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Level ofLife』(Julian Barnes, 2013

著者は『終わりの感覚』で2011年にブッカー賞を受賞した作家。OEDの編集に携わっていたこともあるという。




本書はそれぞれ独立した内容を持つ3つの章によって構成されている。

1章「高さの罪」の主人公は、史上初めて上空から地表を撮影したフェリックス・トゥルナション(18201910)通称ナダール。ジャーナリスト、風刺画家、写真家、気球乗り、発明家、起業家でもあったナダールは同時代の人々から「発散する元気の量が仰天レベル」(ボードレール)、「才気煥発の愚か者」(ネルバル)、「頭がよく回る、合理性の欠片もない男」(後に親友となった編集者)などと評されている。また、「写真を芸術の高みに引き上げんとするナダール」(ドーミエによる風刺画)という絵に登場し、彼の乗った気球ルジアン号もマネやルドンの絵に描かれている。さらに、ビクトル・ユゴーが宛名に一語「ナダール」と書いて出すと手紙がちゃんと届いた、というエピソードも残している。第1章にはこのナダールのほかに気球旅行をした女優のサラ・ベルナール、ドーバーからイギリス海峡を越えてフランスに飛んだ英国軍人フレッド・バーナビーも登場する。

2章「地表で」は上記のサラ・ベルナールとバーナビーの出会いと別れを綴った恋愛物語。もちろん実話ではなくフィクションであるが、彼らに関するエピソードや同時代人による評が盛り込まれていて楽しい。例えば「ベルナールは生涯を通じてナダールの――最初は父ナダール、のちに息子ナダールの――被写体であり続けた」とか、「身長はようやく150㎝ほど」、「共演の男優とは必ず寝ていた」、「感嘆するほど目立つことに秀でた人物」(ヘンリー・ジェイムズ)、「嘘っぽく、冷たく、気取り屋。あのパリ風シックには胸が悪くなる」(ツルゲーネフ)などなど。あの『スラブ叙事詩』の画家ミュシャ/ムサが描いたベルナールを思い浮かべながら読むのも一興である。

3章「深さの消失」は、最愛の妻をほとんど突然失ったバーンズが、妻のいない日々をどのように生きたかを綴ったもの。出会ってから30年という歳月をともに歩んできてこれからも歩んでいくはずだった妻の死によって、作家は奈落の底に突き落とされる。悲しみと苦しみにとらわれ、周囲の言葉に傷つき怒り、ついには自分も消えてしまおうと考える。一人残された者のそんな思いが事細かに綴られていて、胸を打つ。第1章は本来組み合わさるはずのない物事の組み合わせによって高みへと導かれる物語、第2章は出会うはずのない者同士が出会って高みに到達するが、いきなり高みから突き落とされる物語だった。そしてこの第3章のテーマは、高みから突き落とされたあとはどうなるか、ということである。まだ光は見えていないが、光を見ようとする意思が感じられる終わり方である。いつかある日、本書に救われる日が来るかもしれない、と思いながら読み終えたのでした。(2017.11.14読了)


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by nishinayuu | 2018-01-16 10:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

私の10冊(2017年)

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☆この1年に読んだ本の中から特に気に入った本を選んで、「私の10冊」としてまとめてみました。また、「私の10冊」の選から漏れた本を「お勧めの10冊」として挙げてみました。

☆画像は「ふたつの海のあいだで」です。


「私の10冊」

聖ペテロの雪(レオ・ペレック、訳=垂野創一郎、国書刊行会)

イザベルに 曼荼羅(アントニオ・タブッキ、訳=和田忠彦、河出書房新社)

植物たちの私生活(李承雨、訳=金順姫、藤原書店)

The Buried Giant (KazuoIshiguro, Vintage)

冬の灯台が語るとき(ヨハン・テオリン、訳=三角和代、早川書房)

ぼくが逝った日(ミシェル・ロスタン、訳=田久保麻里、白水社)

