「ほっ」と。キャンペーン

<   2012年 04月 ( 9 )   > この月の画像一覧

『蕪村へのタイムトンネル』(司修著、朝日新聞出版)


c0077412_10534278.jpg萩原朔太郎の『郷愁の詩人與謝蕪村』をはじめとする数多の蕪村研究書を駆使して「蕪村」に新たな光を当てるとともに、タイムトンネルの向こうにあった「ぼく」の青春時代を蘇らせた大作。菊判(多分)で470ページあり、ほとんどすべてのページにエピグラフのように俳句が掲げられている(1ページは業平の短歌、2ページは俳句も短歌もなし)。すなわち全部で467の俳句が並んでおり、そのうち457が蕪村の作品である。重複して掲載されている句もあるのでそれらを除くと、ほぼ450の蕪村の句が目に入る仕組みになっており、なかなか魅力的な構成ではある。ただし、各ページの内容と、そのページに掲げられている俳句の繋がりがすんなり理解できないものもある(繋がりがわかるかどうかが読み手の俳句理解度を測るバロメーターなのかもしれない……あなおそろし)。
1953(昭和28)年、「ぼく」が17歳の終わりごろだった。町にはいつどこから流れてきたのかわからない雹川(あられがわ)拓也という35、6歳の漫画家がいた。
「漫画家は故郷喪失者で、女にほれっぽくて、振られるために惚れる無駄骨折りが好きで、二重人格で、酒が入らなければ借りてきたねこみたいで、泥水度が上がりきってしまうと、別人になって、狂うけれど暴力は振るわず、日の当たるうちは外に出ず、暗くなると町を徘徊する、もう、どうしようもない屑男だったが、自由人だった。ぼくはその人に惹かれた。(中略)そして、ゲームのようにして彼から與謝蕪村の話を聞いたのだった。(中略)その頃のぼくは、蕪村という俳人のおもしろさも何も感じていなかったし、その場が楽しければそれでよかった。そよ風のように過ぎ去った雹川との時間が、六十を過ぎてから、ぼくの耳の奥で、枯れ草が風に吹かれるような音として聞こえてきたのだった。」
雹川の周りにはいろいろな連中が集まっていた。絵描きになる日を夢みながら映画の看板を描いていた「ぼく」、同じく看板描きをしていたツルオ、映画館のもぎりをしながら漫画を書いていた両腕のない葉菜さん、同じくもぎりの露子、チケット売り場の岩根はるさんなど、漫画や映画でつながっていた人たち。それから飲み屋にはママのセッチャン、食堂には楓さんと風ちゃん姉妹がいて、つけで飲み食いさせてくれた。風体は異なるがスナフキンのような雹川と、その雹川が信奉する蕪村に誰も彼もが巻き込まれて暮らしていた。(2012.3.12読了)
☆著者は、「蕪村に関して、朔太郎の『郷愁の詩人與謝蕪村』、小西愛之助氏、正統派の研究者尾形仂氏の考えを多く借りた」と言っています。朔太郎の本は高校の授業で紹介されて以来何度も、尾形仂の『蕪村の世界』はかなり前に一度だけ読みましたが、どちらもぜひ読み返さなくては、と思っています。
[PR]
by nishinayuu | 2012-04-28 10:53 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『カラフル』(森絵都著、文藝春秋社)


c0077412_9513483.jpg読書会「かんあおい」2012年4月の課題図書。産経児童出版文化賞の受賞作である。
話は次のように始まる。
死んだはずのぼくの魂が、ゆるゆるとどこか暗いところへ流されていると、いきなり見ず知らずの天使が行く手をさえぎって、
「おめでとうございます、抽選に当たりました!」
と、まさに天使の笑顔を作った。

やけに軽い書き出しで、しかも「天使は美形の優男」で、名前はプラプラだという。まるでコミックではないか、と思いながら読み進めると、意外にも(コミックは読まないのに偏見の塊ですね)しっとりとして心温まるストーリーが展開されていく。子どもにも大人にも希望と勇気を与える上質の読み物となっており、森絵都人気の理由が理解できる一冊である。

