『내가 본 가장 아름다운 결혼식』(박완서)


c0077412_9572755.jpg『私が見たいちばんすてきな結婚式』(朴婉緒)
韓国語講座テキスト。短編集『黄色い家』に収録されている作品で、女学校の同窓生の息子が挙げた結婚式の様子を描いたエッセイである。その結婚式は新郎自身が企画・演出したもので、著者をして「私が見たいちばんすてきな結婚式」と言わせている。

はじめに著者は、同窓生の間で「息子を上手に育てた」と評判になった人がいる、と話を始める。彼女には息子が二人いるのだが、二人とも中学から大学までとんとん拍子に「名門」に進学し、大学を出たあとは兵役も無事に務め、長男はアメリカへ、次男はヨーロッパへと留学した、という話が続き、著者はしきりにこの同窓生を羨ましがる。
そのあとの展開は――長男がまずドクターの学位を取り、アメリカの優秀な大学でポスドクをしていたが、韓国の優秀な大学に就職できることになって帰国した、という噂を聞く。それから1年もしないうちに結婚式の招待状が舞い込む。その前に結婚相手が名門のお嬢さんだという噂が入っていたので、結婚式もさぞ豪勢なところで挙げるのだろうと思っていたら、会場は郊外の個人住宅で、送迎バスを手配するのでそれでおいで下さい、ということだった。
そして結婚式の当日は――会場は新郎の親戚が所有する古家の広い庭で、特に豪華ということもなかったが、そこの景観が好きだという新郎の意を汲んで、新婦がそこを会場にすることを提案したという。近くに住むまたべつの親戚が「おいしいと評判の店」をやっていて、料理は任せろと言ってくれたという。そうしたみんなの目立たない心遣いのおかげで、結婚の宴は慎ましくも楽しいものとなった。
そしていよいよ宴の山場は――主禮(結婚式を司る人)は、地味な宴を少しは華やかにするために著名人に頼んであるだろうという予想に反して、長男の小学校時代の担任の先生だった。主禮の経験があまりなさそうなその先生は、通常の式次第は無視して、新郎の子ども時代の腕白ぶりを楽しそうに話して会場を沸かせた。もちろん新郎が正義感のある素晴らしい子どもだったことを示す逸話もあれこれ披露した。そのあと新郎が先生をおんぶして会場を一回りしたとき、この美しい結婚の宴は最高潮に達したのだった。

以上、内容を要約してみたが、これが「いちばんすてきな結婚式」だろうか。作為的で気恥ずかしくて、いたたまれない、と思ってしまうのは私だけだろうか。特に、みんなが自分に好印象を持つような話をしてくれることが確実な小学校時代の先生を主禮として招いた新郎を、著者は「思慮深い/物事を深く考えて行動する」と好意的に見ている点がひっかかる。先生を背負って会場を一巡りしたこととあわせて、この新郎は自分を売り込むことしか頭にない、慎み深さとは無縁のお調子者のように思えてしかたがない。(もしかしたら本日はちょっとひねくれた意地悪な気分になっているかも知れません。朴婉緒さん、ごめんなさい。)(2016.12.12読了)
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# by nishinayuu | 2017-02-13 09:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『冬の夜ひとりの旅人が』(イタロ・カルヴィーノ、訳=脇功、白水Uブックス)

