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『コウモリの見た夢』(モーシン・ハミッド著、川上純子訳、武田ランダムハウス)


c0077412_15565183.jpg『The Reluctant Fundamentalist』(Mohsin Hamid, 2007)
「失礼します、何かお手伝いいたしましょうか?あ、僕を警戒されていますね。鬚を生やしているからといって恐がらないでください。僕はアメリカが大好きな人間ですから。」
ラホールの旧市街アナールカリで、何かを探している様子のアメリカ人の男に「僕」が話しかける場面から物語は始まる。「僕」の名はチャンゲース。18歳で渡米し、奨学金を得てプリンストン大学を最優等で卒業した後、超一流コンサルティング会社の入社試験も突破してニューヨークへ。卒業旅行で知りあったエリカという恋人もあり、会社では同期のトップとして将来を嘱望されるようになったチャンゲースは、気持ちの上ではすっかりニューヨーカーだった。しかし彼の人生は2001年9月11日の同時多発テロによって一変する。アメリカに、ニューヨークに溶け込んでいたはずの彼が人びとには異質のものとして映っていることに、そして彼自身も自分が異質のものであることに気づく。それまでは前を向いていたはずのアメリカが、9/11を境にして後ろを向く決意をして危険なノスタルジーにのめり込んでいったのだ。チャンゲースは9/11以降も相変わらず彼に期待を寄せてくれていた会社を辞めてパキスタンに戻る。その年の夏、パキスタンではインドとの戦争の脅威が最高潮に達していた。ここでチャンゲースは思い至る。テロリズムを「兵士の制服を着ていない殺戮者による組織的かつ政治的な動機を持った殺戮」と定義しているアメリカが、人類にとって唯一の最重要課題として対テロ戦争を行おうとしているとき、そうした殺戮者が暮らす国に住むぼくたちの命には巻き添えで死ぬ以上の価値がないということになる、と。大学講師の仕事を得たチャンゲースは今、アメリカから自分たちの国を引き離すための活動を自分の使命としているという。
このようにチャンゲースはアメリカ人だった自分の物語をアメリカ人の男を相手に語っていく。相手の男の台詞は一言も書かれていない。男がチャンゲースを警戒し、喫茶店やレストランに案内されてもいっこうに打ち解けず、かえって不信感を増していく様子が、チャンゲースが男に問いかける言葉から伝わってくるだけだ。コウモリの飛び交うアナールカリの夜が更けていくにつれて、チャンゲースと男の間の緊張はしだいに高まっていく。

『平家物語』や『風と共に去りぬ』には勝者の「正義」に押しつぶされた側の思いがあふれている。同様にこの作品からは対テロ戦争に邁進するアメリカの「正義」の陰で苦悩する者の思いが切々と伝わってくる。(2013.10.14読了)
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by nishinayuu | 2013-12-30 15:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ほんとうに大切なこと』(ヤン・ゴールドスタイン著、松本美菜子訳、ソニー・マガジンズ)

c0077412_113914100.jpg『All That Matters』(Jan Goldstein)
読書会「かんあおい」2013年11月の課題図書。
23歳のジェニファーはカリフォルニアのヴェニスビーチで気を失って倒れているところを発見された。彼女がそこに行ったのは自殺するためだった。輝く夕日に別れを告げ、精神安定剤のザナックスを飲んだのだ。病院で目が覚めると、祖母のギャビーが彼女を見守っていた。5年前に亡くなった母リリの母親で、父の知らせを受けてニューヨークから駆けつけたのだ。
ギャビーは76歳。夫イツィクは21年前に他界して一人暮らしをしており、長年の喫煙のせいで肺をやられている。憤怒のかたまりになり、点滴のために眉間にしわを寄せているジェニファーを見ながら、ギャビーは娘リリの思い出にかけて誓う。ジェニファーに、暗闇から抜け出して光の中に帰る道を必ず見つけさせてみせる、と。
再婚して新しい妻と子供がいるジェニファーの父は、医者のいう鬱病患者のジェニファーを家に引き取るわけにはいかない、金はいくらかかってもいいから専門病院に預けたいと考える。それを知ったギャビーはジェニファーを自分の家に連れて行くことにする。屋根裏部屋に隠れ、死の列車から飛び降り、ポーランドの灼熱地獄から逃げ出したのは、そんな病院に閉じ込められている孫を見るためじゃない、と思ったからだ。こうしてギャビーとジェニファーの、6週間という期限付きの生活が始まる。

