タグ:洋書 ( 97 ) タグの人気記事

『Reginald on Christmas Presents』(H.H.Munro)

c0077412_1355369.jpg
前回に引き続き『The Complete Works of Saki』である。『Reginald』で「年長者たちに不愉快な思いをさせるのを喜びとしている」やっかいな青年として登場したレジナルドが、この作品ではクリスマスプレゼントについて、世間の人びとのセンスのなさを辛辣に皮肉りつつ、あれこれ蘊蓄を垂れている。作者はOscar Wilde、Lewis Carroll、Kiplingなどに影響を受けたというが、なるほどレジナルドはオスカー・ワイルド作品の登場人物を彷彿させる。
プリンス・オブ・ウエールズのジョージ(ヴィクトリア女王の孫、ジョージ五世)の祈祷書なんかは受け取りたくない、という話から始まって、そもそもプレゼントの送り方についてはきちんとした教育が必要だ、なぜなら、と話は続いていく。
やっかいなプレゼントをくれる人間として彼はまず、ネクタイこそ最高のプレゼントと思いこんでいる田舎に住む親戚の女性を挙げる。そういう女性から水玉のネクタイでも送られてきた日には、茂った枝を縛るのに使うしかない。普通の女性に比べれば美的感覚に優れた小鳥たちが仰天して逃げていくだろうから、云々。
伯母さん・叔母さんたちも困りもの。ウエストエンドでは今では赤いウールの手袋をしている人はいない、ということをやっと教え込んだ頃には、彼女たちは寿命が尽きるとか、家族と仲違いしてしまうとかいうことになっているから、結局センスのある伯母さん・叔母さんはいつも不足がちだ、云々。アガサ叔母からもらった「九つボタンの手袋」は大嫌いな奴にやってしまったとか、自分の叔母さんというものを選べないなら、自分でプレゼントを買って請求書を叔母さんに送ったほうがいい、云々と、とにかく言いたい放題なのだ。
このあとも、もらいたくないプレゼントともらってもいいプレゼントが並べ立てられていて、いろいろお勉強になる。(2013.5.22読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-08-01 13:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『Reginald』(H.H.Munro, Doubleday & Company,Inc.)


c0077412_1815617.jpgこれはDoubleday発行の『The Complete Works of Saki』の最初に掲げられている作品である。作者のMunroはビルマ生まれの英国人(1870~1916)で、エドワード七世(在位1901~1910)時代の香が漂う作品、特に上流社会のあれこれを風刺的に描いた作品を多く残している。SakiはMunroのペンネームである。
ところで、『The Complete Works of Saki』の冒頭にNoël Cowardが1967年に書いた紹介文がある。その中で彼は、自分が子ども時代に親しんで影響を受けたのはSakiとNesbitだが、それから50年以上経った今の時代、読書人の多くはSakiなんて聞いたこともないだろう、と言っている。1967年にしてすでに英語圏でもほとんど忘れられた作家だったのだ。英語圏でさえそうなのだから日本ではなおのこと知る人は少ないと思われるが、「ちくま」や新潮から文庫版の翻訳がでているところをみると、ある程度は読まれているらしい。教科書で“The Open Window”を読んでファンになった人たちもかなりいるようだ。
さて『Reginald』は、語り手がガーデンパーティに花を添えるつもりで連れて行った青年・レジナルドが、パーティーの参加者たちの気分を害してしまい、語り手も面目を失ってしまう話である。レジナルドはハンサムで洗練された趣味の持ち主ではあるけれど、年長者たちに不愉快な思いをさせるのを喜びとしている人物なのだ。ハイライトはレジナルドが“What did the Caspian Sea?”と問いかけて一同を茫然とさせる場面(数行あとに語り手によるWhat did the Caspian seeという解説的言い換えが出てくる)。
短編なのでストーリーというほどのものはなく、さっと読み終えることができる――と言いたいところだが、“The Open Window”に比べるとそうとう手強い作品である。注釈書や翻訳が出回っているシェイクスピアより手強いかもしれない。調べてわかったところを注がわりに以下に記しておく。

