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『青の物語』(マルグリット・ユルスナール著、吉田可南子訳、白水社)


c0077412_9394093.jpg『Conte bleu』(Marguerite Yourcenar)
歴史小説『ハドリアヌス帝の回想』などで知られる著者の若い頃の作品3編を収録した短編集。1987年に著者が亡くなったあと、残されていた作品をまとめたもので、いずれも20代後半に書かれたものだという。
『青の物語』――船は青い海を渡り、帆は藍色の影を投げかけ、水先案内人は青い頤を撫でる。とある岸辺の青みがかった筋の走る大理石の上を、商人たちは微妙な青さの影を後ろに引きながら歩む。寺院の丸屋根には青い色で書かれた銘がふるえ、トルコ石が微かな音を立てて落ちてくる絨毯の色は褪せた青で、空はセイレーンの尾のように青く、山々はケンタウロスの青くて毛足の短い尻のふくらみに似ている。冒頭の20行足らずの間にこれだけびっしりと青が詰まった青い世界の物語。
登場するのは商人たちと宮殿の女たち、ヌビア人の男(この男だけは黒い)、商人たちの取引相手、そして女乞食。商人たちの出身地はギリシア、オランダ、イタリア、トゥール(フランス)、カスティーリャ(スペイン)、アイルランド、バーゼル(ドイツ)とさまざまで、洞窟で青いサファイアを手に入れた彼らがそのあと辿った運命もさまざまである。
『初めての夜』――レマン湖のほとりのモントルーに新婚旅行に出かけた男女の物語。解説によると、もともとは著者の父であるミシェル・クレイヤンクールが書いたものを、娘に練習として書きあらためるよう勧めた結果できあがった作品だという。さらに解説は、「女となったときには凡庸な人間となるべく運命づけられているこの若い娘」という男の視点の中に、「魅力を失い、性格が歪み、結婚生活のあらゆる卑小なことへと貶められてゆく」のを絶対に避けよう、という著者の決意がこだましており、著者はそういう人生を貫いた、とも言う。それだからか、二人の主要人物は、ごく平凡で素直な女性と、知的で思索的な男性にくっきりと描き分けられており、話は主として男性の視点で展開していく。それはそれとして、次のくだりは、男女どちらの思いもよく理解できて興味深い。
日が暮れようとしていた。はっきり見分けられるのは、線路際に立てられた踏切番の小さな家だけだった。彼女はどんな家を見ても、彼女と彼はそこで幸福に暮らせるだろうと思わずにいられなかった。/彼の方は(中略)これらの家に住む人びとは、急行列車の乗客を羨ましいとは思わないのだろうか、と考えていた。彼らはある晩、その急行列車に乗るという誘惑に負けはしないのだろうか、と。
『呪い』――時代は魔術や魔女が生きていた頃。所はフランスの片田舎。死の病に冒された美しい娘アマンドを村の女たちが取り囲んでいる。厄払いをよくするカタネオ・デーグが呼ばれていた。アマンドの着ていたものが沸き立った湯の中に投じられる。その鍋をのぞき込めば、アマンドに呪いをかけた者が見えるはずだった。アマンダが沸き立った湯をのぞき込んだとき、アルジェナールが叫んだ。「わたしじゃない」と。25歳の若者アンベールの愛を取り合っていたアマンダとアルジェナールだったが、アンベールが選んだのはアマンダだった。だからアマンダはアルジェナールを恨んではいなかった。自分のほうが幸せだった、と思いながらアマンダは力尽きて死ぬ。そのときカタネオ・デーグが「どんな儀式を使って呪ったのか」とアルジェナールに迫る。しかし彼女はどんな儀式も使っていなかった。ただ呪ったのだ。ピエモンテ地方から来た亡命者の娘で、下女のように使われていたアルジェナール。魔女に変身した彼女が夜の空を振り仰いだとき、「星々は彼女に向かって、うち震える大きな線で、魔女のアルファベットの大きな文字を描いた。」と、物語は幻想的に締めくくられる。(2012.5.2読了)
☆「魔女のアルファベット」とはルーン文字、テーベ文字などのことで、魔術や魔女好きの人には常識らしいが、nishinaは「はじめて知った今知った」のでした。
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by nishinayuu | 2012-06-27 09:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『朝鮮語のすすめ』(渡辺吉鎔+鈴木孝夫-著、講談社現代新書)


