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『The Oversight』(H.H.Munro, Doubleday & Company.Inc.)

c0077412_13331815.jpgThe Complete Worksof Sakiに収録されている1編でタイトルの意味は「見落とし」あるいは「手抜かり」といったところ。1923年の作品。



ホームパーティーに招く客の人選を任されたレディ・プラウシュ。名前を書いたメモ用紙をあれこれ組み合わせながらレナ・ラドゥルフォードに言う。「まるで中国のパズルだわ。」(あるポーランド人がフィンランド語を「ヨーロッパの中国語」と言っていたのを思い出しました。「ちんぷんかんぷん」ということですね。)夫のサー・リチャードからは、執筆に集中したいのでとにかく和やかなパーティーにして欲しい、と言われている。過去のパーティーではいろいろなトラブルがあった。前の年は女性参政権運動の問題で、さらにその前年はクローヴィス・サングレイルがクリスチャン・サイエンスの祭司的立場の女性にいたずらを仕掛けたせいで、パーティーは大荒れになり、サー・リチャードの書いたものは批評家たちに酷評される羽目になった。

そんな過去の悪夢を繰り返さないようにとレディ・プラウシュが悩んでいるのは、アトキンスンとマーカス・ポパムのふたりだ。彼らはどちらも穏健なリベラルで福音派であり、女性参政権にはどちらかというと反対で、ファルコナー・レポートとダービーのクラガヌールに関する判定は支持している。そこまでは問題なしなのだが、唯一わからないのが彼らの「動物の生体解剖」に対する考えだ。それを聞いたレナ・ラドゥルフォードが、簡単に「賛成・反対」で答えられるアンケートを葉書で送ったらどうか、と提案する。さっそく葉書が送られ、返信が届いて、二人とも「生体解剖」には反対だということがわかり、レディ・プラウシュは用意してあった招待状を二人に送った。ところがアトキンスンとポパムがハイエナよりも凄まじい格闘をはじめて、パーティーはぶちこわしになってしまった。人物調査に大きな見落としがあったせいだった。

本作もサキ独特の雰囲気が楽しく読める作品である。当時の社会の出来事や人々の関心事が盛り込まれていて、とてもお勉強になる作品でもある。作中に取り上げられている主な出来事・事件を記しておく。

*婦人参政権運動――大きな社会運動となってアメリカにも波及した。

*トルキスタンの土地保有権問題

*ファルコナー・レポート――1911年。予算決定における下院優先の原則を打ち立て、累進課税に対する上院の抵抗を排除。

*クラガノール――1913年のエプソムダービーで先頭でゴールしたが、進路妨害で失格となった。このレースでは婦人参政権論者がレース中の馬群に突進して転倒し、4日後に死亡するという事故もあった。

*バルカン戦争――イギリス世論もギリシャ派とブルガリア派に分かれた。

2017.9.1読了)


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by nishinayuu | 2017-11-04 13:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『間取りと妄想』(大竹昭子、亜紀書房)


c0077412_09275223.jpg本を読みながら、作中人物が町を歩いている描写があれば街の地図を、作中人物が家の中を動き回る描写があれば家の間取り図を頭の中に描くのはだれでもやることだろう。私の場合、本に出てくるのが実在する場所であれば、地図を広げながら読むことも多い。そして間取りは、書中の文言を頼りに自分で描いてみるのだが、これがなかなかうまくいかない。家全体の形、方位、広さ、部屋と部屋の位置関係を示す文言が不十分なことが多いからだ。それで読み始めに書いた間取り図が、そのあとの描写とは合わなくなって書き直すこともあるし、何度書き直しても納得のいく間取り図が完成しないことも少なくない。そんな「未完成の間取り図」に悩む者にとって、本書の出現は衝撃的だった(大げさな!)。

本書は13の作品を収録した短編集である。そしてすべての作品に間取り図がついている。というより、まず間取り図があって、本文はその間取り図から妄想したもの、という形になっているのだ。間取りはいずれもユニークで、そこから妄想された話も各自各様に風変わり。各作品の冒頭に間取り図が提示されているのはもちろんだが、すべての間取り図が別刷りで添付されている(大きさと紙の厚さがイマイチではあるけれど)。そうした作り手側の遊び心と仕掛けを素直に受け入れて楽しむのがこの本の正しい読み方であろう。