San Toy――中国を主題にしたミュージカルで、1899年にロンドンで初演された
Diamond Jubilee――ヴィクトリア女王在位60年の式典(1897年)
The Eternal City――Hall Caineによる小説(1901)。なお、eternal cityとはローマのこと
Poona――デカン高原にある都市プネーの英語読み。
Zaza――フランスの作家による不倫劇
The War in South Africa――ボーア戦争(1899~1902)
(2013.5.21読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-07-29 18:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『The quince Tree』(Saki, Doubleday)


c0077412_2042058.jpg『マルメロの木』(サキ)
あるブログにこの作品が取り上げられていたので読んでみた。昔、高校の教科書に出ていた『The Open Window』が気に入ってサキの全集を買ったけれども、いくつか読んだだけでこの作品は未読だった。
さて、読んでみると、才気煥発でいたずら好きな少女がおばさんをからかう、という点では『The Open Window』と共通するが、サキ独特の毒気はあまり感じられず、むしろほのぼのとした雰囲気の作品である。長さもごく短いので、サキが初めての人にも楽しめそうだ。
実はこの作品を読んでみようと思ったのには、もう一つ理由がある。数ヶ月前に、わけもなくマルメロの実というものが気になりだし、形や色を映像で確認したりして、それがカリンとよく似ているけれどもカリンとは別種のものだ、というところまでは理解していた。カリンと同じくそのままでは食べられない、というマルメロを、昨年の末にあるレストランで口にする機会があって、ついにマルメロの味もわかった。長い間未知のものだったマルメロが、短期間に親しい果物となったのだ。植物としてのマルメロと近しくなったと思ったらタイミングよく、文学作品に取り上げられたマルメロにであったわけである。
マルメロというのはポルトガル語のmarmeloからきている。マルメロの名はずいぶん前から耳にしていたのにこの作品に気がつかなかったのは、マルメロを英語ではquinceということを知らなかったからだ(調べればわかるのにね)。マルメロということばにはフランスの香りがある、と長年漠然と思っていたが、マルメロのフランス語はcoingだった。遅まきながらマルメロについていろいろ知ることができたのが、この作品とであったことのいちばんの収穫かもしれない。(2013.1.17読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-03-22 20:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『The Star Child』(Oscar Wilde, Illustration by Charles Mozley, Bodley Head)


c0077412_15364373.jpgA House of Pomgranates(1891出版の童話集)の中の1編。
物語は「昔々、貧しい樵夫がふたり、松林の中を家に向かっていました」と始まる。季節は冬、時間は夜。深い雪に閉ざされた森の中で、動物たちや小鳥たちさえなすすべもなく、異常な寒さの意味を説明しようと試みたり、政府の無策を罵ったりするばかり。ただひとりフクロウたちだけは、黄色い目玉をぐるぐるさせながら飛び回り、この寒さを楽しんでいる。――ここまでが導入部。
さて、樵夫たちは雪と氷に足を取られてこけつまろびつ、やっとのことで森の外れにたどり着く。遠く谷間の村の灯りを目にしてふたりは声を上げて笑う。が、そのとたんに自分たちの貧しさを思い出して、いっそのことここで凍え死ぬか獣に食われてしまったほうがましかもしれない、とみじめな境遇を嘆き合っていると、空から非常に明るい星がすごい勢いでふってきて、すぐ先の柳の向こうに落ちる。大変な宝物に違いない。二人が駆け寄ってみると、何枚もの金の布地にくるまれた赤ん坊だった。ひとりの樵夫は、自分たちは貧しくて自分の子どもを養うのがやっとなのだから、このまま捨てておこうと言うが、もうひとりは子どもを抱きあげる。そして家に着くと、あきれて拒絶する妻に言う。「だけど、これは星の子なんだよ」と。こうして樵夫の子どものひとりとして大きくなった星の子は、だれよりも美しい子どもに育った。しかし美しいのは容貌だけで、邪悪な心を持った手に負えない子どもだった。

