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『踏みはずし』(ミシェル・リオ著、堀江敏幸訳、白水社)


c0077412_1117124.jpg原題はFaux Pas。ブルターニュ生まれの作家ミシェル・リオによる中編小説である。
夏至の日のたそがれ時、一台の車から男が降り立つ。上背のある均整のとれた体つきで、知性的な顔に冷酷さと憂愁を漂わせた表情を浮かべており、灰色の目だけが猟師か監視員のような生気を宿している。男はとある邸宅の前で足を止め、家の周りを念入りに調べ、そこから街路の様子を探ったあと、家の中に侵入する。各部屋を一瞥し、2階の部屋の窓を開けてみたりしたあと、1階の書斎に入ってドアを閉める。書誌の机の上には写真立てがあり、30歳くらいの女性と6歳くらいの少女のクローズアップが入っている。男はその写真をしばらく見つめる。それから机の引き出しを調べ、書斎の主が妻に宛てた書きかけの手紙を読み、書棚からマルク・ブロック『歴史のための弁明―歴史家の仕事』を抜き取ると、肘掛け椅子に座って読み始める。
書斎の主であるブレモンはジャーナリストで、財界の大御所・アルベルティの卑劣な過去を暴くための証拠書類集めに奔走していた。男は、そのブレモンを阻止するためにアルベルティが雇った殺し屋だった。しかし男は、雇われ殺し屋としての仕事をこなしたあとは自分が消される、と見抜いていたから、ブレモン殺しに引き続いて一連の殺しを片づけていく。その手際の鮮やかなこと。男は「本性と修練が可能にした、一種のハイブリッド」で、その身体には「本能的に自分の身を守り、維持していく、屈強な動物を思わせるこの上ない自立性と、意のままに従い、思い通りに操ることのできる機械のような従順さ」があったのだ。
というわけで、前半は男の意のままに事がとんとんと運んでいく。しかし、タイトルが「踏み外し」であるからにはそれだけで終わる単純な話であるはずはない。緻密な理論に基づいて行動してきた冷徹な男を踏み外させたのは……。
人物や細部の描写に独特の味わいがあり、終わり方も余韻があっていい。
訳者によると原文の文体は、「文章の高い音楽性が、登場人物たちの会話に伺われる強烈なアイロニー、諦観、逆説、強迫観念などの、いい意味で閉じた知的な面白みと連動して、硬質な世界を作りだしている」という。訳文も、引き締まったリズミカルな文で読みやすかった。(2011.12.28読了)
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by nishinayuu | 2012-02-27 11:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『そんな日の雨傘に』(ヴィルヘルム・ゲナツィーノ著、鈴木仁子訳、白水社)


