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『夏の家、その後』(ユーディット・ヘルマン、訳=松永美穂、河出書房新社)

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『Sommerhaus, später』(Judith Hermann, 1998)
九つの短編が収録された本書は1970年にベルリンで生まれた著者のデビュー作で、半年の間に10回も増刷されたベストセラーだという。
印象的だった作品は以下の通り。

*紅珊瑚――曾祖母と一緒にロシアにやってきた曽祖父は、あちこちに炉を作る仕事をしていて長い間家を空けていた。その間、曾祖母はペテルブルグのマールイ通りの家でドイツへの郷愁に浸っていた。曾祖母は美しい人だった。曾祖母のところには崇拝者が押しかけた。曽祖父がやっと家に戻ってきたとき、曾祖母は紅珊瑚の腕輪を着けた。それは崇拝者の一人、セルゲイヴィチから贈られたものだった。そのせいで曽祖父は命を落とすことになり、曾祖母は左の手首に紅珊瑚の腕輪をしてベルリン行きの列車に乗った。柳の籠にセルゲイヴィチに似たわたしの祖母を入れて。
*ソニア――ソニアに初めて出会ったのは、ハンブルクで恋人のヴェレナと八日間過ごした後、ベルリンへ向かう列車の通路だった。彼女はちっとも美人ではなかった。コンパートメントに戻ろうとして振り向くと、彼女がじっと見つめていた。その視線には色気や戯れやつやっぽさはなく、むしろ殴りたくなるような、ある種の真剣さと露骨さがあった。そしてベルリンの動物園駅で降りると、彼女はぼくのすぐ前を歩いていた。キオスクで立ち止まり、たばこと夕刊を買おうとすると、彼女が僕の隣にいて「待っててあげようか」と言ったのだった。
*何かの終わり――祖母の最後の年の話をゾフィーが語る。祖母が話せるお話は二つあった。一つは戦争中の話で、ソ連軍がベルリンに迫っていたので列車で逃げた時、駅じゃないところで列車が止まったら6歳の息子がおしっこをしたがった。それで息子を外に出したら列車が急に発車して、息子は野原の真ん中に取り残されてしまったという話。もう一つは戦後の夏のこと。姉(ゾフィーの母)と弟(野原に取り残された子)がパチンコで遊んでいて、姉が弟の目に石を当ててしまったため、弟は義眼になったという話。そして祖母は炎の中で踊りながら逝った。
*ハンター・ジョンソンの音楽――ワシントン・ジェファーソン・ホテルはもうホテルではなくなっていた。避難所であり、年とった人々の救貧院、死ぬ前の最後の腐りかけた逗留所、お化け屋敷だった。5階の一部屋に住むハンターは、復活祭前の金曜日、いつもの夜と同じように音楽を聴いていた。曲はグレン・グールドの弾くバッハの平均律クラヴィーア。とそのときハンターの部屋の前で床板がパシッときしんだ。そっとドアを開けると「出口」表示の緑の明かりの中に女の子が立っていた。
*夏の家、その後――もう会わなくなって長いシュタインがある日電話してきた。「家を見つけたんだ」と。それでなんとなくわたしはシュタインのタクシーに乗り、マリア・カラスが歌うドニゼッティのアリアを聞きながらカニッツまで家を見に行った。その家はカニッツの村道のはずれに、ずっと昔に漂着した、誇り高い船のように立っていた。大きな三階建ての赤煉瓦の農家で、傾いたベランダはびっしりと絡みついたツタのおかげで保たれているようなものだった。美しい家ではあったが、それは廃墟だった。
*オーダー川のこちら側――コバーリングが妻のコンスタンツェ、幼いマックスと過ごしている夏の家に、アンナがマリファナ野郎と一緒に現れて、2,3日泊めてほしい、という。アンナは昔の友人ピエロ親父の娘で、彼女の子どもの時以来何年もあっていなかった。静かな日常を乱されて、コバーリングは面白くなかった。アンナのあつかましさも気に障るし、マリファナ野郎はなおのこと気に入らなかった。マックスが珍しいお客に魅せられているのも面白くなかった。

著者は自分の年齢に近い人々の生態だけではなく、年上の人々や老人たちの言動や心情までもつぶさに描きだしている。特に「オーダー川のこちら側」のコバーリングはその人生の軌跡が知りたくなる興味深い人物である。『紅珊瑚』、『何かの終わり』なども長編小説にしてもよさそうな内容の濃い作品である。(2016.1.6読了)
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by nishinayuu | 2016-03-30 07:47 | 読書ノート | Trackback(1) | Comments(1)

