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『風土記の世界』(三浦佑之、岩波新書)

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本書は古代文学、伝承文学を専門とする学者である著者が「風土記とはどういう書物か、なにが書かれているのか、どういうおもしろさがあって、どんなところが大事なのか」という情報を一般読者向けにまとめたものである。始めの2章が風土記の成立や内容の概説、第3章以降が国別の内容紹介となっている。

始めの2章で「8世紀初頭の日本列島を記録した資料」である『風土記』の成立や内容が概説されている。すなわち『風土記』は平城京への遷都から3年後の和銅6(713)年に律令政府が各地方に発した「風土記撰録の命令」によって編まれたものである。「風土記」と呼ばれるのは後のことで、本来は政府の命に対する報告文書である「解」と呼ばれる公文書だった。撰録すべき項目は、特産品、土地の肥沃状態、山川原野の名前の由来、古老が相伝する旧聞異事などだった。当初政府は、中国の例にならって紀(歴代天皇の事跡の記録)・志(支配領域の現状の記録)・列伝(皇子や臣下の事跡の記録)から成る「日本書」の編纂を目指したが、養老4(720)年に「日本紀」が成立したあと、何らかの理由で頓挫したものと思われる。この「日本紀」が現在『日本書紀』と呼ばれているもので、本来は「日本書 紀」であったはずである。そして『風土記』は、「日本書 志」のために収集された記録の名残と考えられる。
第3章以降で国別の内容が紹介される。現在、いちおうまとまった形で遺る風土記(解)としては、常陸、出雲、播磨、豊後、肥前の五か国のものがあり、逸文(後の文献に引用されて遺ったもの)として30~40か国のものがある。それら「もう一つの歴史と伝承の宝庫」の内容とそれらの読み解き方が詳しく、そしてわかりやすく紹介されていく。
第3章は常陸国風土記では正史の「日本書」紀にはもちろん、『古事記』にも出てこない「倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)」が取り上げられ、古事記の倭建命・日本書紀の日本武尊が風土記ではなぜ天皇として登場するのかが考察されている。古事記・日本書紀のヤマトタケル伝説ではただの通過点としてしか存在しない常陸国が、その風土記で一方的な形で倭武天皇への熱い思いを寄せているのは、東征の帰途における悲劇的な死が伝えられる以前の、東への遠征が通過儀礼として機能することによって皇位につくはずのヤマトタケルが常陸国において生き続けていたからだ、という論は説得力がある。
第4章では出雲国風土記が他の風土記とは違って撰録の命令から20年も経った天平5(733)年に提出されたのはなぜか、選録の責任者が国守ではなく国造となっているのはなぜか、「日本書」紀との関係は、などが考察されている。さらに出雲国の特殊性とその神話、「日本海文化圏」、出雲の神々の始祖であるカムムスヒ、出雲神話と古事記神話の関係、などなど興味深い話が盛り込まれている。
第5章では播磨国風土記、豊後国・肥前国風土記に見られる笑われる神や天皇、女性首長、鮎釣り、稲作などに関する伝承が取り上げられていて、風土記の世界のおもしろさが伝わってくる。
230ページほどの新書ながら、かなり中身の濃い一冊である。(2016.8.14読了)
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by nishinayuu | 2016-10-28 09:24 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

黒ひめ-その3(『古事記』仁徳天皇-その3)

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☆『古事記』仁徳天皇 黒ひめ-その2の続きです。



천황이 궁궐로 돌아갈 때 쿠로-히메는 다음같은 노래를 진상했단다.

