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『Reginald』(H.H.Munro, Doubleday & Company,Inc.)


c0077412_1815617.jpgこれはDoubleday発行の『The Complete Works of Saki』の最初に掲げられている作品である。作者のMunroはビルマ生まれの英国人(1870~1916)で、エドワード七世(在位1901~1910)時代の香が漂う作品、特に上流社会のあれこれを風刺的に描いた作品を多く残している。SakiはMunroのペンネームである。
ところで、『The Complete Works of Saki』の冒頭にNoël Cowardが1967年に書いた紹介文がある。その中で彼は、自分が子ども時代に親しんで影響を受けたのはSakiとNesbitだが、それから50年以上経った今の時代、読書人の多くはSakiなんて聞いたこともないだろう、と言っている。1967年にしてすでに英語圏でもほとんど忘れられた作家だったのだ。英語圏でさえそうなのだから日本ではなおのこと知る人は少ないと思われるが、「ちくま」や新潮から文庫版の翻訳がでているところをみると、ある程度は読まれているらしい。教科書で“The Open Window”を読んでファンになった人たちもかなりいるようだ。
さて『Reginald』は、語り手がガーデンパーティに花を添えるつもりで連れて行った青年・レジナルドが、パーティーの参加者たちの気分を害してしまい、語り手も面目を失ってしまう話である。レジナルドはハンサムで洗練された趣味の持ち主ではあるけれど、年長者たちに不愉快な思いをさせるのを喜びとしている人物なのだ。ハイライトはレジナルドが“What did the Caspian Sea?”と問いかけて一同を茫然とさせる場面(数行あとに語り手によるWhat did the Caspian seeという解説的言い換えが出てくる)。
短編なのでストーリーというほどのものはなく、さっと読み終えることができる――と言いたいところだが、“The Open Window”に比べるとそうとう手強い作品である。注釈書や翻訳が出回っているシェイクスピアより手強いかもしれない。調べてわかったところを注がわりに以下に記しておく。

San Toy――中国を主題にしたミュージカルで、1899年にロンドンで初演された
Diamond Jubilee――ヴィクトリア女王在位60年の式典(1897年)
The Eternal City――Hall Caineによる小説(1901)。なお、eternal cityとはローマのこと
Poona――デカン高原にある都市プネーの英語読み。
Zaza――フランスの作家による不倫劇
The War in South Africa――ボーア戦争(1899~1902)
(2013.5.21読了)
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by nishinayuu | 2013-07-29 18:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「敦忠の中納言、南殿の桜を和歌に詠みし語」  『今昔物語』巻第二十四の第三十二

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☆『今昔物語』の再話と韓国語訳です。


敦忠の中納言、南殿の桜を和歌に詠みし語
今は昔、藤原実頼が左大臣だったとき、三月の中旬の頃、実頼が朝廷で仕事をしていて、南殿の前にある、神さびた大きな空洞のある桜の木が目に入った。庭の上まで伸びた枝には桜の花がきれいに咲いていて、庭に隙間なく散り敷いた花びらが風に吹きまくられて、波立っているかのようだった。
実頼が「なんともすばらしいことよ。この木は毎年、美しい花を見せてくれるが、これほど見事に咲いたのは見たことがない。土御門中納言(藤原敦忠)がやって来ればいいのに。ぜひこの眺めを見せたいものだ」と言った。すると折良く敦忠がやって来たので、実頼は大いに喜び、敦忠が入ってくるのも待ちきれずに尋ねた。「桜が庭に散り敷いているこの様をどう見るかね?」敦忠が「実に素晴らしいです」と応えると、実頼が「それなら、なぜぐずぐずしている?」と言う。つまり、その素晴らしい眺めを早く和歌にしてみせよ、という意味だ。
敦忠は心の中でこう考えた。この大臣は和歌がよくわかっている方だから、つまらない和歌をお見せしたらまずいことになってしまうだろうし、かといって身分のある方が催促なさっているのに何もお見せしないのもやっぱりまずいだろうし…。 そこで敦忠は身を正してこう申し上げたということだ。
殿守の伴のみやつこ心あらばこの春ばかり朝ぎよめすな
(主殿寮の掃除係の下人よ、風趣を知るならばこの春だけは朝の掃除をしないでおけ――『拾遺集』雑春。源公忠の作歌。詞書に「延喜の御時南殿にちりつみて侍りける花を見て」とある。敦忠は自分で歌を詠むことはせずに、よく知られた公忠の名歌を捧げたと思われる。)


