『あの素晴らしき七年』(エトガル・ケレット、訳=秋元孝文、新潮クレストブックス)

c0077412_10110148.jpg The SevenGood Years』(Etgar Keret2015

本書は息子レヴの誕生から父親の死までの7年間の出来事を描いたノンフィクション作品で、36篇のエッセイで構成されている。本書を読めば、パレスチナの人々の土地を奪って建国されたイスラエルという国で、人々がなにを思い、どのように日々を送っているのかが、少しはわかるかもしれない。印象的なエピソード満載なので抜粋は難しいが、ほんの一部をあげてみると――

*ミサイルが一斉発射されたとき、ぼくらはもう一度、日々民間人を攻撃せざるを得ない占領国ではなく、自分たちのために闘う、敵国に囲まれた小さな国となれたのだ。だからぼくらがみんなひそかにちょっとだけホッとしたとしても不思議ではないだろう?(1年目「戦時下のぼくら」)

*過去数年にわたってぼくは多くの祝日をイスラエル国外で過ごしてきた。空軍の戦闘機が頭上をデモンストレーションして飛ぶのを見て独立記念日を過ごしたりせずに済むのには、いくらかホッとするところがあったのは認めざるを得ない。でも、ヨム・キプール(大贖罪日)のときだけは全力でイスラエル国内にいようとしてきた。テルアビブの大通りで小鳥の声が聞こえるのはヨム・キプールのときだけだ。明日はもうヨム・キプールではないと知った息子が泣き出した。それは正しい反応だ。(3年目「スウィート・ドリーム」)

*七つ年上の兄さんがいて、ぼくはいつも大きくなったら兄さんのようになりたいと思っていた。兄さんは12歳のとき神様を見つけてユダヤ教の寄宿学校に入り、15歳のとき宗教を捨てて大学で数学とコンピュータサイエンスを勉強し、21歳のとき兵士になったが「イスラエル国防軍兵士にふさわしくない行為」のために投獄され、数年後にはハイテク企業を辞職して「急進的な」活動に従事し、この5年は奥さんとタイに住んで世界をちょっとだけよい場所にするための国際組織を運営している。ぼくの乗ったゾウの前を自分でゾウを操りながら進む兄さんを見て、大きくなったら兄さんのようになりたいという子ども時代の感覚が戻ってきた。(3年目「英雄崇拝」)

*ここ10年ほど毎年ポーランドを訪問してきた。ぼくの一族のほとんどがそこで恐ろしい状況の中で死んでいったのだけれど、彼らが暮らし、数世代にわたって栄えたのもポーランドであり、この地とそこに住む人々にひきつけられるぼくの気持ちはほとんど神秘的でさえあった。(5年目「想像の中の故国」)

*19年前、ブネイ・ブラクの小さな結婚式場でぼくの姉は死んだ。今ではエルサレムでも最も正統派ユダヤ色の濃い地域に住んでいる。(4年目「亡き姉」)

*文学イベントでクロアチアのザグレブに行った時、地元のカフェのウエイターから聞いた話。「戦争中、それぞれの言語では他意のない言葉の選択も、険悪な政治的含意があるように受け取られかねなかった。コーヒーをさす言葉はクロアチア語、ボスニア後、セルビア語でそれぞれ異なっていたため、客はみんなエスプレッソを注文し始めた。それなら中立なイタリアの言葉だから。そして一夜にしてここではコーヒーではなくエスプレッソのみを出すようになった。」(6年目「お泊まり」)

*ワルシャワのとある通りにぼくらの家が建てられた。その細い家に母さんより歳をとった女性がやって来てジャムをくれた。昔この近くにユダヤ人の友達がふたりいて、その子たちがゲットーに移る前に、おばあさんの母親が作ってくれたジャムサンドをあげたという。細い家のキッチンでジャムをつけたパンを食べた。(7年目「ジャム」)

