タグ:洋書 ( 96 ) タグの人気記事

『Coriolanus』(Shakespeare, Greenwich House)


c0077412_10141437.png
『コリオレイナス』(シェイクスピア)
この作品はシェイクスピアの後期に書かれた5幕からなる悲劇で、テキストの初出は1623年。典拠はプルタルコスの『コリオラヌス』で、古代ローマの貴族ガイウス・マルキウス・コリオラヌスが、本作ではケイアス・マーシアス・コリオレイナスという英語読みの名で登場する。

コリオレイナスはローマと敵対するヴォルサイ軍との戦いに勝利を収めた英雄として、また名門貴族として、ローマの執政官選挙に出馬する。同じく貴族で彼の友人であるメニーニアスは、彼の傲岸不遜な性格を危ぶんで、執政官に選ばれるためにはローマ市民に迎合してみせなくてはならない、と説く。しかしコリオレイナスは貴族としての誇りから市民への反感と侮蔑を抑えることがでず、結局ローマ市民全体を敵に回してしまう。ローマ市民との対立は、ローマという都市国家との対立を意味した。ローマから追放されたコリオレイナスは、なんと宿敵ヴォルサイの将軍タラス・オーフィディアスのもとに走る。そして、ヴォルサイ軍の武力を借りてローマに復讐することを企てるのだが、ローマから遣わされた母親、妻、息子の訴えによってその企ては挫折する。

すなわちこの作品は護民官たちが代表するローマの民主制と、コリオレイナスが代表する貴族制の対立を描いたものであるが、民主制の代表たちが健全で意気軒昂なのに比べると、主人公コリオレイナスのアンバランスな人格や友人メニーニアスの頼りなさが目立つ。メニーニアスは貴族としては市民への理解もあり、穏健でとても「いい人」なのだが、次のようなやりとりでは完全に護民官に負けている。

護民官ブルータス: Caius Marcius was/A worthy officer i’the war; but insolent, /O’ercome with pride, ambitious past all thinking, /Self-loving, ……
メニーニアス: I think not so.

なおこの作品は2011年、舞台を現代に移して『英雄の証明』(監督・主演:レイフ・ファインズ)というタイトルで映画化されているという。(2014.9.14読了)
[PR]
by nishinayuu | 2014-12-17 10:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『The Amateur Marriage』(Anne Tyler, Ballantine Books, 2004))

c0077412_10252251.jpgタイトルは素直に訳せば『アマチュアの結婚』。『技量不足の結婚』といったところか。作者が「最上の作品で、とても誇りに思っている」と言うだけあって、読みでのある傑作である。
物語は1941年12月のSt. Cassian Streetに始まり、それから60年後まで、ある家庭に起こった出来事が年代記風に綴られていく。

St. Cassian Streetはメリーランド州東バルチモアにあり、住民の大多数はポーランド系の人々である。1941年の12月、街は戦意高揚のためのパレードに沸き立っていた。Szapp兄弟が掲げたプラカードにはWatch out, Japs! Here come the Szappsという文字が躍っていた(みごとに脚韻を踏んでいますねえ)。若者達は先を争って軍に志願していく。彼らとペアになった娘達は、戦地に赴く若者を見送る娘、という役割に陶酔する。そんな雰囲気に押されてペアになったのがマイケルとポーリンだった。マイケルは黒髪、短髪、やせ形、ひげが濃い若者で、食糧雑貨店を営むミセス・アントンの一人息子。ポーリンは深い金色の髪、目は青紫、声は低いハスキーヴォイスで、すらりとしていて赤いコートがよく似合う娘だった。このとき二人は20歳。バスが志願兵達を迎えに来て、マイケルとポーリンはドラマチックな別れを演じる。そして、若者達の戦死の知らせが相次ぐ。Szapp兄弟も立て続けに死んだ。けれどもマイケルは死なずに帰ってくる。ただし脚に大きな障害を負って。戦争が終わり、恋の季節がやって来て、結婚するものも増える。だからミセス・アントンが店の客達にマイケルとポーリンが結婚すると言っても誰も驚かなかった。二人はパーフェクトなカップルだと人々は思ったのだった。
しかし二人の結婚は嵐の連続だった。マイケルは非社交的で、店の仕事が最優先でどこにも出かけようとしない。興奮したりはしゃいだりすることは全くなく、口べたで寡黙。ポーリンはマイケルとは逆に、楽しく元気に暮らしたいのにそれがうまくいかないと怒り狂う、という感情の起伏が激しい性格。これほど相反する性格の上、二人の結婚観も全く違っていた。マイケルは「結婚は別々の人間が並んで歩く道」と考えているのに対し、ポーリンは「結婚というのは魂が混じり合うことで、なにもかも一致すべきだ」と考えている。それでポーリンはことごとくマイケルに不満をぶつけ、マイケルはなぜ彼女がそんなに怒り狂うのか理解できない。三人の子どもに恵まれたが、幼い頃から反抗的だった長女のリンディーが17歳で家を出て行ってしまう。このリンディーの失踪はポーリンを生涯苦しめることになるのだが、ポーリンの苦難はそれだけでは終わらなかった。

