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私の10冊(2013年)


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☆この1年に読んだ本の中から特に気に入った本を選んで、「私の10冊」としてまとめました。また、「私の10冊」の選から漏れた本を「お勧めの20冊」として挙げました。
☆画像は『アントーノフカ』の表紙です。



私の10冊
荷車のペラジー(アントニー・マイエ、訳:大矢タカヤス、彩流社)
さびしい宝石(パトリック・モディアノ、訳:白井成雄、作品社)
奇跡も語る者がいなければ(ジョン・マクレガー、訳:真野泰、新潮クレストブックス)
昼の家、夜の家(オルガ・トカルチュク、訳:小椋彩、白水社)
Prelude(Katherine Mansfield、Constable)
サラの鍵(タチアナ・ド・ロネ、訳:高見浩、新潮クレストブックス)
アントーノフカ(イワン・アレクセーヴィチ・ブーニン、訳:町田清朗、未知谷)
スペインのある農夫へのレクイエム(ラモン・センデール、訳:浜田滋郎、西和書林)
コウモリの見た夢(モーシン・ハミッド、訳:川上純子、武田ランダムハウス)
イーサン・フローム(イーディス・ウォートン、訳:宮本陽吉他、荒地出版社)

お勧めの20冊
The Star Child(Oscar Wilde、Bodley Head)
思い出はそれだけで愛おしい(ダーチャ・マライーニ、訳:中山悦子、中央公論新社)
ティンカーズ(ポール・ハーディング、訳:小竹由美子、白水社)
City(アレッサンドロ・バリッコ、訳:草皆伸子、早川書房)
失われた時のカフェで(パトリック・モディアノ、訳:平中悠一、作品社)
リンさんの小さな子(フィリップ・クローデル、訳:高橋啓、みすず書房)
太陽通り(トーマス・ブルスィヒ、訳:浅井晶子、三修社)
灯台守の話(ジャネット・ウィンターソン、訳:岸本佐知子、白水社)
海にはワニがいる(ファビオ・ジェーダ、訳:飯田亮介、早川書房)
灰色の魂(フィリップ・クローデル、訳:高橋啓、みすず書房)
野いばら(梶村啓二、日本経済新聞)
永遠の0(百田尚樹、講談社)
女が嘘をつくとき(リュドミラ・ウリツカヤ、訳:沼野恭子、新潮クレストブックス)
厳重に監視された列車(ボフミル・フラバル、訳:飯島周、松籟社)
나의 문화유산답사기7(유홍준、창비)
湿地(アーナルデュル・インドリダソン、訳:柳沢由美子、東京創元社)
真昼の女(ユリア・フランク、訳:浅井晶子、河出書房新社)
マグノリアの眠り(エヴァ・バロンスキー、訳:松永美穂、岩波書店)
殺人者の健康法(アメリー・ノートン、訳:柴田都志子、文藝春秋社)
週末(ベルンハルト・シュリンク、訳:藤田真利子、作品社)
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by nishinayuu | 2014-01-11 10:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Prelude』(Katherine Mansfield)

