「ほっ」と。キャンペーン

<   2013年 09月 ( 10 )   > この月の画像一覧

『失われた薔薇』(セルダル・オズカン著、吉田利子訳、ヴィレッジブックス)


c0077412_9301280.jpg『The Missing Rose』(Serdar Ozkan,2003)
この作品は1975年にトルコで生まれた作者によって2003年に発表されたもの。トルコ国内でベストセラーになり、そののち作者自身によって英訳されて、世界30カ国で読まれているという。
主人公のダイアナはロースクール卒業を控えた美しい娘。母親はサンフランシスコでもっとも格式あるホテルのオーナーであり、ホテルの跡取り娘で街の若者たちの憧れの的であるダイアナは、みんなにちやほやされ、贅沢で優雅な暮らしを楽しんでいた。母の命が長くはないと知らされた5ヶ月前までは。そして母親は1ヶ月前にダイアナを残して死んでしまったが、死の前日、死んでから読むように、と言ってダイアナに1通の手紙を渡していた。その手紙には――死んだことになっている父親は実は生きている。そしてダイアナには双子の妹がいる。24年前、父親は双子の妹のメアリを連れて出て行った。それ以来音信はなかったが、つい最近、父親から、メアリが母親に会いたいと言って出て行った、という知らせが入った。メアリは母と一緒に暮らせないなら死んでしまいたいと言っている。メアリが命を絶つ前に見つけ出して面倒を見てやってほしい――という母親からの切々たる願いが綴られていた。
こうしてダイアナは、メアリが残した三つの名前、「ゼイネップ」「ソクラテス」「トプカプ宮殿」をたよりに、ダイアナはメアリ探しの旅に出る。それは亡くなった母親に再び会うための旅であり、本当の自分を見つける旅でもあった。

訳者後書きに「ある面ではミステリーで、ある面ではおとぎ話、ある面では心理ドラマでもある。『アルケミスト』や『星の王子さま』が好きならば、この物語もきっと好きになる」という評が引用されている。評の前半はさておき、後半は疑問だ。というのもnishinaは『アルケミスト』も『星の王子様』も大好きだが、この作品は残念ながら心に響いてこなかったからだ。理由の一つは、登場人物たちがみんな同じトーンで話しているように感じられ、個性がくっきりと立ち現れてこないことにあると思われる。エピタフとしてウィリアム・ブレイクの『病める薔薇』が掲げられていて期待をかき立てられたのが、かえってよくなかったのかもしれない。(2013.7.24読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-09-30 09:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ふくろう女の美容室』(テス・ギャラガー著、橋本博美訳、新潮クレストブックス)


c0077412_1436518.jpg『At the Owl Woman Saloon』(Tess Gallagher,1997~1999)
本書は作家レイモンド・カーヴァーの晩年のパートナーだったギャラガーによる短編集。10編の短編作品と2編のエッセイが収録されている。
『フクロウ女の美容室』――女の園のはずの美容室に侵入してきた白髪頭の男。ベルイマンの映画に出てきそうなハンサムだが、庭造りについて得々と語るこの「知ったかぶりオヤジ」に、しだいに惹かれていく「私」。この男を評して、よくよく見れば、ベルイマン・タイプというよりうまく年を重ねたジェラール・ドパルデューに近かった、と言っているが、これは褒めている?貶している?(ドパルデューがちょっと気に入っているnishinaには、褒めているように聞こえます)。
『昔、そんな奴がいた』――きこりたちの元締めであるダニー・ガナソンは賃金の支払いを渋るたちの悪い男。きこりのビリーは、思い切った行動に出て、ダニーが二度ときこりたちを搾取できないようにした。それから5年ほど過ぎたある日、トラックを走らせていたビリーがヒッチハイクの男を拾うと、なんとそれはよれよれになったダニーだった。「子どもの一人が8月のルバーブみたくグレちまって手がつけられない」という表現がおもしろい。
『石の箱』――子どもに恵まれなかったアーレンとエリーダのもとに幼い娘エルミがやって来た。エリーダの妹ドリーが、自分では育てられないから、と押しつけていったのだ。の娘エルミだった。3年後、再婚したドリーは5歳になっていたエルミをむしり取るようにして連れ去った。ドリーが娘の服やおもちゃを荷造りして送るように、と言ってきたとき、ふたりは木の箱に石を詰めて送った。それから25年……。
『来るものと去る者』――夫の仕事と財産に関するやっかいごとに巻き込まれたことで、エミリーはかえって夫への信頼と愛を確認する。在原業平の「君や来し 我や行きけん 思ほえず 夢かうつつか 寝てか覚めてか」が斬新な解釈で引用されている。
『マイガン』――夫が亡くなって1年の38歳でむっちり体型の「私」。最近、頭の中は、新しいパートナーを探すことよりも、自分用の銃、つまりマイガンを買うべきかどうかでいっぱいだ。
『ウッドリフさんのネクタイ』――隣人の視点で描かれたカーヴァーの最期の日々。
『キャンプファイアーに降る雨』――「ミスターGが、つぎはぎだらけにしてしまった物語を、私は今からきちんと元通りにしてお話ししたいと思う」という文で始まる、視覚障害者のノーマンと「私」の物語。訳者のあとがきによると、カーヴァーの『大聖堂』と同じ設定で、カーヴァーの死後に書かれたという。
短編小説は以上の他に『生き物たち』、『仏のまなざし』、『祈る女』の3編。母について語る『聖なる場所』と、父について語る『父の恋文』という二つのエッセイは、同時に作者自身の伝記としても読める。(2013.7.24読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-09-27 14:38 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩 「荷物を背負う人と蝶」 シン・ヨンスン

