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『奥の細道紀行』(大石登世子、ふらんす堂)


c0077412_09450864.jpg本書は『遊行』(こちら⇒)と同じ著者による「紀行文」であるが、驚くほど詳細かつ膨大な旅の記録が収められている。俳句はもちろん、短歌や物語、説話・伝承文学、芸能、宗教、歴史、地理、動植物などなど、著者の心と眼の及ぶ範囲は広く、ついていくだけでも一苦労である。(著者と親しいという人物から借りた書物なので、とにかく最後まで読み通すことができてほっとしましたが、一度きりの読書では消化しきれない内容なので、参考書として手元に置いておきたいと思ったのでした。)

特に興味深かったところを下に列挙しておく。

*下野では、自国側の境の明神を玉津島神社、陸奥側の神社を住吉神社と呼ぶ。反対に、奥州では自国側の境の明神を玉津島神社、下野側を住吉神社と呼んでいる。(中略)玉津島明神は女神で内(国を守る)、住吉明神は男神で外(外敵を防ぐ)という信仰に基づいて祀られている。

*医王寺は風格のある立派な寺で、境内の片隅に、「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」の句碑がある。(中略)実は、芭蕉たちはこのお宝を見ていないらしいのだ。曾良の日記には「判官殿笈・弁慶書きシ経ナド有由」とある。曾良の記述は正確で、見たものは見た、と書くから「有由(あるということだ)」とは、つまり見なかったということ。寺の門には入らず、西の方にある堂へ行った、と記している。

*白河の関もそうだが、著名な歌枕の地となると、芭蕉の筆はどういうわけか格調高い美文調になるのだ。それでいてどちらも芭蕉本人の句はなく、松島も、/「松島や鶴に身を借れほととぎす」/と、曾良の句がおかれる。/失礼な言い方だが、芭蕉は著名な歌枕の地で俳諧を詠む難しさを感じ始めていたのではなかったろうか。/歌枕は結局和歌のためのものであり、伝統に則って詠むかぎり、十七文字は三十一文字にかなわない。叙景にしても叙事にしても事情は同じである。完璧な景を前にすると、季語を取り合わせたありきたりの絵はがき的な句しかできないのは、現代の私たちも経験することである。

*「取り分て心も凍みて冴えぞ渡る衣川見に来たる今日しも」(西行)/『山家集』には「十月十二日、平泉にまかり着きたりけるに、雪降嵐激しく、殊の外に荒れたりけり、(中略)衣川の城しまはしたる事柄、様変はりて物を見る心地しけり、汀凍りて取り分寂びければ」と長い詞書きがあり、衣川の凄絶な風景が読者の前にも広がる。(中略)この歌は初度の奥州への旅で平泉に来た際に詠んだとされる。ただ、二度目の奥州行き、文治二年のときのものとする解釈もあるようで、そうなると義経が平泉に落ちのびてくるのは翌文治三年だから、西行とニアミスしたことになり、物語的にはこの歌が俄然面白く解釈できるのだが、どうだろうか。

2017.4.7読了)


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by nishinayuu | 2017-06-29 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『遊行』(大石登世子、ふらんす堂、2010)


c0077412_07504660.jpg著者は1942年生まれで、NHK出版の「趣味の園芸」などにも関わった元編集者。俳句会「麻」の同人。本書は俳句歴10年を記念してまとめたものだという。

「バショウより、ふつうに、ブッソンが好き」というレベルのnishinaなので、感想を述べるのは控えて心に響いた句を並べておくことにする。

手品師の大きな鞄春の闇

鵙の贄どこかで子どもが攫はるる

櫻冷え僧は遊行に出でしまま

三椏の花この道は行き止まり

どうしても子がみつからぬ春の暮

振り向けば短日の坂消えてをり

春愁の帯のごとくに夜の汽車

そこまでと言うて花野へ行きしまま

こうして並べてみると、どこか不安で妖しい雰囲気のある句ばかりのような……。

ついでに、漢字の読みがわからなかった句と、読み方に一瞬迷った句がいくつかあったので、その読みをカタカナで示しておく。

やいななくさまに馬頭琴   ツチフル(音読みはバイ)

