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『幕末銃姫伝』(藤本ひとみ著、中央公論新社)


c0077412_20192267.jpg読書会「かんあおい」2013年3月の課題図書。
NHKの大河ドラマで取り上げられてちょっとしたブームになっている新島八重(山本八重)の物語で、ドラマの原作(2012)より前(2010)に書かれた作品である。
1845年生まれの八重が12歳になった年から物語は始まる。藩校・日新館で学ぶ幼なじみの山川大蔵(おおくら)、江戸遊学から3年ぶりに戻ってきた兄の覚馬、弟の三郎などに勝るとも劣らぬ健康な身体と意欲を持ちながら、女としてのたしなみを押しつけられることに反発する八重。後の男勝りのハンサムウーマンの原型がここにある。
やがて会津は幕末の嵐に巻き込まれていく。佐久間象山のもとで学んだ兄の覚馬が早くから公武合体と開国を藩に進言していたこと、藩の優等生である大蔵は佐幕派で攘夷論者だったこと、などの政治的な話と並行して、人々の日常が綴られていく。そこから見えてくるのは、よく言えば生真面目な、はっきり言えば融通の利かない会津藩の上層部の、時代が読めない頭の固さであり、そんな連中の論理によって穏やかな日常を奪われていく人々の姿である。会津に吹き荒れた嵐の中で、大勢の人々が外の世界を知る機会もなく散っていったが、一方で自分なりに精いっぱい闘ったあと、自分の道を見つけて新しい世界に踏み出していった人々もいる。前者の中には玄武隊の隊員だった八重の父、朱雀隊の隊員だった弟の三郎、白虎隊の隊員だった隣家の少年・悌次郎、山川大蔵の妻・登勢などがおり、後者の中には兄の覚馬、夫の川崎尚之助、そして山本家の女たちがいる。
特に印象的なのは八重を取り巻く以下の4人の男たち。
兄の覚馬――藩の砲術指導者であると同時に、思想・学問の指導者でもあった。早くから八重の武術や学問の才能を認め、八重の生き方を支援した。
山川大蔵――器量よしではない八重をずっと女性として愛した人物。八重の方も秘かに思いを寄せていた。
梶原平馬――大蔵とは別のやりかたで、やはり八重を女性として見ていたが、八重は反発するばかりだった。八重の砲術の腕を買って、最後の闘いの際に八重を起用した。
川崎尚之助――事情があってある藩から会津に流れてきた男。覚馬に弟子入りした縁で八重と結婚。常に八重を立て、自分は引っ込んでいるので、八重は軟弱で頼りない男と見ていたが、真に八重を女性として大切にしていたのはこの人物だったのかもしれない。もとの藩を出たときに意地もこだわりも置いてきたのか、恬淡を絵に描いたような人物である。(2013.2.12読了)
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by nishinayuu | 2013-04-21 20:19 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『偶然の祝福』(小川洋子著、角川書店)


