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『冬の灯台が語るとき』(ヨハン・テオリン、訳=三角和代、早川ポケットミステリー)


Nattfåk』(Johan Theorin, 2008

c0077412_22055993.png原題の意味は「夜のブリザード」。

作者は1963年スウェーデンのイェーテボリで生まれたジャーナリスト・作家。本書はデビュー作『黄昏に眠る秋』で始まるシリーズの第2弾で、舞台はバルト海に浮かぶエーランド島という細長い小島。エーランド橋によって本土のカルマルと繋がっているが、昼はバルト海の絶景、夜は灯台の光が隣人、という辺鄙な所である。

物語は現在と過去、真実と虚構が複雑に絡みあって展開していく。現在の物語はヨアキムを主人公とする1990年代のある年の冬の出来事からなり、過去の物語はミルヤ・ランベがノートに記した「1846年、冬」に始まり「1962年、冬」で終わる語り文からなっている。ヨアキムの物語の合間に挿入されるミルヤ・ランベの語りはすべて「〇〇年、冬」となっており、ヨアキムが直面する現実の寒さに過去の人たちを襲った寒さと冷たさも加わって「冷却効果」満点。とにかく寒くて冷たい物語なのだが、そこがこの作品の真髄でもあるので、真冬のいちばん寒い時期に読むのがお勧めである。(読んでいる間、真底から冷えました。)

北緯55度よりさらに北に位置するエーランド島の情景描写が素晴らしく、ブリザードに襲われた一夜の描写も圧巻である。また、物語には過去にこの島で起こった事故死のエピソードもいくつか挿入されている。たとえば

灯台が火事になって灯台守助手が死んだとき、別の男の妻が死体に取りすがって泣いた話(1884年)、灯台守の兄妹がウナギを捕まえているうちに氷が割れ、兄だけが氷の上に取り残されて帰らぬ人となった話(1900年)など。いずれも独立した小説になりそうなエピソードである。

もちろん本作はミステリーなので、現代の殺人やら行方不明やらもふんだんに出てくるが、謎解きは主眼ではない。最後にはいろいろ明らかになるけれども、それまでは死んだ人たちが「気配」として物語の中を漂い続ける。ヨアキム一家の住むウナギ屋敷も、南北二つの灯台も、様々な登場人物たちも、それぞれの謎を秘めて存在している。中でも際だった存在感を示すのがミルヤ・ランベで、この人物の過去もすごいが、現在の暮らしかたも振るっている。その他の登場人物は以下の通り。

*ヨアキム・ヴェスティン:ウナギ岬の屋敷に住む家族の父親。工芸の教師。

*カトリン:ヨアキムの大切な妻。

*ミルヤ・ランベ:カトリンの母。画家・歌手。1950年代にウナギ屋敷に住んだことがある。ホッケー選手の青年ウルフと同棲。

*トルン:ミルヤの母で画家。晩年にブリザードで視力を失う。

*エテル:ヨアキムの姉。ヘロイン依存症。1年前に溺死。

*リヴィア:ヨアキム夫婦の娘。6歳。毎晩夜中に「ママー」と叫ぶ。

*ガブリエル:ヨアキム夫婦の息子。2歳半。ママを忘れたのかあまり恋しがらない。

*ティルダ・ダーヴィドソン:新人警察官。27歳。

*ヘンリク、セレリウス兄弟:三人で組んで泥棒を働いている若者たち。

*ラグナル:ティルダの祖父。電化された灯台の夜警。実は泥棒だった。ブリザードで凍死。

*イェルロフ:ラグナルの弟。1915年生まれ。マルネスの高齢者住宅に住む「探偵」。

2017.2.21読了)



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by nishinayuu | 2017-04-26 22:12 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『アーサー王最後の戦い』(ローズマリ・サトクリフ、訳=山本史郎、原書房)

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『The Road to Camlann』(Rosemary Sutcliff)
本書は児童向け歴史小説で知られるサトクリフによる大人向けの歴史小説「サトクリフ三部作」の三巻目である。第一巻『アーサー王と円卓の騎士』と第二巻『アーサー王と聖杯の物語』も同じ原書房から出版されている。