その後、星の子の運命はキリスト教圏の子どもの読み物らしく、やや教訓的な展開を見せるが、それなりに感動的でもある。文体は古めかしく、樵夫たちでさえthou artとかnayなどのことばを使ってやりとりしている。なんとなく教養を感じさせる樵夫たちなのである。(1月1日読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-03-04 15:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『A Season of Gifts』(Richard Peck, Penguin)


c0077412_15133029.jpg『贈り物の季節』(リチャード・ペック著、ペンギン)
『A long Way from Chicago』『A Year Down Yonder』に続くダウドゥルおばあちゃんシリーズの3冊目で、時は1958年。ジョーイが9歳、メアリ・アリスが7歳だった1929年にすでにかなりの歳だったおばあちゃんがいったい何歳なのか判然としないが、とにかくとなりに引っ越してきた子どもたちには「町よりも年をとっている」ように見えた。家もあちこちガタが来ていてまるで幽霊屋敷であるが、そこの住人は幽霊にしては存在感がありすぎるのだった。
となりに引っ越してきたのはバーンハーツ一家。きまじめなメソジスト派の牧師の父親、良妻賢母の母親、おとしごろの長女フィリス、ちょっと気弱な長男ボブ、幽霊は信じてもサンタクロースは信じていない末っ子ルース・アン、という構成で、語り手は長男のボブ。すでにほかの教会がある町へ乗り込んできた形の一家には、さまざまな苦難が降りかかる。教会員が集まらないので一家の生活は苦しい。人びとは好奇の目で見るだけで手をさしのべてはくれない。そんななかでまずボブが、不良少年たちの凄まじいいじめの洗礼を受ける。そして半死半生に近い状態で、しかも素っ裸で放置されていたのをおばあちゃんに助けてもらったため、以後ボブはおばあちゃんに頭が上がらなくなる。それをいいことに?おばあちゃんは力仕事や雑用を当然のようにボブにやらせるようになる。ところがおばちゃんに捕まったのはボブだけではなかった。おばあちゃんの庭に惹きつけられて、親からとめられているにもかかわらず隣家との境を越えてしまったルース・アンは、いつの間にかおばあちゃんの弟子になっていっしょに動き回っているし、ルース・アンをひきとめていたはずの母親までが、いつの間にかおばあちゃんと同盟を結んでいるのだ。家族がどんどんおばあちゃんのペースに巻き込まれ、感謝祭の準備、続いてクリスマスの準備のために畑の世話や料理に追われる。こうしてこき使われた一年が終わろうという頃になって、ボブは初めて気がつくのだ。自分たちの家族も町の人びとも、おばあちゃんから大きな贈り物をもらっていたのだと。(2012.11.16読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-01-18 15:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『The Secret Scripture』(Sebastian Barry著)