c0077412_16223096.jpg『前奏曲』(キャサリン・マンスフィールド,1918)
キャサリン・マンスフィールドは若くして故郷のニュージーランドを去り、再び故郷の土を踏むことなくフォンテンヌブローで病死した。そんな彼女には家族との思い出をもとに綴った一連のニュージーランド関連作品があり、内容的にそのニュージーランドもののまさに「前奏」といえるのが本作品である。最愛の弟の死をきっかけに書いた『The Aloe Tree』(1916)を書き改め、12の章にまとめたもので、家族が田舎の家に引っ越す場面に始まり、新しい生活に馴染んでいくまでの一人一人の行動や心の動きが綴られている。Aloe(アロエ)はこの新しい家の迷子になりそうなほど広い庭に聳え立つ木で、第6章では三女のケザイアと母のリンダが、第11章ではリンダとその母親のフェアフィールド夫人がその木の前に佇む。第11章の満月に浮かぶaloeの姿に、リンダは自分を遠くに連れだしてくれる舟を見ている。
家族構成は、ひとかどの事業家であり大家族を養う立派な家長であると自負する、健康で陽気で単純な父親のスタンリー/子どもと家から解放されることを夢みる繊細で病弱な美しい母親のリンダ/家事全般を取り仕切り、子どもたちに惜しみない愛情をふり注ぐ祖母のフェアフィールド夫人/リンダの妹で、勝手放題に振る舞う一方でとりとめのない夢に耽ったりもする不安定な年頃のベル/長女の特権を振りかざして優越感に浸っている幼稚な姉のイザベル/のろまで気弱で頼りにならないもう一人の姉のロティー/そしてこれらの人びとや周りの物事をしっかり見ている小さなケザイアで、作者の実際の家族と重なる。すなわち幼いながら鋭い観察力と冷静な判断力を持つ気丈な女の子は作者の分身である。この時点では弟はまだ生まれていない。
家族の他に、転居前に住んでいた家の隣の家族/馬車に乗りきれないという理由で取り残された(?!)ロティーとケザイアを新しい家に送り届けてくれた店の男フレッド/スタンリーを馬車で送り迎えしたり、飼っていたアヒルを殺したり、といろいろな仕事をする下男のパット/三姉妹と遊ぶのが大好きな従兄のピップとラッグズ兄弟/同じ若い女同士のせいでベリルの言動がなにかとしゃくに障る女中のアリスなどが登場する。
作者が6歳のときに一家はウエリントン市Tinakori(ティナコリ)から郊外のKarori(カロリ)へ引っ越している。その当時の一家の暮らしぶりや周りの状況などが再現されていると考えられるこの作品は、マンスフィールドの生まれ育ったニュージーランドという島国への郷愁をかき立ててやまない。(2013.6.25読了)
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by nishinayuu | 2013-08-31 16:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『Mr. Reginald Peacock’s Day』(K.Mansfield,Constable)


c0077412_23305035.jpg『レジナルド・ピーコック氏の一日』(キャサリン・マンスフィールド、1920)
5月にサキのレジナルドを読んだが(その記事はこちらこちら)、そういえばマンスフィールド作品の中にもレジナルドがいたことを思いだし、数十年ぶりに再読した。
この作品は声楽家のレジナルド・ピーコック氏のある一日を綴った短編である。ピーコック氏の視点で綴られてはいるが、現実的な妻の目にうつった夢想家の夫の姿を描いたものともいえる。そもそも、ピーコックという名前からして彼が虚栄心の塊の滑稽な人物という役割を与えられていることがわかる。
すなわち彼は芸術家として世間から尊敬されていると自負しているのに、妻からはただのやっかいな夫、息子からは面倒くさい父親、とみなされている。そんなふうに家族の前では形なしの彼も、弟子たちにとってはすてきな声楽家の先生なのだ。だから彼は念入りに身を清め、喉の調子をチェックするためにローエングリンになった気分で声を張り上げる。この日は三人の弟子がレッスンを受けに来た。最初は白いドレスを着て顔を紅潮させたベティー・ブリトル嬢。公園の花がすばらしかった、という彼女に、その花を思いながら歌えば声に艶と暖かみが出る、とアドバイスすると、彼女は賞賛のまなざしで彼を見る。次は外国人特有の優美な立ち居振る舞いのウィルコウスカ伯爵夫人。恋の歌を練習し、あと一息というところまでこぎ着ける。三人目はメアリアン・モロウ嬢。歌い始めると目に涙があふれ、顎が震えてしまうので、彼は、歌わなくていいですよ、と言って彼女のためにピアノを弾く。帰り際に感謝の言葉を述べる弟子たちに、彼は内心の喜びを抑えて謙虚に「まことに嬉しく存じます」と答えるのだった。
妻がそんな彼をただの稼ぎ手としか見ていないようなのが、彼には納得できない。そもそも、朝、彼を起こすのにも、芸術家を眠りの世界から呼び起こすという細やかさが全くない起こし方をする。自分はずっと前から起きて働いているのだ、と言わんばかりの格好でずかずかと寝室に入ってきて「レジナルド、7時半です。起きる時間よ」とだけ言って出て行くのだ。その後も、息子のためにお金がいるという話と、今夜は夕ご飯が必要かどうかの確認だけ。夜になって彼がティンバック卿のパーティーから戻ったとき、妻は既にベッドに入っていた。縮こまって寝ている姿を見た彼は、もう一度だけ妻に優しいことばをかけてみようと思い立つ。ところが彼の口をついて出たことばは、なんと「まことに嬉しく存じます」だった。(2013.6.14読了)
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by nishinayuu | 2013-08-28 23:33 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Reginald on Christmas Presents』(H.H.Munro)

