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『冬の眠り』(アン・マイクルズ著、黒原敏行訳、早川書房)


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『The Winter Vault』(Anne Michaels, 2009)
原題の「冬の安置所」は、地面が固く凍って墓穴が掘れないとき、地面がやさしくなって受け入れてくれる春まで死体を安置しておく建物のこと。主人公のジーンは子どものとき、1月に母親が亡くなったあと2ヶ月ほどの間、父親といっしょにモントリオールの北にある墓地の安置所に週に何度か通って、母親に詩を読んできかせた経験を持つ。
亡き母を想いながら大人になったジーンと、亡き父を想いながら大人になったエイヴァリーは、ダムと海路の建設のために水の消えたカナダ川のほとりで出会った。植物を愛するジーンは長年この川の畔に親しんできた。エンジニアのエイヴァリーはダム建設に関わっていた。思い出を語ることによって、相手の語る思い出に心を寄せることによって、二人は急速に近づいていき、結婚する。まもなくエイヴァリーがアスワン・ハイ・ダム建設にともなうアブ・シンベル神殿の移設に関わることになり、二人はそこで神殿の解体とヌビア地方の水没の現場に立ち会うことになる。この地で新しい命を宿したジーンだったが、子どもはこの世に生まれる前に死んでしまう。ジーンは直前に、ヌビア人の少年を水から救おうとしてかなわなかった夢を見ていて、自責の念や贖罪という考えにとらわれて、立ち直ることができなかった。エイヴァリーもまた、ふたりの子どもが死んだときその苦しみを、神殿をくりぬかれた岩山の痛み、住民がいなくなって沈黙に浸された村の痛み、その住民が住むことになった新しい村の痛み、移築というたちの悪い慰めを与えられた神殿の傷みの中に感じ取った。
カナダに戻った二人は同じ町の別々の場所で暮らし始める。二人をつなぐのはときどき交わす電話と、エイヴァリーの母親の存在だけだった。そんなときジーンの前に、夜中に街のあちこちに画を描いて回っている「洞穴の原始人」ルツィアンが現れる。彼もまたジーンに語って聞かせる。ポーランドのゲットーで育ち、母親を亡くして義理の父にも捨てられたこと、ワルシャワ蜂起のときは子どもなりにできることを精一杯やったことなどを。そして、ナチスによって瓦礫にされたワルシャワが、ソ連によって戦前とそっくりに復元されたときは、あまりのリアルさに違和感をおぼえたことを。それもやはりたちの悪い偽の慰めだったのだ。こうしてふたりは互いの思いを語りあうことで、安らぎをおぼえるようになる。しかしやがてルツィアンは、自分の苦しみを癒やす相手は別にいることに気づき、ジーンに別れを告げる。このときジーンもすでにわかっていたのだ。自分には帰るべき家があり、自分を温かく迎えてくれる家族があることを。

この作品は、子どもを失うという個人的な痛みに、カナダのダム・海路建設による村の水没、アスワン・ハイ・ダム建設によるアブ・シンベル神殿移設とヌビア地方の水没、ワルシャワの破壊と精巧なレプリカとしての復元、という三つの歴史的痛みを絡ませて描くことによって、喪失したものを復元すること、墓を作って花を供えたり、詩や絵によって追悼したりして記憶することの意味を問いかける。そんな重い内容の作品であると同時に、登場人物たちが交わす言葉、仕草や行動から温かい情愛が伝わってくる感動的な作品でもある。作者は詩人でもあるということだが、全編にまるで詩のような表現、書き留めたくなるような文章が溢れているのもこの作品の特筆すべき点である。(2014.5.25読了)
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by nishinayuu | 2014-08-31 10:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ハーヴェスト・ムーン』(K.C.マキノン著、小沢瑞穂訳、新潮社)


