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『幻のヴァイオリン』(アン・ライス著、浅羽莢子訳、扶桑社)


c0077412_1020998.jpg『Violin』(Anne Rice)
語り手のトリアナは54歳の女性で、少女時代に母がアルコール中毒で死に、結婚して生まれた娘は幼くして癌で死に、そのあとトリアナの親友に慰めを見出した夫は親友と共に去り、愛していた妹は家を出て行ったまま行方がしれない、というつらい経験をしている。そして今また、エイズでなくなった2度目の夫の死がなかなか受け入れられずに苦しんでいる。そんなトリアナのもとに、現代の人間とは思えない風体をした謎のヴァイオリニストが現れる。彼の奏でる音楽はトリアナが封じ込めてきた悲しみ、苦しみを暴き立てると同時に、トリアナがとうの昔にあきらめたヴァイオリニストへの夢をかきたてる。ついにトリアナは彼の手からその素晴らしい音色の名器を奪ってしまうのだが、それによってトリアナは彼の生きていた時代、19世紀末のウイーンへ引きずり込まれてしまう。彼はその名をステファン・ステファノフスキーといい、ウイーンに豪華絢爛たる邸宅を構えるロシア人貴族の息子だったが、おぞましい事件を引き起こしたために悲しみと苦しみに苛まれながら彷徨うことになった哀れな魂だったのだ。

作者が映画「インタビュー・ウイズ・ヴァンパイア」の原作者だということは、今回初めて知った。この作品はヴァンパイアものではないが、きらびやかでおどろおどろしい仕掛けがいっぱいの幻想的な小説である。ただし、主人公のトリアナはなぜか、背の低い小太りのあまり見栄えのしない中年女、ということになっていて、ちょっとずっこける。巻末の「解説」によるとこれは作者が自分の姿をトリアナに投影しているかららしい。どうせなら、トリアナも人間離れした美女にして欲しかった。
☆作者はこの作品を書くに当たって、若き女性ヴァイオリニストのリーラ・ジョセフォウィッツを「私の音」として選び出し、謝辞を捧げているそうです(「解説」の情報)。
☆篠田節子の『ハルモニア』(マガジンハウス)と『カノン』(文藝春秋)は、この作品と共通するものがあるので、この作品と合わせて読むのがお勧めだそうです(同上)。(2012.11.29読了)
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by nishinayuu | 2013-01-30 10:15 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

ㅍで始まる植物の名前


c0077412_1025062.jpg植物の名前を韓国語を見出し語にして並べました。
韓国語名、和名、英語名の順になっています。
(英名なし)の表記があるものは英語名がないことが明らかなもので、英語名があるかないか確認できていないものは空欄にしてあります。

파 ねぎ 葱 Japanese onion/Welsh onion 
파대가리 ひめぐく 姫沙草 (英名なし) 
파드득나물 みつば 三つ葉 Japanese honewort 
파래 あおのり 青海苔 green laver 
파리풀 はえどくそう 蠅毒草 lop seed 
파인애플 パイナップル pineapple
파키라 パキラ pachira
파피루스 パピルス papyrus
팔레놉시스/호접란 こちょうらん 胡蝶蘭 phalaenopsis
팔손이나무 やつで 八つ手 
팥 あずき 小豆 adzuki bean 
패랭이꽃 なでしこ 撫子 pink
패랭이꽃 せきちく 石竹 China pink 
팬지 パンジー pansy
팽나무 えのき 榎木 Japanese hackberry 
페튜니아 ペチュニア petunia
편백/노송나무 ひのき 檜 Japanese cypress 
포도 ぶどう 葡萄 grape
포인세티아  ポインセチア poinsettia
퐁퐁달리아 ポンポンダリア pinnate dahlia 
표고버섯 しいたけ 椎茸 shiitake mushroom 
표주박 ひょうたん 瓢箪 
푸조나무 むくのき 椋の木 (英名なし) 
풍년화 まんさく 満作 witch hazel
프리뮬러 プリムラ primula 
프리지어 フリージア freesia 
플라타너스 プラタナス platanus
플록스 フロックス phlox
피 ひえ 稗 barnyard grass
피라칸타 ピラカンサ pyracantha
피마자 とうごま 唐胡麻 castor bean 
피망 ピーマン sweet pepper/piment 
피스타치오 ピスタチオ pistachio 
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by nishinayuu | 2013-01-27 10:26 | 覚え書き | Trackback | Comments(0)