ところでこの本を読んだのは、『忘れられた巨人』の主要キャラクターの一人であるガウェインについて知るためだった。さてそのガウェインは――アーサーの姉モルゴースとオークニー国のロト王の長男で、邪悪な母親の許を去ってアーサーの麾下に入り、円卓の騎士の一人として終生アーサー王に仕えた人物である。アーサー王が最も愛した二人の騎士のうちの一人でもある。本書では「炎のような髪と炎のような気象を持った型破りな男、アーサー王の腹心」と紹介されている。アーサー王に愛されたもう一人の騎士ランスロットとは親友だったが、ある不幸な出来事のせいで対立して一対一の真剣勝負をするはめになる。二度にわたったこの勝負でガウェインは頭部の古傷にさらに深手を受けたが、アーサー王に敵対するモルドレッドとの戦いを前に、ランスロットにアーサー王への救援を請う手紙を書いて、アーサー王に看取られながらこの世を去る。
死後もアーサー王の夢枕に立って、ランスロットが駆けつけるまでモルドレッドとは戦わないように、と作戦を進言したりする。『忘れられた巨人』でアーサー王の龍クエリグを守っていたガウェインとはこういう人物だったのだ。
特筆すべき人物と事物を以下にまとめておく。
*アーサー王:ブリテン島ログレス国の王。理想のキリスト教君主とされる。
*グウィネヴィア:アーサー王の妃。輿入れの際に大きな円卓を持参した。
*ランスロット:アーサーの信頼が篤く「キリスト教を奉じる世で最高の騎士」として描かれる。湖のランスロットと呼ばれる。
*オークニー国の兄弟:ガウェイン(長男)、アグラヴェイン(次男、モルドレッドの右腕)、ガヘリス(三男)、ガレス(四男)。
*モルドレッド:オークニー国兄弟の末弟。父親はアーサー王、母親はアーサーの異母姉であるモルゴース。母親から受け継いだ邪悪な心と「ダマスク織の絹のような滑らかな声」の持ち主。円卓の騎士でありながら王を憎んでおり、王位を簒奪しようとする。
*ベディヴィエール:円卓の騎士の中でアーサーの最後の戦いであるカムランの戦の唯一の生存者。王の頼みによってエクスカリバーを湖に返す。
*エクトル:またの名を沼のエクトルという。ランスロットの異母弟。
*トリスタン:容姿端麗な竪琴の名手。コーンウォールの王妃イズー/イゾルデとの恋物語で知られる。
*聖杯の冒険の仲間:ランスロット、ボールス(ランスロットの従兄弟)、ガラハッド(ランスロットの息子、聖杯の神秘に触れたため死亡)、パーシヴァル(ガラハッドの死後1年で死亡)。
*エクスカリバー:アーサーが湖の妖精から授けられた聖剣。
*キャメロット:アーサー王の都。円卓はここにある。
*アヴァロン島:「リンゴの木の茂るアヴァロン」と呼ばれる。アーサー王の終焉の地。

(2017.2.12読了)
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by nishinayuu | 2017-04-18 09:59 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『チェンジ・ザ・ネーム』(アンナ・カヴァン、訳=細美遥子、文遊社)


『Change the Name』(Anna Kavan, 1941)
物語の始まりは1912年のイングランド中部。主人公は女学校卒業を控えた17歳の少女。
c0077412_1004587.jpg本書の主人公は、多くの女性たちが家に縛られて生きるしかなかった時代に、そういう生き方を拒否して特異な生き方を選んだ女性である。あるいは、彼女は特異な生き方を「選んだ」わけではなく、そんな生き方しかできなかった、といったほうが正確かも知れない。というのも彼女は親の愛を実感できないまま大人になっていき、自分が親になっても子どもを愛すことができなかった女性なのだ。「母性神話」を突き破る人物設定のこの主人公は、周囲の思惑は意に介さずにひたすら自分の道を突き進む。

[主な登場人物]
*シーリア――主人公。輝く金髪と冷ややかな魅力で男たちを惹きつける。
*フレデリック・ヘンゼル――シーリアの父。彼女のオックスフォード進学を許さない。
*マリオン・ヘンゼル――シーリアの病弱な母。長男の夭逝から立ち直れないでいる。
*クレア――シーリアが家を出るために利用した青年。技師として出向いた東洋で死亡。
*少女クレア――シーリアとクレア青年の間に生まれた娘。
*アンソニー・ボナム――イギリスへ戻る船でシーリアが恋に落ちた青年。間もなく戦死。
*イザベル・ボナム――アンソニーの死後、シーリア母娘を同居させ、愛情を注ぐ。
*フランシス・テンプル――ボナム家の古い知り合い。バツイチの中年。シーリアに求婚。
*ジョン・サザーランド――出版社の社主。名声と富と風貌でシーリアの心を捉える。
*ヒュー・バーリントン――医師。シーリアに惹かれていたが、打算からクレアに求婚。