c0077412_1658567.jpg読書会「かんあおい」2013年2月の課題図書。
この作品は7つの章からなっており、それぞれ独立した短編として読めるが、いくつか各章に共通する事項がある。それは例えば「死んだ弟」であり、「幼い息子」であり、「飼い犬のアポロ」であり、そしてなによりも「語り手が小説家であること」である。時間は過去から現在へと流れているわけではないが、一人の小説家の子ども時代からシングルマザーになった経緯、子育て中のエピソード、最初の小説や受賞作にまつわるあれこれなどが綴られており、全体で一つの物語となっている。
冒頭の章「失踪者たちの王国」の時点で息子は離乳期を迎えている。ただし、息子とアポロは軽く触れられるにとどまり、「生まれて初めて失踪という言葉を知ったのは、九歳のときだった」と一気に失踪者の話に入っていく。(やはりその年頃にnishinaは「世捨て人」という言葉をロフティングの『ドリトル先生』で、また「異分子」という言葉をザッパーの『愛の一家』で知りました。) 語り手は次々に自分の知っている失踪者を挙げていく。
まずは絨毯屋の娘の叔父さん――タクラマカン砂漠へ子羊の毛皮を求めに行ったきり。このタクラマカン砂漠というややこしい名前は、九歳の語り手にロマンティックな想像さえ呼び起こした。(nishinaの長女はやはり同じ年頃のときに友だちのお母さんが気仙沼の出身だと聞いて、その耳慣れない音の繋がりに衝撃を受け、友人のお母さん=気仙沼という関係式が頭に焼き付いたそうです。)
2番目は6年生のときで、隣の席だった肥満児で左利きの少年のおじいさん――歯医者に入れ歯を残したまま。3番目は中学のときで、保健の先生の婚約者――ウィーンでシュテファン聖堂の墓地に手帳を取りに行って。
4番目は19歳のときで、嘔吐袋(エチケット袋)の収集が趣味だった父方の伯母――税理士と交換したスカンジナビア航空の袋を持って。
「不思議にも彼らは私を慰めてくれる。失踪者の王国は遠いはずなのに、彼らは洞穴に舞い降りてきて、いつまでも辛抱強くそばに寄り添ってくれる。その吐息を私は頬のあたりに感じることができる」という語り手は、続く各章でも様々な喪失と別れを綴っていく。「盗作」では弟の死の衝撃とそれを乗り越えたきっかけを、「キリコさんの失敗」では消えた万年筆とキリコさんとの別れを、「エーデルワイス」ではあなたの弟ですと言って語り手につきまとっていた不細工な男が、こんなに堂々として完全な弟は他にはいない、と思うようになっていたのに春になったら消えていたことを、「涙腺水晶結石症」ではアポロの病気を治して名も告げずに立ち去った‘涙腺水晶結石症の犬を探す旅人’のような獣医のことを、「時計工場」では息子の父親である指揮者が、語り手の妊娠を知って離れていったことを、「蘇生」では‘ことばの湧き出る泉’を失って声もことばも失った苦しい時期のことを。
夢か現かはっきりしない登場人物たち――盗作の元になる話を語ってくれた女性、弟だと称するストーカー男、行きずりの獣医師、時計工場に閉じこもる語り手のもとに現れた蝶の痣を持つ果物売りの老人、そしてもしかしたら、アナスタシアというのは蘇生という意味よ、と言って語り手を見つめたアナスタシアおばあさん――はみんな、失踪者の国から舞い降りてきて、語り手に寄り添ってくれた人々なのだろう。(2013.1.23読了)
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by nishinayuu | 2013-04-06 16:58 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『青い壺』(有吉佐和子著、文藝春秋)


c0077412_160596.jpg読書会「かんあおい」2013年1月の課題図書。
有吉佐和子が40代の時に書いた作品で、最近復刻されて手に入りやすくなったとか。いつも本の冊数不足に悩まされる我が読書会にとってはありがたい本であった。
全部で13の章に分かれていて、どの章にも同じ一点の青い壺が登場して全体を繋ぐ役割を果たしているが、1章ごとに完結する短編としても読めるようになっている。有吉佐和子という作家のすばらしさを再認識させられる作品である。
第一話の主人公は磁器制作者の牧田省造。デパートから依頼された一点物の焼き物が、会心の青に仕上がった。道具屋の安原は、この青い壺が唐物に見えるように古色をつけろ、と言う。決断がつかず悩んでいる夫を見かねて、妻の治子は青い壺をデパートに渡してしまう。
第二話で青い壺はある会社の副社長に贈られる。定年退職した男の妻がデパートで2万円で買い求めて贈ったのだ。退職した夫をもてあます妻も哀れだが、壺を持って出向いた会社で異常な行動を見せる夫は格段に哀れ。
青い壺は第三、第四話で副社長の家で花器として使われたあと、第五話では副社長夫人の稽古仲間、千代子の手に渡っている。千代子は目が見えなくなった母親を都立病院に連れていき、手術を受けさせる。手術は成功し、母親は目が見えるようになったが、65歳以上なので手術も入院も無料だった(そういう時代もあったのですよね)。母親が病院の石田先生にお礼がしたいというので、青い壺を渡す。
そのあと青い壺は、第六話で石田の勘違いからバーのマダムに渡され、第七話でまた石田家に戻され、第八話でさらにそこから盗み出され、第九話で京都は東寺の縁日に現れる。それを東京から70歳記念の同期会にやって来た弓香が3000円で手に入れる。
第十,十一話に登場するのは弓香の孫の悠子。ミッションスクールで栄養士として働く悠子は優しいシスター・マグダレーナがスペインに一時帰国することになったとき、手みやげとして青い壺を渡す。青い壺はスペインに渡ってしまったのだ。その壺は第十二話で病院の掃除婦をしている森シメが501号室で目にする。シメが掃除のときに触ろうとするとその患者に怒鳴られる。
そして第十三話。501号室の患者だった園田先生は香合を届けに来た省造にスペインで見つけた青い壺を見せ、800年前の南宋浙江省の竜泉窯だ、と言う。それは10年前、省造が40代半ばの時に焼いたあの青い壺だった。そのことを省造が告げると、自分の眼を信じる園田は頑として省造のことばを退けるが、心の内では動揺する。もちろん省造も譲らない。しかし帰りの列車が名古屋を過ぎたころ、省造は思うのだった。あの壺にいつの間にあんなにいい古色がついたのか。その壺に10余年ぶりに巡り合えたことを喜ぶべきだと。(1月6日読了)
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by nishinayuu | 2013-03-07 16:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『カノン』(篠田節子著、文藝春秋社)