c0077412_20321739.jpg韓国の児童詩を日本語にしました。作者が5年生の時に作った詩で、国民学校2年生の教科書に載ったそうです。原詩は2、4,6行目の末尾がダの音、3、5行目の末尾がガの音で終わっているので、日本語も末尾音をそろえてみました。そのため、2行目は正確にいうと「載せました」ですが、現在(行為の結果の持続)形にしました。なお、チゲは背負子のことです。

지게꾼과 나비 신영승
할아버지 지고 가는 나무지게에
활짝 핀 진달래가 꽂혔습니다.
어디서 나왔는지 노랑나비가
지게를 따라서 날아갑니다.
뽀얀 먼지 속으로 노랑나비가
너울너울 춤을 추며 따라갑니다.


荷物を背負う人と蝶     シン・ヨンスン
じいちゃんが担いで歩くチゲの荷に
ふんわり咲いたツツジの枝も載ってます。
どこから飛んできたのやら、黄色い蝶が
チゲの後ろをついていきます。
霞のような埃の中を、黄色い蝶が
ひらりひらりと舞いながらついていきます。
[PR]
by nishinayuu | 2013-09-24 20:33 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『旅立つ理由』(旦敬介著、岩波書店、2011)


c0077412_1193741.jpg帯の惹句に「マスコミのプリズムを通していない素顔のアフリカ、南米を舞台に、普通の人びとの真摯に生きる表情と飾らぬ姿を簡潔に移し取る21の短編」とある。
ミケランジェロが見たいという息子を連れて日本からイタリアへやって来た男。ナイロビで一緒に暮らしている外国人の男とタンザニアのザンジバルに遊びに来た女性。ベリーズの中華料理店で、上海娘とエル・サルバドルの男の間で熱帯の恋愛詩が生まれる瞬間に立ち会った男。17年前、モロッコを訪れた男に、ジェラバを買えとしつこくつきまとったアハメッドという若者。植民地時代のブラジルの首都だったバイーアで、妻の稼ぎに頼って暮らすカポエイリスタ(黒人奴隷の格闘技を得意とする男)の一家。20年前来の念願である潜水少年が採る牡蠣を求めて、メキシコの湾岸のマンディンガにやって来た男と、小学生の息子。
アフリカ人の妻・アミーナの母親が住むウガンダの町への旅ではアフリカの流儀を教えられ、バイーアでブラジル人やアルゼンチンといっしょにとびきりのフェイジョアーダを食べ、ケニアではやはりケニアに住む別れた日本人の妻とときどき会って食事もし、妻・アミーナがナイロビで子供を産んだときはバイーアからリスボン、ロンドン経由で駆ける。これらの旅の物語に共通して登場するのは、ときどきダンさんと呼ばれたりする日本人で、ケニア人の父とウガンダ人の母を持つアミーナを妻とし、男の子の父親でもある男。辺境から辺境へと移動し続ける、するなんともスケールの大きい旅の物語である。
特に印象に残ったのはことばに関する次の二つのくだり。
1.ウルグアイとブラジルの国境をまたいだとたん、決然とした強い音のスペイン語から、一気に、飲み込むような曖昧な音の多いポルトガル語に移行するのだった。
2.かつてバイーアに「バンゾ」という名の店があったが、「バンゾ」とは黒人奴隷たちが故郷に対して抱いた強烈な郷愁のことを指すことばだった。

