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「間が持たない人たち」

 
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☆新聞のコラム(2011.10.27朝日新聞、経済気象台)を韓国語にしてみました。原文は韓国語の下にある「間が持たない人たち」をクリックしてお読み下さい。


잠깐의 틈을 견디기 힘든 사람들
나는 CS방송이 방영하고 있던 미국의 인기 TV드라마 [광인] 에 주목하고 있었다. 그것은 1960년대 미국 광고업계에서 일하는 사람들이 얽히면서 펼쳐지는 일상을 독기와 유머로 능란하게 그려내고 있는 드라마인데, 마음에 걸리는 점이 하나 있었다. 등장인물들이 참 많이 담배를 피운다는 점이다.
현 시점에서 보면 더욱 걱정이 되는 것 같지만, 등장인물들은 거의 다 담배를 휴대하고, 회의중은 물론, 식사할 때도 반드시 담배를 즐긴다. 그것만이 아니다. 사람을 기다리는 동안 등 한가한 시간을 보내기 위한 도구로 자주 담배가 나타난다.
금연 붐이 정작한 오늘날, 주위의 사람들에 대한 배려때문에 끽연장소가 해마다 줄어가고 있다. 담베가 새롭게 증세대상상품이 되면, 담배를 꽤 좋아하는 사람중에서도 금연으로 향하는 이는 적지 않을 것이다.
한편, 그 옛날의 담배처럼, 많은 사람들이 항상 손에 들고, 시간을 보내기 위해 활용하고 있는 물건이 있다.
그것이 바로 휴대폰이다. 회의때나 외출할 때만 휴대하는 게 아니다. 전절을 타는 동안에도 화면과 마주보고 있는 사람은 많다. 다른 사람과의 커뮤니케이션 이외도, 정보를 받기도 하고, 또한 게임을 즐기기도 하면서 시간을 보내고 있다. 시간적 틈을 채우기 힘들 때, 현대인은 담배가 아니라 휴대폰에 의존하고 있다고 말할 수 있다. 그리고 그것은 거대한 시장을 만들어내고 있다.
하지만 그런 휴대폰에도 약점이 있다. 그 전자파가 인간의 뇌에 영향을 미친다는 사실이 때때로 화제가 되고 있다. 앞으로 담배와 마찬가지로, 건강을 위하여 휴대폰 사용이 금지될 때가 오지 않는다고 장담할 수 없다. 또는 정보 포화라는 상황에서 벗어나기 위하여 억지로 정보기기를 갖지 않는 시대가 올지도 모른다.
그때, 그 시대는 잠깐의 틈을 견디기 힘든 사람들에게 무엇을 제공할 것인가.

「間が持たない人たち」
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by nishinayuu | 2012-03-30 21:15 | 翻訳 | Trackback | Comments(4)

『チェロキー』(ジャン・エシュノーズ著、谷昌親訳、白水社)