아츠타다中納言(注1)가 남전의 벚꽃에 대한 와카를 지은 아야기
옛날 옛날에, 후지와라노 사네요리-대신이 좌대신이던 시절, 삼월 중순 무렵 그가 조정에서 일하고 있을 때, 줄기에 큰 구멍이 난 신령스러운 벚나무 한 그루가 남전앞에 서 있는 것이 눈에 띄었다. 정원위로 뻗어나온 가지에는 벚꽃이 아주 멋있게 피어 있었고, 정원을 가득 메운 떨어진 꽃잎들이 불어대는 바람 때문에 마치 파도가 일고 있는 것 처럼 보였다.
그 때 사네요리가 “말할 수 없이 근사하구나! 그 벚나무는 매년 대단한 꽃을 보여주는데, 이렇게 훌륭하게 피어 있는 것을 본 적이 없네. 츠치미카도中納言(아츠타다)가 찾아오면 좋을텐데. 꼭 이 경치를 보여주어야지” 라고 말하셨단다. 이에, 때 마침 아츠타다가 찾아왔는데, 사네요리는 아주 기뻐하며, 그가 안에 들어오기가 무섭게 물었다. “벚꽃이 정원을 덮은 이 모습을 당신은 어떻게 보는가?” 아츠타다가 “참 멋있는 경치입니다” 라고 대답을 하자, 사네요리가 말하기를 “그럼 왜 이렇게 느리니?” 그 뜻은 그 훌륭한 경치를 가지고 어서 와카를 지어보라는 것이다.
아츠타다는 가슴속에서 이렇게 생각했다. 이 대신님은 와카를 잘 아시는 분이어서 하찮은 와카를 지어 보여드리면 내 처지가 난처해질지도 모르고, 그렇다고 높으신 분이 이렇게 재촉하시는데 아무 대답 하지 않으면 마찬가지로 난처하게 될지도 모르고… 이에 아츠타다는 자세를 바로잡고 이렇게 대답했다는 것이다.
허드렛일을 하는 이여 청컨대 이 근사한 정원은 이 봄날만은 아침청소를 하지 마오(注2)

(注1) 중앙최고관청의 차관, 大納言의 아래)
(注2) 여기서 아츠타다는 스스로 지은 와카가 아니라 源公忠(미나모토노 킹타다)가 지은 유명한 와카를 바친 모양이다.
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by nishinayuu | 2013-07-26 14:27 | 再話 | Trackback | Comments(0)

『さりながら』(フィリップ・フォレスト著、澤田直訳、白水社)


c0077412_9533763.jpg『SARINAGARA』(Philippe FOREST, 2004)
本作品はナント大学の文学部教授であり、大江健三郎をはじめとする日本文学の評論家でもある著者の三作目の小説である(作品紹介文より)。
全体は三つの物語(詩人・小林一茶の物語、小説家・夏目漱石の物語、写真家・山崎庸介の物語)と、四つの都市に関する断章からなる。プロローグに続いてパリ、最初の物語、京都、次の物語…という構成になっていて、作家論・作品論的な三つの物語の区切りとして、あるいはそれらを繋ぐものとして、旅する人の視点から綴られた都市に関する断章が嵌め込まれている。すなわち、日本文化に関する評論と私的な旅行記を合わせたような作品で、一般の「小説」とはかなり趣が異なる。
なぜ一茶と漱石と山崎庸介なのか。作者は一見無関係のこれらの人物にひとつの共通点を見ている。一茶も漱石もそして作者も、愛する娘を失っているのだ。山崎庸介の場合は三人とはちょっと違うが、彼が写真に捉えた「原爆を生き延びた幼子」が、実はほどなくして死んでしまったという事実がある。
この作品で際だつのは一つ一つの文章、一つ一つの段落がまるで詩のように響いてくることである。おそらく散文詩のような雰囲気の原文なのであろう。そうした心に響く文章のおかげで、書かれている内容も深く心に染みこんでくる。たとえば、パリの章にこんなことばがある。

夢の特質は、それがいつか必ず現実となるという点にある。(中略)「既視感」とはこのことに他ならない。来るべき人生はそっくり、子どもの時に夢みられている。だからこそ出来事を前にして、何かがとても漠然と、ああ、これは知っている、と私たちに告げる。どんな新たな経験も、脳がもうずいぶん昔に夜中に自分に語って聞かせた古い物語のひとつひとつが、現実であったことを知らせる、ただそのためだけに訪れるかのようなのだ。そうでなければならない。たとえどんなに密やかにであったとしても、すでにそれをすっかり知っていたのでなければ、その日がやってきたとき、どのようにして精神はすっかり消え去ることなく、狂おしい現実の光景に耐えることができようか。つまり、大人になってからの生は、子どもの頃の夢を引き延ばしたものに過ぎず、実はすでに遠い昔に完了していて、いつも変わらぬ朝のうちでゆっくりと不安のうちに干涸らびてしまったものにすぎないのだと。