「イスラエルのユダヤ人」だからこそのエピソードに出会えるのはもちろんだが、どこの国のどんな人でも共感できそうなエピソードも多い。また、全編にユーモアとペーソスがあふれていて充実した読書が楽しめる。なお作者ケレットは、村上春樹が「壁と卵」のスピーチをした2009年エルサレム賞の審査員の一人だという。(2017.7.27読了)


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# by nishinayuu | 2017-10-07 10:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ふたつの海のあいだで』(カルミネ・アバーテ、訳=関口英子、新潮クレストブックス)

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Tra DueMari』(Carmine Abate, 2002

著者は1991年に長編デビューし、3冊目の長編である本作によってイタリアをはじめフランス、ドイツで高く評価されて現代イタリアを代表する作家の仲間入りをした。2012年発表の『風の丘』も同じ訳者によってクレストブックスの一冊として紹介されている。

物語の主要舞台はイタリア南端カラブリア州の架空の村ロッカルバ。村は西のティレニア海と東のイオニア海にはさまれた狭い陸地の丘の上に位置しており、夏の間はふたつの海から凄まじい熱風が吹き付ける。

物語はドイツのハンブルクに住むフロリアン少年と両親が夏休みを過ごすために車でロッカルバに向かうところから始まる。フロリアンは自分たちを待つ暑さや馴染みの薄い祖父のことを思ってうんざりしており、2581㎞の道を運転する父のクラウスは息づかいも荒く、苦しげだったが、母のロザンナは幸せいっぱいだった。両親や妹のエルサ、姪のテレーザ、幼なじみ、路地、子豚のいる家畜小屋、オリーヴの木にとまる蝉、教会の裏の崖、バルコニーを彩る斑入りのカーネーション、広大な空を舞う燕に久しぶりに会えるからだ。そしてようやく村に到着すると、母と祖父のジョルジョ・ベッルーシは連れだって平原の真ん中にある「いちじくの館」の跡に行き、うだるような暑さの下で一年分の話をするのだった。

「いちじくの館」は、かつてはカラブリアでいちばん繁盛していた宿だった。183510月にはアレクサンドル・デュマも立ち寄り、デュマが文章を書く横で連れの画家ジャダンが主一家をスケッチした。その画面に描かれている当時15歳でのちに「炎のベッルーシ」と呼ばれた息子が「いちじくの館」の最後の主となった。18657月のある日、盗賊が逃げ込んだ館に北から来た国家警備隊が火を放って全焼させてしまったのだ。奇跡的に火を免れたデュマの手稿とジャダンのスケッチは「家宝」として代々受け継がれ、「いちじくの館」再建の意思を象徴するものとなった。

フロリアン少年の前から突然消えて長い間不在だった祖父のジョルジョ・ベッルーシが、消えたときと同じように突然またフロリアンの前に現れる。「炎のベッルーシ」の孫であるジョルジョは、一族の当主として、また「家宝」を引き継ぐものとして、あらゆる妨害、挫折をものともせず「いちじくの館」の再建に奮闘しはじめる。そんな祖父をフロリアンは少しずつ理解し始める。祖父の不在のあいだにフロリアンも子ども時代を脱していたのだった。

登場する男たちはみな、妻となる女性を求めて遠くまで旅をした情熱家であり(情熱とは無縁に見えるクラウスも!)、そうして妻となった女性たちは魅力的な美人ばかり(まん丸に肥った祖母も!)。丘には花が咲き乱れて空には燕が舞い飛ぶ暑熱のカラブリアの物語に、時たま寒冷なハンブルクの場面が差し挟まれる。燃えるような夏の日に冷房の効いた部屋で読むのにふさわしい一冊である。

2017.7.18読了)
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# by nishinayuu | 2017-10-03 08:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

[雨にもまけて] ---나의 환상적이지 않은 피서법


c0077412_10532422.jpg7月に韓国語講座で朴婉緒の「私の素敵な避暑法」を読んだあと、同じタイトルで作文を書くという課題が出ました。けれどもそのタイトルでは書けそうもないので、「素敵ではない避暑法」をサブタイトルにして「雨にも負けず」をもじった文を書きました。