c0077412_17393826.jpgずいぶん古い本だし、「すすめ」られなくてももうやっているし、と思いつつ、一頃愛読した鈴木孝夫と、有名だけれども今まで読む機会のなかった渡辺吉鎔の共著とあれば、目を通しても損はあるまいと思って読んでみた。第1章を鈴木孝夫、第2章から第5章までを渡辺吉鎔が担当している。
第1章は比較言語学の大家である著者が、初心者の初々しさで朝鮮語を学ぶ楽しさを語っていて好感が持てる。「しりとり」や「何は何だ」といった遊びの紹介も、朝鮮語に興味を持たせるにはいいテーマだと思う。ただし、「しりとり」は実際にやってみるとかなり難しく、掲げられている例の場合も、ミヨックのあとをどう続けるのかが問題だ。「ヨック」で始まる単語にするのか、「k」音で行くのか、どちらでもいいのか、いまだにわからない。多分、母音を含めた「ヨック」で続けるのだとは思うが、とにかく語彙が少ない初級や中級ではすぐに詰まってしまう高度な遊びである。
本書で最も興味深かったのが第3章の「日本語の特色と朝鮮語」である。助詞の省略、主語なし文、いいきらない表現、などの朝鮮語と日本語に共通する特色を挙げ、朝鮮語を知らない学者たちが欧米諸国の言語との比較だけをもとに、日本語は特殊な言語である、という結論を引き出しているのは誤りであると指摘する。さらに、それらの特色を日本人の性格や人間関係、美意識と結びつけることの非合理性、もしくは滑稽さも指摘する。朝鮮語と日本語は同じ言語現象を持っているが、だからといって同じ言語観を持っているわけではないことを、著者はさまざまな例を挙げて説く。そして、「主語なし文を美学とか美意識に結びつけようとする心情が、非常に日本的な言語観のように映り、興味深い」と言う。そしてこの章は次のような「日本語論への警鐘」のことばで締めくくられている。
「日本人がことばを通じて自分を見つめようとするならば、朝鮮語は必要不可欠で最適なモノサシである。このモノサシなしで、日本文化・日本人の特色を測ることを試みれば、欧米語との違いを日本語の特色と誤認し、その日本語の特色を日本文化の特質と無理やり関連づける、従来の日本語論の轍を踏むことは避け得ない。その結果、歪んだ自国語論・自国文化論から抜け出ることができないのはあきらかである」(2012.5.1読了)
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by nishinayuu | 2012-06-24 17:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『頭のうちどころが悪かった熊の話』(安東みきえ著、理論社)