ふたつの海のあいだで(カルミネ・アバーテ、訳=関口英子、新潮クレストブックス)

あの素晴らしき七年(エトガル・ケレット、訳=秋元孝文、新潮クレストブックス)

ジヴェルニーの食卓(原田マハ、集英社)

黄昏に眠る秋(ヨハン・テオリン、訳=三角和代、早川書房)


「お勧めの10冊」

회색 문헌 (강영숙, 문확과지성사)

書店主フィクリーのものがたり(ガブリエル・ゼヴィン、訳=小尾芙佐、早川書房)

The Sheep (H. H. Munro,Doubleday & Company Inc.)

妻は二度死ぬ(ジョルジュ・シムノン、訳=中井多津夫、晶文社)

A Woman of No Importance(Oscar Wilde)

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(村上春樹、文藝春秋)

ゴリオ爺さん(バルザック、訳=中島英之、青空文庫)

チェーホフ短編集(編=沼野充義、集英社)

地図のない道(須賀敦子、新潮社)

人生の段階(ジュリアン・バーンズ、訳=土屋政雄、新潮クレストブックス)


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by nishinayuu | 2018-01-02 17:09 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


c0077412_09212309.jpg本書は20083月~20105月に集英社の文芸誌『すばる』に掲載されたものをまとめたもの。読書会「かんあおい」201711月の課題図書として『ロスチャイルドのヴァイオリン』を選定したnishinaは、近所の図書館からかき集めてきた5冊のうち4冊は会員たちに回し読みしてもらうことにし、沼野充義訳の本書を手許に残した。これが大正解!訳文が滑らかで読みやすいのはもちろんだが、各作品に詳細で興味深い「解説」が付いているので、勉強にもなるし2倍も3倍も楽しめた。

13編の収録作品は、次のように4つのグループに分けられている。

*「女たち」――かわいい/ジーノチカ(憎まれ初め)/いたずら/(ナッちゃん、好きだよ)/中二階のある家(ミシュス、きみはいつまでもどこか手の届かないところにいる)

*子供たち(とわんちゃん一匹)――おきなかぶ(累積する不条理)/ワーニカ(じいちゃんに手紙は届かない)/牡蠣/おでこの白い子犬

*死について――役人の死(アヴァンギャルドの一歩手前)/せつない(ロシアの「トスカ」)/ねむい(残酷な天使)/ロスチャイルドのヴァイオリン(民族的偏見の脱構築)

*愛について――奥さんは子犬を連れて

強く印象に残ったのは「ワーニカ」「せつない」の2作品。どちらも余りにせつなくて泣けてくる。

解説で特に印象に残ったのは次の事項。

*ロシア語では「流れ星」ではなく「落ちる星」という。「中二階」のジェーニャが流れ星を怖がるのは下に落ちてしまうことへの恐怖だと解釈できる。

*チェーホフには呼びかけが多いが、呼びかけはしばしば相手に届かない。ワーニカが出す手紙が絶対に「村のじいちゃん」には届かないように。ミシュスへの呼びかけも、人と人との間に横たわる絶望的に越えがたい深淵を意識した人間の諦めと希望の入り混じった叫びである。

*現代のロシア語辞典には「村のじいちゃんへ」は宛先不明の時におどけていう慣用句として登録されている。

*「トスカ」とは一切何もしたくなくなるような憂鬱、心を締め付けられるような煩悶、すべてを投げ出して消えてしまいたくなるような不安。二葉亭四迷は「ふさぎの虫」と訳しているという。(プッチーニのトスカとは無関係でした!)

