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c0077412_10304341.jpg読書会「かんあおい」2014年8月の課題図書。
本書はミシガン出身、日本在住の詩人によるエッセイで、日本語のおもしろさを発見し、楽しんでいる詩人の溢れる才気が全編に満ちている。
内容は多岐にわたり、日本語について改めて教えられる事柄もあるが、日本人には常識と思われる事柄もあり、疑問に思うこともないわけではない。たとえば、タイトルのぽこりぽこりについて、漱石の句「吹井戸やぽこりぽこりと真桑瓜」をあげて、これがぼこりぼこりでは感じが違ってしまう、といっているが、サラサラとザラザラの違いを心得ている日本人には当たり前すぎることである。また「泰平のねむりをさますじょうきせんたった四はいで夜も寝られず」の「じょうきせん」は蒸気船と「上喜撰」の掛詞だということも、日本人には常識だと言えよう。著者は日本語のおもしろさとして言及したのだろうとは思うが、どうせなら日本人の気がつかない日本語の変なところを取り上げてくれた方がよい。疑問に思ったのは誤訳の指摘の仕方である。確かに「閑さや岩にしみ入蝉の声」の和訳は著者のものが断然優れていることはわかる。また、glare free(つやけし)やelephant’s-ear(大葉のベコニア)の誤訳はお粗末かも知れない。しかし、それを書物の中で指摘する前に訳者(後ろの二つは著名人二人)に訂正の機会を与えるのが品位ある大人のやり方ではないだろうか。訂正の機会を与えたのに訳者が無視あるいは拒否した、という経緯があったのならやむを得ないが。ひところ誤訳が社会問題になり、そのおかげで翻訳の質が大いに上がったことは確かだが、悪質な出版社、訳者と、そうではないものとを十把一絡げに扱ってはいけない。因みに「閑かさや」の著者による英訳は以下の通り。
Up here, a stillness---the sound of the cicadas seeps into the crags

英語に関する豆知識的な事項興味深く読めるし、大いに勉強になる。特に「マネーのずれ」の次の部分は、日本の紙幣と考え合わせると興味深い。
So when you moving back to America?
When Walt Whitman’s on the ten dollar bill
And Emily Dickinson’s on the five.
When Mark Twain’s on the twenty,
Melville the fifty, Scott Joplin the C-note,
And Fats Waller’s on the dime. (John Gribble)

(2014.6.17読了)
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by nishinayuu | 2014-09-20 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

c0077412_915727.jpg読書会「かんあおい」2014年6月の課題図書。
副題に「御製で読み解く87年」とある。「御製」ということばは『万葉集』の中と「歌会始」に関する報道などでしかお目にかからないが、昭和天皇の御製は1万首以上あって、公表されているのはそのうち約900首だという。
昭和史の研究者である保坂は、「昭和天皇の御製には、側近の回想録、勅語、記者会見の質疑応答などからは読み取れない、天皇の本当の気持ちが表れている」という。また歌人でありノンフィクション作家である辺見は、「波乱と激動の昭和という時代の、それぞれの時期における天皇の発言集や侍従や側近の記録からは、昭和天皇の実体がよくわからなかったが、お歌には天皇の私的な心、抑制された心情が豊かに表れていて、そのまま昭和という時代の、光と影まで映し出しているのではないかと思うようになった」と言う。そんな二人が、摂政時代から崩御までの87年間の「御製」を辿りながら、昭和天皇のそのときどきの思いを解き明かしつつ、昭和という時代を振り返ったのが本書である。
昭和天皇その人についての印象はさておいて(さておく理由もさておいて)、興味深かったのは御製のほとんどが見事な万葉調の歌であること。たとえば、太平洋戦争後に各地を巡幸した折に詠まれた数々の歌は、まさしく『万葉集』に見られる「国見の歌」なのである。また、古来の風雅な言葉が随所に使われていて、まるで万葉の歌を読んでいるかのような気分になる。例えば次のような歌