c0077412_21435857.jpg読書会「かんあおい」2012年5月の課題図書。
装丁・挿絵(下和田サチヨ)の雰囲気と文字の大きさなどから、一見したところでは幼児から小学校低学年向けの本に見えるが、奇抜なことば遊びや意味深な話がいっぱい盛り込まれており、生意気盛りの少年少女でも、人生経験を積んだ中高年でも、それぞれがそれなりに楽しめそうな作品である。全体は7つのエピソードからなり、それぞれのエピソードには中心となる動物、鳥、虫などがいて、独立した一つの話として読むこともできる。ところどころに「旅人」が登場して、全体を緩く繋ぐ役目を果たしている。
「頭のうちどころが悪かった熊」――熊はレディベアが誰なのか思い出せない。どこかで頭を打ったらしいのだ。陸亀とクマバチ、毛虫に尋ねて回る。黒くて毛だらけで4本脚らしいとわかって、黒い毛織りのクッションを載せたゆり椅子に座ってみる。ゆり椅子は恐怖で熊を放り出す。そこにレディベアが現れて、どこに行ってたのさ、とパーンと熊の頭を後ろからはたく。
「いただきます」――旅人が動物たちの嘆きを順に聞かされる。トラはキツネを食べた罪深さを嘆き、キツネはニワトリを、ニワトリはトカゲを、トカゲはクモを、クモは金バエを食べた罪深さを嘆く。ぐるぐるまわりだったんだね、と旅人はトラに言って、パンを分け与えてやる。トラの目には涙があふれ、そして口には涎があふれる。パンではもの足りないトラの目の前には旅人が……。
「ヘビの恩返し」――父さんヘビが子どものヘビに、カコの実を食べると過去のことしか考えられなくなるから食べてはいけない、と言ったそばから自分がカコの実を食べてしまう。子ヘビが卵の飲み込み方を聞いても父さんヘビは、手があいたら教えてやる、というばかり。子ヘビは、もう父さんにはお手あげさ、と思う(どちらも手なんかないのに)。そのうち親子げんかになり、父さんヘビは子ヘビを呑み込んでしまう。そこへトラが通りかかって、父さんヘビの口からのぞいている子ヘビのしっぽを引っ張って出してやる。ところが子ヘビが父さんヘビのしっぽをつかんでいたので、父さんヘビは裏返しになってしまい……
「ないものねだりのカラス」――木の枝と枝が作った白い隙間を見て、シラサギだ!と思ったカラスの話。
「池の中の王様」――100匹兄弟の一人であるオタマジャクシの〈ハテ?〉は1/100であることに満足せず、親のようになりたいとも思わなかった。やがてハテはヤゴと友だちになり、二人は、離れていても、どんなに姿を変えても、お互いに相手を見つけられる、友だちってそういうもんさ、と言い合って暮らす。そしてある日、ハテはなりたくなかった父親と同じ姿になっている自分を発見し、ヤゴはヤゴで……。
「りっぱな牡鹿」――牡鹿の名はホーイチ(この名に注意!)。森のみんなの悩みを聞いてやっている。アライグマが潔癖症の悩みを相談にきて「パンを洗ってしまうのだけれど、洗ってしまったら意味がなくなる」というのを聞いて、なにかがツノにひっかかった(鹿なので)。ダチョウが、飛べないのに鳥でいることに何の意味があるの、と聞いてきたとき、ホーイチはひっかかっていたものの正体に気づいて爆発する。生きていくのに意味なんてない、生きていくだけで充分なんだ、これからは意味のあることはいっさいしない、と決心したホーイチは……。
「お客さまはお月さま」――〈頭のうちどころが悪かった熊〉の親友で、不眠症の月の輪熊の話。風がびょうびょう吹く寒い夜、月の輪熊が空を見上げると三日月がついてくる。ずっとついてきてほしいなあ、というと、月は洞穴の家までついてきて、いっしょに家の中に入ってくる。きみの胸にぼくがいる。ぼくたちは兄弟かもしれない、と言って。さてそれから……。(2012.4.29読了)
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by nishinayuu | 2012-06-21 21:44 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『この素晴らしき世界』(ペトル・ヤルホンスキー著、千野榮一・保川亜矢子・千野花江-共訳、集英社)


c0077412_10104572.jpg『Musíme si pomáhat』(Petr Jarchovský)
第二次世界大戦下、ナチスに占領されたチェコの小さな町を舞台に繰り広げられる人間ドラマ。
1943年のある昼下がり、ヨゼフ・チージェクは隣家の子どもたちの甲高い声で眠りから引きはがされる。病人の世話をしている修道女のようにそっと歩いている妻(マリエ・チーシュコヴァー。35歳くらい)に、いらいらをぶつけるが、彼は妻に子どもを授けてやれない自分にもいらだっているのだ。そこへホルスト・ブロハスカが、いつものようにソーセージやコーヒーなどの貢ぎ物を持って現れる。「半分チェコ人」のブロハスカは、保護領下に入って以来、かつての上司であるチージェクに反ナチス的な言動はないかと、監視を兼ねて足繁くやって来る。彼が、隙あらばマリエをものにしようとしていることを、夫婦のどちらも知っている。この日、ブロハスカは向かいの家に明日、ドイツの退役軍人一家が入居するという情報をもたらす。その夜、チージェクはかつてユダヤ人のヴィーネル一家が住んでいた向かいの家に忍び込む。かつての上司だったヴィーネルの家にはチージェクが手がけた秘密の金庫があった。チージェクは新しい住人が来る前に、ヴィーネル家の財産を確保しようと考えたのだ。チージェクがその作業をしているとき、家の中に潜んでいた青年と出くわした。ヴィーネル家の親戚のダヴィトだった。チージェクはダヴィトを家に連れてくる。幸いチージェク家のクロゼットの裏に隠し部屋があった。長さ3メートル、幅1メートルのこの狭い空間に、チージェクとマリエはユダヤ人のダヴィトを匿うことにしたのだった。