襞深く金粉零し牡丹老ゆ   コボし(別に難読漢字ではないのに……)

天平の礎石にあたたかし   アシウラ

体内にはつなつの水韻きけり   ヒビき

血族といふ名の鎖紅蜀葵   コウショッキ(もみじあおい)

2017.3.26読了)


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by nishinayuu | 2017-06-13 07:51 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『宿題』(足立喜美子、現代俳句協会)

c0077412_1020127.jpg読書会「かんあおい」2017年3月の課題図書。
著者は地元で句会の指導もしている現役の俳人。読書会のメンバーの一人でもあるので、3月の読書会では本書を取り上げ、著者の解説つきで俳句を鑑賞した。


まず、著者の自選十句を紹介する。
*栗剝くや丹波に生まれ離れても
*雲の峰かの世この世の鬼の貌
*われからの声か土偶のこゑか暑し
*紫式部へ手鞠ころげてゆきさうな
*狐火や母の死風化するばかり
*花野まで来て宿題があるといふ
*空蝉をのせて新聞さざなみす
*ドーバー海峡夢見て水着試着かな
*ぽっぺんを吹いて他人のやうな音
*風来て風がはづかしげなり冬桜

次にnishinaが気に入った十句を記しておく。
*片眼より鱗の落ちし去年今年
*大空のあるを頼みの辛夷咲く
*雪女ときどき梁のきしみをり
*きつね雨トトロの森の月夜茸
*泉川術後の兄に会ひに行く
*旱星鄙に形見のチェロを弾く
*笙の音や青葉の闇を押しひらき
*揚雲雀つばさの軽き日もありて
*冬紅葉恋する人にどっと降る
*石鹼玉たましひに触れ爆ぜにけり

(2017.1.22読了)
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by nishinayuu | 2017-03-25 10:20 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『The Book of Tea』(Okakura Kakuzo, C.E.Tuttle Company1906)


c0077412_9323152.jpg『茶の本』の原書。予想した通り1、2,3章はアルファベット表記されている中国語の固有名詞に難儀したが、英文そのものは読みやすかった。4、5,6,7章も予想した通り、漢字表記のある日本語訳のほうが断然優れていると思うが、「数寄屋」「露地」などの専門用語をはじめとして、日本文化のあれこれを的確かつ滑らかな英文で表現してあることに驚嘆した。『茶の本』が名著とされる所以が理解できたと同時に、岡倉天心という人物の偉大さをあらためて思ったのだった。
さて、今後何かの折に役に立つかも知れないので、中国固有名詞のアルファベット表記と、引用されている歌、俳句の(岡倉天心による?)英訳をメモしておくことにする。
①中国の固有名詞
Tang唐  Sung宋  Ming明  Yuen Emperors元朝  Chow Dynasty周朝 Yangtse-Kiang揚子江  Hoang-Ho黄河  Han Pass函谷関  Taoism道教  Confucianism儒教  Book of Changes易経  Chaking茶経
Luwuh陸羽  Lotung盧同  Taisung 代宗 Kiasung 徽宗 Wanguncheng 王元之
Sotumpa蘇東坡  Laotse老子  Liehtse列子  Peiwoh 白牙 Emperor Huensung 玄宗皇帝 Taoyuenming陶淵明
②見渡せば花ももみじもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ(藤原定家)
I looked beyond; /Flowers are not, /Nor tinted leaves. /On the sea beach /
A solitary cottage stands /In the waning light /Of an autumn eve.

夕月夜海すこしある木の間かな(宗碩)
A cluster of summer trees, /A bit of the sea, /A pale evening moon.

折りつればたぶさにけがる立てながら三世の仏に花たてまつる(光明皇后/後撰集123遍昭)
If I pluck thee, my hand will defile thee, O Flower! Standing in the meadows as thou art, I offer thee to the Buddhas of the past, of the present, of the future.

花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや(藤原家隆)
To those who long only for flowers, fain would I show the full-blown spring which abides in the toiling buds of snow-covered hills.