ギャビーはもう一人のサラ(『サラの鍵』のサラ)だった。ギャビーを屋根裏にかくまってくれていたポーランド人のプラスキさんが「どんなつらいときでも目と心をちゃんと開けば贈り物が用意されている」と言ったその晩、ギャビーは、もう二度と会えない妹のアンナと氷滑りを楽しんでいる夢を見た。それ以来ギャビーは、その日の贈り物を見つけることを楽しみに一日一日を過ごしたという。この「その日の贈り物に感謝しながら生きる」という心をギャビーからしっかり受け取って、ジェニファーは前を向いて歩き出す。(23歳にしては幼い感じのする)ジェニファーの人生への旅立ちの物語であり、家族の再生の物語である。(2013.10.3読了)
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by nishinayuu | 2013-12-27 11:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

賛美歌「荒野の果てに」



c0077412_1027599.jpg
「荒野の果てに」の韓国語歌詞を紹介します。韓国語歌詞、フランス語の原詩、日本語歌詞の順に並べました。


천사들의 노래가 하늘에서 들리니
산과 들이 기뻐서 메아리쳐 울린다
(리프레인)
영광을 높이 계신 주께
영광을 높이 계신 주께

한밤중에 목자들 저희 양떼 지킬 때
아름다운 노래가 청아하게 들린다
(리프레인)

베들레헴 달려가 나신 아기 예수께
꿇어 경배 합시다 탄생하신 아기께
(리프레인)

구유 안의 아기께 천사 찬송하였다
우리들도 주님께 기쁜 찬송 부르자
(리프레인)


Les anges dans nos campagnes
Ont entonné l’hymne des cieux
Et l’écho de nos montagnes
Redit ce chant mélodieux
(refrain)
Gloria in excelsis Deo!
Gloria in excelsis Deo!

Bergers, pour qui cette fête
Quel-est l’objet de tous ces chants?
Quel vainqueur, quelle conquête
Mérite ces cris triomphants?
(refrain)

Ils annoncent la naissance
Du libérateur d’Israël
Et pleins de reconnaissance
Chantent en ce jour solennel
(refrain)

Cherchons tous l’heureux village
Qui l’a vu naître sous ses toits
Offrons-lui le tendre hommage
Et de nos cœurs et de nos voix
(refrain)

Bergers, quittez vos retraites,
Unissez-vous à leurs concerts,
Et que vos tendres musettes
Fassent retenir les airs
(refrain)


荒野の果てに 夕日は落ちて
妙なる調べ 天より響く
(リフレイン)
グローリア、イン エクセルシス デオ
グローリア、イン エクセルシス デオ

羊を守る 野辺の牧人
天なる歌を 喜び聞きぬ
(リフレイン)

御歌を聞きて 羊飼いらは
馬槽(まぶね)に伏せる 御子を拝みぬ
(リフレイン)

今日しも御子は 生まれ給いぬ
よろずの民よ 勇みて歌え
(リフレイン)

賛美歌106番(日本キリスト教賛美歌委員会編集1954年版による)
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by nishinayuu | 2013-12-24 10:29 | 覚え書き | Trackback | Comments(0)

『さい果て』(津村節子著、筑摩現代文学大系91)


c0077412_10121043.jpgこれは津村節子と吉村昭の若き日をかなり忠実に描いたと思われる作品である。主人公の春子は大学の文化祭で友人から紹介された志郎と結婚する。早くに両親をなくして伯父の家で育った春子は、少女の頃から自分の家庭を持つことにあこがれていた。しかし、春子があこがれていたサラリーマンらしい家庭生活はわずか二ヶ月しか続かなかった。志郎がそれまで勤めていた紡績会社を辞めて、紡毛糸のブローカーを始めたのだ。しかし志郎の思惑は外れ、事業はたちまち行き詰まる。しかも元々身体の弱かった志郎が病気になったため貯えも尽き、春子は初めて質屋通いも経験する。やがて志郎は、売れ残りのメリヤス製品を各地の市場で売り歩くようになり、そんな夫とともに春子も商人宿に泊まり、寒さに震えながらの先の見えない流浪の旅を続ける。「最果て」と題した第3章にある次の文は、汽車で根室に向かっているときの春子の心の寂寥を映し出していて印象的である。