『즐거운 나의 집』(공지영,푸른숲)


c0077412_1045599.jpg『楽しい我が家』(孔枝泳著)
『맨발로 글목을 돌다(裸足で文章の路地を回る)』で2011年に李箱文学賞を受けた孔枝泳が、2007年に出した作品。李箱文学賞はこの作品を含めた作家活動全般に対して与えられたものであろう。というのも、『맨발로 글목을 돌다』よりこちらのほうがずっと完成度が高く、読み応えのある作品だからだ。
「我が家」の構成員は母親と3人の子ども。母親は名前も顔も世間によく知られている人物であるが、それはベストセラー作家だからでもあり、3回の離婚という韓国社会では非常識とも言える経歴の持ち主だからでもある。長女は大学進学を控えた高校生のウィニョン。長男は自分の世界に閉じこもりがちなドゥンビン。次男はやんちゃ坊主のジェジェ。それぞれ父親が異なるため姓も異なる。夫婦別姓の韓国では子どもは父親の姓になるので、3人は当然母親とも別の姓だ。つまりこの家には4つの姓があるのだ。この複雑な家庭のてんやわんやの日々を、長女のウィニョンが語っていく。
ウィニョンは父親の元で育ったお父さんっ子だったが、9歳のときに父が再婚してから父との間に距離を感じるようになっていった。16歳のとき、父の許から逃げるようにしてE市の祖母の家に身を寄せ、その後祖母の家もあとにして母親の住むB市にやってきた。幼いときに別れた母との、初めてとも言える母娘の生活が始まる。厳格で規律を好む父の家と違って、おおらかでおおざっぱな母の家はしっちゃかめっちゃかだったが、「情」に溢れていた。それは父と母それぞれが育った家の違いでもあった。自分の娘である母を全面的に理解、応援している祖父。会えなくなった幼い孫娘の写真をなで回していたという祖母――このことを知っていたら、思春期をもう少し楽に過ごせたろうに、とウィニョンは思う。
子どもたち3人はそろいもそろって学校嫌い、勉強嫌いで、成績も思わしくない。子どもたちが拾ってきて可愛がっていた子猫が衰弱して死に、不遇のまま病に倒れたドゥンビンの父親も死ぬ。思春期のドゥンビンと反抗期のジェジェはただの子どもから「男の子」になっていく。そんな状況に振り回され、講演旅行も度重なってぼろぼろになりそうな母が、心の支えとなる男性に出会ったことを知って、ウィニョンは心から喜ぶ。母と暮らしたことで、父や継母への心のしこりからも抜け出したウィニョンに、やがて巣立ちのときがやってくる。
☆この作品の「母」は作者がモデルなのですが、語り手を長女にしたことで、「母」が高学歴で美人だという叙述も嫌み無く読めてしまいます(うまい手を考えましたね)。
ところで、母親が子どもに謝るときにただ「ごめんね」というのではなく「엄마가 미안해」とわざわざ「お母さんが」と言ったり、話の終わりに相手の名前を付けたりすることが多く、日本語より呼称の登場する頻度が高いように思われます(統計を取ったわけではないのでただの印象でしかありませんが)。もしかしたらこれは韓国人の言う「情の深さ」の一つの表れでしょうか。(2012.11.26読了)
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by nishinayuu | 2013-01-24 10:05 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『あの空をおぼえている』(ジャネット・リー・ケアリー著、浅尾敦則訳、ポプラ社)