『冷たい晩餐』(ヘルマン・コッホ、訳=羽田詩津子、イースト・プレス)

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『The Dinner』(Herman Koch, 2009)



物語は次のような文で始まる。
「私たちはディナーに出かけることになっていた。どのレストランかは教えるつもりはない。次に行くときには、我々を見たがる連中で満席になりかねないからだ。セルジュが予約をした。(中略)この特別なレストランは三か月前に電話しなくてはならない店だ。(中略)セルジュは当日に予約する。セルジュ・ローマンのような客のために常にテーブルを確保している何軒ものうちの一軒だ」

語り手の名はパウル・ローマン。セルジュというのは彼の兄で、「大物」らしいことが上記の文からわかるが、語り手がこの兄をくだらない人間だとみなしていることもおいおいわかってくる。
そもそも高級レストランなどには来たくなかった語り手は、レストランのなにもかもが気に障るのだった。スーパバイザーとかヘッドウェイターとか呼ばれる支配人の、ブルーのピンストライプが入った淡いグリーンのスリーピース、ほとんど聞き取れないほどに抑えられた声、何かを指すときに突き立てられる小指。さらにはワインのコルクを抜くことひとつにもかかりすぎる時間、食べ物以外の空間がやたらに広い皿、食材についての過剰なまでに詳細な説明、頼んでもいないのにひっきりなしに注ぎ足されるワインなどなど、高級レストランのいやらしさをやや変質狂的におちょくるパウル、それをうまくコントロールしながらそれとなく夫に協力する妻クレア。二人が互いをよく理解している仲の良い夫婦であることが分かる。さらにはセルジュの妻バベットまでが対セルジュでパウルたちに連帯しているかのような雰囲気のなか、二組の夫婦の晩餐は進んでいく。
しかしこれは本題に入る前の前菜の部分で、「冷たい晩餐」のメインはこの後に怒涛のようにやってくる。パウルとクレア、セルジュとバベットがその日この高級レストランにやってきたのは、両家にふりかかった重大問題を四人で話し合うためだった。それはパウル一家の15歳になる息子ミシェル、セルジュ一家の同じく15歳のリックとブルキナファソから迎えた養子のボウにかかわることで、さらには次期大統領候補であるセルジュの政治家生命にもかかわることだった。

精神疾患の問題、ホームレスの人権問題、他国から養子を迎える問題などなど、突き詰めないままに終わっている事柄がいろいろあるが、これらはこの物語のいわゆる「信頼できない語り手」の語るべきテーマではないということだろう。(2016.1.2読了)
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by nishinayuu | 2016-03-26 09:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『四十日』(ジム・クレイス、訳=渡辺佐智江、インスクリプト)

c0077412_9252512.jpg『Quarantine』(Jim Crace、1998)
巻頭に次の言葉が掲げられている。
平均的な体重と体力を備えたふつうの男性が、完全な断食――つまり、その断食の期間中は、食べ物も飲み物もいっさい摂らない――を行った場合、三十日以上生存することも、また、二十五日以上意識を保つこともありえない。その男性が、聖書に記述されている四十日の断食を完遂することは、不可能であろう。もちろん、神の助けがあれば別かもしれないが。しかしながら歴史は、そのたぐいの介入を記録することはなく、医学はそれに異議を唱えるものである。(『The Limits of Mortality』 Ellis Winward & Michael Soule, Ecco Press, 1993)

