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『植物たちの私生活』(李承雨、訳=金順姫、藤原書店)

c0077412_9444041.jpg『식물들의 사생활』(이승우、1999)/『Private life of plants』(lee Seung-U)
語り手のキヒョンが車で移動しながら街の女を物色する場面から物語は始まる。母が兄のウヒョンを背負って娼婦のところに連れて行くのを見かねて、語り手が自分でやることにしたのだった。というのも語り手には、兄が足を失い、生きがいであった写真を失い、恋人のスンミまで失う、というすべての不幸の原因を作ったのは自分だという思いがあったからだ。語り手は自分の残りの人生が兄に対して負っている借りを返すためにあるように感じていた。
物語ははじめのうち、まるで暴力的韓国映画のように展開していく。この本に出会ったとき、渋い緑色の地にアンリ・ルソーの「エデンの園のエヴァ」が嵌め込まれた表紙、学術研究書のようなタイトル、さらには著者名に入っている「雨」という文字、それらすべてから何か深くて静かな世界との出会いを期待したのだが。しかし、とんでもない本を選んでしまったかも知れない、と思い始めたころに、物語の雰囲気は大きく変わり始める。
語り手は兄がもう一度カメラを手に取ることを願い、その手助けをしてもらうためにスンミを探す。兄のために自作の歌「溶けてしまう前に私の心を写して、写真屋さん……」と歌っていたスンミを。そんなある日、母がいきなり南川に旅立ち、あとをつけた語り手は遠くから、丘の上の椰子の木陰で母が衰弱した一人の男と一本の木になるのを見た。呆然としている語り手に母が電話をかけてきて「兄さんを連れてすぐ南川に来なさい」と言うので、語り手は急いでソウルに戻る。南川行きを渋る兄に、それまで存在感の薄かった父が「行ってきなさい。待っているだろうに……」と言う。語り手は父の断固とした積極的な態度に驚くと同時に推察する。父は母が南川に兄を呼んだ理由も、母が南川に行った理由も知っているのだと、そして南川の人物が何者で、母とどういう関係なのかも知っているのだと。物語はこのあと、「植物の私生活」を解き明かしながら進行し、最後には表紙やタイトル、著者名の印象のままの、心を洗われるような清々しい物語として幕を閉じる。

=蛇足=
その1:語り手の兄はノートに「すべての木は挫折した愛の化身だ……」と書き、自分を松の木に、スンミをエゴノキに変身させる物語を書いていた、というくだりがある。これはギリシア神話などに多く見られる片思いや誤解から植物に変身する(あるいはさせられる)話とは異なり、愛を遂げるために自ら植物に変身する話という点で、式子内親王の墓にテイカカズラ(定家の化身)が巻き付いたという話と同様の発想で興味深い。
その2:南川の丘の上の椰子の木に関して「ブラジルかインドネシアのようなところから太平洋を越えてきた」云々(デンデンではありません)というくだりがある。藤村の「椰子の実」やそのもととなった柳田国男の言のように「南の島」から流れ着くのならわかるが、ブラジルからというのはどうだろうか、とふと疑問に思った。(2017.1.19読了)
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by nishinayuu | 2017-03-21 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『イザベルに ある曼荼羅』(アントニオ・タブッキ、訳=和田忠彦、河出書房新社)