c0077412_937873.jpg妹と一緒にトラックにはねられて自分だけ助かった少年が、妹に宛てて綴る手紙、という形で展開する家族の危機と再生の物語。
語り手のウィルは11歳。10月のはじめのある日、7歳の妹ウェニーといっしょに木工店に向かっていた。カブスカウトのミニカー・レースで優勝するには車に重りを付けないといけない、とパパが言ったので、木工店に行く必要があったのだ。ウェニーは行かなくてもよかったのに、いつもウィルにくっついて遊んでいたので、当然のようにいっしょに行って、いっしょにトラックにはねられた。そのあと起こったことをウィルはよく覚えている。暗いトンネルを抜けて、光のなかに飛び出したら、前の方をウェニーが光の人といっしょに飛んでいた。ウェニーは今も光のなかを楽しく飛び回っているに違いない、とウィルは思う。ウェニーは飛び回るのが好きな女の子だったから。ウィルもウェニーの後を追っていきたかったけれど、パパとママのことを思って引き返した。そして電気ショックで生き返る一瞬前に、ウィルの魂は聞いたのだった。パパの「なぜウェニーだったんだ」と言う声を。
家族のマスコットだった大切な妹を「自分の不注意から死なせてしまった」という思いに苦しむウィルを救ったのは、一冊のノートだった。ジェシー・ジェームズの遠い親戚だからなんでも話していいんだよ、とわけのわからないことを言いながらウィルにノートをくれたのは、教会員のジェームズさん。そのノートにウィルは毎日ウェニーに宛てた手紙を書く――悲しみから抜け出せないパパとママのこと、普通の女の子ではなかったウェニーのこと、新しくできた大食らいの友だちギャラガーのこと、ギャラガーとトンネルを探検したこと、臭いもの好きのイヌのブルウィンクルのこと、ジェームズさんとツリーハウスに上ったこと、3月に赤ちゃんが生まれてくること、ママは少しずつ前向きになっているけれど、パパは心を閉ざしたままなこと……。ウィルは事故のあと10日目から手紙を書き始めて、毎日、時には一日に複数回、手紙を書く。そして147日目の3月2日、ウェニーの誕生祝いをするために入った森で迷子になったウィルを必死で探し出したのはパパだった。父親は息子が妹の死からずっと日にちを数えていたことを知って衝撃と感動を覚え、息子は父の涙と腕の温もりに父の愛情を確信する。そしてウィルはパパも長い間、ウェニーの死の責任は自分にある、という思いに苦しんでいたことを知ったのだった。(2012.11.18読了)
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by nishinayuu | 2013-01-21 09:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『A Season of Gifts』(Richard Peck, Penguin)


c0077412_15133029.jpg『贈り物の季節』(リチャード・ペック著、ペンギン)
『A long Way from Chicago』『A Year Down Yonder』に続くダウドゥルおばあちゃんシリーズの3冊目で、時は1958年。ジョーイが9歳、メアリ・アリスが7歳だった1929年にすでにかなりの歳だったおばあちゃんがいったい何歳なのか判然としないが、とにかくとなりに引っ越してきた子どもたちには「町よりも年をとっている」ように見えた。家もあちこちガタが来ていてまるで幽霊屋敷であるが、そこの住人は幽霊にしては存在感がありすぎるのだった。
となりに引っ越してきたのはバーンハーツ一家。きまじめなメソジスト派の牧師の父親、良妻賢母の母親、おとしごろの長女フィリス、ちょっと気弱な長男ボブ、幽霊は信じてもサンタクロースは信じていない末っ子ルース・アン、という構成で、語り手は長男のボブ。すでにほかの教会がある町へ乗り込んできた形の一家には、さまざまな苦難が降りかかる。教会員が集まらないので一家の生活は苦しい。人びとは好奇の目で見るだけで手をさしのべてはくれない。そんななかでまずボブが、不良少年たちの凄まじいいじめの洗礼を受ける。そして半死半生に近い状態で、しかも素っ裸で放置されていたのをおばあちゃんに助けてもらったため、以後ボブはおばあちゃんに頭が上がらなくなる。それをいいことに?おばあちゃんは力仕事や雑用を当然のようにボブにやらせるようになる。ところがおばちゃんに捕まったのはボブだけではなかった。おばあちゃんの庭に惹きつけられて、親からとめられているにもかかわらず隣家との境を越えてしまったルース・アンは、いつの間にかおばあちゃんの弟子になっていっしょに動き回っているし、ルース・アンをひきとめていたはずの母親までが、いつの間にかおばあちゃんと同盟を結んでいるのだ。家族がどんどんおばあちゃんのペースに巻き込まれ、感謝祭の準備、続いてクリスマスの準備のために畑の世話や料理に追われる。こうしてこき使われた一年が終わろうという頃になって、ボブは初めて気がつくのだ。自分たちの家族も町の人びとも、おばあちゃんから大きな贈り物をもらっていたのだと。(2012.11.16読了)
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by nishinayuu | 2013-01-18 15:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『拉致と決断』(蓮池薫著、新潮社)