作者のアンナ・カヴァン(1901~1968)は裕福なイギリス人の両親のもとに生まれたが、幼い頃から不安定な精神状態にあって、結婚生活が破綻した頃からヘロインを常用していたという。文遊社から『鷲の巣』『あなたは誰?』『愛の渇き』などが出版されている。『鷲の巣』の紹介文には「旅の果てにたどり着いた〈管理者〉の邸宅。不意に空に現れる白い瀑布、非現実世界のサンクチュアリ――強烈なヴィジョンが読む者を圧倒する、傑作長編、本邦初訳」とある。(2017.2.3読了)
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by nishinayuu | 2017-04-10 10:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ミラード』(ラフィク・シャミ、訳=池上弘子、西村書店)

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『Milad』(Rafik Schami, 1997)




物語はダマスカスの大学生が行き倒れの老人ミラードから聞いた「ミラードの身の上話」という形になっている。夏になると山の中にあるマルーラ村に現れては子どもたちの人気をさらっていたミラード。男たちは笑いものにし、女たちは彼が腹を立てることを妙に怖れていたミラード。そのミラードの嘘か誠か、夢か現か見紛う奇想天外な物語が、「千夜一夜」ならぬ八夜にわたって語られていく。八夜のタイトルは以下のようになっている。
第一夜「ミラードはなぜ見知らぬ土地に行ったのか」/第二夜「ミラードは信心深い男の家で経験を積んだ」/第三夜「ミラードは心ならずもロシア革命に巻き込まれた」/第四夜「なぜミラードは自分の評判を聞き流したのか」/第五夜「ミラードは墓荒らしの男と気心が通じ合うことに気づいた」/第六夜「ミラードは売春宿でモラルを学んだ」/第七夜「村の長老は馬糞を食べるはめになった」/第八夜「ミラードは試練に耐えて宝物を手にした」
飢えと暴力にさいなまれながらも決してへこたれることのないミラードは、まるで絢爛豪華な生涯であるかのように誇らしげに身の上話を展開していく。

作者が『蠅の乳しぼり』『空とぶ木』のラフィク・シャミであり、出版社が西村書店であればこの作品も青少年向けの内容だろう、と勝手に思い込んでいた。それがとんでもない間違いだということに途中で気がついたが、それはそれとして一風変わった面白い作品だった。読後に、西村書店について調べたところ、児童書だけでなく医学専門書や一般書なども扱う出版社だった。ラフィク・シャミ(1946~ )もまた、大人向けの作品もいろいろ出していて、代表作は『愛の裏側は闇』(2004、東京創元社)だという。「ダマスカスを舞台に、それぞれカトリックとギリシア正教の二つの家の100年にわたる確執を描いた作品」ということで、機会があったら(近くの図書館にあったら、と同義語)読んでみたい。
因みにラフィク・シャミは筆名で、ラフィクは「仲間/友人」、シャミは「ダマスカス人」の意だという。ダマスカスのキリスト教地区に生まれた彼は、家ではアラム語、学校ではアラビア語という環境で育ち、1971年にドイツに亡命したあとドイツ語で作家活動をしている。(2017.1.31読了)
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by nishinayuu | 2017-04-06 10:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『美しい子ども』(編=松家仁之、新潮クレストブックス)

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「新潮クレストブックス創刊15周年企画」と銘打ち、11の短編集から選んだ12作品を収録したアンソロジー。


収録作品は以下の通り。
『非武装地帯』(アンソニー・ドーア『メモリー・ウォール』より、訳=岩本正恵)
『天国/地獄』(ジュンパ・ラヒリ『見知らぬ場所』より、訳=小川高義)
『エリーゼに会う』(ナム・リー『ボート』より、訳=小川高義)
『自然現象』(リュドミラ・ウリツカヤ『女が嘘をつくとき』より、訳=沼野恭子)
『水泳チーム』『階段の男』(ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』より、訳=岸本佐知子)
『老人が動物たちを葬る』(クレメンス・マイヤー『夜と灯りと』より、訳=杵渕博樹)
『美しい子ども』(ディミトリ・フェルフルスト『残念な日々』より、訳=長山さき)
『ヒョウ』(ウェルズ・タワー『奪い尽くされ、焼き尽くされ』より、訳=藤井光)
『若い寡婦たちには果物をただで』(ネイサン・イングランダー『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』より、訳=小竹由美子)
『リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ』(ベルンハルト・シュリンク『夏の嘘』より、訳=松永美穂)
『女たち』(アリス・マンロー『小説のように』より、訳=小竹由美子)