手許に置いて何度でも読み返したい作品である。シンプルな装丁もいい。(2013.5.14読了)
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by nishinayuu | 2013-07-23 09:54 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『海にはワニがいる』(ファビオ・ジェーダ著、飯田亮介訳、早川書房)


c0077412_10542761.jpg『Nel mare ci sono coccordrilli』(Fabio Geda, 2010)
この作品は10歳のときに故国を出た少年のさすらいの旅の日々を、少年が辿り着いた国の作家が聞き書きしたという形になっている。作家はイタリアのトリノで生まれたファビオ・ジェーダ。少年はアフガニスタンにあるハザラ人の小さな村で生まれたエナヤットラー・アクバリ(通称エナヤット)である。
エナヤットは母と姉、弟の4人でガズニー州のナヴァ村で暮らしていた。父はエナヤットが6歳の頃、山道をトラックで走っていたときに山賊に襲われて死んだ。パシュトゥン人の商人に脅されて、イランに商品を仕入れに行っていたのだ。トラックの積み荷が山賊に盗まれたと知ったパシュトゥン人たちは、今度は残された家族に損害を弁償しろと迫り、できないなら男の子二人を奴隷にする、と脅した。それ以来、家族はずっとおびえて暮らすようになった。
ある日、母はエナヤットだけを連れて旅に出た。ハザラ人を迫害し続けてきたパシュトゥン人、特にタリバーンの連中に見つからないように身を隠しながら。カンダハールに着くと、そこまでいっしょに来てくれた男の人は「エナヤット、幸運を祈っているよ。また会おうな(バー・オミーデ・ディダール)」と言って帰って行った。小学校がタリバーンに襲われたとき、エナヤットの先生が最後に言ったことばも「バー・オミーデ・ディダール」だった。それにしてもなぜあの男の人は「幸運を祈っているよ」なんて言ったのだろう、とエナヤットは思った。しかし間もなくエナヤットはその意味を知ることになる。何日もかけてやっと着いたパキスタンのクエッタで、エナヤットが眠っている間に母が消えたのだ。「あの人が僕を置き去りにしようとは夢にも思わなかった」と物語の冒頭でエナヤットは語っている。母に捨てられたと思った10歳の少年はどんなに大きな衝撃を受けただろうか。そして、エナヤットの命を守るために、エナヤットの生きる力を信じて外の世界に放り出した母親の苦悩もどんなに大きかっただろうか。
こうしてエナヤットの長いさすらいの旅が始まる。パキスタンからイラン、トルコ、ギリシアへと死と隣り合わせの過酷な旅が続く。食べ物と寝場所を求めて必死に働き、つかの間の友情にすがり、子どもたちの遊ぶ学校の校庭に吸い寄せられたりしながら。5年という歳月の後にエナヤットがやっと辿り着いた安住の地は、故郷から5000キロ以上も離れたイタリアだった。過酷な日々を智恵と勇気で生き抜いたこの健気な少年がその体験を作家に語るまでにはさらに数年の歳月が必要だったというところからも、その体験の重さを推し量ることができる。

なお、タイトルはトルコのアイヴァリクからギリシア領のレスボス島へゴム・ボートで渡ったときのエピソードから採られている。このときの5人の仲間のうちいちばん小さかったフセイン・アリ(12歳)は「海にはワニがいる」と海を恐がった。「海にワニなんていない。ワニってのは川に棲む生き物なんだぞ」と怒鳴りつけたリアカットは、すれ違った大型船が立てた波にあおられて海に落ちて死んでしまう。このときは無事だったフセイン・アリも、陸に上がったあとで他のふたりといっしょに警官に捕まってしまう。エナヤットはこうしてまたひとりぼっちで旅を続けたのだった。(2013.5.12読了)
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by nishinayuu | 2013-07-20 10:55 | 読書ノート | Trackback | Comments(3)