c0077412_11233614.jpg拉致被害者の一人である著者が、帰国から10年にしてやっと北朝鮮での24年間を語り、拉致被害者としての心情を語った書。24年という歳月を語るには10年という歳月が必要だったということに、まず感銘を受ける。この点について著者は次のように述べている。
「なによりも日本に残るという決断が正しかったという確信が必要だった。(中略)ほかの拉致被害者たちの帰国を実現する上で、いったい私がどうすることが適切なのか、つまり私がこのようなものを書くことが問題解決に有益なのかを判断する必要もあった。さらには、私自身が北朝鮮での生活を、むき出しの感情や感傷からだけではなく、一定の距離を置いて冷静に振り返ることのできる、心の余裕も不可欠だった。」
このことばでわかるように、著者は深謀遠慮の人である。自分の喜怒哀楽、そのときどきの自分の考えはかなり突っ込んで語っているが、妻や子どもたち、日本の家族の言動については控えめな記述しかしていないし、一緒に帰国したほかの拉致被害者の言動については何も語っていない。もちろん彼らの心情を代弁することもしていない。これが、著者の日本語の確かさと共に、この書を信頼できるものにしている。

本書には拉致当初の恐怖と絶望の時期に始まり、人間らしく暮らそうと心を決め、日本人ということを子どもたちにも隠して暮らした諦念と苦悩の時期を経て、降って湧いた帰国の話がついに実現した時期とその後までが、25章にわたって綴られている。「このまま死ぬわけにはいかない」「招待所の丘の向こうには、柏崎の海があるような気がしてならなかった」「自分がこんなにも反日的な国に拉致されたという事実に戦慄した」などの拉致被害者としての思い、飢えや物資不足の中で特別待遇を受ける立場の者としての思い、国際試合や金正日の死に際して取るべき態度に苦慮する偽装者の思いなど、読むだけでも苦しい諸々の事柄が冷静沈着な筆で書き進められているのである。が、それだけではない。著者の接した招待所の人びと、外で出会った人びとについても多くのページが割かれている。本書を著すにあたって著者は「決して楽に暮らしているとは言えないかの地の民衆について、日本の多くの人たちに知ってほしいという気持ちもあった」と述べている。すなわち「彼らは私たちの敵でもなく、憎悪の対称でもない。問題は拉致を指令し、それを実行した人たちにある。それをしっかりと区別することは、今後の拉致問題解決や日朝関係にも必要なことと考える」というのである。こうした著者の思いがしっかりと伝わってくる、ぜひ多くの人に読んでもらいたい本である。さらに言えば、時期を見て続編を出してくれることを期待したい。(2012.11.11読了)

☆個人的な収穫その1――日本でもおなじみの凄みのある声の女性アナウンサーは李春姫(リ・チュンヒ)という名前でした。
個人的な収穫その2――彼の地では合掌は宗教的なタブーも同然。しかも抗日パルチザンに捕まった日本兵が命乞いをするときの定番の動作なのだとか。著者によると、「拉致直後に早く日本に返してくれ、という意味で手を合わせたら、相手は嘲りの混じったまなざしで私を見た」そうです。
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by nishinayuu | 2013-01-15 11:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

私の10冊(2012年)

c0077412_11164786.jpg☆この1年に読んだ本の中から特に気に入った本を選んで、「私の10冊」としてまとめてみました。また、「私の10冊」の選から漏れた本を「お勧めの10冊」として挙げてみました。
☆ブログにup済みのものにはリンクをつけました。なお、画像は『アルヴァとイルヴァ』の表紙です。