読み始めてすぐ、なんだか舞台劇を見ているような、あるいはシナリオを読んでいるような、と思ったのだが、読後に作者紹介やあとがきを見て納得した。作者のペトル・ヤルホスキーは音楽映画アカデミーの映画・テレビ学部を卒業し、映画の脚本家として知られているという。どうりで台詞とト書きからなるシナリオのような書き方になっているわけだ。緊張感溢れる展開の随所に笑いどころも盛り込んであり、観客サービス満点の作品といえる。この作品は後に映画化されたという。(2012.4.27読了)
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by nishinayuu | 2012-06-18 10:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

大山守の命 その2


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☆『古事記』応神天皇―大山守の命 その1の続きです。
☆画像はまゆみの木。



ここで、川辺に隠れていた兵達があちこちからいっせいに立ち上がって、矢で脅して兄の王子を川下に追い流した。大山守の命はかわらの岬まで来て、そのまま沈んでしまったのだよ。王子が沈んだところを鈎で探ったところ、鈎が王子の着ていた鎧に引っかかって「カワラ」と音がした。それでその場所を名付けてかわらの前(岬)と言うのだ。死体を水から引き上げたとき、弟の王子が歌った。

ちはやひと(注) 宇治の渡に
渡瀬(わたりぜ)に 立てる 梓弓(あづさゆみ) 檀(まゆみ)
いきらんと 心はもへど いとらんと 心はもへど
本へは 君を思ひ出 末へは 妹を思ひ出
いらけなく そこに思ひ出 かなしけく ここに思ひ出
いきらずぞ来る あづさゆみ 檀

(宇治の渡し場の浅瀬に生えているまゆみの木、伐ってしまおうと心では思うけれども、処分してしまおうと心では思うけれども、木の根元を見れば父君を思い浮かべ、梢を見れば妃を思い浮かべ、胸苦しく、悲しい気持ちであれこれ思い惑って、伐ることができずに帰ってきたよ)

そののち、大雀の命と宇遲のわき郎子は互いに皇位を譲り合っていた。ところが宇遲のわき郎子が早く亡くなったので、大雀の命が天皇になって天下を治めたのだよ。
(注)「ちはやひと」は宇治の枕詞


이에 강변에 매복하고 있던 장병들이 여기저기서 일제히 일어나서 화살로 위협하면서 형 왕자를 하류로 쫓아보냈다. 오오야마모리-미코토는 카와라-곶에 당도하다가 그냥 물속으로 빠져버렸단다. 그가 빠진 곳을 갈고랑이로 살펴봤더니, 갈고랑이가 그가 입던 갑옷에 걸려 ‘카와라’며 소리를 냈다. 그래서 그곳을 이름하여 카와라-사키(곶) 라고 한다. 물속에서 그의 시신을 끌어올릴 때 아우 왕자가 노래하기를,

치하야히토(注) 우지-나루터
얕은 곳에 서있는 아즈사유미 참빗살나무
그 참빗살나무를 깎으려고 했는데 잘라 내려고 마음을 먹었는데
뿌리를 보면 아바마마가 끝을 보면 왕비가 눈앞에 떠오르니
답답하고 슬퍼서 깎이지는 못하고 그대로 돌아왔네
아즈사유미 참빗살나무


그 후 오오사자키-미코토와 우지노와키이라츠코는 서로 황위를 양보하면서 날을 보냈다. 그런데 우지노와키이라츠코가 일찍 돌아가셨기 때문에 오오사자키-미코토가 황위를 계승하고 천하를 다스렸단다.
(注) [우지]를 꺼내기 위해 쓰인 말.
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by nishinayuu | 2012-06-15 09:18 | 再話 | Trackback | Comments(0)

『A Patchwork Planet』(Anne Tyler著、 Ballantine Books)