야마토쪽을 향해 서풍이 불고 구름이 흩어지네, 그렇지마는 님향한 일편단심 가실줄이 있으랴

또 노래하기를,

야마토로 떠나는 그 사람은 누구의 남편이 되는 이오 땅속의 흐름처럼 숨어서 멀어지는 그 사람은 누구의 남편이 되는 이오


天皇が都に上るとき、黒ひめは次のような歌をさし上げた。

倭方に 西風吹き上げて 雲離れ そきをりとも 我忘れめや
(やまとへに にしふきあげて くもばなれ そきをりとも われわすれめや――倭に向かって西風が吹いて雲がちりぢりになる、そのように離ればなれになっても私があなたを忘れたりすることがありましょうか)

さらにこう歌った。

倭方に往くは誰が夫 隠り津の 下よ延へつつ 往くは誰が夫
(やまとへに ゆくはただつま こもりづの したよはへつつ ゆくはたがつま――倭の方へ行くのは誰の夫でしょう。隠れ沢の水のように隠れ隠れ遠ざかっていくのは誰の夫でしょう)
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by nishinayuu | 2014-03-08 14:58 | 再話 | Trackback | Comments(0)

黒ひめ―その2(『古事記』仁徳天皇―その2)

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☆『古事記』仁徳天皇 黒ひめ-その1の続きです。






이에 천황은 쿠로-히메(흑-공주)에 대한 그리움을 참지 못하여, 이와노-히메를 속이고 “아와지-섬을 보고싶다” 고 하며 궁궐을 떠났단다. 아와지-섬에서 멀리 바라다보면서 노래하기를,

빛나는 나니와야 그 나니와-갑을 떠나 여기서 나의 국토를 바라다보았더니, 아와지-섬과 오노고로-섬, 아지마사-섬까지 한눈에 들어오네, 이름도 모르는 외딴섬도 보이네

그리하여 천황은 아와지-섬을 지나 키비-고을에 당도했어.
이에 쿠로-히메는 고을 산쪽으로 천황을 모시고 간 후 거기서 향연을 베풀었다. 국을 끓이기 위하여 공주가 그 고장의 채소를 따고 있을 때, 천황이 공주앞에 나타나서 노래하기를,

산쪽 땅에서 자란 채소를 키비사람과 함께 따는게 왜 이리 즐거울산쪽까


これに対して天皇は、黒ひめが恋しくて、いわのひめを欺いて「淡路島が見たい」と言って出かけたのだよ。淡路島から遠くを眺めてこう歌った。

おしてるや 難波の崎よ 出立て 我国見れば 淡島 自凝島 檳榔の島も見ゆ 放けつ島見ゆ
(おしてるや なにはのさきよ いでたちて わがみれば あはしま おのごろしま あぢまさのしまもみゆ さけつしまみゆ――難波の崎から出かけてきて、ここに立って国見をすると、淡島、自凝島、檳榔の島も見え、名も知らぬ放れ島が見える)

そうして天皇は淡路島を出て吉備の国に着いた。
すると黒ひめは山方の地に天皇を案内してご馳走した。羮(お吸い物)を作るために黒ひめが土地の青菜を摘んでいると、天皇がやってきて歌った。

山方に 蒔ける菘菜も 吉備人と 共に採めば 楽しくもあるか
(やまがたに まけるあをなも きびひとと ともにしつめばたのしくもあるか――山の畑に蒔いて育てた青菜も、吉備の人と一緒に摘めば楽しいものだなあ)
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by nishinayuu | 2014-02-20 21:00 | 再話 | Trackback | Comments(0)

黒ひめ (『古事記』仁徳天皇-その1)

c0077412_14513685.jpg☆『古事記』の再話と韓国語訳です。和歌の部分は7・5調にしてみました。
画像はウエブ上で見つけたものをお借りしました。


오호사자키-미코토의 정실인 이화노-히메(바위-공주)는 매우 질투가 강한 여자였다. 그래서 천황의 처들은 궁궐을 찾아가지도 못했다. 심상치 않은 기색이라도 나타내면, 이화노-공주는 발을 동동 구르며 질투하신다. 한때 천황은 아주 단정한 미녀라는 소식을 듣고 키비-지방의 아마베-아타헤의 딸 쿠로-히메(흑-공주)를 궁궐 가까운 곳으로 불러들여 친하게 지내고 있었어. 그런데 쿠로-히메는 이화노-히메의 시샘을 두려워하여 고향으로 도망갔지. 천황은 높은 전각에서 쿠로-히메를 태운 배가 바다에 떠 있는 것을 바라보면서 이렇게 노래했다.