(2016.7.25読了)
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by nishinayuu | 2016-09-06 09:33 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『花はこべ』(大島英昭、ウエップ、2015)


c0077412_15111722.jpg本書は学生時代の友人による第2句集である。俳句とは無縁の人間に貴重な句集を送ってくれたことに感謝しつつ、詠まれた景とそのときの詠み手のたたずまいを想像しながら、また一語一語の音を辞書やインターネットで確認しながら読んだ。おかげで季語や俳句独特の言い回し、難読漢字などの知識が少し増えたような気がする。それはそれとして、俳句の世界ではなぜ難読漢字にルビをつけないのだろうか。鑑賞者に解読の苦しみを味わわせるのも俳句を詠む楽しみのひとつなのか、と勘ぐりたくなる(著者への苦言ではなく、俳句を詠む人全般への思いです)。そうかと思うとルビなど不要と思われるところにルビがあったり、漢字表記でもよさそうなところがひらがな表記になっていたりする。表記に関してなにか決まりのようなものがあるのだろうか。それはともかく、今回せっかく辞書を引き引き解読したので、それらを記録しておくことにする(結果的に無知をさらけ出すことになりますね。)

〇ルビがほしかったことば――石蓴(あおさ)、萍(うきくさ)、穭田(ひつじだ)、秋黴雨(あきついり)、磴(とう:石段/坂道)、榠樝(かりん)、末黒野(すぐろの:野焼きのあとの黒くなった野)、木五倍子(きぶし)、行行子(ぎょうぎょうし:オオヨシキリ)

〇独特の表現――ほろろ打つ(雉、山鳥などが羽ばたきする/羽ばたきして鳴く)、小六月(10月の異称)、捨子花(曼珠沙華の異称)、数へ日(年末の残り少ない日々)、春ならひ(春北風)、鳥曇り(冬鳥が北へ帰る頃の曇り空)、雀がくれ(春の草丈が雀を隠す位に伸びた状態)、まくなぎ(糠蚊の一種。かたまって上下に飛び、目の前につきまとう)、との曇り(空一面に曇ること)

おこがましいので俳句の鑑賞はしない(できない)が、特に心惹かれた句を挙げておく。
藁葺きの屋根の高みを夏の蝶
野茨の実の赤らみてゆくところ
丘あれば丘の形に曼珠沙華
野ぶだうの路傍に熟るる妻の里
声明の途切れ途切れに黒揚羽

(2015.7.1読了)
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by nishinayuu | 2015-11-07 15:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『さりながら』(フィリップ・フォレスト著、澤田直訳、白水社)


c0077412_9533763.jpg『SARINAGARA』(Philippe FOREST, 2004)
本作品はナント大学の文学部教授であり、大江健三郎をはじめとする日本文学の評論家でもある著者の三作目の小説である(作品紹介文より)。
全体は三つの物語(詩人・小林一茶の物語、小説家・夏目漱石の物語、写真家・山崎庸介の物語)と、四つの都市に関する断章からなる。プロローグに続いてパリ、最初の物語、京都、次の物語…という構成になっていて、作家論・作品論的な三つの物語の区切りとして、あるいはそれらを繋ぐものとして、旅する人の視点から綴られた都市に関する断章が嵌め込まれている。すなわち、日本文化に関する評論と私的な旅行記を合わせたような作品で、一般の「小説」とはかなり趣が異なる。
なぜ一茶と漱石と山崎庸介なのか。作者は一見無関係のこれらの人物にひとつの共通点を見ている。一茶も漱石もそして作者も、愛する娘を失っているのだ。山崎庸介の場合は三人とはちょっと違うが、彼が写真に捉えた「原爆を生き延びた幼子」が、実はほどなくして死んでしまったという事実がある。
この作品で際だつのは一つ一つの文章、一つ一つの段落がまるで詩のように響いてくることである。おそらく散文詩のような雰囲気の原文なのであろう。そうした心に響く文章のおかげで、書かれている内容も深く心に染みこんでくる。たとえば、パリの章にこんなことばがある。