私の10冊 
 逃れの森の魔女(ドナ・ジョー・ナポリ、訳:金原瑞人・久慈美貴、青山出版社)
 蕪村へのタイムトンネル(司修、朝日新聞社)
 雪男たちの国(ノーマン・ロック、訳:柴田元幸、河出書房新社)
 マレンカ(イリーナ・コルシュノフ、訳:酒寄進一、ベネッセ)
 A Patchwork Planet(Anne Tyler、 Ballantine Books)
 無伴奏組曲(アラン・ジョミ、訳:松本百合子、アーティスト・ハウス)
 ボルドーの義兄(多和田葉子、講談社)
 アルヴァとイルヴァ(エドワード・ケアリー、訳:古屋美登里、文藝春秋社)
 窓辺の疑惑(ジョーン・ラ・ガリット、訳:島津智、PHP)
 The Secret Scripture(Sebastian Barry、Penguin)
 

お勧めの10冊 
 オリクスとクレイク(マーガレット・アトウッド、訳:畔上和代、早川書房)
 真昼のふくろう(レオナルド・シャーシャ、訳:竹山博英、朝日新聞社)
 この素晴らしき世界(ペトル・ヤルホフスキー、訳:千野榮一ほか、集英社)
 たった一つの父の宝物(アンドレイ・マキーヌ、訳:白井成雄、作品社)
 スターバト・マーテル(ティツィアーノ・スカルパ、訳:中山エツコ、河出書房新社)
 어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고(신경숙、문학동네)
 拉致と決断(蓮池薫、新潮社)
 즐거운 나의 집(공지영、푸른숲)
 めぐりめぐる月(シャロン・クリーチ、訳:浅羽莢子、扶桑社)
 あらゆる名前(ジョゼ・サラマーゴ、訳:星野祐子、彩流社)
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by nishinayuu | 2013-01-12 11:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『悲しみの鶸 下』(アンナ・マリア・オルテーゼ著、村松真理子訳、白水社)

c0077412_1085812.jpg『Il cardillo addolorato』(Anna Maria Ortese)
この本の体裁上の特徴の一つは目次の綿密さであるが、内容に関する特徴としては全編に死の影が漂っていることが挙げられる。始めのほうに象徴的な鶸の死があり、次いで幼い子どもたちの謎めいた死が度重なり、青年も壮年も死んでいく。だからといって救いのない暗い物語、というわけではない。作中の人物たちは人知では量りしれない大きな流れの中で生きているのだ。
もう一つ印象的なのは登場人物が複雑に入り組んでいることと、それらの人物の呼称がめまぐるしく変わることである。ネヴィルが「王子」だったりイングマールだったりするのはまあいいとして、「荷運びの少年」はその時々でリロ、ジェロンテ、ジェロンティーノ、ジェロ、果ては「仔山羊」と呼び分けられ、「公証人」はこの職名の他に本名のドン・リボリオ・アッパレンテで呼ばれたり、単にアッパレンテ(見せかけ)と揶揄的に呼ばれたり、ペンナルーロ(ペンの男)と通称で呼ばれたりする。登場人物のほとんどに複数の呼称があるのでややこしいことこの上ない。まあ、慣れればどうということもないのだが。
下巻の目次は以下の通り。

