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『第五の山』(パウロ・コエーリョ著、山川紘矢・山川亜希子訳、角川文庫)


c0077412_11302073.jpg『O Monte Cinco(The Fifth Mountain)』(Paulo Coelho)
「紀元前870年の初め、イスラエル人がレバノンと呼んでいた国、フェニキアでは、3世紀近く、平和な時代が続いていた。」という文で物語は始まる。続いて次のような文もある。「紀元前870年の初め、遙か遠くのニネヴェと呼ばれる地で、軍事会議が開かれていた。アッシリアの将軍のグループが、地中海沿岸諸国を占領するために、軍隊を派遣することを決定したのだった。そして、最初に侵略する国として、フェニキアが選ばれた。」 
この時期に、イスラエル人の予言者であるエリアは故国を離れてレバノンの小都市ザレパテに逃げ込む。イスラエルの王と結婚したフェニキアの王女イゼベルが、イスラエルの人々にバアル神への信仰を強要し、それを拒むエリアを殺そうとしていたからだ。この作品はエリアがザレパテで亡命生活を送っていた三年間の出来事を綴ったもので、聖書にはほんの数行しか言及されていない謎の預言者エリアの人物像を具体的に浮かび上がらせると同時に、当時のイスラエル、フェニキアの政治経済状況と宗教の様相を生き生きと描き出している。なお「第五の山」とは、バアルの神々が住むという、フェニキアの人々が敬い畏れる霊山である。
作者は「聖書とか、キリスト教にとらわれず、再建の物語として読んでいただきたい」と言っている。そのように読むべきであろうし、素直にそのように読める作品である。(2014.6.22読了)
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by nishinayuu | 2014-09-28 11:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「赤城山の思い出」


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☆韓国語講座の3分間スピーチで話したものです。日本語訳はあえてつけないことにしました。特にさしさわりがあるわけではありませんが。


아카기산의 추억
아카기산의 추억이라는 제목으로 좀 창피한 에피소드를 이야기 할까 해요. 대학교 1학년 때
우리 반은 여름방학 여행으로 군마현에 있는 아카기산에 갔어요. 거기에 국립대학교의 산장이 있어 가난한 학생들도 편하게 이용할수 있었기 때문이에요. 담임교수님도 함께 가셨어요. 그 교수님은 너그러운 마음으로 학생들을 지켜봐 주시는 마치 아버지같은 분이어서, 우리가 권했고, 교수님도 기꺼이 동행해 주셨어요.
이튿날 오후의 일이었다고 기억하고 있는데, 우리 여학생들끼리 넷이서 산책을 나갔어요. 그냥 산장 부근을 거닐고 돌아올 생각이었어요. 그런데 날씨도 좋고, 경치도 예쁘고, 말을 주고받고 하면서 거니는 게 정말 신이 나서, 우리는 성큼 성큼 걸어갔고 또 걸어갔어요.
근데 깜짝 놀랐어요. 우리앞에는 넓은 산기슭이 펼쳐져 있고, 지나온 길을 돌아봤더니 뜻밖에 험한 비탈길이었어요. 우리는 길을 완전히 잃었다는 것을 그 때야 알았어요. 누구한테 되돌아가는 길을 물어봐야 했는데, 지나온 길에서는 사람을 하나도 안 만났기 때문에, 우리는 산길을 따라 그냥 내려갈 수 밖에 없었어요. 보이는 것은 온통 논밭이고, 사람이나 집은 하나도 보이지 않았어요. 해질녘이어서 불안함이 더해졌어요.
그때 우리앞에 천사가 나타났어요. 그 천사는 하늘에서 내려온 것이 아니라 비탈길 아래에서 경운기를 운전하면서 닷,닷,닷,닷 소리 내며 우리에게 다가왔어요. 그 천사 아저씨는 우리의 이야기를 들은 뒤, 이렇게 말했어요. “여기까지 다 왔으니, 되돌아가려는 게 무리야. 차라리 산기슭에 있는 누마타시까지 내려가고, 거기서 택시로 올라가는 게 좋아. 누마타시까지는 이 아저씨가 데려다 줄께.” 그래서 우리는 경운기를 타고 닷,닷,닷,닷 라는 소리 와 함께 엄청난 속도로 누마타시까지 내려갔어요. 흔들리는 경운기가 겁나서 눈물이 나올 뻔했어요. 경운기 여행은 죽을 때까지 두번 다시는 없으면 좋겠어요.
누마타시에 도착하자마자 전화로 산장에 연락했는데, 그때는 해가 완전히 진 후였어요. 그런데 때마침 천사가 또 하나 나타났어요. 이번 천사는 아카기산에 있는 별장에 돌아가려는 여자였어요. 그 여자천사가 차로 우리를 산장까지 데려다 주었어요. 산장에서는 교수님은 따뜻한 미소로, 남학생들은 환성과 박수로 우리를 맞이해 주었어요. 대학생으로서는 아주 어리석고 변변치 못한 행동이었지만, 이제와서는 옛날이 그리운 아름다운 추억이에요.
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by nishinayuu | 2014-09-24 07:27 | 随想 | Trackback | Comments(1)