c0077412_926406.jpg原題はCherokeeで1983年の作品。タイトルはジャズのスタンダードナンバーから取ったものだとか。アメリカ原住民に関する話ではなくて、パリを舞台とした「遺産相続」を巡る話である。
まず、ひとりのたくましい男が登場する。男は前日盗んだ大金を懐にしている。バーでその大金を目に止めたバーテンが、若い男に合図してたくましい男をナイフで襲わせる。たまたまそこに居合わせた背の高い男が若い男を殴りつけ、その隙にたくましい男はバーを走り出る。背の高い男があとを追って走り、声をかける「どうしたんだ?力になろうか?」と。たくましい男クロコニャンと背の高い男ジョルジュ・シャーヴとの出会いの場面である。ジョルジュはしばらく後にまたクロコニャンに出会う。法律相談所のベネデッティのもとで働き始めて間もなく、逃げた女房を捜して欲しいという依頼人から相手の男の特徴を聞いて、すぐにそれがクロコニャンだとわかったからだ。ジョルジュに借りがあるクロコニャンがあっさり女を返したので、ジョルジュは点数を稼ぐ。
このあとジョルジュの従兄フレッド、イギリスの資産家ギブズ、ベネデッティのもとで働く二人組の調査員ボックとリペール、依頼人のシュピールフォーゲル(しゃべる鳥!)博士と鸚鵡のモルガン、ジョルジュたちの叔父フェルナン、二人組の刑事ギルヴィネックとクレミュー、謎の女性ヴェルトマン、サーカス劇場の役者たち、さらに怪しい宗教儀式を行う人たちまでが入れ替わり立ち替わり登場する。また、場面が次から次へと細切れに転換し、まさにテンポの速い映画のような具合に話が進んでいく。要するに、昔、大富豪のマルグリット=エリー・フェロという男が「五代先の子孫が死に絶えるまで遺産は相続させない」と言い残して死に、今やその五代先の子孫が死に絶えたと思われる、ということから生じるごたごたを描いた話なのであるが、ちょっと目をはなすと人物も状況もわからなくなりそうなので、メモをとりながら読み進めたのにもかかわらず、けっきょくよくわからないまま終わってしまった。「クレミューがファーガソン(ギブズ)に近づいた。おそらく、クレミューにはまだ納得のいかない点があるのだろう」という文が最後のほうに出てきて、思わず苦笑してしまった。(2012.2.6読了)
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by nishinayuu | 2012-03-27 09:27 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『南瓜の花が咲いたとき』(ドラゴスラヴ・ミハイロヴィッチ著、山崎洋一訳、未知谷)


c0077412_1049216.jpgセルビア生まれの作者が1968年に発表した作品で、原題はДрагославМихаиловић(最後の文字は間違っているかも知れない)。
物語は24章からなり、1章と24章が現在、2章から23章までが過去の出来事、という構成になっている。
主人公のリューバは12年前に故郷を出て、今はスウェーデンのエステルスンドの町に住み、スウェーデン人の妻と妻の連れ子である男の子といっしょに暮らしている。工場で働き、そこのボクシング部で指導し、ユーゴスラビアからやって来る人たちの手助けもしており、すっかりこの町になじんでいるが、ときどきむしょうに故郷が恋しくなってユーゴスラヴィアへ車を飛ばしてしまう。そしてオーストリアとの国境を越えて少し先まで行く。しかし、ベオグラードにはどうしても行けないまま、引き返してしまう。そこにはリューバの嵐のような青春時代の思い出が生々しく残っているからだ。
2章~23章には、ユーゴがナチス・ドイツの占領下にあった1942年あたりから始まり、新しいユーゴスラヴィアの誕生、コミンフォルムからの追放(1948)を経てリューバが故郷をあとにするまでが描かれている。リューバはベオグラードの下町ドゥシャノヴァッツに、両親と兄、妹といっしょに住んでいた。兄はナチス・ドイツからの解放を目指してパルチザンとなり、家をあとにする。リューバは町の無法者アパシュ
の暴力に惹きつけられ、強くなるためにボクシングに熱中する。しかしユーゴスラヴィアがコミンフォルムから追放されると、兄はソ連派として投獄され、一家は当局ににらまれるようになる。リューバは懲罰的に軍に入れられ、両親は老い衰えていく。そして一家の希望の星だった妹の死によってリューバの家族は完全に崩壊する。
セルビアでは、「南瓜の花が咲くときに肺病患者が死ぬ」と言われているという。作中では肺病患者となったアパシュが南瓜の花の時期のあとに死ぬことになる。そのアパシュが、瀕死の状態にあってもなおリューバを嘲るように告げる。(おまえの妹が死んだときも南瓜の花が)「森の裏手にあったんだ。あのトウモロコシ畠のなかに」と。(2012.1.31読了)
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by nishinayuu | 2012-03-24 10:49 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『時をこえる風』(フレデリック・フォーサイス著、篠原愼訳、角川書店)