*「ロスチャイルドのバイオリン」でチェーホフは、ユダヤ人の特徴とされるものをロシア人に移し、まさにそのことによって民族的偏見の根拠を切り崩すという作業を行っているのである。

*「奥さんは子犬を連れて」についてナボコフは、「ここには引き出すべき道徳も、受けとめるべき主張も存在しない、高貴なものと低俗なものの違いが存在しない、現実的な結末が存在しない」といった特徴を数え上げ、それをすべて肯定的に評価して「かつて書かれた最も偉大な短編小説の一つ」とまで言っているそうだ。ところで訳者はある文学講座の受講者に「この後、アンナとグーロフの関係はどうなるか?続編を構想せよ」という課題を出したことがあるという。(受講生じゃなくてよかった!でも〇〇年前だったら喜んで取り組んだかも。)(2017.10.29読了)


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by nishinayuu | 2017-12-30 09:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)


Aunts Aren’tGentlemen』(Wodehouse――1974年の英国版

TheCatnappers』(Wodehouse)――1975年のアメリカ版

c0077412_09041249.jpg本書はイギリスのユーモア作家・ウッドハウス(18811975)による最後の作品である。邦訳のタイトルは内容が一目でわかるアメリカ版のタイトルをもとに、ジーヴス・シリーズの1作であることも示していて、よくできたタイトルではある。一方のイギリス版のほうはちょっと意味不明な感じがし、そのせいでかえって興味がかきたてられそうな、捨てがたいタイトルとなっている。種明かしをしてしまうと、イギリス版のタイトルは本作の最後にバーティーがジーヴスに向かって言う次のような台詞から来ている。

「僕らの心は落ち着いている。なぜかというとここニューヨークはダリア・トラヴァース夫人から五千キロも離れているからだ。僕はあの懐かしき肉親を愛しているし、むしろ崇拝している。しかし彼女の道徳規範は弛緩しているんだ。何かしたいとなったら彼女はどどんと行って、それをやる。今回のねこの件でそうしたみたいに。叔母さんという種族の問題はなんだかわかるか?彼女たちは紳士じゃない。」

物語の主人公バーティーは、胸にぶつぶつができたため田舎に療養に行くことになる。行く先はサマセットの保養地ブリッドマス・オン・シーの近くにあるメイドン・エッグスフォード。その地に滞在中のダリア叔母さんがコテージを捜してくれた。同行するのはバーティーのお側付き紳士で生き字引のジーヴス。さてふたりが到着してみると、メイドン・エッグスフォードは「魔境」だった。アフリカ探検家でバーティーの仇敵であるプランク少佐を手始めとして、バーティーがかつてプロポーズして断られたヴァネッサ・クック、かつての学友で今やヴァネッサの恋人となっているオルロ・ポーターなどなど、バーティーの苦手な連中がわんさといるではないか。しかも土地の競馬大会を巡ってやっかいな事件が持ち上がる。ブリスコー大佐の持ち馬シムラ号に一財産を賭けたダリア叔母さんが、クック大佐の飼い猫をさらおうと企てたのだ。というのはシムラ号と互角の力を持つクック大佐の持ち馬ポテトチップ号はねこと仲良しで、ねこがそばにいないと力が発揮できないとわかったからだ。バーティーはこのねこさらい計画に巻き込まれてさんざんな目に遭うことになる。

この作品の魅力の一つは、気のいい青年紳士のバーティーと、控えめだが凜としたジーヴスのやりとりにある。ふたりは頻繁に古典や詩歌を引用する。時にはバーティーが言葉遣いが正しいかどうかをジーヴスに確かめる。そしてジーヴスはつねに的確に応える。ストーリーを楽しむと同時にイギリス紳士の教養あふれる会話を味わうための作品と言えよう。(2017.10.25読了)


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by nishinayuu | 2017-12-22 09:10 | Trackback | Comments(1)

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Le PèreGoriot』(Honoré de Balzac

