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『The Little Prince』(Antoine de Saint-Exupéry著、英光社)

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『The Little Prince』(Antoine de Saint-Exupéry著、英光社)(Translated into English by Katherine Woods,1966)

本書は1944年7月に地中海上空で消息を絶ったサン=テグジュペリの遺作『Le Petit Prince』の英訳版である。手許にあるのは福田陸太郎による注釈付きの本で、20代の頃に購入して以来、何度か読み返している。毎回、いいなあと思うところも同じなら、あまりおもしろくなくて飛ばし読みしてしまうところも同じで、それにしても絵はいまいちだなあ、と思うのも同じである。作者もそういう反応を見越してか、星の王子様に「Your baobabs—they look a little like cabbages」と言わせている。それはともかく、ほっとしたとき、あるいはほっとしたいときにふと繙いてみたくなる作品である。
いちばん好きなのは[6](一日に何度も夕日を眺める話)。その次は[19](高い山に登ってこだまを聞く話)、それから「20」(自分のバラが何の変哲もないただのバラだとわかる話)と「21」(狐のおかげで、自分のバラはやはり特別な存在だと気づく話)。
最後に、本書の中の名言を並べてみる(あるサイトにサン=テグジュペリの名言集というのがあったのでそれを真似て)。
One loves the sunset, when one is so sad…
It is the time you have wasted for your rose that makes your rose so important.
What makes the desert beautiful is that somewhere it hides a well.
(2014.3.28読了)
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by nishinayuu | 2014-06-28 14:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『剣ケ崎』(立原正秋著、筑摩現代文学大系81)

c0077412_2031387.jpg1965年の作。作者が初めて自らの「韓国人の血の縁」を正面に見据えて立ち向かった作品である。
舞台は三浦半島南端の劍ケ﨑、時代は終戦末期で、クライマックスは盛夏の三日間に設定されている。登場するのは母方の祖父・康正、韓国軍人の父親、太郎と次郎の兄弟、従妹の志津子、右翼の従兄・憲吉、叔父の李慶明。従兄弟同士の太郎と志津子の恋愛は、太郎が憲吉に殺され、静子が太郎の跡を追って投身自殺をすることで終わる。
作者は死の間際の太郎に「次郎、おぼえておけ。あいの子が信じられるのは、美だけだ。混血は、一つの罪だよ。誰も彼をそこから救い出せない、罪だよ」と語らせ、次郎に「私は、人からきかれれば、何分の一かは朝鮮の血が入っていると答えます。そうすると、相手の態度が目に見えない速度で変わって行き、よそよそしくなっていくのです」と述懐させている。作者がいかに世の偏見に苦しみ、それに耐えてきたかを思い知らされる。

この作品も『薪能』と同じく芥川賞候補(1965年度上半期)になり、審査員の間でメロドラマ風だが力作である、という意見と力作だがメロドラマ風であるという意見が対立して、長時間討議された末に落選したという(『立原正秋追悼』創林社)。因みにこのときの受賞作は津村節子の『玩具』だった。
(2014.3.23読了)
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by nishinayuu | 2014-06-24 20:27 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『薪能』(立原正秋著、筑摩現代文学大系81)


c0077412_13302489.jpg作者の代表作の一つといわれるこの作品は、新潮編集部に投稿され、急遽採用されたもので、1964年5月号に掲載された。「投稿原稿をいきなり採用するのは編集部としては放れ業だったが、当時38歳だった立原はいくつかの文芸誌に相当数の小説を発表していて知名度もあったし、編集部内の評価も、新人とは思えぬ巧い作品ということで一決した」と当時の担当者だった坂本忠雄は回想している(『立原正秋追悼』創林社)。
鎌倉を舞台に繰り広げられ、9月22日の鎌倉薪能でクライマックスを迎えるこの物語は、従兄弟同士の恋をあわれに美しく描き出している。ふたりの祖父は壬生家の主(いかにも、という感じの名前ですね)。屋敷に能楽堂を持ち、自らも相当な舞手であったこの人物は、戦死した長男のひとり娘である昌子と、アメリカ兵とのけんかで命を落とした次男の一人息子である俊太郎を引き取って育てる。子ども時代から成人するまでの12年間を姉と弟のように過ごした二人が、数年の時を経て再会し……、となるとその後の成り行きは想像できるが、背景に能の世界があるのであくまでも妖艶な美しさを保って展開していくところがこの作品の読みどころである。

なお、この作品は同年上半期の芥川賞候補となったが、新人としては巧すぎ作りすぎ、という意見が過半数を占めて落選したという。因みにこのときの受賞作品は柴田翔の『されどわれらが日々』である。(2014.3.23読了)
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by nishinayuu | 2014-06-20 13:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

我が祖母


c0077412_9502671.jpg韓国語講座の3分間スピーチ、今回の課題は「私の家族」でした。下の文はスピーチの内容を少し書き直したものです。今回はあえて日本語訳はつけませんでした。