『五体不満足』(乙武洋匡著、講談社)


c0077412_210126.jpg読書会「かんあおい」2013年5月の課題図書。
外見の特異さと満面の笑顔。その一見アンバランスなものを体現している著者が、誕生から現在までを語った自伝である。障害を持って生まれたことを嘆いたり悲しんだりする記述はほとんどなく、一個の人間としてどう生きていたかが明るく爽やかな筆致で綴られていて、実に爽快な本である。
障害者が明るく爽やかに生きていくのは難しいと思われる世の中で、なぜ著者はこれほど前向きになれたのだろうか。その理由として考えられるのは、著者の両親がたぐいまれな資質の持ち主だったことであり、その両親から生まれた著者もまたたぐいまれな資質の持ち主だったことだろう。
両親のユニークさは本書のあちこちで語られている。病院側の配慮からか誕生直後の子どもには会えずにいた母親が、やっと目にすることができたわが子を見たとき、思わず「かわいい」と言ったというのは、この一家のその後を象徴するような場面である。両親は障害を持って生まれた子どもを哀れんで甘やかすということはいっさいなく、なんでも一人でできるように育てる一方で、父は父親と兄の二役をこなしてわが子としっかり付き合い、母は小学校に毎日付き添って廊下で待機する。わが子のために必要とあれば転居も厭わないこの両親は、中学生のわが子が友人と旅行すると聞くと、心配するどころかこれ幸いと香港旅行に行ってしまうユニークな人たちなのだ。こうして著者はすばらしい両親、すばらしい教師、すばらしい友だちを得て学校生活を存分に楽しみつつ成長していく。だから著者には「自分が障害者であるということを自覚する必要も、機会もなかった」。
20歳の秋の夜長、著者はあれこれ考えているうちにふと気がつく。「障害を持った人間しか持っていないものというものが必ずあるはずだ。そして、ボクは、そのことを成し遂げていくために、このような身体に生まれたのではないか」と。これが転機となって著者はまた一歩大きく前に踏み出し、障害者を苦しめている世間の心の壁を取り除くこと、つまりソフトのバリアフリーをめざして歩み出す。あとがきにヘレン・ケラーの「障害は不便である。しかし、不幸ではない」ということばが紹介されている。(2013.5.11読了)
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by nishinayuu | 2013-07-17 21:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『祖母の手帳』(ミレーナ・アグス著、中嶋浩郎訳、新潮クレストブックス)


c0077412_10162119.jpg『Mal di pietre』(Milena Agus, 2006)

原題の日本語訳は「石の痛み」。結石による痛みのことで、主人公である祖母は腎臓に結石がある。


祖母は1950年の秋に「帰還兵」と知り合った。サルディーニャのカリアリから初めて本土に渡ったときのことだ。四十になろうとしていたはずだけれども、子どもはなかった。「石の痛み」のために、いつも初めの数ヶ月で流産してしまったからだ。それで、サックコートと編み上げブーツそれに夫が田舎に疎開してきたときのトランクという出で立ちで、治療のために温泉に送り出されたのだった。

語り手の祖母はサルディーニャのカンピダーノ村で生まれ育った。世にも稀な美貌の持ち主だったが、世にも稀な感受性と情熱の持ち主でもあった。そのせいで常人の思いもよらない言動が見られ、家族に、特に母親にはもてあまされていた。1943年5月、空襲で家族を失った男が下宿人としてやって来て、6月にはその家の長女である祖母に求婚して結婚した。情熱的に愛せる相手を求めていた祖母には不本意な結婚だった。私はあなたを愛していないし、ほんとうの妻には決してなれないだろう、と告げた祖母を、祖父はそのまま受け入れた。祖父は物静かな人だった。無神論者で共産主義者だった(これは本筋にはあまり関係ないのですが)。新婚1年目に祖母がマラリアにかかったとき、祖父は献身的に看病した。腎臓結石の痛みに頻繁に襲われる祖母のために畑仕事や泉からの水くみなどの辛い仕事を代わってやった。1945年にふたりは祖父が元住んでいたカリアリに移り住んだ。
1950年、祖母は初めてサルディーニャを離れる。医者に勧められて結石治療のために本土の有名な温泉に滞在することになったのだ。温泉地のホテルで、祖母は初めて、情熱的に愛し愛される相手に出会う。彼は「帰還兵」で、

身なりはとても上品で、片方の脚が義足で、松葉杖をついてはいたものの、とても美男子だった。背が高くて色が黒く、深いまなざしと柔らかい肌、細い首、たくましく長い腕、大きくて子どものように無垢な手をしていて、短くて少しカールした口ひげの下には、輪郭のはっきりした厚い唇があり、鼻は優美な曲線を描いていた。

祖母は部屋に戻るとすぐに机に向かって彼の様子をこと細かに書き記した。こうして祖母が娘時代から心の中の思いを書き付けてきた「赤い縁取りの黒い手帳」に「帰還兵」との日々が書き加えられていく。