c0077412_14121100.jpg幻のヴァイオリン』の解説で、共通するものがあるとして勧められていた作品のひとつ。ヴァイオリンを弾く男が幽霊になって主人公の前に現れる、という点は確かに共通する。けれども『幻のヴァイオリン』の幽霊が圧倒的な存在感のある華やかな人物だったのに比べると、こちらの幽霊はいかにも幽霊らしく影の薄い見栄えもしない人物である。実に日本的な、「うらめしや」的な幽霊なのだ。共通点といえるのは、ヴァイオリニストが幽霊になっている点と、ヒロインの容姿があまりぱっとしないという点だろうか。ただしこちらのヒロインは、若い頃は人目を引くとびきりの美人だったということになっている。
ヒロインの瑞穂は教員養成大学で学び、チェロ奏者になる夢をあきらめて小学校の音楽教師をしている。学生時代の一夏、ヴァイオリンの香西康臣、ピアノの小田嶋正寛と三人で合宿練習をしたことがあった。康臣のヴァイオリンには常人とは異なる抜群の音楽性があり、瑞穂のチェロとよく響き合ったが、その響き合いは演奏しているあいだだけのものだった。康臣は他人とうまく交流できない人間だったが、瑞穂とだけは音楽で語り合うことができたのだ。もう一人の正寛は康臣の高校時代からの知り合いで、音楽性はなかったが理詰めに丹念に練習して、短期間でピアノパートをなんとか弾きこなした。ただしこのトリオは合宿練習をしただけで終わり、三人はそれぞれの秘密――瑞穂と康臣の、康臣と正寛の、正寛と瑞穂の――を抱えたまま別れた。それぞれ別の人生を歩んで20年もたったある日、正寛から康臣の訃報がもたらされ、葬儀にいっしょに行くことになったが、正寛がドタキャンしたため瑞穂は一人で松本に行く。そして瑞穂は康臣の弟から、康臣が瑞穂に残した「遺品」を渡される。それはなんとも奇妙な音の流れが録音されたカセット・テープだった。音は確かに康臣のものだったが、メロディーがつかめないうえに、テープを止めても音が流れ続けたり、他のテープに勝手にダビングされていたり、さらにはその音とともに康臣の亡霊が現れたり、という怪奇現象が続く。康臣は20年も交流のなかった瑞穂に何のためにこんな「遺品」を残したのだろうか。

