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『部屋の向こうまでの長い旅』(ティボール・フィッシャー著、池田真紀子訳、ヴィレッジブックス)


c0077412_167111.jpg『Voyage to the End of the Room』(Tibor Fischer,2003)
物語の語り手はオーシャンという名の自称「リッチな」女性。ロンドンの一郭にある広いフラットに独りで住み、コンピューターでグラフィックデザインをしている。ある時、外出先で両足が鉛のように重くなり、まぶたも落ちてきて気絶しそうになったので、這うようにしてフラットに戻った。30分ほどの外出で精根尽き果てていて、外出する意欲はきれいに失われた。それ以来、外出せずに暮らしている。仕事はもともと自宅でやっているし必要なものは宅配で買える。フラットにいながらにして一流の音楽も楽しめるし、映画鑑賞もできる。旅行も好きで、この2年の間に、日本、エクアドル、ヨルダン、イタリア、ナイジェリア、インドネシア、ブラジル、中国を訪問したが、フラットからは一歩も出ていない。旅行業者のガルバの手を借りてフラットの中に外国を作ればいいのだ。つい最近もフィンランド人たちをフラットに呼び集めてフィンランド旅行を楽しんだ。
そんなオーシャンは最近また新しい仕事人を見つけた。債権回収業者のオードリーだ。手始めに、支払いを引き延ばし続ける悪質な取引先からデザイン料を回収してもらった。それから、自分の代わりに外国に行く仕事を依頼した。10年前に死んだウォルターから手紙が舞い込んだからだ。オーシャンはかつてダンサーを目指していたことがあり、ダンスの勉強のためにバルセロナに行って、「バビロン」というクラブで働いた。本番セックスショーが売り物のクラブだった。クラブには男女のキャストが大勢いたが、ウォルターもその一人だった。オーシャンがクラブにいた間に、キャストが次々に不可解な死を遂げるという事件があった。ウォルターからは2通目、3通目と手紙が来て、その中で彼は、殺人犯を知っている、と仄めかしていた。それでオードリーの出番となったのだ。

自宅から一歩も出ないオーシャンの話なのに、バルセロナはまあいいとして、ユーゴ、チューク(いったいどこ?)、サンクアイランド(これもどこ?)、と他所の土地の話になっていく。主役もほぼオードリーになったかのように展開していくが、最後のところでオーシャンが主役として戻ってきて、なるほど、と思わせる。ところで、この作品はストーリーとしては単純なのだが、内容はあきれるほど盛りだくさん。それは作者がひどく饒舌で、ひとつの話をするのにそれに関連した話や思いついた話などをいくつも展開してみせて、なかなか本筋に戻ってこなかったりするからだ。これがこの作品の読ませどころであろうから、この饒舌を楽しむしかないが、ちょっと煩わしい感じがしないでもない。(2013.8.20読了)

☆チュークはかつてのトラック諸島で、1989年に改称されたそうです。
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by nishinayuu | 2013-10-31 16:07 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『かばん』(セルゲイ・ドヴラートフ著、ペトロフ=守屋愛訳、成文社)


