『Where or When』(Anita Shreve, Harvest Book, 1993)
2015年 01月 30日
『いつかどこかで』(アニタ・シュリーヴ、ハーヴェストブック)
45歳のチャールズはある日、ふと手にした新聞の中に新刊を上梓したという女流詩人の写真を見つける。写真の女性は彼が14歳の時にサマーキャンプで出会った初恋の相手ショーンだった。仕事にも家庭生活にも行き詰まっていたチャールズは、それらの重圧から逃れるようにショーンに近づいていく。愛し合っていながら幼さのために手放してしまったあの美しい愛をとりもどしたい、という思いに駆られて。どうみても彼の言動はストーカーのそれだが、驚くべきことに最初は冷静に対処しているかに見えたショーンも、いつしか彼の思いに応えるようになり、二人は「行方も知れぬ恋の道」に突き進んでいく。
事業がつぶれるとわかっていながら有効な手段を講じることもせず、子どもたちを愛していると言いながらその子どもたちの待っている家庭を顧みることもせず、31年という時を隔てて再会した相手の現在までの生き方や現在の状況に対する配慮もなく恋に突き進む――こんな主人公が身を滅ぼすのは自業自得であって、同情する気にもなれない。つまり、全く共感を覚えることのできない主人公であり、こんな主人公が好む音楽談義にも耳を傾ける気がしない(タイトルもそうだが、この小説にはやたらにポップスの名曲や歌手、クラシックの曲や演奏家の名が出てくる)。
主人公や相手の女性には共感できない一方で、考えも趣味も合わない女、とチャールズの目に映っている妻のハリエットを、あるいはショーンの夫で農場主兼大学講師のステファンを語り手とした小説だったら読んでみたい、とも思う。ハリエットには彼女と子どもたちが事件のあとどういう風に生きていったかを語ってもらいたいし、ステファンにはチャールズが現れる前までのショーンとの人生、チャールズが現れたことによって壊されていった人生について語ってもらいたいからだ。(2014.10.1読了)