この本の魅力の一つは内容にマッチした鮮やかな色彩、大胆な構図のイラストが各所に散りばめられていることで、「アミーナの買い出し」の青緑色の象、「カチュンバーリの長い道のり」の花模様の象が特にいい。イラストの作者は門内ユキエ。(2013.7.20読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-09-21 11:09 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『野いばら』(梶村啓二著、日本経済新聞、2011)

c0077412_20355269.jpg読書会「かんあおい」2013年8月の課題図書。本書は19の章からなり、1、12,19が現代のイングランドとアムステルダム空港、その他は150年前の江戸が舞台になっている。
物語は、醸造メーカーのバイオ事業部に籍を置く縣和彦が「俺」という一人称で語り始める。2009年6月16日、「俺」は仕事の旅の途上、イングリッシュ・ガーデンを見学しようと立ち寄ったコッツウォルズの片隅にある古い屋敷で、屋敷の主であるパトリシアから古いノートを渡される。前の持ち主であるウィリアムが1896年に書いたもので、日本人に読んでもらうことを望んでいたという。「俺」はそのノートを預かって仕事の旅のあいまに読んでいく。
時は1862年に飛び、ウィリアム・エヴァンズが「わたし」という一人称で語り始める。田舎医者の息子で、英海軍情報士官として27歳で香港に赴任して5年。妻エヴェリーンは故郷に残ることを望んだので、単身の赴任である。英国公使館襲撃、生麦事件などで英国と日本の緊張が高まっていたこの年の9月末、エヴァンズは横浜の英国公使館に転任する。赴任直後に成瀬勝四郎という男がエヴァンズの前に現れる。公使館員の雑事と大君政府との連絡を担当し密偵も兼ねる、外国奉行配下の役人である。完璧な北京官話を操り、英語を少々話す成瀬に、エヴァンズは一目で魅了される。成瀬の手配でエヴァンズは日本語の勉強を始める。場所は町外れにある禅久院、教師は70を超えた老人の野上。ところが野上は開国主義者で放言癖があったために斬殺されてしまう。成瀬は次に、親戚の女性・成瀬由紀を連れてくる。水戸に嫁いでいたが離縁されて実家にいる変わった女だという。こうして由紀は日本語の教師として週2回、江戸から泊まりがけで禅久院に通ってくることになった。
知的な美貌の持ち主である由紀は、素晴らしい日本語教師でもあった。日本語の授業の合間に、由紀とエヴァンズはそれぞれが持参した弁当を交換してみたり、エヴァンズが採集している日本の花の話をしたりして、急速に親しくなっていく。そしてある日、由紀の従者の吉次がウマラ(野いばら)を抱えてきたのをきっかけに、エヴァンズはそれが由紀のいちばん好きな花だということを知る。エヴァンズが日本の歴史書や地図の購入を頼んだときや、由紀が「菊合わせ」に案内してくれるというので、エヴァンズがお礼に英公使館に案内すると申し出たときなどに由紀が見せた緊張に、エヴァンズは深い意味を読み取ることはしなかった。しかし来日して1ヶ月経った10月末、日本の政情について互いに探りを入れるために成瀬勝四郎と密会したとき、エヴァンズは由紀の美貌のことを口にしかけて言葉を呑んだ。何か自分を強く押しとどめるものがあったのだ。それが破滅の予感だったことに、エヴァンズはあとで気がついたのだった。
敵対する陣営を背後に背負ったエヴァンズと由紀の、短くも熱い出会いと別れを最後に見届けたのは野いばらの茂みだった。150年後のコッツウォルズで野いばらの茂みを見守るパトリシアは、エヴァンズのノートを読み終えて返しに来た縣に「男って勝手ね」と言うのだが、由紀と同じ日本人であり、エヴァンズと同じ男である縣は、どう応えるべきだったのだろう。(2013.7.17読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-09-18 20:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『青い夕闇』(ジョン・マクガハン著、東川正彦訳、国書刊行会)