c0077412_10211099.jpg原題はEin Regenschirm Für Diesen Tag。著者は1943年、ドイツはマンハイムの生まれ。ドイツ最高の文学賞である「ビューナー賞」をはじめ、「フォンターネ賞」「クライスト賞」などを受賞している。
タイトルは、ある会食会で職業を尋ねられた主人公が酔った勢いで冗談に答えた、回想術と体験術の研究所を主催していて、そこに来る客は「自分の人生が、長い長い雨の一日のようで、自分の身体が、そんな日の雨傘のようにしか感じられなくなった人たちです」という部分から取られている。「そんな日の雨傘に」というのは主人公自身の心境なのだ。
46歳の主人公は定職のない独り者。定職がないのは「働くことによって心に葛藤が生じるので、やむなく働くのを避けている」からであり、独り者なのは長年いっしょに暮らしていた恋人のリーザがついに愛想をつかして出て行ってしまったからだ。リーザは12年の教師生活で神経がずたずたになって早期退職し、年金を支給されていた。その年金のおかげでリーザと主人公の生活が成り立っていたのだ。リーザが去った今は、高級靴メーカーから与えられる仕事が主人公の唯一の収入源だ。高価な靴の試作品を履いて街を歩き回り、その履き心地について報告書を書くと1足につき200マルクが手に入る(こんな仕事なら私もやってみたい!)。靴の試し履きのために、そしてほかには別にすることもないので、主人公はやたらに街を歩き回る。するとなぜかやたらに女性たちに出くわす。長い睫毛のグンヒルト、女優になり損なったズザンネ、ペットショップのドーリス、昔いっしょに仕事をしたレギーネなどだ。会いたくないのに出会ってしまう相手――昔の友人で今は恋敵のヒンメルスバッハ――もいれば、こちらから出向いて会わねばならない相手――アヴァンチュールの相手である美容師のマーゴット、靴メーカーのハーベダンク部長、新聞社の編集者メッサーシュミット――もいる。そんな中で主人公は人びとに、目に入るものに、聞こえてくる物音に、いちいち心を止めてあれこれ考える。考えている自分のことも考える。たとえば綿ぼこりが目に止まれば、自分の人生を形容するのに「綿ぼこり化」ということばがぴったりだと思う。「半分透きとおっていて、芯がふにゃふにゃで、見た目従順で、度外れになつきやすく、おまけに口数が少ない」からだ。チョコレートをチョコと短縮形で言った通りすがりの子どもにちょっと苛っとし、ゲシュトリュップ(藪)、ゲレル(瓦礫)、ゲレッシェル(かさかさ)、ゲシュルッペ(ピチャピチャ)、ゲシュラッペ(チャプチャプ)などのゲ音で始まることばに「人生の面妖さを感じる」という主人公は、見た目は無気力だがその精神活動は驚くほど活発だ。
「自分は人生に生半可にしか適応していない、だからうっかり誤ってこの世に生きているようなものだ」という主人公に大いに共感を覚えるとともに、そんな主人公が「逃れられない出来事のただ中にいながら逃れる」希望を見出す場面で締めくくった作者の優しさに拍手したい。(2011.12.26読了)
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by nishinayuu | 2012-02-24 10:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『浮石寺』(申京淑著、文学思想社)


c0077412_1561361.jpg『부석사』(신경숙著、문학시상사)
2001年度第25回イサン賞の受賞作。当時の韓国語講座の先生に『イサン文学賞受賞作品集』をいただいて、辞書を引きながら読んだのが申京淑との、そして『浮石寺』との最初の出会いだった。そのあと2003年の秋に、友人と二人でじっくり日本語を練りながら読んだ。というわけで今回は三度目の『浮石寺』である。繊細かつ鮮明な人間描写、ロード・ムーヴィーのような展開と幻想的な結末――読むたびに魅了される作品である。
同じマンション(作中ではオフィステルと呼ばれている)に住む男女。それぞれつき合っていた恋人から裏切られたことが心に大きな傷を残している。男はさらに仕事仲間の裏切りにもあって、現在休職中である。人と会うのを避けるように、近くの山を歩くことを習慣にしている女はある時、山の畑で男を見かける。男もひとりでよくその山を歩いているのだが、ついでに畑の作物をちょっと失敬するのが秘かな楽しみになっていたのだ。女が男の野菜泥棒につき合ったことから二人は言葉を交わすようになり、そうなってみると二人はそれまでもちょっとした接触があったことに思い当たるのだった。それでも、それぞれ人間不信に陥っている二人は、それ以上相手に近づくつもりはなかった。そんな二人が、1月1日にいっしょに車で浮石寺を目指すことになる。男には裏切り者の同僚から、女には電撃的に他の女性と結婚してしまったモトカレから、1月1日に会いたいという連絡があったからだ。二人には、自分を裏切った人間とは会いたくない、という共通の思いがあり、会えない口実としてとにかく誰かと出かける約束をする必要があったのだ。こうして二人は女の車で出発する。ほんの思いつきで決めた目的地である浮石寺に向かって。(2011.12.24読了)

