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『マグノリアの眠り』(エヴァ・バロンスキー著、松永美穂訳、岩波書店)


c0077412_9334416.jpg『Magnolienschlaf』(Eva Baronsky, 2011)
本書は1968年生まれの著者による2作目の小説で、戦争の爪痕とその記憶に外国人による介護という現代的テーマを絡ませ、ミステリータッチで描いた作品である。
冒頭に1945年3月5日付の「ドイツ週間ニュース」なるものが掲げられている。ソ連兵の残虐行為の痕跡を伝え、ドイツ国民の戦闘意欲をあおる内容である。続いて今度は、女たちでびっしりの地下室の様子が描かれる。近づいてくる爆撃音の中で、女たちは野卑な長靴や唾や血、男たちの大きな手などの恐ろしいイメージにおびえながら、そのときを待っている。そんななかでヴィルヘルミーネは一つの決断をする。
時代は数十年後に飛び、23歳のロシア人、イェリザヴェータが登場する。介護士として働いている病院から3ヶ月だけ休暇をもらい、老婦人の介護をして稼ぐためにドイツにやって来たのだ。この老婦人というのがヴィルヘルミーネである。「去年の夏までは何でも一人でできていたのに、庭の手入れをしていて梯子から落ちたのがきっかけで歩けなくなってしまった」と老婦人の甥のディーター・ヒューブナー氏がイェリザヴェータに説明する。「ピッヒェルシュタイン・シチューが好きなのよ」とヒューブナー夫人のカーリンが老婦人の食事について説明する。食事の世話をし、一日に3回便器に座らせ、掃除や洗濯をして日曜は休み、という条件だった。ところがディーター夫妻は旅行に出てしまって日曜も戻ってこないし、代わりの介護者を雇う気配もない。しかも初めは「不平不満は口にしない、かわいいおばあちゃん」だった老婦人が、いきなりイェリザヴェータを罵り、出て行け、と言い出す。それはかかってきた電話に出たイェリザヴェータが、相手とロシア語でしゃべった後だった。
悪態をつき、理不尽な嫌がらせをし、飲食を拒否するほど怒り狂う老婦人。驚きあきれながらも辛抱強く介護するイェリザヴェータ。彼女のバーブカ(おばあさん)は精神に異常をきたしていて、「お腹を抉られて赤ちゃんを入れられたマトリョーシカ」の話をして彼女を恐がらせたものだった。彼女の母親はそのバーブカの世話を黙々としていた。3ヶ月我慢すれば、母親にお金を渡すことができるのだ。だからイェリザヴェータは老婦人に「ロシア人」と罵られても動じない。
ある日イェリザヴェータは、フランクフルトの市場でマトリョーシカの絵本に出会う。それがバーブカに聞かされたのとは全然違う楽しい話だったことから、バーブカの話はバーブカ自身のことを語っていたのだと思い至る。バーブカが「おまえの目は青い。恥を知るべきだよ。やつらの一人なのだから」と言っていたことも思い出す。イェリザヴェータは純粋なロシア人ではなく、1/4はドイツ人だったのだ。やがてイェリザヴェータは老婦人の部屋で、若い女性と女の子が写っている写真を発見する。若い女性はどうやら若き日の老婦人のようだ。ではこの女の子は誰なのだろうか?今どこにいるのだろうか?(2013.12.1読了)
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by nishinayuu | 2014-02-28 09:34 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『真昼の女』(ユリア・フランク著、浅井昌子訳、河出書房新社)


c0077412_21285397.jpg『Die Mittagsfrau』(Julia Franck, 2007)
「真昼の女」とはスラブ民族の言い伝えに出てくる幽霊で、暑い日の真昼、昼休みもとらずに畑で働く人の前に現れ、呪いをかけるという。この「真昼の女」から身を守る唯一の方法は、1時間の間畑仕事や亜麻の加工について話してやることだ(本文中の注より)。

