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『目に見えないコレクション』(シュテファン・ツヴァイク、訳:辻瑆、河出書房新社)


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『Die Unsichtbane Sammlung』(Stefan Zweig)
この作品には「ドイツ、インフレーション時代の一挿話」という副題が付いている。物語は「ドレースデンから二つ目の駅で列車に乗り込んできた年輩の紳士」から聞いた話、という形になっている。さて、その話とは
――
私は37年の間古美術商を営んできた。祖父の代から続く老舗だが、お金の価値が煙のように消え失せるようになってからというもの、にわか成金どもに買いあさられて、店にはがらくたしか残らない状態になっている。それで、店の古い帳簿を調べて、昔のお得意たちを探し出そうと思いついた。2、3の複本でも取り戻すことができたら、と考えたのだが、あまり得るところはなかった。お得意の大部分はその持ちものをとっくに競売に出さなければならなかったか、あるいは死んでしまっていたからだ。そんな中で、私は大きな手紙の束を発見した。それは店の一番古いお客からのもので、過去60年の間、祖父からも父からもたくさん買い入れていた。本の見返しをはがした紙に注文と金額をきちんとした書体で認め、徳用封筒ばかり使っていることから、差出人は昔かたぎでみみっちい田舎もののようだった。手紙にはいつも元森林兼経済顧問官、退役陸軍中尉、第一級鉄十字章所有者などという肩書きが付いているところから、1870年の戦争に従軍した老兵で、もう80にはなっているはずだった。しかしこの珍妙で滑稽な倹約家は、古い版画の収集家としては、並々ならぬ賢明さと優れた知識と、繊細この上ない趣味を示していた。この田舎者がうちの店から半世紀の間に、わずかの金額でぽつぽつと買い集めたものは、今日恐るべき値打ちになっている。おそらく他の店や競売でも値打ちのあるものを買っているだろう。そういう多数のコレクションが市場に出回れば、古美術商の自分が気づかないはずはないから、彼のコレクションはまだその手許にあるか、あるいは相続人のところに残っているに違いない。そこで私は昨日の晩、ザクセンにある田舎町に、この男を訪ねていったのだった。
たずねあてたけちくさい田舎屋の三階で、白髪のひどく年取った女に名刺を渡して取り次いでもらうと、中からがんがん響く男の声が聞こえてきた。「ああ、Rさんか……ベルリンの。大きな古美術商の……さあ、おとおししなさい……これはうれしいことだ!」こうして私は彼の膨大なコレクションを見せてもらうことになった。それは素晴らしいコレクションだった。男は盲目になっていたが、コレクションの一つ一つを克明に見ていた。彼の妻と娘、そして私の目には見えないコレクションを。
(2015.3.1読了)
☆この作品は『サマセット・モーム編 世界文学100選』(1961)を再編集した『世界100物語5 意外な結末』(1997)で読みました。意外で、胸の締め付けられる結末でした。
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by nishinayuu | 2015-05-31 15:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『アビー夫妻の苦労』(E.M.フォースター、訳:松村達雄、河出書房新社)


c0077412_704964.jpg『Mr. and Mrs. Abbey’s Difficulties』(E.M. Forster)
アビー夫妻は、母親の死に引き続く祖母の死によって遺児となった兄妹4人の後見人。アビー氏は、まだ7歳だった末っ子のファニーを自分たち夫婦で養育するためにウォールサムストウの自宅に引き取った。「もう充分な教育がすんでいた」16歳のジョンには学校を止めさせて外科医の見習いをさせることにし、13歳のジョージと11歳のトムは自分の店に店員として引き取った。アビー氏としては、4人のためにてきぱきと適切な処置をとったのだった。ところが残念なことに、4人はふらふらとして落ち着きがなく、気まぐれな趣味にふける金をいつもせがむのだった。しかしアビー氏は、彼らに残された8000ポンドを彼らの将来を思って再投資してしまっていたので、彼らの要求を受け入れるわけにはいかなかった。彼らが互いにやりとりする手紙だけでも嘆かわしいほどの費用が嵩んだ。しかも彼らの手紙ときたら、アビー夫妻にはわけがわからない下らない内容だったり、不親切を当てこすったり、ときにはアビー夫人を馬鹿にしているとしか思えないものもあった。それでアビー夫妻はファニーが兄たちやその仲間たちとの交流するのを警戒するようになる。それやこれやのやっかいごとでアビー夫妻の苦労は絶えないのだが、アビー夫妻の後見人としての気遣いや努力は遺児たちには全く理解されず、かえって彼らはアビー夫妻への不信感を募らせていく。