主人公の「ぼく」は、天上界のボスが気まぐれで実施する抽選に当たって、再挑戦のために下界に戻されることになる。天使の説明によると、前世で大きな過ちを犯して死んだ者は、輪廻のサイクルから外されることになっているのだが、下界のだれかの身体を借りて修行すれば、無事に輪廻のサイクルに戻れるという。こうして「ぼく」は前世の記憶を失ったまま、小林真として病院のベッドで目覚める。真は三日前に自殺を図った少年で、10分前に「ご臨終です」と宣告されたのに、奇跡的に生き返ったのだ。
小林家は四人家族。父親は最近悪徳商法がばれた会社の社員で、上層部が総辞職したため、いきなり部長に昇進して大喜びしている。母親はいかにも良妻賢母といった感じの主婦だが、趣味で通っているフラメンコ教室の講師と不倫している。兄の満は弟に向かって「この死にぞこないが」と言うような、無神経で意地悪な高校生。そして真は半年後に受験を控えた中学生。背の低いことに悩んでいて、成績もぱっとしないし、友だちもいなかったが、絵だけは達者で、美術の時間と部活の美術部で絵を描くことだけを楽しみに通学していたらしい。
久しぶりに登校した「ぼく」は、みんなの視線攻撃を浴びたり、チビ女に「セミナーに行って前向きでポジティブな人間に生まれ変わってきたんでしょ。でもそんなの小林君に似合わない」などと絡まれたりして、ぐったり疲れた。それでも真についてチェックしておくために美術室を訪れると、そこには真の描きかけの油絵があった。続きを描くポーズだけをするつもりだったのに、実際に描きたくなって見よう見まねで描き始めると、次第に筆が滑り出していた。この部屋で真はほっとしたんだ、とキャンバスの前で確信したとたん、「ぼく」はなぜだか胸がつまった。ところで、プラプラの話では、「ぼく」が前世の記憶を取り戻し、前世で犯した過ちの大きさを自覚したその瞬間に修行は終わり、「ぼく」の魂は借りていた人間の身体を離れて昇天する、ということだが……。(2012.3.3読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-04-25 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『過程』(ハリー・ムリシュ著、長山さき訳、国書刊行会)