時は1819年。主要舞台はパリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りにあるメゾン・ヴォーケ。この類いの家では家主が下の階に住み、最上階の5階には使用人が住む。その間にある部屋は上階に行くほど家賃が安くなる。物語の主要人物であるゴリオは、入居した58歳のときは裕福だったので家主と同じ2階に住んだが、3年目の末には4階の45フランの部屋に移った。最初に持っていた立派な家具調度は消え、服装も着た切り雀のみすぼらしいものになり、やせてしわくちゃになっていた。家主のヴォーケ夫人はゴリオが裕福だったときは同棲を考えたほどだったが、ゴリオにその気がないとわかってゴリオを下宿のつまはじき者にすることを思い立ち、呼び名を「ゴリオ爺さん」と変えた(以上がこれまでのいきさつ)。それでゴリオは物語の冒頭からゴリオ爺さんとして登場する。

ヴォーケ夫人の下宿人たちをざっと紹介すると

*2階――ヴォーケ夫人(家主。48歳)、クチュール夫人、ヴィクトリーヌ・タイユフェール(美少女だが悲しみをたたえた顔。庶子のため父親から認知されていない)。

*3階――ポワレ老人(元下級国家公務員)、ヴォートラン(恰幅がよく、弁の立つ40がらみの男。実はツーロンから逃走した徒刑囚で仲間から「不死身」と呼ばれている危険な男。不整な金を動かして利益を得る、闇の銀行家)。

*4階――ミショノー嬢(ハイミス)、ゴリオ爺さん(元イタリア麵製造業者で資産家、現在は吝嗇で陰険で小心者。実は大金を投じて貴族に嫁がせた二人の娘たちのために、金銭ばかりか身も心も命までも献げる父親)。

*臨時の下宿人――ウージェーヌ・ド・ラスチニャック(南フランスのシャラント県出身。高等法律大学志望であると同時に、社交界入りを目指す。すなわち「法と道徳は富の前には無力」という言葉を信じて、「博士となり、時代の寵児となる!」と決意して、宮廷に仕えたことのある叔母のつてで社交界の花であるボーセアン子爵夫人に近づく。

物語は「ウージェーヌの社交界デビュー」から「不死身の事件」「ゴリオ爺さんの死」へと波瀾万丈な展開を見せ、最後は次のように終わっている。

「(ゴリオの埋葬を見届けたウージェーヌは)腕組みをしてじっと雲を見つめた。それからヴァンドーム広場の記念柱と廃兵院の丸天井の間にある華麗な社交界に視線を投げかけたあと、つぶやく。さあ今度はおまえと一対一の勝負だ!と。そして社交界へ挑む第一幕として、ニュシンゲン夫人(ゴリオの二番目の娘)宅に向かった。」

ゴリオの父性愛は、愚かしくて無様なものであるが、見方によっては時代の制約の中で最善を尽くした尊くも美しいものだったと言えなくもない。また、ゴリオの娘たちをはじめとする女性たちの言動も、彼女たちの置かれていた状況を考えれば納得できる。この作品は、19世紀前葉のパリの雰囲気が伝わってくるし、あちこちにちりばめられた警句やことわざ、言葉遊びでちょっと一息つけるし、映像を見ているかのように鮮やかな場面展開が楽しめる。モームが「世界の10大小説」の一つにあげただけのことはある作品である。

本作品は201531日訳出の青空文庫版で読みました。(2017.10.21読了)


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by nishinayuu | 2017-12-14 14:54 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


c0077412_09381878.jpgSummer』(Lisa Grunwald,1985

副題にA storyabout loving …and letting goとある。すなわち本書は強い愛情で結ばれた家族の物語であり、その中の一人があの世へ旅立つのを残される者たちがそれぞれのやり方で受け入れていく物語である。舞台はマサチューセッツ州の半島ケープ・コッドの沖合にあるサンダース島。ケープ・コッドと付近の島々はニューイングランドの中流階級が好んで夏を過ごすリゾート地である。