c0077412_10391899.jpg『The Dark』(John McGahern,1965)
本書は1950年代のアイルランドを舞台に、父親の理不尽な言動と、自分自身の不安定な精神や肉体にふりまわされながら、自分の進むべき道を探る一人の青年の苦悩の日々を綴った物語である。原題を直訳すると「闇」であり、物語はまさしく出口のない暗闇の中の苦しみを描いた部分が大半を占めるが、北国の清らかな空気、妹たちへの温かい情愛、そして根底にある親子の絆などによって、闇は漆黒ではなくなっている。そういう意味で「青い夕闇」というのは、本作品の暗さと仄かな光とある種の叙情性のすべてを包括したすばらしいタイトルである。
主人公(物語のはじめの段階では16歳の高校生)は奨学金で高校に入り、将来は聖職者になりたいと思う一方で、禁欲的生活へのためらいもあって決心がつかない。それでも進学のための奨学金を獲得するためにがむしゃらに勉強している。そのうち主人公は父親のもとを去っていくつもりだ。主人公が家に残って農作業を一緒にやってくれることを父親は望んでいるようだが。主人公より先に一番上の妹のジョーンが家を出ることになった。ジェラルド神父の紹介で町にあるラアイアンの店で働くことになったのだ。しかし彼女は家を離れたがらなかった。ひどい父親のいる家より、外の世界のほうが怖かったのだ。彼女の怖れたとおり、彼女にとってライアンの店は「家よりひどい」ところだった。この物語には父親や聖職者、雇用者による性的虐待があふれていて驚かされるが、主人公も妹のジョーンも、そういう環境を乗り越えて成長していく。

この主人公には名前が与えられておらず、語り手によって「彼」とか「おまえ」と呼ばれたり、一人称の「ぼく」で語ったりするので、はじめはとまどう。文体もぎこちない感じで決して読みやすくはないが、それがかえってざらざらした感触の内容とマッチしているようにも思える。(2013.7.12読了)

☆ロスコモンやらスリゴーやら、『The Secret Scripture』で親しんだ地名が出てきて懐かしくなりました。
アイルランドに行ったことはないのですけれど。
[PR]
by nishinayuu | 2013-09-15 10:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『カモ少年と謎のペンフレンド』(ダニエル・ペナック著、中井珠子訳、白水社)


c0077412_150323.jpg『Kamo L’agence Babel』(Daniel PENNAC,1992)
これは内容から見ても装丁・挿絵などから見ても小学校高学年から中学生向けの本である。特に、外国語を学ぶ楽しさ、本を読む楽しさをまだ知らない子どもたちに、ぜひ読んでもらいたい作品である。もちろん大人も、ちょっとした読書案内として、あるいは「謎解き」として充分楽しめる。
パリの中学生の「ぼく」が親友のカモの身に起こったできごとを語っていく。はじめは、通信簿を見たカモのかあさんが怒りを爆発させる場面。カモの英語が20点満点の3点だったと知ったカモのかあさんが「これでいいと思ってるの?」と通信簿をテーブルクロスの上に投げつけ、カモが「でも歴史は18点だったよ!」と反論する。するとかあさんが「歴史が20点満点の25点だったとしても、英語の3点はゆるせないわ!」と叫ぶ。(けっこうめちゃくちゃなかあさんなのです。)カモも負けじと言い返す。「アンチビオ・プールをなぜ首になったか、かあさん考えたことある?」と。かあさんは有名な製薬会社であるアンチビオ・プールの製品のほとんどはインチキだと客に説明して入社10日で首になっているのだ。それでかあさんは、今すぐ新しい仕事を見つけて続けてみせる、と大見得を切るはめになり、そのかわり3ヶ月仕事が続いたら、今度はカモが3ヶ月で英語をマスターすること、とまたまた無茶なことを言いだす。しかも今回は首にもならずに3ヶ月働き続けたのだ。
こうして頑張らねばならない番になったカモは、かあさんの勧めに従って外国人と文通することになる。かあさんがあげた15人の候補から、カモがいいかげんに選んだ相手はイギリス人のキャサリン・アーンショー(そう、あのキャサリン!)だった。カモはフランス語で書き、相手は英語で書く、という形で始まった文通は、すぐに英語だけのやりとりになって、英語の得意な「ぼく」の翻訳もいらなくなる。カモはそれだけキャサリンとの文通にのめり込み、英語の勉強にものめり込んでいたのだ。しかしぼくはカモが受け取る時代がかった封書や書体、書かれた内容を見て、何かおかしいと感じ始める。さらにぼくは、カモの他にも外国人と文通していて、カモと同じように「とりつかれた」ようになっている友だちが大勢いることに気づく。手紙の宛先は「多言語ペンフレンド紹介所バベル社、私書箱723、75013、パリ」。ぼくは13区のいちばん大きな郵便局にかくれて、私書箱723を見張る。(2013.7.6読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-09-12 15:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