앞바다에는 줄지어 가는 배들 흑발이 고운 아내 고향으로 가시네
이 노래를 들은 이화노-히메는 몹시 화를 내고, 사람을 포구로 보내서 쿠로-히메를 배에서 내리게 한 후, 걸어서 가도록 하여 쫓아 버렸단다.


大雀命(おほさざきのみこと)の大妃・いはのひめは嫉妬が激しい女人だった。だから天皇の妾妻たちは宮中に入ることもできなかった。普段と違ったそぶりでもすると、いはのひめは地団駄を踏んで嫉妬する。ある時、天皇は見目麗しいという噂を聞いて、吉備の海部直(あまべのあたへ)の娘・黒ひめを呼び寄せて使っていたんだ。ところが黒ひめは、いはのひめの嫉みを畏れて故郷に逃げ下った。天皇は高殿に登って黒ひめを乗せた船が海に浮かんでいるのを眺めながら次のように詠った。

沖方には 小舟連らく 黒ざやの まさ子吾妹 国へ下らす(おきべには をぶねつららく くろざやの まさごわぎも くにへくだらす――沖の方には小さい舟を連ねて行くのが見える。いとしいマサヅコが郷里に帰って行かれるところだ)

この歌を聞いたいはのひめはひどく怒って、人を大浦に遣わして黒ひめを船から降ろすと、自分の足で歩かせて追い払ってしまたのだよ。
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by nishinayuu | 2013-10-09 14:51 | 再話 | Trackback | Comments(0)

大山守の命 その2


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☆『古事記』応神天皇―大山守の命 その1の続きです。
☆画像はまゆみの木。



ここで、川辺に隠れていた兵達があちこちからいっせいに立ち上がって、矢で脅して兄の王子を川下に追い流した。大山守の命はかわらの岬まで来て、そのまま沈んでしまったのだよ。王子が沈んだところを鈎で探ったところ、鈎が王子の着ていた鎧に引っかかって「カワラ」と音がした。それでその場所を名付けてかわらの前(岬)と言うのだ。死体を水から引き上げたとき、弟の王子が歌った。

ちはやひと(注) 宇治の渡に
渡瀬(わたりぜ)に 立てる 梓弓(あづさゆみ) 檀(まゆみ)
いきらんと 心はもへど いとらんと 心はもへど
本へは 君を思ひ出 末へは 妹を思ひ出
いらけなく そこに思ひ出 かなしけく ここに思ひ出
いきらずぞ来る あづさゆみ 檀

(宇治の渡し場の浅瀬に生えているまゆみの木、伐ってしまおうと心では思うけれども、処分してしまおうと心では思うけれども、木の根元を見れば父君を思い浮かべ、梢を見れば妃を思い浮かべ、胸苦しく、悲しい気持ちであれこれ思い惑って、伐ることができずに帰ってきたよ)

そののち、大雀の命と宇遲のわき郎子は互いに皇位を譲り合っていた。ところが宇遲のわき郎子が早く亡くなったので、大雀の命が天皇になって天下を治めたのだよ。
(注)「ちはやひと」は宇治の枕詞


이에 강변에 매복하고 있던 장병들이 여기저기서 일제히 일어나서 화살로 위협하면서 형 왕자를 하류로 쫓아보냈다. 오오야마모리-미코토는 카와라-곶에 당도하다가 그냥 물속으로 빠져버렸단다. 그가 빠진 곳을 갈고랑이로 살펴봤더니, 갈고랑이가 그가 입던 갑옷에 걸려 ‘카와라’며 소리를 냈다. 그래서 그곳을 이름하여 카와라-사키(곶) 라고 한다. 물속에서 그의 시신을 끌어올릴 때 아우 왕자가 노래하기를,

치하야히토(注) 우지-나루터
얕은 곳에 서있는 아즈사유미 참빗살나무
그 참빗살나무를 깎으려고 했는데 잘라 내려고 마음을 먹었는데
뿌리를 보면 아바마마가 끝을 보면 왕비가 눈앞에 떠오르니
답답하고 슬퍼서 깎이지는 못하고 그대로 돌아왔네
아즈사유미 참빗살나무