63日、父親の操縦する自家用飛行機で島へ向かうところから物語は始まる。語り手のジェニファーは18歳。シカゴからボストンへと飛行機、タクシーを乗り継ぎ、父親が自家用機を置いている郊外の飛行場に着いて、遠くからこちらを見ている両親の姿が見えたとき、ジェニファーは心の中でつぶやく。「もうすぐ死ぬんだ」。しかし、背骨の腫瘍で余命いくばくもないはずの母親のルルは、まだいつも通り前向きで、楽天的だった。父親は日常の細々したことはすべて妻に頼っている芸術家気質の彫刻家で、病気の説明を一通りしたあと、話は唐突に(とジェニファーは感じた)「ネプチューンの馬」に飛んでしまう。強い愛情で結ばれている二人が、永遠の別れを前にしてすこしも動揺を見せないことがジェニファーには理解できない。そこでジェニファーは、父親は現実を受けとめるのを拒絶しているのであって、実際に妻から取り残されたら生きていけないだろうから、なんとかして二人を同時にあの世へ送ろう、と思い立つ。

7月から8月へと時が移るにつれてルルの病状はみるみる悪化する。その間ジェニファーの企ては遅々として進まず、ただその企てのおかげで知り合ったベンジャミンへの恋心は募っていく。初めての恋に戸惑うジェニファーに、年齢相応に経験を積んでいる姉のヒラリーは具体的な助言を与える。そして母親のルルはある日、それはルルが死を迎えつつある日だったが、「ジェニファーが愛するに値する人間だ」という確かな自信を与えてくれたのだった。それが、ルルがジェニファーに与えてくれた最後の贈り物だった。そんな中で父親は「回転木馬」の制作に熱中していた。ジェニファーはその「回転木馬」を母親ルルへの最後のプレゼントだと思っていたが……。

メモ:回転木馬の見物人に見える側を「ロマンス・サイド」と呼び、いちばんてっぺんに取り付けられる木馬を「フライング・ジェニー」と呼ぶ。

2017.9.28読了)


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by nishinayuu | 2017-11-20 09:40 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)


c0077412_09535985.jpgGriechesucht Griechin』(Friedrich Dürrenmatt1955

主人公の名前はアルノルフ・アルヒロコス。彼の生きている世界は堅牢で、時間どおりで、道徳的で、上下関係がはっきりしていた。彼の世界秩序のいちばん上、この道徳的世界構造の頂点には大統領が君臨していた。その彼がシェ・オーギュストに初めて現れたのは9ヶ月前の5月のことだった。そのとき彼は「最後から二番目のキリスト者の旧新長老会派」の司教の肖像を小脇に抱えていて、カウンターの上に書けてある大統領の肖像の隣に掛けて欲しい、と言った。3週間後、アルヒロコスはプティ・ペイザン機械工場社長のサイン入り肖像を持ってきて、カウンターの上の3番目の位置に掛けて欲しい、言った。シェ・オーギュストのカウンターの向こうに立っているジョルジェット(オーギュスト・ビーラーの妻)はこれには反対した。プティ・ペイザンはマシンガンを製造しているからと。アルヒロコスが次に持ってきた画家パサップの複製画もジョルジェットに拒否されると、アルヒロコスは気を悪くして、三日間姿を現さなかった。それからまた彼は店にやってくるようになり、マダム・ビーラーはそうこうするうちにムッシュ・アルノルフのあれこれを知るようになった。

すなわち、肉付きがよくて大柄だが青白い顔で内気な、小さな縁なし眼鏡を掛けたアルノルフ・アルヒロコスは、45歳の独り者で、シェ・オーギュストではミルクとミネラルウォーターしか飲まず、ベジタリアンで、女を知らない。プティ・ペイザン機械工場の経理係としてそれなりの収入はあったが、彼の世界秩序の8番目に位置する弟ビビ・アルヒロコス一家のせいで、トイレに囲まれた暗い穴蔵のような屋根裏部屋に住んでいる。そんな状況から彼を救い出すには結婚させるしかないと考えたマダム・ビーラーは、『ル・ソワール』紙に結婚広告を出すようアルヒロコスを説得する。そして彼が文面を考えた広告「ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む!」が紙面に掲載されると、翌々日には返事が来た。差出人はクロエ・サロキニ。かくして1月のとある日曜日にシェ・オーギュストで待ち合わせることになり、目印の赤いバラを身に付けて落ち着かない気分で待っていたアルヒロコスの前に現れたのは、とんでもなく魅力的で、あり得ないほど美しくて気品に満ちた女性だった!

