を傾けていると)ぶっきらぼうなパリのことばに慣れた耳には、彼らのことばはわたしが生まれ育った関西の人たちのアクセントそっくりなように聞こえた。――「となり町の山車のように」
*陽が落ちはじめると、アッシジの建物という建物は、すべて薔薇色に燦めく。(中略)アッシジの建物の石は、町のうしろの山の採石場でとれるもので、もともと、うすいピンクなのが、赤々と、そして次には、紫に、ゆっくりと染まる。――「アッシジに住みたい」
*『パラッツィ』(1939年初版の辞書)を使ってる、と私がいうと、ほう、と言う人と、へえ、と言う人がいる。「ほう」組は、どちらかというと古典的、文学的な道を歩いている人に多いのではないか。(中略)「へえ」と応える人は、たぶん、どうして、現代的なチーム編集の『ガルザンティ』とか、現代用語や外来語のたくさんある『ヅィンガレッリ』を使わないの、という質問が口に出かかっている。――「パラッツィ・イタリア語辞典」
(2017.12.26読了)