비에도 굴하고

바람에도 굴하고

매미 소리에도 여름의 더위에도 굴하는

나약한 정신을 가지고

욕심은 없으며

결코 힘내지 않고

언제나 조용히 웃고 있는

하루에 끼니는 소면과

간장 국물과 약간의 야채를 먹고

모든 것에 대해

자기의 안일부터 생각하고

멍하니 보고 듣고 이해하지 않고

그리고 잊어버리며

언덕 5 건물 3층의

작은 네모난 방에 있으면서

동쪽에 걷기 힘든 벗이 있으면

가서 한나절을 같이 지내주고

서쪽에 외로워하는 엄마가 있으면

가서 신세타령에 귀를 기울이고

집안에 죽겠다라고 하는 이가 있으면

그런 사람은 도리어 오래 살겠다고 말해주고

세상에 다툼이나 소송이 있으면

시시하니 그만두라고 투덜거리고

더위가 심한 날에는 24시간 내내 냉방을 놓고

지내기 좋은 날에는 강변을 휘청휘청 걸어

모두에게 한가로운 사람으로 간주되며

칭찬받지도 않고

짐이 되지도 않는

그런 사람으로

나는 여름을 지냈다.


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# by nishinayuu | 2017-09-29 10:54 | 随想 | Trackback | Comments(1)

『緑の髪の娘』(スタンリー・ハイランド、訳=松下祥子、論創社)


c0077412_09374042.jpgGreen Growthe Tresses-O』(Stanley Hyland

本書は「論創海外ミステリー」と謳うシリーズの一冊である。しかし、さあ謎解きを楽しもう、と思って読み始めると裏切られる。話は紡織工場の仕事台からあがる悲鳴で始まる。悲鳴を上げたのは織りむらや傷を検査していた女子工員の一人。染色前の布地の中央に、明るい金色の髪の毛が十数本、長い一束になって織り込まれ、その片方の端には茶色くごわごわした皮膚と肉がこびりついていたのだ。それから間をおかずに金髪のジーナ・マッツォーニの死体が煮えたぎる染料桶の中で見つかる。髪も身体もエメラルド・グリーに染まっていた。――どうも気持ちのいい事件ではなさそうだ(気持ちのいい殺人事件などはないかも知れないが)。

総ページ数26130の章に分けられているので、ここまでですでに第3章になっているが、17ページ目で死体が登場するので好調な滑り出しと言えるかもしれない。ところが、ジーナの住んでいた寮の捜索に駆けつける刑事トードフの行動、寮の外観、寮の呼び鈴に応えた管理人夫婦の言動、トードフのあとからやってきた警部ザグデンとトードフのやりとり、などなどの描写がやたらに細かい。たとえば――

「シドニー・トードフ刑事は自転車を鋳鉄製の小さなうずくまったライオン像の腰骨のあたりに慎重に立てかけ、幅広の石段を五段上って、ぼろぼろのポーチに達した。目を上げて〈岩山荘〉全体を眺めると、はるか昔の日々に思いをはせ、ちっちっと舌を鳴らした。ヴィクトリア朝後期、この家の全盛期には、どんな様子だったのだろう。当時はまだ羊毛産出地帯の理想的個人住宅で、初代ミスター・エイサ・ブランスキルを筆頭に、関白亭主に使える妻、子ども十人、メイド六人、料理人一人、執事一人、馬車二台、馬四頭、それに屋根裏には狂ったおばさんが住んでいたに違いない。今では労働貧困層のための寮となっていて、見るからにそれらしい。刑事は哀しげに首を振りながら一歩進み出て、呼び鈴の引き紐をぐいと引っ張った。それはすっぽ抜けて手に残った。」