プロローグの舞台は第2次世界大戦直後のシュテッティン。もとドイツ領で、この時はソ連軍に占領されていた町だ。ドイツ人に退去命令が出て、8歳の少年ペーターは母親と一緒に西へ向かうことになった。やっとたどり着いた駅で列車を待っているとき、母親は「すぐに戻るから待っていて」と言ってペーターをベンチに残したまま、戻ってこなかった。母親の名はアリース。病院の看護師だった。
本編の主人公はヘレーネ。優しい父と美しいユダヤ人の母、年の離れた姉のマルタ、という四人家族だったが、父は第1次大戦で受けた傷がもとで亡くなる。精神に異常をきたしている母親に娘として認められないヘレーネは、姉のマルタに憧れと親密感を抱いて育つ。やがて姉妹は親戚の女性を頼ってベルリンに旅立つ。ベルリンには姉の友人(レズビアン関係の相手)も待っていて、姉妹の力になってくれる。看護師として働きはじめたヘレーネにはカールという恋人もできて、幸せな将来が見えてきた矢先、カールは事故で死んでしまう。気がつくと姉の麻薬依存もどんどん深みに入り込んでいた。茫然自失しているヘレーネの前に、熱烈な讃美者が現れる。ヴイルヘルムはユダヤ人ながら金髪のヘレーネのために「純血証明書」を捏造し、身分証明書を偽造することまでして結婚を申し込む。(本編も終わりに近づいたこの時点でやっとアリースとヘレーネの関係が明らかになるわけです)。それからまたいろいろあって…。
エピローグではペーターが17歳の誕生日を迎えている。父親の兄の農場にたどり着いてそこで大きくなったペーターは、いきなり訪ねてきた母親の姿を家畜小屋に身を隠してこっそり見る。47歳のはずなのに、まるで少女のようだった。見覚えのある金髪と美しい顔。しかしペーターは母に会うつもりはなかった。母もペーターを探すことをせずにそのまま去って行く。

戦時の混乱の中でやみくもに働くだけで自分を語ることをしない、あるいはできないアリース=ヘレーネは、「真昼の女」の呪いに絡め取られた女だったのだ。(2013.11.28読了)
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by nishinayuu | 2014-02-24 21:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

黒ひめ―その2(『古事記』仁徳天皇―その2)

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☆『古事記』仁徳天皇 黒ひめ-その1の続きです。






이에 천황은 쿠로-히메(흑-공주)에 대한 그리움을 참지 못하여, 이와노-히메를 속이고 “아와지-섬을 보고싶다” 고 하며 궁궐을 떠났단다. 아와지-섬에서 멀리 바라다보면서 노래하기를,

빛나는 나니와야 그 나니와-갑을 떠나 여기서 나의 국토를 바라다보았더니, 아와지-섬과 오노고로-섬, 아지마사-섬까지 한눈에 들어오네, 이름도 모르는 외딴섬도 보이네

그리하여 천황은 아와지-섬을 지나 키비-고을에 당도했어.
이에 쿠로-히메는 고을 산쪽으로 천황을 모시고 간 후 거기서 향연을 베풀었다. 국을 끓이기 위하여 공주가 그 고장의 채소를 따고 있을 때, 천황이 공주앞에 나타나서 노래하기를,

산쪽 땅에서 자란 채소를 키비사람과 함께 따는게 왜 이리 즐거울산쪽까


これに対して天皇は、黒ひめが恋しくて、いわのひめを欺いて「淡路島が見たい」と言って出かけたのだよ。淡路島から遠くを眺めてこう歌った。

おしてるや 難波の崎よ 出立て 我国見れば 淡島 自凝島 檳榔の島も見ゆ 放けつ島見ゆ
(おしてるや なにはのさきよ いでたちて わがみれば あはしま おのごろしま あぢまさのしまもみゆ さけつしまみゆ――難波の崎から出かけてきて、ここに立って国見をすると、淡島、自凝島、檳榔の島も見え、名も知らぬ放れ島が見える)

そうして天皇は淡路島を出て吉備の国に着いた。
すると黒ひめは山方の地に天皇を案内してご馳走した。羮(お吸い物)を作るために黒ひめが土地の青菜を摘んでいると、天皇がやってきて歌った。

山方に 蒔ける菘菜も 吉備人と 共に採めば 楽しくもあるか
(やまがたに まけるあをなも きびひとと ともにしつめばたのしくもあるか――山の畑に蒔いて育てた青菜も、吉備の人と一緒に摘めば楽しいものだなあ)
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by nishinayuu | 2014-02-20 21:00 | 再話 | Trackback | Comments(0)