c0077412_10163088.jpg『Per Isabel Un Mandala』(Antonio Tabucchi, 2014)
物語は語り手が時間つぶしのためにカフェに立ち寄ったところから始まる。ビリヤードに興じていた老人が、居合わせたみんなから有り金を巻き上げたあと、語り手に話しかけてくる。ゲームをやるか? 妙ななまりがあるがどこの生まれだ? 名前は? こんな所で何をしている?と。語り手は答える。おおいぬ座のシリウスから来た、名前はヴァクラフだが友だちのあいだではタデウシュで通っている、これからある女の情報をくれるという人に会いにリスボン一の高級レストランのタヴァーレスに行くところだと。ここで舞台がポルトガルであることと、タデウシュという名前から語り手がポーランド人らしいということがわかる。が、「シリウスの生まれ」というのは冗談なのか、ただのはぐらかしなのか、よくわからない。(『レクイエム』を読んでいれば自明のことなのだと「あとがき」を読んでからわかりました。)とにかく語り手への興味と語り手の探している女性への興味をかき立てる滑らかな導入部である。
こうして語り手はまずリスボンの高級レストランでモニカという女性に会って、イザベルの少女時代から大学時代の話を聞く。イザベルがスペイン人の学生とつきあっていて、彼の友人のポーランド人ともつきあうようになったこと、イザベルが妊娠したとき、どちらの男の子どもかわからないといっていたこと、などの話も出てくる。この第1章のタイトルは「第一円――モニカ リスボン 想起」となっている。そして第2章「第二円――ビー リスボン 誘導」で語り手は、モニカが「イザベルについてもっとよく話せるかも知れない」と言ったイザベルのばあや、通称ビーを訪ねて話を聞く。
こうして語り手はサラザール体制下で抵抗運動に加わって投獄され、脱獄したあと消息が途絶えたイザベルを求めて、外側の円からしだいに中心の円に向かうように探索の旅を続けていく。セボレイラに住むトムおじさん(看守)、リスボンのティアゴ(イザベルの脱獄に手を貸した同志)、マカオのカモンイス洞窟のコウモリの姿を借りたマグダ(イザベルをマカオに逃した友人)、マカオの老詩人(イザベルと関わりのある司祭を知る人物)、スイスアルプス山中の城にいるザビエル(イザベルとナポリの関わりを示唆する霊界の人物)、ナポリの「赤い月」の老秘書、と辿ってきた語り手は、リヴィエラ海岸駅にやって来る。老秘書にオーベルダン通りにある「社会印刷」がイザベルの消息のあった最後の場所だと教えられたからだ。駅前の公園で語り手は奇妙なヴァイオリン弾きに出会い、「あなたの同心円を指揮しているのは私です」と告げられる。そしてそこにイザベルも現れて「安心していいわ。あなたの曼荼羅は完成よ」と告げるのだった。

ルポルタージュ風に綴られていくうちに、マカオのカモンイス洞窟の場面でいきなり(よく考えれば決していきなりではないのだが)コウモリを通して遠くにいるマグダと交流するというシュールな場面が現れる。このときやっと「シリウスから来た」という語り手の言葉が冗談でもはぐらかしでもないと確信できる(遅い!) 新しい年の始めに『聖ペテロの雪』と本書という感動的な作品にたて続けに出会えたのはなんとも幸せなことである。(2017.1.8読了)
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by nishinayuu | 2017-03-09 10:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『聖ペテロの雪』(レオ・ペルッツ、訳=垂野創一郎、国書刊行会)

