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韓国の詩 「子規詞」

月白夜蜀魄啾    月白き夜は ソチョクセの声 いよよ寂しく
含愁情倚楼頭    愁いを胸に 楼頭に 凭れをり
爾啼悲我聞苦    汝が啼く声の 哀れさに 我は苦しむ
無爾声無我愁    汝が声の なかりせば 我の愁いも なかりしを
寄語世上苦労人   世の中の 苦労多(さわ)なる人たちに 言ひおかむ
慎莫登春三月子規楼 春三月は 子規楼に 決して登ることなかれ

端宗(1441~1457)は世宗の孫、文宗の息子。父の文宗が在位2年で急死したため、1452年に12歳で王位に就いたが、叔父の首陽大君(後の世祖)によって王位を追われ、江原道寧越に配流されたのち命まで奪われた。子規楼は配流地にあった楼閣で、端宗がここに登って子規の声を聞いていたということからこう呼ばれるようになった。

c0077412_11132594.jpgところで、端宗が胸を痛めながらその声を聞いたというソチョクセは、実は子規(ホトトギス)ではなく木の葉木菟(コノハズク)だった。ホトトギスは澄み切った明るい声で、コノハズクは湿った暗い声で鳴く。
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by nishinayuu | 2017-03-13 11:10 | 翻訳 | Trackback | Comments(2)

韓国の詩 「雨の音」 パク・ゴノ

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朗誦集『타다가 남은것들』の中の一編「雨の音」に日本語訳をつけてみました。原詩は訳詩の下にあります。


雨の音
雨の音を 聞いている。
夜中にふと 目が覚めて
雨の音が 聞こえると
ぱっと開く ドアがある。
とりとめなく 生きてきた
わたしのこの 人生を
くしけずって 整える
雨の音。

現実でも
夢でもない
ふわふわした 状態で
雨の音を 聞いている。

雨の音を 聞くことが
なぜかとても うれしくて。

目を閉じると
大きくなる 地の果てを
ひとり歩む。
耳の中で
歌になっていたりする
雨の音。

今のこんな 感覚を
どう表せば いいのやら
雨の音を 聞いている。

빗 소리  박건호
빗소리를 듣는다.

밤중에 깨어나
빗소리를 들으면
환히 열리는 문이 있다.
산만하게 살아온
내 인생을
가지런히 빗어주는
빗소리.

현실도
꿈도 아닌
진공의 상태가 되어
빗소리를 듣는다.

빗소리를 듣는다는 것은
얼마나 반가운 일이냐.

눈을 감으면
넓어지는 세계의 끝을
내가 간다.
귓속에서
노래가 되기도 하는
빗소리.

이 순간의 느낌을
뭐라고 표현할까
빗소리를 듣는다.
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by nishinayuu | 2017-02-21 15:51 | 翻訳 | Trackback | Comments(2)

韓国の詩「鴨川」 鄭芝溶

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『나의 문화유산답사기-일본편4 교토의 명소』(2016年8月1日の読書ノート)の末尾で言及した鄭芝溶の詩と日本語訳を紹介します。
画像は同志社大今出川キャンパスにある鄭芝溶の詩碑です。

압천 십리ㅅ 벌에
해는 저믈어......저믈어......

날이 날마다 님 보내기
목이 자졌다......여울 물소리......

찬 모래알 쥐여 짜는 찬 사람의 마음,
쥐여 짜라. 바시여라. 시언치도 않어라.

역구풀 욱어진 보금자리
뜸북이 홀어멈 울음 울고,

제비 한쌍 떠ㅅ 다,
비마지 춤을 추어.

수박 냄새 품어오는 저녁 물바람.
오랑쥬 껍질 씹는 젊은 나그네의 시름.

압천 십리ㅅ 벌에
해가 저믈어......저믈어......