c0077412_9192040.jpg『Whispering Wind』(Frederick Forsyth)
フォーサイスには珍しいラブロマンスもの、ということで評判の作品。適度におもしろく、適度に感動できる作品である。
1876年、米国西部のモンタナ州で起こった第7騎兵隊とネイティヴ・アメリカンの戦いを背景に、白人青年とシャイアン族の娘の恋が描かれる。前半はほとんどが壮絶な戦闘の場面で、カスター将軍をはじめとする将兵たちの醜さと無能ぶりが浮き彫りにされる。そんな中で騎兵隊の現地案内人として雇われたベン・クレイグはシャイアン族の娘と恋に陥り、騎兵隊とシャイアン族という二手の追っ手から逃れて奥深い山の洞窟に逃げ込む。そのとき二人の前に老シャーマンが現れ、娘は婚約者の許に帰らなければならない、しかし二人は必ずまた会う運命にある、と告げる。そこでクレイグは娘を馬に乗せて部族の許に送り返し、洞窟の奥で眠りに就く。その夜、山は異常な寒気に襲われ、クレイグたちを追ってきた騎兵隊の兵士たちは全滅する。後半は深い眠りから覚めたクレイグが、洞窟をあとにして外の世界へ出て行くところから始まり、一気にファンタジーの世界へと突入する。
主な登場人物はベン・クレイグ(大自然の中で育った24歳の青年)、ささやく風(シャイアン族の美しい娘)、カスター将軍、ブラドック軍曹、ルイス憲兵軍曹、トール・エルク(シャイアン族の長、ささやく風の父親)、シッティング・ブル(スウ族の長)、クレージー・ホース(オグララ・スウ族の長)、イングルス教授(モンタナ大学西部開拓史学科の主任教授)、シャーロット・ベヴィン(イングルス教授の助手)、リンダ・ピケット(ビリングズ小学校の教師)、ビル・ブラッド(大牧場の経営者)、ポール・ルイス保安官など。さらにベン・クレイグの愛馬・ローズ・バッドも主役級の登場者である。
人物像はくっきりと描き分けられている。ベン・クレイグは容姿も優れ、資質にも恵まれたほとんど完璧な主人公。シャイアン族の娘と小学校の教師の二人も優しくて美しい女性。騎兵隊のルイス憲兵軍曹は「無愛想で融通はきかないが、決して冷たくはない」人物であり、ルイス保安官は「優秀な治安警察官で、ものに同じない、確乎不抜の精神の持ち主だが、同時にまた優しさも併せ持っている」のだ。一方、ブラドック軍曹は野卑な乱暴者であり、牧場主のブラドックは「もめ事はすべて拳で、しかも大抵の場合自分に有利なように決着させるという流儀で押し通し」てのし上がった人物だ。
ところで、ルイス憲兵軍曹はクレイグを縛っていた革紐を解いてやった直後に戦死し、ルイス保安官の祖父は「騎兵隊員だったが、女房と男の赤ん坊を残して、平原で戦死」している。また、ブラドック軍曹は「リンカーン砦で長い退屈な冬を過ごす間に、(中略)洗濯女に男の子を産ませ」ており、牧場主のブラドックの祖父は平原の対インディアン戦争で死亡した騎兵隊員の私生児として産まれた」という。ここから引き出せる結論は――「美人の血も、心の温かい人の血も、下劣な人間の血も、すべて子孫にそっくりそのまま受け継がれる」ということだ。
角川書店の文庫『囮の掟』には表題作品とこの『時をこえる風』の二つが収録されている。『囮の掟』のほうは麻薬捜査官と麻薬密輸犯との駆け引きの話だが、最も怪しくない人物が犯人、というよくあるパターンの上、何となくあやふやな部分があってすっきりしない作品である。(2012.1.23読了)
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by nishinayuu | 2012-03-21 09:19 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『マチルダの小さな宇宙』(ヴィクター・ロダート著、駒月雅子訳、早川書房)

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脚本家、詩人である作者が2009年に発表した最初の小説作品で、原題のMathilda Savitchは主人公の少女の名前である。13歳という微妙な年齢の少女の、不安と希望が交錯し、ときには迷走したり暴走したりする世界が、温かく優しい目で描かれている。さらに、ミステリー的な展開もあって楽しめる。