c0077412_1028263.jpg『ST. PETRI-SCHNEE』(Leo Perutz, 1933)
物語の語り手の名はアムベルク。1932年1月25日にヴェストファーレンの小さな村モルヴェーデに村医として赴任した。語り手を出迎えた元ロシア侯爵で今は領地管理人のアルカジイ・プラクサティンは、語り手をまず林務官の家に案内する。そこには語り手を村医として採用したフォン・マルヒン男爵の娘エルジーが預けられていて、少し前から病に伏せっていた。語り手が病室に入る直前まで、病室からはタルティーニの「悪魔のトリル」が聞こえていた。演奏していたのは男爵がシュタウフェン家再興の夢を託して手元に置いている少年フェデリコだった。そのフェデリコに語り手は、エルジーは猩紅熱なのでしばらく会いに来てはいけない、と申し渡す。
それから語り手は部屋をあてがわれた仕立屋で家主の夫婦、学校教師と顔を合わせたあと、男爵に会いに行く。語り手の父と交流があったという男爵は、語り手の父を高く評価していて、亡くなったことを残念がったが、男爵の目下の関心事は細菌学だった。男爵は研究の助手を務める若い女性科学者を昨日ベルリンへ遣ったという。彼女が男爵の所有するキャデラックに乗っていったと聞くや語り手は、それはビビッシェかも知れないという思いに襲われて、気を失いかける。語り手はベルリンからモルヴェーデに来る途上、乗り継ぎ駅オスナブリュックの駅前広場でキャデラックに乗ったビビッシェを見かけたのだった。バクテリア研究所の同僚でみんなの憧れの的だったビビッシェ、1年のあいだベルリン中を探し回ったビビッシェを。
1週間後、ベルリンから戻ってきた女性科学者はやはりビビッシェだった。バクテリア研究所時代、語り手はまる半年のあいだ朝から午後遅くまで彼女と同じ部屋で仕事をしていながら、朝晩の挨拶を除けば十語と言葉をかわさなかった。そんな彼女がなぜか急激に語り手に心を許すようになり、二人は恋人として一夜を過ごす。その間に男爵とビビッシェの研究は着々と進み、男爵は自分の洗礼名の日を祝って村中の人々を館に招待し、研究の成果を村人たちで実験しようとする。ところが男爵のもくろみは思わぬ方向に逸れていく。
オスナブリュックの病院で昏睡から覚めた語り手は、すでに5週間、意識を失っていたと告げられる。語り手の記憶では事件に巻き込まれて大怪我をした日から5日しか経っていないはずなのに。看護人に日にちを聞くと3月2日だというから、確かに事件から5日しか経っていない。しかし医者によると語り手は5週間前にオスナブリュックの駅前広場で車にひかれて担ぎ込まれたのだという。それでは、モルヴェーデで過ごした5週間の出来事もビビッシェとの出会いも、すべて語り手の妄想だったのだろうか。あるいは何かの大きな力がモルヴェーデの出来事をなかったことにしようとしているのだろうか。

「多人数によるもみ消し」の物語なのか、語り手の妄想の物語なのか、読み終わってもはっきりしないが、それこそがこの作品の魅力であり、読みどころだと言えよう。なお、作品に盛り込まれている歴史的事項や「聖ペテロの雪」の意味などは巻末の「解説」に詳しい。(2017.1.5読了)
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by nishinayuu | 2017-03-05 10:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代』(ビアンカ・ランブラン)


c0077412_10301954.jpg『MÉMOIRES D’UNE JEUNE FILLE DÉRANGÉE』(Bianca Lamblin,1993)
訳=阪田由美子、出版社=草思社
☆画像はサルトルとボーヴォワールゆかりのカフェ・ドウ・マゴ

著者は1921年にポーランドでユダヤ人医師の長女として生まれている。翌年一家は反ユダヤ主義が高まるポーランドを離れてパリで暮らし始めたため、著者は自分をポーランド人ではなくフランス人だと思っているという。1937年、女子高等中学校に在学していたとき、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが哲学教師として赴任してくる。著者はボーヴォワールの美貌と鋭く光り輝くような知性と大胆な発想に魅了され、ボーヴォワールもまた利発でかわいい著者に眼をとめて、二人は急速に接近する。翌1938年、ソルボンヌに入学した著者にボーヴォワールは自分のパートナーであるサルトルを紹介する。こうして三人の「トリオ」の関係が始まる。著者17歳、ボーヴォワール30歳、サルトルが34歳の時だった。
著者は三人の関係を対等なものと思っていたが、独自の契約と他人には計り知れない特殊な愛情で固く結ばれていた相手の二人は、次第に著者を疎ましく思うようになる。これを著者は二人の、特に敬愛して心を許していたボーヴォワールの裏切りと感じて苦しむ。その間にもナチスの脅威が迫って、ユダヤ人である著者は大きな苦難を経験することになるが、ボーヴォワールとサルトルにとっては戦争によって二人の繋がりが脅かされそうなことのほうが重大な関心事だった。これに関して後に著者は、二人のユダヤ人に対する無理解と染みついた偏見に気づかされることになる。