というわけでこの物語は、イエスの沙漠における四十日四十夜の断食という聖書の記録をもとにして、実際はどんなことが起こったのかを解き明かして見せたものである。主な登場人物は――
沙漠を移動中の商人ムーサ、その妻で妊娠6か月のミリ、結婚して10年になるのに子供ができないマルタ、癌で死にかけている老人アファス、異国人風で学がありそうな金髪のシム、言葉が全く通じないバドゥ族の男、そしてまだ少年のような若きイエス、という男女7人である。ムーサとミリ以外はそれぞれ思うところがあって40日間の断食修行をするために沙漠にやってきた者たちである。
沙漠という過酷な環境の中での断食修行、ということでさぞやすさまじいことに……と思いきや意外にも、各人に一つ一つの洞穴という住居はあり、衛生的には疑問ながらも一応水場があり、夜は飲んだり食べたりもできる。洞穴は「この辺一帯の所有者」であるムーサが賃貸ししてくれたもの、水場は実は熱病で死ぬはずだったムーサの墓にするつもりでミリが掘った穴に水がたまったもの、食べ物はバドゥが狩りをして獲ったものやムーサがミリに作らせて売っているものだ。マルタは一緒に機織りを楽しむほどにミリと親しくなり、しまいには姉妹のようになる。ムーサはムーサで商売に励む一方で、がりがりの妻を捨ててふくよかで金持ち風のマルタをものにしようと狙っている。沙漠の中で、町の中と同じような日常生活が繰り広げられるのだ。
ところがただ一人、ガリーと呼ばれるイエスだけは、誰も近づけない洞穴にこもり、昼はもちろん夜も飲まず食わずで神の声を待つのである。さて彼は、悪魔の誘惑を退けて神の許に行くことができるのだろうか。男たちが砂漠から逃げ出し、二人の女も手に手を取って逃げ出した後、一人の伝道者の誕生を予言するようにして物語は終わる。
限られた空間の中で特に魅力的ともいえない数人の人物が蠢いているだけの物語なのに、描写が細かく、文章が魅力的で、ぐいぐいと最後まで読まされてしまう作品である。(2015.12. 23読了)
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by nishinayuu | 2016-03-22 09:26 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

映画鑑賞ノート22 (2016.1.31作成)


c0077412_144187.jpg2015年9月~12月に見た映画の覚え書きです。
1行目:タイトル(原題)制作年・制作国 監督(鑑賞日)2行目:キャスト 3行目:一言メモ
画像は「リスボンに誘われて」