「社会主義11番地」 サンクトペテルブルク


c0077412_1418381.jpg☆新聞のコラム(2012.7.3朝日新聞「特派員メモ」)を韓国語にしてみました。原文は韓国語の下にある「社会主義11番地」のところをクリックしてお読み下さい。


사회주의11번지 상트페테르부르크(러시아) 특파원 메모

“사회주의11번지에 가십시다”. 택시 운전기사에게 호텔의 주소를 전하자, “또 다시 옛 시대로 돌아가시는 겁니까?” 라는 멋있는 대답이 돌아왔다.
러시아의 문화와 예술의 도읍인 상트페테르부르크. 내가 돌아가고 싶은 곳은 20세기의 소련이 아니라 19세기의 제정시대였다. 옛날에 이 도시에서 살던 문호 도스토에프스키의 미완의 대작 [카라마조프가의 형제들]으로 명명된 호텔이다.
이 호텔은 문학을 애호하는 소유자가 8년 전에 열었다. 좁은 도로에 면하여 객실 28 개를 구비한 4층 건물이다. 복도에 놓여 있는 앤티크(낡은) 피아노와 재봉틀이 19세기의 풍취를 빚어낸다. 나의 방은 [백치]에 등장하는 여성인 ‘아글라야(Aglaya)’ 의 이름을 가지고 있다.
때마침 백야의 계절. 호텔은 여행객들로 가득했다. 접수 안내원인 아리나(Arina)-양(23세)는 “구미에서 문학팬들이 예약을 하고 찾아오십니다” 고 말한다. 이 호텔 이름에는 손님을 끌어 모으는 효과가 있는 모양인데, 어째서 [카라마조프가의 형제들]인가? 그녀와 말을 주고 받다가 문득 생각났다. [죄 와 벌] [악령] [도박자] [백치] [죽음의 집의 기록]…… 다른 명작들은 호텔 이름으로서는 어울리지 않다.
하여간 문호는 지금도 옛 도시에서 숨쉬고 있다.

「社会主義11番地」
[PR]
by nishinayuu | 2013-09-09 14:19 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『灰色の魂』(フィリップ・クローデル著、高橋啓訳、みすず書房)


c0077412_14153795.jpg『Les Âmes Grises』(Philippe Claudel,2003)
本書はふんわりと温かい『リンさんの小さな子』と同じ作者の作品で、訳者も同じである。ところが雰囲気は全く異なり、ある殺人事件をめぐって物語が展開する本書には全体に陰鬱で重苦しい雰囲気が漂っている。そしてその雰囲気は格調の高い文章と巧みな物語構成によっていっそう印象的に迫ってくる。
ある人物が語り始める。
どこから語ればいいのか、よくわからない。これはけっこうむずかしい。すべては過ぎ去った時代のこと、言葉はもう戻ってはこない、あの顔たちも、笑みも、傷も。それでも語らねばなるまい。ここ二十年来、私の心を苛んできたことを語るのだ。悔恨と大いなる疑惑の数々。ナイフで腹を切り開くように謎を切り開かなければならない、そして、そこに諸手を差し入れるのだ、たとえそれで何も、何ひとつ変わらないとしても。
このあともしばらく「私」は自分が何者であるかを明らかにしないまま、1917年にフランスの片田舎で起こった「事件」のことを語っていく。12月のある朝、「昼顔」と呼ばれる10歳の少女が死体となって発見される。人びとの見守る中で検死をしたデシャレ医師が「絞殺だ!」と宣言すると、判事のミエルクは、ようやく本物の殺人事件にありついた、という露骨な喜びの色を浮かべた。それから、くるりと振り返ると言った。「時にあの門は、いったい何かね?」それは検察官デスティナの屋敷、通称「お城」の門だった。
デスティナは30年以上にわたってV市で検察官を務め、その職務を決して故障しないゼンマイ時計のように遂行した男である。事件当時は60を越えていて1年後には引退を控えていた。V市の監獄では囚人たちに「血の森」と呼ばれ、いっとき屋敷内に逗留した若い女教師からは秘かに「哀しみ」と呼ばれていた。事件の前夜、デスティナが少女と川辺にいたことを私の幼なじみのジョセフィーヌが目撃していた。しかし捜査は彼のところには及ぶことはなく、脱走兵の若者二人が逮捕されて終わってしまう。「私」はそれ以来ずっと、事件の真相とデスティナの魂について考え続けてきたのだった。
この物語は大勢の死者の物語である。まずは戦場で散っていく兵士たち。屋敷に嫁いできて間もなく死んだデスティナの妻クレリス。女教師リジア・ヴェラレーヌ。10歳の少女「昼顔」。出産の苦しみの中で逝ってしまった「私」の妻クレマンス。そして歳月が流れてデスティナ、彼の使用人だったバルブとその夫、逮捕された二人の脱走兵、ミエルク、町の良心的な医者リュシーも、だれも彼もが死んだあと、「私」はさらにもう一つの死を語って物語を終える。
「灰色の魂」については終わりの方で「私」が次のように語っている。
私を持ちこたえさせたのはいつも同じ自分の声でなされる対話であり、犯罪の不透明さだったのだろうが、その不透明さは人生の不透明さと比べて、咎められるべきものではない。(中略)まことに我々の魂は、白でも黒でもなく、灰色なのだ、ジョゼフィーヌがかつて私に言ったようにみごとに灰色なのだから。(2013.7.3読了)
[PR]
by nishinayuu | 2013-09-06 14:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『サラの鍵』(タチアナ・ド・ロネ著、高見浩訳、新潮クレストブックス)