マチルダは「毎日がだるくて、つまんなくて、うんざり」している13歳の少女。パパもママも陰気な顔で本ばかり読んでいる。それに、昔はとびきりの美人だったママが、今はお酒と煙草がはなせなくなり、いつも泣きはらしたような顔をしている。マチルダにうるさく指図はするが、本気でマチルダのことを心配しているとは思えない。どこか上の空の感じなのだ。パパはマチルダを見つめようとするけれど、昔のように上手にできず、目が泳いでしまう。両親がこんなふうになったのは、1年前にマチルダの姉のヘレーンが死んでしまってからだ。だれかに線路に突き落とされて、列車にひかれて死んだのだ。それ以来、家族みんなでヘレーンの思い出を語ることはなく、ヘレーンの歌声が入ったテープもママがどこかに隠してしまった。マチルダはマチルダで、ヘレーンのノートや手紙、電子メールのアドレスなどを隠し持っている。
子どもから大人へと変わっていく時期のマチルダは、自分の身体の変化、友人たちとの関係、テロに脅かされる社会など、さまざまな不安の中にいる。その中でマチルダの心にいちばん重くのしかかっているのがヘレーンの死だ。マチルダは姉を死に追いやった「犯人」を突き止めようと決心する。メーラーを開くためのパスワードをやっとのことで探り当てたマチルダは、ヘレーンの死の鍵を握ると思われる、ヘレーンの最後の通信相手に、ヘレーンになりすましてメールを送信する。(2012.1.18読了)
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by nishinayuu | 2012-03-18 10:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

韓国の詩「本立て」   馬鍾基

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책장        마종기



목판을 사서 페인트 칠을 하고 벽돌 몇 장씩을 포개어 책장을 꾸몄다.
윗장에는 시집, 중간에는 전공, 맨 아랫장에는 저널이니 화집을 꽂았다.
책을 뽑을 때마다 책장은 아직 나처럼 흔들거린다.
그러나 책장은 모든 사람의 과거처럼 온 집안을 채우고 빛낸다.

어느 날 혼자 놀던 아이가 책장을 밀어 쓰러뜨렸다.
책장은 희망없이 온 방에 흩어지고 전쟁의 뒤끝같이 무질서했지만
그것은 더이상 흔들리지 않는 가장 안전한 자세인 것을 알았다.
그러나 우리는 안전하지 않다.

나는 벽돌을 쌓고 책을 꽂아 다시 책장을 만들었다.
아이는 이후에도 몇 번이고 쓰러뜨리겠지.
나는 그때마다 열 번이고 정성껏 또 쌓을 것이다.
마침내 아이가 흔들리는 아빠를 알 때까지,
흔들리는 세상을 알 때까지.

板を買いこみ、ペンキを塗って、煉瓦を積んで、本立てを組み立てた。
上の棚には詩集を並べ、次の棚には専門書籍、一番下に、雑誌やら画集を入れた。
本を抜き取るたびにまだ、本立てはぐらぐら揺れる。その持ち主とおんなじように。
でも本立てがあるだけで、部屋全体がすてきに見える。

ある日、ひとりで遊んでた子が寄りかかったら、崩れてしまい、
本も煉瓦も棚板も、部屋いっぱいにとり散らかった。
でもそうなると、もう揺れたりはしないから、とても安全だったのだ。
しかし、それでは我々が安全だとは思えない。

煉瓦を積んで、本を並べて、また本立てを組み立てた。
この先もまた何度でも、子どもは倒すことだろう。
そのたびにまた何度でも、真心込めて組み立てることだろう。
やがて子どもが、父親が揺れているのがわかる時まで。
世の中が揺れているのがわかる時まで。