鴨川十里の野原に
日は暮れて……日は暮れて……

昼は昼ごと君を送り
喉がかすれた……早瀬の水音……

冷たい砂粒を握りしめ 冷ややかな人の心、
握りしめ、砕けよ、うつうつと。

草生い茂るねぐら
水鶏の後家が独り鳴き、

燕のつがいが飛び立ち、
雨乞いの踊りを空に舞う。

西瓜の匂い漂う夕べの川風。
オレンジの皮を噛む若い旅人の憂い。

鴨川十里の野原に
日は暮れて……日は暮れて……
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by nishinayuu | 2016-10-04 09:41 | 覚え書き | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「序詩」 尹東柱

c0077412_122678.jpg『나의 문화유산답사기-일본편4 교토의 명소』(2016年8月1日の読書ノート)の末尾で言及した尹東柱の『序詩』と二つの日本語訳を紹介します。
画像は同志社大今出川キャンパスにある詩碑(上)と尹東柱の肖像(下)です。

죽는 날까지 하늘을 우러러
한 점 부끄럼이 없기를,
잎새에 이는 바람에도
나는 괴로워했다.
별을 노래하는 마음으로
모든 죽어가는 것을 사랑해야지
그리고 나한테 주어진 길을
걸어가야겠다.

오늘 밤에도 별이 바람에 스치운다.

日本語訳1(詩碑にある伊吹郷の訳)
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今宵も星が風に吹き晒される。

日本語訳2(上野潤の訳)
息絶える日まで天(そら)を仰ぎ/一点の恥無きことを、/木の葉にそよぐ風にも/わたしは心痛めた。/星を詠うこころで/全ての死に行くものを愛さねば/そして私に与えられた道を/歩み行かねばならない。/今夜も星が風に擦れている。

上野訳(1941.11.20)と伊吹訳には、1行目の「天」/「空」、2行目の「恥」/「恥辱」、6行目の「すべての死に行くもの」/「生きとし生けるもの」などの相違点がある。上野訳はキリスト者であった作者と多くの韓国人の心情に合致する訳であり、伊吹訳はかなり日本人的な訳であるといえる。このため伊吹訳は朝鮮日報(1995.10.31,チョ・ヒョンギュン記)で糾弾されたりしている。c0077412_1225833.jpg「これに対して荒川洋治は「韓国人とチョ氏の言葉に寄せる悲痛な情熱には敬服するが、それを押し通すと尹東柱はあなたがただけがわかるもの、あなたがただけのものになってしまう」と述べ、伊吹訳をより普遍性を持つ訳としているという。nishinaとしては荒川洋治の言葉に共感を覚えるが、上野訳の持つ意味もしっかり受けとめたいという思いから二つの訳詩をともに紹介しておく。
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by nishinayuu | 2016-09-14 12:08 | 覚え書き | Trackback | Comments(2)

韓国の詩「이름 모를 친구에게」

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「龍仁でビル外壁の窓ガラスを清掃していた作業員 転落死」という報道記事(2010.9.18)に対する詩形式のコメントを日本語にしてみました。原詩の作者名は未詳ですが、男性と想定して訳しました。


そのあたりには 枝の茂った木が一本も なかったのかい
やわらかな芝生を植えた ほんの小さな地面さえ なかったのかい
えい、ちくしょうめ
中秋の節句がすぐに 来るというのに
その日のためにいそいそと立ち働いている母親は どうしたらいいのかい
よりにもよって あんたはおれと 同い年かい
電線にでもつかまって ぶらさがったらよかったものを
ない翼でも ひろげてみたらよかったものを
20階から転落しても 死なずにすんだ人もいるのに
たった9メートルならば 助からなくちゃ
なんとしたって 助からなくちゃ
足許を しっかり見ろよ
とにかく何か ぎゅっとつかめよ
耳許をかすめて飛んだ蝶々にだって つかまれよ

この中秋はもうだめだ
楽しく過ごすのはむりだ
直会(なおらい)をして 泣くことになる


[이름 모를 친구에게]
그놈의 동네는 가지 성성한 나무 하나 없었더냐
푹신한 잔디 한 평 깔려 있지 않았더냐
에라이 에라이
추석이 코 앞인데
눈 비비며 전 부치고 계실 어머니는 어쩌란 말이냐
하필 당신 나와 가튼 나이더냐
전기줄에라도 매달렸어야지
없는 날개라도 냈어야지
누구는 이십층서도 살았다드마는
구미터면 살았어야지
어떻게든 살았어야지
발 밑 좀 살피지
뭐라도 붙잡지
귓볼 스쳐 날던 나비에라도 매달리지

이번 추석은 글렀다
웃으며 지내긴 글렀다
음복하며 울게 생겼다
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by nishinayuu | 2015-02-23 10:09 | 翻訳 | Trackback | Comments(1)

韓国の詩「12月の葉書」

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韓国の詩人・李海仁の詩を日本語にしてみました。原詩は自由律詩ですが、日本語訳は七五調にしました。表現の拙さが少しはごまかせるのではないかと思いまして。


