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『カールの降誕祭』(フェルディナント・フォン・シーラッハ、訳=酒寄進一、東京創元社)

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『Carl Tohrbergs Weihnachten』(Ferdinand von Schirach, 2012)



本書には下記の三つの短編が収録されている。
『パン屋の主人』――語り手は肥満体の男で、「昔はまともなパン屋だった」が、事件を起こして店も妻も失った。彼は今、音楽大学に通う日本女性に恋をしている。彼女のために一日がかりで「黒い森のサクランボケーキ」を作り、翌朝アパートの3階に住む彼女のところに届けに行く。ここで事件が起こる。その日の午後、彼はキオスクの主人とコーヒーを飲みながら、ケーキ好きな人が多いという日本に行ってケーキ屋を開く、という夢を語る。ついでに「日本の女は太った男が好きらしいんだ。相撲取りがポップスター並みの人気だっていうから」とも言う。このときはもう音大生の日本女性のことはすっかり忘れていた。
『ザイボルト』――自分で決めた規則に従って日々を過ごしてきた謹厳実直な裁判官のザイボルトが定年退職する。2週間後にヴェネツィアに旅立つが、「ヴェネツィアは美しくない。典型的なだけだ」とわかったザイボルトは予定を変更して帰国する。定年退官してから3ヶ月後、ザイボルトは再び裁判所に顔を出し、昔の席に座ってファイルを読んだりして過ごした。皆に敬遠されているのに気がついた頃、ちょっとした事件を起こしたのをきっかけに、ザイボルトは裁判所に来なくなる。やがて「また旅に出た」という葉書が妹の元に届いたきり、音信不通になる。
『カールの降誕祭』――主人公のカール・トーアベルクはザルツブルクの名門の家に生まれた。父は小さな宝石店を営んでいたが、客にも帳簿にも興味がなかった。ザルツブルク音楽祭の実行委員の一人だったので、家にはお客が絶えなかった。家を仕切っていたリューヒェン=ヘルムシュタット公女である母は、貴族制度が廃止されたことも、家にはもう金がないことも認めようとせず、誰にも彼にも高圧的な女性だった。カールは14才から本格的に絵を描き始め、3年後には「彼の絵は具体的な形を失い、色彩が混ざり合い、透明になり、光と色彩を持つ水だけで成り立っているように見えた」。そんなカールの絵を、母は「所詮はクズ」と切り捨てた。カールは絵を捨てて合理的な数学の世界にのめり込む。後年、クリスマスに母のところを訪れたとき、カールは数学でも合理的に説明できないカオスを見てしまう。カールは脳内が真っ白になり、静寂に包まれた冬景色の中を歩く自分を見る。雪の中からホルバインの「大使たち」を掘り出す。「この絵を正面からでなく、極端に斜め横から見ると、カンヴァスに別の絵が現れる。髑髏だ。(中略)このときカールは自分が何をしなければならないかわかった」のだった。

三作とも、読んでいるうちにシーラッハの不条理犯罪の世界にとりつかれる。そしてタダジュンの絵が、これらの作品の恐ろしさと暗さとある種の美しさをいっそう引き立てている。なお、巻末の訳者あとがきには、懇切丁寧な作品解説と共に、訳者と作者の「秘密の話」も盛り込まれていて、大いに楽しめる。(2016.11.3読了)
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by nishinayuu | 2016-12-31 11:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『그들만의 사랑법』(박완서,열림원)

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『彼らなりの愛の形』(朴婉緒)
韓国語講座のテキスト『노란집』(黄色い家)の中の1編。


この話の主人公は、田畑をやりながらその日その日を懸命に生きてきた老夫婦。今は子どもたちも巣立って二人だけになった二人は、いっしょに農作業をして、疲れたらマッコルリで一休みする。肴なしで飲むのは身体に悪い、と老いた夫のためにあれこれ肴を用意している老妻。その老妻もいける口なので、ふたりは差しつ差されつマッコルリを飲む。老いた妻は、一人ぼっちで酒を飲ませるわけにはいかないから先には死ねない、と思いながら。老いた夫は、しなびた老妻の穏やかな顔を見ながら死ねたらどんなに幸せだろう、と老妻の健康を気遣いながら。