☆馬鍾基については右の欄にある「韓国の著名人」をクリックしてのページを開くと簡単な説明があります。
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by nishinayuu | 2012-03-15 17:27 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『きみは猫である』(マグダ・レーヤ著、左京久代・米川和夫訳、晶文社)


c0077412_101183.jpg原題はKot Pieciokrotnyで、「五倍になった猫」という意味だとか。訳者あとがきによると、編集部から、日本の子どもたちにワルシャワの子どもの物語が少しでも親しく身ぢかに感じられるように、よびかけのかたちをとって『きみは猫である』としてはどうだろう、という相談があったので、原文では三人称で語られている母親猫を二人称で語りなおした、という。母猫に「きみ」と語りかけるのは小学校一年生の男の子の「ぼく」。
「ぼく」が、ビルに住み着いていた「きみ」にミルクをやったりしているうちに、ママの許しが出て「きみ」はビルの6階にある「ぼく」の家に自由に出入りするようになる。「ぼく」が勉強をはじめると興味津々でのぞき込み、字がうまく書けていないとソファーの方に移動してしまったりする賢い「きみ」に、「ぼく」すっかり魅了されてしまう。そんな「きみ」がある晩、「ぼく」の家で四匹の子猫を産む。ママの友人の話によるとその日の昼、いつもは階段を使う「きみ」がエレベーターに乗り込んできて、途中の階で止まっても降りずに6階で降りたという。「あらまあ、ローマ数字を知ってたのかしら、うちのねこ?」とママがうなる。「ぼく」たちのビルの階数はローマ数字で書いてあるのだ。
「ぼく」はママから「こねこ4匹と、めんどういろいろを、ぜんぶ、引き受けてもらいますからね」といわれてわくわくしながら待っていたが、めんどうなことはなにも起こらない。ばたばたと床に落ちるこねこを拾い上げてやったり、ミルクタイムにはうまく吸い付けないこねこに手をかしてやったり、トイレのしつけのために工事場で砂をもらってきたり……と「ねこのおとうさん」は大忙しだけれどもそれが誇らしい。
やっかいなことはそのあとにやって来た。こねこたちに名前をつけることで、黒っぽいのには「クロ」、お気に入りのには「王さま」、3匹目は「メルセデス」とつけ、残る1匹は毛の色から「アカ」とつけたが、「クロ」以外はみんな赤毛なのだ。名前の問題のあとは食べ物の問題、それからこねこたちのいたずらの問題と続く。こねこたちのかわいさも大切さも変わらないが、けっきょくママと「ぼく」はこねこたちをもらってくれる人を探すことにし、張り紙広告を作る。どの字も色違いにして「ふうがわりで/おぎょうぎのいい/こねこ/泣く泣くゆずります」と書いて。
作者は1958年にデビューしたポーランド生まれの小説家。この作品の舞台はソ連崩壊よりずっと前のいわゆる共産圏時代のワルシャワである。訳者はあとがきでこうした作品の背景を、子どもに語りかける口調で優しく説いている。つまり、近隣の図書館ではこの本を大人用の書架に置いているが、本来は児童用の書架に置くべき本なのである。ねこ嫌いの私が思わずこの本に手を伸ばしたのは、この本が大人用の書架にきれいな状態で保存されていたからで、私にとっては思いがけず楽しい出会いであったが、この本が多くの本来の読者たちの手垢にまみれるほうが作者や翻訳者にとっては嬉しいことではないだろうか。(2012.1.16読了)
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by nishinayuu | 2012-03-13 10:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『冬物語』(カーレン・ブリクセン著、渡辺洋美訳、筑摩書房)

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デンマークを舞台にした近代の神話、伝説、あるいは奇譚といった趣の物語集。北国の冷たく透きとおった空気が肌に染みこんでくるようで、真冬に読むのにふさわしい作品である。