c0077412_9433656.jpg『Se una notte d’inverno un viaggiatore』(Italo Calvino, 1979)(画像はちくま文庫)
第1章は――あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている――という文で始まる。ここでは「あなた」は単に読者への呼びかけのように見えるが、やがて「あなた」がこの章の、そして全編を通じての主人公であることがわかってくる。多和田葉子の『容疑者の夜行列車』の主人公も「あなた」で、その読者の意表をつく呼称が衝撃的で新鮮だったが、本書の「あなた」にはあまり衝撃も受けずにすんなり入っていける。
より衝撃的で新鮮なのは中身の方で、『冬の夜ひとりの旅人が』は30ページほど読み進んだところで同じ話がまた繰り返されることに「あなた」は気づく。何のことはない、製本ミスの出来損ないの本だったのだ。そこで「あなた」が本屋に事情を説明しに行くと本屋は、カルヴィーノの本に別の作家の『マルボルクの村の外へ』が紛れ込んでしまったもので申し訳なかった、と言いながら出版社から届いた完全な本を取り出してくる。しかし「あなた」が読みたいのは『マルボルクの村の外へ』の続きなので、書棚にあった『マルボルクの村の外へ』をもらってくる。
ところがその本を読み始めた「あなた」は、それもまた製本ミスの出来損ないで、しかも内容も読みたかったものの続きではないことに気づく。それは『切り立つ崖から身を乗り出して』という作品で、それもまた途中までしか読めずに今度は『風も目眩も怖れずに』という作品を「あなた」は読むことになる。こんな具合に「あなた」は、最後まで読むことができない作品を、次から次へと読んでいくことになり、読者も「あなた」といっしょに10冊の本を追いかけていくことになる。しかもその間に「あなた」と女性読者(第7章でもう一人の「あなた」として登場する)との交流やら、どの話も中断されることになったいきさつやら、イタロ・カルヴィーノの分身のような作家の存在やらが盛り込まれている。なんとも巧みで洒落た作品である。
「あなた」がであった作品は以下の通り
1『冬の夜一人の旅人が』(イタロ・カルヴィーノ)/2『マルボルクの村の外へ』(タッツィオ・バザクバル、ポーランドの作家)/3『切り立つ崖から身を乗り出して』(ウッコ・アフティ、チンメリアの作家)/4『風も目眩も怖れずに』(ヴォルツ・ヴィリャンディ、チンブロの作家)/5.『影の立ちこめた下を覗けば』(ベルトラン・ヴァンデルヴェルデ、フランス語)/6.『絡みあう線の網目に』(サイラス・フラナリー、アイルランドの推理小説家)/7.『もつれあう線の網目に』(サイラス・フラナリー)/8.『月光に輝く散り敷ける落ち葉の上に』(タカクミ・イコカ、日本人作家)/9.『うつろな穴のまわりに』(カリスト・バンデラ、アタグィタニアの作家)/10.『いかなる物語がそこに結末を迎えるか?』(アナトリー・アナトリン、イルカニアの作家)
(舞台も雰囲気もがらりと異なる10作品の中で特に続きが読みたいと思ったのは1.3.6.9の各作品でした。)

主人公の「あなた」以外の主要登場人物は以下の通り
ルドミッラ(女性読者の「あなた」。フラナリーの本は全部読んでいる)/ロターリア(ルドミッラの姉で大学教授。フラナリーについての論文を書いている)/エルメス・マラーナ(ルドミッラに本を通じて語りかける声に嫉妬し、自分もそういう声を持ちたくて模倣、偽作の文学に走った男)/ガヴェダーニャ(出版業者)/ウッツィ・トゥッツィ(チンメリア語の研究者)/ガッリガーニ(チンブロ語の研究者)
(2016.12.11読了)
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# by nishinayuu | 2017-02-09 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『猫は川辺で首をかしげる』(リリアン・J・ブラウン、訳=羽田詩津子、早川文庫)


c0077412_10551812.jpg『The Cat Who Went up the Creek』(Lilian Braun、2002)
もと新聞記者で今は地方新聞のコラムニストであるクィラランが、持ち前の推理力で事件を解決するシリーズの24冊目。クィラランが飼っている雄のシャム猫のココは、あたかもクィラランの推理を助けるような行動を示すので「助手」ということになっている。一方、雌猫のヤムヤムはふつうに猫らしいふるまいをみせるだけなので、助手とは見なされていない。
本作の舞台もいつも通り「どこからも400マイル北」にあるムース郡。物語はクィラランが「蚊週間」をテーマに千語の文章を書いているところから始まる。ムース郡では毎年6月半ばになると「若く熱意に溢れた蚊の大群が、森の湿地から一斉に飛び立って、郡じゅうに散開し、観光客に攻撃を開始」するのだ。最後のページをタイプライターから取り出したとき、ココがうなり声を発する。「もうすぐ電話が鳴る」という合図だった。
電話は「クルミ割りの宿」のローリ・バンバからだった。「クルミ割りの宿」は、クリンゲンショーエンの莫大な遺産を相続したクィラランがそれを地域社会に役立てようと設立したK基金が、古いリンバーガー屋敷を買い取って田舎宿として改装したものだ。そしてクィラランの推薦で若いニックとローリのバンバ夫妻が経営者となったのだが、そのローリが「クルミ割りの宿」の建物を黒雲が覆っている気がする、と訴えるのだった。そこでクィラランは宿に数日滞在して、悪意のある霊気が感じられるかどうか確認しよう、と申し出る。こうしてクィラランは夏の間、殺人2件、自殺1件、心臓発作1件との遭遇とそれらの解明に明け暮れることになる。