ポーリンは一緒に暮らすには大変な人間だ、と作者自身が言っている。ということはつまり、彼らの結婚を「アマチュアの結婚」にした責任の大半はポーリンにあるということだろうか。それで作者はポーリンのほうにより過酷な運命を与えたのだろうか。それでも物語の最後の場面は、作者の愛情がポーリンとマイケルの二人に同じように注がれていることを感じさせる。(2014.8.23読了)
[PR]
by nishinayuu | 2014-12-01 10:27 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Le Petit Prince』(Antoine de Saint Exupéry, A Harvesut/HBJ Book)

c0077412_10284310.jpgたまたま手許にあったので、『星の王子様』の原書を読んでみた。フランス語の読みはすっかり忘れているので、声に出して読むのはむりだが、字面を追うだけならなんとかなるだろう、と思ったのだが、甘かった。文法、語彙ともほとんど頭に残っていないことを思い知らされ、苦戦した。内容がわかっているおかげでなんとか最後までたどり着くことはできたが、「読んだ」とはとても言えない。
それでも「読んだ」というか「目を通した」おかげで気づいたことがある。この本は数字がアルファベットで示されているので、手許の英語版にあるようなミスがないのだ。問題の箇所は16章の冒頭部分。英語版は次のようになっている。
The earth is not just an ordinary planet! One can count, there, ⅠⅠⅠkings
オレンジ色の部分はローマ数字である。文脈からわかるといえばわかるのだが、ローマ数字に引っかかって立ち止まってしまうと、何が何だかわからなくなる。それがフランス語版では次のようになっているので、戸惑うことなく読み進めることができる。
La Terre n’est pas une planète quelconque! On y compte cent onze rois
これに続く部分にも数字が次々に出てくるが、英語版ではアラビア数字、フランス語版はアルファベット表記になっている。つまり、英語版が上記の部分だけローマ数字になっているのは単純な表記ミスなのではあるが、そのおかげで、常日頃ややこしくてめんどうだと思っていた数字のアルファベット表記が、正確さという点では優れた表記だということに遅ればせながら気がついたのだった。 (2014.5.27読了)
[PR]
by nishinayuu | 2014-09-08 10:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『The Little Prince』(Antoine de Saint-Exupéry著、英光社)

c0077412_14294719.jpg
『The Little Prince』(Antoine de Saint-Exupéry著、英光社)(Translated into English by Katherine Woods,1966)