一言でいえば、音楽的蘊蓄小説である。カノン、フーガなどの用語解説からさまざまな曲、作曲家、演奏家、演奏の技法など、素人としては目眩を覚えるような音楽の世界が繰り広げられ、それだけでも読み応えはある。康臣があの世に辿り着けずに彷徨っている現象やら、カセット・テープに残された音の録音の方法やら、不必要に説明的で理屈っぽい叙述が多くて感興が削がれるが、結末は感動的である。(2012.12.19読了)
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by nishinayuu | 2013-02-20 14:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『マエストロ』(篠田節子著、角川書店)

c0077412_1034526.jpg普通、ヴァイオリニストは楽器が傷むという理由から、ネックレスはつけないのだが、神野瑞穂はダイヤのチョーカーをつけて舞台に立つ。なぜなら瑞穂は、株式会社ロイヤルダイヤモンドの副社長・石橋俊介に贅沢な生活を保障され、会社の広告塔となっているからだ。もって生まれた美貌と、クレモナの名器、ピエトロ・ガルネリが奏でる華麗な音楽、そして輝くダイヤが人びとを魅了する。しかし瑞穂は、イメージだけが一人歩きしていて、実際は自分が非力なことを承知している。なにしろ、10年前の国内コンクールで3位入賞したに過ぎないのだから。特にベートーヴェンを弾く段になると瑞穂は不安に苛まれる。
劇的で、奇矯で、グロテスク。瑞穂は、ベートーヴェンを呪う。素人のテクニックは速さで評価されるが、プロの技量は強弱に関わる微妙なニュアンスではかられる。デリケートな音程も、すすり泣くようなピアニシモも瑞穂は弾きこなすが、「強く、もっと強く」と要求しつつ、そこにさまざまなドラマと微妙なニュアンスを要求するベートーヴェンのスフォルツァンドにはついていかれない。
瑞穂がピエトロ・ガルネリの音がおかしいと思ったとき、その楽器を世話した楽器店の柄沢もそのことに気づいて、瑞穂に一人の職人を紹介してくれた。都営住宅に住んではいるが、腕には定評があり、称号なきマイスターとさえ言われているという「保坂のじいさん」である。保坂は修理には6ヶ月かかるので、その間はこれを使ってください、と押し入れから一挺のヴァイオリンを取り出す。瑞穂の苦手なベートーヴェンには向かないが、コレルリにはぴったりの柔らかい音色の楽器だった。もし売るとしたら6000万だというその楽器は、実は保坂が楽器製作人生の締めくくりとして、瑞穂のために作ったものだった。6ヶ月後に自分の楽器を受け取った瑞穂は、借りていた楽器も買い取りたいと申し出る。まさに自分のためにある楽器だと感じたからだ。ところがヨーロッパのオールドヴァイオリンだと思いこんでいたその楽器が、実は保坂の製作したものだと知ったとたん、瑞穂はなんとも理不尽な怒りを覚え、「そんなもの、私は弾くつもりはありません」と言い残して保坂のもとを立ち去る。瑞穂と保坂との繋がりはこれですっぱり切れたはずだったのだが……。

この作品は、演奏家とスポンサー、演奏家を目指す若者と指導者、楽器制作者と販売会社の社員、などが織りなす人間模様をミステリータッチで描いたものである。が、読んでいる最中の印象からも、読み終わったあとの印象からも、ミステリーというより音楽系蘊蓄小説、あるいは蘊蓄系音楽小説と呼びたくなる作品である。(いろいろお勉強になりました。)(2012.12.16読了)
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by nishinayuu | 2013-02-17 10:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『パンツの面目ふんどしの沽券』(米原万里著、筑摩書房)