特に印象に残った作品は次の6――船の舳先にいるような/ふたごの家/どちらのドアが先?/浴室と柿の木/家の中に町がある/カメラのように

その他の収録作品――隣人/四角い窓はない/仕込み部屋/カウンターは偉大/巻貝/月を吸う/夢に見ました

*メモ1――「ふたごの家」に「身体のサイズが同じなのをいいことに服はおもやいにするし」という文があり、「おもやい」?と思って調べてみました。長崎、博多などで使われる言葉で、意味は「いっしょに使う/共有する/share」だとか。動詞の「もやう」(古語では「もやふ」)の名詞形「もやい」に美化語の「お」がついたものだそうです。初めて知った今知った。

*メモ2――「巻貝」に「作業がひと段落したときに」という文があります。これは明らかに「いちだんらく」のまちがいですね。でも最近は誤読のほうが幅をきかせているので、そのうち「いちだんらく」と言ったり書いたりしたら笑われることになるかもしれません。

2017.8.18読了)


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by nishinayuu | 2017-10-23 09:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『あの素晴らしき七年』(エトガル・ケレット、訳=秋元孝文、新潮クレストブックス)

c0077412_10110148.jpg The SevenGood Years』(Etgar Keret2015

本書は息子レヴの誕生から父親の死までの7年間の出来事を描いたノンフィクション作品で、36篇のエッセイで構成されている。本書を読めば、パレスチナの人々の土地を奪って建国されたイスラエルという国で、人々がなにを思い、どのように日々を送っているのかが、少しはわかるかもしれない。印象的なエピソード満載なので抜粋は難しいが、ほんの一部をあげてみると――

*ミサイルが一斉発射されたとき、ぼくらはもう一度、日々民間人を攻撃せざるを得ない占領国ではなく、自分たちのために闘う、敵国に囲まれた小さな国となれたのだ。だからぼくらがみんなひそかにちょっとだけホッとしたとしても不思議ではないだろう?(1年目「戦時下のぼくら」)

*過去数年にわたってぼくは多くの祝日をイスラエル国外で過ごしてきた。空軍の戦闘機が頭上をデモンストレーションして飛ぶのを見て独立記念日を過ごしたりせずに済むのには、いくらかホッとするところがあったのは認めざるを得ない。でも、ヨム・キプール(大贖罪日)のときだけは全力でイスラエル国内にいようとしてきた。テルアビブの大通りで小鳥の声が聞こえるのはヨム・キプールのときだけだ。明日はもうヨム・キプールではないと知った息子が泣き出した。それは正しい反応だ。(3年目「スウィート・ドリーム」)

*七つ年上の兄さんがいて、ぼくはいつも大きくなったら兄さんのようになりたいと思っていた。兄さんは12歳のとき神様を見つけてユダヤ教の寄宿学校に入り、15歳のとき宗教を捨てて大学で数学とコンピュータサイエンスを勉強し、21歳のとき兵士になったが「イスラエル国防軍兵士にふさわしくない行為」のために投獄され、数年後にはハイテク企業を辞職して「急進的な」活動に従事し、この5年は奥さんとタイに住んで世界をちょっとだけよい場所にするための国際組織を運営している。ぼくの乗ったゾウの前を自分でゾウを操りながら進む兄さんを見て、大きくなったら兄さんのようになりたいという子ども時代の感覚が戻ってきた。(3年目「英雄崇拝」)

*ここ10年ほど毎年ポーランドを訪問してきた。ぼくの一族のほとんどがそこで恐ろしい状況の中で死んでいったのだけれど、彼らが暮らし、数世代にわたって栄えたのもポーランドであり、この地とそこに住む人々にひきつけられるぼくの気持ちはほとんど神秘的でさえあった。(5年目「想像の中の故国」)

*19年前、ブネイ・ブラクの小さな結婚式場でぼくの姉は死んだ。今ではエルサレムでも最も正統派ユダヤ色の濃い地域に住んでいる。(4年目「亡き姉」)