すなわち本書は、哲学者としても作家としても世界が認める二人の巨人に「愛された」と思っていたのに、「利用されたうえに手ひどく裏切られた」と感じた一人の女性による「文学的暴露本」である。特にサルトルはずたずたにされていてなんとも哀れであるが、ボーヴォワールに関しては敬愛の情の名残がそうさせたのか、恨みながらも徹底的に打ちのめすところまではいっていない。「暴露」の部分だけであれば後味の悪い書物になったと思われるが、著者がレジスタンス史上名高いヴェルコールの「マキ」に参加して戦った当時のエピソードにかなりの紙幅が割かれているため、「文学的」読み物としても読めるのが救いである。
なお本書の原題は、ボーヴォワールの『MÉMOIRES D’UNE JEUNE FILLE RANGÉE』(あるまじめな少女の物語---邦訳書名『娘時代』)をもじったもの。(2016.12.29読了)
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by nishinayuu | 2017-02-25 10:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『冬の夜ひとりの旅人が』(イタロ・カルヴィーノ、訳=脇功、白水Uブックス)

c0077412_9433656.jpg『Se una notte d’inverno un viaggiatore』(Italo Calvino, 1979)(画像はちくま文庫)
第1章は――あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている――という文で始まる。ここでは「あなた」は単に読者への呼びかけのように見えるが、やがて「あなた」がこの章の、そして全編を通じての主人公であることがわかってくる。多和田葉子の『容疑者の夜行列車』の主人公も「あなた」で、その読者の意表をつく呼称が衝撃的で新鮮だったが、本書の「あなた」にはあまり衝撃も受けずにすんなり入っていける。
より衝撃的で新鮮なのは中身の方で、『冬の夜ひとりの旅人が』は30ページほど読み進んだところで同じ話がまた繰り返されることに「あなた」は気づく。何のことはない、製本ミスの出来損ないの本だったのだ。そこで「あなた」が本屋に事情を説明しに行くと本屋は、カルヴィーノの本に別の作家の『マルボルクの村の外へ』が紛れ込んでしまったもので申し訳なかった、と言いながら出版社から届いた完全な本を取り出してくる。しかし「あなた」が読みたいのは『マルボルクの村の外へ』の続きなので、書棚にあった『マルボルクの村の外へ』をもらってくる。
ところがその本を読み始めた「あなた」は、それもまた製本ミスの出来損ないで、しかも内容も読みたかったものの続きではないことに気づく。それは『切り立つ崖から身を乗り出して』という作品で、それもまた途中までしか読めずに今度は『風も目眩も怖れずに』という作品を「あなた」は読むことになる。こんな具合に「あなた」は、最後まで読むことができない作品を、次から次へと読んでいくことになり、読者も「あなた」といっしょに10冊の本を追いかけていくことになる。しかもその間に「あなた」と女性読者(第7章でもう一人の「あなた」として登場する)との交流やら、どの話も中断されることになったいきさつやら、イタロ・カルヴィーノの分身のような作家の存在やらが盛り込まれている。なんとも巧みで洒落た作品である。
「あなた」がであった作品は以下の通り
1『冬の夜一人の旅人が』(イタロ・カルヴィーノ)/2『マルボルクの村の外へ』(タッツィオ・バザクバル、ポーランドの作家)/3『切り立つ崖から身を乗り出して』(ウッコ・アフティ、チンメリアの作家)/4『風も目眩も怖れずに』(ヴォルツ・ヴィリャンディ、チンブロの作家)/5.『影の立ちこめた下を覗けば』(ベルトラン・ヴァンデルヴェルデ、フランス語)/6.『絡みあう線の網目に』(サイラス・フラナリー、アイルランドの推理小説家)/7.『もつれあう線の網目に』(サイラス・フラナリー)/8.『月光に輝く散り敷ける落ち葉の上に』(タカクミ・イコカ、日本人作家)/9.『うつろな穴のまわりに』(カリスト・バンデラ、アタグィタニアの作家)/10.『いかなる物語がそこに結末を迎えるか?』(アナトリー・アナトリン、イルカニアの作家)
(舞台も雰囲気もがらりと異なる10作品の中で特に続きが読みたいと思ったのは1.3.6.9の各作品でした。)

