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『野いばら』(梶村啓二著、日本経済新聞、2011)

c0077412_20355269.jpg読書会「かんあおい」2013年8月の課題図書。本書は19の章からなり、1、12,19が現代のイングランドとアムステルダム空港、その他は150年前の江戸が舞台になっている。
物語は、醸造メーカーのバイオ事業部に籍を置く縣和彦が「俺」という一人称で語り始める。2009年6月16日、「俺」は仕事の旅の途上、イングリッシュ・ガーデンを見学しようと立ち寄ったコッツウォルズの片隅にある古い屋敷で、屋敷の主であるパトリシアから古いノートを渡される。前の持ち主であるウィリアムが1896年に書いたもので、日本人に読んでもらうことを望んでいたという。「俺」はそのノートを預かって仕事の旅のあいまに読んでいく。
時は1862年に飛び、ウィリアム・エヴァンズが「わたし」という一人称で語り始める。田舎医者の息子で、英海軍情報士官として27歳で香港に赴任して5年。妻エヴェリーンは故郷に残ることを望んだので、単身の赴任である。英国公使館襲撃、生麦事件などで英国と日本の緊張が高まっていたこの年の9月末、エヴァンズは横浜の英国公使館に転任する。赴任直後に成瀬勝四郎という男がエヴァンズの前に現れる。公使館員の雑事と大君政府との連絡を担当し密偵も兼ねる、外国奉行配下の役人である。完璧な北京官話を操り、英語を少々話す成瀬に、エヴァンズは一目で魅了される。成瀬の手配でエヴァンズは日本語の勉強を始める。場所は町外れにある禅久院、教師は70を超えた老人の野上。ところが野上は開国主義者で放言癖があったために斬殺されてしまう。成瀬は次に、親戚の女性・成瀬由紀を連れてくる。水戸に嫁いでいたが離縁されて実家にいる変わった女だという。こうして由紀は日本語の教師として週2回、江戸から泊まりがけで禅久院に通ってくることになった。
知的な美貌の持ち主である由紀は、素晴らしい日本語教師でもあった。日本語の授業の合間に、由紀とエヴァンズはそれぞれが持参した弁当を交換してみたり、エヴァンズが採集している日本の花の話をしたりして、急速に親しくなっていく。そしてある日、由紀の従者の吉次がウマラ(野いばら)を抱えてきたのをきっかけに、エヴァンズはそれが由紀のいちばん好きな花だということを知る。エヴァンズが日本の歴史書や地図の購入を頼んだときや、由紀が「菊合わせ」に案内してくれるというので、エヴァンズがお礼に英公使館に案内すると申し出たときなどに由紀が見せた緊張に、エヴァンズは深い意味を読み取ることはしなかった。しかし来日して1ヶ月経った10月末、日本の政情について互いに探りを入れるために成瀬勝四郎と密会したとき、エヴァンズは由紀の美貌のことを口にしかけて言葉を呑んだ。何か自分を強く押しとどめるものがあったのだ。それが破滅の予感だったことに、エヴァンズはあとで気がついたのだった。
敵対する陣営を背後に背負ったエヴァンズと由紀の、短くも熱い出会いと別れを最後に見届けたのは野いばらの茂みだった。150年後のコッツウォルズで野いばらの茂みを見守るパトリシアは、エヴァンズのノートを読み終えて返しに来た縣に「男って勝手ね」と言うのだが、由紀と同じ日本人であり、エヴァンズと同じ男である縣は、どう応えるべきだったのだろう。(2013.7.17読了)
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by nishinayuu | 2013-09-18 20:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『五体不満足』(乙武洋匡著、講談社)


c0077412_210126.jpg読書会「かんあおい」2013年5月の課題図書。
外見の特異さと満面の笑顔。その一見アンバランスなものを体現している著者が、誕生から現在までを語った自伝である。障害を持って生まれたことを嘆いたり悲しんだりする記述はほとんどなく、一個の人間としてどう生きていたかが明るく爽やかな筆致で綴られていて、実に爽快な本である。
障害者が明るく爽やかに生きていくのは難しいと思われる世の中で、なぜ著者はこれほど前向きになれたのだろうか。その理由として考えられるのは、著者の両親がたぐいまれな資質の持ち主だったことであり、その両親から生まれた著者もまたたぐいまれな資質の持ち主だったことだろう。