c0077412_10152338.jpgアイルランド出身の作家が2008年に発表した作品。アイルランドの近代史を背景に、一人の女性がたどった数奇な人生がミステリータッチで綴られていく。
「ロザンヌの証言」と「ドクター・グリンの備忘録」が交互に展開する形で物語は進行する。ロザンヌはロスコモン地方精神病院の最高齢収容者(100歳)であり、ドクターはここの院長である。ドクターがここに赴任してきた30年ほど前もロザンヌはすでに老人だったが、まだとても美しかったし、レクリエーション・ルームに置いてあるピアノを弾いたりしていて、クイーンのようだった。今はほとんど自室に閉じこもっているので、ドクターはたびたび彼女の部屋を訪れる。ドクターにとってロザンヌは歴史であり人生だからだ。それに、ドクターは自分がロザンヌに好かれていると感じている。
一方ロザンヌには、聖トマスに似ている(ヒゲとハゲの)ドクターの訪問が嬉しくもあり、ちょっと面倒でもあった。毎日少しずつ、自分の人生の記録を愛用のbiroのボールペンで綴っていて、それを秘密の場所に隠しているからだ。家族を愛し、人生を楽しむことを知っていた父親と美しい母の三人で過ごした子ども時代、運が傾いたあとも気丈だった父が急死して、母と二人だけで取り残された思春期、独立運動の高まりと弾圧の嵐の中でも花開いた青春。最後まで書き終えることができるか、ロザンヌは気が気ではない。記憶力が急速に衰えているのを自覚していたからだ。
ところで、ドクターがロザンヌのもとをたびたび訪れるのにはもう一つの理由があった。ロスコモン病院の建物が老朽化したため、新しい施設に移転することになったのだが、新しい施設のベッド数が少ないので収容人数を減らす必要が出てきたのだ。少しでも健康で精神的にも健全な者は社会に送り返すということになり、ロザンヌはその候補の一人になっていた。しかしロザンヌは大変な高齢であるし、これまで一度も親族の訪問がないのも問題だ。そもそもロザンヌはなぜこの施設に入っているのか、精神異常の徴候は全くないのに、と精神医学者のドクターは疑問に思う。こうしてドクターはロザンヌの人生経路をたどる調査に乗り出す。まずはロスコモンに移ってくる前、ロザンヌが最初に収容されたスライゴウの精神病院へ、そこで得た新たな情報をたどってイングランドの関連施設へ。こうしてドクターは、ロザンヌに過酷な人生を強いることになった人びとの人生も決して平穏なものではなかったこと、彼らの人生を呑み込んだアイルランドの歴史の流れは、それらの外に身を置いていたはずのドクター自身をも巻き込んで流れていたことを知ることになる。

☆Free Stater、Royal Irish Constabulary、IRA、英愛条約など、確認すべきことばや歴史事項が多くて悪戦苦闘しましたが、その甲斐のある素晴らしい作品でした。欧米ではかなり読まれているようなのに、日本ではまったく話題に上っていないのが残念です。(2012.10.17読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-12-19 10:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『The Venetian Betrayal』(Steve Berry、Ballantine Books)

c0077412_18202336.jpgアレクサンダー大王にまつわる言い伝えをもとに展開する、野望を抱く者とそれを阻止しようとする側の攻防を描いたエンターテインメント。コペンハーゲン、アムステルダム、ハーグ、ハンブルク、ヴェネツィア、サマルカンド、と舞台はめまぐるしく移るが、各章の冒頭に場所が記されているので混乱することはない。時間に関しては、これも各章の冒頭に記してはあるが、話が前後したり同時進行したりする関係と、多分ヨーロッパとサマルカンドの時差の関係で、気をつけていてもわけがわからなくなってくる。ただ、同じ場所の場合はきちんと時間の流れにしたがって話が進んでいくので大きな混乱は起こらない。敵と味方、いい人と悪い人が比較的くっきり描き分けられているなかで、一人だけ白黒がめまぐるしく入れ替わる人物がいて、その経歴を考慮すると納得できなくもないが、話の展開のために無理やり作った人物像のようでもある。
主な登場人物は以下の通り。
コットン・マロン――もとアメリカ司法省のエージェント。ふだんは古書店をやっているが、ときどきかり出されて助っ人エージェントとなる。
カシオペア・ヴィット――マロンとともに闘うスペイン系ムスリムの若い女性。恋人の命を奪った者への復讐心に燃えている。
トルヴァルゼン――マロンの書店のオーナーで、マロンの強力な後援者。マロンのカシオペアへの気持ちも早くから察している。
イリーナ・ゾヴァスティーナ――カザフスタン共和国大統領、中央アジア連邦首相、ヴェネツィア同盟の評議員。第2のアレクサンダーを自負し、アレクサンダーの東征とは逆に、西征による世界制覇を目論む。強靱な肉体と精神を誇り、目的のためには手段を選ばない。
エンリコ・ヴィンセンティ――ヴィールス学者で製薬会社の大株主、ヴェネツィア同盟の評議員。生物兵器の開発などでゾヴァスティーナと協力関係にある。
ヴィクトル――旧東欧出身。ゾヴァスティーナの命を受け、グリーク・ファイアを自在に操ってエレファント・メダリオン探しに奔走する。
ステファニー――アメリカ司法省のエージェント。年齢のことを言われると不機嫌になる。