名探偵誕生(Murder by Death) 1976米 ロバート・ムーア(9.2)
    T.カポーティ、A.ギネス、P.セラーズ、P.フォーク、M.スミス
    ギネスの怪演が光る。真犯人として仮面を脱いだあの人、何者?
スーちゃん、マイチャン、さわ子さん 2012日本 御法川修(9.7)
    柴咲コウ、真木よう子、寺沢しのぶ、井浦新、染谷将太
    原作は増田ミリの人気漫画だとか。柴咲すーちゃんの服装がダサ!
続夕陽のガンマン(The Good,the Bad,the Ugly)1966伊S.レオーネ(9.16)
    イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ、イーライ・ウォラック
    様式美のあるマカロニウエスタン。エンニオ・モリコーネの音楽
    が圧巻。
博士の異常な愛情 1964米 スタンリー・キューブリック(9.18)
    ピーター・セラーズ(英軍大佐、大統領、博士の三役)
    原題=Dr.Strangelove or How I Learned to Stop Worring and
     Love Bomb。博士も異常ならタイトルも異常。
カルテット・人生のオペラハウス 2012英 ダスティン・ホフマン(9.27)
    マギー・スミス、トム・コートネイ、ビリー・コノリー
    往年の名音楽家たちが出演していてすごい。出演させたダスティン・
    ホフマンもすごい。
リスボンに誘われて(Night Train to Lisbon)2012 B.アウグスト(9.29)
    J.アイアンズ、M.ロラン、J.ヒューストン、T.コートネイ
    レジスタンス闘争時代を生きた人々の消えることのない痛みを描い
    た秀作。ドイツ・スイス・ポルトガルの合作。
エレニの帰郷(The Dust of Time)2008希独加露 アンゲロプロス(10.4)
    イレーヌ・ジャコブ、ウィレム・デフォー、ブルーノ・ガンツ
    「歴史に掃き出された」一人の女と二人の男の愛の軌跡。カタラーニ
    作曲『ワリー』の「さようなら、ふるさとの家よ」が使われている。
異人たちとの夏 1988日本 大林宣彦(10.11)
    風間杜夫、秋吉久美子、片岡鶴太郎、名取裕子、永島敏行
    原作=山田太一。プッチーニ『ジャンニ・スキッキ』のアリアが実に
    効果的に使われている。歌詞の内容は全く関係ないけれど。
ビハインド・ザ・ウォール(Wir Sind Das Volk)2008独T.バーガー(10.13)
    アーニャ・クリング、ハンス・メイヤー、マティアス・ケーベルリン
    副題「ベルリンの壁最後の脱出」。ベルリンの壁が生んだ多くの人間
    ドラマの一つ。
チョコレートドーナツ(Any Day Now)2012米 T.ファイン(10.16)
    アラン・カミング、G.ディラハント、アイザック・レイヴァ
    ゲイのカップルが育児放棄されたダウン症の少年を養子にすると…。
    本物のダウン症だというレイヴァはなかなかの演技派。
バチカンで逢いましょう(Oma in Roma)2012独 T・ヴィガント(10.20)
    マリアンネ・ゼーゲブレヒト、J.ジャンニーニ、A.シュタイン
    ヒロインの体は重そうだが、作品の内容は軽快で気持ちよく笑える。
大列車強盗(The Great Train Robbery)1979米 M・クライトン(10.31)
    ショーン・コネリー、D.サザーランド、L.アンダウン
    ヴィクトリア朝時代の実話を基にした犯罪サスペンス。映像は
    美しいけれど、展開がのろすぎ。
Red 2010米 ロベルト・シュヴェンケ(11.1)
    ブルース・ウィリス、J.マルコヴィッチ、M.フリーマン、H.ミレン
    タイトルはRetired Extremely Dangerous の略だという。
世界に一つのプレイブック 2012米 D.O.ラッセル(11.4)
    ブラッドリー・クーパー、ジェニファー・ローレンス、デ・ニーロ
    原題「Silver Linings Playbook」は「逆境に立ち向かう指南書」
    の意だという。素直にそのままの邦題にすればいいのに。
31年目の夫婦喧嘩 2012米 D.フランケル(11.17)
    メリル・ストリープ、トミー・ジョーンズ、スティーヴ・カレル
    気恥ずかしい役をまじめに演じた俳優たちにご苦労様と言いたい。
    それにしてもカウンセラー氏は見るからに胡散臭い。
プール 2009日本 大森美香(11.17)
    小林聡美、もたいまさこ、加瀬亮、伽奈
    小林+もたいの「不思議な時間の流れる世界」。今回の舞台はタイで
    シッティチャイ・コンピラというタイの俳優が出演している。
ラブ・アゲイン(Crazy Stupid Love)2011米 フィカーラ&レクア(11.22)
    S.カレル、R.ゴスリング、J.ムーア、E.ストーン(11.22)
    「31年目の夫婦喧嘩」の「胡散臭いカウンセラー氏」がここでは
    誠実そうな男になっている!
今ここにある幸せ 2015日本 (11.23)
    松田翔太、宮本信子
    脚本=岡田恵和。舞台は福岡の津屋崎。役者もうまいし風景もいい。
    休日に見るのにぴったりのほのぼのとした作品。
ランダム・ハーツ(Random Hearts)1999米 S.ポラック(12.4)
    ハリソン・フォード、クリスティンSトーマス
    ヒロインの薄幸そうな顔に見覚えが、と思ったら「English Patient」
    の恋人役の女優だった。
最高の人生のつくり方(And So It Goes)2014米 ロブ・ライナー(12.7)
    M.ダグラス、D.キートン、スターリング・ジェリンズ
    10歳の孫娘が転がり込んで、偏屈男が「いい人」に変わっていく。
    STにジュディ・コリンズのBoth Sides Nowが使われている。
TAXI NY 2004米仏 ティム・スト-リー(12.6)
    クィーン・ラティファ、ジミー・ファロン、ジゼル・ブンチェン
    強い女性たち(改造タクシーのドライバー、銀行強盗、有能な警察官)
    と、へなちょこのハンサム男の対比が愉快。
フラッシュバック 2008米 ベイリー・ウォルシュ(12.23)
    D.クレイグ、H.イーデン、F.ジョーンズ、ジョディ・メイ
    主演男優が気に入らなくて途中でやめようかと思ったが、ほかの
    キャストとストーリーはなかなか良かった。
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by nishinayuu | 2016-03-18 14:44 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

『死んでいる』(ジム・クレイス、訳=渡辺佐智江、白水社)


c0077412_10225769.jpg『Being Dead』(Jim Crace、1999)
第1章は次の文で始まる。
「その火曜日の午後、動物学者たちは車で街を出た。バリトン湾に続く歌う砂丘を訪れて、過ぎ去った歳月を偲び、そして死者の魂を振り払うために。それが最後となった。二人は、ついに生きて帰ることはなかった。亡骸すら、あやうく帰らないところだった。」
そして最後の章である26章は次の言葉で締めくくられている。
「そしてやはり、今日も昨日も、砂丘はせり上がり、積もり、麓から崩れる。(中略)バリトン湾の岸辺とその彼方のすべての海岸で、潮は満ち干を繰り返し、魚や鳥の、甲殻類やネズミの、軟体動物、哺乳類、二枚貝、カニの死骸と砕けて薄くなった残骸は、何度も何度も波に持ち上げられ、洗われ、形をなくす。そしてジョゼフとセリーヌは、体験の及ばないところで、愛に満ちた無意識の最後を満喫する。これが、永遠に続く終わり、死んでいる日々。」