夢の特質は、それがいつか必ず現実となるという点にある。(中略)「既視感」とはこのことに他ならない。来るべき人生はそっくり、子どもの時に夢みられている。だからこそ出来事を前にして、何かがとても漠然と、ああ、これは知っている、と私たちに告げる。どんな新たな経験も、脳がもうずいぶん昔に夜中に自分に語って聞かせた古い物語のひとつひとつが、現実であったことを知らせる、ただそのためだけに訪れるかのようなのだ。そうでなければならない。たとえどんなに密やかにであったとしても、すでにそれをすっかり知っていたのでなければ、その日がやってきたとき、どのようにして精神はすっかり消え去ることなく、狂おしい現実の光景に耐えることができようか。つまり、大人になってからの生は、子どもの頃の夢を引き延ばしたものに過ぎず、実はすでに遠い昔に完了していて、いつも変わらぬ朝のうちでゆっくりと不安のうちに干涸らびてしまったものにすぎないのだと。

手許に置いて何度でも読み返したい作品である。シンプルな装丁もいい。(2013.5.14読了)
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by nishinayuu | 2013-07-23 09:54 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

蕪村春秋-その2「五月雨」

c0077412_1404198.jpg数年前に新聞に掲載されていたコラムを韓国語に訳してみました。原文は韓国語の下にある「五月雨」をクリックしてお読み下さい。

장맛비

장마의 계절
물살이 센 강앞에
작은 집 두채


이 하이쿠(俳句)를 보면 곧 생각나는 명작이 하나 있다. [오쿠의 오솔길(奧之細道)]에 실린 하이구로, 바쇼(芭蕉)가 모가미-천(最上川) 강가에서 지은 것이다.

장마의 비를
모아서 세차구나
모가미 강류


부손(蕪村)이 이 바쇼의 작품을 몰랐을 리가 없기 때문에, [집 두 채] 라는 하이쿠는 바쇼를 충분히 의식하면서 지은 작품임에 틀림없을 것이다. 하이쿠는 불과 17음으로, 보통 그 17음 중에 계절을 나타내는 말인 계어(季語)가 포함된다. 즉 자유롭게 다룰 수 있는 것은 고작 10음 정도다. 작품의 모습이 다소간 닮은 점은 피할 수 없는 일이라고 할 수도 있다.
그런데, 이 두 개의 하이구의 경우, 닮은 것은 모습뿐, 그 내면에 있는 것이 완전히 다르다. 그 차이야 말로 내가 여러번 이야기해온 영상성이다.
바쇼의 하이쿠를 영상화 하려면, 한 컷 있으면 충분하다. 더 많은 컷을 거듭하도라도, 설명적이 될 뿐, 별로 의미가 없다. 다만, 영상을 단지 스토리를 설명하는 수단으로 사용하는 멍텅구리 TV디렉터들이라면, 지금이 기회라는 듯이, 물살의 기세를 설명하기 의해 카메라를 좌우로 움직일 텐데……
바쇼의 하이쿠가 훌륭한 응축이라면, 부손의 하이쿠에는 무한한 퍼짐이 있다. 도저히 한 컷으로는 전체를 찍을 수 없다. 두 채의 집에 사는 불안한 사람들을 촬영하기 시작하면, 연달아 컷이 늘어난다. 온 식구들의 표정을 묘사하는 것만으로도 상당히 재미있는 영상이 된다.
그것은 부손의 하이쿠에 드라마가 있기 때문이다.

장맛비 와서
논마다의 어둠이
가득 차 있네


보통 [논마다의 달]이라고 한다. 논을 물들이는 달빛은 논 한 구획씩 그 멋이 다르다. 장맛비때문에 달은 보이지 않지만, 짙은 쥐색의 물빛은 논마다 다르다. 아무 일도 아닌 듯이 지은 하이구인 것 같지만, 부손의 하이구에는 이 만큼의 영상성이 있다.
(지은이:타카하시 오사무)

「五月雨」
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by nishinayuu | 2013-05-27 14:01 | 翻訳 | Trackback | Comments(2)

「蕪村春秋」


c0077412_1117015.jpg数年前に新聞に掲載されていたコラムを韓国語に訳してみました。原文は韓国語の下にある「蕪村春秋」をクリックしてお読み下さい。