c0077412_1641554.jpg『De Procedure』(Harry Mulisch)
オランダでもっとも偉大な作家のひとりだというハリー・ムリシュは、1927年生まれでアムステルダム在住。1999年にこの作品でリブリス文学賞を受賞している。
本書は証文A、証文B、証文Cという三つの部分からなり、証文Aの第一文書から証文Cの第十二文書までの12の文書で構成されている。
証文A「話すこと」は「人間」「登場人物」「ゴーレム」「ヴィクトル・ウェルカー」という4つの文書からなっている。始めに、ヤハウェは「人間の創造」に当たって「手引き書」を使用したこと、したがって「手引き書」の文字であるヘブライ語の22の文字に、物質から人間への推移の秘密があることが語られる。続いて語り手ヴィクトル・ウェルカーが自分の物語を語り始めるのだが、その物語は語り手が作り出しているのではなく、物語自体が語り手を利用して語るのだ、云々という物語論が展開される。それから物語は16世紀末のプラハのゲットーへと舞台を移し、「ゴーレム作り」の話になる。神聖ローマ帝国皇帝の命を受けたユダヤ教のラビがゴーレム作りに取り組み、泥人形に命を吹き込むことに成功したが、そのゴーレムは危険な失敗作だったため、ラビはゴーレムを直ちに泥に戻し、はじめから存在しなかったことにしたという。証文Aの最後はヴィクトル・ウェルカーの両親による「子作り」の話、すなわち二人の出会いからヴィクトル・ウェルカーの誕生までが語られる。
証文B「情報提供者」は、本書の中でごく普通の小説らしい内容と体裁を備えている唯一の部分である。ヴィクトルから娘のオーロラへの手紙という形をとり、ヴィクトルの生い立ちからオーロラの母親であるクララとの出会いと別れのいきさつなどが語られる。クララとの関係が続いていた3年間はヴィクトルが「無機物から生命を持つ有機物を作り出すこと」(エオビオント作り)にめざましい成果を上げた時期と重なっているが、その陰で一つの生命が失われていたのだった。
証文C「会話」はヴィクトルが住むネオゴシック様式の教会堂にある住まいが舞台となっている。ヴィクトルは、その存在を知ったばかりの乳兄弟の三つ子を家に招いて会食する。三つ子たちはヴィクトルにクララと連絡をとることを勧めるが、クララは出て行くときに、連絡してこないで、という置き手紙を残していたので、ヴィクトルはクララに電話した場合のやりとりを想像して、ひとりで架空の会話を交わしたりする。思い切ってクララの留守電にメッセージを残したが、すぐに後悔して取り消しのメッセージを残そうと受話器を取り上げたとき、そこから誰かが殺し屋に殺人を依頼する会話が漏れ聞こえてくる。そしてこのあたりから物語は不条理の世界へと入り込んでいく。(2012.3.1読了)
☆「ヘブライ文字」や「DNAテキストの文字」の組み合わせや読み方など、読者に緊張を強いる記述が散りばめられていて読むのに苦労しますが、興味深い記述、「お勉強になる」記述もたくさんあって楽しめます。たとえばヴィクトルの白いキャデラックのオープンカーは「言語学者のノーム・チョムスキーから譲り受けたものだ」(!?)とか。世の中に反時計回りの時計があることも初めて知りました。「ヘブライ語は右から左に書かれるため」、という説明はあまり納得できませんが。調べてみたら、反時計回りの時計はネットの通信販売でも手に入るのですね。
[PR]
by nishinayuu | 2012-04-21 16:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『麒麟の翼』(東野圭吾著、講談社)

c0077412_15123385.jpg赤い指』『新参者』などと同じく、加賀恭一郎と松宮脩平コンビが活躍する。加賀が父親を見送ってから2年の月日が流れているが、舞台が日本橋界隈であり、二人の関係も相変わらずなので、『新参者』の続きのような雰囲気がある。深い洞察力と人間的温かさを持つ加賀を主人公に据えているため、ミステリーの要素より人間ドラマの要素が大きい作品となっている。
始めに殺人事件がある。被害者は日本橋の中程、麒麟像が置かれた装飾柱の台座にもたれかかった姿で発見される。胸にナイフが刺さっており、血痕は近くの地下道の中から続いていた。被害者は病院に運び込まれたが、呼び出された家族が駆けつけたときには息絶えていた。間もなく近くで不審者が見つかる。被害者の鞄と財布を抱えていたその若い男は、警察官の姿を見て道路に飛び出し、トラックにはねられて意識不明になっていた。捜査はその若い男による金銭目当ての殺人事件という線で進められていく。
一方、加賀は被害者の家族(妻、高校生の息子、中学生の娘)や被疑者の同棲中の女性の思いに心を寄せ、被害者や被疑者の行動を辿って日本橋界隈を歩き回る。こうして加賀は、瀕死の状態の被害者が麒麟像のところまで歩いた理由、必死の思いで伝えようとしたメッセージを突き止める。
☆作中に「麒麟の翼」というタイトルのブログが登場する。試しに検索してみたら『麒麟の翼』に関するブログがいろいろヒット。中にはこの作品に登場する七福神を祀った神社や名店を巡って写真入りで紹介したものもあり、東野圭吾は(あるいは加賀恭一郎は)日本橋付近の観光大使?と思ったのだった。(2012.2.23読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-04-18 15:12 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

金克己の古詩

c0077412_1817470.jpg☆韓国の詩人・金克己の古詩を日本語にしてみました。原文は漢文で、兪弘濬氏が韓国語に訳したものをさらに日本語に訳しました。
☆画像は順天・仙巌寺です。