[ちょっと目に留まった文]
*クィラランは路肩に車を停めて、何本か電話をした。ムース郡は州内で最初に、運転中の携帯電話の使用を禁じたのだ。(原稿はタイプライターで書いているクィラランも、携帯はふつうに使っているのでした。)
*(本の交換会でクィラランはオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を借りることにしたクィラランの言葉)「いちばん好きな作家はトロロープなんだが。」(因みに週末の恋人ポリーはワーズワースが好き。)
*(チェノウェスという名前を聞いて)「ウェールズの名前のようですね」クィラランは苗字の由来を知っていることが自慢だった。「(その人は)歌が得意ですか?こういうことわざをご存じでしょう。どんなウェールズ人も歌を歌う。どんなスコットランド人も倹約家だ。どんなイギリス人も不屈の精神の持ち主だ。そして、どんなアイルランド人も戯曲を書く。」

(2016.12.8読了)
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# by nishinayuu | 2017-02-05 10:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

映画鑑賞ノート25 (2017.1.5作成)

c0077412_9572635.jpg2016年10月~12月に見た映画とドラマの記録
1(~2)行目:鑑賞した月/日 タイトル(原題)制作年・制作国 監督 
(2or3)行目以下:キャスト、一言メモ
☆画像は「赤い靴」

