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『猫は幽霊と話す』(リリアン・ブラウン、訳=羽田詩津子、早川書房)

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『The Cat Who Talked to Ghosts』(Lilian Braun, 1990)
クィラランとシャム猫ココという探偵コンビが活躍するシリーズの10作目。舞台はアメリカのムース郡で、「どの土地からも400マイル北にある、ひなびた閉鎖的な土地」という設定である。長年ここの「南」で新聞記者として活躍してきたクィラランは、クリンゲンショーエン家の遺産相続人となったのをきっかけにここの郡庁所在地ピカックス市に移り住んだ。長身で恰幅のよい50歳の美丈夫(これって死語?)であるクィラランは、立派な口ひげがトレードマーク。なにか事件が起こりそうな気配があると、ココのひげとクィラランのひげが連動して反応する。ココの相棒の雌猫ヤムヤムも、ときどき素晴らしい予知能力を見せることがある。
クィラランがパジャマに着替えてくつろぎ、目下の恋人であるポリー・ダンカンからプレゼントされた『オテロ』のカセット(の時代なのです)を聞いていたとき、「突然、ヤムヤムが身体をこわばらせ、両の足先を重ね合わせた。と同時に、ココの目がぱっと開き、耳が電話の方向に向けられた。10秒後……ベルが鳴った。」
電話をかけてきたのは地元のグッドウインター農場博物館で住み込みの館長を務めているアイリス・コブで、ふだんは底抜けに陽気な彼女が、家の中で奇妙な物音がする、と涙声で訴えるのだった。クィラランの口ひげがぴくりと逆立つ。彼女を落ち着かせようとクィラランが静かに語りかけている最中にまた彼女が震え声で「ああ、神様!あの音がまた始まったわ!窓の外に何かが!」と言ったかと思うと、鳥肌が立つような絶叫を残して電話が途切れる。クィラランがパジャマのまま車に飛び乗り、30分の距離を20分で飛ばして博物館に駆けつけたとき、彼女は台所の床でこと切れていた。
これが事件の始まりで、このあとクィラランはこの土地の呪われた一族グッドウインター家とじっくりつきあっていくことになる。そして『オテロ』は、盛り上がりかけると必ず邪魔が入り、いつまでたっても最後まで聞き通すことはできないのだった。(2015.4.4読了)
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by nishinayuu | 2015-07-30 09:04 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『猫は床下にもぐる』(リリアン・ブラウン、訳=羽田詩津子、早川書房)

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『The Cat Who Went Underground』(Lilian Braun, 1989)
本作はクィラランとシャム猫ココという探偵コンビが活躍するシリーズの9作目。


クリンゲンショーエン家の遺産相続人となったクィラランは新聞記者を引退し、カナダに近いムース郡のピカックス市で悠々自適の暮らしをしている。週に2回「ムース郡なんとか」というへんてこな名称の新聞に『クィル・ペンからのひとこと』というコラムを書くのだけが唯一のオシゴトという気楽な身分だ。
さて今回クィラランは喧噪の町(といってもピカックスの人口はわずか3000なのだが)を離れて一夏を過ごそうと、クリンゲンショーエン家から相続した広大な地所にあるキャビンにやってくる。近くには避暑客たちの共同体〈砂丘クラブ〉があって、若手新聞記者ロジャー・マッギルヴレイの義理の母親で料理の名人のミルドレッドもそこに滞在しているので、楽しい夏が期待できそうだった。
ところがキャビンでクィラランを待ち受けていたのは、暖房機の故障、通風孔の詰まり、水漏れ、断水などなどのやっかいごとだった。なにしろ築75年の建物なのだからそれはしかたがないとして、腹立たしいのは、修理がグリンコ・ネットワークという業者の独占状態で、修理費用が相手のいいなりなことだ。しかも、毎回修理に現れる若い女性の配管工ジョアナ・トラップは、修理の腕は確かだったが、グリンコの領収書に書かれている金額にプラスした金額をクィラランに要求するのだった。
さらなるやっかいごとがクィラランを悩ませる。シャム猫のココとヤムヤムのための部屋を増築することにしたのだが、大工が見つからない。土地のあらゆる職人を傘下に収めているグリンコに、なぜか大工だけはいないのだ。やっと見つかった誠実な大工の青年クレム・コットルは、数日後にぷつりと消息を絶ってしまう。その次にやむを得ず雇った流れ者で怠け者の大工イギーも、数日で姿が見えなくなる。調べてみると、この土地の大工は最近2ヶ月の間に「おそろしいほどの頻度で死んだり、行方不明になったりしている」のだった。ジョアナの父親のジョー・トラップが「事故死」したのを手始めに、流れ者の大工、有能な大工だったパディ・ヤロウ、船大工のフロッグ、と続き、そこにクレム・コットルとイギーが加わったわけで、この土地の「何者かが大工を呪っている」のだとクィラランは推論する。そしてまもなくクィラランの推論の正しさが、床下にもぐるという奇異な行動に執着するココによって証明されることになる。
(2015.4.1読了)
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by nishinayuu | 2015-07-26 10:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『だから荒野』(桐野夏生、毎日新聞社、2013)