アルヒロコスの前に目の眩むような世界が開けていき、やがてどんでん返しに次ぐどんでん返しが展開していく。そしてなんとこの小説には二種類の結末――デュレンマットが本来書きたかった結末「終わり」と娯楽小説として読み進めてきた読者向けの結末「終わり」(作品の中では「貸本屋のための結末」となっている)が用意されているのだ(?!)。これについては「訳者あとがき」に専門的な解説が記されていて、たいへんお勉強になりました。(2017.9.25読了)
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by nishinayuu | 2017-11-16 09:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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Separatetables』(Sir Terence Mervyn Rattigan, 1954


本作は2幕の戯曲で、第1幕は12月、第2幕はその1年半後となっている。舞台はボーンマス近くのボーリガードホテル。登場人物は以下の通り(ほぼ登場順)。


メイベル――中年のウエイトレス。無口で陰気。

モード・レイルトンベル――滞在客で65歳。銀狐のストールが特徴。

グラディス・マシスン――役人の未亡人で年金生活者。ネズミのような顔。モードの金魚の糞。

ミーチャム――65歳の女性。いつも競馬情報誌「今日のレース」を読みふけっている。

ドリーン――若いウエイトレス。おしゃべり。

ファウラー――パブリックスクールの元校長。70歳。

アン・シャンクランド――スーツケース4個と帽子箱を持ち、地味なホテルには場違いなメイフェアーの服で現れた40歳くらいの女性。

パット・クーパー――ホテルの支配人。風貌も動作も男っぽい女性。ミーチャムに「あなたは自分で足りてるっていうタイプなの」と言われる。

ジョン・マルコム・ラムズデン――40代前半の新聞記者。パット・クーパーと親密な関係にある。実はアンと3年の間結婚していたことがあり、このホテルで8年ぶりに再会。

チャールズ・ストラットン――短期滞在の若者。外科医を目指している。

ジーン・タナー――短期滞在の若い娘。キャリアウーマンを目指している。

ホテルの客たちは大部分が長期滞在客で、いつも決まった連れと決まったテーブルに坐り、つかず離れずの交流をしている。そんな客たちにとってアン・シャンクランドの登場はかなり衝撃的だった。彼女とジョン・マルコム・ラムズデンは最初のうちぎくしゃくしていたが、次第に距離を縮めていき、ついには同じテーブルに坐ることになって第1幕の幕が下りる。

2幕では登場人物が少し入れ替わる。第1幕で短期滞在者として登場した二人が、なんと夫婦として、赤ん坊連れで現れる。赤ん坊はヴィンセント・マイケル・チャールズと名付けられて。また、二人組だったモードとグラディスが三人組になっている。モードの娘で33歳のシビルが加わったのだ。この娘は服装もみすぼらしく、おどおどしていて、母親の言いなりになっている。つまりモードは子分を二人持つことになったわけだ。さらに、ポロックという(自称)退役少佐も新たに登場する。彼が夕食の時にみんなに挨拶したとき、支配人のクーパーが「ポロックさん」とも「ポロック少佐」とも聞こえるように発音した、とある。sirmajorでは音が違いすぎるし、音が近いsergeantは曹長だし……原文が知りたいものである。

本作は1954年に舞台で初演され、1958年には『旅路』というタイトルで映画化されている。映画のキャストはデボラ・カー(シビル)、リタ・ヘイワース(アン・シャンクランド)、デヴィッド・ニーヴン(ポロック少佐)、バート・ランカスター(ジョン・マルコム)など。バート・ランカスターとデヴィド・ニーヴンはぴったりという感じがする。(2017.9.1読了)