朴婉緒は翻訳本をいくつか読んでいるが、韓国語で読むのは初めて。一つの文がやけに長いのと、見慣れない単語や表現が多くて読むのにかなり苦労した。こういう文に比べると、いつも読んでいる兪弘濬の『文化遺産踏査記』は格段に読みやすいということがわかった。せっかく勉強したので、今後役に立ちそうな表現を箇条書きにしておく。
명절에나 코빼기를 볼까 말까이다 (祝日などにちょっと顔を見せる程度だ)
권커니 잣거니 마시다 (差しつ差されつ酒を飲む)
주사를 부릴 만큼 취하다 (悪酔いする)
한잠 자고 나면 거뜬히 일할 신명을 돌이키다 (しばらく眠ったらまた働く気になる)
(2016.10.31読了)
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by nishinayuu | 2016-12-27 15:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

[村上春樹とノーベル賞]

c0077412_10473940.jpg2016.12.5の韓国語講座で話した3分間スピーチ の原稿です。

[무라카미 하루키작가가 노벨문학상을 수상할 수 없는 사연]
「村上春樹氏がノーベル賞を受賞できない理由」

매년 10월에 스웨덴아카데미가 노벨문학상 수상자를 발표하는데, 그 발표 날짜가 다가오면 일본에서는 무라카미 하루키작가의 수상에 대한 기대치가 높아져요. 그런데 올해도 그는 노벨상을 놓쳤기 때문에, 매스미디어, 출판사, 책방들은 물론 일반 사람들도 많이 실망한 모양이에요.
저는 무라카미 하루키작가를 별로 좋아하지도 않고, 그가 노벨상을 받든 말든 개의치 않지만, 올해의 문학상이 일반적 문학자가 아닌 포크시인에게 주어진다는 소식을 듣고 좀 놀랐어요. 아, 스웨덴아카데미는 그렇게까지 무라카미 하루키작가에게 노벨문학상을 주고 싶지 않은가 보구나, 그렇게 느꼈어요.
그런데, 스웨덴아카데미가 그토록 그 작가를 싫어하는 이유가 궁금한데, 저에게는 짚이는 게 하나 있어요. 아마 여러분들도 기억하시죠? 2009년 무라카미 하루키작가는 [예루살렘상] 이라는 이스라엘 최고의 문학상을 수상했고, 그때 그가 수상식에서 한 스피치가 많이 주목을 받았어요. 그 스피치에서 그는 이렇게 말했어요.
[높고 단단한 벽에 부딪혀 망가지는 달걀을 떠올렸을 때, 나는 언제나 달걀 편에 서겠다]. 이스라엘을 단단한 벽에, 팔레스티나를 깨지기 쉬운 달걀에 비유하면서 이스라엘이 가자를 공격하는 것을 비판한 것이죠. 아주 훌륭한 스피치여서 저는 그 작가를 재인식했는데, 그 스피치를 들은 이스라엘 수상의 표정이 굳어졌다는 소식도 들었어요. 그 스피치 때문에 무라카미 하루키작가는 유태인 사회에서 미음을 산 것이고, 뿐만 아니라 유태인들이 은연한 세력을 갖고 있는 유럽사회 전체에서 미움을 산 것이 틀림없을 거예요. 이런 사정이야 말로 무라카미 하루키작가를 노벨문학상에서 멀리하는 가장 큰 사연이 아닐까 싶어요.
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by nishinayuu | 2016-12-23 10:48 | 随想 | Trackback | Comments(2)

『さいごの恋』(クリスチャン・ガイイ、訳=野崎歓、集英社)

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『Dernier Amour』(Christian Gailly,2004)
『ある夜、クラブで』の作家による、これまた音楽家の物語。ただし今度はクラシック音楽、それも前衛音楽の作曲家の話である。