c0077412_10565861.jpgこの作品の初出は毎日新聞朝刊(2012年1月1日から2012年9月15日まで連載)で、単行本化に当たって大幅に加筆・修正されたという。またドラマ化されて、NHK-BSの日曜夜22:00~22:49に全8回で放送された。このドラマを何気なく見始めたらけっこう面白くて、5回くらいまでは見たのだが、終わりの方は見損なってしまった。最後がどうなったか気になったので原作を読んでみた。その結果、ドラマと原作にもいろいろ相違点があることが判明。結局『だから荒野』という作品には三つのヴァージョンがあるわけだが、大筋は、一人の女性の自分探しの旅を描いたロード・ムービーであり、家族の崩壊と再構築の物語である。
物語の冒頭でヒロインの森村朋美は46歳の誕生日を迎える。家族の誰も誕生日を祝ってくれそうもないので、朋美は自分で新宿のレストランを予約し、夫の浩光と長男の健太、次男の優太を誘う。ところが、念入りに化粧をし、この日のために用意した若々しいチュニックに着替えた朋美を、家族はうんざりしたような目で見るばかり。高1の優太は一緒に出かけることさえ拒否。浩光は浩光で、いつも通りに朋美が運転するものと決めてかかっている。誕生日の朋美にお酒を楽しませてやろうという気遣いは全くないのだ。さらに、グルメサイトに投稿してそれなりの評価も得ているらしき浩光は、朋美の予約したレストランにあれこれ難癖をつけはじめる。このとき朋美ははっと気づく。朋美は家族の誰にとっても大切な人間ではなくなっていたのだ。それなら、と朋美は食事を中断して席を立つ。家族という「荒野」を捨てて一人で車に乗り込んだ朋美は、どこかにあるに違いない「沃野」を求めて走り出す。高速道路に乗って遠い長崎に向かう1200㎞の長い旅がはじまったのだ。

はじめはヒロインの視点で描かれているが、次第に夫や子どもの視点も取り込まれてきて、女には見えていて男には見えないもの、逆に女から見ればつまらないことでも男には大事なこと、などが浮かび上がってくる。なんの取り柄もないだめ主婦のように思えた朋美がきっぱりした大胆さ(長崎の語り部老人・山岡のいう「猛々しさ」)の持ち主だったこと、無神経で自己中でどうしようもない夫に思えた浩光にも同情すべき点がなくはないこと、健太にも優太にもそれぞれ事情や言い分があることなどを、巧みな展開の中で納得させてくれる作品である。(2015.4.14読了)
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by nishinayuu | 2015-07-22 10:58 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

映画鑑賞ノート20 (2015.7.18作成)

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2015年上半期に見た映画の覚え書きです。
1行目:タイトル(原題)制作年・制作国 監督(鑑賞日)2行目:キャスト 3行目:一言メモ

