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『向かい風』(住井すゑ、新潮社、1958)


c0077412_1156956.jpg読書会「かんあおい」2015年3月の課題図書。
この作品は1958年に講談社から刊行されたということなので、作者の住井すゑ(1902~1997)50代の作品であることがわかる。カバー裏の作者紹介に、1959年、病没した夫の納骨を済ませてすぐに『橋のない川』の取材を始めたとあり、この作品は夫の看病に明け暮れる中で書き進められたものだろうと推察できる。
舞台は茨城県の牛久沼。山吹が真っ盛りの季節、松並健一の戦死の報が家族のもとに届いたところから物語は始まる。父親の庄三、母親のいく、祖母のなか、嫁のゆみ、からなる家族は「いつ、どこで死んだかわかりもしねえで」と嘆きながらも、一片の遺骨もない健一の葬式を精一杯盛大にとり行った。ここで「一段落ついた」わけで、ゆみはこの家を去るのが順当だと考えて話を切り出したが、「俺なりに考えてる。なにも今夜でなくてもよかっぺ」という庄三のことばに、家を出るきっかけを失う。農繁期を控えて、いちばんの働き手であるゆみを失うことは、農家として致命的だったので、祖母のなかも姑のいくも庄三に同調して黙っていた。こうしてゆみはずるずると居残ることになり、庄三といっしょにあれこれの農作業に励んでいるうちに二人の距離は縮まっていき、やがてにっちもさっちもいかない事態へと展開していく。

登場人物たちが交わすことばのがさつさ、それぞれの欲望がむき出しの行動などなど、その言動のすさまじさにたじたじとなって、共感できる人物は一人もいない、と思いながら読み進めていくうちに、いつの間にか一人一人の心情に寄り添っている自分に気付かされる。そんな不思議な力を持った作品である。農村に根を下ろして生活した作家ならではの、農家の人たちと農家の暮らしへの愛情に溢れる作品である。(2015.3.7読了)
☆画像は牛久沼
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by nishinayuu | 2015-06-20 11:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『怪談』(小泉八雲、偕成社)


c0077412_9102288.png読書会「かんあおい」2015年2月の課題図書。
本書には全部で20の怪談が収められている。昔初めて読んだときはぞっとした話も、その後何度か接して感受性が鈍くなったのか、さらりと読めてしまった。そんな中で印象深いのはやはり「耳なし芳一の話」。この話や「守られた約束」などに現れる「得体の知れた者の死霊」には心惹かれる。各編のタイトル、内容、伝承地を以下に記録しておく。

ムジナ(のっぺらぼうの話。赤坂町の紀の国坂)
幽霊滝の伝説(背負った赤子の首がもぎ取られた話。鳥取西部の各地)
雪女(木こりの茂作と己之吉が雪女に出合った話。武蔵の国)
茶碗の中(式部平内の顔が映った茶を飲んだ関内という若党のその後。本郷白山)
安芸之介の夢(常世の国が実は蟻の巣だったという話。大和の国十市の里)
和解(雨月物語の「浅茅が宿」に類似。京都)
常識(徳の高い坊さんが狸に化かされた話。京都愛宕山)
ほうむられた秘密(隠した恋文が気になって亡霊となった娘の話。丹波の国)
鏡のおとめ(百済から来た鏡の精の話。南伊勢の国)
食人鬼(夢想国師による施餓鬼の話。美濃の国)
梅津忠兵衛(城の夜勤番が氏神の頼みを聞いてあげて強力を得た話。出羽の国横手)
おかめの話(長者の娘おかめが施餓鬼によって成仏する話。土佐の国名越)
忠五郎の話(足軽の若者が蟇に血を吸い取られる話。江戸小石川)
守られた約束(囚われの男が切腹して魂となり、約束を果たす話。播磨の国加古の里)
やぶられた約束(約束をやぶって再婚した夫の若い妻を、死んだ妻が殺害する話。)
果心居士(祇園の社で仏の教えを説いていた居士の話。京都の北端)
青柳ものがたり(畠山義統の家来が柳の精を妻にした話。能登の国)
ろくろ首(元菊池家の家臣・回竜とろくろ首の話。九州→甲斐の国→信州諏訪)
耳なし芳一の話(阿弥陀寺の芳一が亡霊たちに平家語りを語った話。下関/赤間が関)
(2015.2.7読了)
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by nishinayuu | 2015-04-28 09:10 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『画家の妻たち』(澤地久枝著、文藝春秋社)