このような、伏線とも思えない意図不明のやたらに細かい描写はこのあともずっと続くので、肝心の話がなかなか進展せずにちょっといらいらさせられる。しかし、しばらく読み進むうちにはっと気づいた。まさにこうした、謎解きとは直接関係のない細かい描写こそがこの作品の読みどころなのだと。そう思って読めば実に内容豊かな、読み甲斐のある作品である。

なお、原題のGreen Grow the Tresses-O“はロバート・バーンズの詩 “Green Grow the RushesO”(イグサは青々と茂るよ)から取られたもので、rushestresses(ふさふさした巻き毛)に置き換えられている。(2017.7.9読了)


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# by nishinayuu | 2017-09-25 09:38 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『能よ 古典よ!』(林望、檜書店、2009)

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本書は作家・書誌学者で『イギリスはおいしい』などで知られる著者による能楽論と新作能を一書にまとめたものである。





1章「古典文学と能」では『志賀』という曲を取り上げて、能とは、古典文学を縦横自在に取り込むことによってごく少ない字数で千万言にも当たる内容を表現する「恐るべき芸能」である、と説く。

2章には著者による創作能『黄金桜』と『仲麻呂』が収められている。前者は小金井薪能の創立30周年記念の委嘱作品で自然との共生をテーマにした作品であり、後者は阿倍仲麻呂と唐の大詩人王維との厚い友情と別離という史実をもとに、若い人たちが将来への希望を持てるように作劇したものだという。いずれも著者の古典文学の造詣と能への愛が結集した魅力的な作品となっている。

3章では25の曲を取り上げて、それぞれの曲の成り立ち、盛り込まれている古典文学作品、聞き逃したり見落としたりしてはいけない部分、などなどが細かく説かれている。読んでいるうちに実際に舞台を見ているような気もしてくる臨場感のある解説書となっている。その中で特に印象に残ったのは『藤戸』の項。この曲は源平の戦の折にあった次のような話に基づいている。

源氏方の侍大将佐々木盛綱が敵陣のある児島へ渡る浅瀬を浦の男に案内させたあと、男の喉をかききって殺した。敵陣に先駆けする功を自分のものにするためだった。そして戦に勝った後に盛綱は児島を領地に賜る。

さて、能の『藤戸』では冒頭、「波静かなる島廻り、松吹く風も長閑にて、げに春めける朝ぼらけ」に盛綱が領地にお国入りする。と、そこへ老女(浦の男の母親)が登場し、曲が進むと浦の男の亡霊も登場して、という展開になる。

平家物語巻十、元暦元年九月二十五日の夜のこととして出てくる話をもとにしており、『吾妻鏡』には盛綱が藤戸の海路を渡ったのは元禄元年127日とあって、とにかく晩秋か晩冬の出来事である。これについて著者は言う。「明から暗へ、朝から夜へ、とすべてベクトルはマイナス方向を指しているのがこの曲である。されば、冒頭は秋であってはならないことも、これによって領得せられるであろう。このドラマツルギーのためには、季節を反転させることなど、本説に逆らうことにはならない、卓抜なる作者(確証はないが世阿弥であろうか)は、そのように思って季節を三月に設定したに違いないのである。」

というわけで、手元に置いて何度も読み返したくなる本だが、知人から借りたものなので、そろそろお返ししないと……。(2017.6.15読了)


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# by nishinayuu | 2017-09-21 14:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ロスチャイルドのバイオリン』(アントン・チェーホフ、訳=児島宏子、未知谷)


c0077412_12135624.jpgСкрипка Ротшильла(Антон Чехов)

絵=イリーナ・ザトゥロフスカヤ(Ирина Затуловская

物語の舞台はロシアの小さな町。主人公の一人はロシア人のヤーコフ、通称ブロンザ(青銅)。妻のマルファと一部屋きりの小さな家で暮らすヤーコフの本職は棺桶作りだが、ときたまバイオリン弾きとして副収入を得ている。ロシアの歌の演奏に長けていて、オーケストラの席におさまるとたちまち顔が紅潮し、演奏に熱中する。もう一人の主人公はユダヤ人のロスチャイルド。ヤーコフが呼ばれていくユダヤ人オーケストラでフルートを吹いている。もちろん、著名な富豪とはなんの関係もない。このフルート奏者はとても楽しい曲でさえ、なんとも哀れっぽく吹く。