たへかぬる暑さなれども稲の穂の育ちを見ればうれしくもあるか

この歌について辺見は「~もあるか、という詠嘆は万葉歌人に好まれた言葉遣いで、現代歌人にはなかなか容易には使えません。私が保坂さんとお会いしてうれしいなあ、という歌を読むのに、うれしくもあるか、と軽々には言えないのです」と言っている。天皇だからこそ使いこなせる言葉、天皇だからこそ可能な歌いぶりというものがある、ということだろう。(2014.6.15読了)
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by nishinayuu | 2014-09-16 09:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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読書会「かんあおい」2014年5月の課題図書。
著者は「朝日歌壇」の常連で、2004年の歌文集『LONESOME隼人』に継ぐ二冊目の本。内容は 「日米の娑婆の人にはあまり知られていないネガティヴなサイド、すなわち、獄塀の内側で日常起こっている汚い側面と悪い刑務官、そして悪い囚人たちのことも書いてみた。僕にしか書けないストーリーを描きたいと思った」という著者のことばが充分に語っている。
読んでいて気になったのはカタカナ語の多用である。英語の中で暮らしている著者としては英語で伝えたいけれどもそれがかなわないので、やむなく次善の手段としてカタカナに置き換えているのだろうが、日本語の文章としては不自然で読みにくい。誰かの言った言葉を日本語で書いておいて、同じことをカタカナで書き加える、ということもしているが、カタカナの部分は邪魔でしかない。元は英語だったことは状況からわかりきっているのだから。日本語だけではどうしても物足りないなら、カタカナは止めて英語、英文そのものを付け加えたほうがまだましではないだろうか。
特に違和感をおぼえるのは歌のなかで、漢字にカタカナのルビを付ける、という形でカタカナが多用されていることだ。たとえば
〇渺茫たる葡萄園(ヴインヤード)より吹いてくる 春風うららイースター・サンデー
〇稲妻のごとく急降下(ダイブ)し野ウサギを捕らえ翔び去る隼(ファルコン)の美技
などであるが、葡萄園はぶどうえん、隼ははやぶさと読んでも字数は変わらないし、急降下も降下だけにすれば問題ないのでは?と思う。(素人の妄言だということは重々承知です。)それに、著者自身がTHOUGHTSの章の中で言っている次のことばと矛盾するのでは?
「僕はエッセイとかエッセイストという用語が大嫌いだ。作文か随筆家と言えばいいではないか。なにを気取ってエッセイストだ」
それはそれとして、内容そのものには心を動かされる歌も多い。心に残ったものを以下に並べておく。
〇椰子の樹の戦(そよ)ぐ加洲の大空よ監獄さえも美しき五月
〇老父(ちち)逝きてふいに寂しき獄の庭老いたる猫に餌を与えやる
〇朝顔もラジオ体操も〈白熊〉もみんな懐かしい祖国(くに)の夏休み
〇獄窓(まど)に聴く夜汽車が次第に遠のけば望郷の念沸々と湧く
〇我を待ち八十四年の人生に三十六年待ち逝きましぬ母
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by nishinayuu | 2014-08-07 13:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
c0077412_2031387.jpg1965年の作。作者が初めて自らの「韓国人の血の縁」を正面に見据えて立ち向かった作品である。
舞台は三浦半島南端の劍ケ﨑、時代は終戦末期で、クライマックスは盛夏の三日間に設定されている。登場するのは母方の祖父・康正、韓国軍人の父親、太郎と次郎の兄弟、従妹の志津子、右翼の従兄・憲吉、叔父の李慶明。従兄弟同士の太郎と志津子の恋愛は、太郎が憲吉に殺され、静子が太郎の跡を追って投身自殺をすることで終わる。
作者は死の間際の太郎に「次郎、おぼえておけ。あいの子が信じられるのは、美だけだ。混血は、一つの罪だよ。誰も彼をそこから救い出せない、罪だよ」と語らせ、次郎に「私は、人からきかれれば、何分の一かは朝鮮の血が入っていると答えます。そうすると、相手の態度が目に見えない速度で変わって行き、よそよそしくなっていくのです」と述懐させている。作者がいかに世の偏見に苦しみ、それに耐えてきたかを思い知らされる。