本書は1944年7月に地中海上空で消息を絶ったサン=テグジュペリの遺作『Le Petit Prince』の英訳版である。手許にあるのは福田陸太郎による注釈付きの本で、20代の頃に購入して以来、何度か読み返している。毎回、いいなあと思うところも同じなら、あまりおもしろくなくて飛ばし読みしてしまうところも同じで、それにしても絵はいまいちだなあ、と思うのも同じである。作者もそういう反応を見越してか、星の王子様に「Your baobabs—they look a little like cabbages」と言わせている。それはともかく、ほっとしたとき、あるいはほっとしたいときにふと繙いてみたくなる作品である。
いちばん好きなのは[6](一日に何度も夕日を眺める話)。その次は[19](高い山に登ってこだまを聞く話)、それから「20」(自分のバラが何の変哲もないただのバラだとわかる話)と「21」(狐のおかげで、自分のバラはやはり特別な存在だと気づく話)。
最後に、本書の中の名言を並べてみる(あるサイトにサン=テグジュペリの名言集というのがあったのでそれを真似て)。
One loves the sunset, when one is so sad…
It is the time you have wasted for your rose that makes your rose so important.
What makes the desert beautiful is that somewhere it hides a well.
(2014.3.28読了)
[PR]
by nishinayuu | 2014-06-28 14:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『Not a Penny More, Not a Penny Less』(Jeffrey Archer著、 St.Martin’s Paperbacks, 1976)


c0077412_2111509.jpgこれは詐欺小説である。昨今世間を騒がせている「〇〇詐欺」が弱い人間をターゲットにしているのに対して、この作品で詐欺に遭った連中は現役ばりばりの、己の知能や良識を自負している男たちなので、悲惨さややりきれなさはない。というよりこの作品は、大金をだまし取られた被害者たちがそのお金を取り戻すために、今度は逆に詐欺師に詐欺を仕掛けるという痛快なエンターテイメント小説なのである。登場人物は以下の通り。
ハーベイ・メトカーフ:ポーランド出身のアメリカ人。貧しい移民の身から、詐欺によって、つまり頭脳ひとつで大富豪にのし上がった。
スティーブン・ブラッドレー:アメリカ人。オクスフォード大の数学教授。対メトカーフのために結成された4人組のリーダー。対メトカーフ作戦が一つ終わるたびに、取り戻した金額と必要経費を計算して記録。
ジェームズ・ブリグスリー:イギリス人貴族。企画力で他のメンバーに後れをとるが、演劇経験を生かして変装や演技指導を担当、貴族という身分による貢献も大。
ジャン・ピエール・フランソワ:フランス人の画廊経営者。絵画の贋作づくりの名人。
ロビン・オークリー・ニコラス:イギリス人。ハーレー・ストリートで開業している医師。
アン・サマード:アメリカ人のフォトジャーナリスト。元モデルで人目を惹く美人。

登場人物たちは、それぞれの出身国や身分の代表であるかのようにわかりやすく描かれている。数学者は理論的でめっぽう数字に強く、貴族は能がなさそうなのに出るところに出れば一目置かれ、フランス人は芸術家風でちょっといいかげん、医者はいかにもセレブ、といった具合。詐欺師にポーランド出身の男を持ってきたのがちょっと気になるが、各国の移民の中から頭の良さで抜てきされた、とも考えられるので、深くは追求しないことにしよう。大富豪になってからはそれなりの品位を備えた人物として描かれていることでもあるし。さて、そんな中でアンという女性は、ブリグスリーが一目惚れした相手、という設定だが、はじめのうちはストーリー展開上特に必要はないけれど彩りのために添えられている、という感じに描かれている。ところが実は、作者は意図的にこの人物の影を薄くしていたのだということが、後の方でわかる。(推理小説の先を読むのは割合得意なのに、まんまとだまされました。)(2014.3.2読了)
[PR]
by nishinayuu | 2014-05-31 21:12 | 読書ノート | Trackback | Comments(3)

『This Charming Man』(Marian Keyes著、Penguin)


c0077412_2035437.jpg



これは一見チャーミングで実はとんでもない男に惑わされた女たちの物語である。

主な登場人物は以下の通り。
Paddy de Courcy:またの名はQuicksilver(移り気の)de Courcy。アイルランドの2大政党の一つNew Irelandの副リーダー。気に入らないとすぐに殴る暴力男である。
Grace Gildee:有能な雑誌記者。
Lola:セレブを顧客とするスタイリスト。
Marnie:Graceの妹で、二人の娘を持つ母親。アル中。
Dee:New Irelandの女性党員。