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前回に引き続き『The Complete Works of Saki』である。『Reginald』で「年長者たちに不愉快な思いをさせるのを喜びとしている」やっかいな青年として登場したレジナルドが、この作品ではクリスマスプレゼントについて、世間の人びとのセンスのなさを辛辣に皮肉りつつ、あれこれ蘊蓄を垂れている。作者はOscar Wilde、Lewis Carroll、Kiplingなどに影響を受けたというが、なるほどレジナルドはオスカー・ワイルド作品の登場人物を彷彿させる。
プリンス・オブ・ウエールズのジョージ(ヴィクトリア女王の孫、ジョージ五世)の祈祷書なんかは受け取りたくない、という話から始まって、そもそもプレゼントの送り方についてはきちんとした教育が必要だ、なぜなら、と話は続いていく。
やっかいなプレゼントをくれる人間として彼はまず、ネクタイこそ最高のプレゼントと思いこんでいる田舎に住む親戚の女性を挙げる。そういう女性から水玉のネクタイでも送られてきた日には、茂った枝を縛るのに使うしかない。普通の女性に比べれば美的感覚に優れた小鳥たちが仰天して逃げていくだろうから、云々。
伯母さん・叔母さんたちも困りもの。ウエストエンドでは今では赤いウールの手袋をしている人はいない、ということをやっと教え込んだ頃には、彼女たちは寿命が尽きるとか、家族と仲違いしてしまうとかいうことになっているから、結局センスのある伯母さん・叔母さんはいつも不足がちだ、云々。アガサ叔母からもらった「九つボタンの手袋」は大嫌いな奴にやってしまったとか、自分の叔母さんというものを選べないなら、自分でプレゼントを買って請求書を叔母さんに送ったほうがいい、云々と、とにかく言いたい放題なのだ。
このあとも、もらいたくないプレゼントともらってもいいプレゼントが並べ立てられていて、いろいろお勉強になる。(2013.5.22読了)
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by nishinayuu | 2013-08-01 13:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『Reginald』(H.H.Munro, Doubleday & Company,Inc.)


c0077412_1815617.jpgこれはDoubleday発行の『The Complete Works of Saki』の最初に掲げられている作品である。作者のMunroはビルマ生まれの英国人(1870~1916)で、エドワード七世(在位1901~1910)時代の香が漂う作品、特に上流社会のあれこれを風刺的に描いた作品を多く残している。SakiはMunroのペンネームである。
ところで、『The Complete Works of Saki』の冒頭にNoël Cowardが1967年に書いた紹介文がある。その中で彼は、自分が子ども時代に親しんで影響を受けたのはSakiとNesbitだが、それから50年以上経った今の時代、読書人の多くはSakiなんて聞いたこともないだろう、と言っている。1967年にしてすでに英語圏でもほとんど忘れられた作家だったのだ。英語圏でさえそうなのだから日本ではなおのこと知る人は少ないと思われるが、「ちくま」や新潮から文庫版の翻訳がでているところをみると、ある程度は読まれているらしい。教科書で“The Open Window”を読んでファンになった人たちもかなりいるようだ。
さて『Reginald』は、語り手がガーデンパーティに花を添えるつもりで連れて行った青年・レジナルドが、パーティーの参加者たちの気分を害してしまい、語り手も面目を失ってしまう話である。レジナルドはハンサムで洗練された趣味の持ち主ではあるけれど、年長者たちに不愉快な思いをさせるのを喜びとしている人物なのだ。ハイライトはレジナルドが“What did the Caspian Sea?”と問いかけて一同を茫然とさせる場面(数行あとに語り手によるWhat did the Caspian seeという解説的言い換えが出てくる)。
短編なのでストーリーというほどのものはなく、さっと読み終えることができる――と言いたいところだが、“The Open Window”に比べるとそうとう手強い作品である。注釈書や翻訳が出回っているシェイクスピアより手強いかもしれない。調べてわかったところを注がわりに以下に記しておく。