この作品も『薪能』と同じく芥川賞候補(1965年度上半期)になり、審査員の間でメロドラマ風だが力作である、という意見と力作だがメロドラマ風であるという意見が対立して、長時間討議された末に落選したという(『立原正秋追悼』創林社)。因みにこのときの受賞作は津村節子の『玩具』だった。
(2014.3.23読了)
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by nishinayuu | 2014-06-24 20:27 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

c0077412_13302489.jpg作者の代表作の一つといわれるこの作品は、新潮編集部に投稿され、急遽採用されたもので、1964年5月号に掲載された。「投稿原稿をいきなり採用するのは編集部としては放れ業だったが、当時38歳だった立原はいくつかの文芸誌に相当数の小説を発表していて知名度もあったし、編集部内の評価も、新人とは思えぬ巧い作品ということで一決した」と当時の担当者だった坂本忠雄は回想している(『立原正秋追悼』創林社)。
鎌倉を舞台に繰り広げられ、9月22日の鎌倉薪能でクライマックスを迎えるこの物語は、従兄弟同士の恋をあわれに美しく描き出している。ふたりの祖父は壬生家の主(いかにも、という感じの名前ですね)。屋敷に能楽堂を持ち、自らも相当な舞手であったこの人物は、戦死した長男のひとり娘である昌子と、アメリカ兵とのけんかで命を落とした次男の一人息子である俊太郎を引き取って育てる。子ども時代から成人するまでの12年間を姉と弟のように過ごした二人が、数年の時を経て再会し……、となるとその後の成り行きは想像できるが、背景に能の世界があるのであくまでも妖艶な美しさを保って展開していくところがこの作品の読みどころである。

なお、この作品は同年上半期の芥川賞候補となったが、新人としては巧すぎ作りすぎ、という意見が過半数を占めて落選したという。因みにこのときの受賞作品は柴田翔の『されどわれらが日々』である。(2014.3.23読了)
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by nishinayuu | 2014-06-20 13:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

c0077412_743033.jpg読書会「かんあおい」2014年4月の課題図書。
28の章からなる随筆集。初出は『一冊の本』2003年7月号~2005年10月号で、2006年の単行本化に当たって加筆訂正されたもの。
新聞広告で見たある週刊誌の記事タイトルに、この著者が「被災者や障害者には甘えがある」という趣旨の発言をしたというものがあった。それで、この本が読書会で取り上げられることになったときは反発をおぼえたのだが、読んでみると、ストレートに弱者を糾弾しているわけではないことがわかった。週刊誌はわざと誤解を招くような取り上げ方をするものなのだ、とあらためて感じた。ただしこの著者は、子ども時代の家庭環境もあってか人一倍精神的に強く、また他人より優れた才能にも恵まれているので、世の中にはほんとうに弱い人間もいるのだ、ということを理解するのは無理かもしれない、とも思った。それはそれとして、この本には心に響くことばがいろいろあった。主なものを書き出してみると――
*善は言葉で言うものではなく行動で示すものであり、悪は口先だけで盛大に言って実行しないのが、羞恥を知るものの行為である。
*どんな表現にも過剰反応しない、安心して喋れるのが夫婦・家族である。そうした防波堤のような相手が少しずつ身の回りから消えるのが、晩年・老年というものの寂しさなのである。
*フランシス・ベーコンのことば――順境の美徳は節度である。逆境の美徳は忍耐である。
*もし神がいないと、この世で自分の考えをわかってくれる人が一人もいないことになる。
*問題のない親は、問題がないというだけでどこかに大きな問題がある。
*不幸に見舞われたときに、人間の自然として神頼みをしそうな気がするなら、普段から「神はいない」などと言うものではない。
*トリノの無名戦士の墓に刻まれた碑銘――私は人生を楽しもうとして/神にすべてを願った。しかし/神はすべて(神の十全性)を楽しませようとして私に人生をくださった。/私が神に願ったことは/なにひとつ叶えてもらえなかった。/しかし、/私が神において希望したことはすべて叶えられていた
*心の中は不満だらけでも表向きだけは明るく振る舞う義務が晩年にはある。明るく生きてみせることは、誰にでもできる最後の芸術だ。