両親のユニークさは本書のあちこちで語られている。病院側の配慮からか誕生直後の子どもには会えずにいた母親が、やっと目にすることができたわが子を見たとき、思わず「かわいい」と言ったというのは、この一家のその後を象徴するような場面である。両親は障害を持って生まれた子どもを哀れんで甘やかすということはいっさいなく、なんでも一人でできるように育てる一方で、父は父親と兄の二役をこなしてわが子としっかり付き合い、母は小学校に毎日付き添って廊下で待機する。わが子のために必要とあれば転居も厭わないこの両親は、中学生のわが子が友人と旅行すると聞くと、心配するどころかこれ幸いと香港旅行に行ってしまうユニークな人たちなのだ。こうして著者はすばらしい両親、すばらしい教師、すばらしい友だちを得て学校生活を存分に楽しみつつ成長していく。だから著者には「自分が障害者であるということを自覚する必要も、機会もなかった」。
20歳の秋の夜長、著者はあれこれ考えているうちにふと気がつく。「障害を持った人間しか持っていないものというものが必ずあるはずだ。そして、ボクは、そのことを成し遂げていくために、このような身体に生まれたのではないか」と。これが転機となって著者はまた一歩大きく前に踏み出し、障害者を苦しめている世間の心の壁を取り除くこと、つまりソフトのバリアフリーをめざして歩み出す。あとがきにヘレン・ケラーの「障害は不便である。しかし、不幸ではない」ということばが紹介されている。(2013.5.11読了)
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by nishinayuu | 2013-07-17 21:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『冬の龍』(藤江じゅん著、福音館)


c0077412_19535923.jpg読書会「かんあおい」2013年4月の課題図書。
物語は全部で28の章からなり、それらの章が4つのグループにまとめられて、各グループに「一」「陽」「来」「復」というタイトルが付けられている。すなわち、いろいろ悪いことが続いたあとでめでたしめでたしとなる物語であり、季節は冬至から新年に掛けてである。
第1章は「穴八幡の冬至祭」。ここで主人公の寺島シゲル(6年生)、寺島誠(シゲルの父)、松村すず(下宿屋「九月館」の管理人)、山口先生(シゲルの担任)などが紹介される。シゲルは今、父が学生時代に下宿していた九月館に一人で世話になっている。4歳で母を亡くし、父は会社を辞めて故郷に仕事を探しに行っているからだ。その父から松村すずのもとに今月分の下宿代とシゲルへのクリスマスプレゼント代(2000円)が届く。シゲルは自分で貯めてきたお金に父からのお金をプラスしてマウンテンバイクを買うつもりだったが、当てが外れてがっかりする。
第2章「真夜中の肝だめし」で、シゲルと友だちの遠山哲(大勢の兄弟姉妹のお兄さん)、川原雄治(古本屋の息子)、桐沢なつみ(写真屋の娘でクラスの女王様)らが登場。なつみの心霊写真の話を雄治がせせら笑ったことから、男子三人組は夜中に南藏院(面影橋をわたってちょっと行った所にある)に行き、証拠に写真を撮ってこないといけないことになる。午前二時に南藏院で写真を撮っていたとき、三人の前に小槻二郎が現れる。松村すずに会うために信州から来たというこの青年は昔、九月館にあったケヤキの精だった。新しい年が来る前に「龍の玉」を見つけないと禍が起きる、という二郎の話を聞いたシゲルたちは、半信半疑ながらあちこちの寺や神社を訪ね歩くことになる。
物語は、木の精と龍の玉といった幻想的世界と、シゲルたちや下宿人たちの日常生活といった現実の世界が無理なく調和して綴られていき、龍の昇天という大団円のあと、穏やかでさわやかな結末へと導かれていく。そうした流れの中に、早稲田を中心とする各地の寺や神社の歴史や言い伝え、古書に綴られている事柄や古本市と古書蒐集家の世界、昭和初期から始まる九月館の歴史など、様々な事柄の詳細な記述が、収拾がつくのか心配になるほどたくさん盛り込まれている。スーパーで葱を買うエピソードには蕪村の「葱買うて枯れ木の中を帰りけり」なぞが添えられていたりするのだ。とにかく読みでのある大作である。(2013.2.25読了)

☆もともと小学校高学年用の課題図書だったため、近所の図書館にかなりの冊数がそろっていて、おかげで読書会の会員全員が一冊ずつ手許に置いてゆっくり読むことができました。いつものように何人かで回し読みしたのでは内容がつかみきれなかったかも知れないと思うほどに情報量の多い作品です。そのせいか対象の小学校高学年の子どもたちにはあまり読まれていないようで、どの本もまっさらの感じでした。