画像は「Legends of the Fall」

アンストッパブル(Unstoppable)2010米 トニー・スコット(1.12)
    デンゼル・ワシントン、クリス・パイン、ロザリオ・ドーソン
    2001年5月にオハイオ州で起きた列車暴走をもとに制作されたもの。
    主役は機関車たち。
愛情は深い海の如く(The Deep Blue Sea)20011愛蘭 T・ディヴィス(2.4)
    レイチェル・ワイズ、トム・ヒドルトン、S・ラッセル・ビール
    第二次大戦の傷跡が残るロンドンが舞台。バーバーのVコンチェルト、
    Jo StaffordのYou Belong to Meが効果的に使われている。
スターリングラード(Enemy at the Gate)2001米独英愛 J・アノー(2.17)
    ジュード・ロウ、ジョセフ・ファインズ、リチャード・ハリス
    素朴な青年が英雄に祭り上げられたせいで見た1942年冬の地獄。
グリーン・デスティニー(臥虎蔵龍)2000中香台米 アン・リー(2.18)
    チャン・ツイイー、チョウ・ユンファ、ミシェル・ヨー
    ワイアー・アクションがあまりに滑稽。ロマンス映画としては可。
ノートに眠った願い事(가을로)2006韓国 キム・デスン(2.28)
    キム・ジス、ユ・ジテ、オム・ジウォン
    三豊デパート崩壊で死んだ女性の思いを託された男女が名勝地を辿る。
    ラルゴ(ヘンデル)、マドンナの宝石間奏曲(ヴォルフフェラーリ)、
    クラリネット協奏曲のアダージョ(モーツアルト)などが流れる中で。
ハノーバー・ストリート(Hanover Street)1979米 P・ハイアムズ(3.11)
    L・アン・ダウン、ハリソン・フォード、クリストファー・プラマー
    いくらなんでも甘すぎ。プラマーは中年になってもかっこいいけれど。
青い塩(푸른 소금)2011韓国 イ・ヒョンス(3.14)
    ソン・ガンホ、シン・セギョン、チョン・ジョンミョン、金民俊
    先輩俳優たちが一丸となってシン・セギョンの大人デビューを応援。
クレアモント・ホテル2005米英 ダン・アイアランド(3.27)
(Mrs Palfrey at the Claremont)
    ジョーン・プロウライト、ルパート・フレンド、アンナ・マッセイ
    自立して終末を迎えようとする老婦人と自立に悩む青年の交流。
フライト236 2010カナダ シルヴェイン・アルシャンボール(4.11)
    ミシェル・コート、マキシム・ルフラグアイ、S・プレジェント
    実話に基づいたヒューマンドラマ。飛行機に乗る前は見ないほうが。
アウト・オブ・サイト(Out of Sight)1998米 S・ソダーバーグ(4.13)
    ジョージ・クルーニー、ヴィング・レイムス、J・ロペス
    クルーニーはイマイチ。ロペスが案外いいので全体として80点。
21オーバー(21&Over)2013米 J・ルーカス、S・ムーア(4.30)
    マイルス・テラー、S・アスティン、J・チョン、サラ・ライト
    ハチャメチャで下品で汚すぎ。友情ものに仕立ててはあるけれど。
Stranger than Paradise 1984米 ジム・ジャームッシュ(5.2)
    ジョン・ルーリー、リチャード・エドソン
    不条理・デッドパン(無表情)喜劇だとか。The New World,
    One Year Later, Paradiseの三部構成
Legends of the Fall  1995米 エドワード・ズウィック(5.5)
    B・ピット、A・ホプキンス、エイダン・クイン、J・オーモンド
    広大な自然の中で繰り広げられる人間ドラマ。ブラビの魅力全開。
海にかかる霧(해무)2015韓国 シム・ソンボ(5.7)
    キム・ユンソク、パクユチョン、ムン・ソングン、ハン・イェリ
    船の存続にとりつかれた船長を演じたユンソクの怪演が印象的。
Defiance 2008米 エドワード・ズウィック(5.13)
    ダニエル・クレイグ、リーヴ・シュレイバー、ジェイミー・ベル
    森の中にユダヤ人共同体を組織、2年も持ち堪えた三兄弟の物語。
    三男のアザエルは不死身!次男役のシュレイバーは「僕の大事な
    コレクション」を監督した人物。
アンジェラ(Angel-A)2005 リュック・ベッソン(5.16)
    リー・ラスムッセン、ジャメル・ドゥブーズ、J・メルキ
    設定は荒唐無稽。奇妙な魅力があってつい最後まで見てしまう。
ファミリー・ツリー(The Descendants)2007米 A・ペイン(5.18)
    G・クルーニー、S・ウッドリー、A・ミラー、N・クロース
    終わりよければすべてよし、の好例。
チャーリー・モルディカイ(Mortdecai)2015米 D・コープ(5.21)
    ジョニー・デップ、グウィネス・バルトロー、ポール・ベタニー
    なにをやっても様になるデップが怪しい美術商を演じている。
深夜食堂 2015日本 松岡錠司(5.21)
    小林薫、高岡早紀、多部未華子、筒井康隆
    ビッグコミック連載作品の映画化。あの「あすなろ白書」の
    筒井道隆が普通の中年男になっていてびっくりしたなあ、もう。
シングルマン(A Single Man)2009米 トム・フォード(5.30)
    コリン・ファース、ジュリアン・ムーア、ニコラス・ホルト
    2010年東京国際レズ&ゲイ映画祭で招待上映されたとか。
あと1センチの恋 2014英 クリスティン・ディッター(5.30)
    リリー・コリンズ、サム・クラフリン、スキ・ウォーターハウス
    12年間ものすれ違いを破綻なく描ききった上出来の恋愛劇。
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by nishinayuu | 2015-07-18 16:30 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