まるで長編小説のような重い内容の作品(『エリーゼに会う』『若い寡婦たちには果物をただで』)もあれば、短編小説ならではの余韻が魅力の作品(『ヒョウ』『リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ』)などもあり、それぞれ雰囲気の全く異なる作品が一度に楽しめる1冊である。(2017.1.26読了)
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by nishinayuu | 2017-03-29 09:44 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『植物たちの私生活』(李承雨、訳=金順姫、藤原書店)

c0077412_9444041.jpg『식물들의 사생활』(이승우、1999)/『Private life of plants』(lee Seung-U)
語り手のキヒョンが車で移動しながら街の女を物色する場面から物語は始まる。母が兄のウヒョンを背負って娼婦のところに連れて行くのを見かねて、語り手が自分でやることにしたのだった。というのも語り手には、兄が足を失い、生きがいであった写真を失い、恋人のスンミまで失う、というすべての不幸の原因を作ったのは自分だという思いがあったからだ。語り手は自分の残りの人生が兄に対して負っている借りを返すためにあるように感じていた。
物語ははじめのうち、まるで暴力的韓国映画のように展開していく。この本に出会ったとき、渋い緑色の地にアンリ・ルソーの「エデンの園のエヴァ」が嵌め込まれた表紙、学術研究書のようなタイトル、さらには著者名に入っている「雨」という文字、それらすべてから何か深くて静かな世界との出会いを期待したのだが。しかし、とんでもない本を選んでしまったかも知れない、と思い始めたころに、物語の雰囲気は大きく変わり始める。
語り手は兄がもう一度カメラを手に取ることを願い、その手助けをしてもらうためにスンミを探す。兄のために自作の歌「溶けてしまう前に私の心を写して、写真屋さん……」と歌っていたスンミを。そんなある日、母がいきなり南川に旅立ち、あとをつけた語り手は遠くから、丘の上の椰子の木陰で母が衰弱した一人の男と一本の木になるのを見た。呆然としている語り手に母が電話をかけてきて「兄さんを連れてすぐ南川に来なさい」と言うので、語り手は急いでソウルに戻る。南川行きを渋る兄に、それまで存在感の薄かった父が「行ってきなさい。待っているだろうに……」と言う。語り手は父の断固とした積極的な態度に驚くと同時に推察する。父は母が南川に兄を呼んだ理由も、母が南川に行った理由も知っているのだと、そして南川の人物が何者で、母とどういう関係なのかも知っているのだと。物語はこのあと、「植物の私生活」を解き明かしながら進行し、最後には表紙やタイトル、著者名の印象のままの、心を洗われるような清々しい物語として幕を閉じる。

=蛇足=
その1:語り手の兄はノートに「すべての木は挫折した愛の化身だ……」と書き、自分を松の木に、スンミをエゴノキに変身させる物語を書いていた、というくだりがある。これはギリシア神話などに多く見られる片思いや誤解から植物に変身する(あるいはさせられる)話とは異なり、愛を遂げるために自ら植物に変身する話という点で、式子内親王の墓にテイカカズラ(定家の化身)が巻き付いたという話と同様の発想で興味深い。
その2:南川の丘の上の椰子の木に関して「ブラジルかインドネシアのようなところから太平洋を越えてきた」云々(デンデンではありません)というくだりがある。藤村の「椰子の実」やそのもととなった柳田国男の言のように「南の島」から流れ着くのならわかるが、ブラジルからというのはどうだろうか、とふと疑問に思った。(2017.1.19読了)
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by nishinayuu | 2017-03-21 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『イザベルに ある曼荼羅』(アントニオ・タブッキ、訳=和田忠彦、河出書房新社)

