『踏みはずし』(ミシェル・リオ著、堀江敏幸訳、白水社)
2012年 02月 27日
原題はFaux Pas。ブルターニュ生まれの作家ミシェル・リオによる中編小説である。
夏至の日のたそがれ時、一台の車から男が降り立つ。上背のある均整のとれた体つきで、知性的な顔に冷酷さと憂愁を漂わせた表情を浮かべており、灰色の目だけが猟師か監視員のような生気を宿している。男はとある邸宅の前で足を止め、家の周りを念入りに調べ、そこから街路の様子を探ったあと、家の中に侵入する。各部屋を一瞥し、2階の部屋の窓を開けてみたりしたあと、1階の書斎に入ってドアを閉める。書誌の机の上には写真立てがあり、30歳くらいの女性と6歳くらいの少女のクローズアップが入っている。男はその写真をしばらく見つめる。それから机の引き出しを調べ、書斎の主が妻に宛てた書きかけの手紙を読み、書棚からマルク・ブロック『歴史のための弁明―歴史家の仕事』を抜き取ると、肘掛け椅子に座って読み始める。
書斎の主であるブレモンはジャーナリストで、財界の大御所・アルベルティの卑劣な過去を暴くための証拠書類集めに奔走していた。男は、そのブレモンを阻止するためにアルベルティが雇った殺し屋だった。しかし男は、雇われ殺し屋としての仕事をこなしたあとは自分が消される、と見抜いていたから、ブレモン殺しに引き続いて一連の殺しを片づけていく。その手際の鮮やかなこと。男は「本性と修練が可能にした、一種のハイブリッド」で、その身体には「本能的に自分の身を守り、維持していく、屈強な動物を思わせるこの上ない自立性と、意のままに従い、思い通りに操ることのできる機械のような従順さ」があったのだ。
というわけで、前半は男の意のままに事がとんとんと運んでいく。しかし、タイトルが「踏み外し」であるからにはそれだけで終わる単純な話であるはずはない。緻密な理論に基づいて行動してきた冷徹な男を踏み外させたのは……。
人物や細部の描写に独特の味わいがあり、終わり方も余韻があっていい。
訳者によると原文の文体は、「文章の高い音楽性が、登場人物たちの会話に伺われる強烈なアイロニー、諦観、逆説、強迫観念などの、いい意味で閉じた知的な面白みと連動して、硬質な世界を作りだしている」という。訳文も、引き締まったリズミカルな文で読みやすかった。(2011.12.28読了)