☆浮石寺の思い出――2003年に勉強につき合ってくれた友人もいたくこの作品が気に入ったようで、2005年の秋にもうひとりの友人と3人で韓国の文化遺産を訪ねる旅を計画したとき、まず候補にあがった訪問先が浮石寺でした。11/6にソウルで1泊。翌日の11/7、教保文庫で数冊ずつ目当ての本を買い込んだあと、電車で豊基まで行き、そこからタクシーで浮石寺に近いホテルに投宿しました。タクシー運転手はなんとも素朴で感じのいいおじさんでした。ホテルは古ぼけた安宿でしたが、オーナーの息子らしき若者はイ・ビョンホンばりの笑顔で自動販売機のコーヒーをおごってくれました。翌日の11/8、前日のタクシー運転手を呼んで憧れの浮石寺へ。銀杏の落ち葉で黄金色に染まった道を踏みしめ、安養門から小白山脈を振り返り、無量壽殿のエンタシスの柱に凭れ、伝説の浮き石の隙間も覗いてみました。真っ青な空の下、『私の文化遺産踏査記』の記述を思い浮かべながら、『浮石寺』のふたりがたどり着けなかった浮石寺を存分に楽しんだのでした。
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by nishinayuu | 2012-02-21 15:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『リリィ、はちみつ色の夏』(スー・モンク・キッド著、小川高義訳、世界文化社)


c0077412_11552360.jpg1964年の夏、リリィは14歳でサウスカロライナ州のシルヴァンという小さな町に住んでいた。家族は、桃の農園を経営している父親のT・レイ(ダディと呼べるような親ではなかった)と家政婦のロザリン(桃農園で働いていた黒人の大女)で、母親はリリィが4歳のときに死んでいた。リリィが母親について持っている最初にして唯一の記憶は、母親の死んだ日のこと――母親が荷物をまとめていたこと、父親と言い争っていた母親が棚の上から拳銃をとったこと、その拳銃が床に落ちたのをリリィが拾ったこと、その瞬間に銃声が聞こえて、母親が倒れたこと――だった。12歳になったある日、リリィは母親の遺品を見つけた。それを農園の秘密の場所に隠して、ときどき取りだして眺めた。恋しい母親に、性格の悪いT・レイとの生活がいかに悲惨かを訴えたかった。
ある日、リリィの部屋に蜜蜂がやってきた。夜は何匹もの蜂が寝室を飛び回る音が聞こえた。ただ風を切って飛びたいから飛んでいる。そう思うとリリィの心臓は張り裂けそうになった。T・レイに蜂を見せようとしたときには蜂は現れず、嘘をついたと思われてT・レイを怒らせてしまう。T・レイに見せるために、蜂を瓶に閉じこめてみた。数日後に瓶の蓋を開いたが、蜂はなかなか外に飛び出さなかった。
7月2日、合衆国大統領は公民権法を発行させるべく署名した。7月4日、ロザリンが選挙権の登録をするために町に出かけるというので、リリィもいっしょに行く。リリィが懸念していたとおり、ロザリンは白人の若者たちに絡まれた挙げ句に留置所にぶち込まれてしまう。リリィもいっしょに留置されたが、迎えに来たT・レイに連れ戻される。怒りに燃えてリリィに襲いかかろうとするT・レイに、リリィは「母さんが守ってくれるからこわくない」と叫ぶ。しかしそれに対してT・レイは冷笑しながら言い放った。「あの女はおまえを捨てて出て行ったのだ」と。リリィはその日、初めて天の声を聞く。――リリィ、おまえの瓶の蓋は開いている。
こうしてリリィは家を飛び出し、留置所で暴力を振るわれて入院していたロザリンを病院から脱出させる。二人は、ヒッチハイクをしてたどり着いた町で、母親の遺品の一つである「黒いマリア」の商標にめぐり逢い、その商標の蜂蜜を製造している黒人姉妹のところに泊めてもらうことになる。姉妹の長女で心理カウンセラーのようなオーガストの導きで、リリィは「母親は自分を捨てたのか」という恐ろしい疑問に立ち向かっていく。
ひとりの少女の成長物語であると同時に、公民権運動の盛んだった時代、つまり黒人差別がかえって鮮烈になった時代に、少女リリィが天衣無縫の黒人女性ロザリンとともにたどった数奇な冒険の物語としても読める。(2011.12.22読了)

☆『アラバマ物語』のような深刻な展開にはならずにほっとしました。というか、何もかもできすぎていて、笑っちゃうほどです。リリィはものずごく優秀だし、ロザリンはどっしりしていてしかもかわいいし、オーガスト、ジューン、メイの姉妹は財産も学もあるし、蜂蜜製造所でバイトをしている黒人少年のザックも頭はいいしハンサムだし、T・レイでさえとことん悪い人ではなかった、という具合。ところで、三姉妹は誕生月の名称が名前になっているという設定なのですが、メイと双子の姉妹(故人)がエイプルとなっています。これも都合よく、月をまたがって生まれた、ということなのでしょうかね。
☆ウイリアム・ブレイクの『病めるバラ』が、リリィの母親が下線を引いた詩としてうまく取り込まれています。
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by nishinayuu | 2012-02-18 11:55 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