c0077412_13205512.jpg物語の舞台はアン・タイラー作品の定番の舞台であるバルティモア。登場人物は、これもアン・タイラー作品では定番といえる、富や名声とは縁のない世界の人びとである。
物語は主人公のバーナビーとソフィアがフィラデルフィア行きの列車に乗り合わせる場面から始まる。発車間際にある男が、フィラデルフィア駅で待っている娘に忘れ物のパスポートを渡してくれ、と居合わせた女性に頼みこむ。車中でバーナビーはその女性を観察する。上品できちんとしていて、確かに信頼できそうな女性である。我が身を振り返ってバーナビーは、男が自分を選ばなかったのは当然だと納得する。もうすぐ30歳の誕生日を迎えるバーナビーは、結婚して娘をもうけたが離婚しており、住まいは賃貸住宅、仕事は「何でも屋」の職員、という世間的にはなんの信用もない男である。この日は彼が月に一度、9歳の娘と過ごすことを許されている日だったのだが、約束の時間に遅れたため元妻から「もう来るな」と言われてしまう。
バーナビーの雇い主ミセス・ディブルは自分の親を見送った経験から「何でも屋」をはじめた女性で、ある店でバイトをしていたバーナビーを今の仕事に引き込んだ。バーナビーの哲学的雰囲気(彼女のことばによるとIt was very Zen of you)が気に入ったのだという。仕事先は主に老人たちの家で、買い物、掃除、修繕、片付など、それこそ「何でも」やるし、時間も早朝から深夜まで、顧客の要請があればいつでも駆けつける。その顧客にソフィアの叔母が加わる。列車に乗り合わせて以来、少しずつ近づいていたソフィアとバーナビーの距離が一挙に縮まる。やがて彼女との将来を考えるようになったバーナビーは、彼女をまず母方の祖父母に紹介する。彼らは全面的にバーナビーの味方だからだ。それから実家の両親や兄の一家にも会わせる。美人で何事も優雅に完璧にこなすソフィアのおかげで、一家の困り者のバーナビーは少し面目を施す。ところが、ソフィアの叔母が、お金を盗まれた、と言いだしたことからバーナビーは窮地に立たされる。若い頃、警察の世話になったこともあるバーナビー。その彼を全面的に信頼してくれたのは、飾り気も色気も皆無の、気の合う仕事仲間でしかなかったマータインだった。

切手大の布をつなぎ合わせた、今にもばらばらになりそうなパッチワーク作品「惑星地球」を残したミセス・アルフォードをはじめとする「何でも屋」の顧客たち、バーナビーの一族の人たちなど、一人一人の人物が目に見えるようにくっきりと丁寧に描かれている。また、下記のような心に残る描写があちこちに散りばめられていて、読み終えるのが惜しくてたまらなくなる作品である。
*日の出前の一瞬、空が深く透明なブルーになり、loom!というような音が聞こえる。
*離婚した頃、娘のオウパル(Opal)は父親の顔がわかり始めたところで、バーナビーがベッドに近づくと「ああ」と声を上げて身をくねらせ、抱き上げてもらおうと手を伸ばしたものだった。
(2012.4.22読了)
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by nishinayuu | 2012-06-13 13:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『犯罪』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著、酒寄進一訳、東京創元社)


c0077412_10289.jpg『Verbrechen』(Ferdinand von Schirach)
罰する立場ではなく弁護する立場から「犯罪」を描いた、人間的温かさのある犯罪小説である。登場人物に外国人が多いのはたまたまだろうか、あるいは移民問題を抱えるドイツの現状を反映したものだろうか。
巻頭にヴェルナー・K・ハイゼンベルクの「私たちが物語ることのできる現実は、現実そのものではない。」という文が掲げられており、巻末には「Ceci n’est pas une pomme.これはりんごではない」ということば(René Magritteがリンゴを描いた絵に添えたことば)がなんの説明もなく置かれている。なかなかしゃれた作りではある。