別にこれといったわけもないのに、ヤーコフはだんだんユダヤ人、とりわけロスチャイルドに対して憎しみとさげすみの情を抱くようになり、言いがかりをつけ、悪口を浴びせたかと思うと、殴りかかろうとさえした。それでヤーコフはどうしても人が足りないというとき以外はオーケストラに呼ばれなくなる。

そんなある日、長年連れ添ったマルファが病にかかり、はるか昔の思い出をヤーコフに語りながら逝く。幼くして亡くなった明るい髪の子ども、三人で歌を歌った川の畔の柳の木陰……。けれどもヤーコフはなにも覚えていない。

やがてヤーコフ自身も病にかかって、川の畔にやって来たとき、憎しみや悪意でいっぱいだった自分の人生が大きな損失だったことを悟る。いよいよ最期のとき、ヤーコフは司祭に言う。「このバイオリンをロスチャイルドにあげてください」。

本書は児童書の体裁の絵本になっている。絵の作者は1954年モスクワ生まれ。父は宇宙ロケット設計者で母は画家という家庭で育ち、5歳の頃から絵と詩をかいたという。フレスコ、絵画、陶器、書籍デザイン、詩作、詩集など、広範囲に活躍しており、作品は世界12カ国の美術館に収蔵されているという。(本書見返しより)

「ロスチャイルドはヤーコフから一サージェン離れたところで立ち止まった。」という文があり、2.134㍍という注がついている。さらに調べてみた結果は以下の通り。

サージェンは中世ロシアの単位で、ウクライナ、エストニア、ラトビアなどでも用いられた。古くは長さが一定しなかったが、18世紀以後は1サージェン=3アルシン=2.134㍍に固定され、メートル法施行によって廃止された。

2017.7.8読了)


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# by nishinayuu | 2017-09-17 12:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『夏の嘘』(ベルンハルト・シュリンク、訳=松永美穂、新潮クレストブックス)


c0077412_10061260.jpgSommerlügen』 (BernhardSchlink2010

『朗読者』『帰郷者』『逃げてゆく愛』『週末』と読んできて、5冊目のシュリンク。本作は『逃げてゆく愛』に次ぐ短編集で、以下の7つの作品が収められている。




*シーズンオフ――ニューヨークの貧しい街区で暮らすフルート奏者のリチャードと、オーケストラが買えるほどの財力を持つスーザンが、シーズンオフの岬で出会って……

*バーデンバーデンの夜――シナリオライターの彼は、テレーズが行きたがったのでいっしょにバーデンバーデンに行った。恋人のアンに問い詰められた彼は適当に取り繕ったが、それはアンにとっては許しがたい「嘘」だった。

*森の中の家――彼とケイトが知り合って以来、ケイトの作家としてのキャリアはあがる一方で、彼の方は下がる一方だった。娘のリタが生まれてもケイトは作家として生きることを最優先にする。これに対して、家族の生活を守るために彼がとった行動は……。

*真夜中の他人――ニューヨークからフランクフルトに行く便で隣席に座った男。年のほどは50歳くらい。背が高くて細身で、知的な顔をし、黒髪にはかなり白髪が混じっている。身体になじんだ、柔らかく皺の寄ったスーツを身につけ、ヴェルナー・メンツェルと名のったこの男に、ぼくはこのあと翻弄されることになる。

*最後の夏――客員教授として毎年ニューヨークの大学に招かれた25年を懐かしみながら、今彼は妻と湖畔の家に滞在している。二人の息子と家族も呼び寄せたし、友人たちも立ち寄ることになっている。死ぬ前に人々と味わう幸福をうまく準備できた、と彼は思った。

*リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ――信頼関係が築けないまま父を見送ることになるのを避けたいと考えた息子。父と自分が二人とも好きな「海」と「バッハ」を楽しむために、9月にリューゲン島で行われるバッハ・フェスティバルに父を誘う。

*南への旅――子どもたちや孫たちに誕生日を祝ってもらいながらも孤独を感じてしまう彼女は、思い立って学生時代を過ごした町に旅をする。同行した孫娘のエミリアが勝手にアレンジしたアーダルベルトとの再会によって、彼女は気づかされる。彼女はアーダルベルトに捨てられたのではなく、自分が彼を捨てて別の人生を選んだのだということを。

始めのほうに登場する男性たちはそろいもそろって優柔不断で、女性たちは繊細さに欠ける。読み続ける気力が萎えそうになるが、「真夜中の他人」あたりから面白くなり、「最後の夏」は目が離せない展開となる。そして最後の2編はしみじみとした味わいのある作品となっており、さすがシュリンク、と納得して読み終えることができる。(2017.6.9読了)


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# by nishinayuu | 2017-09-13 10:07 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

映画鑑賞ノート27 (2017.8.31作成)

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   20175月~8月に見た映画とドラマの記録

1(2)行目:鑑賞した月/日 タイトル(原題)制作年・制作国 監督

2or3)行目以下:キャスト、一言メモ

画像は「ランドガールズ」です。




5/10 ある日どこかで(Somewhere in Time

1980米 ヤノット・シュワルツ

   クリストファー・リーヴ、J.シーモア、クリストファー・プラマー

   ストーリーと音楽(パガニーニの主題によるラプソディー)はいい。

   ただし主役のふたりはミスキャストでは?

5/23 レッド・オクトーバーを追え(TheHunt for Red October

   1990米 ジョン・マクディアナン

   ショーン・コネリー、アレック・ボールドウィン、サム・ニール

   ボロディン副艦長の「モンタナの夢」をかなえてあげたかった――

6/2 あの日の指輪を待つ君へ(Closingthe RingR.アッテンボロー

   クリストファー・プラマー、シャリー・マクレーン

   第2次大戦前夜の米から現代の米・アイルランドを舞台に、50年に

わたる恋人への思慕と男たちの友情・信義を描いた秀作。

6/10 君がくれた未来(CharlieSt.Cloud 2010米 バー・スティアーズ

   ザック・エフロン、チャーリー・ダハン、アマンダ・クルー

   ベン・シャーウッド原作のファンタジー。角川文庫に邦訳がある。

6/11 オレンジと太陽(Orange andSunshine2010英 ジム・ローチ

   エミリー・ワトソン、デヴィッド・ウェンハム、H.ウィーヴィング

   かつて13万の孤児が英から豪に棄民されたという史実に基づいて、

   ソーシャルワーカーの戦いを描いた重い作品。

6/11 オブリビオン(Oblivion2013米 ジョセフ・コシンスキ=

   トム・クルーズ、モーガン・フリーマン、オルガ・キュリレンコ

   キャストにフリーマンの名があると「いい映画」の予感がする(?!)

