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『매일 매일 초승달』(윤성희, 문학사상)


c0077412_115322.jpg『毎日毎日三日月』(ユン・ソンヒ、文学思想社)
作者は1973年生まれ。1999年に短編小説『レゴで作った家』で文壇にデビューし、2013年には李孝石文学賞を受賞している。この作品は2010年、第34回イサン文学賞の候補作になったが惜しくも受賞を逃している。このときの受賞作は『カステラ』や『甲乙考試院滞在記』の作家・朴珉奎の『朝の門』だった。

語り手は三人姉妹の「三番目」である三女。9歳のときに、母親代わりだった双子の姉たちが示し合わせて出奔した。何事にも関心を持たなくなっていた父親は、姉たちが家出してからは眠ってばかりいた。働きづめでぐっすり眠れなかったのを、取り戻そうとしているかのように。「三番目」は姉たちのパンツをゴムが伸びきるまではき、姉たちのぶかぶかの靴を履いて学校に通い、自分で自分のめんどうを見ながら大きくなった。そして25年後、南大門市場で「三番目」は、幼い自分を捨てた憎んでも憎みきれない「一番目」と再会する。
こうして三姉妹は再び一つ屋根の下で暮らし始める。姉たちの家に移ってきた「三番目」は、リビングのある家は初めて、と感激する。半端仕事しかできないため半地下の部屋にしか住めないでいたのだ。そんな「三番目」を見て「一番目」は涙を流して、「これからはあんたのしたいようにしていいよ」と言う(ただし後で、聞いてあげる願いは10だけ、と訂正する)。一方「おつとめ」を終えて家に戻ってきた「二番目」は、離散家族の再会場面にならって「三番目」を抱きしめて号泣してみせるのだった。このあと、二人の姉たちがスリを生業にしていてもう幾度も「おつとめ」をしてきたことがわかった「三番目」は、三姉妹スリ団の結成を提案する、という展開になる。

状況設定や話の流れは荒唐無稽だが、細部にはリアリティがあって、韓国の一時代の一世相を窺い知ることができる。また、父親と母親の出会いの場面、三姉妹スリ団の活動場面、後始末の場面、などなど切実さと滑稽さが絡み合った印象的なエピソードが短い紙数にぎっしり詰まっていて、読み応えのある作品である。もう一つ付け加えれば、もういい年になった「三番目」が10番目の願いとして姉たちに言う「ごめんなさいって言ってよ」にはジーンとさせられる。おかしさのあとに哀しさが残る作品なのだ。(2015.4.17読了)
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by nishinayuu | 2015-06-28 11:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ある小さなスズメの記録』(クレア・キップス、訳=梨木香歩、文藝春秋社)


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『Sold for a Farthing』(Clare Kipps, 1953)
読書会「かんあおい」2015年4月の課題図書。


本書はロンドン郊外に住む一人の女性と、彼女に拾われたイエスズメとの間に培われた友情の物語である。出会いは1940年の7月。防空対策本部隣組支部の一員として、長い一日の任務を終えて帰宅したキップス夫人は、玄関先で瀕死の小鳥を見つけて、思わず拾い上げる。なんとか生命がつながったあとでわかったことだが、このスズメは左の翼にも左の脚にも障害があった。おそらくそのせいで、生まれてすぐに巣から投げ捨てられたのではないだろうか、とキップス夫人は推測する。将来飛ぶことも歩くことも満足にできそうもない小スズメだったが、驚くべき勢いで元気になり、やがて豊かな感性を持つ個性的なスズメへと成長していく。そして、様々な芸当によって人々の喝采を浴びた「俳優としての生活」、スズメとしては珍しい「音楽家としての生活」、成鳥としての「愛の生活」を経て、小スズメは11歳頃に「老いを迎えて」、最後は老衰で12年7週と4日の生涯を閉じる。この小スズメと共にした奇跡ともいえる素晴らしい日々を、ピアニストでもあるキップス夫人は芸術家らしい感性と知性溢れる文章で綴っている。(2015.3.12読了)