『少年水夫の物語』――「つるの恩返し」ならぬ「ハヤブサの恩返し」の物語。
『カーネーションをつけた青年』――カーネーションをつけた青年の幸福に輝く顔を見た青年作家は、自分もこの世のどこかにある幸福を探しに行こう、と置き手紙を残して妻のもとを去るが……。
『真珠』――ノルウェーに新婚旅行に行ったイエンシーネ。紐の切れた真珠の首飾りを、オッダ村の貧しい靴屋に預ける。修理されて戻ってきた首飾りには立派な真珠が一個余分についていた。
『ゆるぎない奴隷所有者』――主人と奴隷の役割を交代で演じながら生きていく貧しいけれど勇敢な美しい姉妹。
『エロイーズ』――普仏戦争の前夜、フランスとの国境に近いザールブルクの旅籠屋に打ち寄せられたフランス人たちを救ったのは美しい貴婦人、マダム・エロイーズだった。
『夢みる子』――不運な一族の血をひくイエンス少年は、老女アーネ嬢の語る空想の叙事詩を聞きながら育った。養母として彼を迎えにやってきたエミーリエに、少年は「ママ、これでいっしょに家にもどるんだね」と言う。そしてたちまちエミーリエ夫婦は夢みる子の夢の世界の住人となる。
『魚―古きデンマークより』――1286年にデンマーク王エリク・グリッピングが臣下のスティーによって殺害された。この事件を伝える古歌謡を基にして語られる、スティーの妻インゲボーの指輪がエリク王の手にわたったいきさつ。
『アルクメネ』――子どものいない牧師夫婦の許にもらわれてきた少女アルクメネの数奇な運命を、兄弟のようにして育ったヴィルヘルムが語る。中編か長編にもふくらませることができそうな中身の濃い物語。
『ペータとローサ』――大地も大気も等しく慈悲と希望から見放されていた100年前のある年、固く凍ったデンマークとスウェーデンの海峡で、少年と少女は氷の上に取り残された。本短編集で最も寒くてもっとも甘美な物語。
『嘆きの畑』――前作とは一変して炎暑の夏の物語。荘園主は納屋に放火した疑いでひとりの若者を捕らえる。若者は無罪を神掛けて誓い、若者の母親アーネマリも5日の間泣き通しで息子の無実を訴える。荘園主はアーネマリに提案する。目の前のライ麦畑を一日で、ひとりだけで刈り取れたら息子を帰してやる、と。大の男が三人かかっても一日仕事の作業に必死でとりくむアーネマリを、荘園主は見守る。
『心のためになる物語』――『カーネーションをつけた青年』に登場した青年作家が再び登場。パリのカフェで友人のイニアスから、ペルシャの王子ナスルッディンの『千夜一夜物語』を地でいくような物語を聞かされる。(2012.1.15読了)

☆カーレン・ブリクセンは作者がデンマーク語で書くときの名前で、英語で書くときの名はイサク・ディーネセンです。イサク・ディーネセンの『バベットの晩餐会』は独特の雰囲気のある傑作で、映画も原作の雰囲気を再現したすばらしい作品でした。
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by nishinayuu | 2012-03-10 10:43 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『あたしのママ』(ジュスティーヌ・レヴィ著、河野万里子訳、Discover21,Inc.)


c0077412_10244571.jpg原題:Le rendez-vous。フランスの哲学者ベルナール・アンリ・レヴィの娘である著者(1974年生まれ)のデビュー作。
語り手の「わたし」ルイーズは18歳。サン・ジェルマン・デ・プレのカフェ〈レクリトワール〉で、ママを待っている。昨日、留守電に「明日の11時に〈レクリトワール〉でどう?」というママからのメッセージが入っていたからだ。約束の時間はとうに過ぎているがルイーズは待ち続ける。ママが時間通りに来ないのはいつものことだ。そしてママは自分を正当化する理由を並べ立てる。殺し屋に追われていた、風邪をひいた叔母の代理で投票に行ってきた、おぼれかけてたネコを助けた、起きられなかった、ビタミン剤だと思ったら睡眠薬だった、などなど。嘘はママの憂鬱やでたらめ病の薬であり、ママは現実をなにもかも無視して幻想の中で生きているのだ。それでもママは結局現れるだろう、店中の注目を集めて私の前に坐ると、あたりの空気が一瞬しんと静まりかえるだろう、とルイーズは考える。ママはとびきりの美人なのだ。
ルイーズの目はカフェに入ってくる人びとを追い、心は幼い頃から現在までのあれこれの思いに耽る。世界的な指揮者のパパ。モデルとして活躍していたママ。パパがママから逃げ出したころからママの人生は崩壊していき、奔放で混乱したものへと変わっていった。そしてママはルイーズの中にパパの面影を探し、ルイーズから立ちのぼる幸福の記憶を愛した。パパとママの命はルイーズを通して結ばれていたのだ。それなのに、ルイーズもママから逃げ出した。7歳のときだった。
ウエイターがときどき注文を取りに来る。しかたなく、そのつどなにか注文する。ポロネギのタルト、ピクルス、イチゴミルク、濃いめのコーヒー、薄めのコーヒー、カフェインレスコーヒー、という具合に。知人や見知らぬ人も声をかけてくる。待ち続けて6時間経ったとき、気分転換に本屋〈ピュフ〉に出かけて雑誌を買い、ついでにママのためにエキゾチックな植物・サボテンも買ってカフェに戻る。ウエイターは新しい人に替わっている。7時間半経ってもママは現れない。でも、別の人が現れて、ルイーズは新しい人生を歩み出す。
何度も裏切られながらも母親を気遣い、慕い続けるルイーズの痛々しく鮮烈な18年の時の流れと、法学部を目指す学生であるルイーズの瑞々しい感性にあふれる数時間の時の流れが同時に描かれており、構成も内容も印象的な作品である。(2012.1.9読了)
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by nishinayuu | 2012-03-07 10:25 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『ブリーダ』(パウロ・コエーリョ著、木下眞穗訳、角川書店)