c0077412_13343352.jpg『чемодан』(Сергей Довлатов,1986)
ドヴラートフが『わが家の人びと』の次に発表した作品。前作で一族の系譜を語りつつ祖国ロシアの暮らしを活写した作者は、本作でも引き続き、祖国ロシアの人びとや出来事を語っていく。どこまでが真実でどこからがフィクションなのか判別できない内容と、生真面目かつ辛辣で軽快かつ力強い語り口、そして連作風の構成は前作と同様であるが、章立てはちょっととぼけている。前作では一族の誰彼が各章の主人公だったが、本作では身につける物が各章のタイトルになっていて、実はこれらは、語り手がアメリカに亡命するときに「かばん」に詰めて持ちだしたものなのだ。外国人ビザ登録課で「出国する人はスーツケース三つってことになっています」と言われ、驚きあきれて反発した語り手だったが、いざ品物を選んで詰めてみるとスーツケース一つに納まってしまった。さて、その厳選された品々とは……
フィンランド製の靴下(学生時代に一儲けしようと大量に買い占めたが売り損なったもの)/特権階級の靴(あるパーティーで、疲れた足を休めようとしたレニングラード市長がこっそり脱いだのを見てかすめ取ったもの)/ダブルボタンのフォーマルスーツ(新聞社の編集部にいたとき、けちな編集長からまんまとせしめたもの)/将校用ベルト(酒で失敗した兵卒チュリーリンからもらったもの)/フェルナン・レジェのジャンパー(画家のレジェが着ていたという絵の具のシミがついたベルベット製のジャンパーで、知り合いの女性からパリみやげとしてもらったもの)/ポプリン地のシャツ(妻のレーナとぼくは一風変わった夫婦関係にある。そのレーナが亡命の準備をすべて終えたとき「お金が余ったのよ、だから、これはあなたに」と言ってくれたもの)/冬の帽子(新聞社の編集部にいたとき、従兄のボリスとめちゃくちゃな晩を過ごしたときにボリスがくれたもの)/運転用の手袋(映画を撮りたいという男にせがまれてピョートル大帝の扮装をしたときに使ったもの)

「将校用ベルト」に登場するチュリーリンがインテリではないのに『フォーサイト・サーガ』を(少なくともタイトルを)知っているとは、さすが教養人があふれるロシア文学である。ロシアやソ連に関する次のような記述も興味深い。
人民芸術家のニコライ・チェルカーソフには高い社会階層の友人たちがいた。ショスタコーヴィチ、ムラヴィンスキー、エイゼンシュテインなどなど。けれど、彼が亡くなってみるとソビエトの有名人はどこかに行ってしまって、遺家族に残ったのはサルトル、イヴ・モンタン、画家レジェの未亡人など外国人の友人だけだった。
また「ポプリン地のシャツ」で妻レーナがアメリカ行きを決意したとき、ぼくは残ることにしたのだが、その理由をぼくは次のように述べている。
まだ、なにか漠然としたチャンスを十分に利用し尽くしたかった。ひょっとしたら、弾圧に対する無意識の憧れか。そういうこともよくある話だ。収容所に入れられたことのないロシア人のインテリなんて一文の価値もないのだから……。
さらに巻末の「解説」(沼野充義)に、オクジャワを巡るドヴラートフの文とそれに関する後日談があり、ドヴラートフという作家への興味がかき立てられる。(2013.8.16読了)
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by nishinayuu | 2013-10-28 13:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「漢拏山の躑躅」   李殷相


c0077412_1003850.jpg鷺山・李殷相が漢拏山に登って霊室の躑躅を詠んだ詩を日本語にしました。5・7調でまとめることを最優先にしましたので、かなり強引な訳になっていると思いますが……。
なお、李殷相については右の欄にある「韓国の著名人」をクリックし、さらにをクリックすると簡単な説明が出てきます。

遙けく高き この山に/土にもあらぬ 石くれの
狭き隙間を 突き破り/一人侘びしく 咲く花の
愛おしく またいじらしく/熱き思いは ほとばしる

花を一もと 折り取りて/抱いて見むと 思へども
我が許にては かの花の/不幸せにや 思はなむ
このまま我ら 離れいて/恋ひ恋ひながら 生きゆかむ


높으나 높은 산에 흙도 아닌 조약돌을
실오라기 틈을 지어 외로이 피는 꽃이
정답고 애처로워라 불같은 사랑이 쏟아지네

한 송이 꺾고 잘라 품음 직도 하건마는
내게 와 저게 도로 불행할 줄 아옵기로
이대로 서로 나뉘어 그리면서 사오리다
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by nishinayuu | 2013-10-25 10:02 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『センチメンタルな殺し屋』(ルイス・セプルベダ著、杉山晃訳、現代企画室)