c0077412_14194810.jpg「芸術的境遇とは縁のない家庭の子だった」という著者が、いつしか絵が好きになり、画家への関心と画家の伴侶となった女性たちへの関心が高まっていったという。本書はそんな著者が画家の描いた「妻の肖像」を求めて世界各国を訪ね歩いてまとめた「画家と妻の肖像」集である。
取り上げられているのは19組。画家によって美しい姿で画布に残された妻たち(モネの妻カミーユ、ピカソのオルガ、シャガールのベラ、ダリのガラ)もいれば、幸薄き人生を思わせる姿で残された妻たち(ロセッティのエリザベス、モディリアニのジャンヌ)もいる。画家を陰で支えた妻たち(セザンヌのオルタンス、ルドンのカミーユ、)もいれば、画家に支えられて生きた妻(ボナールのマルト)もいる。窮乏や芸術家の奔放さにずたずたにされた妻たち(レンブラントのサスキア、ゴーギャンのメット)がいる一方で、聡明な妻たち(マネのシュザンヌ、マチスのアメリー)、強靱な精神力を持った妻たち(岸田劉生のシゲル、リベラのフリーダ)、平穏に生きた妻たち(ミレーのカトリーヌ、もいる。(最後に取り上げられている現代画家のワイエスの場合だけ、表題に掲げられているヘルガはモデルであって妻ではないが、妻も強烈な個性の持ち主として登場している。)
絵の背後にある様々な人生を語るに当たって著者は、精力的な絵画探訪の旅から得たものに「先学たちのまとめた資料」を重ねていったという。中にはもちろん、著者が独自に発見した事実も含まれている。著者の精力的な旅は基本的には一人で、ときどきは向田邦子とともにしたものだという。向田邦子は、次のような魔法の言葉で著者を絵画の旅に駆り立てて、本書の誕生に大いに貢献したらしい。
「あなたがどんな表情をするか、見ている楽しみがあるのよ。どんな感想を言うか。興味があるの。」
著者と向田邦子との親交ぶりは向田邦子の『眠る盃』(こちら→)からもうかがい知ることができる。(2014.12.10読了)
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by nishinayuu | 2015-03-03 14:19 | 読書ノート | Trackback(1) | Comments(1)

『真夜中のパン屋さん』(大沼紀子著、ポプラ社)

c0077412_20591863.png物語は次のように始まる。

首都高と国道246が重なり合う、その街の夜はいつもほの明るい。首都高を照らす街灯の光が、街全体にぱらぱらこぼれるように広がって、本来あるべき夜の闇の濃度を薄めているせいかもしれない。世田谷通りと246に面する駅前には、深夜営業のファストフード店、居酒屋、カフェ、本屋、スーパーなどが建ち並んでいて、店からは淡い明かりがもれている。(中略)そのパン屋は、そんな駅前から少し離れた、住宅街の手前あたりにポツンとある。

「そのパン屋さん」を覗いてみたくなる、なかなか魅力的な書き出しだ。因みに「駅」は世田谷線の三軒茶屋であるが、この名前はなぜか明記されていない(ただし目次のページにはこの名を明記した地図がある)。パン屋さんの看板には「Boulangerie Kurebayashi」とあり、営業時間は、午後23時から午前29時だという。「パン屋クレバヤシ」とすれば誰にでもわかるものをわざわざフランス語で表記してあるのは、「おしゃれなパン屋さん」らしい雰囲気を出すためだろう、といちおう納得。けれども「午前29時」というのはいくらなんでも…。
各章のタイトルがパン作りの工程を表すフランス語になっているのも含めて、おしゃれなパン屋さんにかんするちょっと気取ったお話らしい、と思って読み進めると、意外な方向に話が進んでいく。おしゃれですてきなパン屋さんであることは間違いないが、そこに集まるのはいろいろな問題を抱えた人たちで、気取ったお話とはほど遠い世界が展開していくのだ。
主要人物は――暮林陽介(パン屋のオーナー。飄々とした人柄だが、自分では人の気持ちがようわからん、と思っている。)暮林美和子(陽介の妻。不慮の事故で死亡し、あとにパン屋を残す。)柳弘基(パン職人。思慕していた美和子のあとを追ってパリに行き、本格的にパン作りを学んできた。)篠崎希美(高校生。郭公のように他人に子どもを預ける癖のある母親についに捨てられ、パン屋に居候することになる。店の手伝いをするうちに店にはなくてはならない存在になっていく。)水野こだま(パン屋に入り浸りの小3の少年。家を出たまま戻らない母親を待ち続けている。)水野織絵(こだまの母親。精神的に問題を抱えている。)斑目裕也(オタクっぽい脚本家。弘基と意気投合してパン屋の常連客となる。空気の読める変態男。)ソフィア(ニューハーフ。もとオカマ・バーのホステス。賑やかで世話好き。)