그 후 오오사자키-미코토와 우지노와키이라츠코는 서로 황위를 양보하면서 날을 보냈다. 그런데 우지노와키이라츠코가 일찍 돌아가셨기 때문에 오오사자키-미코토가 황위를 계승하고 천하를 다스렸단다.
(注) [우지]를 꺼내기 위해 쓰인 말.
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by nishinayuu | 2012-06-15 09:18 | 再話 | Trackback | Comments(0)

大山守の命 その1


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☆『古事記』応神天皇―大山守の命 の再話と韓国語訳です。
☆画像は宇治川の急流。



応神天皇が崩御したあと、大雀(おおさざき)の命は天皇の命令に従って宇遲のわき郎子(うぢのいらつこ)に天下を譲った。ところが大山守の命は天皇の命令に背いて自分が天下を治めたいと思っていたのだよ。彼は弟を殺そうと、秘かに武器を準備した。それを耳にした大雀の命は使者を送って宇遲のわき郎子に知らせた。
驚いた宇遲のわき郎子は大急ぎで川辺の丘に幕を張った仮屋を建てて、天皇の格好をさせた従者を外から見える場所に坐らせて、百官を行ったり来たりさせた。それと同時に自分は賤しい男に変装して、川に浮かべた舟に楫を持って立っていたのだよ。
川辺にやってきた兄の王子(大山守の命)は、丘の上に立っている立派に整えて飾った仮屋を見て、そこに弟がいると思った。彼は、舟の楫とりが弟だとは思いもしなかったから、楫とりに尋ねた。「聞くところによるとこの丘には猛々しい猪がいるそうだが、そいつを捕らえたいと思う。どうかね。捕らえることができるだろうか。」すると楫とりが応えて言う「だめだね」。王子がまた尋ねた。「なぜだい?」 それに応えて言うには「場所を変え、時を変えて捕まえようとしたけれどだめだった。だからだめだというのだ。」
楫を操って川の真ん中まで来ると、弟は舟を傾けて兄を水に落ち込ませた。兄の王子は流れのままに流れていきながら、次のように歌ったのだよ。

ちはやぶる(注) 宇治の渡に 棹執りに はやけん人し 我がもこに来む
(宇治川の渡し場で棹を操ることに敏捷で果敢な人が、わたしに立ち向かってくるだろう)
(注) 「ちはやぶる」は宇治の枕詞


『고사기』오오진-천황―오오야마모리-미코토
오오진-천황이 붕어한 후 오오사자키-미코토는 천황의 명에 따라 우지노와키이라츠코에게 천하를 내주었다. 그런데 오오야마모리-미코토는 천황의 명을 거역하여 스스로 천하를 다스리려는 마음을 품고 있었단다. 그는 아우를 죽이려고, 몰래 병기를 채비했어. 그 소문을 듣자마자 오오사자키-미코토는 사자를 보내어 우지노와키이라츠코에게 경고했다.
기겁을 한 우지노와키이라츠코는 서둘러 강변 언덕에 막사를 세워놓고, 천황처럼 꾸민 종자를 밖에서 잘 보이는 자리에 앉게 하고, 백관들은 왔다갔다 하도록 했다. 아울러 자기 자신은 천한 사람으로 변장해서 강물에 뜬 배위에서 노를 들고 서 있었단다.
강변에 당도한 형 왕자(오오야마모리-미코토)는 언덕위에 있는 엄숙하게 치장된 막사를 보면서, 그 안에 아우가 있을 거라고 생각했어. 그는 뱃사공이 아우라고는 생각도 못하고 그 뱃사공에게 물었다. “듣자하니 이 언덕에는 사나운 멧돼지가 산다고 하는데, 난 그 멧돼지를 잡고 싶다. 어떤가. 나는 그 멧돼지를 잡을 수 있을까?” 이에 뱃사공이 대답하기를, “못한다.” 왕자가 다시 물었다. “무슨 이유로?” 그에게 대답하기를, “여러 장소에서 몇 차례로 잡으려고 했으나 잡을 수 없었어. 그래서 못한다고 하는 거다.”
노를 저어 강 한가운데에 다다르자 아우는 배를 기울여 형을 물에 떨어지게 했다. 형 왕자는 강물에 흘러가면서 이렇게 노래했단다.