巻末に著者による解説がついていて、物語のキーとなる事項について、どれがフィクションでどれが事実かがきちんと記されている。読者サーヴィスなのか、読者教育なのか判然としないが、面白いので以下に記しておく。
フィクション――中央アジア連邦(ソ連崩壊後にゾヴァスティーナが6カ国をまとめて作ったもので、首都はサマルカンド)。エレファント・メダリオン(アレクサンダーの死後に作られたコインで、絵柄の騎士の衣の襞にギリシャ文字のZとHが刻まれている)。ヴェネツィア同盟。中央アジアにあるアレクサンダーの墓。AIDSを完全に直す治療薬。
事実――グリーク・ファイア(大火災を起こす仕掛け。主に船に対して使われた)。ブズカシのゲーム(ゾヴァスティーナが得意なゲーム。詰め物をした羊の皮で競う騎馬競技)。ZとHに該当するギリシャ文字(絵文字かマークのように見える)。(2012.7.14読了)


☆ブックオフで見つけて、作者も作品の傾向も知らないまま、とにかく安かったので買いました。マロン・シリーズの第3弾だということも、読み終わってから知りました。ダン・ブラウンのようなおどろおどろしくはなさそうなので、第1弾、第2弾も読んでもいいかな、と思っています。
[PR]
by nishinayuu | 2012-09-05 18:20 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Cymbeline』(W. Shakespeare著、Greenwich House)


c0077412_1621488.jpg1609~10に書かれたと推定される作品。初期の頃は「悲劇」に分類されていたが、現在は「ロマンス劇」という分類になっている。ケルト人のブリテン王であるシンベリーンをめぐる人びとの軋轢と和解の物語なので、確かに「悲劇」という分類には違和感がある。
王女の男装、毒薬による仮死と復活、葬送の合唱など、盛りだくさんの見せ場があり、第5幕4場には、雷鳴と稲妻の中を、なんと鷲にまたがったジュピターが天下ってくる、という場面まであって、役者も観客も大いに盛り上がっただろうと推測できる。因みに、王女などの女性の役はもともと少年が演じていたので、男装はお手の物だったわけだ。主な登場人物は以下の通り。
Cymbeline(シンベリーン)ケルト人の王クノベリヌスという実在のモデルがいるらしい。先妻との間に二人の王子と王女イモージェンがいる。王妃の諫言に惑わされる頼りない王である。
Guiderius(グィディリアス)シンベリーンの息子。モーガンを父親と思っている。別名Polydore。
Arviragus(アーヴィラガス)同上。別名Cadwal。二人は少年姿のイモージェンを妹とは知らずにかわいがる。
Cloten(クロウトゥン)王妃の連れ子。イモージェンに求婚するがはねつけられ、逆恨みする。
Leonatus Posthumus(リーオネイタス・ポステュマス)秘かにイモージェンと結婚したために追放され、ローマで暮らす。賭の相手に騙されてイモージェンの貞節を疑い、一時破れかぶれになる。今ひとつ頼りにならない男であるが、いちおう主役級の人物であり、一時代を築いた名優Garric(ギャリック)の当たり役だったという。
Belarius(ベレーリアス)元貴族。別名Mogan(モーガン)。追放されたとき二人の王子を誘拐し、自分の子として育ててきた。高貴な気質を表し始めた二人を王の許に戻す。
Cornelius(コーニーリアス)医師。王妃からイモージェンに薬を渡すよう命じられたとき、王妃の悪巧みを見抜いて、毒薬ではなく、一時的に死んだように見える薬を渡す。
Pisanio(ピザーニオウ)ポステュマスの従者。イモージェンの味方。
Caius Lucius(カイアス・ルーシアス)ローマ軍の将軍。反旗を翻したブリテンに討伐にやってくる。
Philario(フィラーリオ)ローマの紳士。ポステュマスの友人。ただし、あまり役に立たない友人である。
Iachimo(イーアーキモウ)同上。イモージェンの貞節に関してポステュマスに賭を持ちかけ、彼女の部屋に忍び込んで部屋の様子や彼女の胸のほくろを観察しておいて、彼女をものにした、とポステュマスを騙す。因みに、オセロのイアーゴウとIaの部分が共通しているのが興味深い。二つの例だけで結論を下すのは強引だが、もしかしたらIaで始まる名前の人間には悪いやつが多い?
Queen(王妃)シンベリーンの宮廷における悪の元凶。連れ子のクロウトゥンを王位に就けるため画策するが、肝心の息子は行方不明になる(実はグイディリアスに殺されてしまっている)。病に倒れたあと、数々の悪事を告白して死んでいく。
Imogen(イモージェン)シンベリーンの娘。美しくたおやかで、実は芯が強くて毅然としている、という理想的な女性。(2012.5.12読了)
☆画像はBiblio Bazaarのものです。
[PR]
by nishinayuu | 2012-07-07 16:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『A Patchwork Planet』(Anne Tyler著、 Ballantine Books)