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by nishinayuu | 2013-05-03 19:54 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『幕末銃姫伝』(藤本ひとみ著、中央公論新社)


c0077412_20192267.jpg読書会「かんあおい」2013年3月の課題図書。
NHKの大河ドラマで取り上げられてちょっとしたブームになっている新島八重(山本八重)の物語で、ドラマの原作(2012)より前(2010)に書かれた作品である。
1845年生まれの八重が12歳になった年から物語は始まる。藩校・日新館で学ぶ幼なじみの山川大蔵(おおくら)、江戸遊学から3年ぶりに戻ってきた兄の覚馬、弟の三郎などに勝るとも劣らぬ健康な身体と意欲を持ちながら、女としてのたしなみを押しつけられることに反発する八重。後の男勝りのハンサムウーマンの原型がここにある。
やがて会津は幕末の嵐に巻き込まれていく。佐久間象山のもとで学んだ兄の覚馬が早くから公武合体と開国を藩に進言していたこと、藩の優等生である大蔵は佐幕派で攘夷論者だったこと、などの政治的な話と並行して、人々の日常が綴られていく。そこから見えてくるのは、よく言えば生真面目な、はっきり言えば融通の利かない会津藩の上層部の、時代が読めない頭の固さであり、そんな連中の論理によって穏やかな日常を奪われていく人々の姿である。会津に吹き荒れた嵐の中で、大勢の人々が外の世界を知る機会もなく散っていったが、一方で自分なりに精いっぱい闘ったあと、自分の道を見つけて新しい世界に踏み出していった人々もいる。前者の中には玄武隊の隊員だった八重の父、朱雀隊の隊員だった弟の三郎、白虎隊の隊員だった隣家の少年・悌次郎、山川大蔵の妻・登勢などがおり、後者の中には兄の覚馬、夫の川崎尚之助、そして山本家の女たちがいる。
特に印象的なのは八重を取り巻く以下の4人の男たち。
兄の覚馬――藩の砲術指導者であると同時に、思想・学問の指導者でもあった。早くから八重の武術や学問の才能を認め、八重の生き方を支援した。
山川大蔵――器量よしではない八重をずっと女性として愛した人物。八重の方も秘かに思いを寄せていた。
梶原平馬――大蔵とは別のやりかたで、やはり八重を女性として見ていたが、八重は反発するばかりだった。八重の砲術の腕を買って、最後の闘いの際に八重を起用した。
川崎尚之助――事情があってある藩から会津に流れてきた男。覚馬に弟子入りした縁で八重と結婚。常に八重を立て、自分は引っ込んでいるので、八重は軟弱で頼りない男と見ていたが、真に八重を女性として大切にしていたのはこの人物だったのかもしれない。もとの藩を出たときに意地もこだわりも置いてきたのか、恬淡を絵に描いたような人物である。(2013.2.12読了)
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by nishinayuu | 2013-04-21 20:19 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『偶然の祝福』(小川洋子著、角川書店)


c0077412_1658567.jpg読書会「かんあおい」2013年2月の課題図書。
この作品は7つの章からなっており、それぞれ独立した短編として読めるが、いくつか各章に共通する事項がある。それは例えば「死んだ弟」であり、「幼い息子」であり、「飼い犬のアポロ」であり、そしてなによりも「語り手が小説家であること」である。時間は過去から現在へと流れているわけではないが、一人の小説家の子ども時代からシングルマザーになった経緯、子育て中のエピソード、最初の小説や受賞作にまつわるあれこれなどが綴られており、全体で一つの物語となっている。
冒頭の章「失踪者たちの王国」の時点で息子は離乳期を迎えている。ただし、息子とアポロは軽く触れられるにとどまり、「生まれて初めて失踪という言葉を知ったのは、九歳のときだった」と一気に失踪者の話に入っていく。(やはりその年頃にnishinaは「世捨て人」という言葉をロフティングの『ドリトル先生』で、また「異分子」という言葉をザッパーの『愛の一家』で知りました。) 語り手は次々に自分の知っている失踪者を挙げていく。