c0077412_18413618.jpg『Diario de un Killer Sentimental』(Luis Sepúlveda,1996)
この作品は、暴力的な世界に身を置きながらいつの間にか染みついた人情味に振り回される男を描いたもので、歯切れのいい文章と独特のユーモアが印象的である。特に愉快なのは、鏡や水面に映る自分の姿を「自分によく似た相棒」とみなして語りかける場面と、タクシー運転手のおしゃべりに悩まされる場面。作者はこの二つがよほど気に入っているらしく、作中にいろいろなヴァリエーションで出てくる。
語り手の私はプロの殺し屋。仕事を片づけている間メキシコに遊びに行かせておいた「うちの彼女」が、あと数時間で戻ってくるので、彼女とマドリードで一週間ほど休暇を過ごす予定だった。マドリードのホテルに着くとフロントで、部屋の鍵と封筒を渡された。封筒には男が6人写った写真が入っていて、ターゲットの頭がマーカーで囲んであった。部屋に入ると「電話のベルが鳴った。元締めの声だとすぐにわかった。まだ一度も会ってないし、会いたくもないが――プロとはそういうものだ――声だけは瞬時に聞き分けることができた。」明日は写真の男を始末するためにマドリードを離れなくてはならないが、彼女はマドリードに一人で残るのはいやがるだろうな、と思いながら酒場で時間をつぶしてホテルに戻ると、「わが美女」からのファクスを渡された。メキシコで知りあった男に恋をしてしまったので戻れない、とあった。私は仕留めるべき男の写真に話しかけながら夜を過ごした。ホテルのバーから持ってこさせたウイスキーのボトルの栓もあけずに。いくら女を寝取られたとはいえ、プロはプロなのだ。
かくして私は仕事にとりかかり、元締めの指示に従って、つまり標的の移動に従って、次々に移動する。イスタンブールへ、フランクフルトへ、パリへ、ニューヨークへ、メキシコシティへ。
非情な殺し屋だったはずの語り手がセンチメンタルな殺し屋になってしまったのは、3年前に彼女に会ってしまったせいであり、もう充分稼いだので、そろそろ引退しようと思い始めたからでもある。それで語り手は、なぜ標的を殺さねばならないのか、と考えてしまったり、標的に自分の意図を明かしてしまったり、とプロの殺し屋らしからぬ事をいろいろやってしまう。ついには元締めとのご対面という、あってはならない事態にまで至るのだが、これは元締めの方でも語り手との仕事はこれが最後だと考えていたからだ。「相棒」に語りかけて気を落ち着かせたり、「相棒」からアドヴァイスを受けたりしながら、語り手は最後の仕事をやり遂げるべく奮闘する。全部片付いたら「ぞっこんの彼女」を許してやろうと思いながら。(2013.8.14読了)
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by nishinayuu | 2013-10-22 18:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『夜のサーカス』(エリン・モーゲンスターン著、宇佐川晶子訳、早川書房)


c0077412_10362287.jpg『The Night Circus』(Erin Morgenstern,2011)
そのサーカスはいきなりやってくる。(……)高く聳えるテントのストライプ模様は白と黒だけで、金や赤はない。隣接する木々や、周りを囲む野原の草をのぞけば、色らしい色がない。(……)形も大きさもさまざまな無数のテントが、凝った造りの鉄柵によって、色彩のない世界に閉じこめられている。

ゲートにぶら下がった黒い看板には白い文字で、「開場 日暮れ」「閉場 夜明け」と書いてある。そして太陽が地平線の向こうにすっかり隠れて空が暗くなると、ぽんっという小さな音と共にすべてのテントに明かりが灯り、ゲートのてっぺんにネオンサインが現れる。ル・シルク・デ・レーヴ――「夢のサーカス」の始まりだ。そこでは目もくらむような仕掛けやパフォーマンスが観客を待ち受けている。無数のパーツが複雑なダンスをしている時計、広場の中央で燃える大きな篝火、回転木馬、迷路、雲の迷路、氷の庭、アクロバット、タロット占い、奇術、などなど。そしてあたりにはキャラメルとシナモンの甘い香りが漂う。観客たちはテントからテントへと巡り歩いて、夢のような一夜を過ごす。このサーカスを舞台に、熾烈で壮大な闘いが繰り広げられていることに気づく者はいない。