치하야부루(注) 우지-나루터에서 노 젓기에 빼어난 과감한 사람이야
정면으로 맞서서 나하고 싸우리라

(注) [우지]를 꺼내기 위해 쓰인 말.
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by nishinayuu | 2012-05-31 15:56 | 再話 | Trackback | Comments(0)

「帰化人」


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☆応神天皇(『古事記』)の再話と韓国語訳です。
画像は菊池容齋『前賢故実』にある王仁の像です。

「帰化人」
応神天皇のときに新羅人が渡ってきた。建内宿祢の命は 新羅人たちを率いて渡(わたり)の堤を築いたり、百済の池を造ったりしたんだ。百済の照古王(近肖古王)は牡馬と牝馬を1頭ずつ献上してきて、さらに刀、大鏡まで送ってきた。それで天皇は百済に、もし賢明な人物がいたら献上せよ、と命じたんだ。すると百済から人を送ってきたのだが、その名をわに(王仁)という人だった。この人は論語10巻と千字文1巻、合わせて11巻を持ってきて天皇に捧げたんだよ。それから工芸鍛冶の卓素と機織りの西素を献上した。このときに秦(はた)氏の祖先、漢(あや)氏の祖先、それから酒の醸し方を知っている人番という人(またの名は須須許理-すすこり)など、大勢の人がいっしょに渡ってきたんだ。そしてその須須許理は酒をたくさん造って天皇にさし上げた。その酒を飲んでほろ酔いになった天皇が歌ったのがこの歌だ。

すすこりが かみしみきに われゑひにけり
ことなぐし ゑぐしに われゑひにけり

(須須許理が醸した酒にわたしは酔ったよ。無事泰平の酒、喜びの酒にわたしは酔ったよ。)


오오진-천황 시대에 신라인들이 일본으로 건너왔다. 타케우치의수쿠네-미코또는 그 신라인들을 지휘하여 와타리-둑을 쌓았고, 백제-못을 만들었단다. 백제국왕인 조고왕 (근초고왕)은 수컷말 과 암말 각 하나씩을 헌상해왔고, 또 칼과 큰 거울도 헌상해왔다. 그러니 천황은 백제에게 혹시 현명한 사람이 있으면 헌상하라고 명을 내렸단다. 그리하여 백제에서 사람을 보내왔는데, 이름하여 왕인라는 사람이었어. 그 사람은 논어 열권과 천자문 한권, 합치하여 열한권을 가지고 건너왔고 그것들을 천황에게 헌상했단다. 또 공예대장 탁소와 베짜는 장인 서소를 헌상했어. 그때 하타씨의 조선, 아야씨의 조선, 그리고 술 빚을 줄 아는 인번이라는 사람 (별명 수수꼬리)등 많은 사람들이 함께 건너 왔단다. 그리고 그 수수꼬리는 술을 많이 빚어서 천황께 바쳤다. 그 술을 마시고 거나하게 취한 천황이 노래하기를,

수수꼬리가/ 빚은 이 술에/ 내가 다 취했구나
무사태평과/ 환희의 술에/ 내가 다 취했구나

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by nishinayuu | 2011-11-15 12:04 | 再話 | Trackback | Comments(0)

髪長ひめ

c0077412_1454851.jpg「髪長ひめ」

☆応神天皇(『古事記』)の再話と韓国語訳です。
画像は花橘。


(応神)天皇は日向(ひむか)の国の諸県(もろのあがた)君の娘、髪長ひめがとても美しいという話を聞いて、おそばに仕えるようにと呼び寄せた。彼女が難波津に船を着けると、太子の大雀命(おおさざきのみこと)がそれを見て、その端正な姿の虜になってしまったんだ。それで太子が建内宿祢(たけうちのすくね)大臣にこう言った。
「このたび日向から召し上げた髪長ひめをこの太子に下さるよう天皇にお願いしてくれ」
建内宿祢大臣がお伝えした太子の願いを聞くと、天皇は髪長ひめを太子に与えた。どういうふうに与えたかというと、天皇が豊明(とよのあかり-大きな酒宴)を催された日に、髪長ひめに杯を持たせて太子のもとに持って行かせたのだよ。そのときに天皇がこのようにお歌いになった。