『猫はブラームスを演奏する』(リリアン・ブラウン著、羽田詩津子訳、早川文庫)

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『The cat Who Played Brahms』(Lilian Braun, 1987)
本書は新聞記者とシャム猫という探偵コンビが活躍するシリーズの5作目。


「老練なジャーナリスト、ジム・クィラランにとって、長いキャリアの中でも、それは一、二を争う身の毛もよだつ瞬間だった」という物騒な文で物語は始まる。何のことはない、新聞社の合理化と記者クラブ改装のニュースに、昔気質のクィラランが大変な反発を覚えたという話だ。折良く母の友人であるファニー・クリンゲンショーエンから、湖畔のログキャビンを無料で貸そうという申し入れがあり、クィラランは新聞社に長期休暇を願い出て、シャム猫のココとヤムヤムを愛車に乗せて北のムースヴィルに向かう。しかし、のんびりと田舎暮らしを楽しみながら、懸案の本の原稿を一気に書き上げよう、というクィラランのもくろみは見事に裏切られる。

この巻では、この先重要な位置を占めることになるムース郡という土地とクィラランとの初めての出会いが語られるとともに、クィラランがある日突然大金持ちになったいきさつなどが明かされる。また、タイトルにある「ブラームス」は「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調 Op.102」で、以前ブラームスしか聞かない女性とつきあっていたクィラランにとって、忘れようにも忘れられない曲なのだという。この曲の入ったカセットテープがログキャビンのステレオにセットされていて、思いがけないときに、あるいはここぞというときに鳴り響く。いつのまにかスイッチの入れ方を覚えたココのしわざだ。クィラランがガールフレンドのローズマリーを招いたときもココがスイッチを入れてこの曲が流れ出したので、クィラランがすかさず「ブラームスはお好き?」ときざな台詞を吐くが、ローズマリーには残念ながら通じなかった(笑)。きざというより教養がついあふれ出してしまうのかもしれない。クィラランはシャロン・マッギルヴレイの店の名前「夜の蝋燭」を見ればすぐにロメオとジュリエットの一節を引用してシャロンを喜ばせる教養人なのだ。因みにその引用部分は第三幕第五場のロメオの台詞。
Night’s candles are burnt out, and jocund day
Stands tiptoe on the misty mountain tops.

