人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『トバモリー』(マンロウ/サキ、American literature.com)_c0077412_15240012.jpg


Tobermory』(H.H.Munro/SAKI

The Chronicles of Clovis、1911」に収録されている1篇。


トバモリーは有産階級のウィルフリッド家の飼い猫。8月末の肌寒いある日の午後、この家の女主人レディ・ブレムリのホームパーティーに集まった人々の中に、コーネリアス・アピンというぱっとしない人物がいた。「才人」らしいといううわさを聞いたレディ・ブレムリが招いたのだが、どんな「才」があるのかはよくわからなかった。ところがお茶の時間になると、ミスター・アピンが俄然みんなの注目の的になった。彼は「動物に人間の言葉を教える方法を見つけたので、非凡な知能を持つ超猫のトバモリーで試してみたら大成功だった」と言うのだ。みんなの前に連れてこられたトバモリーが、パーティーの参加者たちの言動を次々にぶちまけていくくだりがこの作品の読みどころのひとつ。もう一つの読みどころは参加者の一人クロービスの冷静な、というか冷ややかな姿勢である。

パーティーに集まった人々の名前を、彼らの言動などとともに書き留めておく。

*サー・ウィルフリッド——この家の主。レディ・ブレムリが、アピンの話が本当かどうかみんなで判断しましょうよ、と言うのでトバモリーのところに行って「みんなのところにおいで」と言ったら「気が向いたら行くよ」と言われて肝をつぶした。

*クロービス——ミスター・アピンがトバモリーの話をもち出したとき、「Rats(ばかな)」と小さな声で吐き出した唯一の人物。ミスター・アピンが「トバモリーは我々の言葉を完全に話せる」というと「Beyond-rats!」とはっきり言った。

*メイヴィス・ペリントン——「人間の知能をどう思う?たとえば私の知能は」と尋ねたところトバモリーから「サー・ウィルフリッドは知り合いの中でいちばん脳みそが足りない女だからと招待に反対した。きみが招待されたのはレディ・ブレムリが、この家のポンコツ自動車(The Envy of Sisyphus シシフスの羨望)を押し付けるには格好の脳足りんなのよ、と言ったからさ」と言われた。

*バーフィールド大佐——話題を変えようと、トバモリーに「厩舎の鼈甲柄の猫(tortoise-shell puss)とはうまくいってるのかい」と訊くと、トバモリーは「そういう話は人前で持ち出さないほうが。そちらさんの行状の話になってもかまわないのか?」と応えたのでほかの客たちも慌てる。

*ミセス・コーネット——ブレムリ夫人に「あなた、この猫に私たちのことをなんでもしゃべらせておくつもり?」と詰め寄る。

*ミス・レスカー—みんなにパニックが広がっているときにもおとなしく引っ込んでいることができなくて、「なんでこんなところに来ちゃったのかしら」とドラマチックに嘆く。するとすかさずトバモリーが「昨日ミセス・コーネットに、この夫婦は退屈だけど一流のコックを雇っている、って言ってたじゃないか。食べ物目当てで来たのさ」やりこめる。。

ここでトバモリーによる暴露話はストップする。牧師館の黄色い大きな雄猫が厩舎のほうに向かっているのを見たトバモリーがフランス窓から飛び出して行ったのだ。客たちはいっせいにコーネリアス・アピント責め始める。そして、トバモリーの危険な知恵がほかの猫やほかの動物たちに広がる前に何とかするべきだということになり、この家の主人夫婦も高価な愛猫を処分することに同意する。こうしてトバモリー事件は一件落着となるのだが、「才人」のコーネリアス・アピンはどうなったのだろうか。

トバモリー事件の数週間後、ドレスデン動物園で象がオピンとかエピンとかいう名のイギリス人を殺した事件が報じられたとあり、物語はクロービスの次の言葉で締めくくられている。

彼が象にドイツ語の不規則動詞を教えこもうとしていたのだったら、殺されたって仕方ないね。


# by nishinayuu | 2026-04-18 15:53 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『青いパステル画の男 』(アントワーヌ・ローラン、訳=吉田洋之、新潮クレスト・ブックス)_c0077412_17044137.jpg