英M16の正史出版


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☆新聞のコラム(2010.9.24,朝日)を韓国語に訳してみました。原文は韓国語の下にある「英M16の正史出版」をクリックをクリックすれば現れます。



M16의 정사 출판
영화 [007]시리즈의 주역인 제임스 본드가 소속된 곳으로 알려진 영국 정보기관 [대외정보부(M16)]의 정사를 정리한 책이 처음로 출판되었다. [달과 6펜스] 등을 남긴 영국의 유명한 작가 서머셋 모옴 같은 사람들이 스파이의 일원이었다는 사실도 밝혀 졌다.
비밀의 장막으로 싸여진 스파이 조직의 정사를 정리한 사람은 퀸스 칼리지(벨파스트)의 키스 제프리 교수(역사학)이다. ‘M16에 대한 사람들의 이해를 깊게 하기’ 위해서, 스칼렛 전장관이 특별히 1909년 창설 이후 40년 동안의 극비문서를 살피는 것을 허가했고, 제프리 교수가 810페이지의 책으로 정리했다.
영극 매스컴에 의하면, 영화[제3의 남자]의 원작자인 그레이엄 그린, 아동문학작가인 아서 랜섬 등도 M16에 소속되어 있었다. 007의 원작자인 이안 플레밍의 친구로 파리에서 살아 있던 인물이 제임스 본드의 실제 모델이었다고 한다.
그리고 M16은 나치스간부 암살계획이나, 제2차 대전 후 많은 유태인 난민들이 팔레스티나로 향하는 것을 막기 위하여 이탈리아의 항구에서 배를 폭파하는 등 여러 활동을 수행했다고 한다.
제프리 교수는 ‘진짜 제임스 본드들은 소설의 본드보다 훨씬 흥미로운 스파이들이었다’ 고 영국 매스컴에게 말한다.

「英M16の正史出版」
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by nishinayuu | 2012-02-15 09:56 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『失われた時を求めて 13』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社)