*文学イベントでクロアチアのザグレブに行った時、地元のカフェのウエイターから聞いた話。「戦争中、それぞれの言語では他意のない言葉の選択も、険悪な政治的含意があるように受け取られかねなかった。コーヒーをさす言葉はクロアチア語、ボスニア後、セルビア語でそれぞれ異なっていたため、客はみんなエスプレッソを注文し始めた。それなら中立なイタリアの言葉だから。そして一夜にしてここではコーヒーではなくエスプレッソのみを出すようになった。」(6年目「お泊まり」)

*ワルシャワのとある通りにぼくらの家が建てられた。その細い家に母さんより歳をとった女性がやって来てジャムをくれた。昔この近くにユダヤ人の友達がふたりいて、その子たちがゲットーに移る前に、おばあさんの母親が作ってくれたジャムサンドをあげたという。細い家のキッチンでジャムをつけたパンを食べた。(7年目「ジャム」)

「イスラエルのユダヤ人」だからこそのエピソードに出会えるのはもちろんだが、どこの国のどんな人でも共感できそうなエピソードも多い。また、全編にユーモアとペーソスがあふれていて充実した読書が楽しめる。なお作者ケレットは、村上春樹が「壁と卵」のスピーチをした2009年エルサレム賞の審査員の一人だという。(2017.7.27読了)


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by nishinayuu | 2017-10-07 10:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『赤毛のアン』(モンゴメリ、訳=村岡花子、新潮社)

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Anne of Green Gables』(Lucy Maud Montgomery,1908

『赤毛のアン』シリーズの第1巻目「グリーンゲイブルズのアン」である本書を改めて読み直してみたのは、ある人から次のような疑問をぶつけられたからだった。

5章でアンが自分の身の上を語りながら「トマスの小母さんはあたしを牛乳で育ててくれましたの。あのねえ、あたしにはわからないんですけれど牛乳で育った子はおかあさんのお乳で育つのよりよくなるわけなんでしょうか?あたしがいたずらをするたんびに、小母さんは牛乳で育てたのにどうしてそんな悪さをするのかって叱りましたよ」と言っているが、当時は母乳でなく牛乳で育てることが奨励されていたのだろうか。

そこで、グーテンベルク・プロジェクトで原文に当たってみたところ、この部分は次のようになっている。

Shebrought me by hand. Do you know if there is anything in being brought up byhand that ought to make people who are brought up that way better than otherpeople? Because whenever I was naughty Mrs. Thomas would ask me how I could besuch a bad girl when she had brought me up by hand---reproachful-like.

[bringup by hand]を辞書で調べてみると「母乳でなく人工乳で」と「手ずから、手塩にかけて」という二つの意味が出ている。村岡花子さんは前者の意味にとって訳したため、人工乳育児と母乳育児を比較するような、かなり大胆な意訳になったのではないだろうか。ここは後者の意味にとって、[other people]も「それほど大切に育てられていない子たち」くらいにしておいたほうがいいように思われる。当時のカナダで人工乳育児と母乳育児の善し悪しが問題になっていたのだとしたら話は別であるが。

上記の部分を除けば、本書の文は驚くほど滑らかで読みやすい。古くさい表現(ほしがっていなさる、連れて行ってくだすった、あなたがきあわせなすって)があったり、今では普通に使われるゼラニウムが「あおい」となっていたり、とちょっと気になる点がないわけではないが、インターネットもない時代にこれだけの翻訳をやってのけた訳者の力量にあらためて感銘を受けた。

シリーズの中ではやはりこの最初の巻が断然面白い。アンがどんどん変化し、成長していくのにつれて、アンに振り回されるマリラもどんどん変化し、成長(?)していくところがいいし、そのふたりの変化を満足げに見守っているマシュウはほとんど変化しないところもいい。(2017.6.2読了)