まずは絨毯屋の娘の叔父さん――タクラマカン砂漠へ子羊の毛皮を求めに行ったきり。このタクラマカン砂漠というややこしい名前は、九歳の語り手にロマンティックな想像さえ呼び起こした。(nishinaの長女はやはり同じ年頃のときに友だちのお母さんが気仙沼の出身だと聞いて、その耳慣れない音の繋がりに衝撃を受け、友人のお母さん=気仙沼という関係式が頭に焼き付いたそうです。)
2番目は6年生のときで、隣の席だった肥満児で左利きの少年のおじいさん――歯医者に入れ歯を残したまま。3番目は中学のときで、保健の先生の婚約者――ウィーンでシュテファン聖堂の墓地に手帳を取りに行って。
4番目は19歳のときで、嘔吐袋(エチケット袋)の収集が趣味だった父方の伯母――税理士と交換したスカンジナビア航空の袋を持って。
「不思議にも彼らは私を慰めてくれる。失踪者の王国は遠いはずなのに、彼らは洞穴に舞い降りてきて、いつまでも辛抱強くそばに寄り添ってくれる。その吐息を私は頬のあたりに感じることができる」という語り手は、続く各章でも様々な喪失と別れを綴っていく。「盗作」では弟の死の衝撃とそれを乗り越えたきっかけを、「キリコさんの失敗」では消えた万年筆とキリコさんとの別れを、「エーデルワイス」ではあなたの弟ですと言って語り手につきまとっていた不細工な男が、こんなに堂々として完全な弟は他にはいない、と思うようになっていたのに春になったら消えていたことを、「涙腺水晶結石症」ではアポロの病気を治して名も告げずに立ち去った‘涙腺水晶結石症の犬を探す旅人’のような獣医のことを、「時計工場」では息子の父親である指揮者が、語り手の妊娠を知って離れていったことを、「蘇生」では‘ことばの湧き出る泉’を失って声もことばも失った苦しい時期のことを。
夢か現かはっきりしない登場人物たち――盗作の元になる話を語ってくれた女性、弟だと称するストーカー男、行きずりの獣医師、時計工場に閉じこもる語り手のもとに現れた蝶の痣を持つ果物売りの老人、そしてもしかしたら、アナスタシアというのは蘇生という意味よ、と言って語り手を見つめたアナスタシアおばあさん――はみんな、失踪者の国から舞い降りてきて、語り手に寄り添ってくれた人々なのだろう。(2013.1.23読了)
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by nishinayuu | 2013-04-06 16:58 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『青い壺』(有吉佐和子著、文藝春秋)


c0077412_160596.jpg読書会「かんあおい」2013年1月の課題図書。
有吉佐和子が40代の時に書いた作品で、最近復刻されて手に入りやすくなったとか。いつも本の冊数不足に悩まされる我が読書会にとってはありがたい本であった。
全部で13の章に分かれていて、どの章にも同じ一点の青い壺が登場して全体を繋ぐ役割を果たしているが、1章ごとに完結する短編としても読めるようになっている。有吉佐和子という作家のすばらしさを再認識させられる作品である。
第一話の主人公は磁器制作者の牧田省造。デパートから依頼された一点物の焼き物が、会心の青に仕上がった。道具屋の安原は、この青い壺が唐物に見えるように古色をつけろ、と言う。決断がつかず悩んでいる夫を見かねて、妻の治子は青い壺をデパートに渡してしまう。
第二話で青い壺はある会社の副社長に贈られる。定年退職した男の妻がデパートで2万円で買い求めて贈ったのだ。退職した夫をもてあます妻も哀れだが、壺を持って出向いた会社で異常な行動を見せる夫は格段に哀れ。
青い壺は第三、第四話で副社長の家で花器として使われたあと、第五話では副社長夫人の稽古仲間、千代子の手に渡っている。千代子は目が見えなくなった母親を都立病院に連れていき、手術を受けさせる。手術は成功し、母親は目が見えるようになったが、65歳以上なので手術も入院も無料だった(そういう時代もあったのですよね)。母親が病院の石田先生にお礼がしたいというので、青い壺を渡す。
そのあと青い壺は、第六話で石田の勘違いからバーのマダムに渡され、第七話でまた石田家に戻され、第八話でさらにそこから盗み出され、第九話で京都は東寺の縁日に現れる。それを東京から70歳記念の同期会にやって来た弓香が3000円で手に入れる。