また1年が過ぎてしまうと
嘆き落ち込むのではなく、
まだここにある残り時間を
嬉しく思う気持ちにさせてくださいな。

この1年に受け取った
友情と 愛のこもった贈り物
辛い思いをした悲しみも
心すなおに神にあずけて、
松ぼっくりが描かれた感謝のカード
好きな人たちみんなに出したい12月。

さあ今はまた生きていかないと。
やるべきことをついつい先に延ばしては
ちょっとした約束をおろそかにして
他人(ひと)に心を開かなかった
この1年の過ちを悔いながら、
慎ましく歩まなくてはなりません。

同じ過ち繰り返す、そんな自分が
今年もとてもいやだけれども
後悔せずにおきましょう。
今日という日が最後の日でもあるかのように
愛しみながら時間を使い、
誰も彼をも許せたら、
それだけで幸せになれるでしょうに……
そんな幸せさえもまた先に延ばして生きている
こんな私の愚かさを、どうか許してくださいな。

見聞きし話すことの多さに
うんざりもする世の中で、
いつもしっかり目を開けて生きていくのはしんどいけれど、
目が濁ったりせぬように、
心も澄んでいるように、
独りぼっちで辛くても、きちんと努力
していけるよう、力を貸してくださいな。

12月には古い暦を取り外し
新しいのに掛け替えて
静かに言ってみるつもりです。
「立ち去れ、古い日々たちよ。
来たれ、新たな日々たちよ。
自分をさらに育むために
私にとってなくてはならぬ
もったいなくもありがたい時間たちよ」と

12월의 엽서 이해인
또 한해가 가 버린다고
한탄하며 우울해하기보다는
아직 남아있는 시간들을
고마워하는 마음을 지니게 해주십시오.

한해동안 받은
우정과 사랑의 선물들
저를 힘들게 했던 슬픔까지도
선한 마음으로 봉헌하며
솔방울 그려진 감사카드 한 장
사랑하는 이들에게 뛰우고 싶은 12월

이제 또 살아야지요
해야 할 일 곧잘 미루고
작은 약속을 소흘히 하며
남에게 마음 닫아 걸었던
한 해의 잘못을 뉘우치며
겸손히 길을 가야합니다.

같은 잘못 되풀이하는 제가
올해도 밉지만
후회는 깊이 하지 않으렵니다
진정 어늘밖엔 없는 것처럼
시간을 아껴쓰고
모든 이를 용서하면
그것 자체로 행복할텐데……
이런 행복까지도 미루고 사는
저의 어리석음을 용서하십시오.

보고 듣고 말할 것
너무 많아 멀미나는 세상에서
항상 깨어 살기 쉽지 않지만
눈은 순결하게
마음은 맑게 지니도록
계속하게 해주십시오.

12월엔 묵은 달력을 떼어내고
새 달력을 준비하며
조용히 말하렵니다
‘가라, 옛날이여
오라, 새날이여
나를 키우는데
모두가 필요한
고마운 시간들이여.’
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by nishinayuu | 2014-12-25 15:56 | 翻訳 | Trackback | Comments(1)

韓国の詩 「送人」  鄭知常

c0077412_1529785.png☆12世紀、高麗時代の詩人・鄭知常による「韓国で最も美しい叙情詩」といわれる詩を紹介します。はじめに原文の漢詩とその読み、次にそれを韓国語で読んだ文を記し、最後に日本語の拙訳をつけました。なお作者・鄭知常については、右欄の「韓国の著名人」に簡単な説明があります。「韓国の著名人」→→の順にクリックしてご覧ください。

「送人」
雨歇長堤草色多     우헐 장제 초색다
送君南浦動悲歌     송군 남포 동비가
大同江水何時尽     대동강수 하시진
別涙年年添緑波     별루 년년 첨록파

「벗을 보내며」 (역: 유홍준)
비 개인 긴 강둑에는 풀빛 더욱 푸르른데
남포로 님 보내는 노랫가락 구슬퍼라
대동강물은 어느 때나 마를 것인가
해마다 이별의 눈물만 푸른 물결에 더하내