c0077412_10144887.jpgシリーズ最後の巻で、「見出された時」のⅡと索引が収められている。巻末のかなりのページ(全体の1/4)が割かれている全登場人物と引用された文学・芸術作品の索引は、この長大な作品の全体を見渡すことができる貴重な資料である。
語り手は長い不在のあと、久しぶりにパリの社交の場に顔を出す。その日、ゲルマント大公夫人の主催する午後の集いに出席した語り手が見たものは、仮装パーティーのような光景だった。真っ白な髪や口ひげを付け、頬はたるみ、動作は鈍って、まるで老人に「変装」しているような人びとを見て、語り手は彼らに時が流れたことに気づく。それはまた、自分にも時が流れたことを明らかにしていて、それが語り手を驚愕させる。変化したのは外見ばかりではない。語り手の旧知の人びとは、その人格や社会的立場もさまざまに変化した姿で立ち現れる。
そもそもゲルマント大公夫人とはかつてのヴェルデュラン夫人であり、ついに貴族社会に食い込んで、オリヤーヌことゲルマント公爵夫人とは従姉妹の関係になっている。そのゲルマント公爵夫人は逆に、新しもの好きと芸術好みのせいでかつての不可侵性を失ってしまった。もともと不誠実な夫だったゲルマント公爵は寄る年波でいよいよ邪な愛に走り、今は人生最後の愛人としてフォルシュヴィル夫人にべったりくっついている。かつてのスワン夫人であるフォルシュヴィル夫人はただひとり、語り手の前に若さを保ったまま立ち現れたと見えた人物だが、それから3年と経たないうちに急激に老化した姿をさらすことになる。
時はこのサロンのなかで、個々の人びとだけではなく、サロンという社会そのものにも化学作用を及ぼしたので、かつてはゲルマントという名前と調和しないすべてのものを自動的に排除していた一種の貴族的な先入観とスノビズムの混じったものは、もう機能しなくなっていた。今やゲルマント家のサロンには以前なら決して近づけなかったような人びとが入り込み、くつろいだ親しさで迎えられていた。その中には語り手の旧友のブロック、サン=ルーに囲われていたモレル、サン=ルーが愛した娼婦のラシェルなどもいた。サロンの人びとが彼らを重要人物として注目するようになっていたのである。この日の集いでヴィクトル・ユゴーとラ・フォンテーヌの詩句を朗誦したラシェルは、かつて彼女に手ひどい侮辱を与えたのを忘れて彼女に近づいてきたゲルマント公爵夫人を受け入れた一方で、病と失意の中にいるかつての大女優のベルマには陰湿な仕返しをする。
ゲルマント公爵夫人がラシェルに肩入れするのは、夫の死をあまり嘆いていないように思えるサン=ルー夫人ジルベルトへの反感からだった。当のジルベルトは、若い娘を紹介して欲しい、という語り手の頼みに対して、自分の娘を紹介する、と答える。そのことばはたちまち語り手に過ぎ去った「時」の観念をもたらす。サン=ルー嬢に到る道、彼女の周りに放射状に広がる道は、語り手をたくさんの道へと導く――彼女の父親を通じて「ゲルマントの方」やバルベックで過ごした数々の午後へ、彼女の母親を通じて「スワン家の方」とコンブレーで過ごした夕べへと。そしてこの二本の道の間にもたくさんの横道があり、それらの横道にも新たな横道があって、それらは豊かな思い出の編み目を成している。
コンブレーでスワンを送っていく両親の足音、スワン氏が帰っていったことを告げる門の小さな鈴の音が、今も語り手の耳に聞こえていた。その鈴と現在の瞬間との間には無限に広がる語り手の全過去があった。自分でも知らずに所有していた巨大な時をつなぎ止めるために、今こそ一冊の本を書く仕事を始めねばならない、という語り手の決意が表明されて、長い物語は締めくくられる。(2011.12.11読了)
☆午後の集いでジルベルトが語り手に声をかけた時、語り手はすぐにはジルベルトだとは気づかずに「ふとった婦人」と認識している。しかし、キース・ヴァン・ドンゲンの描いたジルベルトとサン=ルー嬢の画では、ジルベルトも16歳の娘と同じくらいほっそりと(9頭身くらいに)描かれている。
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by nishinayuu | 2012-02-12 10:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『マレーシアの冒険』(ジャン・エシュノーズ著、青木真紀子訳、集英社)


c0077412_10204862.jpgエシュノーズの第3作で、原題はL’Équipée malaise。
30年前のこと、二人の男がニコル・フィシェールに恋をした。ニコルが他の男と結婚するとわかったとき、親友だった二人の男は、人生は終わったと思ってしまい、お互いに疎遠になり、世間からも遠ざかってしまった。だから、結婚早々夫を亡くしたニコルが二人を探したが、むだだった。ひとりはパリの地下に潜ってホームレスになり、もうひとりは遠くマレーシアに旅立ったあとだった。数年後に二人はそれぞれニコルに連絡を取ったが、ニコルはもう彼らはどうでもよくなっていた。
マレーシアに渡ったほうの男は、縁あってゴム園の雇われ経営者になった。すっかり過去を消して変身した彼は、公爵と自称するようになる。もうひとりのシャルルはパリの地下を縦横に動きまわる自由で優雅なホームレスになった。その二人が再び顔を合わせることになったのは、ニコルの口添えもあって、公爵のゴム園乗っ取り計画にシャルルも一枚加わることになったからだ。パリに舞い戻っていろいろ用意を調えた公爵と、公爵の甥のポール、その友人のボブ、そしてシャルルはそろってマレーシアに向かう。海で船員の反乱騒動、ゴム園ではどんぱち騒ぎ、フランスではギャングたちとの抗争などなど、どたばたの冒険譚が展開してゆき、めまぐるしいことこの上ない。二人の男の物語は、2代目の二人、ポールとボブに引き継がれていきそうな気配を残して終わる。
この作品の読みどころは、やたらに細かく、時にはむだとも思える描写である。例えばゴム園労働者たちの野営地は次のようにな具合。