この作品は、芸術家の心情や生き方が全く理解できない実務家・アビー夫妻の「苦労」を物語りつつ、想像と創造の世界に生きる兄妹たちの姿を浮き彫りにしたものである。登場人物のジョン、ジョージ、トム、ファニーはロマン主義の詩人ジョン・キーツその人とその弟妹。アビー氏は実際にキーツ兄妹の後見人だった人物。作中の2通の手紙も実際にキーツがファニーに送ったものがそのまま使われている。この作品を書きながら作者フォースター自身も大いに楽しんだのではないだろうか。アビー夫人が「悪ふざけが過ぎる」と感じた詩(キーツの作品)の原文(と本作中の訳)は以下の通り。

Two or three Posies (二つ三つの花束、)
With two or three simples___ (二つ三つの薬草もまじって――)
Two or three Noses (二つ三つの鼻)
With two or three pimples___ (二つ三つのにきびも見えて――)
Two or three sandies (二、三人のスコットランド人)
And two or three tabbies (二、三人のいじわるばあちゃんもまじえて)
Two or three dandies (二、三人の伊達男と)
And two Mrs.___mum! (二人のミセス――、シッ、ないしょ!)
(2015.2.28読了)
☆この作品は『サマセット・モーム編 世界文学100選』(1961)を再編集した『世界100物語5 意外な結末』(1997)で読みました。
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by nishinayuu | 2015-05-21 07:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『若き日の悲しみ』(トーマス・マン、訳:伊藤利男、河出書房新社)


c0077412_10274847.jpg『Unordnung und Frühes Leid』(Thomas Mann)
本作は今世紀最大のドイツ作家と見なされているトーマス・マンによる短編で、1925年に文学雑誌の「親展望」に発表されたもの。ここに描かれているコルネリウス博士一家は第1次世界大戦後、インフレ下の作者自身の家族がモデルになっているという。
家族構成は「反宗教改革時代の考察」で教授の地位を得たコルネリウス博士(47歳)とその夫人(39歳)、高校卒業試験を控えたたいへん魅力的な少女イングリート(18歳)、舞踏家か場合によっては給仕にでもなろうと考えている金髪の少年ベルト(17歳)、教授の秘蔵っ子のロールヒェンことエレオノーレ(5歳)、ややこしい男らしさの持ち主でしばしば激怒の発作を起こして母親にとくべつ世話を焼かせている「かみつき坊や」(4歳)。家には他に乳母の「青いアンナ」と書生のクサーヴェル・クラインギュートル(17歳)がいる。
この家には互いを呼ぶのに独特の言い方があって、「大きい人たち」つまり長女と長男はコルネリウス夫妻を、親しみをこめて「おじいさま、おばあさま」とよぶ。だから本当の祖父母で、時勢に度を失っておどおどと暮らしているふたりは「大おじいさん、大おばあさん」となる。「小さい人たち」の乳母はほおが青いので「青いアンナ」というわけだ。そして「小さいひとたち」は母親にならって父親を名前で「アーベル」と呼ぶ。
さて、大きい人たちの計画でこの日(木曜日)の午後にちょっとしたパーティーが開かれることになっていた。大きい人たちが友達とパーティーの打ち合わせをしている間に、「老人たち」もお客に出すごちそうにつて相談する。教授は市民らしい見栄を張って、イタリー風のサラダと黒パンのサンドイッチのあと、パイを出そうというが、夫人はそんな必要はないし、若い人はそんなことを期待してはいない、という。彼女が今一番気になっているのは今日買わなくてはならない卵のことだ。卵は1個6000マルクもするが、近くの店では1世帯1週間につき5個しか売らないので、イングリート、ベルト、クサーヴェルに隣家の息子のダニーを加えた四人ででかけ、それぞれ偽名を使って20個獲得してくることになる。彼女自身も自転車で街まで行って、今手許にあるお金を、貨幣価値が下がらないうちに、食料品に換えなければならない。こうして教授と小さいひとたちは邪魔にならないように自室に引っ込み、主婦と大きいひとたちは手分けして準備を整え、いよいよパーティーが始まる。