San Toy――中国を主題にしたミュージカルで、1899年にロンドンで初演された
Diamond Jubilee――ヴィクトリア女王在位60年の式典(1897年)
The Eternal City――Hall Caineによる小説(1901)。なお、eternal cityとはローマのこと
Poona――デカン高原にある都市プネーの英語読み。
Zaza――フランスの作家による不倫劇
The War in South Africa――ボーア戦争(1899~1902)
(2013.5.21読了)
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by nishinayuu | 2013-07-29 18:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『The quince Tree』(Saki, Doubleday)


c0077412_2042058.jpg『マルメロの木』(サキ)
あるブログにこの作品が取り上げられていたので読んでみた。昔、高校の教科書に出ていた『The Open Window』が気に入ってサキの全集を買ったけれども、いくつか読んだだけでこの作品は未読だった。
さて、読んでみると、才気煥発でいたずら好きな少女がおばさんをからかう、という点では『The Open Window』と共通するが、サキ独特の毒気はあまり感じられず、むしろほのぼのとした雰囲気の作品である。長さもごく短いので、サキが初めての人にも楽しめそうだ。
実はこの作品を読んでみようと思ったのには、もう一つ理由がある。数ヶ月前に、わけもなくマルメロの実というものが気になりだし、形や色を映像で確認したりして、それがカリンとよく似ているけれどもカリンとは別種のものだ、というところまでは理解していた。カリンと同じくそのままでは食べられない、というマルメロを、昨年の末にあるレストランで口にする機会があって、ついにマルメロの味もわかった。長い間未知のものだったマルメロが、短期間に親しい果物となったのだ。植物としてのマルメロと近しくなったと思ったらタイミングよく、文学作品に取り上げられたマルメロにであったわけである。
マルメロというのはポルトガル語のmarmeloからきている。マルメロの名はずいぶん前から耳にしていたのにこの作品に気がつかなかったのは、マルメロを英語ではquinceということを知らなかったからだ(調べればわかるのにね)。マルメロということばにはフランスの香りがある、と長年漠然と思っていたが、マルメロのフランス語はcoingだった。遅まきながらマルメロについていろいろ知ることができたのが、この作品とであったことのいちばんの収穫かもしれない。(2013.1.17読了)
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by nishinayuu | 2013-03-22 20:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『The Star Child』(Oscar Wilde, Illustration by Charles Mozley, Bodley Head)


c0077412_15364373.jpgA House of Pomgranates(1891出版の童話集)の中の1編。
物語は「昔々、貧しい樵夫がふたり、松林の中を家に向かっていました」と始まる。季節は冬、時間は夜。深い雪に閉ざされた森の中で、動物たちや小鳥たちさえなすすべもなく、異常な寒さの意味を説明しようと試みたり、政府の無策を罵ったりするばかり。ただひとりフクロウたちだけは、黄色い目玉をぐるぐるさせながら飛び回り、この寒さを楽しんでいる。――ここまでが導入部。
さて、樵夫たちは雪と氷に足を取られてこけつまろびつ、やっとのことで森の外れにたどり着く。遠く谷間の村の灯りを目にしてふたりは声を上げて笑う。が、そのとたんに自分たちの貧しさを思い出して、いっそのことここで凍え死ぬか獣に食われてしまったほうがましかもしれない、とみじめな境遇を嘆き合っていると、空から非常に明るい星がすごい勢いでふってきて、すぐ先の柳の向こうに落ちる。大変な宝物に違いない。二人が駆け寄ってみると、何枚もの金の布地にくるまれた赤ん坊だった。ひとりの樵夫は、自分たちは貧しくて自分の子どもを養うのがやっとなのだから、このまま捨てておこうと言うが、もうひとりは子どもを抱きあげる。そして家に着くと、あきれて拒絶する妻に言う。「だけど、これは星の子なんだよ」と。こうして樵夫の子どものひとりとして大きくなった星の子は、だれよりも美しい子どもに育った。しかし美しいのは容貌だけで、邪悪な心を持った手に負えない子どもだった。

その後、星の子の運命はキリスト教圏の子どもの読み物らしく、やや教訓的な展開を見せるが、それなりに感動的でもある。文体は古めかしく、樵夫たちでさえthou artとかnayなどのことばを使ってやりとりしている。なんとなく教養を感じさせる樵夫たちなのである。(1月1日読了)
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by nishinayuu | 2013-03-04 15:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『A Season of Gifts』(Richard Peck, Penguin)