主人公の「あなた」以外の主要登場人物は以下の通り
ルドミッラ(女性読者の「あなた」。フラナリーの本は全部読んでいる)/ロターリア(ルドミッラの姉で大学教授。フラナリーについての論文を書いている)/エルメス・マラーナ(ルドミッラに本を通じて語りかける声に嫉妬し、自分もそういう声を持ちたくて模倣、偽作の文学に走った男)/ガヴェダーニャ(出版業者)/ウッツィ・トゥッツィ(チンメリア語の研究者)/ガッリガーニ(チンブロ語の研究者)
(2016.12.11読了)
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by nishinayuu | 2017-02-09 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『猫は川辺で首をかしげる』(リリアン・J・ブラウン、訳=羽田詩津子、早川文庫)


c0077412_10551812.jpg『The Cat Who Went up the Creek』(Lilian Braun、2002)
もと新聞記者で今は地方新聞のコラムニストであるクィラランが、持ち前の推理力で事件を解決するシリーズの24冊目。クィラランが飼っている雄のシャム猫のココは、あたかもクィラランの推理を助けるような行動を示すので「助手」ということになっている。一方、雌猫のヤムヤムはふつうに猫らしいふるまいをみせるだけなので、助手とは見なされていない。
本作の舞台もいつも通り「どこからも400マイル北」にあるムース郡。物語はクィラランが「蚊週間」をテーマに千語の文章を書いているところから始まる。ムース郡では毎年6月半ばになると「若く熱意に溢れた蚊の大群が、森の湿地から一斉に飛び立って、郡じゅうに散開し、観光客に攻撃を開始」するのだ。最後のページをタイプライターから取り出したとき、ココがうなり声を発する。「もうすぐ電話が鳴る」という合図だった。
電話は「クルミ割りの宿」のローリ・バンバからだった。「クルミ割りの宿」は、クリンゲンショーエンの莫大な遺産を相続したクィラランがそれを地域社会に役立てようと設立したK基金が、古いリンバーガー屋敷を買い取って田舎宿として改装したものだ。そしてクィラランの推薦で若いニックとローリのバンバ夫妻が経営者となったのだが、そのローリが「クルミ割りの宿」の建物を黒雲が覆っている気がする、と訴えるのだった。そこでクィラランは宿に数日滞在して、悪意のある霊気が感じられるかどうか確認しよう、と申し出る。こうしてクィラランは夏の間、殺人2件、自殺1件、心臓発作1件との遭遇とそれらの解明に明け暮れることになる。

[ちょっと目に留まった文]
*クィラランは路肩に車を停めて、何本か電話をした。ムース郡は州内で最初に、運転中の携帯電話の使用を禁じたのだ。(原稿はタイプライターで書いているクィラランも、携帯はふつうに使っているのでした。)
*(本の交換会でクィラランはオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を借りることにしたクィラランの言葉)「いちばん好きな作家はトロロープなんだが。」(因みに週末の恋人ポリーはワーズワースが好き。)
*(チェノウェスという名前を聞いて)「ウェールズの名前のようですね」クィラランは苗字の由来を知っていることが自慢だった。「(その人は)歌が得意ですか?こういうことわざをご存じでしょう。どんなウェールズ人も歌を歌う。どんなスコットランド人も倹約家だ。どんなイギリス人も不屈の精神の持ち主だ。そして、どんなアイルランド人も戯曲を書く。」

(2016.12.8読了)
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by nishinayuu | 2017-02-05 10:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『地平線』(パトリック・モディアノ、訳=小谷奈津子、水声社)