「友を送る歌」
雨晴れし長堤 草の色 深まれど
南浦へ君送る 歌の節 もの悲し
大同江の流れ 絶える日の あらざれば
離別の涙ゆえ 年ごとに 川波の高まらむ
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by nishinayuu | 2014-10-06 15:17 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「漢拏山の躑躅」   李殷相


c0077412_1003850.jpg鷺山・李殷相が漢拏山に登って霊室の躑躅を詠んだ詩を日本語にしました。5・7調でまとめることを最優先にしましたので、かなり強引な訳になっていると思いますが……。
なお、李殷相については右の欄にある「韓国の著名人」をクリックし、さらにをクリックすると簡単な説明が出てきます。

遙けく高き この山に/土にもあらぬ 石くれの
狭き隙間を 突き破り/一人侘びしく 咲く花の
愛おしく またいじらしく/熱き思いは ほとばしる

花を一もと 折り取りて/抱いて見むと 思へども
我が許にては かの花の/不幸せにや 思はなむ
このまま我ら 離れいて/恋ひ恋ひながら 生きゆかむ


높으나 높은 산에 흙도 아닌 조약돌을
실오라기 틈을 지어 외로이 피는 꽃이
정답고 애처로워라 불같은 사랑이 쏟아지네

한 송이 꺾고 잘라 품음 직도 하건마는
내게 와 저게 도로 불행할 줄 아옵기로
이대로 서로 나뉘어 그리면서 사오리다
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by nishinayuu | 2013-10-25 10:02 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

韓国の詩 「荷物を背負う人と蝶」 シン・ヨンスン

c0077412_20321739.jpg韓国の児童詩を日本語にしました。作者が5年生の時に作った詩で、国民学校2年生の教科書に載ったそうです。原詩は2、4,6行目の末尾がダの音、3、5行目の末尾がガの音で終わっているので、日本語も末尾音をそろえてみました。そのため、2行目は正確にいうと「載せました」ですが、現在(行為の結果の持続)形にしました。なお、チゲは背負子のことです。

지게꾼과 나비 신영승
할아버지 지고 가는 나무지게에
활짝 핀 진달래가 꽂혔습니다.
어디서 나왔는지 노랑나비가
지게를 따라서 날아갑니다.
뽀얀 먼지 속으로 노랑나비가
너울너울 춤을 추며 따라갑니다.


荷物を背負う人と蝶     シン・ヨンスン
じいちゃんが担いで歩くチゲの荷に
ふんわり咲いたツツジの枝も載ってます。
どこから飛んできたのやら、黄色い蝶が
チゲの後ろをついていきます。
霞のような埃の中を、黄色い蝶が
ひらりひらりと舞いながらついていきます。
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by nishinayuu | 2013-09-24 20:33 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

韓国の詩 「懐かしい金剛山」 韓相億

c0077412_21292443.jpg8月10日の記事で触れた「懐かしい金剛山」を7・5調の詩に訳してみました。「懐かしい金剛山」は1962年に6・25の12周年に当たって文化広報部の要請で作られた歌曲です。作曲は崔永燮で、曺秀美(スミ・ジョーとして知られる世界的歌手)やプラシド・ドミンゴらによって歌われています。ドミンゴの歌はこちらで聞くことができます。

그리운 금강산 한상억
누구의 주제런가 맑고 고운 산
그리운 만이천봉
말은 없어도 이제야 자유 만민
옷깃 여미며
그 이름 다시 부를 우리 금강산
수수 만 년 아름다운 산
더럽힌 지 몇 해 오늘에야 찾을 날 왔나
금강산은 부른다

懐かしい金剛山   韓相億
誰が言いしか 清らなる
麗しき山 懐かしき
一万二千の 峰みねよ
ことばにこそは 出さねども
自由万民 今こそは
襟を正して もう一度
その名を呼ばむ 金剛山
数万年を 経てもなお
この山こそは清らなれ
汚されしより 幾とせか
ついに尋め行く 時や来し
金剛山は 呼んでいる


注1:冒頭の部分は直訳すると「誰の主題であろうか」。あるサイトでは「誰の主宰であろうか」としてあるが、主宰は주재なのでどうだろうか。「主宰」や「主題」ではわけがわからないので「言いしか」としておいたが、これもあまりピンと来ない。
注2:下から2行目の頭は떠나간지や못가본지というヴァージョンもあるが、『甲乙考試院』に引用されている形のままにしておく。

なお、この日本語訳はメロディーに合わせて歌えるようにはなっていません。
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by nishinayuu | 2013-08-24 21:34 | 翻訳 | Trackback | Comments(4)