1873年10月のロンドンに始まり、1903年1月のパリで終わるこの物語は、二人の魔法使いがサーカスという場を使ってそれぞれの弟子に技を競わせた一部始終を綴ったものである。さまざまな「不思議な光景」が、これでもか、これでもか、という感じで繰り出される。映画化が決定したということなので、この魔法の数々については映画に任せることにして、登場人物を以下に整理しておく。
プロスペロ:本名ヘクター・ボーウェン。魔法使い。
シーリア・ボーウェン:プロスペロの娘。1873年の時点で5歳。赤毛。ゲームの当事者。
灰色のスーツの男:ミスターA.H. 魔法使い。影のない男。
チャンドレッシュ・クリストフ・ルフェーヴル:サーカスのプロデューサー。
マルコ・アリスデァ:5歳のとき施設から連れ出され、灰色スーツの男に仕込まれる。ゲームの当事者。
マダム・アナ・パドヴァー:通称タント・パドヴァ。サーカス・プロデュース・グループの一員。
イーサン・ヴァリス:技師兼建築家。シーリアとマルコの双方に手を貸す。
バージェス姉妹のタラとレイニー:サーカス・プロデュース・グループの一員。レイニーはイーサンからはパートナーに、タント・パドヴァからは後継者に目されている。
ツキコ:刺青の軽業師。日本人。
ウィンストン・マレーとペネロピ・マレー:赤毛の双子。通称はウィジェットとポペット。
フリードリッヒ・ティーセン:時計作りの達人。サーカス愛好家の会「夢みる人びと」を組織。
ベイリー・クラーク:1897年に昼間のサーカスに忍び込んだ因縁で、1902年、ハーバード進学か農場の跡継ぎかの岐路に立たされる。(2013.8.11読了)
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by nishinayuu | 2013-10-19 10:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『わが家の人びと』(セルゲイ・ドヴラートフ著、沼野充義訳、成文社)


c0077412_9563668.jpg『НАШИ』(Сергей Довлатов,1983)
ドヴラートフは旧ソ連出身の作家。国内では作品を出版できず、1978年にアメリカに亡命して、1980年代にはアメリカの読者に知られるようになったが、1990年に病没した。ペレストロイカ以後はロシアでも読まれるようになり、今ではロシアで最も読まれている作家の一人となっているという。
この作品は「ドヴラートフ家年代記」と副題にあるように、一族の人びとを古い順から一人ずつ取り上げて語った13の章で構成されている(正確に言えば12人と一匹。10章目の主人公グラーシャはフォックステリアなので)。ドヴラートフ家にまつわる雑多なエピソードが、短いセンテンスを連ねたぶっきらぼうともいえる文体で語られていく。スピード感があり、ユーモアもあり、随所に名を知られた人物のエピソードも挟み込まれていて、あきさせない。ただし、ここに盛り込まれたエピソードがどこまで本当のことなのかは判別できない。主な登場人物は以下の通り。
セルゲイ・ドヴラートフ:作者と重なる物語の語り手。レニングラードに住み、小説家を目指すが果たせず、アメリカに亡命する。まず妻のレーナと娘のカーチャが国を出て、それから母と犬とぼく、しばらく経ってから父も国を出た。
イサーク:父方の祖父でユダヤ人(ここも作者の父方と一致する)。1m10cmの大男。ウラジオストックにすんでいたが、上の息子たちについてレニングラードに移った。後にスパイ容疑で逮捕され、銃殺された。
レオポルド:イサークの三男。ペテン師の才があり、18歳のときには一芝居打ってありきたりのヴァイオリンをストラディヴァリウスとして楽器屋に買わせた。後にベルギーで実業家になった。
ステパン:母方の祖父でアルメニア人(ここも作者の母方と一致する)。エレガントな美男子で裕福だったが、厳しい性格で人間嫌いだった。
ロマン:ステパンの息子。トビリシの遊び人。マーラ:ステパンの娘。文芸編集者として活躍。いろいろな作家について愉快な逸話を知っていた。
アロン:マーラの夫でユダヤ人。学生時代は革命運動家、それから赤軍に従軍、ネップ時代は実業家として金もうけをし、その後は役人になり、晩年は修正主義者にして反動活動家。崇拝の対象がめまぐるしく変遷したその人生は、ぼくたちの愛する、恐るべきこの国の歴史を反映していた。
ボリス:共産党のある高官とマーラの不倫の落とし子。模範的なソ連の少年で成績も優秀だったが、ある時から道を踏み外してはひき戻される、ということを繰り返すようになった。本能的で無意識な実存主義者で、極限状態でないと行動できないのだった。
ノルカ:ステパンの娘でマーラの妹。ぼくの母。ぼくが8歳のとき父と別れ、校正の仕事をして、ジャガイモだけしか食べずにぼくを育ててくれた。アメリカに亡命するとき、何も言わずについてきてくれた。
ドナート:イサークの息子でレオポルドの兄。ぼくの父。俳優。次第に舞台から遠ざけられてもなかなか現実が理解できなかった。