c0077412_911174.jpg『L’horizon』(Patrick Modiano, 2010)
この著者の多くの作品と同様に、本作でもやはり主人公はパリのあちこちをさまよい歩く。主人公のボスマンスは、ふっと思い出の一つが脳裏に過ぎる度、一日のどんなときでもメモできるように、黒いモールスキンの手帳を上着の内ポケットに入れて持ち歩いている。手帳いっぱいに書き込んである記憶の断片をつなぎ合わせて、人生の岐路に立っていた年月の全体像を再構成したいと思いながら。けれども全体像は見えてこない。それでボスマンスは、霞がかかった曖昧な印象を蘇らせるために、せめて名前だけでも取り戻そうとする。それらの名前とは――
メロヴェ(金髪の巻き毛の青年。金属的な声、気取った口調。「愉快な一団」の一人)
マルガレット・ル・コーズ(ボスマンスと出会ったときはリシュリュー代行事務所の事務員。住まいはオートゥイユ。生まれはベルリンで母親はフランス人、一時ベロア通り6番地のホテル・セヴィーエに住んでいた)
赤毛の女(ボスマンスの母親で50代。ボスマンスに金をせびる。20年後に出会ったときは白髪になっていて、持っていた杖でボスマンを打つ)
褐色の髪の男(赤毛の女の連れ。脱落司祭風もしくは闘牛士風の傲慢な男)
ボヤヴァル(マルガレットのあとをつけ回す男。ぴったりし過ぎの黒コート姿)
フェルヌ教授(オプセルヴァトワール庭園の近くに住む人物。マルガレットを子守り兼家事手伝いとして雇う)
シモーヌ・コルディエ(ボスマンスが原稿をタイプで清書してもらっていた女性。住所はベロア通り8番地)
バゲリアン(スイスのローザンヌでマルガレットを子守りとして雇っていた人物)
イヴォンヌ・ゴーシェとアンドレ・プートレル(マルガレットを子守りとして雇った夫婦、夫は秘教グループのスポークスマン。ボスマンスとマルガレットは彼らの息子ピーターとよくモンスーリ公園を散歩した。ある日夫婦が警察に連行され、期限切れのパスポートしか持たないマルガレットは逮捕を恐れて北駅から列車に乗ってパリを立ち去る。そして40年の月日が流れた)

主人公は過去の人々の面影を追いながらパリの通りをさまよい歩く。だから読者も地図を片手にいっしょにパリを歩き回ることになる。オペラ通り、フランクリン=ルーズヴェルト大通り、キャトル・セプタンブル通り、オプセルヴァトワール(天文台)大通り、ヴィクトル・ユゴー大通り、そしてボワシェール駅に近い16区のベロア通り(ボスマンスとマルガレットはリシュリュー代行事務所で出会う前に、ここで何度もすれ違っていた可能性があるのだ)。他にも細かい地名がたくさん出てきて、それらを辿るだけでも楽しめる。
いつも何かに追われていて決してひとところに留まったことがなく、今はパリに身を寄せているマルガレットと、不幸な幼少年期を過ごしてやっと自分の道を歩き始めていたボスマンス。当時まだ若かった二人は、自分たちの行く手に確かな存在として「地平線」を見ていたのだった。物語の最後に主人公はその地平線を目指してベルリンへと旅立つ。鮮やかに蘇らせた記憶によって構築されたプルーストの世界に対して、モディアニの世界は霞の中に浮かんだ人々の顔や声が、街の色や音がそのまま霞に包まれていくかのようだが、この作品はきっぱりとした終わり方をしていて興味深い。(2016.12.24読了)
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by nishinayuu | 2017-01-24 09:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『いつ死んだのか』(シリル・ヘアー、訳=矢田智佳子、論創社)

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『Untimely Death』(Cyril Hare、1958)
著者はこの作品を書いた1958年に57歳で他界したという。すなわち本作品は著者の遺作ということになる。