夜の訪れとともにあたりの物音は性質を変えた。ほ乳類の走り回っている気配がすぐそこに聞こえる。昼間なら、五百種類もの対立する鳥類が巨大な討論会を開いているから、ほ乳類の足音はかき消される。渡り鳥も交じっていて、照葉樹林のてっぺん目指して、さかさまのV字隊列を組む。特派員として討論集会の取材に呼ばれた場合もあれば、昼間の鳥の世界のイデオロギーに応じ、外国のスパイとして罵倒される者もいる。夜になると、鳥の群は一息入れて眠りの準備をし、翼の下にある羽毛のクッションをぽんぽんとはたいて、尖った頭を中に潜りこませる。間もなく、梢からの物音は途切れ途切れになり、感嘆符がためらいがちに繰り返され、そのしらけた内容からすると飲んべえの鳥の遅ればせの独り言らしく、憂鬱そうな口げんかが始まることもあるが、それをバックにしてあの夕暮れ時の鳩が、正式レパートリーである最高の名人芸を即興演奏してくれる。

ストーリーは単純なので、とにかくこの執拗で細かい描写を楽しむしかない。もう一つ興味深いのはパリの地下鉄でホームレス生活をする方法で、この作品をしっかり読めばおしゃれで清潔なホームレスになれるかも知れない。(2011.11.30読了)
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by nishinayuu | 2012-02-08 10:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『もうひとりのぼくの殺人』(クレイグ・ライス著、森英俊訳、原書房)


c0077412_10372442.jpg原題はMurder Through The Looking Glass。米国のミステリー作家Craig RiceがMichael Venningのペンネームで書いた作品。
彼(主人公のジェフリー・ブルーノ)は夜をぬって走る列車の談話室の中で眼をさまし、恐怖に襲われる。列車に乗った覚えが全くないのだ。眼を閉じていると列車の振動に合わせて頭の中にメロディーが浮かび、少し落ち着いてくる。メロディーを口ずさんでいると談話室のボーイに「ほかの客の迷惑になっている」と注意される。すると、隣席の男が身を乗り出してきて、「なかなかきれいなメロディーでしたよ」と話しかけてくる。かなり小柄な灰色ずくめの男で、メルヴィル・フェアという名だという。ジェフリーも名前をなのり、名刺を取り出して渡そうとする。と、そこには「ジョン・ブレイク、保険外交員」とあるではないか。財布やポケットを探ると、ジョン・ブレイク名義のクラブの会員証、預金通帳、スーザンという女性からの手紙も見つかる。自分はSF仕立てのホラー小説を書いて生計を立てているジェフリー・ブルーノであるはずだが、はたしてほんとうにそうなのか。とにかく自分のアパートにたどり着けばどうなっているのかわかるだろうと考えた彼は、フィラデルフィアに向かっている列車を降り、待合室でニューヨーク行きの列車を待つ。そのとき、読み捨てられた新聞をふと手にとると、殺人容疑で指名手配中という見出しの下に、ジョン・ブレイクの名と彼自身の顔写真があった。
という具合にジェフリー・ブルーノは、自分が二重人格者で、もうひとりの自分は殺人を犯したのかもしれない、と考えざるを得ない異様な状況に放り出される。ここでジェフリー・ブルーノがとるべき方法は2つ――ひとつは同じアパートに住むモデルのロザリーのすすめに従って警察に行って事情を説明することで、もうひとつはずっと彼の跡を付けてきて「困ったことがあったときには、ご遠慮なく」と言った、この時点では得体の知れない人物であるメルヴィル・フェア氏のところに行くことである。ここで彼が後者を選んだことから、読者はフェア氏が事件を解決する重要人物(おそらく探偵)だろうと推測できるのだ。ジェフリー・ブルーノとジョン・ブレイクの関係も、読者はジェフリー・ブルーノ本人よりもかなり前には推測できるが、それでも終盤までだれることなく、締めくくりも納得でき作品である。
ジェフリー・ブルーノについてはもちろん、ほかの登場人物についてもその都度、生い立ちや回想が詳しく語られている。事件にはなんの関係もなさそうなこれらの記述の中に事件のヒントが埋め込まれていることが、読み終わってみるとわかる。ミステリー作品ではあるが、凄惨な場面も異常な人物も登場しないので、安心して楽しめる。(2011.11.20読了)
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by nishinayuu | 2012-02-05 10:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『旅をする裸の眼』(多和田葉子著、講談社)