第4章の続き 情景が一変する/荷運びの少年/ササ、ひっかかれる/二人の友がまた長い段だら坂をゆく/その家での出来事に関する推理/屋根に光が差し、「ハト」が再び飛ぶ/意味深い沈黙
第5章 王子と小悪魔
「大階段」の頂にある家 再びペンナルーロが登場する/第二のジェロンテについてうがった推測/不思議な祭列/「小さな」エルミナとドン・マリアーノの似姿/仔山羊のたくらみ/地下の民、それは単なるたわごとか、それとも歴史家たちが言及しない面倒な事実なのか?/アルフォンスの冗談と「公証人」のきまじめ/再び鐘の音が聞こえる/控えの間での驚き/美しい小像と公爵からの「小さな」イングマールへの便り/カゼルタへ!カゼルタへ!/ずいぶんとご機嫌の公爵と大いにしおれたお道化者/クラクフの「水晶」が再び取り出され、ナポリのある邸の様子を探る/公爵による種明かしが続く/王子、ご用心!恐怖にかられるイングマール/誰にも正体のしれないケプヒェンなる者について再び語られる/王子の受難と、彼の新たな(ほとんどまともな)考え/さらなる動揺/テレゼッラが水晶玉に登場する/逃げていく「荷運びの少年」と警察の回し者をからかう小歌/エルミナの苦悩/夜中の(絶望の)会話/ぼんやりとした王子と、「小さな家」を襲うある担保に関する思いがけぬ脅威/青い夜空/ただし世界の新しい変革を試みる心をもう信じてはいない空模様
第6章 死者たち
11月/ドンナ・ブリジッタとドン・マリアーノが再び登場する/墓の間に響くいくつもの声と戯れ/失望の会話/マダム・ペコ/王子が「インマリーノ氏」なる者と取り違えられる/手袋職人のもらい子たちに関する、白熱のやり取り/そして山ほどの(無益な)質問と不確かな答え/傷ついたリロ/ササの嘘/目前の悲劇/リロと長い「段だら坂」の上に日が翳る/ある家庭の問題/鍵でとじこめられた者たち!/多くのことがあらわにされ、公爵の取りなしで、三度目の結婚申し込みがなされる/エルミナの鶸への宣言(それとも懇願?)と「荷運びの少年」に対するノディエの最初の仕打ち
第7章 母なるヘルマ
王子のリエージュへの帰還と、ドンナ/エルミナとその弟についてはっきりした消息のない彼のさみしさ/冬の日の束の間の幻影/彼は愛する女を「母なるヘルマ」と呼ぶことにする/ペンナルーロによる真実についての驚くべき(かつ中傷に満ちた)種明かしと、H・Kとその姉のケルンへの逃避に彼らの「信じ難い落ちぶれ樣」/王子は再び彼らを救おうと決心する/ナポリからの新たな手紙とある銀行員の証言/ペンナルーロの大はばな取り消し/小さなヒエロニムスと忠実なエルミナの最期の日々が明らかにされる/ある三月の夜とある王の近衛兵について/荒涼たるリエージュの邸/「馬は厩舎に連れ帰れ、永遠に!」と王子が叫ぶ/王子殿下に、ナポリからのヒワなる者の来訪が告げられる

最後まで読んでも結局「悲しみの鶸」とは何なのかはっきりしない。訳者も「いくつもの鍵は作中にちりばめられているものの、このタイトルに何を読み取るか、それも一切それぞれの読者にゆだねられているのだろう。この不思議なトリが、ある日われわれを訪れてくれる日まで、この謎は解けないのかもしれない」と言っている。なるほど!(2012.11.8読了)
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by nishinayuu | 2013-01-09 10:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『オリンポスの果実』(田中英光著、新潮社)


c0077412_9504664.jpg著者は1913年生まれの作家で、1949年11月に三鷹市禅林寺にある太宰治の墓の前で後追い自殺をしたことで知られる。この作品は1932年の第10回ロサンゼルスオリンピックに早大漕艇部の一員として参加した体験をもとにしたもので、主人公・坂本のモデルは田中自身、熊本秋子のモデルは走り高飛びの選手・相良八重。坂本は大男だったのと、選手団にもう一人坂本がいたことから、区別するために大坂(ダイバン)というあだ名で呼ばれている。
横浜港からロサンゼルスまで、ロサンゼルス滞在中、そして横浜へ帰港するまでの、単調でもありめまぐるしくもある日々が綴られている。印象的なのはまず、漕艇選手団の中の「いじめ」の構図である。体育会系の常というか、先輩による後輩への「いじめ」はじつに執拗でいやらしく、この作品の主題は「いじめ」ではないかと思うほどだ。もう一つ印象的なのは坂本の優柔不断で潔くない人柄で、坂本は秋子に惹かれていながら自分の気持ちをきちんと伝えることをしない。そのくせ秋子がこちらを無視しているように思えると面白くなく、逆に秋子が少し積極的な態度を見せると嫌悪感を抱いたりする。そして秋子の脚に産毛が生えているのを見ると、それをいやらしいと感じ、「男は隙だらけになった女のあらが丸見えになり、女が鼻につくそうです」などと言ってその場を逃げ出したりする。坂本はかなり陰険でうじうじしているのだ。極めつけは、自分から秋子に愛を告白するどころか、「あなたはぼくが好きですか」と心の中や手紙の中で何度も相手に聞いていることだ。大男だけれど気は優しくて、なによりも素直なのだ、と好意的な見方をすべきかもしれないが。
帰国後、坂本は兄の指導のもとで本格的な左翼運動に走っていく。母を捨てて地下に潜って工場へ、そこでストライキで捕まって転向、という「ヤンガア・ジェネレエション一通りの経過を経て」、オリンピックのよく翌年の春には狂熱的な文学青年になる。その後戦地で、「覚悟を決めた月光も明るいある晩のこと、ふとあなたへの手紙を書きましたが、やはり返事は来ませんでした。あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか」と書いた坂本には文学青年の憂愁が漂っていて、さすがにほろりとさせられる。(2012.11.4読了)
☆この作品は青空文庫で読みました。青空文庫の底本は新潮文庫(1951年発行、1991年52刷り改版)だそうです。
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by nishinayuu | 2013-01-06 09:52 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『悲しみの鶸 上』(アンナ・マリア・オルテーゼ著、村松真理子訳、白水社)