c0077412_18133610.jpg原題はBrida。コエーリョの3作目の作品で、出版は1990年。
ブリーダは21歳。アイルランドのダブリンに住み、貿易会社でアルバイトをしながら大学に通っている。幼い頃から魔術的なものに惹かれていたブリーダは、ある夏の日、一人の男を訪ねてダブリンから150キロも離れた村にやってくる。自分の内なる力を見出したいと願っていたブリーダは、やっと訪ね当てたこの〈フォークの魔術師〉に「魔術を習いたいんです」と告げる。目の前に現れたブリーダを見て魔術師は驚く。彼女こそは彼の探し求めていた「分身」だったからだ。しかし彼はこの時点ではブリーダにそのことを告げない。ブリーダの師として、まずブリーダに闇夜を体験させ、暗闇を信頼することこそが信仰だということを、そして賢者への道は誤りを犯すことを恐れずに闇夜を進むことだと教える。
ブリーダはさらに新しい師を求めてダブリン市内の中心部にある書店を訪ねる。オカルティズムに関する文献をそろえたこの書店の店主から一つの住所を手に入れたブリーダは、19世紀のロマンの漂う一角にある古い建物の前に立つ。そこの3階に住む女性ウィッカがブリーダのもうひとりの師となる。ウィッカの導きでブリーダは、自分が転生を繰り返して現在に至った魔女であることを自覚するようになり、世界や人間に対する理解を深めていく。そしてブリーダは、恋人のローレンスとフォークの魔術師がふたりともに自分の「分身」であることに気づいてとまどう。やがて季節は移り、ついにブリーダの魔女としてのイニシエーションのときである春分の日がやってくる。

かなり乱暴にまとめてしまえば、働きながら学び、恋をしている若い女性が、魔術、ケルトの伝説、キリスト教の伝説などの神秘的な世界に触れながら成長していく物語、ということになろうか。コエーリョが好きだというアラフォーの女性が一押しの作品だというので読んでみたのだが、残念ながら私は最後まで物語の世界に入り込むことができなかった。そもそもブリーダをはじめとして登場人物たちが明確な姿で浮かび上がってこない。それに、日常世界と非日常世界の境を越えるときや、非日常の世界にいるときの描写が、なんだか説明的で、異世界に入り込む感動が味わえない。さらに言えば、イニシエーションとか、サバトといったことばが、あまりに日常的な日本語で綴られている地の文の中では変に浮いてしまうため、全体的に流れがぎこちなく、詩情が感じられないのだ。というわけで私がコエーリョ作品に順位を付けるとしたら「アルケミスト」「11分間」「ベロニカは死ぬことにした」「ザーヒル」「ブリーダ」となり(なぜか読んだ順になっているのだが)、今のところは「アルケミスト」が一押しの作品である。(2012.1.7読了)
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by nishinayuu | 2012-03-04 18:13 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)