イサークにはドナート、レオポルドの他にもう一人ミハイルという夭折した息子がいたが、「この名前には悲劇的な夭折のぼんやりとした予兆が感じられる(思い起こしてほしい。レールモントフ、コリツォフ、ブルガーコフのことを……)」というくだりがある。そして、「名前というものはかなりの程度まで、人間の性格や、さらには生き方までも決めてしまうものじゃありませんか。」と述べて、次のような例が並べてあり、なかなか面白い。
アナトーリイは、ほとんどいつも、厚かましく、喧嘩っ早い/ボリスは太りやすい癇癪持ち/ガリーナは口やかましく粗野な女で、つまらないいざこざをよく起こす/ゾーヤは未婚の母/アレクセイは意志薄弱なお人よし/グリゴーリイという名前にぼくは、物質的な豊かさの響きを聞く。(2013.8.8読了)
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by nishinayuu | 2013-10-16 09:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

黒ひめ (『古事記』仁徳天皇-その1)

c0077412_14513685.jpg☆『古事記』の再話と韓国語訳です。和歌の部分は7・5調にしてみました。
画像はウエブ上で見つけたものをお借りしました。


오호사자키-미코토의 정실인 이화노-히메(바위-공주)는 매우 질투가 강한 여자였다. 그래서 천황의 처들은 궁궐을 찾아가지도 못했다. 심상치 않은 기색이라도 나타내면, 이화노-공주는 발을 동동 구르며 질투하신다. 한때 천황은 아주 단정한 미녀라는 소식을 듣고 키비-지방의 아마베-아타헤의 딸 쿠로-히메(흑-공주)를 궁궐 가까운 곳으로 불러들여 친하게 지내고 있었어. 그런데 쿠로-히메는 이화노-히메의 시샘을 두려워하여 고향으로 도망갔지. 천황은 높은 전각에서 쿠로-히메를 태운 배가 바다에 떠 있는 것을 바라보면서 이렇게 노래했다.

앞바다에는 줄지어 가는 배들 흑발이 고운 아내 고향으로 가시네
이 노래를 들은 이화노-히메는 몹시 화를 내고, 사람을 포구로 보내서 쿠로-히메를 배에서 내리게 한 후, 걸어서 가도록 하여 쫓아 버렸단다.


大雀命(おほさざきのみこと)の大妃・いはのひめは嫉妬が激しい女人だった。だから天皇の妾妻たちは宮中に入ることもできなかった。普段と違ったそぶりでもすると、いはのひめは地団駄を踏んで嫉妬する。ある時、天皇は見目麗しいという噂を聞いて、吉備の海部直(あまべのあたへ)の娘・黒ひめを呼び寄せて使っていたんだ。ところが黒ひめは、いはのひめの嫉みを畏れて故郷に逃げ下った。天皇は高殿に登って黒ひめを乗せた船が海に浮かんでいるのを眺めながら次のように詠った。

沖方には 小舟連らく 黒ざやの まさ子吾妹 国へ下らす(おきべには をぶねつららく くろざやの まさごわぎも くにへくだらす――沖の方には小さい舟を連ねて行くのが見える。いとしいマサヅコが郷里に帰って行かれるところだ)