主人公はフランスの作曲家ポール・セドラ(もちろん架空の人物です。念のため)。1987年の夏、チューリッヒの夏のフェスティヴァルに集う大観衆を前に若い男女で構成されるアレクサンデル・カルテットの演奏が始まる。最初の曲・ハイドンの弦楽四重奏曲第6番が終わると会場は熱狂的な拍手に包まれる。ところが2番目に演奏されたポールの弦楽四重奏曲第3番はこの日の若い聴衆を憤慨させ、演奏は中止に追い込まれてしまう。あまりにのろすぎ、長すぎ、暗く沈んでうらぶれていたからだった。聴衆の罵倒の声を聞きながら、客席の8列目にいたポールは会場を抜け出す。
ところで、チューリッヒの若い聴衆から拒絶されたポールの弦楽四重奏曲は、このときのポールの状況にぴったりの曲だった。病に冒されて余命幾ばくも無いことを悟ったポールは、妻の了解を得たうえで、たった一人で人生に幕を下ろそうとしていたのだ。このポールの最後を看取ることになったのが、なんと「あの夜、海辺のジャズクラブで」運命的に出会ったシモンとその相手のデビーだった。というわけで読者はこの作品で、シモンとデビーの夫婦として年輪を重ねた姿に再会することになる。

本作にはハイドンとベートーヴェンの弦楽四重奏曲が登場する。そのうち「ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番、作品番号131」は、1826年に作曲された、作曲家最晩年の傑作のことらしいとわかった。しかしハイドンの「弦楽四重奏曲第6番、作品番号20」というのがよくわからない。ハイドンの弦楽四重奏曲は曲の番号や作品番号が入り乱れているうえ、別人の曲も紛れこんでいるということで、特定するのが難しい。「イ長調で、四つの楽章から構成され、最後の楽章はフーガ」とあるのと、各楽章の速度記号から類推して、たぶん次の曲だろうと思う。
弦楽四重奏曲第36番(or第24番)イ長調、作品20-6(1772年作曲)
CDも持っていないし、webで探しても曲を提供しているサイトが見つからないので、どんな曲なのかわからないのが残念。(2016.10.30読了)
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by nishinayuu | 2016-12-19 10:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ある夜、クラブで』(クリスチャン・ガイイ、訳=野崎歓、集英社)

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『Un Soir au Club』(Christian Gailly,2001)



物語は次のように始まる。
ピアノはシモン・ナルディスにとって、画家アングルのヴァイオリンのような道楽ではなかった。アングルのヴァイオリンよりはるかに大事なものだった。彼にとってピアノは、アングルにとっての絵画だったのだ。その彼がピアノを弾くのをやめてしまった。アングルだって絵を描くのをやめたかもしれない。もしアングルがそうしたならば、残念なことだっただろう。シモン・ナルディスの場合、それは実際残念なことだった。

なんと滑らかで軽妙な書き出しだろう。物語がどう展開していくのか、大いに期待がかき立てられる。主人公のシモンはかつてジャズピアニストだったが、事情があってピアノから離れ、世間から忘れられ、姿を消し、抹消された。そのあとは業務用の暖房システムを機能させ、コントロールする、という仕事で暮らしてきた。その彼が三連休の前日、海岸沿いの工業地帯に出かけることになった。工場の技師の手には負えない故障を解決するためだった。
修理に手間取り、シモンは予定していた帰りの列車には乗れなくなる。帰りが遅れることを妻のシュザンヌに知らせなくてはならない。連休にはシュザンヌと出かける約束があったからだ。彼女の勤務先に電話し、彼女が席を外していたので伝言を残す。やっと修理を終えたところで、工場の技師がお礼にといってシモンをナイトクラブに誘う。列車の時間を気にかけながらも、シモンは技師の気持ちを汲んで誘いを受けいれる。
海に近いその土地は工業地帯であると同時にヴァカンス向きの場所でもあった。ナイトクラブでは若いアメリカ人のグループがジャズを演奏していた。その演奏に刺激され、シモンは二度と触れるつもりはなかったピアノの鍵盤に手を伸ばし、やがて夢中で演奏してしまう。そこへ一人の女性が現れ、彼のピアノに合わせて歌い出す。こうしてシモンは夜の列車にも乗り損ない、翌日の列車にも乗り損なうことになる。