汽車は、枯れ野を走っていた。/どこまで行っても、人家も人影も見えなかった。こんなところに鉄道が敷かれているのが不思議なほど、人間の気配の全く感じられない原野であった。駅と駅との間隔が、内地のそれと比較して心細くなるほど長かった。このまま汽車は陸の終わりまで行き、海の中へでもはいって行くのではないかと思われた。

同じ作者の『紅梅』に、実家の姉と義兄に離婚を勧められた春子が「こんなに苦労させられたのだから、今別れたら損をすると思った」という思い出話が出てくる。ここでいう「こんな苦労」の部分が詳しく語られている作品である。(2013.10.1読了)
☆この作品は読書会「かんあおい」10月の課題図書『紅梅』の関連図書として読みました。
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by nishinayuu | 2013-12-21 10:13 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『紅梅』(津村節子著、文藝春秋)


c0077412_9325743.jpg読書会「かんあおい」2013年10月の課題図書。本作品の初出は2011年「文学界」5月号。
作家である夫が重篤な病を発症した2005年の1月から最期を迎えた2006年夏までを、やはり作家である妻の立場から綴ったもの。吉村昭の闘病と津村節子の介護の日々を基にした「作品」であり、登場人物の名前も変えてあるが、作家活動に関する事項などはそのまま書かれていると思われることから、「記録」に近いものといえよう。ふたりともに創作活動に従事する夫婦というのはさほど珍しくはないかもしれないが、そういう場合は互いに相手を尊重して相手の領域には踏み込まないようにしないと長続きしないだろう。そんな夫婦の微妙な関係が、夫の辛辣でいてユーモアのある言葉と、妻の恨めしさを潜めた優しさから感じ取れる作品である。ただし夫の最後の場面を綴った次の部分には、やりきれなさの頂点に達した妻の気持ちが現れているようで、印象に残る。
夫は息子の首に手を回して何か言った。(中略)夫は息子に何を言い残したのだろう。育子でなくなぜ息子なのだろう。育子が夫の背中をさすっているときに、残る力をしぼって身体を半回転させたのは育子を拒否したのだ、と育子は思う。情の薄い妻に絶望して死んだのだ。あれほど苦しんだ病気から解放された夫は、穏やかな顔で眠っていた。
(2013.9.29読了)
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by nishinayuu | 2013-12-18 09:33 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『負債と報い』(マーガレット・アトウッド著、佐藤アヤ子訳、岩波書店)


c0077412_20142881.jpg『Payback』(Margaret Atwood, 2008)
副題にDebt and Shadow Side of Wealth(負債と豊かさの影)とある。著者は『昏き目の暗殺者』『ペネロピアド』『オリクスとクレイグ』『またの名をグレイス』などで知られるカナダを代表する作家であり、詩人、批評家、社会運動家としても活動している。
本書は「聴衆に向かって語りかける口調で執筆した」と著者が言うように、歴史や経済活動などに関する複雑な事柄を、世に知られた数々の文学作品を引用しつつ、適宜皮肉やユーモアも交えて平易な言葉で解き明かしている。長い人生を控えている若い人たちにぜひ読んでもらいたい一冊だ。
各章のタイトルと概要は以下の通り。
第1章「古代の貸借均衡」――貸借のシステムにおける公平の原理と公平さを決める装置である天秤について、ギリシャ・ローマ神話などの古典やキングズレーの『水の子』などをもとに検討する。
第2章「負債と罪」――債務者と債権者の道義的特徴について検討する。イエスの話したセム語系のアラム語では「負債」と「罪」は同じ言葉だった、したがって主の祈りの一節は「わたしたちの負債/罪をお許しください」あるいは「わたしたちの罪深い負債をお許しください」と訳すことも可能だという指摘や、聖ニコラスと質屋の関係、人間質草である借金奴隷、さらには魂の質入れなどの話から、負債と文書記録との関連へと展開していく。
第3章「筋書きとしての負債」――負債というものには「自分の人生に何も起こらないよりは、なにか痛い目に会うほうがまし」という面があると述べ、そうした筋書きとしての負債が小説の中で大いに物を言ったのが19世紀だったと、『クリスマス・キャロル』『嵐が丘』『虚栄の市』などをとり上げて論証している。さらに粉屋につきまとうマイナス・イメージのよって来たるところについての興味深い解説もある。
第4章「影なる部分」――負債の返済ができないとしたら、あるいは返済しようとしなければ、さらにはお金で返済できない負債だったらどうなるのだろうか、という問題が取り上げられている。重税や債務への怨嗟が生んだ反乱や革命、ホロコーストや戦争などの形で現れた債権者への復讐の一方に、虐げられたものが復讐をしない「許し」というものがあることを事例を挙げながら説く。
第5章「清算」――『クリスマス・キャロル』のスクルージが現代に登場し、彼の許を訪れる精霊たちに導かれて過去と未来を旅する。過去の地球の精霊はスクルージに人間たちの過去の行状を見せて、今それが気象変化などの形を取って負債としてのしかかっていることを教える。未来の精霊のひとりは環境破壊を放置した結果としてのデストピアの世界を、もうひとりは環境と均衡を保つことに成功した世界を見せる。どちらの道を選ぶか、今人類は待ったなしの決断の時にある、と著者は警告しているのだ。(2013.10.7読了)
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by nishinayuu | 2013-12-15 20:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『厳重に監視された列車』(ボフミル・フラバル著、飯島周訳、松籟社)