c0077412_10163088.jpg『Per Isabel Un Mandala』(Antonio Tabucchi, 2014)
物語は語り手が時間つぶしのためにカフェに立ち寄ったところから始まる。ビリヤードに興じていた老人が、居合わせたみんなから有り金を巻き上げたあと、語り手に話しかけてくる。ゲームをやるか? 妙ななまりがあるがどこの生まれだ? 名前は? こんな所で何をしている?と。語り手は答える。おおいぬ座のシリウスから来た、名前はヴァクラフだが友だちのあいだではタデウシュで通っている、これからある女の情報をくれるという人に会いにリスボン一の高級レストランのタヴァーレスに行くところだと。ここで舞台がポルトガルであることと、タデウシュという名前から語り手がポーランド人らしいということがわかる。が、「シリウスの生まれ」というのは冗談なのか、ただのはぐらかしなのか、よくわからない。(『レクイエム』を読んでいれば自明のことなのだと「あとがき」を読んでからわかりました。)とにかく語り手への興味と語り手の探している女性への興味をかき立てる滑らかな導入部である。
こうして語り手はまずリスボンの高級レストランでモニカという女性に会って、イザベルの少女時代から大学時代の話を聞く。イザベルがスペイン人の学生とつきあっていて、彼の友人のポーランド人ともつきあうようになったこと、イザベルが妊娠したとき、どちらの男の子どもかわからないといっていたこと、などの話も出てくる。この第1章のタイトルは「第一円――モニカ リスボン 想起」となっている。そして第2章「第二円――ビー リスボン 誘導」で語り手は、モニカが「イザベルについてもっとよく話せるかも知れない」と言ったイザベルのばあや、通称ビーを訪ねて話を聞く。
こうして語り手はサラザール体制下で抵抗運動に加わって投獄され、脱獄したあと消息が途絶えたイザベルを求めて、外側の円からしだいに中心の円に向かうように探索の旅を続けていく。セボレイラに住むトムおじさん(看守)、リスボンのティアゴ(イザベルの脱獄に手を貸した同志)、マカオのカモンイス洞窟のコウモリの姿を借りたマグダ(イザベルをマカオに逃した友人)、マカオの老詩人(イザベルと関わりのある司祭を知る人物)、スイスアルプス山中の城にいるザビエル(イザベルとナポリの関わりを示唆する霊界の人物)、ナポリの「赤い月」の老秘書、と辿ってきた語り手は、リヴィエラ海岸駅にやって来る。老秘書にオーベルダン通りにある「社会印刷」がイザベルの消息のあった最後の場所だと教えられたからだ。駅前の公園で語り手は奇妙なヴァイオリン弾きに出会い、「あなたの同心円を指揮しているのは私です」と告げられる。そしてそこにイザベルも現れて「安心していいわ。あなたの曼荼羅は完成よ」と告げるのだった。

ルポルタージュ風に綴られていくうちに、マカオのカモンイス洞窟の場面でいきなり(よく考えれば決していきなりではないのだが)コウモリを通して遠くにいるマグダと交流するというシュールな場面が現れる。このときやっと「シリウスから来た」という語り手の言葉が冗談でもはぐらかしでもないと確信できる(遅い!) 新しい年の始めに『聖ペテロの雪』と本書という感動的な作品にたて続けに出会えたのはなんとも幸せなことである。(2017.1.8読了)
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by nishinayuu | 2017-03-09 10:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『聖ペテロの雪』(レオ・ペルッツ、訳=垂野創一郎、国書刊行会)