c0077412_13205512.jpg物語の舞台はアン・タイラー作品の定番の舞台であるバルティモア。登場人物は、これもアン・タイラー作品では定番といえる、富や名声とは縁のない世界の人びとである。
物語は主人公のバーナビーとソフィアがフィラデルフィア行きの列車に乗り合わせる場面から始まる。発車間際にある男が、フィラデルフィア駅で待っている娘に忘れ物のパスポートを渡してくれ、と居合わせた女性に頼みこむ。車中でバーナビーはその女性を観察する。上品できちんとしていて、確かに信頼できそうな女性である。我が身を振り返ってバーナビーは、男が自分を選ばなかったのは当然だと納得する。もうすぐ30歳の誕生日を迎えるバーナビーは、結婚して娘をもうけたが離婚しており、住まいは賃貸住宅、仕事は「何でも屋」の職員、という世間的にはなんの信用もない男である。この日は彼が月に一度、9歳の娘と過ごすことを許されている日だったのだが、約束の時間に遅れたため元妻から「もう来るな」と言われてしまう。
バーナビーの雇い主ミセス・ディブルは自分の親を見送った経験から「何でも屋」をはじめた女性で、ある店でバイトをしていたバーナビーを今の仕事に引き込んだ。バーナビーの哲学的雰囲気(彼女のことばによるとIt was very Zen of you)が気に入ったのだという。仕事先は主に老人たちの家で、買い物、掃除、修繕、片付など、それこそ「何でも」やるし、時間も早朝から深夜まで、顧客の要請があればいつでも駆けつける。その顧客にソフィアの叔母が加わる。列車に乗り合わせて以来、少しずつ近づいていたソフィアとバーナビーの距離が一挙に縮まる。やがて彼女との将来を考えるようになったバーナビーは、彼女をまず母方の祖父母に紹介する。彼らは全面的にバーナビーの味方だからだ。それから実家の両親や兄の一家にも会わせる。美人で何事も優雅に完璧にこなすソフィアのおかげで、一家の困り者のバーナビーは少し面目を施す。ところが、ソフィアの叔母が、お金を盗まれた、と言いだしたことからバーナビーは窮地に立たされる。若い頃、警察の世話になったこともあるバーナビー。その彼を全面的に信頼してくれたのは、飾り気も色気も皆無の、気の合う仕事仲間でしかなかったマータインだった。