「わたし」という語り手が、祖母、祖父、彼らの一人息子であるパパ、そして「帰還兵」のことまで語ることができるのは、「わたし」が「祖母の手帳」を読んだからだろうと推察はできるのだが、その「手帳」がなかなか姿を現さないので、どこまでが事実でどこまでが語り手の想像なのかは謎のまま物語が綴られていく。謎は他にもいろいろある。例えば、ときどき出てくる「祖母はそのことについて死ぬまで自分を許さなかった」という言葉はなにを意味するのか。祖母が「帰還兵」と別れてから9ヶ月目に生まれたパパ(ピアニスト)のほんとうの父親は、ピアノを弾く手を持っていたという「帰還兵」なのか。互いに愛し合い、理解し合っていた祖母と「帰還兵」はなぜ二度と会おうとしなかったのか。これらの謎が最後まで物語に緊迫感を与え、謎が明かされた後には静かな感動を呼び起こす(2013.5.6読了)
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by nishinayuu | 2013-07-14 10:18 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

映画鑑賞ノート16 (2013.7.11作成)

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2013年上半期に見た映画の覚え書きです。
1行目:タイトル(原題)制作年・制作国 監督(鑑賞日)2行目:キャスト 3行目:一言メモ




白いカラス(The Human Stain)2003米・独・仏 ロバート・ベントン(1.17)
    A・ホプキンス、N・キッドマン、ゲイリー・シニース、エド・ハリス
    ストレートな原題より邦題のほうが趣がある。原作フィリップ・ロス。
目撃(Absolute Power)1997米 クリント・イーストウッド(1.22)
    C・イーストウッド、J・ハックマン、エド・ハリス、ローラ・リニー
    主人公がめちゃめちゃかっこいい。自分が監督なのでやりたい放題?
神様のくれた赤ん坊 1979日本 前田陽一(1.29)
    桃井かおり、渡瀬恒彦
    ルーツを求める女の旅に倦怠期の恋人も同行するロード・ムーヴィー。
冬の華 1978日本 降旗康男(2.2)
    高倉健、池上希実子、その他大勢の大物俳優たち
    主役、準主役級俳優のオンパレード。それだけでも見る価値あり。
RAILWAYS 2010日本 錦織良成(2.3)
    中井喜一、本仮屋ユイカ、三浦貴大、奈良岡朋子、橋爪功
    49歳で電車の運転手になった男の物語。登場するのはいい人ばかり。
96時間(Taken)2008フランス ピエール・モレル(2.8)
    リーアム・ニーソン、マギー・グレイス、オリヴィエ・ラブルタン
    人身売買組織をアルバニア系にしちゃっているけど、いいのかなあ。
バレンタインデイ(Valentine Day)2010米 ゲイリー・マーシャル
    ジェニファー・ガーナー、アン・ハサウェイ、ジュリア・ロバーツ
    深い味わいには欠けるが、楽しめる恋愛群像劇。
半落ち 2003日本 佐々部清(2.9)
    寺尾聰、原田三枝子、柴田恭兵、國村隼
    ストーリー展開に説得力がなく、評判ほどの名画とは思えない。
プチ・ニコラ(Le Petit Nicola) 2009フランス ローラン・ティラール
    (2.14)
    マキシム・ゴダール、ヴァレリー・ルメルシュ、カド・メラッド
    少年たちはすごくかわいいけれど、なぜか中年の顔が想像できる。
みんなのうた(A Mighty Wind)2003米 クリストファー・ゲスト(2.28)
    ボブ・バラバン,キャサリン・オハラ,ユージン・レヴィ,C・ゲスト
    ドキュメンタリー風で迫力満点。ユージン・レヴィが秀逸。
ビッグ・ダディ(Big Daddy)1999米 デニス・デュガン(3.3)
    A・サンドラー、ジョーイ・アダムス、D&C・スプラウフ
    主演・助演・監督・脚本・作品で最低賞受賞!
メラニーは行く(Sweet Home Alabama)2002米 アンディ・テナント
    (3.4)
    リース・ウィザースプーン,P・デンプシー,ジョルジュ・ルーカス
    ニューヨークvs.アラバマ+影のない男vs.影のある男。
アイリス(Iris)2001英 リチャード・エア(3.6)
    ジュディ・デンチ、K・ウィンスレット、ジム・ブロードベント
    衝撃的秀作。アイリス・マードックを知らない人には退屈かも。
メアリー・ポピンズ(Mary Poppins)1964米 
    ロバート・スティーヴンソン(3.8)
    J・アンドリュース、D・V・ダイク、デヴィッド・トムリンソン
    銀行のドース・SrもV・ダイクだったとは!鳩の餌売りの歌が最高。
8人の女たち(Huit Femmes)2002フランス フランソワ・オゾン(3.9)
    D・ダリュー、C・ドヌーヴ、F・アルダン、イザベル・ユペール
    登場人物が唐突に歌って踊るミュージカル仕立てのミステリー。
いつか読書する日 2005日本 緒方明(3.11)
    田中裕子、岸辺一徳、渡辺美佐子、仁科亜季子
    ハッピーエンディングとは言えないが心に清々しさが残る物語。
Big Fish 2003米 ティム・バートン(3.18)
    ユアン・マクレガー、A・フィニー、ビリー・クラダップ