『パライソ・トラベル』(ホルヘ・フランコ著、田村さと子訳、河出書房新社)


c0077412_11565738.jpg『Paraíso Travel』(Jorge Franco, 2001)
物語の語り手はマーロンという青年。コロンビアの中流家庭の一人息子で、アルバイトをしながら両親と暮らしていた。私立大学への進学は経済的に無理、公立大学への進学はずば抜けて優秀な頭脳もコネも持ち合わせていないので無理、という状況の中で、みんなの憧れだったレイナが自分を選んでくれたことだけが支えとなっていた。レイナ(女王という意味)は左右の目の色が違うという目立った特徴と、コロンビア人離れした(?)美貌の持ち主。ニューヨークでキャリアウーマンとして働く、という夢を実現するために父親を捨てるのも厭わない行動的な女性である。このレイナの強い意志に引きずられてマーロンは故郷を捨てる。不法移民を利用して稼ぐ地下組織に大金を支払い、死と隣り合わせの過酷な旅を切り抜けて二人はニューヨークにたどり着く。その直後、ふとしたことでマーロンは迷子になり、レイナと離ればなれになってしまう。英語は一言も話せないのにニューヨークのまっただ中でひとりぼっちになってしまったマーロンの運命やいかに。

大学進学を考える年齢の男でも、言葉も分からずお金もない状態で知らない街に放り出されたら、たちまち迷子になり、ホームレスになり、ぼろぼろになってしまうということは充分あり得る。(『海にはワニがいる』の少年がいかに強靱な精神の持ち主だったかが改めてわかる。)幸いマーロンものたれ死にはしないですむ。マーロンを死の淵から引っ張り上げたのは聖女のようなパトリシア、善良なジョバンニなど、レストラン〈祖国コロンビア〉の人たち、つまり祖国を愛しながらもアメリカで暮らすことを選んだコロンビア人たちだった。
マーロンやレイナを語ることによってコロンビアという国の実態をも描いたこの作品は、コロンビアではガルシア・マルケスの『百年の孤独』以来のベストセラーとなり、映画化、テレビドラマ化され、人気を得ているという。(2013.11.16読了)
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by nishinayuu | 2014-02-16 11:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『またまた二人で泥棒を』(E.W.ホーナング著、藤松忠夫訳、論創社)

c0077412_9111580.jpg『The Black Mask』(E.W.Hornung, 1901)
本書は「ラッフルズ」シリーズの2冊目で、『最後に二人で泥棒を』の4年前に発表されたもの。第1作目の『二人で泥棒を』の最後に海の藻屑となって消えたはずのラッフルズが劇的に復活し、またまたバニーを巻き込んで活躍する。『ホームズの帰還』ならぬ「ラッフルズの帰還」というわけだ。バニーは刑務所での勤めを終え、泥棒稼業からはすっかり足を洗っていたのに、またまたラッフルズに引きずられて危ない仕事を始めてしまう。バニーは自由気ままなラッフルズにいいように使われていて、相棒どころか助手でもなく、都合のいい手下という感じだ。そこがホームズとワトソンとはずいぶん違うのだが、腰が引けながらも泥棒に巻き込まれてしまうほどに、バニーはラッフルズの魅力にまいっているということだろう。
第1話でラッフルズは、外貌をすっかり変えてバニーの前に現れる。生きていることがばれると当局に捕まってしまうからだ。世間に顔を出せないのは不便だが、泥棒稼業には便利な面もある。こうしてラッフルズは、あるときは自分の命を、またあるときはバニーの命を危険にさらしながらも、次々に新しいことを思いついては泥棒を楽しむのである。そして最後の第8話でラッフルズは、自分の正体を明かすという危険を冒して愛国者として生きることを選び、バニーと共に二等兵としてボーア戦争に赴く。(2013.11.14読了)
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by nishinayuu | 2014-02-12 09:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『イーサン・フローム』(イーディス・ウォートン著、宮本陽吉・他訳、荒地出版社)


c0077412_1372367.jpg『Ethan Frome』(Edith Wharton, 1911)
長編小説『The Age of Innocence』などで知られる著者による短編に近い中編小説。舞台はマサチューセッツの寒村、登場するのは寡黙で口下手な人びとである。
主人公のイーサン・フロームは病気になった父親に呼ばれて村に戻り、父の死後は母親の看病をした。母親が死んだとき、寂しさに耐えられずに母の看護に来ていた7歳年上のズィーナを引き留めて妻としたが、その妻はいつの間にか村いちばんの病気持ちになっていて、イーサンを苦しめるのが生きがいのようになっていた。そこへ妻の親戚の娘マティーがやって来た。身寄りのないマティーを呼び寄せたのは妻で、自分の世話と家事をさせるためだった。若くて明るい娘の登場はイーサンの気持ちを明るくしたが、ズィーナはそれが気に入らなかったのか、別の女中を雇うことにして、マティーを追い出しにかかる。このことがイーサンとマティーを急速に近づけることになったが、それは希望のない恋だった。ついにマティーが家を出る日、マティーを駅まで送ることにしたイーサンは、その途中でマティーを橇遊びに誘う。そして橇滑りに興じている最中に、イーサンはこの土地から、妻のズィーナから二人で逃げ出す方法を思いついて……。