時代の様相を背景に、家族一人一人と彼らを取り巻く人々、パーティーの参加者たちの容貌・思い・振る舞いなどが克明に綴られていく。作者自身の家族への思いの深さが偲ばれて興味深い。なお、表題は『若き日の悲しみ』となっているが、語られているのは「若い」というよりは「幼い」混沌とした恋心である。(2015.2.23読了)
☆この作品は『サマセット・モーム編 世界文学100選』(1961)を再編集した『世界100物語5 意外な結末』(1997)で読みました。
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by nishinayuu | 2015-05-17 10:28 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

「在原業平の中将、東の方に行きて和歌を読みし語」その2


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『今昔物語』巻第二十四の第三十五の再話とその韓国語訳(拙訳)です。

아리와라노 나리히라-중장, 동방으로 가다가 와카를 지은 이야기-2

무사시-국과 시모후사-국 사이에 아주 큰 강이 있다. 그 강은 이름하여 스미다-가와라고 하지. 그 강가에 당도한 나리히라 일행은 너무나도 먼곳까지 왔다는 생각이 들어 여수에 잠겨 있었는데, 나룻배 사공이 “어서 타오. 해가 지겠소” 라고 했다. 배로 강을 건너가면서 모두들은 미야코(수도)에 사모하는 사람을 남겨두고 왔기때문에 마음속 깊이 쓸쓸함을 느꼈단다. 그러는 중에 부리와 다리가 붉은 흰새가 강물위에서 놀면서 물고기를 먹는 것이 눈에 뜨였다. 미야코에서는 본 적이 없던 새여서 사람들이 뱃사공에게 그 새의 이름이 무어냐고 물었더니, 뱃사공이 대답하기를, “그 새는 미야코-도리(수도-새、都鳥)라고 합니다.” 이에 나리히라가 이렇게 와카를 지었단다.

그 이름에 걸맞게 대답하시오 미야코-도리 미야코의 그 분은 무사히 계시느냐

그 와카를 듣고 배에 함께 탄 사람들 모두가 울었단다.

武蔵国と下総国の間に大きな川がある。その名を隅田川という。川辺で一行が、ずいぶん遠くに来たものだ、と旅愁に浸っていると、渡し船の船頭が「早く乗れ。日が暮れる」と言った。船に乗って川を渡りながら、誰もが京の都に思う人がいるので、わびしさをかみしめていたそうだ。そのうちに嘴と脚が赤い白い鳥が、水の上で遊びながら魚を食べているのが目にとまった。京では見かけない鳥なので、船頭に「あれは何という鳥かね」と尋ねると、船頭が「あれは都鳥っていう鳥ですよ」と答えたんだ。これを聞いて業平がこんな和歌を詠んだそうだ。

名にし負はばいざこととはむ都鳥わが思う人はありやなしやと

これを聞いて船に乗っていた人は誰も彼もが泣いたそうだよ。
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by nishinayuu | 2015-05-13 10:03 | 再話 | Trackback | Comments(2)

『A.V. レイダー』(ビアボーム、訳:中田耕治、河出書房新社)

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『A.V. Laider』(Max Beerbohm)
この作品は『世界100物語5』の中の1編で、30ページほどの短編。作者のビアボーム(1872~1956)については、『世界大百科事典』第2版に次のような説明がある。

イギリスの随筆家、小説家、風刺画家。オックスフォード大学在学中から《イエローブック》誌上に軽妙痛烈な戯文、風刺画を発表。早熟な才人としてじゃーなりずむにむかえられた。1898年にはG.B.ショーのあとを受けて《サタデー・レビュー》紙の劇評を担当した。戯曲集《詩人の一隅》、《五十の戯曲集》、《ロセッティとその一派》などは、誇張によってかえって実像の浦にある本質を引き出す奇妙な味わいを醸し、独自の世界を形成した。

語り手は、療養のために滞在していたホステルで、同じく滞在中のA.V.レイダーという人物とことばを交わすようになる。手相占いを信じる、信じないという話をきっかけに、レイダーは自分も巻き込まれた衝撃的な事故の話をする。レイダーが「私は事故を未然に予知していながらなんの行動も起こさなかった。私は殺人者だ」と言うのを聞いた語り手は、彼の思い違いということもありうる、という趣旨の慰めの手紙をあとでレイダーに送った。1年後、語り手が同じホステルに行くと、語り手が出したレイダー宛ての手紙が読まれないまま郵便受けの中で古びていた。ところがその手紙が消えた。同じホステルに、またレイダーもやって来たのだった。そして二人がまた話を交わすことになって語り手にわかったのは、レイダーという人物があきれるほど巧みなストーリー・テラーだということだった。