    父親になろうとする息子が父の「人生の物語」を受け入れるまで。
恋愛適齢期(Something’s Gotta Give)2003米 N・マイヤーズ(3.19)
    ダイアン・キートン、J・ニコルソン、キアヌ・リーヴス
    コミカルな演技の主役二人に対し、爽やかなリーヴスが光る。
新しい人生の始め方(Last Chance Harvey)2008米 
    ジョエル・ホプキンス(3.21)
    ダスティン・ホフマン、エマ・トンプソン
    以前は賢女という顔が鼻についたトンプソンがいい感じになった。
屋根裏部屋のマリアたち(Les Femmes du 6ème étage)2010仏 
    F・ル・ゲ(3.23)
    ファブリス・ルキーン、ナタリア・ベルベケ、カルメン・マウラ
    陽気なスペイン女たちと一途さが滑稽で哀れなフランス男の物語。
ランド・オブ・ウーマン(In the Land of Women)2006米 
    ジョン・カスダン(3.24)
    アダム・ブロディ、オリンピア・デュカキス、C・スチュアート
    季節は花いっぱいの夏から枯れ葉舞う秋へ。人は絶望から希望へ。
Before Sunset  2004米 リチャード・リンクレイター(3.25)
    イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー
    ふたりの会話が実に軽妙でしかも深い。情緒満点の傑作。
レベッカ(Rebecca)1940米 ヒッチコック(3.29)
    ジョーン・フォンテーン、G・サンダース、J・アンダーソン
    原作にほぼ忠実。何度見てもダンヴァース夫人は凄みがある。
Before Sunrise 1995米 リチャード・リンクレイター(4.3)
    イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー
    Before Sunsetの前編。ふたりの会話も若々しく、風景もいい。
潮風とベーコンサンドとヘミングウエイ(Wrestling E. H)'93米
    R・ヘインズ(4.9)
     R・デュヴァル、R・ハリス、S・マクレーン、S・ブロック
    下品で汚いじいさんが突然ハンサムに変身。さすがR・ハリス。
ヤア・ヤア・シスターズ(Devine Secrets of Ya-Ya Sisters)
    '03米カーリー・クーリ(4.16)
    S・ブロック、E・バースティン、G・ガーナー、マギー・スミス
    原作はレベッカ・ウェルズ。早川書房から翻訳が出ている。
サンセット大通り(Sunset Boulevard)’95米 ビリー・ワイルダー
    (4.18)
    G・スワンソン、W・ホールデン、E・フォン・シュトロハイム
    スターたちの黄昏を実物の往年のスターたちが演じていてスゴイ。
フライトプラン(Flight Plan)2005米 ロベルト・シュヴェンケ(4.23)
    ジョディ・フォスター、P・サースガード、ショーン・ビーン
    犯人だったら怖いと思った人物が犯人だった!
星の旅人たち(The Way)2010米・スペイン エミリオ・エステベス
    (4.24)
    M・シーン,E・エステベス,D・カーラ・アンガー,J・ネスビット
    シーン一家総出のまるでドキュメンタリーのようなフィクション。
ベンジャミン・バトン(The Curious Case of Benjamin Button)’08米 
    D・フィンチャー
    B・ピット,K・ブランシェット,T・スウィントン,T・P・ヘンソン
    主人公、父親、恋人が各様に哀れ。原作S・フィッツジェラルド。
トスカーナの休日(Under the Tuscan Sun)’03米・伊 
    オードリー・ウエルズ(5.26)
    D・レイン、リンゼイ・ダンカン、ラウル・ボヴァ、V・リオッタ
    ハンサムなイタリー男もわけあり風ポーランド男もみんないい人。
やわらかい生活 2006日本 廣木隆一(6.1)
    寺島しのぶ、豊川悦司、松岡俊介、妻夫木聡
    東京の侘びしい田舎で侘びしく暮らしてみるのも悪くないかも。
ミシシッピー・バーニング(Mississippi Burning)1988米 
    アラン・パーカー(6.12)
    J・ハックマン、ウィレム・デフォー、F・マクドーマンド
    公民権運動にまつわる事件を描く作品。ハックマンのための映画。
再会の食卓 2010中国 ワン・チュアンアン(6.20)
    リサ・ルー、リン・フォン、シューツアイゲン、モニカ・モー
    中台分断後40年ぶりに元夫婦が再会。現夫の必死の演技に拍手。
動く標的(The Moving Target)1966米 ジャック・スマイト(6.26)
    P・ニューマン、L・バコール、P・ティフィン、R・ワグナー
    ニューマンのための洒落たハードボイルド。他のキャストも豪華。
歩いても、歩いても 2008日本 是枝裕和(6.29)
    阿部寛、原田芳雄、夏川結衣、you
    黄蝶を長男の魂だと思って追う母親も、それを見る次男も哀れ。
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by nishinayuu | 2013-07-11 21:46 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(2)