c0077412_18361174.jpg『Dancing at the Harvest Moon』(K.C.McKinnon、1997)
これは46歳の女性に訪れた一大ロマンスを描いた、甘い甘い小説である。ハーレークイン小説のお姉さん格の小説、というところか。(ただし、ハーレークイン小説を実際に読んだことがないので、間違っているかもしれません。)主人公の悩みや葛藤からは深刻さも悲惨さも感じられないので、実に気楽に読める。しかも、いろいろな詩人の名や詩そのものが随所にあしらわれているので「文学の薫り」も味わえる。風景描写と挿絵も美しい。というわけで一言で言えば、甘くて美しいエンターテインメント小説である。したがって、皮肉っぽい気分の時には読まない方がいいだろう。
いくつかの引用詩の原詩が気になったので調べてみた。全部書くと長すぎるので、重要な詩三つの一部だけ書いておく。
〇冒頭に掲げられたイェーツの「それは輝く乙女となった」の部分
It had become a glimmering girl
With apple blossom in her hair
Who called me by my name and ran
And faded through the brightening air.
〇ヒロインが初恋の人に暗唱して聞かせたエリオットの「さあ出かけよう、きみとぼくと」の部分
Let us go then, you and I,
When the evening is spread out against the sky
Like a patient etherized upon a table;
Let us go, through certain half-deserted streets,
〇初恋の人の墓石に刻まれていたR・スティーヴンソンの「墓を掘って私を死なせてください」の部分
Under the wide and starry sky
Dig the grave and let me lie.
Glad did I live and gladly die,
And I laid me down with a will.

This be the verse you grave for me;
Here he lies where he longed to be,
Home is the sailor, home from sea,
And the hunter home from the hill.

なおタイトルはヒロインが若き日にアルバイトをしていて初恋の人に出会った店の名前で、ニール・ヤングに同名の歌がある。(2014.5.17読了)
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by nishinayuu | 2014-08-27 18:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『しずかに流れるみどりの川』(ユベール・マンガレリ著、田久保麻理訳、白水社)


c0077412_15283717.jpg『Une Rivière Verte et Silencieuse』(Hubert Mingarelli、1999)
物語は主人公の少年プリモが、自分より50センチも丈の高い草むらの中を一人で歩く場面から始まる。プリモは草むらの中をゆっくりと、辿ってきた道を見失わないように歩く。そのトンネルのような道はプリモが開いた道で、誰にも出会わない道、プリモだけの道だった。2キロか4キロの草のトンネルを、プリモは草の穂先を揺らすかすかな風の音や草の間から差し込む光を感じながら往復する間に、いろいろな考えごとをする。
プリモはお父さんと二人暮らし。家は4枚の壁、2枚の板を合わせた三角屋根の簡素なもので、部屋は一つきりだった。家のある通りには工場の現場監督や技師が住む、しゃれた庭付きのきれいな家が並んでいた。ベランダにはイチジクの植木が置かれていたり、つる草が絡まっていたりした。
プリモの家にもつるバラがあったが、それは家の裏側に生えていたので、誰の目も惹かなかった。でもある日、父さんがいいことを思いついた。つるバラの種をまいて育てることにしたのだ。土を入れて種をまいたたくさんのガラスの瓶が床の上に100個も並んだ。父さんとプリモは朝になると瓶を外に出し、夕方になると家に入れて、せっせと世話をした。つるバラを売ればお金が入る、そうすればいろいろ欲しいものが買える、と楽しみにしながら。
父さんは工場をクビになったあと、あちこちに雇われ仕事に行くしかない。だから電気代が払えなくて、電気を止められてしまった。でも父さんは、食事をする時や寝る前にはきちんとお祈りをするし、プリモにもきちんとお祈りをさせる。プリモの話もよく聞いてくれるし、プリモの記憶力を褒めてくれる。なぜならプリモは父さんが子どもの頃に、みどりの川で青いマスを素手で捕まえたことを「おぼえている」からだ。みんなは父さんのことを「落伍者」と言うけれど、みんなは父さんが青いマスを手でつかまえたことを言い忘れているのだ。みどりの川と青いマスのことを。