たまたま同じホステルに滞在した男とことばを交わすようになる過程、男が語る衝撃的事故の顛末、男との会話に次第に引き込まれていく語り手の心の動きなどなどが、終始テンポよく巧みに綴られていく。終わり方も洒落ていて、サキの『The Open Window』と甲乙付けがたい上出来の短編である。(2015.2.4読了)
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by nishinayuu | 2015-05-09 09:58 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ピッポ・スパーノ』(ハインリヒ・マン、訳:吉田正己、河出書房新社)

c0077412_1615857.png『Pippo Spano』(Heinrich Mann)
タイトルのピッポ・スパーノは実在する歴史上の人物で、14世紀の末から15世紀初めにかけてハンガリーで活躍したイタリー出身の軍人。イタリアの画家アンドレア・デル・カスターニョ(1421~1457)の描いたフレスコ画にその姿を留めている。本作では主人公のマリーオ・マルヴォルトの書斎に実物より大きい肖像画が掲げられており、主人公がそれに向かって次のように語りかける。
「君が、敵するものもないほど勝利を収めるすべを知っているところからすると――おそらく君は、おそろしくひどいことやっつけられたことがあるのだろう。それにちがいない!君はどんなにか悩んだにちがいないのだ。(中略)そのようなぞっとする深淵があればこそ、これほど輝かしい高みに達することができるものさ。さあ君、トルコ軍をうちやぶった勇士!しらばくれてもだめだ――いくらそうしても、おれには、君が一撃を見舞われたときの、君の狂乱した叫びが聞こえるのだ。友人に裏切られて、君が血を滴らせる姿が見えるのだ。女がとがった指先で君の胸の中をかきまわすたびに、君が経験したあの苦痛の陶酔を、おれは感じ取ろうとしているのだ」

マリーオ・マルヴォルトが肖像画に向かってさらに、自分の芸術によって異質の美、異質の苦痛を体験したいのだ、だから君が愛せるような女こそは、自分が憧れる最上の女性であり、その女は最後の女として自分の前に近寄ってくるのだ、そうじゃないかね、と声を高めて語りかけたとき、女が現れる。

作者は1871年にドイツのリューベックで生まれ、1950年にアメリカで没した小説家。トーマス・マンは弟。主要作品の一つ『ウンラート教授』は『嘆きの天使』というタイトルで映画化されている。(2015.1.21読了)
☆この作品は『サマセット・モーム編 世界文学100選』(1961)を再編集した『世界100物語5 意外な結末』(1997)で読みました。確かに意外な結果で終わります。
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by nishinayuu | 2015-05-05 16:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『世界100物語5』(河出書房新社)


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サマセット・モーム編『世界100物語』全8巻の第5巻。「意外な結末」というテーマで13の短編が収録されているが、別に意外でもない作品も入っている。個別にupする予定の数編を除いた作品を以下に記しておく。(2015.3.3読了)

『ロゴーム老人とその娘テレサ』(ドライサー、訳:野島孝、河出書房新社)
『Old Rogaum and his Theresa』(Theodore Dreiser,1918)
短編集『自由、その他』に収録された1編。ニューヨークのブリーカー通りで肉屋を営むユダヤ人一家に起こった一大事の顛末。

『お守り』(ヴァッサーマン、訳:伊藤利男)
『Das Amulett』(Jakob Wassermann)
ウイーンを舞台に、与えられた運命に逆らわず、疑うこともせずに生きたクリスチーネの物語。

『騎兵隊物語』(ホーフマンスタール、訳:辻瑆)
『Reitergeschichte』(Hugo von Hofmannsthal、1898)
無防備の美しい大都市ミラノに乗り入れた騎兵隊の物語。

『種子』(シャーウッド・アンダスン、訳:小島信夫)
『Seeds』(Sherwood Anderson、1921)
短編集『卵の勝利』に収録された1編。

『別の女』(シャーウッド・アンダスン、訳:小島信夫)
『The Other Woman』(Sherwood Anderson、1921)
上と同じく『卵の勝利』に収録された1編。どちらもつかみどころがない感じの作品。

『相似』(ジェイムズ・ジョイス、訳:安藤一郎)
『Counterparts』(James Joyce、1914)
デビュー作である短編集『ダブリン市民』の中の1編。
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by nishinayuu | 2015-05-01 08:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)