寂寂洞中寺     寂寂たる山間の寺
蕭蕭林下僧     蕭蕭たる林下の僧なり
情塵渾擺落     心中の塵ことごとく打ち払われ
智水正澄疑*    智恵の水は澄みわたる
殷禮八千聖     8千の聖に礼拝し
淡交三要朋     淡々と交わるは三要の朋友
我來消熱悩     我来たりて熱き煩悩を冷ませば
如対玉壺氷     まさに玉壺中の氷に対するが如し
*『尋春巡礼』では凝となっている。


적적한 산골 속 절이요
쓸쓸한 숲 아래의 중일세
마음속 티끌은 온통 씻어 떨어뜨렸고
지혜의 물은 맑고 용하기도 하네
8천 성인에게 예배하고
담담한 사귐은 삼요의 벗일세
내 와서 뜨거운 번뇌 식히니
마치 옥병 속 얼음 대한 듯하네
[PR]
by nishinayuu | 2012-04-15 18:18 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『メイの天使』(メルヴィン・バージェス著、石田善彦訳、東京創元社)

c0077412_21221179.jpg『An Angel for May』Melvin Burgess。作者は1954年ロンドン生まれ。この作品はもともと英国ではヤングアダルト向けに出版されたもの。解説を書いている金原瑞人によるとヤングアダルト小説の特徴は「主人公が若者であること、残虐な暴力描写がないこと、濃密なセックス描写がないこと」だという。この作品はこの三つの特徴を備え、タイムスリップというSF的要素と、成長物語という児童文学の定番を組み合わせている。
4月のある日、主人公のタムは廃墟となっているソウト・イット農場で、人なつっこい犬と出会う。犬といっしょに暖炉の中で休んでいると、いい匂いがしてきて、トーストを焼く少女の姿が見えた。少女は犬をよく知っているらしく、犬にウイニーと呼びかけるが、やがて消えてしまう。そのあと外に出ると異様な姿をした浮浪者の老婆ロージーが立っていた。犬のウイニーはその恐ろしげな老婆に駆け寄ってタムのところに引っ張ってくる。まるで紹介するかのように。また別の日、タムは町でウイニーと出会い、じゃれ合っているうちにいつの間にかソウト・イット農場に来てしまう。暖炉の前にロージーが立っていた。ロージーとウイニーに促されるようにタムが暖炉の中にもぐり込むと、タムの下の地面が消えた。気がついたとき、タムは農場の外にいて、季節は秋だった。
こうしてタムは50年前の世界に放り込まれる。当時の首相はウインストン・チャーチル。ウイニーの名はミスター・ナッターがこの首相の名をとって付けたという。町はナチス・ドイツの爆撃に脅かされていたが、ソウト・イット農場は平和で活気に満ちていた。農場主のサム・ナッターは降って湧いてきた得体の知れないタムを喜んで迎え入れた。養女のメイが初めて人に心を許したからだ。ミスター・ナッターは4年前、4歳のメイを施設からもらい受けてきた。不幸な育ち方をしたメイはミスター・ナッターにも心を開かず、ミスター・ナッターが居心地よく整えた犬小屋でウイニーといっしょに寝起きしていた。少しずつ農場の仕事を覚えてきていたが、遊び相手は豚のスポットとウイニーだけだった。そこへ自分と同じ「みなしご」のタムが現れたので、メイは急激に変貌してミスター・ナッターや手伝いにやってくるミセス・ピクルズをびっくりさせる。ミスター・ナッターはタムを「メイの天使だ」とまで言った。けれども三日目、ロージーとウイニーのそぶりから、タムはもとの世界に帰るときが来たのを知る。
このあとはミステリーの終盤といった感じの展開となり、最後はロージーがタムの家に受け入れられる、という感動的場面になっている。物語の始めのほうでロージーが家に闖入してきたときに、ロージーが坐りそうなところにあらかじめ新聞紙を敷いたりした母親もずいぶん成長したわけだ。