10/3 ある愛へと続く旅(Venuto al Mondo)2012 伊・西
   セルジオ・カステリット
   ペネロペ・クルス、エミール・ハーシュ、A・ハスコビッチ
   男たちの人間性が心に残る深くて美しい作品。
10/6 Burn Burn Burn 英 チャーニャ・バトン
   ローラ・カーマイケル、クロエ・ピリー、J・ファージング
   二人の女が死んだ男の遺灰を撒く旅に出る。Downton Abbey
   のいじけた次女(カーマイケル)が頑張っている。
10/8 レッスン(Take the Lead)2006米 リズ・フリードランダー
   アントニオ・バンデラス、ヤヤ・ダコスタ、ジェナ・ディーワン
   若いときは暑苦しかったバンデラスがいい感じに渋くなった。
10/13 夢と希望のベルリン生活 2015西 ナチョ・ベリーリャ
   ヨン・ゴンサレス、フリアン・ロペス、ブランカ・スアレス
   あこがれのベルリンへやって来た若者がボロボロの生活に転落。
   と思いきや見事に立ち直る。立ち直れたのはベルリンだから?
   それともスペイン人だから?
10/15 女たちとの会話(Conversations with Other Women)2005米
   ハンス・カノーザ
   アーロン・エッカート、ヘレナ・ボナム=カータ、E・アイデム
   最初から最後まで左右2分割画面にした意図は?効果は?
10/19 食客(식객)2007韓 チョン・ユンス
   キム・ガンウ、イム・ウォニ、イ・ハナ、アン・ギルガン
   若き天才料理人とそのライバルが料理対決をする。原作は漫画。
10/22 あなたを抱きしめるまで2013英 スティーヴン・クリアーズ
   ジュディ・デンチ、スティーヴ・クーガン、Bジェフォード
   原作はノンフィクション『The Lost Child of Philomena』
   修道院で産んだ子と引き裂かれた女性の息子を求める長い旅。
11/1 ブラッド・ワーク 2002米 クリント・イーストウッド
   クリント・イーストウッド
   犯人(サイコでした)との対決場面は例の「崖の外れ」。しかも
   応援は呼んでいない。原作はマイクル・コナリーのベストセラー。
11/18 猫の恩返し 2002日本(スタジオジブリ) 森田宏幸
   主人公が全くかわいくないのに何か意味が?と思ったが、ただ
   かわいくないだけだったのでした。
11/20 水曜日のエミリア 2009米 ドン・ルース
   ナタリー・ポートマン、スコット・コーエン、リサ・クドロー、
   美男美女の共演。因みにポートマンはハーバード卒の高学歴女優。
   コーエンはギルモア・ガールズで進学校の教師役(だからなに?)
11/22 忘れた恋の始め方 2009米 ブランドン・キャンプ
   アーロン・エッカート、Jアニストン、マーティン・シーン
   シーンと白いオウムはよかったけれど、話はイマイチでした。
11/24 ブルックリン(Brooklyn)2015愛英加 ジョン・クローリー
   シャーシャ・ローナン、エモリー・コーエン、Dグリーソン
   アイルランドからアメリカに渡った若い女性。明るい前途が見え
   始めたとき、急遽帰国することになって…。原作はこちら
11/24 キャロル(Carol)2015米 トッド・ヘインズ
   ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラー、サラ・ポールソン
   原作はパトリシア・ハイスミスの同名小説。ブランシェットの声
   の低さと体格の良さにびっくり。マーラはヘプバーンの再来。
11/26 団地 2015日本 阪本順治
   藤山直美、岸部一徳、大楠道代、石橋蓮司、斎藤工
   ファンタジーは嫌いじゃないけれど、この作品は前半と後半の
   トーンが違いすぎ。団地の人間喜劇に徹した方がよかったのでは?
11/26 ギルモア・ガールズ(A Year in Life)
   中年のローレライと薹がたったローリーだけれど、それでも
   やっぱり健気なガールズのふたりが愛しい。
11/29 深夜食堂 日本 山下淳弘
   (タンメン、アメリカンドッグ、トンテキの3作だけ見ました。)
   小林薫、佐藤B作、新井浩文、不破万作、小林麻子
12/9 言の葉の庭 日本 新海誠
   詞と曲=大江千里(チサトではなくセンリのほうですね)
   引用歌=雷神(ナルカミ)のすこし動(トヨ)みてさし曇り雨も
   零(フ)らぬか君を留めむ/雷神の少し動みて零らずとも吾は
   留らむ妹し留めば
12/22 赤い靴 1948英 マイケル・パウエル、Eプレスバーガー
   モイラ・シアラー、Aウォルブルック、レオニード。マシン
   レルモントフはディアギレフがモデルとか。バレエが圧巻。
   色彩も光と影の扱いも素晴らしい。ただし音楽は印象が希薄。
   シアラーの腿が昔見たときよりむちむちしているように見える。
12/24 Blue Jay 2016米 アレクサンドル・レーマン
   マーク・デュプラス、サラ・ポールソン
   白黒映画。若き日の恋人との再会によって蘇った愛と苦しみ。
   やや冗漫だが、後味は悪くない。
12/28 第三の男 1949英 キャロル・リード
   ジョセフ・コットン、オーソン・ウェルズ、アリダ・ヴァリ
   脚本=グレアム・グリーン。音楽=アントン・カラス
   四分割統治下のウイーンを舞台にしたフィルム・ノワール。
   見所いっぱいの作品で、何度見ても引き込まれる。
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# by nishinayuu | 2017-02-01 10:04 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(1)

『幸せに生きる方法』(朴婉緒)

c0077412_22312376.jpg韓国語講座のテキスト。短編集『黄色い家』収録作品のひとつ。
老境に至った著者が、自分が幸せに生きてこられたのはなぜかをしみじみと語る短編。幼いときに父を失ったが祖父母と母、叔父叔母に伯父まで加えた大家族の中で大事にされてわがままいっぱいに育った著者は、母親の教えのおかげで徐々にわがままも治まり、人を愛せば自分も愛されることを学んでいったという。
名前に関するエピソードが興味深い。著者の生まれた当時は日帝強占期で、学校では名前を漢字で書かなければならなかった。それで、決められた狭い四角の中に納めるのが難しい婉緒という名を恨めしく思ったが、誕生時に父が祖父と頭をつきあわせ、玉編(漢字の字引)を調べつけてくれた名前だ、と母から聞かされてそんなことはなくなった。むしろ、顔も覚えていない父、そして祖父の愛情を強く感じたという。周囲には「カンナンニ(難儀)」やら「ソプソビ(残念)」など、親がいいかげんにつけたに違いない酷い名前の子も多かったからだ。
後半は次第に説教くさくなり、イエスの言葉、金壽煥枢機卿の言葉で締めくくられる。