c0077412_15133029.jpg『贈り物の季節』(リチャード・ペック著、ペンギン)
『A long Way from Chicago』『A Year Down Yonder』に続くダウドゥルおばあちゃんシリーズの3冊目で、時は1958年。ジョーイが9歳、メアリ・アリスが7歳だった1929年にすでにかなりの歳だったおばあちゃんがいったい何歳なのか判然としないが、とにかくとなりに引っ越してきた子どもたちには「町よりも年をとっている」ように見えた。家もあちこちガタが来ていてまるで幽霊屋敷であるが、そこの住人は幽霊にしては存在感がありすぎるのだった。
となりに引っ越してきたのはバーンハーツ一家。きまじめなメソジスト派の牧師の父親、良妻賢母の母親、おとしごろの長女フィリス、ちょっと気弱な長男ボブ、幽霊は信じてもサンタクロースは信じていない末っ子ルース・アン、という構成で、語り手は長男のボブ。すでにほかの教会がある町へ乗り込んできた形の一家には、さまざまな苦難が降りかかる。教会員が集まらないので一家の生活は苦しい。人びとは好奇の目で見るだけで手をさしのべてはくれない。そんななかでまずボブが、不良少年たちの凄まじいいじめの洗礼を受ける。そして半死半生に近い状態で、しかも素っ裸で放置されていたのをおばあちゃんに助けてもらったため、以後ボブはおばあちゃんに頭が上がらなくなる。それをいいことに?おばあちゃんは力仕事や雑用を当然のようにボブにやらせるようになる。ところがおばちゃんに捕まったのはボブだけではなかった。おばあちゃんの庭に惹きつけられて、親からとめられているにもかかわらず隣家との境を越えてしまったルース・アンは、いつの間にかおばあちゃんの弟子になっていっしょに動き回っているし、ルース・アンをひきとめていたはずの母親までが、いつの間にかおばあちゃんと同盟を結んでいるのだ。家族がどんどんおばあちゃんのペースに巻き込まれ、感謝祭の準備、続いてクリスマスの準備のために畑の世話や料理に追われる。こうしてこき使われた一年が終わろうという頃になって、ボブは初めて気がつくのだ。自分たちの家族も町の人びとも、おばあちゃんから大きな贈り物をもらっていたのだと。(2012.11.16読了)
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by nishinayuu | 2013-01-18 15:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『The Secret Scripture』(Sebastian Barry著)


c0077412_10152338.jpgアイルランド出身の作家が2008年に発表した作品。アイルランドの近代史を背景に、一人の女性がたどった数奇な人生がミステリータッチで綴られていく。
「ロザンヌの証言」と「ドクター・グリンの備忘録」が交互に展開する形で物語は進行する。ロザンヌはロスコモン地方精神病院の最高齢収容者(100歳)であり、ドクターはここの院長である。ドクターがここに赴任してきた30年ほど前もロザンヌはすでに老人だったが、まだとても美しかったし、レクリエーション・ルームに置いてあるピアノを弾いたりしていて、クイーンのようだった。今はほとんど自室に閉じこもっているので、ドクターはたびたび彼女の部屋を訪れる。ドクターにとってロザンヌは歴史であり人生だからだ。それに、ドクターは自分がロザンヌに好かれていると感じている。
一方ロザンヌには、聖トマスに似ている(ヒゲとハゲの)ドクターの訪問が嬉しくもあり、ちょっと面倒でもあった。毎日少しずつ、自分の人生の記録を愛用のbiroのボールペンで綴っていて、それを秘密の場所に隠しているからだ。家族を愛し、人生を楽しむことを知っていた父親と美しい母の三人で過ごした子ども時代、運が傾いたあとも気丈だった父が急死して、母と二人だけで取り残された思春期、独立運動の高まりと弾圧の嵐の中でも花開いた青春。最後まで書き終えることができるか、ロザンヌは気が気ではない。記憶力が急速に衰えているのを自覚していたからだ。
ところで、ドクターがロザンヌのもとをたびたび訪れるのにはもう一つの理由があった。ロスコモン病院の建物が老朽化したため、新しい施設に移転することになったのだが、新しい施設のベッド数が少ないので収容人数を減らす必要が出てきたのだ。少しでも健康で精神的にも健全な者は社会に送り返すということになり、ロザンヌはその候補の一人になっていた。しかしロザンヌは大変な高齢であるし、これまで一度も親族の訪問がないのも問題だ。そもそもロザンヌはなぜこの施設に入っているのか、精神異常の徴候は全くないのに、と精神医学者のドクターは疑問に思う。こうしてドクターはロザンヌの人生経路をたどる調査に乗り出す。まずはロスコモンに移ってくる前、ロザンヌが最初に収容されたスライゴウの精神病院へ、そこで得た新たな情報をたどってイングランドの関連施設へ。こうしてドクターは、ロザンヌに過酷な人生を強いることになった人びとの人生も決して平穏なものではなかったこと、彼らの人生を呑み込んだアイルランドの歴史の流れは、それらの外に身を置いていたはずのドクター自身をも巻き込んで流れていたことを知ることになる。