부손 춘추

친정 나들이 나니와 떠나서 가는 나가라강변
춘풍속에서 강변길은 길디 길고 친정은 멀고

처음부터 터무니없는 말을 하는 것 같지만, 세상 사람은 두 가지밖에 없다. 부손(蕪村)에 미치는 사람과 평생 부손을 모르고 지내는 사람이다.
명치30년(1897), 마사오카 시키(正岡子規)는 부손(蕪村)론을 전개하면서 상당히 과격한 말을 했다. “부손은 실로 100년 동안 망각속에 있었지만, 그의 하이쿠(俳句)는 바쇼(芭蕉)의 작품 못지않게 때로는 바쇼를 능가하는 경우도 있다. 그런 부손이 각광을 받지 않았다는 데에는 그의 하이쿠가 저속한 방향으로 흐르지 않았다는 이유와 부손이후의 하이쿠 작가들이 무지했다는 이유가 있다.” 시키도 부손에 미친 한 명이었던 셈이다.
부손의 명작 [춘풍마제곡(春風馬堤曲)] 은 위에 제시한 시구 두개로 시작한다. 부손이 쓴 머리말에 의하면, 어느 날 고용주에게서 휴가를 얻어 친정으로 돌아가는 처녀와 길동무가 되어서 얼마 동안 동행했는데, 그 처녀의 심정을 18의 시구로 표현한 것이라고 한다.
그런데 부손이 누구에게로 보내려고 했는지 알지 못하는 편지에는 이 작품에 대하여 ‘오오사카에서 친정까지 가는 길을 [사랑하는 남녀의 여행] 형식으로 만들어낸 한 편의 연극이고, 흥행주는 야반정-부손(夜半亭-蕪村). 우스깡스러운 이야기처럼 들릴지도 모르지만, 옛날을 그리워하는 나의 신음 소리의 시다’ 고 쓰여 있다. 때로는 한시도 섞어가며 만든 이 작품은 시로서의 실험이자, 어미를 그리는 작품이었다.
춘추의 친정 나들이는, 옛날에 정초와 우란분 때 16일정도 고용인들이 어머니를 만나러 집에 돌아가는 귀한 휴가였다. 부손은 어린 시절에 어미와 사별했다. 그런데 그 어미가 어떤 사람이었는지는 잘 알려져 있지 않다. 여러 설 중에는 오오사카의 유력자 아이를 밴 고용인이었다는 아야기도 있다. 친정 나들이건 집에서 기다리는 어미건 모두가 화려하기 짝이 없는 부손의 시세계의 원점이었다는 것이다. 부손과 마찬가지로 사별한 어미를 그리워하는 작가로서 이즈미 교오카가 있다. 살았던 시대도 작품의 질도 다르지만, 화려하다는 점에서는 두 사람은 서로 조금도 뒤지지 않는다.

어미 그립다 벗꽃이 피는 저녁 봉우리엔 소나무 泉鏡花

(注)야반정(夜半亭)은 부손(蕪村)의 호.

「蕪村春秋」
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by nishinayuu | 2013-04-28 11:19 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『蕪村へのタイムトンネル』(司修著、朝日新聞出版)