   この作品のジャンルはSFスリラーというらしい。

6/16 エリザベスタウン(Elizabethtown2005米 キャメロン・クロウ

   オーランド・ブルーム、キルスティン・ダンスト、S.サランドン

   主題は恋?家族の絆?故郷の温かさ? どれも中途半端で退屈。

6/20 チェンジリング(changeling2008米 C.イーストウッド

   アンジェリーナ・ジョリー、ジョン・マルコヴィッチ

   タイトルの意味は「替え玉」。1928年にロサンジェルスで起こった

事件をもとにしたサスペンス。

6/21 ランドガールズ イギリスのTVドラマ シリーズ123

   ベッチ・ゲメル、スーザン・クックソン、マーク・ベントン

   第2次大戦中のマナーハウスと農場を舞台にした群衆劇。

まだ話は完結していない。早く続きを作って~。

6/26 わが家のおバカで愛しいアニキ(OurIdiot Brother2011

   ジェシー・ペレッツ

   ポ=ル・ラッド、エリザベス・バンクス、ゾーイ・デシャネル

   登場人物はみんなどこかおかしくて憎めない。姉妹のうち下の二人

はすごい美人。レズの相手は杏にそっくり。で、気楽に楽しめる。

6/27 ブレードランナー(BladeRunner1982米 リドリー・スコット

   ハリソン・フォード、ション・ヤング、ダリル・ハンナ

   原作はF.K.ディック。「人間的感情を持つアンドロイド・レプリカ

ントの悲しさ」が印象的。音楽(ヴァンゲラス)もいい。

7/10 エアフォース・ワン 1997米 W.ペーターゼン

   ハリソン・フォード、ゲイリー・オールドマン

   ハイジャック・グループとの攻防もすごいけれど、長時間飲まず

食わずでトイレにも行かないのがすごい(と、低レベルの感想)。

7/16 愛おしき隣人 スウェーデン ロイ・アンダーソン

   エリザベート・ヘランダー、ジェシカ・ルンドベリ

   青白い皮膚の男女が不機嫌な表情で動き回るのが美しくもあり、

   不気味でもあり……

7/26 ロビンとマリアン 1976米英 リチャード・レスター

   ショーン・コネリー、オードリー・ヘプバーン、ロバート・ショウ

   ロビンフッドの晩年をコネリーが熱演。マリアンはヘプバーンに

   よく似ているなあと思って見ていたら本人でした(!)

7/26 恋するパリのランデヴー 仏 ジェームズ・スコット

   ソフィー・マルソー、ガド・エルマレ、モーリス・バルテレミ

   ドタバタふうの展開ながら、ストーリーも結末も納得できる。

   ソフィー・マルソーがかわいくて素敵な大人になっている。

7/27 白い沈黙 2014 アトム・エゴヤン

   ライアン・レイノルズ、スコット・スピードマン

   神経に障るサスペンスドラマでした。カンヌのパルム・ドールに

   ノミネートされたそうだが。

7/29 マラヴィータ 2013米 リュック・ベンソン

   ロバート・デニーロ、ミシェル・ファイファー

   アクション・コメディーだそうだ。家族の絆は深まったかも知れ

ないけれど、なんの解決にもなっていないのが気になる。

7/29 365日のシンプルライフ(tavarataivas2014 ルーッカイネン

   ペトリ・ルーッカイネン

   ヘルシンキに住む青年が失恋をきっかけに所持品ゼロからの出発

に挑んだドキュメンタリー。

7/30 幸せの行方(All GoodThings2010 A.ジャレッキー

   ライアン・ゴズリング、キルスティン・ダンスト

   実話を基にしたミステリー。息子も異常だが父親も異常。ヒロイン

   は気づくのが遅すぎる。ゴズリングの顔を見ればすぐわかるのに。


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# by nishinayuu | 2017-09-09 11:29 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(1)

『赤毛のアン』(モンゴメリ、訳=村岡花子、新潮社)

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Anne of Green Gables』(Lucy Maud Montgomery,1908

『赤毛のアン』シリーズの第1巻目「グリーンゲイブルズのアン」である本書を改めて読み直してみたのは、ある人から次のような疑問をぶつけられたからだった。

5章でアンが自分の身の上を語りながら「トマスの小母さんはあたしを牛乳で育ててくれましたの。あのねえ、あたしにはわからないんですけれど牛乳で育った子はおかあさんのお乳で育つのよりよくなるわけなんでしょうか?あたしがいたずらをするたんびに、小母さんは牛乳で育てたのにどうしてそんな悪さをするのかって叱りましたよ」と言っているが、当時は母乳でなく牛乳で育てることが奨励されていたのだろうか。

そこで、グーテンベルク・プロジェクトで原文に当たってみたところ、この部分は次のようになっている。

Shebrought me by hand. Do you know if there is anything in being brought up byhand that ought to make people who are brought up that way better than otherpeople? Because whenever I was naughty Mrs. Thomas would ask me how I could besuch a bad girl when she had brought me up by hand---reproachful-like.