いざ こども のびるつみに ひるつみに わがゆくみちの かぐはし はなたちばなは ほつえは とりゐからし しずえは ひととりからし みつぐりの なかつえの ほつもり あからをとめを いざささば よらしな
(さあ、ものども。野蒜を摘もうと私が行く道の芳しい花橘は、上の枝は鳥が寄ってたかってだめにし、下の枝は人が枯らしてしまった。損なわれていない中の枝のような美少女を、おまえが誘えばよろしい)

천황은 히무카-국 모로의아가타-키미의 딸인 카미나가-히메(긴머리 공주)가 매우 예쁘다는 소문을 들으시고 그녀를 궁녀로 불러들이셨다. 그녀가 나니와-나루터에 배를 매어 두었을 때, 황태자 오오사자키-미코또가 그녀를 보고, 그 단정한 모습에 완전히 심취되어 버렸단다. 그래서 황태자가 타케우치의수쿠네-대신에게 말하기를,
이번에 히무카에서 불러들인 카미나가-히메를 이 황태자에게 하사하시도록 천황께 청하시오.
타케우치의수쿠네-대신이 주상한 황태자의 소원을 듣자, 천황은 카미나가-히메를 황태자에게 하사하셨어. 하사하신 방식은 천황이 토요노아카리(큰 술잔치)를 베풀으신 날에 카미나가-히메로 하여금 술잔을 손에 들고 황태자에게 가져가게 하셨단다. 그때 천황께서 노래하시기를,

자 모두들/ 산달래를 뜯으러/ 달래 뜯으러/ 내가 가는 길에서
향기로운/ 타치바나-나무는/ 윗가지는/ 새가 망가뜨리고/ 아랫가지는/ 사람들이 죽였네
복판 가지의/ 붉은 기 띤 처녀를/ 이제 당신이/ 불러들이면 되다
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by nishinayuu | 2011-10-31 14:08 | 再話 | Trackback | Comments(2)

宇遲(うぢ)のわき郎子(いらつこ)-その2


c0077412_14253329.jpg☆『古事記』の再話と韓国語訳「宇遲(うぢ)のわき郎子(いらつこ)」の後半部です。前半部はこちら
画像は応神天皇陵。

여기 있는 게 어디에서 왔니 저 멀디먼 곳 츠누가에서 온 게
옆으로 기며 어디에 다다르니 이치지-섬의 미시마에 이르고
논병아리가 숨쉬는 듯 숨쉬고 오오츠 가는 사사나미의 길을
성큼성큼 과인이 걸어갈 때 코하타에서 과인이 만난 처녀
그 뒷 모습은 방패처럼 날씬해 그 잇바디는 마름씨처럼 희네
이치이-마을 와니-비탈의 흙을 바깥 표토는 흙 맨살갗이 붉고
바닥의 흙은 살갗이 검붉어서 겹겹이 지는 층의 중간의 흙을
세차게 타는 화염에 대지 않고 찌어서 만든 미대(注)로 화장했네
여기 나타난 아가씨 이렇다면 좋을 것인가 저렇다면 좋을가
꿈꾼 처녀와 어쩼든 잠시라도 이렇게 함께 지낼 수 있구나