はじめはばらばらに登場する上記の女性たちが、最後に一丸となってPaddyの政治生命を絶つ、という復讐劇であるが、そこに至るまでの話の長いこと。家族や友人、職場の仲間や顧客など登場人物がやたらに多く、本筋とは関係のないエピソードもうんざりするほど盛り込まれている。特にMarnieのアルコール浸りの日々のの描写と、Lolaの言動の分単位、秒単位の描写は冗長でいらいらさせられる。それでもアイルランドの政治状況に触れているところや、女装趣味の男たちの涙ぐましい奮闘ぶりなど、興味深いエピソードも盛りだくさんで、おもしろいと言えなくもない。情けない状態だった女性たちがついに立ち上がり、男を追い詰めていくところはちょっと感動的、と言えなくもない。(2014.1.18読了)
[PR]
by nishinayuu | 2014-04-09 20:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

私の10冊(2013年)


c0077412_1025283.jpg
☆この1年に読んだ本の中から特に気に入った本を選んで、「私の10冊」としてまとめました。また、「私の10冊」の選から漏れた本を「お勧めの20冊」として挙げました。
☆画像は『アントーノフカ』の表紙です。



私の10冊
荷車のペラジー(アントニー・マイエ、訳:大矢タカヤス、彩流社)
さびしい宝石(パトリック・モディアノ、訳:白井成雄、作品社)
奇跡も語る者がいなければ(ジョン・マクレガー、訳:真野泰、新潮クレストブックス)
昼の家、夜の家(オルガ・トカルチュク、訳:小椋彩、白水社)
Prelude(Katherine Mansfield、Constable)
サラの鍵(タチアナ・ド・ロネ、訳:高見浩、新潮クレストブックス)
アントーノフカ(イワン・アレクセーヴィチ・ブーニン、訳:町田清朗、未知谷)
スペインのある農夫へのレクイエム(ラモン・センデール、訳:浜田滋郎、西和書林)
コウモリの見た夢(モーシン・ハミッド、訳:川上純子、武田ランダムハウス)
イーサン・フローム(イーディス・ウォートン、訳:宮本陽吉他、荒地出版社)

お勧めの20冊
The Star Child(Oscar Wilde、Bodley Head)
思い出はそれだけで愛おしい(ダーチャ・マライーニ、訳:中山悦子、中央公論新社)
ティンカーズ(ポール・ハーディング、訳:小竹由美子、白水社)
City(アレッサンドロ・バリッコ、訳:草皆伸子、早川書房)
失われた時のカフェで(パトリック・モディアノ、訳:平中悠一、作品社)
リンさんの小さな子(フィリップ・クローデル、訳:高橋啓、みすず書房)
太陽通り(トーマス・ブルスィヒ、訳:浅井晶子、三修社)
灯台守の話(ジャネット・ウィンターソン、訳:岸本佐知子、白水社)
海にはワニがいる(ファビオ・ジェーダ、訳:飯田亮介、早川書房)
灰色の魂(フィリップ・クローデル、訳:高橋啓、みすず書房)
野いばら(梶村啓二、日本経済新聞)
永遠の0(百田尚樹、講談社)
女が嘘をつくとき(リュドミラ・ウリツカヤ、訳:沼野恭子、新潮クレストブックス)
厳重に監視された列車(ボフミル・フラバル、訳:飯島周、松籟社)
나의 문화유산답사기7(유홍준、창비)
湿地(アーナルデュル・インドリダソン、訳:柳沢由美子、東京創元社)
真昼の女(ユリア・フランク、訳:浅井晶子、河出書房新社)
マグノリアの眠り(エヴァ・バロンスキー、訳:松永美穂、岩波書店)
殺人者の健康法(アメリー・ノートン、訳:柴田都志子、文藝春秋社)
週末(ベルンハルト・シュリンク、訳:藤田真利子、作品社)
[PR]
by nishinayuu | 2014-01-11 10:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Prelude』(Katherine Mansfield)