語り手はシモンの親友の画家。彼は、不安にかき立てられて夫を迎えに行こうとするシュザンヌに「もしそうやって待っているのがどうしてもいやだというなら、迎えに行けよ。様子を見に行ってくればいい、少なくともあいつの顔は見られるだろうから」と言ったことを後悔することになる。(2016.10.23読了)
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by nishinayuu | 2016-12-15 09:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ホフマン物語』(E.T.A.ホフマン、訳=松居友、立風書房)


c0077412_10295099.jpg『Tales of Hoffmann』(Hoffmann, 1815)
原書はロンドンのGeorge G. Harrap & Co.Ltdから「Books Beautiful」の一冊として1932年に発行されたもの。マリオ・ラボチェッタ(Mario Laboccetta)による幻想的なイラストレーションが展開する美本だという。

本書もイラストレーションがメインで物語は添え物といった感じの「絵本」である。前半は「まえがきにかえて」と題され、1ページもしくは見開きの2ページをイラストレーションが占め、それらの隙間に物語が添えられている。ここに展開する物語には『世襲権』(1817)、『砂男』(コッペリアの原作、1817)、『荒びれた家』(1817)、『運命の糸』などのタイトルが付けられているが、ホフマン作品をそのまま翻訳したものではなく、全体で一つの、ホフマンの文学と生涯を紹介する物語になっている。
後半は『ジルベスターの夜の出来事』というまとまった一つの物で、主人公は鏡に映る自分の姿を悪魔に売ってしまうエラスムスという男。これは作者が友人であるシャミッソーの『ペーター・シュレミールの不思議な物語』(自分の影を悪魔に売った男の話)に刺激を受けて書いたものだという。

『ホフマン物語』は子供の頃に映画(1952年制作)を見たことがある。オッフェンバック作曲のオペラをほぼ忠実に映画化した作品だそうで、美しい音楽と妖しい雰囲気の映像の断片が記憶に残っている。『赤い靴』と同じくモイラ・シェアラーが出演しているが、その辺のことは全く覚えていないので、いつか機会があったらまた見てみたい。(2016.10.21読了)
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by nishinayuu | 2016-12-11 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『わたしは灯台守』(エリック・ファーユ、訳=松田浩則、水声社)