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by nishinayuu | 2017-09-05 09:34 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『猫は川辺で首をかしげる』(リリアン・J・ブラウン、訳=羽田詩津子、早川文庫)


c0077412_10551812.jpg『The Cat Who Went up the Creek』(Lilian Braun、2002)
もと新聞記者で今は地方新聞のコラムニストであるクィラランが、持ち前の推理力で事件を解決するシリーズの24冊目。クィラランが飼っている雄のシャム猫のココは、あたかもクィラランの推理を助けるような行動を示すので「助手」ということになっている。一方、雌猫のヤムヤムはふつうに猫らしいふるまいをみせるだけなので、助手とは見なされていない。
本作の舞台もいつも通り「どこからも400マイル北」にあるムース郡。物語はクィラランが「蚊週間」をテーマに千語の文章を書いているところから始まる。ムース郡では毎年6月半ばになると「若く熱意に溢れた蚊の大群が、森の湿地から一斉に飛び立って、郡じゅうに散開し、観光客に攻撃を開始」するのだ。最後のページをタイプライターから取り出したとき、ココがうなり声を発する。「もうすぐ電話が鳴る」という合図だった。
電話は「クルミ割りの宿」のローリ・バンバからだった。「クルミ割りの宿」は、クリンゲンショーエンの莫大な遺産を相続したクィラランがそれを地域社会に役立てようと設立したK基金が、古いリンバーガー屋敷を買い取って田舎宿として改装したものだ。そしてクィラランの推薦で若いニックとローリのバンバ夫妻が経営者となったのだが、そのローリが「クルミ割りの宿」の建物を黒雲が覆っている気がする、と訴えるのだった。そこでクィラランは宿に数日滞在して、悪意のある霊気が感じられるかどうか確認しよう、と申し出る。こうしてクィラランは夏の間、殺人2件、自殺1件、心臓発作1件との遭遇とそれらの解明に明け暮れることになる。

[ちょっと目に留まった文]
*クィラランは路肩に車を停めて、何本か電話をした。ムース郡は州内で最初に、運転中の携帯電話の使用を禁じたのだ。(原稿はタイプライターで書いているクィラランも、携帯はふつうに使っているのでした。)
*(本の交換会でクィラランはオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を借りることにしたクィラランの言葉)「いちばん好きな作家はトロロープなんだが。」(因みに週末の恋人ポリーはワーズワースが好き。)
*(チェノウェスという名前を聞いて)「ウェールズの名前のようですね」クィラランは苗字の由来を知っていることが自慢だった。「(その人は)歌が得意ですか?こういうことわざをご存じでしょう。どんなウェールズ人も歌を歌う。どんなスコットランド人も倹約家だ。どんなイギリス人も不屈の精神の持ち主だ。そして、どんなアイルランド人も戯曲を書く。」

(2016.12.8読了)
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by nishinayuu | 2017-02-05 10:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『べつの言葉で』(ジュンパ・ラヒリ、訳=仲嶋浩郎、新潮クレストブックス)

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『In Altre Parole』(Jhumpa Lahiri、2015)
アメリカの作家として『停電の夜に』『その名にちなんで』などで知られる著者が、初めてイタリア語で書いた作品集。21編のエッセイと2編の短編小説で構成されている。