☆本書の原題はマタイ伝10章29節から取られています。なお、farthingはイギリスの昔の青銅貨(旧貨幣の1/4ペニーに相当)、韓国語訳とエスペラント訳にみられるアサリオン、アサーロはローマ帝国の貨幣です。
Are not two sparrows sold for a farthing? and one of them shall not fall on the ground without your Father. (King James Bible)
Are not two sparrows sold for a penny? Yet not one of them will fall to the ground apart from the will of your Father. (日本国際ギデオン協会)
「スズメは二羽まとめて一銭で売っているほどのものである。しかしそういうスズメの一羽ですら、主の許しなしでは、地に落ちることもかなわないではないか」
(ついでに韓国語訳とエスペラント訳も)
참새 두 마리가 한 앗사리온에 팔리는 것이 아니냐 그러나 너희 아버지께서 허락지 아니하시면 그 하나라도 땅에 떨어지지 아니하리라 (Korean Bible Society)
Ĉu oni ne vendas du paserojn por asaro? Tamen unu el ili ne falos teren sen via Patro(ザメンホフによるヘブライ語からの訳)
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by nishinayuu | 2015-06-24 09:31 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『向かい風』(住井すゑ、新潮社、1958)


c0077412_1156956.jpg読書会「かんあおい」2015年3月の課題図書。
この作品は1958年に講談社から刊行されたということなので、作者の住井すゑ(1902~1997)50代の作品であることがわかる。カバー裏の作者紹介に、1959年、病没した夫の納骨を済ませてすぐに『橋のない川』の取材を始めたとあり、この作品は夫の看病に明け暮れる中で書き進められたものだろうと推察できる。
舞台は茨城県の牛久沼。山吹が真っ盛りの季節、松並健一の戦死の報が家族のもとに届いたところから物語は始まる。父親の庄三、母親のいく、祖母のなか、嫁のゆみ、からなる家族は「いつ、どこで死んだかわかりもしねえで」と嘆きながらも、一片の遺骨もない健一の葬式を精一杯盛大にとり行った。ここで「一段落ついた」わけで、ゆみはこの家を去るのが順当だと考えて話を切り出したが、「俺なりに考えてる。なにも今夜でなくてもよかっぺ」という庄三のことばに、家を出るきっかけを失う。農繁期を控えて、いちばんの働き手であるゆみを失うことは、農家として致命的だったので、祖母のなかも姑のいくも庄三に同調して黙っていた。こうしてゆみはずるずると居残ることになり、庄三といっしょにあれこれの農作業に励んでいるうちに二人の距離は縮まっていき、やがてにっちもさっちもいかない事態へと展開していく。

登場人物たちが交わすことばのがさつさ、それぞれの欲望がむき出しの行動などなど、その言動のすさまじさにたじたじとなって、共感できる人物は一人もいない、と思いながら読み進めていくうちに、いつの間にか一人一人の心情に寄り添っている自分に気付かされる。そんな不思議な力を持った作品である。農村に根を下ろして生活した作家ならではの、農家の人たちと農家の暮らしへの愛情に溢れる作品である。(2015.3.7読了)
☆画像は牛久沼
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by nishinayuu | 2015-06-20 11:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『Julius Cæsar』(Shakespeare, Greenwich House)


c0077412_18245589.jpgこれは、シェイクスピア円熟期の作品で、1599年に書かれたと推定されている。5幕5場の構成でシーザーの殺害とその後の展開が描かれており、シーザーが第3幕第1場で殺されたあとの主役はブルータスである。ブルータスは、シーザーを倒したのは彼が専制的な独裁者だからだとローマ市民に説明したが、死後のシーザーは一変してローマ市民のために尽くす英雄の面貌を持つことになり、そのシーザー殺害の首謀者であるブルータスは反逆者に転落する。このシーザーの返り咲き?とブルータスの転落という逆転劇を演出したのはアントニーである。高潔で理想に燃える学者肌の政治家であるブルータスと、民衆の心を知り抜いていて、ブルータスに傾いていた民衆の心を「名演説」によって反ブルータスに持っていった実際的な政治家・アントニー。この二人の政治家それぞれの演説と市民の反応が後半の山場のひとつである。
山場といえば、シーザー殺害前夜の様々な前兆(異常な天候、手から炎を発してもやけどをしない男、街路を横切るライオンなど)の場面、そしてもちろんシーザーがEt tu ,Brute?と叫ぶ場面などがある。そしてそれらに劣らず印象的なのが終幕の、ブルータスの死に際して友人であるルシリアスが献身的行為をみせる場面である。ブルータスは政治家としては失敗したが、素晴らしい友人と従者に恵まれた幸せな人間だったといえる。
最後に主要人物をその史実上の名前とともにあげておく。
マーカス・ブルータス(マルクス・ブルトゥス、反シーザー派)
ケイアス・キャシアス(ガイウス・カッシウス、反シーザー派)
キャスカ(カスカ、反シーザー派)
マーク・アントニー(マルクス・アントニウス、三頭政治のメンバー)
オクタヴィアス・シーザー(オクタヴィアヌス、三頭政治のメンバー)
レピダス(レピドゥス、三頭政治のメンバー)
シセロ(キケロ、元老院議員)
ケイド(カト、元老院議員、反シーザー派)
ルシリアス(ブルータスの友人)
(2015.2.17読了)
☆画像はテムズ河畔のグローブ座
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by nishinayuu | 2015-06-16 18:25 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『最後の瞬間』(レーオンハルト・フランク、訳:吉田正巳、河出書房新社)