(2014.11.26読了)
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by nishinayuu | 2015-07-14 16:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『シェイクスピアの面白さ』(中野好夫、新潮選書)

c0077412_14174037.jpg本書は「40年間シェイクスピアに親しみ、暇があれば彼の作品を反読して感慨にふけるのが、いちばん楽しい」と言っていた著名な英米文学者・文芸評論家・社会評論家によるシェイクスピアの案内書である。シェイクスピアにあまり馴染みのない人にもシェイクスピアのおもしろさをぜひ知ってもらいたい、という著者の熱意が伝わってくる楽しくてためになる読み物となっている。
最も興味深いのは、シェイクスピア劇の様々な場面をそれらが演じられた劇場との関係から解き明かしている部分である。すなわち当時の劇場は、
1.すべて小劇場で、せいぜい小さな寄席程度の大きさだったから、台詞のやりとり間に表現される微妙な心理の陰影まで伝えられた。だからシェイクスピア劇は「言葉、言葉、言葉」の戯曲であり、「見る芝居」よりも、むしろ「聴く芝居」であった。
2.太陽光線の劇場、一種の屋外劇場だった。舞台の上や桟敷席の上には屋根があったが、大部分を占める平戸間の上は青天井だったから、晴天だけの興業で、雨の日は休んだ。それで、各場面のはじめにそれが夜だか昼だかを観客に理解させる台詞が必ず数行入っている。たとえば「ハムレット」第一幕第一場では歩哨同士が闇をすかしてするような誰何の問答と「いましがた12時が鳴った」という一句がある。また「マクベス」第二幕第一場には「もう何時だ?」「月はもう沈みました」「十二時に沈むはずだな」云々の台詞がある。
3.舞台はほとんど無背景で、暗示的な道具類がいくつか出されることによって場面が限定された。たとえば寝台があれば寝室、椅子とテーブルに玉座らしきものがあれば宮廷の一室、3,4本の立木のようなものがあれば森、という具合だったと考えられる。また、照明や音響効果もほとんどなかったから、それを言葉による叙述で補った。だから「リア王」の第三幕第二場の冒頭に嵐を描写する「吹け、風神奴、頬を突き破るまで吹け!」に始まるリア王の長台詞が必要だったのだ。
4.舞台の前面には舞台と観客席を隔てる幕はなかった(ただし、外舞台と内舞台を隔てる幕はあった)。人物の登場が芝居の始まりであり、人物がいなくなれば芝居の終わり、となる。だから「ハムレット」の終幕のように死体を担いで退場したり、引きずって退場することで始末をつけたりするのが原則だった。
もうひとつ興味深いのは女性の登場人物についての解説。当時は変声期前の少年が女性の役を演じていたため、男性に比べて女性の登場人物が極端に少なく、演技力のある少年俳優が少なかったため、オフィーリアやデスデモーナのような性格の弱い女性が多いのであって、マクベス夫人、クレオパトラなどは、まれに存在した演技力のある少年俳優を念頭に置いて書かれたものだろうという。また女性が男性に変装する例が多いのも、演者が少年俳優だったからこそ、演じる側にも見る側にも違和感はなかったはずだともいう。
他にも日本におけるシェイクスピア劇受容の歴史と現状、古代ギリシアの演劇や日本の能・歌舞伎との類似点や相違点、個々の作品の楽しみ方など盛りだくさんな内容で、厚さの割に読み応えのある本である。(2015.3.15読了)

☆この5月に数十年ぶりにロンドンに行くことになったので、ついでにストラットフォード・アポン・エイヴォンにも足を伸ばすことにしました。そこで、シェイクスピア劇で読み残していた数編を、理解できない部分は飛ばしに飛ばして超特急で読み、1967年3月刊行のこの古い書物も引っ張り出して再読しました。一時は処分しようと思った本ですが、取っておいてよかった!
なお、画像はシェイクスピア博物館の中庭。見物人を前にして二人の役者が劇のさわりの部分を演じている。
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by nishinayuu | 2015-07-10 14:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『猫は14の謎を持つ』(リリアン・ブラウン著、羽田詩津子訳、早川文庫)

c0077412_13571452.jpg『The cat Who Had 14 Tales』(Lilian Braun, 1988)
1966年から2007年まで、全部で29編のココ・シリーズを発表した作家による、ココ・シリーズではない2編のうちの一つ。もう1編の『猫は日記をつける』(2003)はココの相棒であるクィラランの日記ということになっているので、純粋にココと関わりのない作品はこの作品だけということになる。