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by nishinayuu | 2017-10-31 10:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

c0077412_10121358.jpgBecёлыепохороны』(Людмила Улицкая1997

舞台はマンハッタンのチェルシー地区にあるアトリエ。1991年の猛暑の夏、亡命ロシア人で画家のアーリクは重病の床にあり、今や彼の素質のすべてが意味をなくしていこうとしていた。優れた記憶力も、絶対音感も、芸術家としての才能も。チロル民謡を歌うひょうきんな声も、超一流のビリヤードの腕前も、なにもかもを引き連れて、彼はいなくなろうとしていた。

アトリエには5人の女たち――エキセントリックな妻のニーナ、軽業師から弁護士に転身した元恋人のイリーナ、その娘で15歳のマイカ、ロシア語教師をしている現役の愛人ワレンチーナ、ロシア語を勉強中のイタリア人ジョイカ――が集まっていて、友人たち――医者だがアメリカでは無資格のフィーマ、民間療法師のマリアおばさん、新参亡命者のファイーナ、フィーマの友人で医者のベルマン、フィーマの幼なじみのリービンなどが次々に訪れる。彼らはみんな、なんらかの事情でロシアを出てきた人々だった。

「彼らはアーリクとともに歩んだ、喜びと悲しみに満ち、決して平坦ではなかった人生の道のりを追想する。ウオッカを飲み、テレビで報道される祖国のクーデターの様子を見ながら。そして、みなに渡されたアーリクの最期の贈り物が、生きることに疲れたみなの虚無感を埋めていく……。不思議な祝祭感と幸福感に包まれる中編小説。」(見返しの紹介文より抜粋。)

以下は目にとまった言葉や事柄の覚え書き。

*アントーノフ種のりんご――「ワレンチーナが1981年にアメリカに来たとき、チェックの布張り鞄には、持ち込んではいけないはずのアントーノフ種のりんごが三つ、詰め込まれていた。」

*マンハッタンのチェルシー地区――「アーリクが大好きなオー・ヘンリーが描いた街。かつては工場労働者が多い雑多な印象の所だったが、ここ数年でめざましく変わってファッショナブルな街へと変貌を遂げた。」

*ルビャンカ広場のジェルジンスキー像――秘密警察の父でレーニンの側近であるこの人物の銅像は、ソ連崩壊の折に撤去された。あるブログ(2013)に、プーチン政権下で銅像を復活させる動きがある、という記事があったが……

*ヤエザキオオハンゴンソウ――八重咲き大反魂草。ルドベキア(Rudbeckia)の仲間。訳者による注に「黄色い大きな花をつける菊科の改良種。第二次大戦後、ソヴィエトで好んで植えられた」とある。

*絵に描いたようなユダヤ人の一団が墓地に押しかけたときのワレンチーナの反応――「この人たちはひょっとしてブライトンビーチあたりの小劇場の役者なんじゃないの、アーリクに聞いてみなきゃ……と考えた瞬間に、たくさん、ほんとうにたくさん訊きたいことがあるのに、もはや訊く相手がいないのだ、と思い知る。」このくだりを読んだとき、ある人から聞いたを思い出した。高校生のとき、同級の女の子が母親を亡くした。彼女の許に駆けつけて慰めの言葉を掛けたりしているうちに、翌日のお葬式になにを着ればいいかという話になった。学校の制服でいいかな、それとも、と迷っていた彼女が「そうだ、お母さんに訊いてみよう」と言った。そのとたんにはっと顔を見合わせたふたりは、改めて涙にくれてしまったという。

この作品は今まで読んだウリツカヤ作品の中でいちばん好きかも知れない。(2017.7.28読了)


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by nishinayuu | 2017-10-11 10:13 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

c0077412_10110148.jpg The SevenGood Years』(Etgar Keret2015

本書は息子レヴの誕生から父親の死までの7年間の出来事を描いたノンフィクション作品で、36篇のエッセイで構成されている。本書を読めば、パレスチナの人々の土地を奪って建国されたイスラエルという国で、人々がなにを思い、どのように日々を送っているのかが、少しはわかるかもしれない。印象的なエピソード満載なので抜粋は難しいが、ほんの一部をあげてみると――