c0077412_10583246.jpg『Im Letzten Wagen、1925』(Leonhard Frank)
原題の意味は「最後部の客車で」。作者はドイツ生まれの小説家で、第1次大戦のときに反戦・平和主義を表明してスイスに亡命。その後ドイツに戻ったがナチのために禁書にあい、スイス、フランスを経てアメリカに亡命し、55年に帰国したという(巻末の解説より)。

舞台は、ドイツで一番高いところにある保養地の駅を出発した貨物列車の最後部に連結された客車。線路は螺旋を描きながら谷底に下りていくようになっていて、途中には有名な高架鉄橋がある。塗装し立てでぴかぴか光っている客車に乗り合わせたのは、高山の保養地に4週間逗留してすっかり元気を取り戻した青年銀行家、おめでたの間近なその妻、儲かる取引が成立して上機嫌の小間物の外交販売員、もの悲しげで誠実そうな高位のカトリック僧、将校、にこやかながらことさらに沈黙がちの大学教授、編集長、製材所で開かれた労働者の集会に党から派遣されてきた社会主義者、社会主義者に議論を吹きかけて追い詰めようとする検事、検事と組んで社会主義者を尾行しているX脚の男=刑事、検事志望の年配の学生、前の日に製材所を解雇された製材工など。彼らの間であれこれの話が交わされ、それによって各人の立場や人柄、この時代の社会の様相などが浮かびあがってくる、という形で列車の旅は進行していく。ところが突然、客車内に衝撃が走る。彼らの乗っている最後尾の客車が、いつの間にか貨物列車から切り離されていたのだ。ブレーキを掛けながらゆっくりと谷底へ下っていくべきなのに、列車から切り離された客車は今や猛スピードで下り始めていた。そのとき乗客たちははっと気がつく。このスピードではカーブを描く例の高架鉄橋を無事に通過できるはずはないことを。

後半はまさにパニックドラマ。谷底への転落、もしくは前を行く貨物列車との衝突の恐怖に乗客たちはどう対処するか、急に産気づいた銀行家の妻はどうなるか。風光を楽しむための列車が恐怖の列車へと急変する、迫力満点の小説である。(2015.3.3読了)
☆この作品は『サマセット・モーム編 世界文学100選』(1961)を再編集した『世界100物語5 意外な結末』(1997)で読みました。
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by nishinayuu | 2015-06-12 11:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

「鶴だと思ったら鷺だった」

c0077412_14213281.jpg「鶴だと思ったら鷺だった」
韓国語講座で「-마라/말라, -단다, -구나」を用いてまとまった文を作る、という課題が出ました。そのときに提出した作文です。下に日本語訳をつけました。

어떤 늙은이가 올가미에 걸린 학 한 마리를 구했다. 몇일 후 여자가 늙은이를 찾아와 말했어. 하룻밤 방을 빌려주면 비단을 만들어 드리겠다고. 늙은이는 [학의 보은]이라는 이야기를 들은 적이 있어서 ‘이 여자는 나한테 보은을 하러 온 학이구나’ 라고 생각했단다. 방에 들어가기 전에 여자가 방문을 절대로 열지 말라고 해서, 늙은이는 여자가 학인 것을 확신했단다.
그날 밤 방에서는 내내 덜거덩덜거덩하는 소리가 났어. 날이 밝아 소음은 그쳤지만, 여자는 나타나지 않았어. 어떻게 된 건지 궁금해진 늙은이가 조심조심 방문을 열었더니, 아뿔싸! 방에는 여자도 없고, 방에 놓여 있던 가구나 세간도 모조리 사라지고 없어졌단다. 잠시 멍하니 서 있던 늙은이는 이렇게 중얼거렸단다. ‘그 여자는 학(鶴)이 아니라 해오라기(鷺→사기→사기꾼)였구나.'