『진지한 남자』(공지영,창비)

c0077412_1457171.jpg『まじめな男』(孔枝泳、創批、1999)
作者の孔枝泳は第35回李箱文学賞(2011)を受賞した韓国現代文学を代表する作家の一人。その作品が蓮池薫訳で紹介されたり、映画化されたりして日本でもかなり知られるようになってきたようだ。本作品は『존재는 눈물을 흘린다(存在は涙を流す)』に収録された一編。編集者によると孔枝泳自身が代表作として自選した作品だという。
冒頭の文は、「彼は画家だった。私が20年前初めて彼に会ったとき、彼はその時代の反抗的若者たちの象徴だった黒く染めた軍服を着て、それに合わせた古い軍靴を履いていて、当時長髪の者を拘束していた警察の目を運良く逃れて少しずつ伸ばした長い髪をしていた」となっている(翻訳ではなく逐語訳です)。このあと「彼」は怒れる若者から悩む画家に、そしてふとしたきっかけから売れる絵を描く画家に変貌していく。彼はマスコミにも取り上げられる有名人になり、講演会、バザーなどにかり出されて絵を描く暇もなくなる。ところが思わぬことから世間の非難をあびる身になり、精神的にも肉体的にも衰弱してしまう。彼自身はいつでもどこでも、物事や人々に「まじめに」善良に向き合ってきたのだが。世間から身を隠していた彼が、先輩の忠告を入れて再び芸術家としての自分を取り戻そうとしたとき、またしても彼はいわれのない不運に見舞われ、今度は人々の前から完全に姿を消してしまう。締めくくりの文は、「そう。彼はまじめで情熱的な人間だった。ところで、彼は死んだのだろうか?」となっている。

言葉が厳選されていない、無駄な表現が多い、などの理由から、この作品がなぜ自選代表作なのか疑問だという声も聞く。しかし、それはこの作品をふつうの小説として読もうとするために出てくる疑問ではないだろうか。つまりこれは一般的な小説としてではなく、寓話的物語、もしくは現代の説話として読むべき作品なのだ。「彼」をはじめとする登場人物たちに名前がないこと、細かい人物描写や心理描写は省かれていること、様々な不条理な出来事が「彼」に降りかかること、それらのなかには解決できそうなこともあるのに「彼」がなんの対処もしないこと、同じような場面がそっくり繰り返される(三人の人物が登場してふたりは対立的意見を出し、もう一人は自分の都合のいい方に付く)こと、などは寓話や説話として読めばなんの違和感もない。代表作かどうかはともかく、いろいろ考えさせられる興味深い作品であることは確かだ。(2013.5.4読了)
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by nishinayuu | 2013-07-08 14:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著、岸本佐知子訳、白水社)


c0077412_9115674.jpg『Lighthousekeeping』(Janette Winterson, 2004 )
オレンジだけが果物じゃない』でデビューしたウィンターソンによる八つめの長編小説。
スコットランドの北西の外れ、海図上では北緯58度37・5分、西経5度にあるケープ・ラス(怒りの岬)に灯台ができたのは1828年だった。資金を提供したのはブリストルの大富豪ジョサイア・ダーク、設計・建設を手がけたのはベル・ロック灯台建設で名を馳せた土木技師ロバート・スティーヴンソン。灯台に最初の灯が灯った瞬間、ジョサイアの息子バベルが産声を上げた。
それから140年ほど経った1969年(アポロが月に降り立った年)、この物語の語り手である少女シルバーがケープ・ラス灯台で暮らし始める。1959年に父無し子として生まれ、事故で母親もなくして孤児になったシルバーを、灯台守のピューが引き取ったのだ。ピューは何代にもわたってケープ・ラス灯台の灯台守をしてきた一族の末裔で、目が見えなかったが完璧な灯台守だった。ピューは「灯台守見習い」のシルバーに、灯台の光を守ることと同じように、灯台にまつわる物語を語ることがいかに大切かを教える。どの灯台にも物語があり、船乗りたちは岬の一つ一つを物語で覚えているからだ。ピューは、孤児になった寂しさに泣くシルバーに、「それもまた一つの話だ。自分を物語のように話せば、それもそんなに悪いことじゃなくなる」と言って聞かせる。こうしてシルバーはピューが語る物語を聞き、自分の物語を語ることを覚え、やがて一人で自分の物語を紡ぎ始めることになる。
ピューがシルバーに語って聞かせるのは、ジョサイアの息子バベル・ダークの物語である。1850年に灯台のある街ソルツに牧師としてやって来たダークは、1851年に結婚し、牧師の仕事もきちんと果たしていた。しかし彼には大きな秘密があった。一年の大半はソルツで暮らしていたが、春と秋に1ヶ月ずつ行方をくらまし、その間はブリストルで他の女性と暮らしていたのだ。後年、ダークが50歳だった1878年に灯台を建てた技師の孫であるロバート・ルイス・スティーヴンソンが彼の許を訪れ、彼の二重生活を取材していく。これが『ジキルとハイド』(1886)となってダークのもとに送られてきたとき、ダークはピューに言う。スティーヴンソンは最後まで信じようとしなかったが、実際はブリストルでルクスとして暮らす男がジキルであって、聖職者のダークのほうがハイドなのだと。シルバーが、でもそのときピューはまだいなかったでしょ、と尋ねるとピューは、ケープ・ラスの灯台にはいつだってピューがいるのさ、と答えるのだった。(2013.4.24読了)