기가 센 여자였던 외할머니

우리 집안에도 훌륭한 사람이 있기는 하지만, 오늘은 좀 색다른 여자였던 우리 외할머니에 대해 이야기하겠습니다.
외할머니는 오사카에서 도매상의 딸로 태어났고, 같은 시내의 또 다른 도매상집으로 시집갔습니다. 거기서 살다가 딸 세 명도 낳았지만, 딸들의 아버지가 마음에 들지 않았다고 합니다. 딸들의 아버지는 취미에 빠져 생업에 힘쓰지 않은 사람이었어요. 그런 남편을 참을 수 없게 된 외할머니는, 시집 도매상에서 지배인으로 일하던 남자와 눈이 맞아서 도쿄로 도망쳤어요. 우리 어머니가 14살, 막내동생이 7살 때의 일이었습니다.
우리 어머니와 동생들은 외할머니의 친정에서 생활하게 되었어요. 우리 어머니는 그런 상황에서도 불편을 느끼지 않았지만, 엄마를 그리워하는 막내동생을 가엾게 여겼어요. 그래서 우리 어머니는 남 몰래 자기 용돈으로 기차표를 구입하고, 막내동생을 데리고 도쿄로 갔습니다. 도쿄역에서 전화로 외할머니를 불러냈더니 외할머니는 당황해서 달려왔습니다. 그런데 당장 얼굴을 보여주지 않았고, 기둥 뒤에서 잠시 딸들의 주위를 살펴본 뒤에야 나타났다고 합니다. 시집에서 사람을 보내왔는지 의심해서 그랬던 것입니다. 아무튼 막내동생은 그 날부터 어머니와 새로운 아버지하고 살게 되었습니다.
세월이 흘러서 그 막내동생도 결혼했고, 아들도 태어났습니다. 그런데 외할머니는 이번에는 그 막내딸의 남편이 마음에 들지 않았고, 결국 막내딸을 이혼시켰어요. 막내딸의 아들은 아버지의 얼굴도 모르는 채, 아버지는 죽었다고 알고 자랐어요. 한 마디로, 외할머니는 자기 인생 뿐만 아니라 딸과 손자의 인생도 제멋대로 다룬 사람이었다고 할 수 있습니다.
그런 어이없는 여자였지만, 외할머니의 명예를 위해서 한마디 덧붙이겠습니다. 외할머니는 부지런하고 슬기로운 여자이기도 했습니다. 그래서 도쿄로 온지 머지않아 지유가오카에 집을 서너채와 토지를 소유하게 되었고, 프랑스의 책으로 프랑스자수를 공부하고나서 프랑스자수강좌를 개최하기도 했습니다. 그리고 마지막으로 또 한마디 덧붙이면, 우리 외할머니는 메이지시대에 태어난 여자 치고는 아주 현대적인 미인이였습니다.
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by nishinayuu | 2014-06-16 09:51 | 随想 | Trackback | Comments(0)

『晩年の美学を求めて』(曾野綾子著、朝日新聞)


c0077412_743033.jpg読書会「かんあおい」2014年4月の課題図書。
28の章からなる随筆集。初出は『一冊の本』2003年7月号~2005年10月号で、2006年の単行本化に当たって加筆訂正されたもの。
新聞広告で見たある週刊誌の記事タイトルに、この著者が「被災者や障害者には甘えがある」という趣旨の発言をしたというものがあった。それで、この本が読書会で取り上げられることになったときは反発をおぼえたのだが、読んでみると、ストレートに弱者を糾弾しているわけではないことがわかった。週刊誌はわざと誤解を招くような取り上げ方をするものなのだ、とあらためて感じた。ただしこの著者は、子ども時代の家庭環境もあってか人一倍精神的に強く、また他人より優れた才能にも恵まれているので、世の中にはほんとうに弱い人間もいるのだ、ということを理解するのは無理かもしれない、とも思った。それはそれとして、この本には心に響くことばがいろいろあった。主なものを書き出してみると――
*善は言葉で言うものではなく行動で示すものであり、悪は口先だけで盛大に言って実行しないのが、羞恥を知るものの行為である。
*どんな表現にも過剰反応しない、安心して喋れるのが夫婦・家族である。そうした防波堤のような相手が少しずつ身の回りから消えるのが、晩年・老年というものの寂しさなのである。
*フランシス・ベーコンのことば――順境の美徳は節度である。逆境の美徳は忍耐である。
*もし神がいないと、この世で自分の考えをわかってくれる人が一人もいないことになる。
*問題のない親は、問題がないというだけでどこかに大きな問題がある。
*不幸に見舞われたときに、人間の自然として神頼みをしそうな気がするなら、普段から「神はいない」などと言うものではない。
*トリノの無名戦士の墓に刻まれた碑銘――私は人生を楽しもうとして/神にすべてを願った。しかし/神はすべて(神の十全性)を楽しませようとして私に人生をくださった。/私が神に願ったことは/なにひとつ叶えてもらえなかった。/しかし、/私が神において希望したことはすべて叶えられていた
*心の中は不満だらけでも表向きだけは明るく振る舞う義務が晩年にはある。明るく生きてみせることは、誰にでもできる最後の芸術だ。