c0077412_10205984.jpg『Il cardillo addolorato』(Anna Maria Ortese)
物語の舞台は18世紀末、ナポリ・ブルボン家の統治する王国の首都であるナポリ。1799年のナポリ革命の前後という時代を背景にして、壮大で複雑で不可思議な物語が展開する。ストーリーも文体も凝りに凝っている上に翻訳という薄い膜もかかっているため、靄か霧を通して眺める幻想の世界のようでもある。人物や場面の描写は綿密であるが、さまざまな人物がそれぞれの視点から語るため、真実がどこにあるのか定かではない。そもそも「鶸」やら「悲しみ」やらが何を意味しているのかはっきりわからないのだが、この答えは下巻で明らかにされるものと期待しよう。原書でも同じなのかはわからないが、この本の特徴の一つは目次がめったやたらに詳細なこと。内容を思い出すためのよすがとしてここに記しておく。

第1章ベレロポンテースと友人たちの太陽をめざす陽気な旅
三人の友/手袋職人の娘/結婚の申し込み/デュプレを救うために取り返された求婚の手紙/いつわりの出現/五月 ヴァンヴィテッリの朗らかな噴水とやや不躾な侯爵/受諾された申し込みと幸福な新郎/試される友情/交渉/丸い額の養女/ネヴィルが出発するが、戦いは終わらない/エルミナの失神/再び鶸について話される/伝言の背景の王子の苦悩が明らかにされ、われわれはある幼年時代の遠い事件に関する禁じられた謎解きに立ち会う/エルミナの絶望/アルベールが無分別な王子に決闘を挑む(と宣言する)ただし、何事もなされない/エルミナの崇高なる「説明」の効果と、カゼルタにもたらされたその良い結果/王子のぼんやりした悲しみと、ペンナルーロとの出会い/気の毒な手袋職人/墓石の上に現れては消えるいくつかの名前、そのうちの一つ、ヒエロニムス・ケプヒェン(またはベッレッティーノ)/ネヴィルは神の平安を再び見出す/「小さな家」/新郎新婦のための新たな財産/ナポリと、その町を愛する王子の魂に、雨が降る/「ああ、ぼくをすぐに忘れないで、ぼくの大事なひと!」/陽気な旅の結果/ネヴィルはリエージュの邸に戻る/「もしヒワが私を訪ねてきたら、通すように」

第2章 ババについての短い物語(「悦び」)
新郎新婦、再び金持ちになる/ドン・マリアーノの衰えと、彼が手放さぬある厚紙の箱/イングマールはナポリから「雌山羊」とその妹テレーザ連名の手紙を受け取る/ババの誕生/「小さな家」の大きな悦びとエルミナの胸に新たに秘められた小さな秘密(ノディエの一連の手紙より)/公爵も商人と同じ意見である/すっかり修繕の済んだ水晶玉の効果/アリ・ババの衰弱と、水晶玉の映す聖アントニオ街の小さな庭の様子/思いがけなく、平穏が聖アントニオ街に戻る/ネヴィルは安心し、ほかの冒険の数々の後、ナポリと自らの青春を忘却する
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by nishinayuu | 2013-01-03 10:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)