『日本語ぽこりぽこり』(アーサー・ビナード著、小学館、2005)

c0077412_10304341.jpg読書会「かんあおい」2014年8月の課題図書。
本書はミシガン出身、日本在住の詩人によるエッセイで、日本語のおもしろさを発見し、楽しんでいる詩人の溢れる才気が全編に満ちている。
内容は多岐にわたり、日本語について改めて教えられる事柄もあるが、日本人には常識と思われる事柄もあり、疑問に思うこともないわけではない。たとえば、タイトルのぽこりぽこりについて、漱石の句「吹井戸やぽこりぽこりと真桑瓜」をあげて、これがぼこりぼこりでは感じが違ってしまう、といっているが、サラサラとザラザラの違いを心得ている日本人には当たり前すぎることである。また「泰平のねむりをさますじょうきせんたった四はいで夜も寝られず」の「じょうきせん」は蒸気船と「上喜撰」の掛詞だということも、日本人には常識だと言えよう。著者は日本語のおもしろさとして言及したのだろうとは思うが、どうせなら日本人の気がつかない日本語の変なところを取り上げてくれた方がよい。疑問に思ったのは誤訳の指摘の仕方である。確かに「閑さや岩にしみ入蝉の声」の和訳は著者のものが断然優れていることはわかる。また、glare free(つやけし)やelephant’s-ear(大葉のベコニア)の誤訳はお粗末かも知れない。しかし、それを書物の中で指摘する前に訳者(後ろの二つは著名人二人)に訂正の機会を与えるのが品位ある大人のやり方ではないだろうか。訂正の機会を与えたのに訳者が無視あるいは拒否した、という経緯があったのならやむを得ないが。ひところ誤訳が社会問題になり、そのおかげで翻訳の質が大いに上がったことは確かだが、悪質な出版社、訳者と、そうではないものとを十把一絡げに扱ってはいけない。因みに「閑かさや」の著者による英訳は以下の通り。
Up here, a stillness---the sound of the cicadas seeps into the crags

英語に関する豆知識的な事項興味深く読めるし、大いに勉強になる。特に「マネーのずれ」の次の部分は、日本の紙幣と考え合わせると興味深い。
So when you moving back to America?
When Walt Whitman’s on the ten dollar bill
And Emily Dickinson’s on the five.
When Mark Twain’s on the twenty,
Melville the fifty, Scott Joplin the C-note,
And Fats Waller’s on the dime. (John Gribble)