c0077412_1113094.jpg痛快なエッセイの名手、米原万里によるなんとも大胆なタイトルのエッセイ。「ちくま」に2001年8月号から2003年7月号まで連載したものを手直しして単行本としたこと、その手直しの作業が悪性の癌との戦いの中で思うようにはできなかったこと、などがあとがきに記されている。いつもの「威勢のよさ」が感じられないような気がしたが、後書きを読んで納得した。
といっても決してつまらないわけではなく、いろいろな知識、情報が満載の楽しくてためになる読み物である。例えば、ソ連時代の人びとは用便の後、紙を使わずそのままズボンをあげていたこと、下着を着けていない兵士たちのルパシカの裾が黄ばんでいたこと、工場生産の下着というものがなかったソ連の女性たちはショーツを手作りしていたこと、ポーランド製のレースつきのパンツや中国製の「友誼」印のパンツが貴重品だったことなどが、自他の体験談や各種の記録とともに紹介される。なんと手作りショーツの型紙まで添えられている。このように日本と東欧圏のトイレ文化の違いやパンツ・ズロース談義がしばらく続いたあと、明治期に日本を訪れたモースやビゴーが「ふんどし姿の男」の写真や絵をたくさん残しているという話から、男と女の下着の違い、もしくは類似へと話題が展開していく。
著者の始めのもくろみでは、パンツはグローバルなものでふんどしはナショナルな価値を持つもの、ということになるはずだった。ところが連載を続けるうちに、読者からの体験談やら専門家からの資料提供やらもあって、どうやらパンツよりもふんどしのほうがグローバルなものだったことが判明したという。話はさらに発展して、ヨーロッパ文化圏には「男はズボン、女はスカート」という固定観念が頑強に残っているが、この棲み分けが始まるのはごく最近のことであり、実に長い間、男女の下半身を覆う衣は同じ形状(スカート型)だったこともさまざまな例証とともに詳述されている。(2012.12.9読了)
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by nishinayuu | 2013-02-08 11:13 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『拉致と決断』(蓮池薫著、新潮社)


c0077412_11233614.jpg拉致被害者の一人である著者が、帰国から10年にしてやっと北朝鮮での24年間を語り、拉致被害者としての心情を語った書。24年という歳月を語るには10年という歳月が必要だったということに、まず感銘を受ける。この点について著者は次のように述べている。
「なによりも日本に残るという決断が正しかったという確信が必要だった。(中略)ほかの拉致被害者たちの帰国を実現する上で、いったい私がどうすることが適切なのか、つまり私がこのようなものを書くことが問題解決に有益なのかを判断する必要もあった。さらには、私自身が北朝鮮での生活を、むき出しの感情や感傷からだけではなく、一定の距離を置いて冷静に振り返ることのできる、心の余裕も不可欠だった。」
このことばでわかるように、著者は深謀遠慮の人である。自分の喜怒哀楽、そのときどきの自分の考えはかなり突っ込んで語っているが、妻や子どもたち、日本の家族の言動については控えめな記述しかしていないし、一緒に帰国したほかの拉致被害者の言動については何も語っていない。もちろん彼らの心情を代弁することもしていない。これが、著者の日本語の確かさと共に、この書を信頼できるものにしている。

本書には拉致当初の恐怖と絶望の時期に始まり、人間らしく暮らそうと心を決め、日本人ということを子どもたちにも隠して暮らした諦念と苦悩の時期を経て、降って湧いた帰国の話がついに実現した時期とその後までが、25章にわたって綴られている。「このまま死ぬわけにはいかない」「招待所の丘の向こうには、柏崎の海があるような気がしてならなかった」「自分がこんなにも反日的な国に拉致されたという事実に戦慄した」などの拉致被害者としての思い、飢えや物資不足の中で特別待遇を受ける立場の者としての思い、国際試合や金正日の死に際して取るべき態度に苦慮する偽装者の思いなど、読むだけでも苦しい諸々の事柄が冷静沈着な筆で書き進められているのである。が、それだけではない。著者の接した招待所の人びと、外で出会った人びとについても多くのページが割かれている。本書を著すにあたって著者は「決して楽に暮らしているとは言えないかの地の民衆について、日本の多くの人たちに知ってほしいという気持ちもあった」と述べている。すなわち「彼らは私たちの敵でもなく、憎悪の対称でもない。問題は拉致を指令し、それを実行した人たちにある。それをしっかりと区別することは、今後の拉致問題解決や日朝関係にも必要なことと考える」というのである。こうした著者の思いがしっかりと伝わってくる、ぜひ多くの人に読んでもらいたい本である。さらに言えば、時期を見て続編を出してくれることを期待したい。(2012.11.11読了)