第十,十一話に登場するのは弓香の孫の悠子。ミッションスクールで栄養士として働く悠子は優しいシスター・マグダレーナがスペインに一時帰国することになったとき、手みやげとして青い壺を渡す。青い壺はスペインに渡ってしまったのだ。その壺は第十二話で病院の掃除婦をしている森シメが501号室で目にする。シメが掃除のときに触ろうとするとその患者に怒鳴られる。
そして第十三話。501号室の患者だった園田先生は香合を届けに来た省造にスペインで見つけた青い壺を見せ、800年前の南宋浙江省の竜泉窯だ、と言う。それは10年前、省造が40代半ばの時に焼いたあの青い壺だった。そのことを省造が告げると、自分の眼を信じる園田は頑として省造のことばを退けるが、心の内では動揺する。もちろん省造も譲らない。しかし帰りの列車が名古屋を過ぎたころ、省造は思うのだった。あの壺にいつの間にあんなにいい古色がついたのか。その壺に10余年ぶりに巡り合えたことを喜ぶべきだと。(1月6日読了)
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by nishinayuu | 2013-03-07 16:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『本を読む女』(林真理子著、新潮社)


c0077412_1055179.jpg読書会「かんあおい」2012年10月の課題図書。1998年にすでに取り上げられた本だが、10月の担当者のたっての希望で再度読むことになった。
山梨県の小さな町にある菓子商「小川屋」に生まれた万亀(まき)の半生記である。始まりは大正から昭和に変わって四日目の1926年12月25日。大正4(1915)年生まれの万亀は読書好きの小学生で、この日も祖父母が隠居部屋にしている倉の二階で『赤い鳥』に読みふけっていた。暮れの忙しいときに、とあきれる祖母に追い立てられるようにして母のもとに急ぐ。「小川屋」の家族は父の隆吉、母の芙美子、長男の秋次と四人の女の子――弥生、英子、朝美、万亀――という構成である。弥生は手先が器用、英子は母親譲りの大変な器量よし、朝美は歌がうまい、とそれぞれ特徴があるなかで、万亀はこれといった特徴のない平凡な少女だった。ただ、本をたくさん読んでいるせいで作文が得意で、ほかの勉強もよくできた。万亀に本の世界を教えてくれたのは窪谷に住む伯父で、4歳の万亀に会ったとき「こんな頭のいい子どもは見たことがない」と感心し、「マザーグース童話集」と「世界名作童話集」を買ってくれたのだった。
物語は本好きの万亀のそれからを、そのときどきに万亀が接した本に絡めて語っていく。小学生時代の「赤い鳥」、女学校時代の「花物語」(吉屋信子)、女専時代を経て北へ向かうときの「放浪記」(林芙美子)、故郷に戻って悶々と過ごした日々の「大地」(パール・バック)、出版社時代の苦い思い出である「オリムポスの果実」(田中英光)、結婚して大陸で過ごしたときの「万葉集」、再出発のきっかけをもたらした「斜陽」(太宰治)などが各章の章題として掲げられている。ほかにも万亀の接した数多の作品が全編を彩っており、それによって万亀という女性と彼女の生きた時代を生き生きと浮かび上がらせている。(2012.9.12読了)
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by nishinayuu | 2012-11-07 10:05 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『はやぶさの大冒険』(山根一眞著、マガジンハウス)


c0077412_1626538.jpg読書会「かんあおい」2012年9月の課題図書。
2003年5月に地球を飛び立ち、約60億キロの旅を終えて2010年6月に地球に帰還した「はやぶさ」の物語。「はやぶさ」の開発チームに密着取材し続けた著者によるドキュメンタリーで、科学者たちとのインタビューやら図版・写真などによって堅苦しい内容がわかりやすく解説されており、科学音痴にも充分楽しめる読み物になっている。また、科学者たちが「はやぶさ」の不調や回復に一喜一憂するようすと、まるでそれに応えるかのような「はやぶさ」の動きが、親が子どもを見守るかのように、また子どもが親に応えて奮闘しているかのように描写されていて、大冒険を終えて帰還した「はやぶさ」を迎えるシーンでは科学者たちといっしょに感動の涙を流してしまいそうになる。
特に興味深かった事柄を以下に記しておく。
1.MUSES-C――「はやぶさ」の打ち上げ前の名前。前の部分はMu Space Engineering Satellite(ミューロケットによる宇宙工学実験衛星)。