☆Free Stater、Royal Irish Constabulary、IRA、英愛条約など、確認すべきことばや歴史事項が多くて悪戦苦闘しましたが、その甲斐のある素晴らしい作品でした。欧米ではかなり読まれているようなのに、日本ではまったく話題に上っていないのが残念です。(2012.10.17読了)
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by nishinayuu | 2012-12-19 10:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『The Venetian Betrayal』(Steve Berry、Ballantine Books)

c0077412_18202336.jpgアレクサンダー大王にまつわる言い伝えをもとに展開する、野望を抱く者とそれを阻止しようとする側の攻防を描いたエンターテインメント。コペンハーゲン、アムステルダム、ハーグ、ハンブルク、ヴェネツィア、サマルカンド、と舞台はめまぐるしく移るが、各章の冒頭に場所が記されているので混乱することはない。時間に関しては、これも各章の冒頭に記してはあるが、話が前後したり同時進行したりする関係と、多分ヨーロッパとサマルカンドの時差の関係で、気をつけていてもわけがわからなくなってくる。ただ、同じ場所の場合はきちんと時間の流れにしたがって話が進んでいくので大きな混乱は起こらない。敵と味方、いい人と悪い人が比較的くっきり描き分けられているなかで、一人だけ白黒がめまぐるしく入れ替わる人物がいて、その経歴を考慮すると納得できなくもないが、話の展開のために無理やり作った人物像のようでもある。
主な登場人物は以下の通り。
コットン・マロン――もとアメリカ司法省のエージェント。ふだんは古書店をやっているが、ときどきかり出されて助っ人エージェントとなる。
カシオペア・ヴィット――マロンとともに闘うスペイン系ムスリムの若い女性。恋人の命を奪った者への復讐心に燃えている。
トルヴァルゼン――マロンの書店のオーナーで、マロンの強力な後援者。マロンのカシオペアへの気持ちも早くから察している。
イリーナ・ゾヴァスティーナ――カザフスタン共和国大統領、中央アジア連邦首相、ヴェネツィア同盟の評議員。第2のアレクサンダーを自負し、アレクサンダーの東征とは逆に、西征による世界制覇を目論む。強靱な肉体と精神を誇り、目的のためには手段を選ばない。
エンリコ・ヴィンセンティ――ヴィールス学者で製薬会社の大株主、ヴェネツィア同盟の評議員。生物兵器の開発などでゾヴァスティーナと協力関係にある。
ヴィクトル――旧東欧出身。ゾヴァスティーナの命を受け、グリーク・ファイアを自在に操ってエレファント・メダリオン探しに奔走する。
ステファニー――アメリカ司法省のエージェント。年齢のことを言われると不機嫌になる。

巻末に著者による解説がついていて、物語のキーとなる事項について、どれがフィクションでどれが事実かがきちんと記されている。読者サーヴィスなのか、読者教育なのか判然としないが、面白いので以下に記しておく。
フィクション――中央アジア連邦(ソ連崩壊後にゾヴァスティーナが6カ国をまとめて作ったもので、首都はサマルカンド)。エレファント・メダリオン(アレクサンダーの死後に作られたコインで、絵柄の騎士の衣の襞にギリシャ文字のZとHが刻まれている)。ヴェネツィア同盟。中央アジアにあるアレクサンダーの墓。AIDSを完全に直す治療薬。
事実――グリーク・ファイア(大火災を起こす仕掛け。主に船に対して使われた)。ブズカシのゲーム(ゾヴァスティーナが得意なゲーム。詰め物をした羊の皮で競う騎馬競技)。ZとHに該当するギリシャ文字(絵文字かマークのように見える)。(2012.7.14読了)


☆ブックオフで見つけて、作者も作品の傾向も知らないまま、とにかく安かったので買いました。マロン・シリーズの第3弾だということも、読み終わってから知りました。ダン・ブラウンのようなおどろおどろしくはなさそうなので、第1弾、第2弾も読んでもいいかな、と思っています。
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by nishinayuu | 2012-09-05 18:20 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)