이렇게 해서 그들이 낳은 아들이 우지의와키이라츠코이다.
(注)미대(眉黛) 눈썹을 그리는 먹


この蟹や 何処の蟹 百傳(ももづた)ふ 角鹿(つぬが)の蟹 横去らふ 何処に致る 伊知遲(いちぢ)島 美島に著き 鳰鳥(みほどり)の 潜(かづ)き息づき しなだゆふ ささなみぢを すくすくと 我が行(い)ませば 
木幡の道に 遭はしし 嬢子(をとめ) 後姿(うしろで)は 小楯(をだて)ろかも 歯並(はなみ)は 椎菱なす
櫟井(いちひゐ)の 丸迩坂の土(に)を 初土は 肌赤らけみ 底土(しはに)は 丹黒(にぐろ)きゆゑ 三栗の その中土(なかつに)を かぶつく 真火(まひ)には当てず 眉書(まよがき) 濃(こ)に書き垂れ 遇(あ)はしし女人(をみな)
かもがと 我が見し子ら かくもがと 我が見し子に うたたけだに 対(むか)ひ居(を)るかも 添(いそひ)居(を)るかも
(この蟹はどこの蟹かな。遠い敦賀の蟹。横歩きしてどこに行く。伊知遲島、美島に着いて、鳰鳥が水に潜っては息継ぎをするように 一息ついて ささなみ道をずんずん歩いて行った私が、木幡の道で出逢ったお嬢さん。後ろ姿は楯のようにすんなりしていて、歯並びは椎の実・菱の実のように真っ白だね。櫟井の丸迩坂の土を、表土は赤くて底土は赤黒いので、真ん中の土をかっかと燃える火には当てずに蒸し焼きにして作った眉墨で、眉をくっきりと描いて現れたお嬢さん。こうならいいな、ああならいいな、と思っていた娘とともかくしばらくはこうしていっしょに過ごせるのだ)

このようにして生まれた御子が宇遲のわき郎子なのだ。
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by nishinayuu | 2011-04-26 14:29 | 再話 | Trackback | Comments(0)

宇遲(うぢ)のわき郎子(いらつこ)-その1

c0077412_10311944.jpg☆『古事記』の再話と韓国語訳の「宇遲(うぢ)のわき郎子(いらつこ)」を、2回にわけてupします。



천황 (応神天皇 15대) 이 치카츠오오미-고을로 건너가실 때, 우지노의 언덕에 서서 카도노-벌판을 바라보면서 노래하시기를,

넓디넓은 카도노를 바라보면 집들 많고 이 지방의 넉넉함이 다 보이네

이윽고 코하타-마을에 도달하셨는데, 아주 예쁜 처녀가 길거리를 지나갔단다. 그때 천황이 그 처녀에게 이름이 무어냐고 물었다. 그 처녀가 대답하기를 “와니씨의 히후레-오오미의 딸. 이름은 미야누시야가와에-히메라고 하옵니다.” 천황이 그처녀에게 말하시기를 “과인은 내일 돌아가는 길에서 당신의 집을 찾아가겠소.” 그래서 야가와-히메는 아버지에게 자초지종을 보고했단다. 아버지가 말하기를 “그 분은 천황이시다. 황송하다. 아가야, 잘 시중들거라.” 곧 집을 엄숙하게 장식하고 기다리고 있더니, 이튿날 그 분이 들어오셨어. 음식 대접을 할 때, 그 야가와에-히메로 하여금 술잔을 가지고 들어가게 했단다. 이에 천황은 그녀로 하여금 술잔을 들게 한 채 노래하시기를,

天皇(応神天皇 第15代)が近淡海(ちかつあふみ)の国に越えていらした時、宇遲野(うぢの)の丘の葛野(かどの)を望んでお歌いになった。

ちばの 葛野(かづの)を見れば 百千(ももち)足る 家庭(やには)も見ゆ 国秀(くにのほ)も見ゆ 
(広く開けた葛野を見渡すと、数限りない家屋敷が見え、国中で最高のすばらしさも見える。)

やがて木幡(こはた)の村に着いたとき、麗しい娘が通ったのだよ。すると天皇が娘に名をたずねた。娘が応えて言うには「丸迩(わに)の、ひふれのおほみの娘で、名は宮主矢河枝(みやぬしやがわえ)ひめでございます。」 天皇がその娘におっしゃった。「私は明日、帰る途中でそなたの家に訪ねて行こう。」 そこで矢河ひめは父に一部始終を告げたのだ。父が言うには「そのお方は天皇でいらっしゃる。畏れ多いことだ。娘よ、きちんとお仕えするのだぞ。」そうして家をきちんと整え飾って、お待ちしていると、翌日、天皇がおいでになった。食事をさし上げる時、矢河枝ひめに盃を持って行かせたのだよ。すると天皇は、娘に盃を持たせたまま歌をお詠みになった。
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by nishinayuu | 2011-04-17 10:32 | 再話 | Trackback | Comments(0)