「鶴だと思ったら鷺だった」
ある老人が罠にかかった一羽の鶴を救った。数日後、女が訪ねてきて言った。一晩部屋を貸してくれたら、絹織物を作って差し上げましょう、と。老人は「鶴の恩返し」という話を聞いたことがあったので、「この女人は恩返しをしに来た鶴なんだ」と思ったのだよ。部屋に入る前に女が、部屋の扉を決して開けないように、と言ったので、老人は女が鶴だということを確信したんだ。
その晩、部屋からはずっとドタンバタンという音が聞こえていた。夜が明けると音は止んだけれど、女は出てこなかった。どうなっているのか気になった老人が、おそるおそる部屋の扉を開けてみたら、なんと!部屋には女もいないし、部屋に置いてあった家具調度もすっかりなくなっていたんだ。しばらく呆然と立っていた老人は、こうつぶやいたのだよ。「あの女人は鶴ではなくて鷺(サギ→詐欺→詐欺師)だったんだなあ。」
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by nishinayuu | 2015-06-08 14:26 | 翻訳 | Trackback | Comments(1)

『フレッド叔父』(ウッドハウス、訳:大久保康雄、河出書房新社)


c0077412_9444661.png『Uncle Fred Flits』(Wodehouse)
本作はイギリスのユーモア小説の第一人者といわれたウッドハウスによる短編で、『スパッツをはいた若者』(1931)に収められている。
まず語り手としてクランペット氏が登場。場所は有閑階級のたまり場「雄蜂クラブ」。クランペット氏が客をもてなしているところへ、若い男が登場。「容貌はやつれていて、目がおどおどと光っており、その心には何か重い荷物がのっかっているよう」なこの男ポンゴについて、客に聞かれるままにクランペットが語り出す。

ポンゴにはフレッドという叔父がいる。ハンプシア州イケナムにあるイケナム館のイケナム伯爵であるフレッド叔父が明日ロンドンに出てくる、という電報を受け取ったポンゴは、苦悩のどん底に落ち込んでいる。というのもフレッド叔父は一年の大部分を田舎で暮らしているのだが、ときどきポンゴのアパートを急襲するクセがあって、そのたびに「不謹慎」なことをやってのけるのだ。それも、クラブの中だけならピアノをぶちこわす一歩手前ぐらいまで行っても誰も問題にしないが、フレッド叔父はポンゴを外に連れ出して公衆の面前で大それた乱調子の無茶を始めるのだ。
たとえばこの前のときフレッド叔父は、オウムの爪を切りに来た、と言って他人の家に入り込み、留守番の女が用足しに出かけるとその家の主ロディス氏になりすまして訪問者ロビンスン・ウィルバーフォースを迎え入れ、その訪問者にいちゃもんをつけに来たパーカー夫婦をやり込め――という具合にいたずらをエスカレートさせていった。その間にポンゴは、鳥に麻酔を掛ける役のウォーキンショー君ということにされ、次にはロディス二世にされ、それからまた獣医に戻され、耳が聞こえないことにされ――という具合にフレッド叔父の気まぐれ芝居につきあわされた。そうして他人をさんざんこけにしたフレッド叔父は、とどめの一芝居を打ってから現場を立ち去ったのだった。

同じ嘘でも『A.V. レイダー』(ビアボーム)の場合は他人を傷つけない良質の嘘だが、フレッド叔父の嘘は悪ふざけの度が過ぎる。笑えないわけではないけれども、どちらかといえばポンゴと一緒に泣きたくなる。我が家にこんな叔父がいなくてよかった!(2015.3.2読了)
☆この作品は『サマセット・モーム編 世界文学100選』(1961)を再編集した『世界100物語5 意外な結末』(1997)で読みました。
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by nishinayuu | 2015-06-04 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)