2.「はやぶさ」という名前の由来――①糸川博士は戦時中に6000機近くも生産された戦闘機「隼」の開発に携わっていた。②小惑星に舞い降りて岩石のサンプルをぱっとつかんで持ち帰る姿が、猛禽類のハヤブサのようだ。③糸川教授や的川教授(当時の内之浦宇宙センター所長)らが内之浦へ行く時は、東京から鹿児島行きの長距離寝台特急「はやぶさ」を利用していた。
3.小惑星「Itokawa」の由来――日本のロケットの父であり、宇宙研の産みの親である糸川英夫の名から。この小惑星の発見者は1998年9月26日にマサチューセッツ工科大リンカーン研究所の地球近傍小惑星探査チーム。小惑星の命名権は発見者にあるが、はやぶさチームが上記のチームにイトカワと命名してくれるよう頼んだところ、快諾してくれたという。正式名は「25143Itokawa」、略称「イトカワ」、愛称「ラッコ」。
4.イトカワ上の地名――太陽系天体の表面地形に名称をつける場合、「100mより大きな地形には神の名、国際的に著名な地名をつけるべきである」という国際天文学連盟(IAU)のガイドラインがある。それでたとえば「Muses Sea」(ミューゼスの海)はギリシア神話に登場する詩や音楽の女神9姉妹のミューズと、はやぶさの元来の名称がMUSES-Cからとり、最後のCはSeaにひっかけた。
(2012.6.23読了)
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by nishinayuu | 2012-08-18 16:26 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『そうはいかない』(佐野洋子著、小学館)

c0077412_1862665.jpg読書会「かんあおい」2012年7月の課題図書。読書会で佐野洋子を取り上げるのは『シズコさん』に次いで2冊目。
エッセイのようでもあり、短編作品のようでもある33の話が収録されている。老いた母親と娘たち、夫と妻、夫婦と息子あるいは娘、飼い猫あるいは飼い犬、友人たちなど、それぞれの話の主役は話ごとに異なるが、いずれも著者の身近にいる人たちが原型になっていると思われる。だから著者の家族やら友人やら芸術家仲間に近しい人が読んだら、これは○○さんだ、こっちは△△さんだ、とすぐわかるに違いない。中には『ポリバケツの男』のサワノヒトシや「私の落ち度」の映画監督・赤沢宏のように名前から類推できてしまう人物もいる。『しずこさん』を読んだ時も思ったが、こんな風にあっけらかんと内輪のことをばらしてしまう人が自分の身内にいなくてよかった、とつくづく思う。それはそれとして、ある日ある時の場面をとらえて、時にはユーモラスに、時には辛辣に描写してみせる著者の滑らかな筆さばきは見事なもので、恐れ入りました、と言うしかない。
笑える台詞が出てくる話を以下に挙げる。
『あの人』――語り手のことば。「私、恋愛ってきれいな人だけがするもんだと思っていた。きれいでない人が恋愛するとインランな人に見えた。」
『愛は勝つ』――ガールフレンドの家に初めてやってきた青年が、娘の母親の悪ふざけにのせられて「愛は勝つ」を懸命に歌った。彼が帰ったあと、母親は大笑いし、父親は「あほとちゃうか」と一言。
『私の落ち度』――お調子者の新聞記者が、仕事が来るのはあなたが美人だから、と言ったのに対して着物デザイナーの円まりえが言う。「私の作品が私の美貌に劣るわけ?え、そうなの。きれいに生まれてきた私に何か落ち度があるの」。
『ニューヨーク・ニューヨーク』――レストランで、アメリカの若者たちに比べて自分の見てくれがみすぼらしいのに気づいた夫が落ち込んでいると、異様な風体の日本人夫婦が現れる。夫は着物に袴、ステッキを持ってトンビを着た老人、妻は銀鼠の着物にグレーの和装コート。老人がきれいな英国風発音で注文するとウエイターが深々と頭を下げる。すると夫が言う。「過激なじいさんだなあ」。
『クチビル』――75歳のごてごて化粧をしたアメリカのばあさんのようになった母とバスに乗った。バスが目白通りの学習院にさしかかっとたき母親が言う。「ここよ、母さんが初めて父さんにクチビルヲユルシタノハ」。バスの乗客はいっせいに母を見た。
『五人目の女』――「まず腹が立ったのは、その女がたいした美人じゃなかったことよ。」「あの女にどんなブラウスを着せても、そのへんの自然食運動のオバサンみたいになるか……」。(あるいは草木染めオバサン?)