この歌を聞いたいはのひめはひどく怒って、人を大浦に遣わして黒ひめを船から降ろすと、自分の足で歩かせて追い払ってしまたのだよ。
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by nishinayuu | 2013-10-09 14:51 | 再話 | Trackback | Comments(0)

『静寂のノヴァスコシア』(ハワード・ノーマン著、栗木さつき訳、早川書房)


c0077412_14304990.jpg『My Famous Evening』(Howard Norman,2003)
副題はNova Scotia Sojourns, Diaries, and Preoccupations。著者はロシア系とポーランド系の血をひくアメリカの作家である。
本書は4つの章からなるが、第1章の前に置かれた「はじめに」、第4章のあとに置かれた「エピローグ」、そして松本侑子による巻末エッセイ「アンと私のノヴァスコシア州」もそれぞれ一つの章に劣らない比重を持つ内容が盛り込まれているので、全体として7つの部分で構成されている作品と考えた方がよい。
「はじめに」で著者は、『トロツキー・イン・ハリファクス』という映画の脚本を依頼された話から語り始め、ハリファクスの町に、そしてノヴァスコシア地方に深く惹かれるようになったいきさつを明かしたあと、次のように言う。
いかなる本もノヴァスコシアを定義することはできないのだから、日記、日誌、録音テープ、あれやこれやの走り書きなどを整理し、発表する最善の策とはなんだろうと、私は自問した。(中略)その結果、私自身の物語にできるだけ多くの人びとの物語を編み込み、時間という感覚を文脈にとりいれようという結論にいたった。
こうして綴られたのが以下の4つの章と「エピローグ」である。
第1章『わたしの有名な夕べ』――コンラッドの小説に取り憑かれた女性マーレイ・クワイアが、一人でニューヨークに出かける。文学とは無縁の夫を振り切り、子どもたちへの愛も断ち切って彼女が目指したのは、パークアヴェニューの67丁目のある邸宅。そこで一夕、彼女の憧れのコンラッドが自作を朗読すると知ったからだ。彼女が姉に宛てた数通の書簡と、著者による姉へのインタビューで綴られる、あるノヴァスコシア女性の「すばらしい夕べ」の物語。
第2章『愛、死、海』――ノヴァスコシアは前触れと予言の宝庫であり、口承民話の宝庫である。いわばカナダの遠野であるが、この地方らしい特徴は、著者が集めた99の前触れの話のうち88の話で鳥は死の前触れの主張であり、97の話に海での死が登場したという点だ。またここにはスコットランドに古くから伝わるセルキー物語(アザラシ人間に関する物語)の痕跡もある。これはノヴァスコシアが野鳥の聖地であること、すぐそこに海があること、スコットランド系の住民が少なくないことと関わっている。ところで、著者に土地の語り部を引き合わせてくれたクリスティンと著者が、ずっと後に再会する場面が章の最後に出てくる。そのときクリスティンに住まいを尋ねると「パークアヴェニューの67丁目あたり」という返事が返ってくる。このとき著者は彼女にコンラッドの話をするのを我慢する。第1章の女性がそこを訪ねたときからもう50年も経っていたから。
第3章『野鳥観察者のノート』――グルースカップ・トレイルをたどる野鳥観察の旅の話である。グルースカップというのは先住民族ミックマックの民話に出てくる巨人の名前で、グルースカップ・トレイルは彼が成し遂げた数々の偉業に敬意を表し、彼の歴史的放浪の経緯を描いて作られた道である。ノヴァスコシアで鳥を観察するようになってから30数年という著者は、たとえば『ガンカモ目(サケビドリ、ハクチョウ、アヒル、ガチョウ)の寄生生物』といった淡々とした研究論文にも一種の詩を見出すことがあるという。そして最後に「適した生息地によく見られる」「比較的よく見られる」「あまり見られない」「めったに見られない」「迷鳥」に分けたノヴァスコシアの鳥を4ページにわたって掲げている(おそれいりました!翻訳者はご苦労様でした)。
第4章『ドライヴィング・ミス・バリー』――詩人エリザベス・ビショップの研究者であるサンドラ・バリーと共にした旅の記録。20世紀のアメリカが生んだ偉大な詩人とその研究者の両方の魅力が伝わってくるエッセイである。
エピローグ『ロバート・フランクは晩秋に等しい』――詩と断章によって風景写真家ロバート・フランクを浮き彫りにした一篇。(2013.8.3読了)
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by nishinayuu | 2013-10-06 14:31 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』(パウロ・コエーリョ著、山川紘矢・山川亜希子訳、角川文庫)