Ailleurs si jy suis』(Antoine Laurain、2007

本作は『ミッテランの帽子』(2012)、『赤いモレスキンの女』(2014)によって世界中に愛読者を得た著者の処女作で、2007年に設立された芸術分野を扱ったフィクションを対象とするドゥルオー賞の初代受賞作である。

物語はブルゴーニュ地方の農地の外れにある倉庫の描写から始まる。

百メートル四方のトタン倉庫は夏の強い日差しのせいで鉄板が熱を帯び、室温は限界ぎりぎりだ。(…)わたしは月に一、二度この場所を訪れ、かつては自分の書斎でしていたようにコレクションを眺めるためにたっぷり二時間は滞在する。(…)私のコレクター人生を通じて、自分自身へ贈ったプレゼントのすべてがこの倉庫に収められていた。(…)数十年前から天井までうず高く積まれた藁の束は夏の酷暑で乾燥し、もうじき火がついてしまいそうだ。使用期限切れの肥料袋が置かれた奥には、右上に家紋が描かれた私の肖像画が置いてある。今ようやくこの肖像画を通じて実際に起きたことを理解できたような気がする。私は小さな籐椅子に座ってウィスキーを口にした。そしてお決まりの文句を大きな声で唱えた。(…)「ピエール=フランソワ・ショーモン、お前はそこにいるのかい?ノック一回で、はい、ノック二回で、いいえ」

銀製タンブラーを作業台の上に勢いよく置くと、金属のぶつかる音が返事をしてくれた。すべては一年以上前に遡る。ブルゴーニュから遠く離れたパリで。

語り手のショーモン(46歳)はドルオーに法律事務所を構える弁護士。ある日、事務所のすぐ近くにあるオークションハウスで自分にそっくりな男が描かれた18世紀のパステル画を発見。オークションにかけられたその肖像画を一万一七六〇ユーロというとんでもない高額で競り落とした。ところが肖像画を見ても妻のシャルロットははかばかしい反応を見せず、コレクションはいい加減にしたら、と言うばかり。ショーモンは肖像画の男は誰なのかをつきとめようと、肖像画に描きこまれた紋章を頼りに旅に出る。旅先でショーモンを待ち受けていたのは————

本作は『ミッテランの帽子』や『赤いモレスキンの女』に比べると、ストーリーが入り組んでいてやや読みにくいが、広範な蘊蓄と独特のユーモア満載の楽しい読み物であることは間違いない。最後に付け加えられている事件全体に関するショーモンによる推理はないほうがよかったのでは、と思わないでもないが。


# by nishinayuu | 2026-04-12 17:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『セーヌ川の書店主』(ニーナ・ゲオルゲ、訳=遠山明子、集英社)_c0077412_13561583.jpg

Das Lavendelzimmer(ラベンダーの部屋)』(Nina George、2013

6月のパリ。ムッシュ・ペルデュがアパルトマンの家主と管理人に挟み撃ちにされる場面から物語は始まる。二人は、5階のペルデュの部屋の向かいに「何も持っていない女性」が住むことになったので、何か役に立つものを寄付してください、とペルデュに言う。テーブルならある、と思ったペルデュは、21年の間閉ざしていた部屋の扉を震える手で開ける。***のにおいが消え、壁紙も色を失っている部屋からペルデュはテーブルを持ち出し、きれいに洗ってから向かいの部屋までもっていく。と、中から声を押し殺すようにして泣いている女性の声が聞こえた。ここまでで、物語の主人公三人が紹介されている。〔文学処方船〕を運営しているペルデュ、かつて深く愛し合っていた***(=マノン)、これから愛し合うことになる「何も持っていない女性」=カトリーヌである。