☆個人的な収穫その1――日本でもおなじみの凄みのある声の女性アナウンサーは李春姫(リ・チュンヒ)という名前でした。
個人的な収穫その2――彼の地では合掌は宗教的なタブーも同然。しかも抗日パルチザンに捕まった日本兵が命乞いをするときの定番の動作なのだとか。著者によると、「拉致直後に早く日本に返してくれ、という意味で手を合わせたら、相手は嘲りの混じったまなざしで私を見た」そうです。
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by nishinayuu | 2013-01-15 11:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『オリンポスの果実』(田中英光著、新潮社)


c0077412_9504664.jpg著者は1913年生まれの作家で、1949年11月に三鷹市禅林寺にある太宰治の墓の前で後追い自殺をしたことで知られる。この作品は1932年の第10回ロサンゼルスオリンピックに早大漕艇部の一員として参加した体験をもとにしたもので、主人公・坂本のモデルは田中自身、熊本秋子のモデルは走り高飛びの選手・相良八重。坂本は大男だったのと、選手団にもう一人坂本がいたことから、区別するために大坂(ダイバン)というあだ名で呼ばれている。
横浜港からロサンゼルスまで、ロサンゼルス滞在中、そして横浜へ帰港するまでの、単調でもありめまぐるしくもある日々が綴られている。印象的なのはまず、漕艇選手団の中の「いじめ」の構図である。体育会系の常というか、先輩による後輩への「いじめ」はじつに執拗でいやらしく、この作品の主題は「いじめ」ではないかと思うほどだ。もう一つ印象的なのは坂本の優柔不断で潔くない人柄で、坂本は秋子に惹かれていながら自分の気持ちをきちんと伝えることをしない。そのくせ秋子がこちらを無視しているように思えると面白くなく、逆に秋子が少し積極的な態度を見せると嫌悪感を抱いたりする。そして秋子の脚に産毛が生えているのを見ると、それをいやらしいと感じ、「男は隙だらけになった女のあらが丸見えになり、女が鼻につくそうです」などと言ってその場を逃げ出したりする。坂本はかなり陰険でうじうじしているのだ。極めつけは、自分から秋子に愛を告白するどころか、「あなたはぼくが好きですか」と心の中や手紙の中で何度も相手に聞いていることだ。大男だけれど気は優しくて、なによりも素直なのだ、と好意的な見方をすべきかもしれないが。
帰国後、坂本は兄の指導のもとで本格的な左翼運動に走っていく。母を捨てて地下に潜って工場へ、そこでストライキで捕まって転向、という「ヤンガア・ジェネレエション一通りの経過を経て」、オリンピックのよく翌年の春には狂熱的な文学青年になる。その後戦地で、「覚悟を決めた月光も明るいある晩のこと、ふとあなたへの手紙を書きましたが、やはり返事は来ませんでした。あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか」と書いた坂本には文学青年の憂愁が漂っていて、さすがにほろりとさせられる。(2012.11.4読了)
☆この作品は青空文庫で読みました。青空文庫の底本は新潮文庫(1951年発行、1991年52刷り改版)だそうです。
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by nishinayuu | 2013-01-06 09:52 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『尼僧とキューピッドの弓』(多和田葉子著、講談社)