c0077412_16223096.jpg『前奏曲』(キャサリン・マンスフィールド,1918)
キャサリン・マンスフィールドは若くして故郷のニュージーランドを去り、再び故郷の土を踏むことなくフォンテンヌブローで病死した。そんな彼女には家族との思い出をもとに綴った一連のニュージーランド関連作品があり、内容的にそのニュージーランドもののまさに「前奏」といえるのが本作品である。最愛の弟の死をきっかけに書いた『The Aloe Tree』(1916)を書き改め、12の章にまとめたもので、家族が田舎の家に引っ越す場面に始まり、新しい生活に馴染んでいくまでの一人一人の行動や心の動きが綴られている。Aloe(アロエ)はこの新しい家の迷子になりそうなほど広い庭に聳え立つ木で、第6章では三女のケザイアと母のリンダが、第11章ではリンダとその母親のフェアフィールド夫人がその木の前に佇む。第11章の満月に浮かぶaloeの姿に、リンダは自分を遠くに連れだしてくれる舟を見ている。
家族構成は、ひとかどの事業家であり大家族を養う立派な家長であると自負する、健康で陽気で単純な父親のスタンリー/子どもと家から解放されることを夢みる繊細で病弱な美しい母親のリンダ/家事全般を取り仕切り、子どもたちに惜しみない愛情をふり注ぐ祖母のフェアフィールド夫人/リンダの妹で、勝手放題に振る舞う一方でとりとめのない夢に耽ったりもする不安定な年頃のベル/長女の特権を振りかざして優越感に浸っている幼稚な姉のイザベル/のろまで気弱で頼りにならないもう一人の姉のロティー/そしてこれらの人びとや周りの物事をしっかり見ている小さなケザイアで、作者の実際の家族と重なる。すなわち幼いながら鋭い観察力と冷静な判断力を持つ気丈な女の子は作者の分身である。この時点では弟はまだ生まれていない。
家族の他に、転居前に住んでいた家の隣の家族/馬車に乗りきれないという理由で取り残された(?!)ロティーとケザイアを新しい家に送り届けてくれた店の男フレッド/スタンリーを馬車で送り迎えしたり、飼っていたアヒルを殺したり、といろいろな仕事をする下男のパット/三姉妹と遊ぶのが大好きな従兄のピップとラッグズ兄弟/同じ若い女同士のせいでベリルの言動がなにかとしゃくに障る女中のアリスなどが登場する。
作者が6歳のときに一家はウエリントン市Tinakori(ティナコリ)から郊外のKarori(カロリ)へ引っ越している。その当時の一家の暮らしぶりや周りの状況などが再現されていると考えられるこの作品は、マンスフィールドの生まれ育ったニュージーランドという島国への郷愁をかき立ててやまない。(2013.6.25読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-08-31 16:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『Mr. Reginald Peacock’s Day』(K.Mansfield,Constable)