c0077412_9484771.jpg13の章からなる物語で、第1章の1988年から第13章の2000年まで、章ごとに1年ずつ進んでいく。また、各章には副題のように映画の題名とその公開年次が記されている。13年間の世界情勢の変化は遠くにおいてあまり語らず、映画の中の世界を全面的に取り込んで展開させて行く、不可思議な魅力にあふれた作品である。
主人公の「彼女」は1988年、米軍が撤退したあとの共産主義国家ベトナムで高校生活を送る優秀な女学生だった。その年、東ベルリンで開催される「青年大会」で、彼女は「アメリか帝国主義の犠牲者の生の声」を聞かせる役割を与えられ、ロシア語の原稿を携えて一人旅の途につく。東ベルリンに到着し、案内されたホテルの食堂で、モスクワ留学を終えて西ドイツに帰る途中のヨルクという青年とウオッカを飲んでいるうちに彼女は意識がもうろうとなり……気がついた時は西ドイツはボーフムという町にいた。こうして拉致されるようにして東ベルリンから連れ出され、ヨルクに囲われて暮らすことになった彼女は、やがて町外れを大陸横断鉄道が通ることを知る。そしてある日彼女は、ヨルクの部屋を抜け出し、線路脇で出会った女性(何者かはずっとあとの章で明かされる)の不思議な行動に助けられて列車に飛び乗る。モスクワ経由でベトナムに帰るつもりだったのだ。ところが彼女が乗ったのは逆方向のパリに向かう列車だった。
こうして彼女はパリで不法滞在者と暮らすことになる。人びとの眼、特に警官の眼を避けるために彼女は映画館に逃げ込む。初めて見たのがポランスキーの「リパルジョン」だった。そのとき彼女はスクリーンの中の「あなた」に強く惹きつけられる。ボーフムでベッドの中から壁を観察していた自分の姿が、「リパルジョン」のなかの「あなた」と重なったのだ。それから彼女は「あなた」に会うために、言葉も分からないままに映画館に通い続ける。同じ映画を2度3度と見ることもあった。そして彼女の物語は映画の中の「あなた」の物語と奇妙な絡まりを見せて進行していき、ついに「あなた」は彼女の「親友」となり、彼女が映画館に入ると必ずちゃんといつも隣にすわっている。彼女の旅に終わりがあるのかどうかはわからないまま、物語はここでぷつりと終わっている。最終章で彼女が読みたがっていた手紙はだれからのものなのかも明かされないまま。
彼女は放浪の旅の途上で上記のヨルクのほかに、パリ行きの列車内で知りあった同じベトナム人の女性・愛雲(アイ・ヴァン)、パリで最初に彼女にねぐらを提供してくれた街娼のマリー、映画館で知りあった青年シャルル、その友人でベトナム人の外科医・旋鈴(トゥオン・リン)などと関わりを持つ。彼らとのことを語る文は「……だ」調であるが、「あなた」を語る文、「あなた」に話しかける文は「です、ます」調になっていることからもわかるように、ほかの登場人物とは別格の特別な存在である「あなた」とは、画面の中のカトリーヌ・ドヌーブである。以下に副題となっている映画を章の順に記しておく。
Repulsion(1965)反撥、Zig Zig(1977)恋のモンマルトル、Tristana(1970)悲しみのトリスターナ、The Hunger(1983)ハンガー、Indochine(1992)インドシナ、Drôle d’endroit pour une rencontre(1988)夜のめぐり逢い、Belle de jour(1966)昼顔、Si cétait à refaire(1976)愛読もう一度、Les voleurs(1996)夜の子供たち、Le dernier Métro(1980)終電車、Place Vendôme(1998)ヴァンドーム広場、Est-ouest(1999)イースト/ウエストはるかなる祖国、Dancer in the dark(2000)ダンサー・イン・ザ・ダーク(2011.11.17読了)
☆ちょっとびっくりの校正ミス――第9章の始めにある章の扉に1988とありますが、正しくは1996のはずです。
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by nishinayuu | 2012-02-02 09:49 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)