他に印象的だったのは以下の作品。
『犬のゴロー』――犬嫌いの父親が、娘がもらってきた犬の世話をするはめになる。気に入らなくていつも腹を立てていたその犬が事故で死んでしまうと、家族の思惑に反してお金のかかる個別葬にするは、庭にお墓を作って欠かさずお参りするは、と意外な展開に。
『倉の中のご隠居さま』――隠居の雷造-息子の良道-孫の一助、と代々親子の間柄が険悪な中できちんと家を継いできた一族。それで一助の妹が次兄の二助に言う。「一助あんちゃん心配だなあ。あそこんちはばかに親子仲がいいだに」。
『こっちは段々畑、ずーっとね』――語り手が絵を描きながら田舎のお墓の場所を説明する。「こういう風に家があって、ここのところにお倉があって、その横に松の木があって、こっちは段々畑、ずーっとね」。
(2012.6.19読了)
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by nishinayuu | 2012-08-12 18:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『花いくさ』(鬼塚忠著、角川書店)


c0077412_10404667.jpg読書会「かんあおい」2012年6月の課題図書。2011年4月の課題図書だった『利休にたずねよ』は秀吉と利休の「茶のいくさ」の物語だったが、こちらは秀吉と池坊専好のあいだに繰り広げられた「花のいくさ」の物語である。
「京のへそ」のような位置にあって町衆に「六角さん」と親しみをこめて呼ばれる六角堂は、正式名を紫雲山頂法寺という由緒ある寺である。本堂にはいつも見事な花が供えてあるが、この花を立てるのは寺の住職である専好で、大勢の見物人が花を生ける僧を、そして生けられた花を見に集まる。池坊の花は戦乱の世に人びとの癒しとなり、人びとの思いを背負って進化したもので、専好はその精神と技術の継承者だった。
永禄3年(1560年)、専好は信長の依頼で尾張・清洲城の大広間に花を立てる。これを見た利休は「いつもの六角さんの花とは別人の花のようだ。花が怖い」という印象を受けたが、これをきっかけにふたりの交流が始まる。そして二人は花の道・茶の道について語り合う仲になっていく。切磋琢磨しつつ精進を重ねる二人は、「北野大茶湯」で人びとの賞賛の的となる。これを耳にした秀吉が怒りを爆発させたため、10日の予定だった茶会は1日で幕引きとなる。
秀吉と利休の確執が利休の死で幕を閉じるに至ったとき、専好は利休の闘いを引き継いで秀吉に立ち向かう。「花いくさ」の始まりである。そしてこの「花いくさ」は文禄3年(1594年)9月の末に大団円を迎える。前田利家の依頼により、専好が利家邸の座敷に太閤秀吉に見せるための花を立てることになったのだ。

池坊専好の伝記といった趣の作品であり、専好が好意的に描かれているのはもちろんであるが、利休も、前田利家も、最終的には秀吉さえも好意的に描かれているので、後味はよい。『利休にたずねよ』のような格調の高さはないが、その分わかりやすい作品である。なお、清洲城の大広間の立花を再現したものは下記のサイトで見ることができる。(2012.6.7読了)
http://www.ikenobo.jp/event/2011/newsandtopics/20111101_maedatei.html
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by nishinayuu | 2012-08-03 10:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)