c0077412_10534278.jpg萩原朔太郎の『郷愁の詩人與謝蕪村』をはじめとする数多の蕪村研究書を駆使して「蕪村」に新たな光を当てるとともに、タイムトンネルの向こうにあった「ぼく」の青春時代を蘇らせた大作。菊判(多分)で470ページあり、ほとんどすべてのページにエピグラフのように俳句が掲げられている(1ページは業平の短歌、2ページは俳句も短歌もなし)。すなわち全部で467の俳句が並んでおり、そのうち457が蕪村の作品である。重複して掲載されている句もあるのでそれらを除くと、ほぼ450の蕪村の句が目に入る仕組みになっており、なかなか魅力的な構成ではある。ただし、各ページの内容と、そのページに掲げられている俳句の繋がりがすんなり理解できないものもある(繋がりがわかるかどうかが読み手の俳句理解度を測るバロメーターなのかもしれない……あなおそろし)。
1953(昭和28)年、「ぼく」が17歳の終わりごろだった。町にはいつどこから流れてきたのかわからない雹川(あられがわ)拓也という35、6歳の漫画家がいた。
「漫画家は故郷喪失者で、女にほれっぽくて、振られるために惚れる無駄骨折りが好きで、二重人格で、酒が入らなければ借りてきたねこみたいで、泥水度が上がりきってしまうと、別人になって、狂うけれど暴力は振るわず、日の当たるうちは外に出ず、暗くなると町を徘徊する、もう、どうしようもない屑男だったが、自由人だった。ぼくはその人に惹かれた。(中略)そして、ゲームのようにして彼から與謝蕪村の話を聞いたのだった。(中略)その頃のぼくは、蕪村という俳人のおもしろさも何も感じていなかったし、その場が楽しければそれでよかった。そよ風のように過ぎ去った雹川との時間が、六十を過ぎてから、ぼくの耳の奥で、枯れ草が風に吹かれるような音として聞こえてきたのだった。」
雹川の周りにはいろいろな連中が集まっていた。絵描きになる日を夢みながら映画の看板を描いていた「ぼく」、同じく看板描きをしていたツルオ、映画館のもぎりをしながら漫画を書いていた両腕のない葉菜さん、同じくもぎりの露子、チケット売り場の岩根はるさんなど、漫画や映画でつながっていた人たち。それから飲み屋にはママのセッチャン、食堂には楓さんと風ちゃん姉妹がいて、つけで飲み食いさせてくれた。風体は異なるがスナフキンのような雹川と、その雹川が信奉する蕪村に誰も彼もが巻き込まれて暮らしていた。(2012.3.12読了)
☆著者は、「蕪村に関して、朔太郎の『郷愁の詩人與謝蕪村』、小西愛之助氏、正統派の研究者尾形仂氏の考えを多く借りた」と言っています。朔太郎の本は高校の授業で紹介されて以来何度も、尾形仂の『蕪村の世界』はかなり前に一度だけ読みましたが、どちらもぜひ読み返さなくては、と思っています。
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by nishinayuu | 2012-04-28 10:53 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『俳句脳』(茂木健一郎・黛まどか著、角川書店)


c0077412_10123497.jpg俳句と黛まどかに興味があって読んでみた。
第一部「俳句脳の可能性」で茂木健一郎は、研究のキーワードである「クオリア(感覚の持つ質感)」の説明から始める。続いて俳句こそは「クオリアの言語化」であると説き、感情の宇宙遊泳が日常にいながらにしてできるように、脳を「俳句脳」にすることを勧める。
「俳句脳対談」という副題のついている第二部「ひらめきと美意識」は、脳科学者のやや固い話を俳人が的確でやわらかなことばで受けながら、「はまる」メカニズムや俳句革新の歴史、日本人の美意識、俳句は第二芸術か、名句の条件、などなどについて語り合っている。特に印象的だった部分をあげると――1.西欧の巡礼道は神に向かって歩直線的に歩く道だが、その直線的な道を日本の巡礼者は、まるで熊野や四国を巡礼するようにあちこち寄り道をしながら巡り歩く、という話。2.桑原武雄の「第二芸術論」に対して虚子が「ほう、俳句も芸術になりましたか」と言った、という話。3.「朝顔に釣瓶とられて貰ひ水」には千代女の手で描かれた「朝顔や釣瓶とられて貰ひ水」という、あとで推敲したと思われる句がある。「朝顔や」と「切れ」を入れることによって目の前の朝顔ではない別の普遍的な朝顔がイメージされる、という話。4.「降る雪や明治は遠くなりにけり」は「明治」でなければならない。「明治」という語が動かないことが俳句では重要だ、という話などである。
第三部は言ってみれば俳句入門講座である。ここで黛まどかは季語の役割、雅語の効用を述べ、「俳句の畑を耕す」こと、「俳句の目」を持つことの大切さを説く。そして俳句には「定型」「季語」「切れ」という三つの縛りがあって、この「制約があってこそむしろ思いきり跳躍できるのです。言葉は、型があるから羽ばたくのです」という。また、「俳句の国際化」の項では、世界の国々に「HAIKU」愛好者が増えているのを喜びつつ、俳句の定義が国、個人によってまちまちなのを嘆く。これに関しては「俳句」が単なる一行詩ではないことを明らかにするために、世界共通のルールを作るべきで、季節のない国の存在や、原語による音節やリズムの違いを考慮して、「切れ」をどこかに入れるというのはどうか、と提言しているのが興味深い。(2011.6.1読了)
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by nishinayuu | 2011-09-05 10:12 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)