c0077412_22444044.jpg『Ostře sledované vlaky』(Bohumil Hrabal)
著者は20世紀後半のチェコ文学を代表する作家のひとり。青年期をナチスドイツの圧制下で送り、その後の社会主義ソ連の支配という困難な時代も国内に留まって作品を書き続けた。訳者の解説によると、ビロード革命の前の年にある会合で、国外に亡命したミラン・クンデラについて尋ねられた著者は「彼のチェコ語は現在のチェコ語ではなく、ずっと国内にいるわたしのチェコ語とは異なってしまった」という趣旨のことを語ったという。亡命しなかった人の亡命した人への複雑な思いが伝わってくるようだ。

物語の舞台は、ナチスドイツの保護占領下にあった1945年のとある鉄道駅。
(列車が)西から東へ通過する線は1番線で、東から西へ通過する別の線は2番線であり、それから後、1番線から進行方向の右手のすべての線は奇数番号、3、5,7などで、通過する2番線から進行方向の右の線はすべて偶数番号、4、6,8,10などである。(中略)ぼくらの小さな駅のプラットフォームに立つ素人の立場からは、1番線は5番線で、2番線は3番線で、3番線は1番線で、4番線は2番線なのだ……
となっていて、何がなんだかわからないが(誰か教えて!)とにかく線路がかなりたくさんある駅のようだ。駅の職員は駅長さん、操車員のフビチカさん、電信係の若い女性・ズデニチカさん、そして物語の語り手である操車見習いのミロシュ・フルマ。ミロシュは自殺を図って手首を切ったのだが、すぐに見つかって助けられ、傷も癒えたため、3ヶ月ぶりに復職したところだ。ミロシュがいない間に、フビチカさんが駅の公印をズデニチカさんのお尻にぺたぺた押す、という事件があったため、交通司令部から役人が取り調べに来るが、役人たちも駅を通る列車の乗務員たちも、どうやらフビチカさんを羨望しているようだった。もちろんミロシュはフビチカさんが怪しからぬ振る舞いをしようと別に気にしない。操車員としてのフビチカさんを尊敬しているからだ。
列車はひっきりなしに駅を通過する。ドイツ兵を乗せて前線へ向かう列車、前線から負傷者や病人を乗せてくる列車、豚や牛がぎゅうぎゅう詰めにされて息絶え絶えになっている列車、連合軍に爆撃されたドレスデンからの避難民を乗せてきた列車……。操車員はそれらの列車の運行表をにらみながら線路や信号を操作するのだ。
そのベテラン操車員のフビチカさんがミロシュに囁く。「ミロシュ、明日は俺たちは夜勤で、また一緒だ……俺たちの駅を弾薬を積んだ貨物列車が通過する。俺たちの駅を午前2時に通る予定だ。そして、俺たちの駅と隣の駅との間に丘は一つもないし、建物も一軒もない……ということは、列車全体を吹っ飛ばしてもそのつけは宇宙が払ってくれる、というわけだ……」。こうして二人に厳重に監視された軍用輸送列車は刻一刻と駅に近づいてくる。(2013.10.1読了)
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by nishinayuu | 2013-12-12 22:44 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