c0077412_1028263.jpg『ST. PETRI-SCHNEE』(Leo Perutz, 1933)
物語の語り手の名はアムベルク。1932年1月25日にヴェストファーレンの小さな村モルヴェーデに村医として赴任した。語り手を出迎えた元ロシア侯爵で今は領地管理人のアルカジイ・プラクサティンは、語り手をまず林務官の家に案内する。そこには語り手を村医として採用したフォン・マルヒン男爵の娘エルジーが預けられていて、少し前から病に伏せっていた。語り手が病室に入る直前まで、病室からはタルティーニの「悪魔のトリル」が聞こえていた。演奏していたのは男爵がシュタウフェン家再興の夢を託して手元に置いている少年フェデリコだった。そのフェデリコに語り手は、エルジーは猩紅熱なのでしばらく会いに来てはいけない、と申し渡す。
それから語り手は部屋をあてがわれた仕立屋で家主の夫婦、学校教師と顔を合わせたあと、男爵に会いに行く。語り手の父と交流があったという男爵は、語り手の父を高く評価していて、亡くなったことを残念がったが、男爵の目下の関心事は細菌学だった。男爵は研究の助手を務める若い女性科学者を昨日ベルリンへ遣ったという。彼女が男爵の所有するキャデラックに乗っていったと聞くや語り手は、それはビビッシェかも知れないという思いに襲われて、気を失いかける。語り手はベルリンからモルヴェーデに来る途上、乗り継ぎ駅オスナブリュックの駅前広場でキャデラックに乗ったビビッシェを見かけたのだった。バクテリア研究所の同僚でみんなの憧れの的だったビビッシェ、1年のあいだベルリン中を探し回ったビビッシェを。
1週間後、ベルリンから戻ってきた女性科学者はやはりビビッシェだった。バクテリア研究所時代、語り手はまる半年のあいだ朝から午後遅くまで彼女と同じ部屋で仕事をしていながら、朝晩の挨拶を除けば十語と言葉をかわさなかった。そんな彼女がなぜか急激に語り手に心を許すようになり、二人は恋人として一夜を過ごす。その間に男爵とビビッシェの研究は着々と進み、男爵は自分の洗礼名の日を祝って村中の人々を館に招待し、研究の成果を村人たちで実験しようとする。ところが男爵のもくろみは思わぬ方向に逸れていく。
オスナブリュックの病院で昏睡から覚めた語り手は、すでに5週間、意識を失っていたと告げられる。語り手の記憶では事件に巻き込まれて大怪我をした日から5日しか経っていないはずなのに。看護人に日にちを聞くと3月2日だというから、確かに事件から5日しか経っていない。しかし医者によると語り手は5週間前にオスナブリュックの駅前広場で車にひかれて担ぎ込まれたのだという。それでは、モルヴェーデで過ごした5週間の出来事もビビッシェとの出会いも、すべて語り手の妄想だったのだろうか。あるいは何かの大きな力がモルヴェーデの出来事をなかったことにしようとしているのだろうか。

「多人数によるもみ消し」の物語なのか、語り手の妄想の物語なのか、読み終わってもはっきりしないが、それこそがこの作品の魅力であり、読みどころだと言えよう。なお、作品に盛り込まれている歴史的事項や「聖ペテロの雪」の意味などは巻末の「解説」に詳しい。(2017.1.5読了)
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by nishinayuu | 2017-03-05 10:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代』(ビアンカ・ランブラン)


c0077412_10301954.jpg『MÉMOIRES D’UNE JEUNE FILLE DÉRANGÉE』(Bianca Lamblin,1993)
訳=阪田由美子、出版社=草思社
☆画像はサルトルとボーヴォワールゆかりのカフェ・ドウ・マゴ

著者は1921年にポーランドでユダヤ人医師の長女として生まれている。翌年一家は反ユダヤ主義が高まるポーランドを離れてパリで暮らし始めたため、著者は自分をポーランド人ではなくフランス人だと思っているという。1937年、女子高等中学校に在学していたとき、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが哲学教師として赴任してくる。著者はボーヴォワールの美貌と鋭く光り輝くような知性と大胆な発想に魅了され、ボーヴォワールもまた利発でかわいい著者に眼をとめて、二人は急速に接近する。翌1938年、ソルボンヌに入学した著者にボーヴォワールは自分のパートナーであるサルトルを紹介する。こうして三人の「トリオ」の関係が始まる。著者17歳、ボーヴォワール30歳、サルトルが34歳の時だった。
著者は三人の関係を対等なものと思っていたが、独自の契約と他人には計り知れない特殊な愛情で固く結ばれていた相手の二人は、次第に著者を疎ましく思うようになる。これを著者は二人の、特に敬愛して心を許していたボーヴォワールの裏切りと感じて苦しむ。その間にもナチスの脅威が迫って、ユダヤ人である著者は大きな苦難を経験することになるが、ボーヴォワールとサルトルにとっては戦争によって二人の繋がりが脅かされそうなことのほうが重大な関心事だった。これに関して後に著者は、二人のユダヤ人に対する無理解と染みついた偏見に気づかされることになる。