これらの章に挟まれた各章で、ジョゼフとセリーヌの死体が腐敗していく過程が微に入り細にわたって語られていき、それに並行して彼らの娘であるシルが連絡の取れない両親を探す過程も語られる。その一方で、30年前に二人が出会った日から火曜日までの出来事が、時間を逆に遡りながら語られていき、彼らの死の瞬間までの一日がやはり時間を逆に遡りながら語られていく。こうした四種類の語りが断続的に表れることによって、忌まわしい事件、汚らしい場面、深刻な状況、などが深刻化する前にさらりと躱される。そしてしだいに、ジョゼフとセリーヌという学者夫婦の意外な人間らしさ、娘が両親に抱く複雑な情愛などが、忌まわしさ、汚らしさ、深刻さを圧倒してくる。常識的に見れば愚かで滑稽で腐臭にまみれた出来事を扱っていながら、どこかさわやかともいえる読後感が残る作品である。(2015.12.17読了)
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by nishinayuu | 2016-03-14 10:24 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『나는 죽지 않겠다』(공선옥, 창비)


c0077412_2029921.jpg『わたし、死ぬのやめた』(孔善玉、創作と批評社)
本書は1963年にうまれ、1991年に文壇にデビューした作家による短編集で、次の6作品が収録されている。
『わたし,死ぬのやめた』『一家』『ラーメン最高』『負けない鳳仙花』『こんな母の娘』『麦畑のキツネ』

これらの作品の主人公もしくは語り手は大人になる一歩手前の少年少女たちである。多くは貧しく、様々な問題を抱えた家庭の子供たちである。そんな彼らが自分の言葉で語り、自分自身で問題解決の道を探っていく。したがってジャンルとしては青少年小説ということになるが、作者は、青少年小説を書こうと思って書いているわけではない、という。ただし次のようにも言っている。人は年を重ねるにつれて感性が衰え、何事に関しても青少年期のようには大きく心を動かされることがなくなってしまう。だから大人になってからの人生が味気ないものにならないように、この本を読む青少年たちには今のうちにたくさんの感性を備蓄しておいて欲しい、と。さらに作者は、厳しい状況の真っただ中にある主人公たちに「健闘を祈っている」、という言葉を投げかけている。

ところで、主人公をはじめとする登場人物の多くが見事に「自分たちの言葉」でしゃべってくれているので、韓国語学習者には勉強にもなるが、苦しくもある。ただ、構成も文章もしっかりしているので、内容理解に大きな支障はない。最後に各作品の好き嫌いを言えば、最初の作品は△、二、三、四番目の作品は○、最後の二つは二重丸だった。(2015.12. 9読了)
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by nishinayuu | 2016-03-10 20:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『希望の記憶』(ウィリアム・K・クルーガー、訳=野口百合子、講談社)


c0077412_10363962.png『Copper River』(William Kent Krueger、2006)
「コーク・オコナー」シリーズの一冊である本書は、前作『闇の記憶』の後編で、前作で逃亡者となったコークが「闇」から「希望」へと抜け出すまでに遭遇したまた別の闇の世界が描かれている。つまりこの作品ではコークは副主人公であって、真の主人公はレンとチャーリーという二人のティーンエイジャーである。忌まわしい人間たち、忌まわしい事件が描かれているが、その忌まわしい部分の描写が執拗ではなく、むしろ信頼で結ばれた温かい人間関係が印象に残る作品となっている。
主要登場人物は以下の通り。
*コーク・オコナー:ミネソタ州タマラック郡の保安官。脚を撃たれたため歩行が困難な状態。
*ジュエル・デュボイス:コークの従妹で獣医。オジブアの血を引くがそれを否定しながら生きてきた。長年交流のなかったコークを匿い、治療する。
*レン:ジュエルの一人息子。ミシガン州のボディン地区中学校8年生で14歳。
*チャーリー:レンのガール・フレンドであり、唯一の友達。男に負けないことを誇示するために丸刈りにしている。酒浸りの父と二人暮らしで、父親が手に負えないときは「保護施設」で過ごすこともある。
*デルマー・ベル:「保護施設」の営繕係。
*カルヴィン・ストークリー:セレブのための施設の警備員。
*ネッド・ホダー:ボディンの治安官。ジュエルの古い友人。
*ゲリー・ジョンソン:新聞記者。地元の新聞マーケット・カウンティ・クーリエの編集者。
*ルイス・ジャコビ:『闇の記憶』の登場人物のひとり。「二人の息子の殺害者コーク」を懸賞金付きで追っている。
*ダイナ・ウィルナー:セキュリティ・コンサルタント。ルイス・ジャコビのために仕事をしていたが、今はコークの強い味方。