[bringup by hand]を辞書で調べてみると「母乳でなく人工乳で」と「手ずから、手塩にかけて」という二つの意味が出ている。村岡花子さんは前者の意味にとって訳したため、人工乳育児と母乳育児を比較するような、かなり大胆な意訳になったのではないだろうか。ここは後者の意味にとって、[other people]も「それほど大切に育てられていない子たち」くらいにしておいたほうがいいように思われる。当時のカナダで人工乳育児と母乳育児の善し悪しが問題になっていたのだとしたら話は別であるが。

上記の部分を除けば、本書の文は驚くほど滑らかで読みやすい。古くさい表現(ほしがっていなさる、連れて行ってくだすった、あなたがきあわせなすって)があったり、今では普通に使われるゼラニウムが「あおい」となっていたり、とちょっと気になる点がないわけではないが、インターネットもない時代にこれだけの翻訳をやってのけた訳者の力量にあらためて感銘を受けた。

シリーズの中ではやはりこの最初の巻が断然面白い。アンがどんどん変化し、成長していくのにつれて、アンに振り回されるマリラもどんどん変化し、成長(?)していくところがいいし、そのふたりの変化を満足げに見守っているマシュウはほとんど変化しないところもいい。(2017.6.2読了)


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# by nishinayuu | 2017-09-05 09:34 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『妻は二度死ぬ』(ジョルジュ・シムノン、訳=中井多津夫、晶文社)


Les Innocents』(Georges Simenon, 1972

c0077412_09441187.jpg主人公のジョルジュ・セルランはパリ有数の宝石デザイナー。サントノレ通りの有名宝石店で10年近く働いていたが、その店の店員だったブラシェに誘われてセヴィニェ通りにある宝石店の共同経営者となった。資本を提供したブラシェの方が主役だったことは言うまでもないが、ブラシェは宝石店を回って注文をとることが仕事で、セヴィニェ通りのアトリはもっぱらセルランの領分だった。こうして二人の関係は17年も続いていた。

「人は幸せな時それと気づくものなのだろうか。しかし、セルランなら、躊躇することなく、自分が日々幸せであり、その幸せがおびやかされるようなことは絶対におこりえない、はっきりとそう言ってのけたかもしれない。経営者に何ひとつ気がねをしないで、好きな仕事をしていられるのである。妻のアネットや二人の子どもたちも何ひとつ余計な心配をかけるわけでもなかった。」

ところがある日、妻のアネットが、ワシントン通りでトラックにはねられて死んでしまう。ケースワーカーとして働く彼女の受け持ち区域でもなく、彼らの住まいのあるボーマルシェ通りからも離れたワシントン通りに、アネットはその日なぜ出かけたのだろうか。事故現場を訪ねたセルランは、やがて思いもかけない妻の秘密に行き当たる。

本作には、妻との出会いと20年にわたる結婚生活のあれこれ、子どもたちとのやりとり、アトリエで働く仲間との交流などがこまごまと描かれており、ホームドラマのような趣がある。ミステリーの大御所である作者はこの作品を発表したあと絶筆を宣言し、その後は雑記のようなものしか書いていないという。因みに、訳者あとがきに次のような文があり、なるほど、と思ったので書き留めておく。

「子どもたちに対するセルランの理解と思いやりは、シムノンをほうふつとさせる。また、本書の子どもたちに母親の影が全く認められないのもシムノンらしい。シムノンは子どもたちの母親とかなり以前に離別しており、「母親」を排除したいという願望があったことは否めない事実だからだ。」

2017.5.31読了)


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# by nishinayuu | 2017-09-01 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)