本書は表題からわかる通り14の短編からなっており、作品毎に異なる猫、異なる人間が登場するところに、ココ・シリーズとはまた別のおもしろさがある。特によかったのは次の4つ。前の3つはそれぞれ本題に入る前に「ガットヴィル・コミュニティ・カレッジの口承歴史プロジェクトのために録音されたものである」という但し書きがついている。また、後の一つはブラウンのファンが年3回発行している(していた?)「ニューズ・レター」における一番好きな短編を選ぶ読者投票で1位に選ばれたという。
『イースト・サイド・ストーリー』――ロメオとジュリエットの猫ヴァージョン。
『ティプシーと公衆衛生局』――公衆衛生局の査察官に目の敵にされながらも、波止場の労働者たちに愛された猫ティプシーの話。
『良心という名の猫』――銀行支店長のミスター・フレディーは銀行のお金を使い込み、首を括って死んだ。ミスター・フレディーのお葬式に出ていた銀行猫は、銀行の裏の納屋で首を絞められて死んでいた。インタビューに応えてこうした事情をしゃべっている老女はいったい何者?
『マダム・フロイの罪』――マダム・フロイは賢いシャム猫だった。その愛息子サプシムが隣の部屋に越してきた大男に10階から突き落とされて死んだ。凶器はヴァイオリンの弓。この男、なんとヴァイオリンでバルトークを弾くのだ。しかもマダム・フロイの同居人に「あんなに粗野な人が、よくあれだけ繊細な音を出せるわね」と言わせるほどの腕らしいが、猫の耳には「血も凍るような不快な音」に聞こえるらしい。つまりマダム・フロイからすれば何から何まで粗暴でしかない男であり、彼女は男のその粗暴さを利用して復讐をはかる。さて、首尾やいかに?(2014.12.6読了)
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by nishinayuu | 2015-07-06 13:58 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『猫は殺しをかぎつける』(リリアン・ブラウン、訳=羽田詩津子、早川書房)


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『The Cat Who Saw Red』(Lilian Braun, 1968)
本作はクィラランとシャム猫というユニークな探偵コンビを主人公にしたシリーズの第4作目で、1968年に書かれている。(発表は諸般の事情によって20年近く後。)

作品の時代は1960年代後半で、主人公のクィラランは46歳という設定。所はアメリカの中西部の小都市で、登場するのは陶芸家たちと料理人たち。それらの人たちが共同生活を営む「マウス・ハウス」を取材のために訪れたクィラランは、そこで初恋の女性・ジョイに再会する。そして彼女に出あった高揚感も手伝ってクィラランはマウス・ハウスの6号室に引っ越すことになる。その部屋は

天井がゆうに二階分の高さもあり、庭に面した壁の半分は小さなガラスをいくつもはめこんだ窓になっていた。春の夕日のオレンジ色の輝きが部屋を染め上げ、机の上方の三枚の鉛枠つきの窓ガラスは、虹色にきらめいている。

と、描写されている(こんな部屋に私も住んでみたい!)。しかしこんな素敵な部屋のあるこの建物は過去に忌まわしい事件が起こった現場であり、これから忌まわしい事件の現場になろうとしていたのだった。

29作あるこのシリーズの中には、シャム猫のココとヤムヤムがほんの添え物になっていて探偵にはあまり貢献していないものもあるが、本作では2匹が大いに活躍する。たとえばココはタイプライターを操作してクィラランに事件の手がかりを教えるし、ヤムヤムと一緒に部屋中に蜘蛛の巣のように毛糸を張り巡らして、犯行を未然に防ぐとともに事件を解決に導く。特にココは探偵・クィラランにとって重要な相棒で、「ココの第六感が疑わしい行動を突き止めた時は、クィラランの敏感な口ひげも童謡の警告を発」するのだ。しかもこの相棒はなかなかのくせ者で、医者の命令でダイエットを始めたクィラランが一日の努力の結果を見ようと体重計に乗ったとき、彼に「3ポンドも太っているなんて!」という嘆きの声を上げさせる。ココが前足を体重計にかけて踏んばっていたのだ。(2015.3.26読了)
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by nishinayuu | 2015-07-02 09:24 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)