(2014.6.17読了)
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by nishinayuu | 2014-09-20 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『よみがえる昭和天皇』(辺見じゅん・保阪正康-対談、文春文庫)


c0077412_915727.jpg読書会「かんあおい」2014年6月の課題図書。
副題に「御製で読み解く87年」とある。「御製」ということばは『万葉集』の中と「歌会始」に関する報道などでしかお目にかからないが、昭和天皇の御製は1万首以上あって、公表されているのはそのうち約900首だという。
昭和史の研究者である保坂は、「昭和天皇の御製には、側近の回想録、勅語、記者会見の質疑応答などからは読み取れない、天皇の本当の気持ちが表れている」という。また歌人でありノンフィクション作家である辺見は、「波乱と激動の昭和という時代の、それぞれの時期における天皇の発言集や侍従や側近の記録からは、昭和天皇の実体がよくわからなかったが、お歌には天皇の私的な心、抑制された心情が豊かに表れていて、そのまま昭和という時代の、光と影まで映し出しているのではないかと思うようになった」と言う。そんな二人が、摂政時代から崩御までの87年間の「御製」を辿りながら、昭和天皇のそのときどきの思いを解き明かしつつ、昭和という時代を振り返ったのが本書である。
昭和天皇その人についての印象はさておいて(さておく理由もさておいて)、興味深かったのは御製のほとんどが見事な万葉調の歌であること。たとえば、太平洋戦争後に各地を巡幸した折に詠まれた数々の歌は、まさしく『万葉集』に見られる「国見の歌」なのである。また、古来の風雅な言葉が随所に使われていて、まるで万葉の歌を読んでいるかのような気分になる。例えば次のような歌

たへかぬる暑さなれども稲の穂の育ちを見ればうれしくもあるか

この歌について辺見は「~もあるか、という詠嘆は万葉歌人に好まれた言葉遣いで、現代歌人にはなかなか容易には使えません。私が保坂さんとお会いしてうれしいなあ、という歌を読むのに、うれしくもあるか、と軽々には言えないのです」と言っている。天皇だからこそ使いこなせる言葉、天皇だからこそ可能な歌いぶりというものがある、ということだろう。(2014.6.15読了)
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by nishinayuu | 2014-09-16 09:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『四人の兵士』(ユベール・マンガレリ著、田久保麻理訳、白水社)


c0077412_10404231.jpg『Quatre Soldats』(Hubert Mingarelli, Éditions du Seuil, 2003)
時は1919年。ルーマニア戦線から総退却を始めたロシア赤軍の中に4人の兵士がいた。語り手のベニヤ、その親友のパヴェル、大男のキャビン、すごく若い銃の達人のシフラである。両親を亡くして天涯孤独のベニヤは、敗走中に声をかけてくれたパヴェルとすぐに気があって一緒に行動するようになる。そこへ同じ中隊にいたウズベク人で体はたくましいがちょっとオツムの弱そうなキャビンが加わり、さらに、森で春を待つことになったときに一緒に小屋を作る仲間として三人で選んだのがシフラだった。こうして冬を越すための小屋を四人で仕上げ、そろって中に入ったときベニヤは、これでもう独りぼっちじゃない、と思ったのだった。
この作品は、春の訪れと共に過酷な戦闘の場に投げ込まれる運命にある四人の兵士たちが、敵のまっただ中の野営地で冬をやり過ごしながらつかの間の生を楽しみ、友情を育んでいく様子を静かな語り口で綴ったものである。
物語にはもう一人、四人と行動を共にしながら彼らの行動や彼らのことばをノートに綴っていく志願兵の少年、エヴドキンが登場する。文字を知らない四人に代わって、彼らの期待を一身に集めて「彼らの物語」を記録するこのエヴドキン少年については、あらためてまた別の物語が書かれる必要がありそうだ。(2014.5.0読了)
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by nishinayuu | 2014-09-12 10:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Le Petit Prince』(Antoine de Saint Exupéry, A Harvesut/HBJ Book)