今後役立ちそうな表現を箇条書きにしておく。
이 맛에 살다 これが生きがいだ
늙은이 티를 내다 年寄り臭くなる
역성을 들다 贔屓にする、肩を持つ
귀가 따갑게 듣다 耳が痛いほど聞かされる
거들떠보지 않다 目もくれない
살맛나게 하다 生きがいを感じさせる
(2016.11.28読了)
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# by nishinayuu | 2017-01-28 11:51 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『地平線』(パトリック・モディアノ、訳=小谷奈津子、水声社)


c0077412_911174.jpg『L’horizon』(Patrick Modiano, 2010)
この著者の多くの作品と同様に、本作でもやはり主人公はパリのあちこちをさまよい歩く。主人公のボスマンスは、ふっと思い出の一つが脳裏に過ぎる度、一日のどんなときでもメモできるように、黒いモールスキンの手帳を上着の内ポケットに入れて持ち歩いている。手帳いっぱいに書き込んである記憶の断片をつなぎ合わせて、人生の岐路に立っていた年月の全体像を再構成したいと思いながら。けれども全体像は見えてこない。それでボスマンスは、霞がかかった曖昧な印象を蘇らせるために、せめて名前だけでも取り戻そうとする。それらの名前とは――
メロヴェ(金髪の巻き毛の青年。金属的な声、気取った口調。「愉快な一団」の一人)
マルガレット・ル・コーズ(ボスマンスと出会ったときはリシュリュー代行事務所の事務員。住まいはオートゥイユ。生まれはベルリンで母親はフランス人、一時ベロア通り6番地のホテル・セヴィーエに住んでいた)
赤毛の女(ボスマンスの母親で50代。ボスマンスに金をせびる。20年後に出会ったときは白髪になっていて、持っていた杖でボスマンを打つ)
褐色の髪の男(赤毛の女の連れ。脱落司祭風もしくは闘牛士風の傲慢な男)
ボヤヴァル(マルガレットのあとをつけ回す男。ぴったりし過ぎの黒コート姿)
フェルヌ教授(オプセルヴァトワール庭園の近くに住む人物。マルガレットを子守り兼家事手伝いとして雇う)
シモーヌ・コルディエ(ボスマンスが原稿をタイプで清書してもらっていた女性。住所はベロア通り8番地)
バゲリアン(スイスのローザンヌでマルガレットを子守りとして雇っていた人物)
イヴォンヌ・ゴーシェとアンドレ・プートレル(マルガレットを子守りとして雇った夫婦、夫は秘教グループのスポークスマン。ボスマンスとマルガレットは彼らの息子ピーターとよくモンスーリ公園を散歩した。ある日夫婦が警察に連行され、期限切れのパスポートしか持たないマルガレットは逮捕を恐れて北駅から列車に乗ってパリを立ち去る。そして40年の月日が流れた)

主人公は過去の人々の面影を追いながらパリの通りをさまよい歩く。だから読者も地図を片手にいっしょにパリを歩き回ることになる。オペラ通り、フランクリン=ルーズヴェルト大通り、キャトル・セプタンブル通り、オプセルヴァトワール(天文台)大通り、ヴィクトル・ユゴー大通り、そしてボワシェール駅に近い16区のベロア通り(ボスマンスとマルガレットはリシュリュー代行事務所で出会う前に、ここで何度もすれ違っていた可能性があるのだ)。他にも細かい地名がたくさん出てきて、それらを辿るだけでも楽しめる。
いつも何かに追われていて決してひとところに留まったことがなく、今はパリに身を寄せているマルガレットと、不幸な幼少年期を過ごしてやっと自分の道を歩き始めていたボスマンス。当時まだ若かった二人は、自分たちの行く手に確かな存在として「地平線」を見ていたのだった。物語の最後に主人公はその地平線を目指してベルリンへと旅立つ。鮮やかに蘇らせた記憶によって構築されたプルーストの世界に対して、モディアニの世界は霞の中に浮かんだ人々の顔や声が、街の色や音がそのまま霞に包まれていくかのようだが、この作品はきっぱりとした終わり方をしていて興味深い。(2016.12.24読了)
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# by nishinayuu | 2017-01-24 09:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『いつ死んだのか』(シリル・ヘアー、訳=矢田智佳子、論創社)

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『Untimely Death』(Cyril Hare、1958)
著者はこの作品を書いた1958年に57歳で他界したという。すなわち本作品は著者の遺作ということになる。