主人公のペルデュは、セーヌ川はシャンゼリゼの船着き場に係留している艀で書店を開いている。彼は店にやってくる来る客の魂の状態を見極めて本を選んでやる。すなわち艀を改良した彼の書店は、薬を処方するように本を処方するので、名付けて〔文学処方船〕という〈「訳者あとがき」によると訳者の快心の訳語〉。処方を受け入れない客には本を売らない、という頑なな男であるペルデュは、その頑なさのせいで、自分のもとを去ったマノンを心から締め出してきたのだった。マノンからの最後の手紙を20年もの長きにわたって開封することもせずに。ところがカトリーヌにテーブルをプレゼントしたのをきっかけに、ペルデュはマノンの手紙を21年ぶりに開くことになる。そしてその手紙の内容に衝撃を受けたペルデュは、マノンと夫のリュックが暮らしていた南仏へと旅立つことになる。同行するのはマックス・ジョルダン(デビュー作『夜』でいきなり世間の注目の的になってしまって、逃げるようにペルデュと同じ住居に入ってきた21歳の青年)と、猫のカフカとリンドグレーン。パリを離れた〔文学処方船〕は南フランスを目指す。サン=マメスからブルボン・ルート(運河)、ソーヌ川、ローヌ川をたどり、様々な出会いを経験しながらプロヴァンスへ。そこで彼らを待ち受けていたのは明るい光と色彩にあふれる世界だった。

本作は①パリから地中海沿いのサナリー=シュル=メールまでたどる長い船旅の物語であり、②様々な本についての蘊蓄や紹介があふれる物語であり、③稀有な恋を体験する恋人たちの物語であり、④生と死と再生の物語でもある。巻末にはプロヴァンス料理のレシピ、ペルデュによる文学処方箋まで収録されている。なんとも楽しい本であるが、いちばん楽しんだのは作者自身ではないだろうか。しかも2013年の発表以来、『シュピーゲル』のベストセラーリストに一年以上掲載され、アメリカ合衆国、イギリス、イタリアでもベストセラーになったというから、幸せな本であり、幸せな作者である。

最後に、本書で言及されている書籍の中で、nishinaの思い入れのある書籍を出てくる順に記録しておく。

オーウェルの『1984年』/『トムは真夜中の庭で』/ジョゼ・サラマーゴの『白の闇』/『ドリアン・グレイの肖像』/ムージルの『特性のない男』/『ハリー・ポッター』/トールキンの『指輪物語』/


# by nishinayuu | 2026-04-05 13:59 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

映画鑑賞ノート84(2026.3.30作成)_c0077412_11583889.jpg

20261月~3月に見た映画とドラマの覚え書き。

1~2行目:タイトル(原題)制作年、制作国、監督(鑑賞日)

2~3行目:キャスト、それ以降:一言メモ

画像は「ミツバチのささやき」


ミツバチのささやき(El espiri de la colmena1973スペイン(1/4)

監督=ビクトル・エリセ

アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・ゴメス

スペインのカスティーリア地方の通さ名村を舞台に、幼い少女の空想

世界と現実世界の交錯する物語。内戦後のフランコによる独裁政治に

対する批判を微妙に匂わせている。

女相続人(The Heiress)1949米 ウイリアム・ワイラー(1/26)

オリヴィア・デ・ハビランド、モンゴメリー・クリフト、

ラルフ・リチャードソン

娘に言い寄ってきた男の本性をすぐに見抜いた父親は立派。ただ、

モンゴメリー・クリフトはハンサムすぎるので、不誠実な男だろうと

父親じゃなくてもわかる。〈私もすぐに分かった(?!)〉

原作=ヘンリー・ジェイムズの『ワシントン広場』

パピヨン(Papillon)1973米・仏F.J.シャフナー(2/12)

スティーヴ・マックィーン、ダスティン・ホフマン

金庫破りで捕まり殺人罪に問われた主人公がフランスの刑務所

南米のフランス領ギニアの監獄→脱走してつかまり島流し、と

いろいろあった末に自由の身に。実話に基づく小説を映画化した作品。

〈汚らしい場面が多くて最後まで見るのがつらかった〉

コンパートメントNo.6 202フィンランド ユホ・クオスマネン(2/18)

ユーリー・ポリソフ、セイディ・ハーラ

世界最北端の駅ムルマンスクにあるペトログリフ(岩絵)を見るため

モスクワから列車に乗ったラウラ。コンパートメントで一緒になった

のは炭鉱労働者のリョーハ。は最初は全くそりが合わなかった二人が、

やがて互いに相手を気遣うようになり……。

スター・ウォーズ(Star Wars) エピソード6ジェダイの帰還

1983米 リチャード・マーカンド (3/15)

マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、

アレック・ギネス

ハン・ソロが解凍される場面から始まり、邪悪な皇帝の前でルークが

ダース・ベイダーとの最後の戦いに挑む。ヨーダ、ジャバザハット、

R2-D2、C-3PO、チューバッカなどなどオールスターが登場。

霊体のオビ=ワン・ケノービにも会える。

が谷は緑なりき(How Green Was My Valley)1941米 (3/18)

監督=ジョン・フォード

ウォルター・ピジョン、ドナルド・クリスプ、モーリン・オハラ、

サラ・オールグッド、ロディ・マクドゥォール

今や初老となったモーガン家の末息子のヒューが、生まれ育った

故郷の「ロンダの谷」が緑だったころ、谷の住民のだれもが、もちろん

ヒューの父も兄たちも炭鉱で働いていた頃のことを回想する物語。


# by nishinayuu | 2026-03-30 12:03 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(1)

『消えた弟』(マネット・アンセイ、訳=坂口玲子、文芸春秋)_c0077412_09490475.jpg

Sister』(A.Manette Ansay)

ウィスコンシン東部の田舎町ホートンで暮らす、頑迷な父親と専業主婦を脱したい母親、歳の近い姉と弟からなる家族。幼少期はいつも姉にくっついていて父親の気に入らなかった弟が、思春期になって新しい仲間と付き合い始め、両親や姉のあらたな心配の種になっていた。そんなある日、弟が不意に失踪してしまう。弟のサムの行方を必死に探し回るうちに、やがて気持ちがすれ違って行く一家の姿が、姉のアビゲイルの目を通して描かれる。

「失踪した弟はどこでどうしているのか、という大筋もさることながら、ある意味でこの小説は一行一行が精緻なサスペンスの要素を備えているといえるかもしれない」という訳者の言葉通りの緊張感あふれる本作の魅力の一つは、片田舎のカトリックコミュニティの独特の雰囲気と周りに広がる自然が、家族の物語と同等の比重で丁寧に描かれている点である。

物語を構成する五つの章のタイトルと、印象的な文を書き留めておく。

*姉と弟(1995)サムが生れたときわたしは一歳六か月で、母から聞いたところによると、わたしは彼の小さな完全無欠な体をすみずみまで観察したのだそうだ。母がお風呂に入れるところ、乳を与えるところ、おむつを替えるところも見ていた。サムが初めて口にしたのは、わたしの名前だったという。

*距離(1975-1980)わたしはたいてい、レコードを一度か二度聞くと、その一部を思い出して弾けたし、ある日ついに《エリーゼのために》を全部聞き覚えで弾くことができた。

*毒の入り江(1995)フランス窓の向こうで、渡り鳥の群れが上がったり下がったりしながら、百もの翼でほこりを巻き上げていく。(中略)ホートンでは、鹿は牛のように五、六十頭の群れで動き回っていた。夕暮れにやて来ては暗くなるまで草地の葉を食べ、夜には通りがかりの車のライトを浴びて、眼だけが火のように光って見えたものだ。

*暗くなるまでに(1984-1987)わたしは遊歩道に車を止め、エビ採り舟が係留されている海べりまで歩いた。(中略)カモメ白衣の上でやかましく泣き、朽ちかけた桟橋沿いを次々と羽をかすめて飛んでいく。その真ん中に大きなアオサギが一羽立っている。目は険悪で、長い嘴は血に飢えた槍のようだ。

*恵み(1995-1996)雲が低くなって水平線に燃えさかる日没の野火を消し去り、わたしは(祖母が二人の娘を亡くした)缶詰工場の火事のことを思い浮かべる。(中略)餌の最後の一つかみをガンにまくと、風がわたしのスカーフをほどく。空気にかすかな木のいぶるにおいがする。(中略)いつまでわたしは、自分自身のではない痛みを思い出してしまうのだろう?わたしたち全員のものとなるまで、繰り返し繰り返し語られる物語の数々。祖母の悲しみは、母の悲しみとなる。母の恐れは、わたし自身のものとなる。

本作は著者の長編二作目で、シカゴ・トリビューンによってその年の《最良図書》に選ばれている(訳者あとがきより)。


# by nishinayuu | 2026-03-27 09:54 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

読書と韓国語学習の備忘録です。


by nishinayuu