以上の人々のほかに大きな存在感を示しているのがミネソタでは絶滅したと言われているクーガー。少年レンと傷ついた一頭のクーガーの関係は「スマイラー少年」シリーズのスマイラーとチーターを思い起こさせるが、本書には挿絵もないし説明も特にないので、クーガーについてちょっと調べてみた。クーガー(cougar)はピューマ、パンサー、ともいい、さらにmountain lionともいうそうだ。つまりチーターが豹に似ていて全身が斑点で覆われているのに対して、ライオン系のクーガーには斑点がない。ただし、子どものクーガーにはチーターのような斑点があるので紛らわしい。それはともかく、クーガーやチーターが人間のすぐそばに現れるような土地もあるアメリカという国の広大さと荒々しさを改めて感じさせる読み物である。(2015.12.6読了)
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by nishinayuu | 2016-03-06 10:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ユーリアの日記』(C・ネストリンガー、訳=松島富美代、ほるぷ出版)

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『OH DU HÖLLE!』(Christine Nöstlinger、1986)
著者は『あの年の春は早く来た』(岩波書店)で日本でもよく知られる作家で、児童・ヤング向けの作品を数多く発表している。この作品もオーストリアの14歳の少女が綴る日記という形をとったヤング向けの読み物である。

日記は「6月2日の月曜日」から始まる。この日14歳の誕生日を迎えたユーリアのために一族の人々が集まってお祝いの食事を共にし、プレゼントを持ってきてくれたのだが、ユーリアはそれを「ホームドラマごっこ」と評する。つまり、この日だけはママもパパも「パパのくれる養育費じゃ赤ちゃんひとりだって育てられやしない」とか「離婚したとき何もかもママに残したから自分は毛をむしられたオンドリみたいなもんだ」とかいうことは口に出さなかった。二人のおばあちゃんもお互いの息子ないし娘のことでチクチク言い合ったりしなかったし、ママのおじいちゃんはパパのおじいちゃんの「法に忠実な税理士の苦労に関するお説教」を黙って聞いていたし、パパのおじいちゃんもママのおじいちゃんに魚釣りの話をゆっくりさせてあげていた。おまけにエルフリーデおばさんも静かにしていてくれたし、そのネズミ娘にもなんとかたえられた——おばといとこへの悪態が続き、「私が14回目の誕生日をこの人たち抜きで(もちろんパパは特別)過ごしたかったかもしれないなんて、だれ一人思いもよらなかったんだろうね」と辛らつさがエスカレートしていく。このあとみんながくれたくだらないプレゼントの話、その一つのカチャカチャしたアクセサリーは友達のコリーナがどぎつい緑色のズボンと交換してくれるかもしれないという話、コリーナからの連想で、翌日返されるラテン語の宿題の話などが綴られていく。この一日の日記で、ユーリアがママと二人で暮らしていること、パパが大好きなこと、目下のところどぎつい緑色が好きなこと、くせもののコリーナと仲良しだということ、などなどがいっぺんにわかる仕組みになっている。このあと日記は1年の最後(学年の最後)の6月27日金曜日に成績表をもらって、夏のヴァカンスに突入し、7月17日のヴァカンス先における記事で終わっている。

本書の読みどころは次の2点。一つは、自己中心的な「天動説」の子どもだった少女が、自分を取り巻く事柄や人々への理解を深めていく過程が、1か月半という短い期間の日記に凝縮されていきいきと語られていること。もう一つは家族関係や家庭の事情、学校に関するあれこれが詳しく語られていること。特に学校制度や授業・採点の方法など、日本とはかなり違っているところも興味深い。(2015.11.7読了)
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by nishinayuu | 2016-03-02 13:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)