舞台はイングランド・サマーセット州のエクスムーア。北にブリストル海峡を望む景勝地で、主人公ペディグルーの故郷という設定。このエクスムーアにペティグルーはまだ若い妻エリナーと休暇のためにやってくる。エリナーが言い出したこの旅行に、旅先のなじめないベッドを思い浮かべて渋々やってきた感じの主人公だが、「眠れないまま横たわり、壁に映る月影が動いていくのを眺めながら、ここへ来たのはいい考えだったと納得できる気がしてきた。最近では恥ずかしながら、エリナーの思いつきなくして、ひどく単調な二人の生活から脱却するのは難しいと感じていた」という。気弱になっているもう若くない男、しっかり者らしい若い妻、休暇旅行、壁に映る月影――なかなかいい感じの書き出しである。
ペティグルー夫妻が休暇を過ごすために借りた部屋は、エクスムーアの外れにあるサロークーム農場にあった。かつてのこの家の住人は、陽気で荒っぽく、よく酔っ払っていて、少年のペティグルーを魅了したかと思えば震え上がらせる、ディケンズの小説に出てきそうな夫婦者だった。それに比べると今の住人は妻のいない地味な肉屋と、その娘である地味な女で、前の夫婦に比べるとさえない親子だった。が、常に周囲の人間に鋭い観察眼を向けているペティグルーは、その親子が本当にさえないだけの人間なのか、疑問に感じた。(という具合に早い段階でこの親子が重要な人物であることが暗示される。)
前半はペティグルーが〈暴走馬の茂み〉で死体を発見するが、人を呼びにいって現場に戻ったときは死体が消えていて、3日後にまた同じ場所で死体が発見される、という不可解な出来事を中心に展開する。ペティグルーは少年の頃にやはり〈暴走馬の茂み〉で変死体を発見していた。そのときの恐怖から幻覚を見たのか、あるいはエリナーの言うように〈予知能力〉のせいで実際の事件より3日前に死体を見てしまったのか。
後半はその死体の男(サロークームの住人である地味な女の、別居中の夫ジャック・ゴーマン)がゴーマン家の莫大な財産を継承する権利があったかどうかに関する裁判を中心に展開する。地元の旧家であるゴーマン家の莫大な財産はギルバート・ゴーマンが継いでいたが、彼は9/10(日)に病気で急死している。その時点でジャックが生存していれば財産はジャックのものになるが、ペティグルーが死体を見つけたのはその前日の土曜だったのだ。ペティグルーは旧友で元警部のマレットの依頼で法廷に出向く。

主人公夫妻は二人とも弁護士ということになっているが、夫の方は年のせいかばりばりの感じは皆無。法廷闘争の場面は原告代理人も主人公の旧友ということから、穏やかでユーモラスな雰囲気が漂っていて、緊張感ゼロ。たまにはこんなミステリーもいいかもしれない。(2016.11.20読了)
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by nishinayuu | 2017-01-20 09:53 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『あの犬この犬そんな犬』(アントン・チェーホフ他、訳=務台夏子、東京創元社)

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『Kashtanka and Other Stories』(Anton Chekhov)
「犬好きの犬好きによる犬好きのための物語」と謳った本書には、11人の作家による11匹の犬の物語が収録されている。もちろん、犬好きでなくても充分楽しめる短編集である。