他にもいろいろ心にしみることばがあった。少し前に身近な人をなくしたため、神経過敏になっているせいかもしれない。(2014.3.18読了)
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by nishinayuu | 2014-06-12 07:05 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
c0077412_9221141.jpg「誠実な旅行案内を書こうと意図した。(…)過度の謙虚さにも、尊大さにも、深刻と冷笑のない交ぜにも陥ることなく、一つの誠実な異文化接触のルポルタージュを書きたかったというのが著者の真意だ」とあとがきにある。30年も前に出版された本だが、最近たまたま手に入ったので、今さら、とは思ったが読んでみた。
ソウルの状況は、私が初めて韓国を訪れた1993年と二回目の1994年当時も、ここに書かれているものとあまり違っていなかったような気がする。まだまだ、日本人と韓国人の間には言葉の壁と気持ちの壁があった。それでも私の場合はいやな思いをしたことはない。おそらくそれは私の関心が韓国の風景や文化遺産の方にあって、この著者ほど深く人々と触れ合うことをしていないからではないかと思う。そういう意味で、真摯に韓国、韓国人と向き合い、相互の理解を深めることに心を砕いているこの本の著者の姿勢とバイタリティーに圧倒される。私は2002年と2003年にも友人たちとソウルや慶尚北道を訪れているが、いずれの場合も人々の表情や言動に前には見られなかったゆとりがあり、日本人に対する当たりも前よりさらに柔らかくなっているように感じた。その後は韓国を訪れる機会がなく、昨今の現地の空気は想像するしかない。この著者が『続ソウルの練習問題』を出してくれることを期待したい。

この本の中で最も共感したのが第4部にある「ハングルの贈りもの」の次の部分。要約して引用すると――
朝鮮語は漢字を追放したために膠着語には本来不向きな「分かち書き」を取り入れざるを得なくなったが、この「分かち書き」がまるで不統一なため、ベンケイナギナタ式の誤りをおかしやすい。また、漢字語は同音異義語が多く、ハングルだけではつかみにくいため、難しい漢字が次第に捨てられて行きつつある。さらに同意語、反意語、類語などは漢字の字面を眺めないと発想しにくい。ハングルだけを使っていると造語能力の衰退に繋がり、言語の進化を阻む可能性がある。

韓国語の本を読んでいていちばん困るのが、意味が二通りにとれそうな漢字語がハングルで表記されていることだ。韓国人に尋ねても解決できない場合もある。漢字で表記してくれれば著者の意図も正しく伝わるだろうに、と思うのだが、「韓国人にとって漢字とは日本文化を思い出させるものなので、日本の影響力の排除のためには頑として漢字を退け、世界で最も合理的な文字であるハングルだけを使うのだ」ということらしい。たまに、ハングル表記された漢字語のうしろに括弧に入れて漢字が表記されていることがある。漢字でルビを振っているわけだ。この方式が普及すれば韓国人も漢字に慣れて、そのうちふつうに使い出すかもしれない(!?)(2014.2.26読了)
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by nishinayuu | 2014-05-23 09:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

c0077412_18133371.jpgこれは立原正秋逝去(1980年8月)の翌年4月に発行された「立原正秋追悼特集号」(同人誌『修羅』第13号)を、1985年にあらためて単行本として出版したものである。「追悼特集号」の編集の中心となったのは同人誌『朱羅の会』代表の白川正芳。執筆陣として吉行淳之介、中野孝次、高井有一、加賀乙彦、後藤明生、佐江衆一等、同人誌『犀』時代からの仲間や、先輩、後輩の作家たち、編集者たちが名を連ねている。
巻頭に掲げられた数葉の写真からは立原の端正で毅然とした雰囲気が伝わり、追悼文のそこここからは立原の作家として、人間としての魅力が強烈に伝わってくる。一方、好悪の情を隠すことをしなかったため、周囲を辟易させることも多かったらしいことが、中野孝次、後藤明生、佐江衆一、神津拓夫などの文を読むとわかる。これらを読むと、周囲とうまくやっていくことができなかった作家、というよりうまくやっていくことを拒否していた作家のようにも思われる。それはともかく、立原正秋とある時期をともに過ごした人たちの証言集であり、立原ファン必携の一冊と言えよう。(私は特にファンではないので、この本は知り合いのファンの方に譲る予定です。)(2014.2.17読了)
☆画像は韓国慶北安東市郊外にある鳳停寺の僧堂。立原正秋が生まれたとき父・李慶文がこの寺の僧だったため、立原は5歳から6歳にかけてこの僧堂に泊まって千字文を手習いし、四書五経の素読を学んだという。
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by nishinayuu | 2014-05-19 18:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