冒頭に語り手の見たイーサンの姿が次のように描写されている。

その顔には寒々とした近づきがたい何かがあった。動作がひどく強張っていたし、白髪が混じっていたので、老人だとばかり思っていたが、まだ52歳と聞いて驚いてしまった。24年前の衝突事故のせいで、額には赤い大きな傷跡ができたばかりでなく、右脇が短くなり歪んでしまって、四輪馬車から郵便局の窓口まで数歩を歩くのにも、目に見えて辛そうだった。

イーサンとマティーの恋物語が展開する中間部は、最後に事故が待ち受けていることが予想されるため、読んでいて苦しくなる。しかもここぞクライマックスというほどの盛り上がりを見せる部分が実は真のクライマックスではなく、最後に再び語り手が登場して、ふとしたきっかけで立ち寄ったイーサン・フロームの家で目撃したことを語る衝撃的なクライマックスが控えている。
「気のきいたやつはたいてい逃げ出す」寡黙で憂鬱なニューイングランドという土地に踏みとどまるしかなかったイーサン・フローム。土地の風景に溶け込んで「屈託のない力強い表情」をみせて生きるイーサン・フローム。忘れがたい人物、忘れがたい作品である。
☆この作品は映画化され、『哀愁のメモワール』という邦題で1996年に公開されているという。原作の雰囲気にそぐわない、何ともひどい邦題である。(2013.11.9読了)
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by nishinayuu | 2014-02-08 13:07 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『肩甲骨は翼のなごり』(デイヴィッド・アーモンド著、山田順子訳、東京創元社)


c0077412_9313139.jpg『Skellig』(David Almond, 1998)
語り手のマイケルは、両親とともに中古のぼろ屋に転居してきた。生まれてくる赤ちゃんのために広い家が必要だったのだ。両親は家の改装にとりかかり、赤ちゃんも生まれた。けれども赤ちゃんは心臓の具合が悪く、かあさんは赤ちゃんのことで手一杯だった。父さんは父さんで、前の持ち主が残したがらくたの片付けや、ペンキ塗りで忙しかった。
そんななかでマイケルは、危ないから入ってはいけないと言われていたガレージの中に、得体の知れないものがいるのを発見する。ほこりまみれで、蜘蛛の巣だらけだし、顔はやせおとろえ、蒼白い。髪や肩にはアオバエの死骸が散らばっている、黒いスーツ姿の男だった。その日からマイケルはかあさんやとうさんに隠れて男の世話をし始める。男の要求に従って近くの中華料理店のメニューにある27番と53番の料理を運んでやったり、リウマチで体が痛いという男のためにアスピリンを差し入れたり。ところで隣家にはミナという不思議な女の子がいたが、彼女は、学校教育は百害あって一利なし、という母親の信念から学校には通わずに、家で独特の教育を受けていた。ウィリアム・ブレイクの詩を暗唱したり、鳥の生態を観察したり、星の運行を学んだりしているミナのおかげで、マイケルは学校では学べないことを学んでいく。マイケルはそんなミナにもガレージの男を引き合わせる。男も次第に二人に心を開いていき、体力も付けていく。男はスケリグという名前で、肩甲骨のところに羽根があった。
一時は命が危ぶまれたマイケルの妹の赤ちゃんは手術を経て奇跡的に回復した。手術が終わった晩、かあさんは不思議な夢を見たという。背の高い汚い男が赤ちゃんを抱き上げてまるでダンスをしているように踊っている夢で、男の背中にも、赤ちゃんの背中にも翼があったという。

1998年にカーネギー賞(英国で出版された児童書が対称)とウィットブレット賞(英国籍作家が対象)の児童文学部門賞をダブル受賞したファンタジー。この年やはり候補になっていた『ハリー・ポッターと賢者の石』を抑えての受賞だったという。(nishinaはハリー・ポッターのほうがずっといいと思いますが。)(2013.11.5読了)
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by nishinayuu | 2014-02-04 09:31 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)