極上の香りで人々を惹きつけ、極上の味で人々のお腹と心を温める、夜の街に現れたオアシスのようなパン屋さんを描いたこの作品は、ドラマ化されて、2013年4月にNHKのBSプレミアムで放送されたという。(2014.7.26読了)
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by nishinayuu | 2014-11-03 21:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『いわずにおれない』(まど・みちお著、集英社be文庫、2005)


c0077412_1092980.png読書会「かんあおい」2014年7月の課題図書。
本書は2014年に105歳で亡くなった詩人の語ったことをまとめたもので、片隅に小さく「インタビューと文――細貝さやか」とある。まど・みちおの詩と名言、絵からなり、国際アンデルセン賞作家である詩人の人柄と生涯を知る手引きとして恰好の一冊である。
まず目を引くのはユニークな絵の数々。中でも「ぞう」(水彩絵の具とボールペン)、はる(水彩、ボールペン、フェルトペン)がいい。
名言では「詩はツクルっちゅうよりウマレルという感じがする」、「天というのは宇宙の意志みたいなもの。私の詩は天への日記、今日はこのようにいきました、っちゅう自然や宇宙に当てた報告のような気がします」、「命の尊さをずっと詩にしていながら、第二次大戦中に2編も戦争協力詩を買い取るんです。しかも、ある方に指摘されるまで、そのことを戦後はすっかり忘れておった」などなど。
詩では「みみず」、「つけもののおもし」「おならはえらい」、「きょうも天気」などがおもしろい。特に気に入った詩を一編だけ記しておく。タイトルは「ワタシの一しょう」

ハジメ よかった/がっこうに かよった/かよった かよった/ワタシの 一ねんせいは/かっこう よかった
オワリ よかった/かわやに かよった/かよった かよった/ワタシの 九十六ねんせいは/かわい…らしかった

(2014.6.23読了)
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by nishinayuu | 2014-10-02 10:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『日本語ぽこりぽこり』(アーサー・ビナード著、小学館、2005)

c0077412_10304341.jpg読書会「かんあおい」2014年8月の課題図書。
本書はミシガン出身、日本在住の詩人によるエッセイで、日本語のおもしろさを発見し、楽しんでいる詩人の溢れる才気が全編に満ちている。
内容は多岐にわたり、日本語について改めて教えられる事柄もあるが、日本人には常識と思われる事柄もあり、疑問に思うこともないわけではない。たとえば、タイトルのぽこりぽこりについて、漱石の句「吹井戸やぽこりぽこりと真桑瓜」をあげて、これがぼこりぼこりでは感じが違ってしまう、といっているが、サラサラとザラザラの違いを心得ている日本人には当たり前すぎることである。また「泰平のねむりをさますじょうきせんたった四はいで夜も寝られず」の「じょうきせん」は蒸気船と「上喜撰」の掛詞だということも、日本人には常識だと言えよう。著者は日本語のおもしろさとして言及したのだろうとは思うが、どうせなら日本人の気がつかない日本語の変なところを取り上げてくれた方がよい。疑問に思ったのは誤訳の指摘の仕方である。確かに「閑さや岩にしみ入蝉の声」の和訳は著者のものが断然優れていることはわかる。また、glare free(つやけし)やelephant’s-ear(大葉のベコニア)の誤訳はお粗末かも知れない。しかし、それを書物の中で指摘する前に訳者(後ろの二つは著名人二人)に訂正の機会を与えるのが品位ある大人のやり方ではないだろうか。訂正の機会を与えたのに訳者が無視あるいは拒否した、という経緯があったのならやむを得ないが。ひところ誤訳が社会問題になり、そのおかげで翻訳の質が大いに上がったことは確かだが、悪質な出版社、訳者と、そうではないものとを十把一絡げに扱ってはいけない。因みに「閑かさや」の著者による英訳は以下の通り。
Up here, a stillness---the sound of the cicadas seeps into the crags