随分前に(2006年2月に)同じ作者の『おわりの雪』を読んで、児童文学風だけれども実は児童向きではない小説だと感じたことを思い出す。少年の回想による父と子の物語という点では共通するが、『しずかに流れるみどりの川』のほうは児童文学としても読めそうである。(2014.5.10読了)
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by nishinayuu | 2014-08-23 15:30 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

『鏡の中の言葉』(ハンス・ベンマン著、平井吉夫訳、河出書房新社)

c0077412_1330119.jpg『Erwins Badezimmer』(Hans Bemmann, 1984)
この作品が上梓されたとき、ドイツの代表的な書評誌『ベルゼンブラット』(1985年4月26日)は次のように絶賛したという(訳者あとがきによる)。

…この書簡体小説は最高の意味において言語および文明批評のサイエンス・フィクション小説である……この本の内容は重層的であり、楽しく読めると同時に深遠な思索がこめられている。書簡の合間に著者は、言葉遊び、なぞなぞ、伝説、メルヘン、聖書やタルムードのパラフレーズをちりばめた――文字どおり言語の演戯、可能性の全面開花、それがこの本をSFのなかで比類のないものにしている。

原題の意味は「エルヴィンの浴室」。エルヴィンは主人公アルベルトの大学時代の友人で、自宅の浴室を秘密の図書館に改造し、言語粛正前の書物をマイクロフィルムに撮影して納めている。そして浴室の鏡がそれらの書物を読むためのマイクロリーダーとなっている。すなわちこの作品は、言語の多義性を否定して一義的言語によって国民を統制する架空の国家において、多義的言語によって語られた豊かな古い物語を掘り起こし、それを守っていこうとする人々の物語である。言語を扱った物語なので翻訳は非常に困難だったと思われるが、実にわかりやすく、不自然さもあまり感じられない訳になっている。ストーリー展開も魅力的で、読後感もさわやかな作品である。

主な登場人物は以下の通り。
アルベルト:国語学者。国の集中収容庫(国民の目に触れないように、言語粛清前の書物を集めて閉じ込めてある書庫)の職員。ふとしたことからこの国の言語の歴史に疑問を抱き始め、エルヴィンの同志になる。
エルヴィン:アルベルトの大学時代の友人。秘密の図書館を運営。
マックス伯父:エルヴィンの大叔父。山岳地帯の古い農家に、言語粛清の検閲から逃れた大量の書物を保管していた。
フランツ:アルベルトの行きつけのカフェのボーイ。エルヴィンの同志。
アメリー:小学校教師。言語監察局に目を付けられたため逃亡する。エルヴィンの同志。
パン屋の主人:アメリーの教え子の親。アメリーを支持したため「川向こう」に追放される。
ラケル:医学博士。アルベルトの足の捻挫を治療したことからアルベルトと知り合い、やがて手紙をやりとりするようになる。エルヴィンの同志。
(2014.5.6読了)

☆「川向こうのコロニー」という設定は、1966年に制作された映画『華氏451』(原作はレイ・ブラッドベリの小説、1953)の場合とよく似ていてびっくり。
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by nishinayuu | 2014-08-19 13:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

映画鑑賞ノート18 (2014.7.31作成)

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2014年上半期に見た映画の覚え書きです。
1行目:タイトル(原題)制作年・制作国 監督(鑑賞日)2行目:キャスト 3行目:一言メモ
なお、画像は「パリ・ジュテーム」です。