冒頭のエッセイ『横断』で著者は、自身のイタリア語との関係を湖での泳ぎの練習にたとえて語っている。すなわち、20年の間、湖の岸辺に沿って泳ぐような感じでイタリア語を学んできた著者は、イタリア語をよく知り、どっぷり浸かるために、湖の岸を離れて向こう岸へ渡らなければならないと考え、湖の向こう岸よりずっと遠く、大西洋を越えてイタリアへ渡った。イタリアで暮らすために。
『横断』に続く各編には著者がイタリア語に習熟していく過程が綴られている。著者が手こずっているイタリア語がアルファベットとカタカナのルビで表記されている部分も随所にあって、決して読みやすいとはいえないが、たまに類推できる単語もあるので楽しく読める。たとえば、「英語に同義語のない美しい単語」の一つとしてformicolare(うようよ群がる)が挙げられているが、エスペラントで蟻のことをformikoというので、「蟻のように群れる」ということだろう。
カルカッタ(現コルカタ)で生まれ、幼くして両親と共にアメリカに渡った著者は、家ではベンガル語、外では英語という複雑な言語環境の中で生きてきた。イタリア語を習得することは著者にとって、ベンガル語と英語の対立という関係を崩し、三角形の関係にすることだった。これについて著者は次のように言う。
「図を描くとしたら、英語の辺はペン、他の二辺は鉛筆で描くだろう。英語は底辺、いちばん安定して動かない辺だ。ベンガル語とイタリア語はどちらももっと弱く、あいまいだ。(中略)ベンガル語は私の過去、イタリア語は将来の新しい細道で会って欲しい。最初の言語は私の原点、最後のはゴールだ。」
ローマで1年暮らしたあと、1ヶ月だけアメリカに帰った著者は、英語との乖離も感じるようになる。それを通じて読んだり書いたりすることを学んだ言語が、自分を慰めてくれないことに心がかき乱され、動揺するのだ。「自分が決定的な言語もなく、原点もなく、明確な輪郭もない作家だとこれほどまでに感じたことはない」、あるいは「ある特定の場所に属していない者は実はどこにも帰ることができない。亡命と帰還という概念は、当然その原点となる祖国を必要とする。祖国も真の母国語も持たない私は、世界を、そして机の上をさまよっている。(中略)私は亡命という定義からも遠ざけられている」ということばが心に残る。
英語圏の作家として揺るぎない地位を獲得しているように見える著者が、自分の立つ足場を不安定なものと感じているとは。祖国を離れた人、祖国を失った人は大勢いるが、これほどの作家がその心情を率直に吐露していることに衝撃的を受けると同時に、大いに好感も覚える。不安定さを克服するために新しい言語の世界に飛び込むという発想と言語習得にかける情熱は、やはりただ者ではないというしかない。(2016.11.8読了)
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by nishinayuu | 2017-01-04 10:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ミステリアス・ディナー』(デイヴィド・グレゴリー、訳=西田美緒子、ランダムハウス講談社)

c0077412_10431168.jpg『The Dinner with a Perfect Stranger』(David Gregory)
本書は10の章で構成されており、第1章は「招待状」となっている。「ナザレのイエスとの夕食会にご招待いたします/場所 レストランミラノ/日時 三月二十四日火曜日午後八時より」という文面の招待状の宛先は、オハイオ州シンシナティのブルーイット環境試験所の戦略企画部長ニック・コミンスキー。というわけで本書の語り手のニックは、半信半疑ながらイエスとのディナーに出向く。そして第2章以降は「テーブルへ」「メニュー」「前菜」「サラダ」「メインディッシュ」「デザート」「コーヒー」「支払い」という具合に続いて第10章「帰宅」で終わる。ニックがイエスと差し向かいでディナーを楽しみながら語り合うという設定なのだが、ニックは小学生のように素直だし、イエスは優しい牧師さんのよう。ニックの肩書きには特に意味はなさそうだし、イエスにもミステリアスなところはみじんもなく、ストーリーにも何の捻りもない。タイトルと設定に凝った「キリスト教入門書」というところか。

別れ際にイエスが連絡先としてニックに教えたのは「黙示録三・22」。これを日本語、英語、韓国語、エスペラントで記しておく。

耳のあるものは御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
He who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches.
귀 있는 자는 성령이 교회들에게 하시는 말씀을 들을찌어다.
Kiu havas orelon, tiu aŭskultu, kion la Spirito diras al la eklezioj.
(2016.7.19読了)
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by nishinayuu | 2016-09-18 10:43 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「序詩」 尹東柱

c0077412_122678.jpg『나의 문화유산답사기-일본편4 교토의 명소』(2016年8月1日の読書ノート)の末尾で言及した尹東柱の『序詩』と二つの日本語訳を紹介します。
画像は同志社大今出川キャンパスにある詩碑(上)と尹東柱の肖像(下)です。

죽는 날까지 하늘을 우러러
한 점 부끄럼이 없기를,
잎새에 이는 바람에도
나는 괴로워했다.
별을 노래하는 마음으로
모든 죽어가는 것을 사랑해야지
그리고 나한테 주어진 길을
걸어가야겠다.

오늘 밤에도 별이 바람에 스치운다.