c0077412_1017331.jpg『Je suis le gardien du plare 』(Éric Faye, 1997)
表題作は世間から切り離された場所で生きる灯台守を「愚かな世間と戦い、その世間が狡猾にも提示してくる順応主義という名の甘言や誘惑をややもすると受け入れてしまいがちな自分と戦う」人間として描き出している。著者はこの灯台守のような人々を「象牙の塔の間借り人」と名付け、表題作を含めて九つの短編で彼らの「たった一人の反乱」を描いている。
ただし、彼らはあくまでも「間借り人」であって、いつかは自分の意思で(あくまでも世間からの甘言や誘惑に屈することなく)「象牙の塔」を出て行く日が来ることを予期している。表題作の灯台守も、他の作品の主人公たちも、世間からのちょっとした合図、世間と繋がる一筋の糸に神経をとがらせながら、その時を待っている。すなわちそのときが来るまで、彼らのがむしゃらで、ときには滑稽で、なんとも奇想天外な孤独の戦いは続く。
収録作は以下の通り。
『列車が走っている間に』――並行して走り続ける二つの列車。互いに姿は見えるが、双方の乗客たちの人生は決して交わることはない。
『六時十八分の風』――ステップの中にあるタカ=マクラン(!)の町。急行列車は3年前から停車しなくなり、町の名は地図からも消える。その町のあたりを列車が通過するのが六時十八分だと知った男は、その時刻に列車を飛び降りる。
『国境』――高く聳える国境の向こうを眺めようと、頂上を目指して登り始めた男。時が経ち、季節は巡るが、頂上は依然として果てしなく遠い。
『地獄の入り口からの知らせ』――ある日わたしが拾い上げてポケットに入れた黒い表紙の手帳。1週間後に開いてみると、1週間前の日付のところに「今日、わたしは発見してもらった。見知らぬ男の人のポケットの中で一日目を過ごす」とあった…。アドレス欄にはたくさんの名前があったが、覚えのない名前ばかりだった。15年後にその欄を開いてみるとかなりの名前を知っていた。手帳はずっと引き出しの奥にあったのに。
『セイレーンの眠る浜辺』――わたしはサント・モンターニュの浜辺に漂着した女を見ている。修道院の第7バルコニーの333㍍の高みから。警察の巡視艇が来て倒れている女を引き取っていった。おそらくあれは、わたしが見て、近づくことのできたであろう最後の女だった。
『ノスタルジー売り』――ノスタルジー売りは第二日曜に広場や、旧市街の狭い道に店を構える。古本や玩具、古道具が売られている小道を歩いて行くと、木々の下にベンチが見える。時間の向こう側に置かれたベンチには愛し合っている二人の人間がいる。二人のうちの片方はあなただ。
『最後の』――寒さの厳しくなりつつある森の中をただひとりでさまよう彼は、その系統の最後の存在だった。
『越冬館』――パリから遠く離れたヘルシニア山塊の麓にある「越冬館」に引きこもって4日。わたしはひたすらアヌークが現れるのを待っている。サティのグノシエンヌの中のいちばん暗い曲を聞きながら。
『わたしは灯台守』――この灯台の周囲には船舶に注意を促す必要のある暗礁など一つもない。ここに着任して以来、わたしは一艘も船舶を見たことがない。この灯台の目的は、自分の存在を知らせること以外、他にない…。思索のための時間も思索のための言葉も有り余るほどある灯台守の独白が続く。

☆9編のうち一押しは『六時十八分』。全ページの二分の一を占める『わたしは灯台守』は、内容もその分だけ重くて、疲れました。(2016.10.15読了)
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by nishinayuu | 2016-12-07 10:18 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

「2016.10.17の課題作文」


c0077412_185928.jpg韓国語講座で、法頂の随筆「無所有」に出てくる表現を「一字一句変えずに使って」短文を作る、という宿題がでました。その表現が使われる状況を作り出す必要があるのですが、1文ずつ状況を説明するのは煩雑なので、昔話の「鶴の恩返し」を借りたストーリーに課題の表現を嵌め込んでみました。


옛날 옛날에 어느 마을에 가난한 사나이가 살고 있었다. 어느 날 그는 산에서 사냥을 하다가 올가미에 학 한 마리가 걸린 것을 발견했다. 그는 올가미로 입은 상처를 치료한 뒤 학을 놓아주었다. 학이 너무나 아름다워서였다.
몇일 후 예쁜 여자가 그를 찾아와 함께 살고 싶다고 했다. 그는 당황해서 말했다. “나는 결혼할 생각이 없어. 적어도 지금의 내 분수로는 그렇다.”

여자가 대답했다. “살림살이 때문에 적잖이 마음이 쓰이게 된다 는 것을 염려하시는 거죠? 그러나 제가 베를 짤 줄 알아서 살림살이에는 아무 걱정도 없을 겁니다. ”
남자가 여자를 방으로 안내해주더니 여자는 밤새도록 베를 짜서 비단 한 필을 만들었다. 솜씨가 아주 훌륭해서 남자는 여자가 아마 명수(名手) 소리를 듣고도 남았을 것이다 고 생각했다.
남자가 그 비단을 가지고 장터에 갔더니 그 비단을 본 사람들은 한결같이 좋아라 했다. 비단은 비싼 값으로 팔려서 남자는 많은 돈을 지니고 집에 돌아갔다.
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by nishinayuu | 2016-12-03 18:06 | 覚え書き | Trackback | Comments(0)