しあわせの雨傘 2011フランス フランソワ・オゾン(1.21)
    カトリーヌ・ドヌーヴ、G・ドパルデュー、ファブリス・ルキーニ
    妻を侮っていた夫が情けない姿に。ルキーニはこんな役がよく似合う。
パリ・ジュテーム(Paris, je t’aime)2006仏 諏訪敦彦、ドパルデュー他
    (1.29)
    J・ビノシュ、F・アルダン、イライジャ・ウッド、N・ポートマン
    スター達がパリのあちこちに出没する。O・ワイルドにも会える!
Final Destination 2000米 ジェームズ・ウォン(2.5)
    デヴォン・サワ、アリ・ラーター、カー・スミス
    ホラー・サスペンス。挿入歌は飛行機事故で死んだジョン・デンバー。
My Blueberry Nights  2007香港・中・仏 ウォン・カーウァイ(2.8)
    ジュード・ロウ、N・ジョーンズ、N・ポートマン、D・ストラザーン
    元カノ(キャット・パワー)がちょっとだけ顔を出す場面が印象的。
ディナー・ラッシュ(Dinner Rush)2000米 ボブ・ジラルディ(2.16)
    ダニー・アイエロ、エドアルド・バレリーニ、カーク・アセヴェド
    多彩な人物、テンポのよい場面切り替えで飽きさせない秀作娯楽映画。
かぞくのくに 2012 日本 ヤンヨンヒ(梁英姫)(3.2)
    井浦新、安藤サクラ、津嘉山正種、宮崎美子、ヤン・イクチュン
    登場人物は監視員を含めて一様に寡黙だが心情が切々と伝わってくる。
迷子の警察音楽隊 2007イスラエル エラン・コリリン
    サッソン・ガーベイ、ロニ・エルカベッツ、サーレフ・バクリ
    エジプト人とイスラエル人の不器用な交流。精悍なパーキンスも登場。
チスル(지슬)2013韓国 オ・ミヨル(4.2)
    済州の4・3事件を島民と軍人双方の苦悩に目配りして描いた意欲作。
列車に乗った男(L’Homme du train)2002仏独英瑞 パトリス・ルコント
    (4.11)
    ジャン・ロシュフォール、ジョニー・アリディ
    あのジョニー・アリディがこんな渋い(というか汚い)中年に!
バレエ・カンパニー(The Company)2003米・独 ロバート・アルトマン
    (4.13)
    ネーヴ・キャンベル、マルコム・マクダウェル、マイア・ウィルキンス
    キャンベルの企画によるバレエ団ダンサーたちを描いた内幕群像劇。
500日のサマー(500Days of Summer)2009米 マーク・ウェヴ(4.21)
    ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、ゾーイ・デシャネル、G・モレッツ
    運命の恋を信じるナイーヴな男と現実的で小悪魔的な女の500日。
ラルジャン(L’Argent)1983仏・瑞 ロベール・ブレッソン(4.25)
    クリスチャン・パティ、カロリーヌ・ラング、バルサン・リステルッチ
    原作はトルストイ。なるほど舞台はパリなのに内容はロシア風。
Lost in Translation 2003米 ソフィア・コッポラ(5.7)
    ビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンセン
    「日本人はLとRをワザと間違える」って?わざとじゃないよ~。
ナイアガラ(Niagara)1953米 ヘンリー・ハサウェイ(5.14)
    マリリン・モンロー、ジョゼフ・コットン、ジーン・ピーターズ
    確かにこれはモンローの映画ですね。話の展開が読めてしまうのが難。
シラノ恋愛操作団(시라노 연애조작단)2010韓国 キム・ヒョンソク(5.20)
    オム・テウン、イ・ミンジョン、チェ・ダニエル
    Agnes BaltsaのAspri Mera Ke Ya Mas(There will be better days
     even for us)という言葉がでてくる。
ダーク・シャドウ(Dark Shadows)2012米 ティム・バートン(6.6)
    ジョニー・デップ、エヴァ・グリーン、ミシェル・ファイファー
    笑いも泣けもしない「なにこれ?」作品。制作陣は楽しかっただろうが。
最強のふたり(Intouchables)2011仏 E・トレダノ、O・ナカシュ(6.26)
    フランソワ・クリュゼ、オマール・シー、オドレイ・フルーロ
    屈折した感情表現をしないからこそ「最強」になれた二人に拍手。
水曜日のエミリア(Love and Other Impossible Pursuits)2011米 D・ルース
    (6.28)
    N・ポートマン、S・コーエン、C・ターハン、リサ・クドロー
    軽い恋愛ものと思いきや重いお話でした。N・ポートマンがいい。
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by nishinayuu | 2014-08-15 19:52 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