舞台はイングランド・サマーセット州のエクスムーア。北にブリストル海峡を望む景勝地で、主人公ペディグルーの故郷という設定。このエクスムーアにペティグルーはまだ若い妻エリナーと休暇のためにやってくる。エリナーが言い出したこの旅行に、旅先のなじめないベッドを思い浮かべて渋々やってきた感じの主人公だが、「眠れないまま横たわり、壁に映る月影が動いていくのを眺めながら、ここへ来たのはいい考えだったと納得できる気がしてきた。最近では恥ずかしながら、エリナーの思いつきなくして、ひどく単調な二人の生活から脱却するのは難しいと感じていた」という。気弱になっているもう若くない男、しっかり者らしい若い妻、休暇旅行、壁に映る月影――なかなかいい感じの書き出しである。
ペティグルー夫妻が休暇を過ごすために借りた部屋は、エクスムーアの外れにあるサロークーム農場にあった。かつてのこの家の住人は、陽気で荒っぽく、よく酔っ払っていて、少年のペティグルーを魅了したかと思えば震え上がらせる、ディケンズの小説に出てきそうな夫婦者だった。それに比べると今の住人は妻のいない地味な肉屋と、その娘である地味な女で、前の夫婦に比べるとさえない親子だった。が、常に周囲の人間に鋭い観察眼を向けているペティグルーは、その親子が本当にさえないだけの人間なのか、疑問に感じた。(という具合に早い段階でこの親子が重要な人物であることが暗示される。)
前半はペティグルーが〈暴走馬の茂み〉で死体を発見するが、人を呼びにいって現場に戻ったときは死体が消えていて、3日後にまた同じ場所で死体が発見される、という不可解な出来事を中心に展開する。ペティグルーは少年の頃にやはり〈暴走馬の茂み〉で変死体を発見していた。そのときの恐怖から幻覚を見たのか、あるいはエリナーの言うように〈予知能力〉のせいで実際の事件より3日前に死体を見てしまったのか。
後半はその死体の男(サロークームの住人である地味な女の、別居中の夫ジャック・ゴーマン)がゴーマン家の莫大な財産を継承する権利があったかどうかに関する裁判を中心に展開する。地元の旧家であるゴーマン家の莫大な財産はギルバート・ゴーマンが継いでいたが、彼は9/10(日)に病気で急死している。その時点でジャックが生存していれば財産はジャックのものになるが、ペティグルーが死体を見つけたのはその前日の土曜だったのだ。ペティグルーは旧友で元警部のマレットの依頼で法廷に出向く。

主人公夫妻は二人とも弁護士ということになっているが、夫の方は年のせいかばりばりの感じは皆無。法廷闘争の場面は原告代理人も主人公の旧友ということから、穏やかでユーモラスな雰囲気が漂っていて、緊張感ゼロ。たまにはこんなミステリーもいいかもしれない。(2016.11.20読了)
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# by nishinayuu | 2017-01-20 09:53 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『あの犬この犬そんな犬』(アントン・チェーホフ他、訳=務台夏子、東京創元社)

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『Kashtanka and Other Stories』(Anton Chekhov)
「犬好きの犬好きによる犬好きのための物語」と謳った本書には、11人の作家による11匹の犬の物語が収録されている。もちろん、犬好きでなくても充分楽しめる短編集である。