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読書会「かんあおい」2014年2月の課題図書。
東京新聞などに掲載された50編ほどの短編をまとめたもの。印象的だったものを以下に記しておく。



「眠る盃」:「荒城の月」の「巡る盃」を聞き間違った話。(こういう聞き間違いはよくあるもので、私の身近にもイヴ・モンタンをイモブンタンと思っていた人がいました。)
「字のない葉書」:妹が学童疎開したときの話。(涙なしには読めません。)
「ツルチック」:韓国語の들쭉に由来する言葉。(トゥルチュクはクロマメノキのことで、白頭山一帯にある高山植物。ツツジ科でアサマブドウともいうそうです。)
「父の風船」:「英語の単語を因数分解で解け」という宿題の夢を見た話。
「吾輩は猫である」:小5で出会った。(私は中1でした。)
「国語辞典」:なるべく人の読まない本を読む。
「抽出しの中」:ものの整理が下手で、どこに何があるかわからなくなる。夜中に切手が必要になると友人の澤地久枝女史の家にタクシーで行って切手を恵んでもらう。澤地さんの抽出しはいつもきちんと整理されている。
「騎兵の気持ち」:5階の部屋で悲鳴を聞き、下の道をひったくり男が逃げ、女が追いかけるのを見たが、助けに出てもどうせ間に合わない、と結果的に「高みの見物」をすることになってしまった。人間、あまり高いところに住まない方がいい。歩兵の方が人間的で、騎兵は少しばかり薄情なのではないか、とも思った。
「銀行の前に犬が」:日本に赴任したイギリス人外交官夫妻が日本語の授業で「銀行の前に犬が寝ています」というセンテンスを習い覚えた。こんな会話は一生使うことはあるまい、と笑いあったが、何十年か後ロンドンで、外出から帰ったメイドの口からこのセンテンスを聞いた。(まさか!)
(2014.2.5読了)
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by nishinayuu | 2014-05-11 14:46 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

c0077412_1021267.jpg澄川家は、妻を病気で亡くした誠さんと、夫が別の女性のところに走った美加さん、という傷心の二人が出会って生まれた。長男の澄生と長女の真澄は美加さんの連れ子で、次男の創太は誠さんの連れ子、次女の千絵は誠さんと美加さんの子ども、というちょっと変わった構成になっている。だから澄川家ははじめから非常に微妙なバランスの上に成り立っていたのだが、美加にとって特別な存在だった澄生が17歳のときに雷に打たれて死んだことから美加の崩壊が始まり、家族の平穏な生活も終わる。しかし母親の崩壊という一大事がかえって家族を崩壊から免れさせ、やがては再生へと導いていく。
本書はその家族の歴史を「私」「おれ」「あたし」そして「皆」という四つの章に分けて家族の一人一人に語らせる、という構成になっている。「私」は澄生の2歳下で冷静沈着なしっかり者の真澄、「おれ」は四人兄弟の「中間の子」である上、母親が中心の家庭の中で一人だけ母親と血が繋がっていない、という二つの不利な状況の中で奮闘してきた創太、「あたし」は末っ子でしかも両親の血を引く唯一の子どもという好条件のもとで自由気ままに育った千絵であるが、さて「皆」は?

美加は美しく優しい母親の姿をしていながら澄生への偏愛を正当化してしまう、いわば自己中心的欠陥人間として描かれている。それに対して誠さんは実によくできた夫であり、父親としても申し分ない。そして澄生はあり得ないほど完璧な兄であり、創太はほんとうに素直でいじらしい男の子だ。作者の目は、女性に厳しく男性に優しい、と言えよう。(2013.11.3読了)
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by nishinayuu | 2014-01-27 10:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

読書と韓国語学習の備忘録です。


by nishinayuu