c0077412_10284310.jpgたまたま手許にあったので、『星の王子様』の原書を読んでみた。フランス語の読みはすっかり忘れているので、声に出して読むのはむりだが、字面を追うだけならなんとかなるだろう、と思ったのだが、甘かった。文法、語彙ともほとんど頭に残っていないことを思い知らされ、苦戦した。内容がわかっているおかげでなんとか最後までたどり着くことはできたが、「読んだ」とはとても言えない。
それでも「読んだ」というか「目を通した」おかげで気づいたことがある。この本は数字がアルファベットで示されているので、手許の英語版にあるようなミスがないのだ。問題の箇所は16章の冒頭部分。英語版は次のようになっている。
The earth is not just an ordinary planet! One can count, there, ⅠⅠⅠkings
オレンジ色の部分はローマ数字である。文脈からわかるといえばわかるのだが、ローマ数字に引っかかって立ち止まってしまうと、何が何だかわからなくなる。それがフランス語版では次のようになっているので、戸惑うことなく読み進めることができる。
La Terre n’est pas une planète quelconque! On y compte cent onze rois
これに続く部分にも数字が次々に出てくるが、英語版ではアラビア数字、フランス語版はアルファベット表記になっている。つまり、英語版が上記の部分だけローマ数字になっているのは単純な表記ミスなのではあるが、そのおかげで、常日頃ややこしくてめんどうだと思っていた数字のアルファベット表記が、正確さという点では優れた表記だということに遅ればせながら気がついたのだった。 (2014.5.27読了)
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by nishinayuu | 2014-09-08 10:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『마음속의 도깨비』(장영희、[살아온 기적 살아갈 기적, 2010)


c0077412_14174050.jpg『心の中のトケビ』(張英姫)
本作品は『生きてきた奇跡、生きていく奇跡』に収められた5ページほどの随想で、韓国語講座のテキストとして読んだ。著者・張英姫は英文学者、翻訳家、随筆家として活動するとともに、韓国障害者財団の監事も務めた。小児麻痺による障害、癌との闘病という過酷な状況のなかで、希望を持って生きることを実践したが、2009年に57歳で世を去った。

トケビとは「化け物、妖怪、へんげ、あやかし」などを意味する韓国語。人間を害する恐ろしいトケビもいれば、いたずら好きの愛すべきトケビもいる。本作品では「人の心の中にあって秩序や平穏、善良さに反抗してみたくなる気持ち」のことをトケビといっている。日本語訳としては「天邪鬼」が近いようだ。
そのトケビが頭を擡げると下記のような具合になる。(〇がある人が送ってきたEメールの最後に添えられていた「心が清々しくなる文」で、●がそれに反発する心の中のトケビのつぶやき。)
〇今日私が無為に過ごした時間は、昨日死んだ人が切望した明日である。
●そう、私は今日も無為に過ごした。いや、今日だけじゃない。昨日も一昨日もずっと無為に過ごした。だからどうしろというのだ。昨日死んだ人の代わりに私が生きていて申し訳ないと思えということか。
〇人のためになにかをするということは傘を持ってあげることではなく、一緒に雨に濡れることだ。
●ほんとにわけがわからない。傘を持ってあげれば二人とも少しは雨が避けられるだろうに、りっぱな傘があるのになぜ一緒に雨に濡れなければならないのか。
〇人生には物事がうまくいくときがある。けれどもそれは長くは続かない。人生には物事がうまくいかないときがある。それもまた長くは続かない。
●理論的には、ということだ。他の人間は物事がいつもうまくいき、それが長く続く。私の人生はうまくいかない。それも長く続く。

ただし、著者のトケビは決して外に飛び出すことはないし、いつまでも息巻いてはいない。トケビはいつの間にか静まって、著者はまた真摯で前向きな気持ちを取り戻すのだ。
(2014.5.9読了)
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by nishinayuu | 2014-09-04 14:18 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)