日本語訳1(詩碑にある伊吹郷の訳)
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今宵も星が風に吹き晒される。

日本語訳2(上野潤の訳)
息絶える日まで天(そら)を仰ぎ/一点の恥無きことを、/木の葉にそよぐ風にも/わたしは心痛めた。/星を詠うこころで/全ての死に行くものを愛さねば/そして私に与えられた道を/歩み行かねばならない。/今夜も星が風に擦れている。

上野訳(1941.11.20)と伊吹訳には、1行目の「天」/「空」、2行目の「恥」/「恥辱」、6行目の「すべての死に行くもの」/「生きとし生けるもの」などの相違点がある。上野訳はキリスト者であった作者と多くの韓国人の心情に合致する訳であり、伊吹訳はかなり日本人的な訳であるといえる。このため伊吹訳は朝鮮日報(1995.10.31,チョ・ヒョンギュン記)で糾弾されたりしている。c0077412_1225833.jpg「これに対して荒川洋治は「韓国人とチョ氏の言葉に寄せる悲痛な情熱には敬服するが、それを押し通すと尹東柱はあなたがただけがわかるもの、あなたがただけのものになってしまう」と述べ、伊吹訳をより普遍性を持つ訳としているという。nishinaとしては荒川洋治の言葉に共感を覚えるが、上野訳の持つ意味もしっかり受けとめたいという思いから二つの訳詩をともに紹介しておく。
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by nishinayuu | 2016-09-14 12:08 | 覚え書き | Trackback | Comments(2)

「時の娘」(ジョセフィン・テイ、訳=小泉喜美子、早川書房)


c0077412_22225921.png『The Daughter of Time』(Josephine Tey, 1951)
本書の主人公はロンドン警視庁のグラント警部。足の怪我で入院中に、ふと目にした写真の男を刑事の目で眺めながら、この男が座る席は被告席ではなく判事席である、と推理した。ところが写真を裏返してみると、その男はリチャード三世だったのだ。警視庁内で「犯人を顔で見分けられる」という評判をとっているグラントには悔しいミスだった。しかしここでグラントの胸に、もしかしたら自分の推理の方が真実を言い当てているのではないかと、という思いが沸き上がる。こうしてグラント刑事によるリチャード三世の人物像の解明が始まる。彼がひそかに名付けた「ちびすけ」と「アマゾン」という二人の看護婦、女優のマータ・ハラード、アメリカ人の青年キャラダイン、ロンドン警視庁の部長刑事ウィリアムスなど周囲の人々を巻き込みながら、膨大な歴史資料を基に現代の捜査の手法によって調べを進めたグラントが得た結論は次のようなものだった。

c0077412_22232068.jpg*イングランドの王・リチャード三世は、王位継承権を持つ甥をロンドン塔で殺害することによって王位を簒奪した人物で、その精神も歪んでいれば肉体も歪んだ醜い男だった、という世に流布する人物像は、ヨーク家のリチャード三世から王位を奪ったチューダー家側の人間が作り上げたイメージであって、実際のリチャード三世は誠実で慈悲深い王であったし、甥の殺害云々もでっち上げである。
*リチャード極悪人説を世間に流布させた張本人はチューダー朝のヘンリー七世時代にカンタベリー大僧正となったジョン・モートンと、モートンの説をそのまま取り込んだヘンリー八世の大法官であったトマス・モアだった。

以上が本書の結論で、リチャード三世極悪人説を覆す驚くべき内容なのだが、実はこのような内容の書物は過去にいくつも出ているという。それなのに「肉体も精神も歪んだ極悪非道な人物」というリチャード三世のイメージは一向に崩れることなく今に及んでいる。実はnishinaもずっとそう思っていたのだが、それはなんといってもシェイクスピアの戯曲『リチャード三世』の強烈なイメージのせいではないだろうか。シェイクスピアのリチャード三世はその徹底した悪人ぶりがかえって人々を魅了するのだ。シェイクスピアがチューダー朝の劇作家だったことを思うと、そういう描き方をしたのは当然のことだったとも言える。その分、当時の思想界をリードしていたトマス・モアの罪は深い、と改めて思う。
ところで、タイトルの『時の娘』は、「ある詩人の言葉」としてローマの文法家Aulus Gelliusが記録したラテン語
Veritatem temporis filiam esse dixit (真実は時の娘なり、と彼は言った)
からとったもので、「権力者は真実を一時は隠すことができるが、真実は時がたてば明らかになる」といった意味である。(2015.10.12読了)