c0077412_9542997.jpg「ハンブルグとブレーメンとハノーヴァーを線で結べばできるはずの三角形の真ん中にある」W市。ここの小さな駅に語り手の女性が降り立つところから物語は始まる。人気はなく、車の交通量ばかり多い道をたどって、語り手は目的の場所である修道院にたどり着く。物書きである語り手は、修道院についていろいろ調べるために、しばらく滞在する予定でやって来たのだ。到着してみると、ここに来るようにと誘ってくれた尼僧院長は出て行ってしまったとわかるが、それでも語り手の滞在は何の問題もなく受け入れられる。尼僧院長の代理という人物が、尼僧院の歴史や性格を説明したあと院内を案内してくれる。その説明によると、ここはもともとはカトリックの修道院だったが現在はプロテスタントの施設で、いちばんの使命は歴史的文化財を保護することだという。院内の住人たちも入れ替わり立ち替わり現れて、語り手をお茶に誘ったり、いろいろな情報を与えてくれたりする。ただし、尼僧院長の出奔事件については誰も話したがらない。この住人たちに語り手は秘かにニックネームを付けていく(その漢字表記の名前の読み方がよくわからなくて気になる)。その住人たちとは……
透明美さん――尼僧院長代理。キリッとした美人。子育てを終えてから離婚して尼僧院に入り、そのあとハンブルグ大学で修士号をとった歴史学者。
老桃さん――2代前の尼僧院長。100歳近いが好奇心も食欲も旺盛。
貴岸さん――老桃さんの世話をしている背が高くて筋肉質の、気位の高い女性。アイケロー教会の女性牧師に惚れ込んでいる。
陰休さん――大きな病気をして、放射線治療を受けている女性。
火瀬さん――別館に住んでいる前尼僧院長。小柄で小太り、元気な年金生活者という感じの庶民的な雰囲気の女性。
河高さん――裏庭の一戸建ての住人。尼僧院の正式な一員ではなく見習い中なので、修道院の時間の流れの中に溶け込んでいないようで、身体の動きも計画の立て方もせわしない。
流壺さん――85歳だが重い荷を下ろしたあとの軽やかさと、無条件に愛されている幼児の華やかさをもっている女性。いなくなった尼僧院長は、弓(きゅう)道の先生のキュウーピッドの矢に射られた、と言って、その語呂合わせに満足してきゅっきゅっと笑う。
鹿森さん――「傷を負ったヘラジカの威厳と痛みを感じさせる歩き方」の女性。
若理さん――元弁護士の赤毛の女性。ほかの人たちより少し若い。

本書は第1章「遠方からの客」と第2章「翼のない矢」からなっている。第1章で姿を消したという話だけでどんな人物か不明だった尼僧院長が、第2章の語り手として登場し、出奔事件に至るまでの経緯を語る。
(2012.10.18読了)
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by nishinayuu | 2012-12-22 09:55 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『本を読む女』(林真理子著、新潮社)


c0077412_1055179.jpg読書会「かんあおい」2012年10月の課題図書。1998年にすでに取り上げられた本だが、10月の担当者のたっての希望で再度読むことになった。
山梨県の小さな町にある菓子商「小川屋」に生まれた万亀(まき)の半生記である。始まりは大正から昭和に変わって四日目の1926年12月25日。大正4(1915)年生まれの万亀は読書好きの小学生で、この日も祖父母が隠居部屋にしている倉の二階で『赤い鳥』に読みふけっていた。暮れの忙しいときに、とあきれる祖母に追い立てられるようにして母のもとに急ぐ。「小川屋」の家族は父の隆吉、母の芙美子、長男の秋次と四人の女の子――弥生、英子、朝美、万亀――という構成である。弥生は手先が器用、英子は母親譲りの大変な器量よし、朝美は歌がうまい、とそれぞれ特徴があるなかで、万亀はこれといった特徴のない平凡な少女だった。ただ、本をたくさん読んでいるせいで作文が得意で、ほかの勉強もよくできた。万亀に本の世界を教えてくれたのは窪谷に住む伯父で、4歳の万亀に会ったとき「こんな頭のいい子どもは見たことがない」と感心し、「マザーグース童話集」と「世界名作童話集」を買ってくれたのだった。
物語は本好きの万亀のそれからを、そのときどきに万亀が接した本に絡めて語っていく。小学生時代の「赤い鳥」、女学校時代の「花物語」(吉屋信子)、女専時代を経て北へ向かうときの「放浪記」(林芙美子)、故郷に戻って悶々と過ごした日々の「大地」(パール・バック)、出版社時代の苦い思い出である「オリムポスの果実」(田中英光)、結婚して大陸で過ごしたときの「万葉集」、再出発のきっかけをもたらした「斜陽」(太宰治)などが各章の章題として掲げられている。ほかにも万亀の接した数多の作品が全編を彩っており、それによって万亀という女性と彼女の生きた時代を生き生きと浮かび上がらせている。(2012.9.12読了)
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by nishinayuu | 2012-11-07 10:05 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)