c0077412_23305035.jpg『レジナルド・ピーコック氏の一日』(キャサリン・マンスフィールド、1920)
5月にサキのレジナルドを読んだが(その記事はこちらこちら)、そういえばマンスフィールド作品の中にもレジナルドがいたことを思いだし、数十年ぶりに再読した。
この作品は声楽家のレジナルド・ピーコック氏のある一日を綴った短編である。ピーコック氏の視点で綴られてはいるが、現実的な妻の目にうつった夢想家の夫の姿を描いたものともいえる。そもそも、ピーコックという名前からして彼が虚栄心の塊の滑稽な人物という役割を与えられていることがわかる。
すなわち彼は芸術家として世間から尊敬されていると自負しているのに、妻からはただのやっかいな夫、息子からは面倒くさい父親、とみなされている。そんなふうに家族の前では形なしの彼も、弟子たちにとってはすてきな声楽家の先生なのだ。だから彼は念入りに身を清め、喉の調子をチェックするためにローエングリンになった気分で声を張り上げる。この日は三人の弟子がレッスンを受けに来た。最初は白いドレスを着て顔を紅潮させたベティー・ブリトル嬢。公園の花がすばらしかった、という彼女に、その花を思いながら歌えば声に艶と暖かみが出る、とアドバイスすると、彼女は賞賛のまなざしで彼を見る。次は外国人特有の優美な立ち居振る舞いのウィルコウスカ伯爵夫人。恋の歌を練習し、あと一息というところまでこぎ着ける。三人目はメアリアン・モロウ嬢。歌い始めると目に涙があふれ、顎が震えてしまうので、彼は、歌わなくていいですよ、と言って彼女のためにピアノを弾く。帰り際に感謝の言葉を述べる弟子たちに、彼は内心の喜びを抑えて謙虚に「まことに嬉しく存じます」と答えるのだった。
妻がそんな彼をただの稼ぎ手としか見ていないようなのが、彼には納得できない。そもそも、朝、彼を起こすのにも、芸術家を眠りの世界から呼び起こすという細やかさが全くない起こし方をする。自分はずっと前から起きて働いているのだ、と言わんばかりの格好でずかずかと寝室に入ってきて「レジナルド、7時半です。起きる時間よ」とだけ言って出て行くのだ。その後も、息子のためにお金がいるという話と、今夜は夕ご飯が必要かどうかの確認だけ。夜になって彼がティンバック卿のパーティーから戻ったとき、妻は既にベッドに入っていた。縮こまって寝ている姿を見た彼は、もう一度だけ妻に優しいことばをかけてみようと思い立つ。ところが彼の口をついて出たことばは、なんと「まことに嬉しく存じます」だった。(2013.6.14読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-08-28 23:33 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Reginald on Christmas Presents』(H.H.Munro)

c0077412_1355369.jpg
前回に引き続き『The Complete Works of Saki』である。『Reginald』で「年長者たちに不愉快な思いをさせるのを喜びとしている」やっかいな青年として登場したレジナルドが、この作品ではクリスマスプレゼントについて、世間の人びとのセンスのなさを辛辣に皮肉りつつ、あれこれ蘊蓄を垂れている。作者はOscar Wilde、Lewis Carroll、Kiplingなどに影響を受けたというが、なるほどレジナルドはオスカー・ワイルド作品の登場人物を彷彿させる。
プリンス・オブ・ウエールズのジョージ(ヴィクトリア女王の孫、ジョージ五世)の祈祷書なんかは受け取りたくない、という話から始まって、そもそもプレゼントの送り方についてはきちんとした教育が必要だ、なぜなら、と話は続いていく。
やっかいなプレゼントをくれる人間として彼はまず、ネクタイこそ最高のプレゼントと思いこんでいる田舎に住む親戚の女性を挙げる。そういう女性から水玉のネクタイでも送られてきた日には、茂った枝を縛るのに使うしかない。普通の女性に比べれば美的感覚に優れた小鳥たちが仰天して逃げていくだろうから、云々。
伯母さん・叔母さんたちも困りもの。ウエストエンドでは今では赤いウールの手袋をしている人はいない、ということをやっと教え込んだ頃には、彼女たちは寿命が尽きるとか、家族と仲違いしてしまうとかいうことになっているから、結局センスのある伯母さん・叔母さんはいつも不足がちだ、云々。アガサ叔母からもらった「九つボタンの手袋」は大嫌いな奴にやってしまったとか、自分の叔母さんというものを選べないなら、自分でプレゼントを買って請求書を叔母さんに送ったほうがいい、云々と、とにかく言いたい放題なのだ。
このあとも、もらいたくないプレゼントともらってもいいプレゼントが並べ立てられていて、いろいろお勉強になる。(2013.5.22読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-08-01 13:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)