英語に関する豆知識的な事項興味深く読めるし、大いに勉強になる。特に「マネーのずれ」の次の部分は、日本の紙幣と考え合わせると興味深い。
So when you moving back to America?
When Walt Whitman’s on the ten dollar bill
And Emily Dickinson’s on the five.
When Mark Twain’s on the twenty,
Melville the fifty, Scott Joplin the C-note,
And Fats Waller’s on the dime. (John Gribble)

(2014.6.17読了)
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by nishinayuu | 2014-09-20 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『よみがえる昭和天皇』(辺見じゅん・保阪正康-対談、文春文庫)


c0077412_915727.jpg読書会「かんあおい」2014年6月の課題図書。
副題に「御製で読み解く87年」とある。「御製」ということばは『万葉集』の中と「歌会始」に関する報道などでしかお目にかからないが、昭和天皇の御製は1万首以上あって、公表されているのはそのうち約900首だという。
昭和史の研究者である保坂は、「昭和天皇の御製には、側近の回想録、勅語、記者会見の質疑応答などからは読み取れない、天皇の本当の気持ちが表れている」という。また歌人でありノンフィクション作家である辺見は、「波乱と激動の昭和という時代の、それぞれの時期における天皇の発言集や侍従や側近の記録からは、昭和天皇の実体がよくわからなかったが、お歌には天皇の私的な心、抑制された心情が豊かに表れていて、そのまま昭和という時代の、光と影まで映し出しているのではないかと思うようになった」と言う。そんな二人が、摂政時代から崩御までの87年間の「御製」を辿りながら、昭和天皇のそのときどきの思いを解き明かしつつ、昭和という時代を振り返ったのが本書である。
昭和天皇その人についての印象はさておいて(さておく理由もさておいて)、興味深かったのは御製のほとんどが見事な万葉調の歌であること。たとえば、太平洋戦争後に各地を巡幸した折に詠まれた数々の歌は、まさしく『万葉集』に見られる「国見の歌」なのである。また、古来の風雅な言葉が随所に使われていて、まるで万葉の歌を読んでいるかのような気分になる。例えば次のような歌

たへかぬる暑さなれども稲の穂の育ちを見ればうれしくもあるか

この歌について辺見は「~もあるか、という詠嘆は万葉歌人に好まれた言葉遣いで、現代歌人にはなかなか容易には使えません。私が保坂さんとお会いしてうれしいなあ、という歌を読むのに、うれしくもあるか、と軽々には言えないのです」と言っている。天皇だからこそ使いこなせる言葉、天皇だからこそ可能な歌いぶりというものがある、ということだろう。(2014.6.15読了)
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by nishinayuu | 2014-09-16 09:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『獄中からの手紙』(郷隼人著、幻冬舎、2014)


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読書会「かんあおい」2014年5月の課題図書。
著者は「朝日歌壇」の常連で、2004年の歌文集『LONESOME隼人』に継ぐ二冊目の本。内容は 「日米の娑婆の人にはあまり知られていないネガティヴなサイド、すなわち、獄塀の内側で日常起こっている汚い側面と悪い刑務官、そして悪い囚人たちのことも書いてみた。僕にしか書けないストーリーを描きたいと思った」という著者のことばが充分に語っている。
読んでいて気になったのはカタカナ語の多用である。英語の中で暮らしている著者としては英語で伝えたいけれどもそれがかなわないので、やむなく次善の手段としてカタカナに置き換えているのだろうが、日本語の文章としては不自然で読みにくい。誰かの言った言葉を日本語で書いておいて、同じことをカタカナで書き加える、ということもしているが、カタカナの部分は邪魔でしかない。元は英語だったことは状況からわかりきっているのだから。日本語だけではどうしても物足りないなら、カタカナは止めて英語、英文そのものを付け加えたほうがまだましではないだろうか。
特に違和感をおぼえるのは歌のなかで、漢字にカタカナのルビを付ける、という形でカタカナが多用されていることだ。たとえば
〇渺茫たる葡萄園(ヴインヤード)より吹いてくる 春風うららイースター・サンデー
〇稲妻のごとく急降下(ダイブ)し野ウサギを捕らえ翔び去る隼(ファルコン)の美技
などであるが、葡萄園はぶどうえん、隼ははやぶさと読んでも字数は変わらないし、急降下も降下だけにすれば問題ないのでは?と思う。(素人の妄言だということは重々承知です。)それに、著者自身がTHOUGHTSの章の中で言っている次のことばと矛盾するのでは?
「僕はエッセイとかエッセイストという用語が大嫌いだ。作文か随筆家と言えばいいではないか。なにを気取ってエッセイストだ」
それはそれとして、内容そのものには心を動かされる歌も多い。心に残ったものを以下に並べておく。
〇椰子の樹の戦(そよ)ぐ加洲の大空よ監獄さえも美しき五月
〇老父(ちち)逝きてふいに寂しき獄の庭老いたる猫に餌を与えやる
〇朝顔もラジオ体操も〈白熊〉もみんな懐かしい祖国(くに)の夏休み
〇獄窓(まど)に聴く夜汽車が次第に遠のけば望郷の念沸々と湧く
〇我を待ち八十四年の人生に三十六年待ち逝きましぬ母
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by nishinayuu | 2014-08-07 13:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『剣ケ崎』(立原正秋著、筑摩現代文学大系81)