*ミサイルが一斉発射されたとき、ぼくらはもう一度、日々民間人を攻撃せざるを得ない占領国ではなく、自分たちのために闘う、敵国に囲まれた小さな国となれたのだ。だからぼくらがみんなひそかにちょっとだけホッとしたとしても不思議ではないだろう?(1年目「戦時下のぼくら」)

*過去数年にわたってぼくは多くの祝日をイスラエル国外で過ごしてきた。空軍の戦闘機が頭上をデモンストレーションして飛ぶのを見て独立記念日を過ごしたりせずに済むのには、いくらかホッとするところがあったのは認めざるを得ない。でも、ヨム・キプール(大贖罪日)のときだけは全力でイスラエル国内にいようとしてきた。テルアビブの大通りで小鳥の声が聞こえるのはヨム・キプールのときだけだ。明日はもうヨム・キプールではないと知った息子が泣き出した。それは正しい反応だ。(3年目「スウィート・ドリーム」)

*七つ年上の兄さんがいて、ぼくはいつも大きくなったら兄さんのようになりたいと思っていた。兄さんは12歳のとき神様を見つけてユダヤ教の寄宿学校に入り、15歳のとき宗教を捨てて大学で数学とコンピュータサイエンスを勉強し、21歳のとき兵士になったが「イスラエル国防軍兵士にふさわしくない行為」のために投獄され、数年後にはハイテク企業を辞職して「急進的な」活動に従事し、この5年は奥さんとタイに住んで世界をちょっとだけよい場所にするための国際組織を運営している。ぼくの乗ったゾウの前を自分でゾウを操りながら進む兄さんを見て、大きくなったら兄さんのようになりたいという子ども時代の感覚が戻ってきた。(3年目「英雄崇拝」)

*ここ10年ほど毎年ポーランドを訪問してきた。ぼくの一族のほとんどがそこで恐ろしい状況の中で死んでいったのだけれど、彼らが暮らし、数世代にわたって栄えたのもポーランドであり、この地とそこに住む人々にひきつけられるぼくの気持ちはほとんど神秘的でさえあった。(5年目「想像の中の故国」)

*19年前、ブネイ・ブラクの小さな結婚式場でぼくの姉は死んだ。今ではエルサレムでも最も正統派ユダヤ色の濃い地域に住んでいる。(4年目「亡き姉」)

*文学イベントでクロアチアのザグレブに行った時、地元のカフェのウエイターから聞いた話。「戦争中、それぞれの言語では他意のない言葉の選択も、険悪な政治的含意があるように受け取られかねなかった。コーヒーをさす言葉はクロアチア語、ボスニア後、セルビア語でそれぞれ異なっていたため、客はみんなエスプレッソを注文し始めた。それなら中立なイタリアの言葉だから。そして一夜にしてここではコーヒーではなくエスプレッソのみを出すようになった。」(6年目「お泊まり」)

*ワルシャワのとある通りにぼくらの家が建てられた。その細い家に母さんより歳をとった女性がやって来てジャムをくれた。昔この近くにユダヤ人の友達がふたりいて、その子たちがゲットーに移る前に、おばあさんの母親が作ってくれたジャムサンドをあげたという。細い家のキッチンでジャムをつけたパンを食べた。(7年目「ジャム」)

「イスラエルのユダヤ人」だからこそのエピソードに出会えるのはもちろんだが、どこの国のどんな人でも共感できそうなエピソードも多い。また、全編にユーモアとペーソスがあふれていて充実した読書が楽しめる。なお作者ケレットは、村上春樹が「壁と卵」のスピーチをした2009年エルサレム賞の審査員の一人だという。(2017.7.27読了)


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by nishinayuu | 2017-10-07 10:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

読書と韓国語学習の備忘録です。


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