c0077412_143474.jpg『Na margem do rio Piedra eu sentei e chorei』(Paulo Coelho,1994)
物語はヒロインであるピラールの「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」ということばで始まる。ピラールは「涙が川の水と共に海に流れ込み、このピエドラ川も、ピエドラ修道院も、ピレネーの教会も、あたりをおおう霧のことも、そして二人が共に歩いた道も忘れてしまうことができますように」と願いながら泣いた。涙が涸れるまで泣いたあと、彼女は書き始める。彼女を川のほとりまで連れてきた女の人が「感じていることを全部、書きだしてそれを川に捨てるのです。ピエドラ川の水はあまりにも冷たいので、川に落ちたものはすべて石に変わってしまうと言われています。あなたの苦しみを水に投げ入れなさい」と言っていたからだ。
こうしてピラールは1993年12月4日(土曜日)から12月10日(金曜日)までの一週間の出来事を綴っていく。子ども時代を一緒に過ごした彼との12年ぶりの再会、ビルバオで講演をするので一緒に行こうという彼の誘い、彼が自分とは全く違う世界の人になってしまったという思い、それでも彼が自分と一緒にいたがっているという確信、そして彼の「僕は君を愛している」という告白。二人はしだいに深く愛し合うようになり、それぞれが自分のことより相手の意思を優先しようと考えるに至る。その結果、彼らはオー・ヘンリーの賢者の贈り物の二の舞、いやもっと取り返しのつかない間違いを犯してしまう。それでピラールはピエドラ川のほとりで泣くことになったのだ。ここで終わりになると後悔と悲嘆の物語になってしまうのだが、作者が用意した終わり方は全く別のものだった。
これは愛の癒しを求める一人の女性がたどった道を描いた物語であるが、ここには一つのメッセージが込められている。それは、神には男性性と女性性が共にあるのであって、神の女性性、女性的なエネルギーが人類変革のための最大の原動力になるだろう、というものだ。ところで、主人公たちを取り巻いているのはキリスト教社会であり、ここでいう神もキリスト教の神であるが、随所により普遍的な宗教概念が披瀝されていて興味深い。たとえば彼はピラールに言う。「仏教徒もヒンズー教徒も回教徒もユダヤ教徒も、みんな正しい。(中略)僕はカトリックの中で育ったのでカトリックの教会を選んだ。もし、ユダヤ人に生まれていれば、僕はユダヤ教を選んだだろう。神はみな同じなのだ」。また、彼が修道院に来るのを待っていたはずの司祭がピラールに言うことばも印象的だ。「私は彼に伝統的な宗教生活を送ってほしくありません。私は彼が神父に任命されるのを見たくありません。別のやり方で神に仕えることもできます。あなたのそばで。」
メッセージ性が強く、教訓的・寓話的な物語だが、そうした臭みはさほど気にならない。個性がくっきりした主人公たちと彼らの愛の葛藤にリアリティーがあるからだろう。(2013.7.30読了)

☆因みに、ピエドラ川は日本語にすると「石川」ですね。だから落ちたものがすべて石に変わってしまうということでしょう。もちろん固有名詞は訳さないのがふつうですから、ここではピエドラ川でないといけません。「石川のほとりで私は泣いた」ではスペイン色が抜けて、日本を舞台にしたじめっとしたドラマのようになってしまいますし。
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by nishinayuu | 2013-10-03 14:33 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)