『ヴィルトゥオーゾ』(マルグリート・デ・モーア著、伊藤はに子訳、筑摩書房)


c0077412_96693.jpg『De Virtuoos』(Margriet de Moor, 1993)
本書はオランダの作家デ・モーアの第4作目で、18世紀前半のナポリを舞台に、天使と悪魔を併せ持つユニークな存在であるカストラートを、語り手の女性の感覚を通して描いた、妖しくもきらびやかな作品である。

物語は、「ある日のこと、私たちの村から一人の少年が消えた」という衝撃的な文で始まる。村の名はクローチェ・デ・カルミネ。ヴェスヴィオス火山の麓にある美しい村である。少年の名はガスパーロ・コンティ。村のサンタ・モニカ教会の聖歌隊で第一ソプラノを歌う11歳の少年だった。
10歳の少女だった語り手のカルロッタはその日、聖歌隊にガスパーロの姿がなく、歌にも何かがかけていることを感じて、悲しみと恐怖に襲われる。そして乳母に「ガスパーロはどこへ行ったの?」と尋ねる。はじめは答えを渋っていた乳母のファウスティーナも、真剣な目で見つめるカルロッタに声を潜めて言う。「ノルチアにいると聞きましたよ」。ノルチアの名はずっと後になっても秘密めいて胸騒ぎを起こさせるリフレインのようにカルロッタの胸の中で繰り返し響く。
カルロッタがノルチアの意味を知ったのはずっと後のことだった。ノルチアに連れて行かれた少年たちは、非常に巧妙な外科手術を施され、その後何年も厳しい鍛錬を受けた後、人々の心を揺さぶり陶酔させる清澄な声の歌い手「カストラート」として生きていくことになるのだ。

後半に「インテルメッツォ」という章が挿入されている。ファウスティーナが語るファウスティーナの物語で、他の章の主要人物たち――カルロッタ、義理の姉のアンジェリカ、二人の父親であるパオロ・カエターニ男爵、カルロッタの夫や恋人、そして少年時代も長じてからもカルロッタの心をとらえて放さないガスパーロ――にまつわる様々なことがらがファウスティーナの生涯を彩る背景のように綴られていく。複雑な人物関係、入り組んだ時の流れなどがすっきりまとめられた、全体の要約のような章である。(2014.5.4読了)
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by nishinayuu | 2014-08-11 09:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『獄中からの手紙』(郷隼人著、幻冬舎、2014)


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読書会「かんあおい」2014年5月の課題図書。
著者は「朝日歌壇」の常連で、2004年の歌文集『LONESOME隼人』に継ぐ二冊目の本。内容は 「日米の娑婆の人にはあまり知られていないネガティヴなサイド、すなわち、獄塀の内側で日常起こっている汚い側面と悪い刑務官、そして悪い囚人たちのことも書いてみた。僕にしか書けないストーリーを描きたいと思った」という著者のことばが充分に語っている。
読んでいて気になったのはカタカナ語の多用である。英語の中で暮らしている著者としては英語で伝えたいけれどもそれがかなわないので、やむなく次善の手段としてカタカナに置き換えているのだろうが、日本語の文章としては不自然で読みにくい。誰かの言った言葉を日本語で書いておいて、同じことをカタカナで書き加える、ということもしているが、カタカナの部分は邪魔でしかない。元は英語だったことは状況からわかりきっているのだから。日本語だけではどうしても物足りないなら、カタカナは止めて英語、英文そのものを付け加えたほうがまだましではないだろうか。
特に違和感をおぼえるのは歌のなかで、漢字にカタカナのルビを付ける、という形でカタカナが多用されていることだ。たとえば
〇渺茫たる葡萄園(ヴインヤード)より吹いてくる 春風うららイースター・サンデー
〇稲妻のごとく急降下(ダイブ)し野ウサギを捕らえ翔び去る隼(ファルコン)の美技
などであるが、葡萄園はぶどうえん、隼ははやぶさと読んでも字数は変わらないし、急降下も降下だけにすれば問題ないのでは?と思う。(素人の妄言だということは重々承知です。)それに、著者自身がTHOUGHTSの章の中で言っている次のことばと矛盾するのでは?
「僕はエッセイとかエッセイストという用語が大嫌いだ。作文か随筆家と言えばいいではないか。なにを気取ってエッセイストだ」
それはそれとして、内容そのものには心を動かされる歌も多い。心に残ったものを以下に並べておく。
〇椰子の樹の戦(そよ)ぐ加洲の大空よ監獄さえも美しき五月
〇老父(ちち)逝きてふいに寂しき獄の庭老いたる猫に餌を与えやる
〇朝顔もラジオ体操も〈白熊〉もみんな懐かしい祖国(くに)の夏休み
〇獄窓(まど)に聴く夜汽車が次第に遠のけば望郷の念沸々と湧く
〇我を待ち八十四年の人生に三十六年待ち逝きましぬ母
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by nishinayuu | 2014-08-07 13:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『死の舞踏』(ヘレン・マクロイ著、板垣節子訳、論創社)