内容と作者を簡単に記しておく。
「仲裁犬マック」――スコティッシュ・テリアのマックが、すれ違い始めた飼い主夫婦の仲をとりもとうとかけまわる。作者:ジョン・ヘルド・ジュニア(1930年代に活躍したイラストレーター・漫画家。フィッツジェラルドの「ジャズ・エイジの物語」などにイラストを描いている。)
「彼女の犬」――彼女の死からちょうど六ヶ月目に、ぼくの前に現れた皮膚病持ちの汚い犬。追っても追ってもついてくるので家に入れたら、どうやら彼女もいっしょに入ってきたらしい。作者:マニュエル・コムロフ(1920~1930年代に活躍したニューヨーク生まれの小説家。)
「盲導犬バディ」――ニュージャージ州にある盲導犬協会「シーイング・アイ」のシェパードとご主人であるモリス氏(もちろん盲人)の息の合った暮らしぶり。作者:ディクスン・ハートウェル(1940年のエッセイ『Dogs Against Darkness』からの抜粋。)
「義侠犬ダボコ」――ギリシャ系のご主人に忠実で、ギリシャ語で吠えるとまでいわれる雑種犬の〈反ギリシャ人同盟〉との戦い。作者:マッキンリー・カンター(1920~1950年代に活躍した作家。本作は1961に発表されたもの。)
「神秘の犬」――『三匹曠野を行く』(The Incredible Journey、1961)からの抜粋。老ブルテリア犬・若きラプラドール犬・シャム猫の三人組とオジブワ族の出会い。作者:シーラ・バーンフォード(カナダの児童文学作家。)
「お嬢犬オフィーリア」――グレートデーン(デンマークの犬)であることからオフィーリアと名付けられた貴族的な犬が「春」に目覚め、庶民(雑種犬)の世界に惹かれていく。作者:コンラッド・ベルコヴィシ(ルーマニア出身のアメリカの小説家。)
「見習い猟犬ディーコン」――ポイント(身体を硬直させて静止して獲物の位置を示すこと)ができるようになっても悪ふざけが止まらない猟犬を、狩猟に夢中で休講の多い大学教授が躾けていく。作者:ハヴィラー・バブコック(ヴァージニア大の英語学部教授。)
「忠犬ウルフ」――「名犬ラッド」の息子で、姿形は犬というよりオオカミに似ているコリー犬のウルフが愛する少年と森に出かけたとき、少年が氷の張った沼に落ち込む。作者:アルバート・ペイソン・ターヒューン(「名犬ラッド」を書いたアメリカの小説家。)
「花形犬スポット」――大きな犬だと思い込んでサーカスのライオンに噛みついて有名になったスポットを檻に入れて、飼い主の少年フレクルズはサーカスを始める。入場料はなんと「待ち針(!)10本」。作者:ドン・マーキス。イリノイ生まれの小説家・ジャーナリスト。)
「望郷の犬ニック」――軍に徴用され、戦争用に訓練されたニック。戦争が終わってやっと懐かしい故郷の家に帰れたのに、仲良しだった少年にもその母親にも歓迎されなかった。ほろ苦い後味の名作。作者:コーリー・フォード(ライフ誌やニューヨーカー誌で活躍した作家。)
「迷い犬カシタンカ」――指物師のご主人とはぐれてしまった若い赤犬のカシタンカは、優しい男に拾われてネコや雌ブタといっしょにサーカスに出演する。作者:アントン・チェーホフ(1887年の末に発表された作品。)
(2016.11.16読了)
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# by nishinayuu | 2017-01-16 09:25 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

私の10冊(2016年)

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☆この1年に読んだ本の中から特に気に入った本を選んで、「私の10冊」としてまとめてみました。また、「私の10冊」の選から漏れた本を「お勧めの10冊」として挙げてみました。
☆画像は「The Book of Tea」です。


私の10冊
灰と土(アティーク・ラヒーミー、訳=関口涼子、インスクリプト)
名もなき人たちのテーブル(マイケル・オンダーチェ、訳=田栗美奈子、作品社)
タイガーズ・ワイフ(テア・オブレヒト、訳=藤井光、新潮クレストブックス)
제주 유배길에서 추사를 만나다 (양진건, 푸른역사)
Amsterdam (Ian Mcewan, Anchor Books)
The Book of Tea (Okakura Kakuzo, Tuttle Company)
風土記の世界(三浦佑之、岩波新書)
わたしは灯台守(エリック・ファーユ、訳=松田浩則、水声社)
蠏の横歩き(ギュンター・グラス、訳=池内紀、集英社)
冬の夜ひとりの旅人が(イタロ・カルヴィーノ、訳=脇功、白水Uブックス)