c0077412_2031387.jpg1965年の作。作者が初めて自らの「韓国人の血の縁」を正面に見据えて立ち向かった作品である。
舞台は三浦半島南端の劍ケ﨑、時代は終戦末期で、クライマックスは盛夏の三日間に設定されている。登場するのは母方の祖父・康正、韓国軍人の父親、太郎と次郎の兄弟、従妹の志津子、右翼の従兄・憲吉、叔父の李慶明。従兄弟同士の太郎と志津子の恋愛は、太郎が憲吉に殺され、静子が太郎の跡を追って投身自殺をすることで終わる。
作者は死の間際の太郎に「次郎、おぼえておけ。あいの子が信じられるのは、美だけだ。混血は、一つの罪だよ。誰も彼をそこから救い出せない、罪だよ」と語らせ、次郎に「私は、人からきかれれば、何分の一かは朝鮮の血が入っていると答えます。そうすると、相手の態度が目に見えない速度で変わって行き、よそよそしくなっていくのです」と述懐させている。作者がいかに世の偏見に苦しみ、それに耐えてきたかを思い知らされる。

この作品も『薪能』と同じく芥川賞候補(1965年度上半期)になり、審査員の間でメロドラマ風だが力作である、という意見と力作だがメロドラマ風であるという意見が対立して、長時間討議された末に落選したという(『立原正秋追悼』創林社)。因みにこのときの受賞作は津村節子の『玩具』だった。
(2014.3.23読了)
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by nishinayuu | 2014-06-24 20:27 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『薪能』(立原正秋著、筑摩現代文学大系81)


c0077412_13302489.jpg作者の代表作の一つといわれるこの作品は、新潮編集部に投稿され、急遽採用されたもので、1964年5月号に掲載された。「投稿原稿をいきなり採用するのは編集部としては放れ業だったが、当時38歳だった立原はいくつかの文芸誌に相当数の小説を発表していて知名度もあったし、編集部内の評価も、新人とは思えぬ巧い作品ということで一決した」と当時の担当者だった坂本忠雄は回想している(『立原正秋追悼』創林社)。
鎌倉を舞台に繰り広げられ、9月22日の鎌倉薪能でクライマックスを迎えるこの物語は、従兄弟同士の恋をあわれに美しく描き出している。ふたりの祖父は壬生家の主(いかにも、という感じの名前ですね)。屋敷に能楽堂を持ち、自らも相当な舞手であったこの人物は、戦死した長男のひとり娘である昌子と、アメリカ兵とのけんかで命を落とした次男の一人息子である俊太郎を引き取って育てる。子ども時代から成人するまでの12年間を姉と弟のように過ごした二人が、数年の時を経て再会し……、となるとその後の成り行きは想像できるが、背景に能の世界があるのであくまでも妖艶な美しさを保って展開していくところがこの作品の読みどころである。

なお、この作品は同年上半期の芥川賞候補となったが、新人としては巧すぎ作りすぎ、という意見が過半数を占めて落選したという。因みにこのときの受賞作品は柴田翔の『されどわれらが日々』である。(2014.3.23読了)
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by nishinayuu | 2014-06-20 13:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)