c0077412_1339375.jpg『Sarah’s Key』(Tatiana de Rosnay)
ドイツ軍統治下のフランスで1942年7月16日早暁、パリとその近郊に住むユダヤ人が一斉に検挙され、ヴェロドローム・ディヴェール(冬期自転車競技場)に押し込まれた。その数13152人。中には4150人の子どもたちも含まれていた。食べ物も水もなく、トイレも使えない状態でこの屋内競技場に6日間閉じこめられたあと、ほぼ全員が列車でアウシュヴィッツに送られ、そこのガス室で命を絶たれた。このヴェロドローム・ディヴェール事件、略称ヴェルディヴを立案し、実行したのはフランス警察だった。
物語はまさにこの事件の日の早暁、ひとりの少女が玄関のドアを叩く音に気づくところから始まる。警察が踏み込んできて、一緒に来るんだ、と少女と母親をせき立てる。少し前から、一斉検挙があるらしい、特に男があぶない、という噂があったため身を隠していた父親も妻子と行動を共にするために姿を現す。こうして三人はヴェロドローム・ディヴェールに引き立てられていく。しかし少女の弟はあとに残った。警察に踏み込まれたとき、家族しか知らない秘密の納戸に弟が逃げ込んだのを見た少女が、警察に見つからないことを祈りながらその扉の鍵をかけたからだ。「必ずもどって来るからね」と小さな弟に約束して。少女は10歳で名前はサラ。4歳の弟の名前はミシェルといった。
ヴェルディヴから60年後の2002年。ジュリア・ジャーモンドはアメリカ出身のジャーナリストで、パリに移住して25年になる。「男の色気がにじむ浅黒い顔立ち、均整の取れた体躯。絵に描いたようなフランス男」である建築家のベルトランの妻であり、11歳の少女ゾフィーの母親である。6年前から関わっている週刊誌に、ヴェルディヴの60周年記念記事を書くことになった彼女は、それについて自分がいかに無知だったかを思い知ると、ジャーナリストとしての使命感に突き動かされるように調べ始める。フランス人にとってかなり微妙な問題で、だれも言及したがらない過去の秘密のようなこのヴェルディヴにのめり込むジャーナリストとしてのジュリアと、一方でベルトランやベルトラン一族との関係、ゾフィーや自分の将来について悩む一人の女性としてのジュリアの姿が過不足なく描かれていて、物語に厚みを与えている。
前半はサラの物語とジュリアの物語が交互に綴られる構成になっている。60年という歳月を隔てたこのふたつの物語が、ある時点に向かって収斂していく過程の迫力もみごとなら、そこからさらにもう一つの物語が始まって未来に繋がっていくことを暗示する結末もすばらしい。大きな感動と満足感を与えてくれる一冊である。(2013.6.27読了)

☆1995年7月16日にヴェルディヴについて国家としての謝罪演説をしたシラク大統領が「ザホール。アル・ティシカハ(記憶せよ。決して忘れるな)」とヘブライ語で言ったそうです。ここを読んで、韓国の光州事件を描いた映画の中でも「私たちを忘れないでください」とヒロインが叫んでいたのを思い出しました。ヴェルディヴの作戦名が「春のそよ風作戦」なら、光州事件の作戦名は「華麗な休暇」だったということも。こちらはなんとも不気味な類似です。
[PR]
by nishinayuu | 2013-09-03 13:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)