☆一つ覚えました。メイの寝起きしている犬小屋には「天上と床、そして壁まで、びっしりとアイダーダウンの布が張りつけてあった」とあるのですが、アイダーダウンが何のことかわからなかったので調べてみました。アイスランドやグリーンランド地方の海岸にのみ生息する毛綿鴨(アイダーダック)の巣から採れるダウンのことだそうです。サム・ナッターがメイをどんなに大切にしていたかがわかりますね。(2012.2.18読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-04-12 21:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『逃れの森の魔女』(ドナ・ジョー・ナポリ著、金原瑞人・久慈美貴共訳、青山出版社)

c0077412_9401179.jpg『The Magic Circle』Donna Jo Napoli。
グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」のパロディ作品である。グリム童話は子どもたちが知恵を働かせて魔女を出し抜き、無事に家に帰るという賢い子どもたちを主人公としたお話だが、この作品の主人公は魔女。邪悪な魔女がそう簡単に幼い子どもたちに騙されるものだろうか、という疑問に一つの答えを提示する、哀れで感動的な物語となっており、幻想的で怪しい雰囲気の装丁と装画が物語を引き立てている。
さて主人公は、容姿は醜かったが神を信じる敬虔な女性で、医術、特に産婆としての腕で人びとに重宝がられていた。美しく生まれついた娘アーザをかわいがり、アーザのために一生懸命生きていた。そんな彼女に近所に住む賢しい女バーラが、病気をもたらす悪魔と戦うためには魔法陣の中に入って医療を行えばよい、と知恵をつける。バーラは彼女がもらう治療代の分け前が目当てなのだ。こうして彼女はただの治療師から、悪魔を呼び出して駆け引きをする女魔術師となった。しかしあるとき彼女は、悪魔の仕掛けた罠にはまって魔法陣から手を出したために、悪魔の世界に引き込まれてしまう。こうして彼女は魔術師から魔女になってしまったのだ。魔女であることを人びとに知られてしまった彼女は、火あぶりの刑に処せられるが、魔女だから簡単に死んだりはしない。燃えさかる火の中から秘かに抜け出した彼女は、娘のアーザに害が及ばないように、遠くの森の奥に逃れる。そこでアーザの好きだったお菓子作りに精を出し、家全体をお菓子で飾って暮らしていたところへ子どもたちが現れ、だれもが知っている結末へとつながっていく。
☆この作品ではヘンゼルがほんとうに幼くて頼りない弟、グレーテルがしっかり者の姉という設定になっている。訳者のあとがきによると、グリム童話ではどちらが年上かは明記されていないという。ところで訳者は「日本ではヘンゼルが妹でグレーテルが兄という設定が圧倒的に多いが……」と書いているが、これは勘違い、もしくは校正ミスであろう。「(2012.2.16読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-04-09 09:40 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ブラームスはお好き』(フランソワーズ・サガン著、朝吹登水子訳、新潮社)