切手大の布をつなぎ合わせた、今にもばらばらになりそうなパッチワーク作品「惑星地球」を残したミセス・アルフォードをはじめとする「何でも屋」の顧客たち、バーナビーの一族の人たちなど、一人一人の人物が目に見えるようにくっきりと丁寧に描かれている。また、下記のような心に残る描写があちこちに散りばめられていて、読み終えるのが惜しくてたまらなくなる作品である。
*日の出前の一瞬、空が深く透明なブルーになり、loom!というような音が聞こえる。
*離婚した頃、娘のオウパル(Opal)は父親の顔がわかり始めたところで、バーナビーがベッドに近づくと「ああ」と声を上げて身をくねらせ、抱き上げてもらおうと手を伸ばしたものだった。
(2012.4.22読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-06-13 13:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『The Selfish Giant』(Oscar Wilde著、Bodley Head)


c0077412_20472476.jpg1888年に発表された短編集『The Happy Prince』に収録された5編のうちの一つである。長くて重い作品を続けて読んだので、ちょっと気に入っているこの作品を息抜きに読んでみた。
「毎日午後になると、学校から帰ってきた子どもたちは大男の庭に行って遊ぶのだった。それは広くて美しい庭で、やわらかな緑の草に覆われていた。草の上にはそこここに、きれいな花が星のように咲いていて、12本の桃の木は、春になるとピンクや真珠色の可憐な花を咲かせ、秋にはおいしい実を付けた。それらの木には小鳥たちがやってきて、ほんとうにきれいな声で鳴いたので、子どもたちは遊びを中断してその歌声に耳を傾けるのだった。」
と始まる物語は、このあと急転する。友人であるコーンウォールの人食い鬼(!)のところに行っていた大男が、7年ぶりに帰宅して、庭に入り込んで勝手気ままに遊んでいた子どもたちを追い出してしまうのだ。庭に高い塀を巡らせ、勝手に入ったら告訴するぞ、という立て札まで立てて。すると大男の庭は一年中冬に閉ざされてしまうのだが、やがてある日、大男の庭にまた春が訪れる。子どもたちがいつのまにか塀を破って庭に侵入していたのだ。はたと気がついた大男は、子どもたちが庭で遊ぶのを黙って眺め、ひとりの小さな子が木に登れずに泣いているのを見れば木の枝に坐らせてやり、とすっかり優しいいい人に変身するのである。ちょっとお説教臭いところはあるが、なによりも四季の変化に富んだ色彩鮮やかな庭の様子が印象的で、この作品を素材にした絵本や動画作品がたくさんあるのも頷ける。ただし、最後にまた小さな男の子が登場する場面は、宗教臭が強すぎて感興がそがれる。キリスト教圏では違和感なく受け入れられるのかも知れないが。
ところで、自分の庭に侵入してくる者を閉め出すのはselfishなことだろうか。他人の庭に勝手に入り込む者のほうがよりselfishでは?この大男はselfishというよりill-naturedもしくはunkind, narrow-mindedと形容するほうがふさわしい。しかし、これらのことばを使うと大男がほんとうに根性の悪い人間になってしまう。それで、作者はユーモアを交えて、あえてselfishとしたのかもしれない。さて、Selfishの日本語訳としては「利己主義の、自分本位の、身勝手な、わがままな」などがあるが、翻訳書のタイトルはほとんどが「わがままな大男」となっている。まあ、前の三つはちょっと堅いので、「わがままな」がいちばんまし、ということかもしれないが、selfishということばの持つ迫力が感じられないのが惜しい。「わがままな」よりは「自分勝手な」のほうがいいのでは、などと思いながらあれこれの訳を調べていたら、大男のことばを「おねえことば」にしている「超訳」があって、そのタイトルが「自己中の大男」となっていた。格調の点では問題があるかもしれないが、ニュアンスとしてはこれがぴったりかもしれない。(2012.3.20読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-05-07 20:47 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)