『フェーナー氏』Fähner――元開業医のフェーナー氏の事例。72歳のある朝、彼は妻を斧で撃ち殺した。結婚したとき「決して捨てない」と誓わせられた彼は、ずっと妻によるDVに耐えてきたのだった。
『タナタ氏の茶盌』Tanatas Teeschale――日本人の豪邸に強盗に入った外国人三人組の事例。盗品を売りさばく段階で関わった悪党たちが次々に殺され、縮み上がって盗品を持ち主に返して事なきを得る。
『チェロ』Das Cello――テレーザの事例。彼女は20歳になったとき、弟とともに、無理解で横暴な父親の元を去った。二人が独立を謳歌していた旅先で弟が大腸菌に感染、さらにバイク事故で脳に損傷を受けた。姉のことも見分けられなくなった弟だが、姉の弾くチェロには反応を示した。
『ハリネズミ』Der Igel――レバノン人のカリムの事例。犯罪者一家の9人兄弟の一人、ワリドが窃盗で裁判にかけられる。彼の犯行であることは明白だったが、証人として喚問された弟のカリムはワリドのアリバイを主張する。一族でただ一人の切れ者、カリムの挑戦が始まる。
『幸運』Glück――故郷を捨ててベルリンにたどり着いたイリーナと、16歳から路上生活をしていたカレの事例。ある日、二人の部屋でイリーナの「客」が心臓発作で死ぬ。動転したイリーナは友人の家に行ってカレを待つ。彼女の留守に家にもどってきたカレはイリーナが捕まることを恐れて死体を解体する。
『サマータイム』Summertime――著名な実業家ボーハイムの事例。彼がホテルで会っていた女性が、頭部をつぶされた死体となって発見された。彼女は借金に苦しむ恋人、パレスチナ難民のアッバスのためにお金を稼ごうと、アッバスに隠れてボーハイムと会っていたのだ。
『正当防衛』Notwehr――正当防衛で釈放された男の事例。スキンヘッドのごろつきが二人、駅で一人の男にナイフと金属バットでちょっかいを出したところが、逆襲されて命を落とした。目撃者によると一瞬の早業だった。男は完全黙秘のまま、名前も身元も不明のまま釈放され、立ち去った。
『緑』Grün――伯爵の御曹司フィリップの事例。羊の眼球がくりぬかれて殺される事件が相次ぐ。羊の目が怖い、と言うフィリップの仕業だった。彼はザビーネという少女の写真をケースに入れて持っていたが、その写真の目もくりぬかれていた。そしてそれから何日も、ザビーネは行方不明のままだった。
『棘』Der Dorn――博物館の警備員フェルトマイヤーの事例。事務職員のミスでローテーションに組み込まれ損なった彼は、同じ展示室で23年を過ごすことになる。『棘を抜く少年』の「棘」に取り憑かれて。
『愛情』Liebe――カニバリズムの症状を呈したパトリックの事例。
『エチオピアの男』Der Äthiopier――2回の銀行強盗をしたミハルカの事例。不幸な育ち方をしてすさんだ生活をしていたミハルカは、人生をやり直すために銀行強盗をして大金を手にし、エチオピアへ飛んだ。
家族を得、村人の信頼も得て幸せだった。が、当局に目をつけられ、ドイツ大使館に送られ、過去の銀行強盗がばれてハンブルクに送還された。3年後、刑を終えたミハルカは、愛する家族の許に帰るためにまた銀行強盗をする。「お金がいるんです。本当にすみません」と言いながら。 (2012.4.19読了)
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by nishinayuu | 2012-06-09 10:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『傍聞き』(長岡弘樹著、双葉社)


c0077412_1681453.jpg「かたえぎき」とルビが振ってある。2012年の「おすすめ文庫王国」国内ミステリー部門第1位の短編集。また、表題作は08年に第61回日本推理作家協会賞短編部門を受賞している。4編の収録作品はいずれも心温かい人びとが登場する人情小説で、特に表題作は家庭小説としてもいい線をいっている。ただ、『899』の場合は、母親に精神的なサポートと見守りが必要だと思われるのに、人情小説で終わってしまっていいのか、という疑問が残る。この小説ではそこまで扱う必要はない、と言われればそれまでだが、この1編だけは後味がすっきりしない。それぞれの作品を以下に簡単に紹介する。