賛美歌「天なる神には御栄あれ」

c0077412_13553258.jpg
「天なる神には御栄あれ」の韓国語歌詞を紹介します。韓国語歌詞、英語の原詩、日本語歌詞の順に並べました。



賛美歌第114番
曲:リチャード・ウィリス(Richard Willis、アメリカの音楽家)
詞:エドマンド・シアーズ(Edmund Sears、ユニテリアン教会の牧師)


그 맑고 환한 밤중에 뭇 천사 내려와
그 손에 비파 들고 다 안송하기를
평강의 왕이 오시니 다 평안하여라
그 소란하던 세상이 다 고요하도다

뭇 천사 날개 펴고서 이 땅에 내려와
그 때에 부른 노래가 또 다시 들리니
이 슬픔 많은 세상에 큰 위로 넘치고
온 세상 기뻐 뛰놀며 다 찬송하도다

이 괴롬 많은 세상에 짐 지고 가는 자
그 험산 준령 넘느라 온 몸이 곤하나
이 죄악 세상 살 동안 새 소망 가지고
저 천사 기쁜 찬송을 들으며 쉬어라

옛선지 예언 응하여 베들레헴 성중에
주 예수 탄생하시니 온 세상 구주라
저 천사 기쁜 노래를 또 다시 부르니
온 세상 사는 사람들 다 화답하도다


It came upon the midnight clear,
That glorious song of old,
From angels bending near the earth
To touch their harps of gold!
“Peace on the earth, good will to men,
From heaven’s all gracious King”
The world in solemn stillness lay
To hear the angels sing.

Still through the cloven skies they come
With peaceful wings unfurled
And still their heavenly music floats
O’er all the weary world;
Above its sad and lowly plains
They bend on hovering wing.
And ever o’er its Babel sounds
The blessed angels sing.

Yet with the woes of sin and strife
The world hath suffered long;
Beneath the angel-strain have rolled
Two thousand years of wrong;
And man, at war with man, hears not
The love song which they bring:
O hush the noise, ye men of strife,
And hear the angels sing.

For lo! The days are hastening on,
By prophet bards foretold,
When, with the ever-circling years,
Shall come the Age of Gold;
When peace shall over all the earth
Its ancient splendors fling,
And all the world give back the song
Which now the angels sing.

天なる神にはみさかえあれ
地に住む人には安きあれと
み使いこぞりてほむる歌は
静かにふけゆく夜にひびけり

今なおみ使い翼をのべ
疲れしこの夜を覆い守り
悲しむ都に悩む鄙に
慰めあたうる歌をうたう

重荷を負いつつ世の旅路に
悩める人びとかしらをあげ
はえあるこの日をたたえ歌う
楽しき歌声聞きていこえ

み使いの歌うやすききたり
久しく聖徒の待ちし国に
主イエスを平和の君とあがめ
あまねく世の民高く歌わん
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by nishinayuu | 2013-12-09 13:56 | 覚え書き | Trackback | Comments(0)

『スペインのある農夫へのレクイエム』(ラモン・センデール著、浜田滋郎訳・解説、西和書林)


c0077412_905287.jpg『Requiem por un Campesino Español』(Ramon Sender, 1953)
本作品は1951年にメキシコで初版が『モセン・ミリャン』というタイトルで出され、1974年になってようやく本国スペインでも出版され、現在まで、スペイン内戦にちなむ小説の中で最も多く読まれるもののひとつになっているという。作者は20世紀初頭にスペイン東北部のアラゴン地方に生まれ、スペイン内戦の際は共和政府側について戦ったが、1938年にパリに亡命し、グアテマラ、メキシコを経てアメリカに渡り、1982年に亡命先のカリフォルニアで他界している。
物語は司祭のモセン・ミリャンが肘掛け椅子に座り、聖衣の上に両手を組み合わせて祈りながら物思いに耽っている場面から始まる。モセン・ミリャンの思いは村の方にさまよっていき、故人のためのレクイエムに故人の縁者たちがやってきたか、と何度も侍祭童に尋ねる。しかし、教会には誰も現れない。モセン・ミリャンは故人・粉屋のパコに洗礼を授けた日のことを思い出す。冷たい、こがね色の朝だった。教会の鐘はノエス・ネーナ、ケス・ネン、ノエス・ネーナ、ケス・ネン(女の子じゃない、男だよ。女の子じゃない、男だよ)と鳴っていた。その日の宴には大勢の村人が招かれていた。産婆兼まじない師のラ・ヘロニマはにぎやかな笑い声を立てていた。テーブルの一端には子どもの父親がいた。もう一方の端に司祭を誘いながら子どもの祖母が「こちらにはもう一人の父親、モセン・ミリャンじゃ」と言った。その通りだった。子どもはまずこの世に生まれ、次に教会に生まれたのであり、二度目に生まれた際の父親は教区の司祭であるモセン・ミリャンなのだ。後でソース漬けのウズラが出てくるとわかっていたので、司祭は少ししか食べないでおいたのだった。30年経った今、着替えをすませ、鐘の音を聞きながら司祭は、侍祭童を見た。彼はパコのロマンセ(物語り唄)を思い出そうとしていた。パコが死んだ後で人びとが作ったロマンセのところどころを知っていた。「あそこ行くのは粉ひきパコよ/もはや死罪を宣告されて/はては墓場へ行きつく道を/命はかなみ泣き泣きあるく/(……)/やがて行く手は土塀の前で/一声、「止まれ」と隊長言った(……)」。けれども侍祭童は知っていた。パコは泣いてなんかいなかったことを。あの日、モセン・ミリャンが死んだ人の足に塗るための聖油を入れた袋を、侍祭童が手に持っていたのだから。