☆ケープ・ラスには『ジキル博士とハイド氏』の作家ロバート・スティーヴンソンの祖父によって建てられた灯台が実際にあるそうです。
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by nishinayuu | 2013-07-05 09:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『太陽通り』(トーマス・ブルスィヒ著、浅井晶子訳、三修社)


c0077412_202262.jpg『Am Kürzeren Ende der Sonnenallee』(Thomas Brussig, 1999)
タイトルの直訳は「ゾンネンアレー(太陽通り)のより短い方の端で」。ゾンネンアレーはベルリンの南東部を走る4㎞の大通りで、ドイツが東西に分かれていた時代、末端の60㍍だけが東ドイツに属していた。なぜそんなことになったかを、本書は冒頭の「チャーチルの冷めた葉巻」で語っている。ポツダム会談でこの通りの所有をめぐってトルーマンとスターリンが対立したとき、ふたりの間に入ったチャーチルの葉巻の火が消えているのに気付いたスターリンがすかさず火を点けてやった。するとチャーチルは地図を見ながら通りの端っこをスターリンに与えて決着させた、というものだが、もちろんフィクションである。本書はこのような眉唾物のエピソード、真実もどきのエピソードから成り立っているが、それらのエピソードによって「通りのより短い方の端」に押し込められた人々の暮らしぶりが生き生きと伝わってくる。「退屈」で「救いのない」時代だったはずなのに、振り返ってみれば「おもしろく」「重要」な時代だったと感じた、と作者は言う。思い出は体験を消化し、たとえ悲惨な過去であってもそれとともに生き、しかも幸福になることさえ可能にする、と信じる作者によって書かれた本書は「ベルリンの壁コメディー」なのである。
主な登場人物は15歳のミヒャとその仲間の少年たち――マーリオ、メガネ、デブ、モジャ――と、ミヒャの家族――市電の運転手の父クッピシュ氏、クッピシュ夫人、兄のベルント、姉のザビーネ、西ベルリンに住む伯父さんのハインツなど。彼らはみんな愛すべき滑稽さを見せてくれるのだが、特に愉快なのがクッピシュ夫人。ミヒャをモスクワの大学に入れるという遠大な望みを持っていて、ミヒャをロシア風にミーシャと呼んだり、進学準備コースのある「赤の修道院」にミヒャを入れるために家族にも完璧にふるまうことを求めたりする。ところが西側のパスポートを拾ったとたん、西側への脱出を考えて、化粧や何やらでいきなり20歳も老けてしまう。パスポートの持ち主が20歳年上の女性だったからだ。彼女と同じくらい愉快なのが彼女の兄であるハインツ。東側の人間が西に行くことは非常に難しいのだが、西側に住む伯父さんはわりあい自由に東の親戚を訪ねることができるので、伯父さんはしょっちゅうクッピシュ家にやってくる。そしていつも服や靴におみやげを隠して持ってくるのだが、それらはたいてい隠す必要のない合法の品なのだ。
彼らの周りには常にチクケイ(地区警察)やシュタージ(秘密警察)の姿がちらつくが、最後のほうに、マーリオとその恋人である「実存主義者」の前にゴルバチョフらしき人物が現れてふたりの急場を救う場面がある。壁の崩壊が近いことを匂わせるエピソードである。(2013.4.22読了)
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by nishinayuu | 2013-07-02 20:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)