『迷走』――救急車が怪我人を乗せて病院へ向かう。しかし病院に到着した救急車は、患者の搬入口へは向かわず、駐車場を一回りすると病院から出てしまう。そのあとも救急車は、救急隊の隊長の指示に従って、まるで迷走するかのようにあたりをぐるぐる回る。サイレンを鳴らしたまま。そして隊長は耳に携帯電話をつけたまま。その携帯は、先刻隊長が通話した相手とつながっていた。
『傍聞き』――刑事である羽角啓子は小学校6年生の娘・菜月と二人暮らし。菜月は何かというと母親に腹を立て、そのたびに黙りを決め込む。最近は母親に言いたいことを葉書に書いて投函する戦術をとりだしたが、宛先の住所がまぎらわしい字で書いてあるため、「誤配」されて近所の老女・フサノのところに行ってしまうことが多い。そのたびにフサノは葉書を届けに来てくれる。啓子としては、少し前に泥棒に入られて落ち込んでいるフサノに手間をかけるのも申し訳ないし、母と娘の不和を知られてしまうのも気まずいので、住所を正確に書くように、そもそも葉書戦術はやめるように、と菜月に注意する。けれども菜月にはある思惑があったのだ。
『899』――消防士の諸上祥吾は隣家の新村初美に惹かれている。「あいり」という赤ん坊を一人で育てている若い女性だ。祥吾は、夜中によく「あいり」の泣き声が聞こえることなどを話題にして、初美と徐々に親しくなっていく。そんなある日、初美のアパートで火事が起こり、初美の部屋にも火が迫る。部屋には「あいり」がひとりでいるはずだった。(899というのは作中の消防署における“要救助者”を意味する消防無線の符牒だそうだ。)
『迷い箱』――設楽結子は出所直後の元受刑者のための更正施設の施設長を務めている。先月入所した碓井章由は、今日6月18日から飯塚製作所の社員寮に入る。結子は飯塚に、今日は特に碓井に注意するようにと頼む。三年前の今日、碓井は泥酔状態で自転車に乗り、小学生の女の子を跳ねて死なせていた。そして女の子の身内から「娘の命日に彼女と同じように苦しみながら死んで下さい」という手紙を受け取っていたのだ。しかしその日(月曜日)、碓井は死ななかった。その日から金曜日までかけて、碓井は飯塚に教えられたとおり、「迷い箱」に入れた捨てきれないものを一日に一回ずつ見ながら、捨てる決心をしていく。(2012.4.17読了)
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by nishinayuu | 2012-06-06 16:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『真昼のふくろう』(レオナルド・シャーシャ著、竹山博英訳、朝日新聞社)


c0077412_15131263.jpg『Il giorno della civetta』(Leonardo Sciascia)
パレルモ出身の作家が描いたシチリアの世界。いわゆるシチリア・マフィアとはどういうものかがわかって興味深い。
ある朝、ガリバルディ広場とカヴール街が交わる角から、建設協同組合の組合長コラスベルナが狙撃された。狙撃者はカヴール街を通って逃げたと考えられる。広場には乗客50人ほどを載せたパレルモ行きの始発バスが止まっていたからだ。しかし憲兵が来たとき、バスに残っていたのは運転手と車掌だけだった。みんな関わり合うのを恐れて逃げ出していたのだ。
憲兵隊のベッローディ大尉の指揮で捜査が進められる。コラスベルナは建築工事の入札に関して土地の有力者の意向に従わなかったために暗殺されたらしい。また、カヴール街に住む果樹剪定人のニコローシが事件の日から行方不明になっているが、彼は狙撃があった時刻にフォンダゲッロ地区に出かけようとしていて、走り込んできた狙撃者を目撃していたことがわかる。忘れ物に気づいて一度家に戻ったニコローシは妻に狙撃者のあだ名を告げていた。そのあだ名ジッキネッタから手練れの犯罪者ディエゴ・マルキーカが割り出され、ピーツーコ、ドン・マリアーノ・マレーナ、さらには下院議員のリヴィーニ、大臣のマンクーソという連鎖が見えてくる。すべて、ベッローディの沈着冷静な捜査のおかげである。北イタリアのパルマ出身で、共和主義者の家系に生まれた彼は、レジスタンス=革命運動に参加した経験を持ち、イタリア共和国の法に仕える自分の持つ権威を注意深く、正確に、確実に扱うべき道具と考えていた。そんな理性の人であるベッローディと、事件の黒幕であるドン・マリアーノとの対決は、イタリア共和国の法の正義とシチリア社会の正義の対決だった。しかしシチリアの強烈な陽光の中で、理知の人ベッローディは自分が真昼のふくろうでしかないことを思い知ることになる。

探偵小説風の展開になっているのでどんどん読み進められるのだが、イタリア語の(つまりカタカナの)人名、地名のオンパレードでややこしいことこの上ない。さらにアルファベットのPとBで示される二つの村には憲兵詰め所があり、C市には憲兵中隊があって、その三箇所を大尉やら准尉やら曹長やらが行ったりきたりする。緻密な頭脳の持ち主なら別に問題はないだろうが、そうでない場合はメモをとるとか、間を開けずに一気に読むとかしないと混乱すること間違いなし。nishinaはメモをとりながら読んだのだが、それでも一箇所、P村と書いてあるけれどB村ではないのか、と納得できない部分がある。それはともかく、いい読書ができた、という満足感をもって本を閉じた。(2012.4.16読了)
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by nishinayuu | 2012-06-03 15:13 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)