この作品は、貧しい人びとの側に立って真っ直ぐに生きたパコの清々しくも哀れな生涯を語ると同時に、そのパコの誕生に立ち会い、成長を見守り、死に立ち会うことになった司祭モセン・ミリャンの苦渋も浮き彫りにする。事実の重みと構成の巧みさで読ませる、心に深くしみる作品である。なお、訳者による膨大な解説も作品そのものに劣らない、迫力のある読み物となっている。(2013.9.22読了)
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by nishinayuu | 2013-12-06 09:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『アントーノフカ』(イワン・アレクセーヴィチ・ブーニン著、町田清朗訳、長浜友子絵、未知谷)


c0077412_16134111.jpg『АНТОНОВКА』(Иван Алексеевич Бунин )
アントーノフカはアントーノフ種のリンゴの愛称。120グラム~150グラムの黄色いリンゴで、芳香が強い。耐寒性があって、ロシアの秋を象徴する果物である。日本では戦後一時、長野県で「鳳」の名で栽培されたという記録があるが、現在は北海道、岩手、青森の試験場でのみ保存栽培されている(本書の表紙裏の説明による)。
この作品は、1870年にモスクワの南、ボロネジに零落した領主貴族の息子として産まれた著者が、革命前夜の混乱の中で滅んでいく「ウサージバ」へのレクイエムとして捧げたもので、初版は1900年に「アントーノフ種のリンゴ」という題で出版されている。「ウサージバ」とは領主の屋敷、庭園、菜園、畑地などの有形物、およびそこから醸し出される無形の文化的産物のすべてを含んだ概念である。「ウサージバ」はプーシキン、ツルゲーネフ、チェーホフ、トルストイらの諸作品において大きな位置を占めている文化であり、領主貴族たちがさまざまな社会活動を繰り広げた場でもあった。しかし、ウサージバは貴族性、農奴制とともに発達したものだったため、農奴解放の負の面によってひきおこされた農民と農地の荒廃によって衰退していった。
さまざまな香り(アントーノフカの香り、落ち葉の香り、藁や籾殻の匂い、枯れ枝を燃やす煙の匂い、蜜と涼しい秋の香りなど)と、さまざまな音(鶏の鳴き声、かさかさという木の葉の音、アコーデオン・ギター・クラビコードなどの音、話し声、歌声、荷車のきしる音、汽車の車輪の轟音、教会の鐘の音、狩猟の銃声、ボルゾイ犬の吠える声など)、そしてさまざまな色彩(ナナカマドの実のサンゴ色、北斗七星や天の川の輝き、朝靄のライラック色、収穫した穀物の黄金色、秋蒔き麦の緑色、革表紙の本の背にある金文字、畑を覆う白い雪など)があふれていたウサージバ。これは、その二度とは立ち帰れない場所と時を懐かしむスケッチ集といった趣の作品である。随所に挿入されている長浜友子の絵も、作品の雰囲気によくマッチしていて素晴らしい。各ページの下1/3のスペースを注に当ててあるのも、このように注がたくさん必要な作品にふさわしい作りである。(2013.9.21読了)
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by nishinayuu | 2013-12-03 16:13 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)