☆2番目の挿入画像はミレー作『ロンドン塔幽閉の王子』です。
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by nishinayuu | 2016-02-03 22:26 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『音楽と文学の対位法』(青柳いづみこ、みすず書房)

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本書はピアニストであり文筆家でもある著者によるエッセイ集で、以下の六つの章からなる。


第1章モーツアルト――カメレオンの音楽
第2章シューマンとホフマンの「クライスレリアーナ」
第3章ショパンとハイネ
第4章ワーグナーと倒錯のエロス
第5章ラヴェルとレーモン・ルーセル
第6章ランボーの手、ドビュッシーの手
この著者の『ピアニストは指先で考える』は、専門的すぎて理解の届かない部分も多かったが、それでも非常に興味深く、楽しい読書体験ができた。それで、図書館でこの本を見つけた時、「♫あの-すばらしい感動を-もう一度♫」と思って手に取った。ところが本書はさらに専門性が高く、音楽と文学に関する膨大な情報に圧倒されるばかりで、とても歯が立たなかった。ヴァイオリニストのクライスラーなら知っているが、ホフマンのクライスラー楽長は読んだこともないし、シュールレアリストたちが高く評価したというレーモン・ルーセルも知らない、というレベルでは理解できるはずもない。そういうわけで「読了」したとは言えない状態だが、おもしろいと思える箇所は数え切れないほどたくさんあった。多すぎて書き切れないので、ほんの少しだけ抜き書きしておく。

*ショパンはまわりの文人たちにこよなく愛された。シューマンもリストもメンデルスゾーンも、同世代の作曲家たちはことごとくショパンの作品や演奏を賛美した。しかし、ショパンは極端に気むずかしく、彼らについての評価は留保するか故意の言い落としで巧みにカモフラージュした。
*貴族性と大衆性の奇妙なまざりあい、民衆という者へのアンビヴァレントな感情がハイネとショパンを近づけたのではないかと思うことがある。
*『ワーグナーとはなにか』の著者ブライアン・マギーによれば、ワーグナーの作品は、とりわけ「感情的に孤立ないし抑圧された人」の想像力を強く刺激する。ニーチェ、コルク張りの部屋で一人で暮らしたプルースト、西欧世界に背を向けてアフリカで生きたシュヴァイツァー、性欲が乏しく、概念を通してしか人と関わることのできなかったバーナード・ショー。このリストに、実姉と近親相関関係にあったといわれるビアズリー、冷感症崇拝のボードレール、同性愛的傾向を隠したトーマス・マン、ロリコンのバーン・ジョーンズやマザコンのファンタン=ラトゥール、マゾヒストのスウィンバーン、他ならぬルードヴィヒ二世などを加えると、ある種の傾向が見えてくるだろうか。
*ドビュッシーの書簡にはたった1通を除いてはランボーのラの字も出てこない。ヴェルレーヌの詩には多くの歌曲を作曲したものの、(中略)ランボーの詩に音楽をつけたこともない。このないないづくしが、かえって意識している証拠ではないかと、うがった見方もしてみたくなる。
*「音楽は、どんなに恐ろしい場面でも、決して耳を汚さず、やはり楽しませてくれるもの、つまり、いつでも音楽であり続けなければなりません」というモーツァルトの言葉は、「音楽は謙虚に人を楽しませることに努めるべきです」と書いたドビュッシーの言葉と恐ろしいほど似ていて、思わず身体がふるえるほどである。(そして、ドビュッシーの不協和音にあふれる即興演奏に憤慨した同級生に対してドビュッシーは次のように答える。)「今日の不協和音は、明日の協和音ですよ!」つまり、当時の耳が不協和音と感じたものが、ドビュッシーにとっては「喜び」だったということになる。
*(ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を絶賛したドビュッシーは、「春の祭典」にはきわめて獰猛だという感想を述べ)のちにアンセルメに本音をもらしている。「ストラヴィンスキーは音楽的ではない方法で音楽を作ろうとしているように思われる。それは、ドイツ人たちが今やおがくずでビフテキを作ることができると表明したのと同じようなものだ」――ロックスパイザー『ドビュッシーの生涯と思想』より。
(2015.8.31読了)
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by nishinayuu | 2015-12-21 10:04 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)