内容と作者を簡単に記しておく。
「仲裁犬マック」――スコティッシュ・テリアのマックが、すれ違い始めた飼い主夫婦の仲をとりもとうとかけまわる。作者:ジョン・ヘルド・ジュニア(1930年代に活躍したイラストレーター・漫画家。フィッツジェラルドの「ジャズ・エイジの物語」などにイラストを描いている。)
「彼女の犬」――彼女の死からちょうど六ヶ月目に、ぼくの前に現れた皮膚病持ちの汚い犬。追っても追ってもついてくるので家に入れたら、どうやら彼女もいっしょに入ってきたらしい。作者:マニュエル・コムロフ(1920~1930年代に活躍したニューヨーク生まれの小説家。)
「盲導犬バディ」――ニュージャージ州にある盲導犬協会「シーイング・アイ」のシェパードとご主人であるモリス氏(もちろん盲人)の息の合った暮らしぶり。作者:ディクスン・ハートウェル(1940年のエッセイ『Dogs Against Darkness』からの抜粋。)
「義侠犬ダボコ」――ギリシャ系のご主人に忠実で、ギリシャ語で吠えるとまでいわれる雑種犬の〈反ギリシャ人同盟〉との戦い。作者:マッキンリー・カンター(1920~1950年代に活躍した作家。本作は1961に発表されたもの。)
「神秘の犬」――『三匹曠野を行く』(The Incredible Journey、1961)からの抜粋。老ブルテリア犬・若きラプラドール犬・シャム猫の三人組とオジブワ族の出会い。作者:シーラ・バーンフォード(カナダの児童文学作家。)
「お嬢犬オフィーリア」――グレートデーン(デンマークの犬)であることからオフィーリアと名付けられた貴族的な犬が「春」に目覚め、庶民(雑種犬)の世界に惹かれていく。作者:コンラッド・ベルコヴィシ(ルーマニア出身のアメリカの小説家。)
「見習い猟犬ディーコン」――ポイント(身体を硬直させて静止して獲物の位置を示すこと)ができるようになっても悪ふざけが止まらない猟犬を、狩猟に夢中で休講の多い大学教授が躾けていく。作者:ハヴィラー・バブコック(ヴァージニア大の英語学部教授。)
「忠犬ウルフ」――「名犬ラッド」の息子で、姿形は犬というよりオオカミに似ているコリー犬のウルフが愛する少年と森に出かけたとき、少年が氷の張った沼に落ち込む。作者:アルバート・ペイソン・ターヒューン(「名犬ラッド」を書いたアメリカの小説家。)
「花形犬スポット」――大きな犬だと思い込んでサーカスのライオンに噛みついて有名になったスポットを檻に入れて、飼い主の少年フレクルズはサーカスを始める。入場料はなんと「待ち針(!)10本」。作者:ドン・マーキス。イリノイ生まれの小説家・ジャーナリスト。)
「望郷の犬ニック」――軍に徴用され、戦争用に訓練されたニック。戦争が終わってやっと懐かしい故郷の家に帰れたのに、仲良しだった少年にもその母親にも歓迎されなかった。ほろ苦い後味の名作。作者:コーリー・フォード(ライフ誌やニューヨーカー誌で活躍した作家。)
「迷い犬カシタンカ」――指物師のご主人とはぐれてしまった若い赤犬のカシタンカは、優しい男に拾われてネコや雌ブタといっしょにサーカスに出演する。作者:アントン・チェーホフ(1887年の末に発表された作品。)
(2016.11.16読了)
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by nishinayuu | 2017-01-16 09:25 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

私の10冊(2016年)

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☆この1年に読んだ本の中から特に気に入った本を選んで、「私の10冊」としてまとめてみました。また、「私の10冊」の選から漏れた本を「お勧めの10冊」として挙げてみました。
☆画像は「The Book of Tea」です。


私の10冊
灰と土(アティーク・ラヒーミー、訳=関口涼子、インスクリプト)
名もなき人たちのテーブル(マイケル・オンダーチェ、訳=田栗美奈子、作品社)
タイガーズ・ワイフ(テア・オブレヒト、訳=藤井光、新潮クレストブックス)
제주 유배길에서 추사를 만나다 (양진건, 푸른역사)
Amsterdam (Ian Mcewan, Anchor Books)
The Book of Tea (Okakura Kakuzo, Tuttle Company)
風土記の世界(三浦佑之、岩波新書)
わたしは灯台守(エリック・ファーユ、訳=松田浩則、水声社)
蠏の横歩き(ギュンター・グラス、訳=池内紀、集英社)
冬の夜ひとりの旅人が(イタロ・カルヴィーノ、訳=脇功、白水Uブックス)

お勧めの10冊
通勤路(マリー=ルイーズ・オーモン、訳=岩崎力、早川書房)
風の吹く日は(モニカ・ディケンズ、訳=村井洋子、未知谷)
卵のように軽やかに(サティ、訳編=秋山州晴・岩佐鉄男、筑摩書房)
The Lake of Dreams (Kim Edwards, Viking Penguin)
あなたの本当の人生は(大島真寿美、文藝春秋)
優雅なハリネズミ(ミュリエル・バルベリ、訳=河村真紀子、早川書房)
ペナンブラ氏の24時間書店(ロビン・スローン、訳=島村浩子、東京創元社)
カールの降誕祭(フェルディナント・フォン・シーラッハ、訳=酒寄進一、東京創元社)
べつの言葉で(ジュンパ・ラヒリ、訳=中島浩郎、新潮クレストブックス)
地平線(パトリック・モディアノ、訳=小谷奈津子、水声社)
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by nishinayuu | 2017-01-12 14:04 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)