お勧めの10冊
通勤路(マリー=ルイーズ・オーモン、訳=岩崎力、早川書房)
風の吹く日は(モニカ・ディケンズ、訳=村井洋子、未知谷)
卵のように軽やかに(サティ、訳編=秋山州晴・岩佐鉄男、筑摩書房)
The Lake of Dreams (Kim Edwards, Viking Penguin)
あなたの本当の人生は(大島真寿美、文藝春秋)
優雅なハリネズミ(ミュリエル・バルベリ、訳=河村真紀子、早川書房)
ペナンブラ氏の24時間書店(ロビン・スローン、訳=島村浩子、東京創元社)
カールの降誕祭(フェルディナント・フォン・シーラッハ、訳=酒寄進一、東京創元社)
べつの言葉で(ジュンパ・ラヒリ、訳=中島浩郎、新潮クレストブックス)
地平線(パトリック・モディアノ、訳=小谷奈津子、水声社)
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# by nishinayuu | 2017-01-12 14:04 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『蠏の横歩き』(ギュンター・グラス、訳=池内紀、集英社)


c0077412_1021377.jpg『Im Krebsgang』(Günter Grass, 2002)
副題に「ヴィルヘルム・グストロフ号事件」とある。グストロフ号はナチスドイツの誇った豪華船。1937年5月に労働者のための休暇用客船として進水し、戦時には軍隊の輸送船、病院船、避難民の輸送船として使われた。そして1945年1月30日、東プロイセンの避難民や傷病兵を乗せてゴーテンハーフェン(現ポーランドのグディニア)港を出た後、ソ連海軍の潜水艦に砲撃されて沈没した。それは奇しくもヒトラーの権力掌握から12年目の当日のことだった。
犠牲者の数は正確には割り出せない。元乗組員(会計係助手、当時18才)のハインツ・シェーンが戦後調査したところによると乗客10582人のうち避難民が8956人で、そのうちの4000人以上が乳幼児や少年少女だったという。すなわちこれは、美しい悲劇として伝説になっているタイタニック号の沈没よりずっと多くの犠牲者を出した海難事故だったのだ。

本書の語り手は、この凄まじい海難事故のまっただ中でこの世に生を受けた人物となっている。語り手の母親がグストロフに乗り込んだのはすでに出産が間近に迫っていたときだった。そして砲撃されて沈み始めた船の中で出産した彼女は、いつも身につけていた毛皮の襟巻きに赤子をくるんで救命ボートに飛び乗ったのだった。
語り手はまず三人の人物のことから話し始める。
一人目はグストロフ号という船名のもとになった男。1895年シュヴェリーン生まれ、名前はヴィルヘルム・グストロフ。『魔の山』の主人公と同じくダヴォスで療養生活を送ったが、そのままスイスに留まり、やがてナチ党に入ってスイス在住のドイツ人、オーストリア人を組織して、スイスのナチ党指導者になる。反ナチの男の銃弾に倒れたため「殉教者」として称えられる。
もう一人はアレクサンドル・マリネスコ。1913年『戦艦ポチョムキン』で知られるオデッサの生まれ。商船の船員を経て潜水艦の艦長となり、グストロフ号を沈没させた功によりバルチック赤軍艦隊のヒーローになる。
さらにもう一人。やはりダヴォスで療養生活を送ったことのあるダヴィド・フランクフルター。1909年セルビアの生まれで、父はユダヤ教のラビ。学校では毎日のようにユダヤ憎悪にさらされた。病身のせいで勉学がはかどらず、母の死もあって将来を悲観し、スイスのナチ党指導者・グストロフに銃弾を撃ち込んだ。直ちに自首して長い刑期を務めた。

以上の三人はグストロフ号事件にまつわるいわば歴史上の人物であるが、彼らの物語に重なり合ったり離れたりしながら、語り手の身内の者たちの物語が綴られていく。まずは語り手の母で、物語のヒロイン格のトゥラ・ポクリーフケ。強烈な個性の持ち主で「いつも極端に走る女だった」トゥラ・ポクリーフケは、グストロフ号事件の体験や波瀾万丈の人生から身につけた独自の思考法や行動方式などを孫に(すなわち語り手の息子に)吹き込み続けている。そして物語の後半では、10歳か11歳のときからトゥラに「こね回されて」育った孫のコニーがクローズアップされていく。混沌とした過去の象徴のような母と、不可解な未来の象徴のような息子の間で、穏健な良識人の語り手はどこに向かおうとしているのだろうか。

話の途中でときどき、語り手に助言を与える「ご老体」というのが顔を出すが、これはギュンター・グラスその人らしい。最後にそのギュンター・グラスの言葉を記しておく。
「この事件を書いておくのは、自分たちの世代の使命だった。」(2016.11.12読了)
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# by nishinayuu | 2017-01-08 10:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)