すなわち本書は、哲学者としても作家としても世界が認める二人の巨人に「愛された」と思っていたのに、「利用されたうえに手ひどく裏切られた」と感じた一人の女性による「文学的暴露本」である。特にサルトルはずたずたにされていてなんとも哀れであるが、ボーヴォワールに関しては敬愛の情の名残がそうさせたのか、恨みながらも徹底的に打ちのめすところまではいっていない。「暴露」の部分だけであれば後味の悪い書物になったと思われるが、著者がレジスタンス史上名高いヴェルコールの「マキ」に参加して戦った当時のエピソードにかなりの紙幅が割かれているため、「文学的」読み物としても読めるのが救いである。
なお本書の原題は、ボーヴォワールの『MÉMOIRES D’UNE JEUNE FILLE RANGÉE』(あるまじめな少女の物語---邦訳書名『娘時代』)をもじったもの。(2016.12.29読了)
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by nishinayuu | 2017-02-25 10:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『冬の夜ひとりの旅人が』(イタロ・カルヴィーノ、訳=脇功、白水Uブックス)

c0077412_9433656.jpg『Se una notte d’inverno un viaggiatore』(Italo Calvino, 1979)(画像はちくま文庫)
第1章は――あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている――という文で始まる。ここでは「あなた」は単に読者への呼びかけのように見えるが、やがて「あなた」がこの章の、そして全編を通じての主人公であることがわかってくる。多和田葉子の『容疑者の夜行列車』の主人公も「あなた」で、その読者の意表をつく呼称が衝撃的で新鮮だったが、本書の「あなた」にはあまり衝撃も受けずにすんなり入っていける。
より衝撃的で新鮮なのは中身の方で、『冬の夜ひとりの旅人が』は30ページほど読み進んだところで同じ話がまた繰り返されることに「あなた」は気づく。何のことはない、製本ミスの出来損ないの本だったのだ。そこで「あなた」が本屋に事情を説明しに行くと本屋は、カルヴィーノの本に別の作家の『マルボルクの村の外へ』が紛れ込んでしまったもので申し訳なかった、と言いながら出版社から届いた完全な本を取り出してくる。しかし「あなた」が読みたいのは『マルボルクの村の外へ』の続きなので、書棚にあった『マルボルクの村の外へ』をもらってくる。
ところがその本を読み始めた「あなた」は、それもまた製本ミスの出来損ないで、しかも内容も読みたかったものの続きではないことに気づく。それは『切り立つ崖から身を乗り出して』という作品で、それもまた途中までしか読めずに今度は『風も目眩も怖れずに』という作品を「あなた」は読むことになる。こんな具合に「あなた」は、最後まで読むことができない作品を、次から次へと読んでいくことになり、読者も「あなた」といっしょに10冊の本を追いかけていくことになる。しかもその間に「あなた」と女性読者(第7章でもう一人の「あなた」として登場する)との交流やら、どの話も中断されることになったいきさつやら、イタロ・カルヴィーノの分身のような作家の存在やらが盛り込まれている。なんとも巧みで洒落た作品である。
「あなた」がであった作品は以下の通り
1『冬の夜一人の旅人が』(イタロ・カルヴィーノ)/2『マルボルクの村の外へ』(タッツィオ・バザクバル、ポーランドの作家)/3『切り立つ崖から身を乗り出して』(ウッコ・アフティ、チンメリアの作家)/4『風も目眩も怖れずに』(ヴォルツ・ヴィリャンディ、チンブロの作家)/5.『影の立ちこめた下を覗けば』(ベルトラン・ヴァンデルヴェルデ、フランス語)/6.『絡みあう線の網目に』(サイラス・フラナリー、アイルランドの推理小説家)/7.『もつれあう線の網目に』(サイラス・フラナリー)/8.『月光に輝く散り敷ける落ち葉の上に』(タカクミ・イコカ、日本人作家)/9.『うつろな穴のまわりに』(カリスト・バンデラ、アタグィタニアの作家)/10.『いかなる物語がそこに結末を迎えるか?』(アナトリー・アナトリン、イルカニアの作家)
(舞台も雰囲気もがらりと異なる10作品の中で特に続きが読みたいと思ったのは1.3.6.9の各作品でした。)

主人公の「あなた」以外の主要登場人物は以下の通り
ルドミッラ(女性読者の「あなた」。フラナリーの本は全部読んでいる)/ロターリア(ルドミッラの姉で大学教授。フラナリーについての論文を書いている)/エルメス・マラーナ(ルドミッラに本を通じて語りかける声に嫉妬し、自分もそういう声を持ちたくて模倣、偽作の文学に走った男)/ガヴェダーニャ(出版業者)/ウッツィ・トゥッツィ(チンメリア語の研究者)/ガッリガーニ(チンブロ語の研究者)
(2016.12.11読了)
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by nishinayuu | 2017-02-09 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)