c0077412_10555779.jpg『Dance of Death/Design for Dying(英国版)』(Helen McCloy, 1938)
本格ミステリー作家ヘレン・マクロイ(1904~1992)のデビュー作。サスペンスの要素はあまりなく、気楽に楽しめる作品である。というのも事件を解決していく主役が警察官や敏腕探偵ではなく、地方検事事務所に所属する精神分析医という設定で、しかもこの人物がなかなか魅力的に描かれているからだ。すなわちベイジル・ウィリング博士は長身で、ほっそりした身のこなしは優雅そのもの。神経が細やかで、情に厚く、繊細で直感的。リムスキー・コルサコフの「サドコ」を聴いていると身も心も解け出しそうになる。すべて母親がロシア人だから、ということらしい。
ある場面で彼は、ベイジルという名前は「ヴァージリィ」の変形だ、と事件を担当するフォイル警視に説明している。このロシア人とは気づかれにくい名前を利用し、ロシア語などわからないふりをしてベイジルは、ニコラス・ダーニンというロシア人に会いに行く。軍需品会社の経営者であるダーニンは高層ホテルの塔部分の一角に居住していて、事件に関する自分の推論をあれこれベイジルに披露する。このときベイジルがダーニンの使用人であるのセルゲイにも質問したい、と言うとダーニンは「ええ、どうぞ。でも、先に申し上げておきますが、セルゲイからはなにも得られないと思いますよ。ロシア人のこの身分の人間の例に漏れず、無精で愚かで迷信的な男ですから」と言ってからセルゲイに向かってロシア語で「こちらの人たちがおまえにものを尋ねたいそうだ――おまえのような薄汚い豚に!嘘を交えないで答えろ――できるものならな!」と悪態をつく。
セルゲイのフルネームはピオトロヴィッチ・ラダーニンというのだが、ずっと後の場面で彼が実は革命で没落した地主で、ダーニンはその庶出の息子だと判明する。ダーニンというのはラダーニンの後ろの2音節をとった名だったのだ。ダーニンが「この身分の人間」と言ったのは旧地主階級の人間のことであり、落ちぶれた父親を使用人として雇うことで屈辱的だった子ども時代の復讐をしていたのだ。ベイジルが実はロシア人の血を引いていて、祖父は音楽家のヴァジリィ・クラスノイだと明かすと、セルゲイは、天才的な指揮者だった、と懐かしむのだった。本筋とは直接関係のないエピソードだが、こんな話が盛り込まれている点がこの作品の魅力の一つだ。
もう一つおもしろかったのが、登場人物の一人・キャロライン・ジョウィットが署名する時に誤ってキャサリン・ジョセリンと書いてしまったことについてベイジルが次のように言っていることだ。
これは、頭韻への無意識の愛着を示すものでね。犯罪者が偽名を使う時に、無意識に自分の名前と同じイニシャルの名前を選ぶことにも同じ傾向が見られるんじゃないのかな?

偽名を使う時には気をつけなくては。(2014.4.26読了)
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by nishinayuu | 2014-08-03 10:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)