c0077412_22445963.jpgAimez-Vous Brahms……。1959年、サガン24歳のときの作品で、夫のギイ・シェレールに献呈されているが、ギイとはその後離婚している。
装飾デザイナーとして働くポールは39歳で、若い女の段階から『いつまでも、お若い』といわれる段階に入るのが気に入らない。15年近く恋人関係を続けているロジェは運輸会社を経営していて、港で貨物トラックを捌くといった、半ば肉体労働者のような仕事もしている。お互いに束縛しないという暗黙の了解があって、それをいいことにロジェは女遊びにうつつを抜かしており、ロジェ一筋のポールは、虚しい期待を抱きながらロジェを待つ生活に慣らされている。そんなある日、室内装飾の仕事でヴァン・デン・ベッシ夫人の邸宅に出向いて夫人を待っていると、「だぶだぶのガウンを着て、頭をくしゃくしゃにし、すばらしく美男子に見えた」若い男が現れる。夫人のいちばん最近のツバメかとポールが思ったこの青年は、夫人の息子のシモンだった。
ポールに一目惚れしたシモンは、全身全霊でポールを愛し始める。14歳も年下のシモンを相手にする気はなかったポールだが、本気で自分を愛してくれるシモンに次第に心を開いていく。ポールにとって、当てにできないロジェと違って、いつでも自分を最優先に考え、自分のために尽くしてくれるシモンという存在は心地よかった。やがてシモンはポールの部屋に居着くようになり、ロジェの影は次第に遠のいていくかに見えたが……。
誠実とは言えないけれども男っぽくて頼りになるロジェと、一途に愛してくれてはいるけれどもこちらに頼り切っているようなシモン。そんな二人の男の間で揺れ動く「若くはない女」の微妙な心情を、24歳という若さのサガンが見事に捉えている。
さて、この作品は1961年に映画化されていて、ポールをイングリッド・バーグマン(当時46歳)、ロジェをイヴ・モンタン(40歳)、シモンをアンソニー・パーキンス(29歳)が演じている。この時のアンソニー・パーキンスの印象は実に強烈だった。「あまりに美男子すぎて本当とは思われないくらい」で、「あまりにも生活に甘やかされすぎた人のような、だが、どうやら親譲りのものらしいぎこちなさ」を持ったシモンは、パーキンスのために作られた人物なのではないかと思えるくらいのはまり役だった。また、外国人の名前に疎かった弟がイモ・ブンタンと言ったので家中で大いに受けたイヴ・モンタンも、イモっぽいロジェにぴったりだったという記憶がある。シモンの背中越しにポールを見つめたときの切なそうな表情もとてもよかった。それなのにポールについては「中年のおばさん女優」だったとしか覚えていない。(2012.2.15読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-04-06 22:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『むずかしい愛』(イタロ・カルヴィーノ著、和田忠彦訳、福武書店)


c0077412_1021375.jpg
1949年から1959年までに書かれた短編作品を集めたもので、原題はGli Amori Difficili。収録作品は以下の12編。



「ある兵士の冒険」――兵士が汽車に乗り合わせた女性に妄想を抱くと、女性の方もそれに応えて……。
「ある悪党の冒険」――娼婦のベッドに逃げ込んだ悪党。警官が追ってきたのでトイレに隠れると……。
「ある海水浴客の冒険」――泳いでいるうちに水着の下半分がなくなっているのに気づいた女性は……。
「ある会社員の冒険」――思いがけず一夜のアヴァンチュールを楽しんだ男。その余韻が続くのは……。
「ある写真家の冒険」――写真愛好家に懐疑的だったために、かえって写真にのめり込んでいく男。
「ある旅行者の冒険」――遠距離恋愛の男が列車の中で過ごす究極のこだわりの一夜。
「ある読者の冒険」――浜辺で読書をする男。本に集中したいのに魅惑的な女性が目に入って……。
「ある近視男の冒険」――初めて眼鏡をかけたとき、男の前には新しい魅力的な世界が現れたが……。
「ある妻の冒険」――夫の旅行中に若い男に送られて朝帰りする羽目になった貞節な妻の小さな冒険。
「ある夫婦の冒険」――夜間勤務の夫と昼間勤務の妻が互いの存在を確認するのはベッドに残る温もり。
「ある詩人の冒険」――恋人とボート遊びをする男。風景は沈黙に満ち、頭の中にはことばが溢れる。
「あるスキーヤーの冒険」――緑色サングラスの男の前で空色フードの娘が描く鮮やかなシュプール。
ちょっと理屈っぽくて小難しい話もあるが、つまらない話は一つもない。特に愉快なのが「ある旅行者の冒険」と「ある読者の冒険」。どちらの主人公も他人から見たらあきれるほどのこだわり派。これらの主人公に共感できる人にも、全く共感できない人にも楽しく読めるはず。(2012.2.12読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-04-03 10:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)