他にもいろいろ心にしみることばがあった。少し前に身近な人をなくしたため、神経過敏になっているせいかもしれない。(2014.3.18読了)
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by nishinayuu | 2014-06-12 07:05 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『アリランの歌』(金山&ニム・ウェイルズ著、安藤次郎-訳、みすず書房)


c0077412_11238100.jpg『Song of Ariran---The Life Story of a Korean Rebel』(Kim San & Nym Wales, 1941)
金山(1905~1938?)は朝鮮人革命家。朝鮮の国土と人民を日本帝国主義のくびきから解放することを目指して、中国との国際的共同闘争に身を投じた。「金山」はいくつか持っていた偽名の一つで、ウェイルズにこっそり打ち明けたところによると本名はチャン・チ・ラック(Chiang Chi-rak、張志楽)だという。1937年の夏に中国の延安でウェイルズに出会い、彼女に請われるままに半生を語ったあと、華北遊撃戦の前線をくぐって満州に向かったところで消息は途絶える。
ニム・ウェイルズ(1907~1997)はアメリカ人。中国でジャーナリストになることを目指して1931年に上海に渡り、その地でエドガー・スノーと結婚(後に離婚している)。金山の中に「閉ざされた国」朝鮮の偉大な革命家を発見して、彼の辿ってきた道とその思想を一冊の本にまとめることを提案する。金山が精密で膨大な語りによって資料を提供し、ウェイルズがそれを忠実に記録する、という共同作業の結実したものが本書である。

本書はなによりもまず朝鮮の革命運動についての――朝鮮及び満州におけるその発端から、1925年以後、中国革命の闘争と足並みをそろえるまでの――物語であり、また、この時期に朝鮮人指導部の先頭に立っていた金山の物語でもある。金山は1919年から1924年までは知識と手段と方法を手探りする学生で、民族主義から無政府主義へと移り動いたが、やがてマルクス主義に足場を見いだして中国革命に身を投じ、広州コンミューン、海陸豊を経験する。地下生活、獄中生活という過酷な生活によって健康を害し、多くの仲間の死や裏切りといった過酷な精神的苦痛も受ける。常人であれば心身ともに再起不能となるはずの体験をしながら、金山は晩年(といっても30代!)には恋もするし、結婚もする。そうした人間らしい情を失うことなく、さらに新たな闘争へと邁進していく金山という人物にただただ圧倒される。(2014.3.17読了)
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by nishinayuu | 2014-06-08 11:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ナチと理髪師』(エドガー・ヒルゼンラート著、森田明-訳、文芸社)


c0077412_2282796.jpg『Der Nazi & Der Friseur』(Edgar Hilsenrath , 1971)
物語の語り手は1907年の5月、シレジア州ヴィースハレ市に生まれたマックス・シュルツという「生粋アーリア人種」の男。母親はユダヤ人毛皮商の女中、父親ははっきりしないが母親がつきあっていた肉屋・錠前屋・左官手伝い・御者・下男のうちの一人で、母親を含めて6人とも家系を念入りに調べた結果アーリア人であることが証明されているという。マックスが生まれたあと、母親はポーランド人の理髪師・スラヴィツキと暮らし始める。スラヴィツキの「みじめ」な理髪店の真向かいにはユダヤ人が経営するしゃれた理容サロン「社交界の紳士」があった。オーナーの理髪師は「トラ刈りを作らない調髪法」という著書もあるハイム・フィンケルシュタイン。マックスが生まれた同じ日のほぼ同時刻に、このフィルケンシュタイン家にもイツィヒという男の子が誕生する。
「みじめな理髪店」の息子は「おしゃれな理髪サロン」の息子と仲良しになって同じ学校に通ったが、学友たちは間違えてマックスをイツィヒと呼び、イツィヒをマックスと呼ぶことがあった。マックスは黒髪で、両目は蛙のように飛び出ていて、わし鼻。イツィヒは金髪で目は青く、鼻筋はまっすぐだった。生粋のアーリア人であるマックスのほうが、ドイツ人が思い描く典型的ユダヤ人の容貌をしていたのだ。やがて17歳で学業を切り上げた二人は、一緒にハイム・フィンケルシュタインのもとで修業し、理容師として順調なスタートを切るのだが……。

容貌にも家庭環境にも恵まれなかったマックス。優れた友人とその父親のおかげで一通りの学識と理容師の技能を身につけたマックス。その彼がナチスの親衛隊員としてユダヤ人を追放し、殺す側の人間となったいきさつやその後の数奇な人生行路を、とぼけたようなふてぶてしい口調で語っていく不気味さ。その不気味さは、あるいは劣悪な家庭環境を与えられた人間ゆえの異常さのように見えるかもしれない。しかし読み進むうちに、マックスは別に異常な人間ではなく、ごく一般的などこにでもいるような人間であることが見えてくる。誰もがマックスになり得る、という事実を読者に突きつける衝撃的な作品である。

☆この作品の読み方については「訳者の蛇足」に懇切丁寧な解説があります。ふつうは「訳者あとがき」とすべきところを「蛇足」としたところに、むしろ訳者の自負を感じましたが、見当外れでしょうか。(2014.3.8読了)
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by nishinayuu | 2014-06-04 22:07 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)